2010年2月14日日曜日

連作恋々 高山れおな

俳誌雑読 其の十二
連作恋々

                       ・・・高山れおな


「鬼」誌が「連作俳句:未踏の世界へ」と題して連作俳句を特集しているのが珍しい(*1。数年来、評者も連作を試みているところから、個人的関心もあって読んでみた。特集の目次は下記の通り。

子規俳句〈読み直し〉試論

―連作的構成作品を読む― 復本一郎

講演録 連作俳句を考える 井上弘美

「連作俳句」覚え書き 橋本直

連作俳句を語る 渕上信子

第九回研修会報告

俳句連作を朗読する 三浦郁

先頭に置かれた復本の論文は、副題に「連作」ではなく「連作的構成作品」とあるように、正面きって連作を論じたものとは言い難く、この雑誌の主宰者であり特集テーマを定めた当の本人の文章としては、なんだか位置づけに要領を得ない感じがする。復本がこの文章で目指したのは、「連作ということを睨みつつの、子規俳句の〈読み直し〉の提唱」であるらしい。

従来、子規俳句は、あまりにも一句、一句の質を検討することに、人々の関心が集中し過ぎてしまっており、子規自身が企図した、ある「題目」で統一されている複数句を複数句のままで享受しようとする姿勢に欠けていたと思われる。

と、いうわけだ。復本によれば、これまでの「各種『子規全集』」は、子規の手控えである「寒山落木」「俳句稿」を基礎にしつつ他の資料によって遺漏を補う手法を取っており、そもそも子規が「連作的構成」のもとで発表した作品をそのままの形で読むことができないという事情があった。復本がそのような「連作的構成」の例として挙げているのは、明治二十九年(一八九六)四月の「早稲田文学」第七号に「明治新事物」のタイトルで発表された十二句で、制作年毎に整理された「寒山落木」「俳句稿」では、明治二十六年から明治二十九年にかけての項に分散しているという。復本はこれらの句を、子規が「連作的趣向で新機軸を出そう」とした「明治新事物」の形で読むことの意義を説いていて、そのこと自体に異議はないのであるが、やっぱりこれは第一義的には“編集”の問題であって“連作”の問題ではないだろう。もちろん復本もそう思っているからこそ、「連作的構成作品」と言っているわけだが。ちなみにくだんの「明治新事物」十二句は以下の通り。

ぼうと行けば鷗立ちけり春の風

うつくしき桜の雨や電気灯

行く春を電話の糸の乱れかな

薔薇深くぴあの聞こゆる薄月夜

甲板に寝る人多し夏の月

電信の棒かくれたる夏野かな

聖霊の写真に憑るや二三日

はらはらと汽車に驚く螽かな

菊の花天長節は過ぎにけり

燐寸売るともし火細し枯柳

きやべつ菜に横浜近し畑の霜

煙突や千住あたりの冬木立

一句目の「ぼうと」は「茫と」ではなく「ボート」。それ以外には難しい言葉はないだろう。

この特集で、連作を正面から論じているのは井上弘美の講演録である。彼女が連作俳句について考えるようになったのは、「短歌・俳句における連作について」という講演における井上宗雄(*2の示唆によるらしい。

井上宗雄先生、この先生はご自身が俳句もお詠みになる研究者でいらっしゃいますけれど、この先生が短歌と俳句における連作について、現実には総合誌を開いても、あるいは結社誌を開いても、連作というふうに思える作品があるにもかかわらず、誰も連作俳句という言葉を使わなくなった、連作俳句は文学史的には終わってしまったけれども、そこから生まれた名句がたくさんある、連作俳句から生まれた作品があるにもかかわらず、そこが評価されないのは一体、どういうことなのか、連作俳句について、もう一度考えてみてもよいのではないかということを提言されました。

井上弘美の話題は、かなり多岐にわたってゆくのであるが、いちばんキモになる要素は、井上宗雄の意見を祖述したこの一節に尽くされていると言っても過言ではない。要するに、現に連作俳句は存在しているのであるが、なぜかその名を口にすることをみな避けているのである。講演が質疑応答に移ってからの井上弘美の発言に、「連作俳句という言葉には、一句の独立性が弱いというふうなイメージが、どうしても付いて回りますから」とあるような事情や、新興俳句時代の無季俳句の問題などに絡んで連作という言葉が俳句の世界で帯びている歴史性が、この言葉を持ち出すのを億劫がらせる結果になっているわけだが、もうひとつ、昨年末のシンポジウム(*3でも述べたことだが、俳句の世界にある主題回避の圧力が連作の積極的な意義づけの壁になっているということもあるだろう。井上弘美によれば井上宗雄は、

A 独立している複数の作品に関連・連続性があること

B 一句の独立性の強弱にかかわらず、複数の作品によって一つの作品世界を表現していること

を「連作の定義」として挙げたそうだが、「一つの作品世界」が主題の結晶にまで達しないような場合は、制作する側にせよ、読解する側にせよ、当該の作品を連作としてどこまで意識する必要があるのか、その意義は相対的に弱いものになるであろう。単に“事実上の連作”であるだけでは、特に読み手側にとって、対象を連作として読解する必然性は余程薄くなる。総合誌に“事実上の連作”は幾らでも載っていながら、そのうちの佳句を幾つか鑑賞して終わるというのが基本的な読みのパターンになっているのはそのためである。そして、井上弘美が言うように、「連作が力を持つのは、まず旅吟」であり、「境涯詠ですね。一番分かりやすいのは病気」ということになるのは、そこに否応なしに主題が成立しているからで、これまた旅吟や病中詠については連作という言葉はさておき、連作としてしかるべく読解することが普通に行われるわけだ。

井上弘美は、講演の冒頭で、母親が交通事故のため十一年もの間寝たきりになっており、「俳句に逃げながら、母のことを俳句」にし、句集を編んだこと、だから『汀』というその句集もまた「一つの連作俳句というふうに読んでいただけるのではないか」と述べている。それでいて質疑応答の時間になると、「私は連作作品を作ったことはありませんね、意識として。」というのだから、なんだか腰が定まらない。それはともかくここで評者なりに連作の定義を考えると、相互に関連した複数の句で構成されるという前提条件に加えて、(1)作るプロセスと読みの枠組が一致しており、(2)かつ全体がひとつの主題に貫かれている場合を狭義の、そして連作としての意義ある連作というべきかと思う。(1)の要件を満たしても(2)の要件を満たさないものは連作としての意義が薄くなるし、(2)の要件を満たして(1)の要件を満たさないものは厳密には復本のいう連作的構成作品に相当するであろう。井上弘美の場合は、後者に相当するために上のような発言になったわけである。なお、言うまでもないけれど主題は素材とは異なるわけで、例えば水原秋桜子を例に取れば『葛飾』所収の「筑波山縁起」や「古き藝術を詠む」、あるいは『残鐘』の「浦上天主堂」などは(1)(2)を兼備して十全に連作であろうが、『秋苑』に見える寒鯉を詠んだ一連などは(2)に関して不満が残る。つまりは連作としての意義の薄い連作であり、実際、我々はこの一連から〈寒鯉を真白しと見れば鰭の藍〉〈寒鯉はしづかなるかな鰭を垂れ〉あたりを記憶して済ませているのだし、それでよいに違いない。

ところで、井上の講演録には、「終了後に―」という付記があって、

講演後の質疑応答で「質問者C」の方が、現代の俳人で連作俳句を作っている方はいらっしゃいますか、と聞いてくださいました。その質問に私は、多分いらっしゃらないのではないかとお答え致しましたが、詩人の高橋睦郎氏が連作作品を発表していらっしゃることがわかりました。

などと書いている。これは「澤」誌に高橋が連載していた「百枕」のことを指している(*4。それにしても、一方で「連作が力を持つのは、まず旅吟」みたいなことを言っていながら、連作俳句を作っている人間が「多分いらっしゃらないのではないか」などと答えてしまう井上さんというのは、矛盾を気にしないかなり天然なお人のようである。高橋に限らず、近年の作品で評者の印象に残っている範囲でも、長谷川櫂の「追悼」(*5とか伊東宇宙卵「非場所/巣穴掘り編」(*6とか谷雄介の「気分はもう戦争」(*7とか、いずれも(1)(2)の要件を兼ね備えたすぐれた作品であり、連作俳句を作る人がいらっしゃらないなどということは全くない。

そんなこんなでふらふら頼りないところもある井上講演ではあるけれど、連作の嚆矢は寒川鼠骨の『新囚人』(明治三十四年/一九〇一)の巻頭・巻末に入っている碧梧桐と虚子の作品ではないかとか(復本一郎に論文があるらしい)、「ホトトギス」の課題句選者になった前田普羅が連作を称揚したとか、そんな普羅を島村元が批判して、普羅も反撃したが結局この時点で「ホトトギス」内での連作への否定的評価が定まってしまったとか、いろいろ勉強になる情報も多い。もちろん秋桜子・誓子については大きく時間を取っていて、「馬酔木」に「深青集」という連作専門の投稿欄があり、成果も大きかったがやがてマンネリ化して戦後ひっそりと消えたこと、秋桜子に『連作俳句集』という編著があることなど、恥ずかしながら知らなかったので面白かった。『連作俳句集』は、ネット古書店にそう高くもない値段で出ていたので早速入手。昭和九年(一九三四)、交蘭社の発行で、昭和五年から九年にかけて「馬酔木」に発表された二十九俳人(*8の八十七編を収めている。高屋窓秋による装丁も、簡素で美しい。

(※)「鬼」誌は、編集部より贈呈を受けました。記して感謝します。

(*1「鬼」第24号 二〇〇九年十二月一日発行

(*2井上宗雄は、和歌史の方の偉い研究者。俳句もお作りになるとは、こんどの「鬼」を読んで始めて知りました。

(*3「俳句空間―豈weekly」第七十三号/新撰21竟宴 パネルディスカッション「今、俳人は何を書こうとしているのか」記録

(*4「百枕」は二〇〇九年十二月号で連載終了。翌月からは「新竪題(しんたてのだい)」という、これも連作の連載が始まっている。

(*5)「週刊俳句」二〇〇九年十二月十三日号

(*6)「―俳句空間―豈」第四十七号(二〇〇八年十一月)

(*7)「週刊俳句」二〇〇八年四月六日号

(*8二十九人の顔ぶれは――水原秋桜子・塚原夜潮・大橋一楼・小林七歩・串上青蓑・加藤かけい・山科晨雨・高屋窓秋・軽部烏頭子・相生垣瓜人・宮崎軒月・小山寒子・中村秋晴・瀧春一・中村三山・木津柳芽・井上白文地・篠田悌二郎・藤後左右・佐野まもる・石田波郷・石橋辰之助・杉山岳陽・百合山羽公・五十崎古郷・清宮筑峰・中西香夢・加藤楸邨・石井白村

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