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2010年7月17日土曜日

筑紫磐井終刊メッセージ

「―俳句空間―豈weekly」の終刊にあたってなすべきこと=通時化


             ・・・豈発行人  筑紫磐井


「週刊俳句」や「―俳句空間―豈weekly」によって俳句の世界が活気づいていることは間違いない。インターネットの効果と呼んでよいだろう。もちろん、インターネットが効果を生む背景には、「週刊俳句」や「―俳句空間―豈weekly」だけでなく、これらとネットワークを構築している多くの個人のブログも相互に影響しあって力を発揮していることは言うまでもない。

しかしこうしたブログが共時的には結社誌以上の影響力を持つ反面(『新撰21』の爆発的な評価はその1つであろう)、通時的(歴史的といってよいであろう)な影響力をどう持てるかはまだ不明である。

『新撰21』を編纂する時、私の視野には今から20年前の若い世代の噴出があり、現に『新撰21』を論じる時にそのことに必ず触れていた。実際当時出た処女句集シリーズ、新鋭句集シリーズや各種セレクションを眺めながらそうした歴史を再構築してみることが出来た。しかし、あと20年後に、この『新撰21』の出た背景は充分理解されるであろうか。『新撰21』の誕生はウェブの影響の中で生まれたのであり、『新撰21』が生まれた瞬間の様々な発言や情報(そして熱情)はおそらく20年後にもはや確認することも出来ない状況となっていることだろう。

個人の意志によって維持されるブログは容易に消滅する。それは今回の「―俳句空間―豈weekly」の終刊でまことに象徴的に示される。「―俳句空間―豈weekly」に保存されたアーカイブも、果たして間違いなく存続するかどうかは分からない。それは個人の善意・悪意を越えてインターネットの宿命だろうと思われる。

とすれば、古風な方法であるが活字にして残すしかない。『新撰21』の経緯を色々なところで私が書いているのもそうした歴史の証言の風化を防ぐためである。ブログで我々の活動を知った遠方の見ず知らずの人が『新撰21』スポンサーとなるのはウェブ時代ならではの事件であったが、活字にしておかなければこうした時代の存在もあっという間に風化するであろう。現在、「―俳句空間―豈weekly」で長期にわたって我々が連載した共同研究「遷子を読む」も、いまは手軽く過去の原稿を読むことが出来るが、それがいつまで続けられるかの保証はないそうである。プロバイダーの都合である日突然アクセスできなくなる可能性もあるらしい。そこで現在これらを活字の冊子本化すべく検討中である。

ただし注意しなければならないのは、できあがった冊子本はブログの「遷子を読む」と大幅に異なっているはずである。ブログの文体を、活字本で維持できるはずがない。そんなことをすれば膨大な頁数を必要とするが、参加者の発言したかったことはもっと簡明に記述できるはずだからである。また、ブログであればこそ書けたいささか責任を欠く文章は各自が評価し活字本にふさわしい品のある文章に書き直すはずである。不正確、挑発的、誤解に基づく超論理的文章は抹殺されるであろう。何のことはないそこに生まれるのは、ブログを契機として生まれた、新しく書き直された深い思索に満ちた活字としての「遷子を読む」でしかない。しかし、それでも活字として残す価値はあると思う。未来の人々は冊子本の向こうに生々しい精神があったことを推測してくれるからだ。現在我々が行おうとしていることはいかに知的産物として生まれたブログ上のアーカイブを、安価に、永続する方法(活字)で後世に残すか、という作業である。安価であることは是非必要だ、無料のインターネットから高価な価値が生まれてはならない。

それでも「―俳句空間―豈weekly」は評論を中心とするブログだからそれを活字化することはまだ工夫の余地がある。問題は、俳句作品のような再利用の困難なブログである。高柳克弘は「いま短詩型であること」(「現代詩手帖」2010年6月号)で「『週刊俳句』や『豈weekly』というホームページでは、基本的に作品発表はおまけみたいなもので、批評に特化しています。そういう現象から考えてもどうも[俳句作品が(筑紫注)]居心地が悪いというのは否めないところかなと思います」と辛辣に述べているのは我々と同じ認識といえるであろう。これはそれぞれのブログ管理者に考えてもらわねばならない。

私の「―俳句空間―豈weekly」で執筆した評論は「遷子を読む」に限らない。多種多様な評論が存在した。これをどうするか。初めから評論として執筆したから、これをばらばらとして一つの体系にまとめることが可能である。と言うよりそのつもりで執筆してきたのだ。おそらく私の次の新しい本の中でその発言は復活するであろう。通常の評論では出来ない、新しい本の執筆の試行をここで行ってみたのである。

私にとって「―俳句空間―豈weekly」とはそうしたものだったと言うことである。そして、「―俳句空間―豈weekly」の終了後、ふたたび「豈」と「海程」の若手によって新しいブログが模索されている。開始時期9月、と早くも予定されている。しかしどのようなものが始まるとしても、上に述べた認識は変わらないであろう。

以上の結論は決してブログに対して悲観的な見方を示しているわけではない。通時化の過程で、早晩ブログが紙媒体の俳句雑誌を規定してゆくことになるのは間違いない(原稿依頼や送稿、編集、校正などが無人化・少人化してゆく。今行っている単行本『超新撰21』の公募作品が短期間で直ちに活字化されるのも、こうしたシステムを部分的に導入したからに他ならない)。その場合の、ブログと雑誌を統合する編集人の徹底したダブルスタンダードぶり(例えば雑誌編集の厳格責任のスタンダードと、ブログ管理の放漫自由なスタンダード)こそが見ものであるということなのである。そして、それに成功しなかった雑誌が順次滅んでゆくのも間違いないことである。
                             2010.7.15.

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「遷子を読む」制作年順目次

資料「遷子を読む」制作年順目次


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井



「遷子を読む」で取り上げた遷子の句を年代別に分類しデータを付したものです(句・掲載回数・句集名・制作年・基調コメンテーター(43回までは窪田英治氏が参加))。

滝をささげ那智の山々鬱蒼たり  (43) 『草枕』13/筑紫
梅雨めくや人に真青き旅路あり  (17) 『草枕』-15/原
一本の木蔭に群れて汗拭ふ    (31) 『草枕』16―17/筑紫
忽ちに雑言飛ぶや冷奴       (54) 『草枕』18/中西
くろぐろと雪片ひと日空埋む    (5)  『草枕』20/窪田
昼の虫しづかに雲の動きをり    (7)① 『草枕』20/原

自転車に夜の雪冒す誰がため   (56) 『山国』22?/筑紫
木枯に星斗爛○たり憎む      (37) 『山国』-26/仲 ○=火偏に干 
寒うらら税を納めて何殘りし    (8)  『山國』-26/深谷
燕来て八ヶ岳(やつ)北壁も斑雪なす (50) 『山国』27/仲
高空は疾き風らしも花林檎     (28) 『山國』28/深谷
戻り来しわが家も黴のにほふなり (9)  『山国』28/中西
農婦病むまはり夏蠶が桑はむも  (10) 『山国』28/窪田
家を出て夜寒の医師となりゆくも  (52) 『山国』28/仲
星たちの深夜のうたげ道凍り    (26) 『山国』29/筑紫
畦塗りにどこかの町の昼花火    (27) 『山国』29/原
しづけさに山蟻われを噛みにけり (41) 『山國』29/窪田
春の町他郷のごとしわが病めば  (4)  『山国』31/中西

山河また一年經たり田を植うる   (13) 『雪嶺』32/深谷
汗の往診幾千なさば業果てむ   (11) 『雪嶺』32/筑紫
山の虫なべて出て舞ふ秋日和   (22) 『雪嶺』32/原
雪山のどの墓もどの墓も村へ向く (33) 『雪嶺』34/深谷
筒鳥に涙あふれて失語症      (6)  『雪嶺』34/筑紫
母病めり祭の中に若き母      (58) 『雪嶺』34/仲
ちかぢかと命を燃やす寒の星    (65) 『雪嶺』35/筑紫
夕涼や生き物飼はず花作らず   (40) 『雪嶺』35/中西
ストーヴや革命を怖れ保守を憎み (32) 『雪嶺』36/原
隙間風殺さぬのみの老婆あり    (49) 『雪嶺』36/筑紫
酷寒に死して吹雪に葬らる     (59) 『雪嶺』37/深谷
秋風よ人に媚びたるわが言よ    (45) 『雪嶺』37/原
霧氷咲き町の空なる大初の日   (36) 『雪嶺』38/窪田
銀婚を忘ぜし夫婦葡萄食ふ     (3)  『雪嶺』38/深谷
萬象に影をゆるさず日の盛     (38) 『雪嶺』38/原
百姓は地を剰さざる黍の風     (23) 『雪嶺』39/深谷
障子貼るかたへ瀕死の癌患者   (55) 『雪嶺』40/仲
卒中死田植の手足冷えしまま    (46) 『雪嶺』41/深谷
ただひとつ待つことありて暑に堪ふる(61) 『雪嶺』41/筑紫
山の雪俄かに近し菜を洗ふ     (30) 『雪嶺』41/窪田
暮の町老後に読まむ書をもとむ  (29) 『雪嶺』41/中西
凍りけり疎林に散りし夕焼も    (51) 『雪嶺』41/原
病者とわれ悩みを異にして暑し  (16) 『雪嶺』42/筑紫
山深く花野はありて人はゐず    (25) 『雪嶺』42/窪田
寒星の眞只中にいま息す      (15) 『雪嶺』43/窪田
空澄みてまんさく咲くや雪の上   (20) 『雪嶺』43/中西
田植見てまた田植見て一人旅   (19) 『雪嶺』43/窪田

老い父に日は長からむ日短か   (18) 『山河』43/深谷
凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ  (42) 『山河』43/仲
幾度ぞ君に清瀬の椿どき      (34) 『山河』44/中西
晩霜におびえて星の瞬けり     (7)② 『山河』44/原
炎天のどこかほつれし祭あと    (64) 『山河』44/深谷
雪嶺に地は大霜をもて応ふ     (62) 『山河』44/仲
雪降るや経文不明ありがたし    (24) 『山河』45/中西
大雪のわが掻きし道人通る     (39) 『山河』45/深谷
薫風に人死す忘れらるるため    (21) 『山河』45/筑紫
信濃びとわれに信濃の涼風よ   (57) 『山河』45/原
甲斐信濃つらなる天の花野にて  (68) 『山河』45/仲
患者来ず四周稲刈る音きこゆ    (60) 『山河』45/中西
雪晴れし山河の中に黒きわれ    (67) 『山河』48/中西
雛の眼のいづこを見つつ流さるる (12) 『山河』49/原
高空の無より生れて春の雲     (48) 『山河』49/中西
わが山河まだ見尽さず花辛夷    (35) 『山河』49/筑紫
癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ  (44) 『山河』49/仲
葦切や午前むなしく午後むなしく  (63) 『山河』49/原
わが病わが診て重し梅雨の薔薇  (66) 『山河』50/仲
冷え冷えとわがゐぬわが家思ふかな(2)  『山河』50/原
鏡見て別のわれ見る寒さかな    (14) 『山河』50/中西
冬麗の微塵となりて去らんとす   (1)  『山河』50/筑紫
かく多き人の情に泣く師走     (53) 『山河』50/深谷
蒼天下冬咲く花は佐久になし    (47) 『山河』50/仲

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遷子を読む〔64〕炎天のどこかほつれし祭あと・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む
遷子を読む〔65〕ちかぢかと命を燃やす寒の星・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む
遷子を読む〔66〕わが病わが診て重し梅雨の薔薇・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む


遷子を読む〔67〕雪晴れし山河の中に黒きわれ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む


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■関連書籍を以下より購入できます。

遷子を読む(68)

遷子を読む(68)――最終回――


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


甲斐信濃つらなる天の花野にて
     『山河』所収

仲:昭和45年の作。これを読むと自ずから飯田龍太の

かたつむり甲斐も信濃も雨のなか

を思い浮かべます。どちらの句もそれぞれの作家の代表作の一つと言っていいでしょう。龍太の俳句は昭和47年の作なのでどちらかがどちらかの影響を受けてということではなく、たまたま同じ頃、一方は佐久から甲斐を望み、一方は境川村から信濃を望んで一句をなしたと思われます。まるで鏡のこちら側と向こう側のよう、とは言い過ぎでしょうか。

もちろん二句の季節は梅雨の頃と秋なので全く印象が異なりますし、詠まれている風景はかなり違うものです。それでも同じ時代に同じ山国で互いの(俳句を詠む時に相手の存在は意識していなかったとしても)国に思いを致しながら暮らし、作句に精を出している二人の俳人がいたとは何やら運命的なものを感じます。以前龍太が遷子の死後に遷子の句集を読んだときの冷やかな感想について磐井さんが書いておられました。この二人の関係や互いが互いをどう思っていたかについてはもっと深く考察する必要がありそうなのでここで安易なことは申しませんが、中央俳壇から遠いところで土地に密着した生き方をしつつ俳句を作っているという立場は非常に似通っている訳です。こう書けば日本全国にそのような俳人は他にも沢山いたはずと言われそうですね。それはそうでしょうがこの時代の俳人ということで、そのような視点でこの二人を比較しながら論じるのも面白いのではないかと思いました。

さて、句意としては甲斐と信濃の境あたり、つまり小海線の野辺山(長野県)・清里(山梨県)の間に花野があり、その花野を介して二つの国(現在では二つの県)がつらなっている、ひと続きであるというものです。標高にして1300メートル(この付近にJRグループの最高標高地点があります)ということから「天の花野」と表現したのでしょう。昔の国名を持ち出すことで歴史を想起させ、大きな時間の流れの中の変らぬ自然を強調しています。また「天の」花野という表現は単に高い所にあるというのみならず一句のスケールを広大なものにする効果があります。国名二つに天と話が大きくなりすぎたのを「花野」という地に足のついた具体的なものを置くことでうまく現実に収束させています。非常に巧みな表現です。

中西:滝をささげ那智の山々鬱蒼たり

と詠んだ若い頃の遷子の面影が残っているような大きな風景句です。ここは日本の天辺の花野だと言っているのは故郷褒めですよね。甲斐信濃は、やはり昔の国名が、詩語にはふさわしいように思います。句が引き締まりますし、山梨長野ではちっとも美しくありませんもの。また、寒蝉さんのおっしゃるように、国名2つと天で話が大きすぎたのを、「花野」という具体的なものを置いて現実に収束しているという考え方もあるなあと思いました。

花野に来てその大きさと、美しさに圧倒させられた気持ちを、美辞麗句を使わずに表現しているところが遷子らしいところです。秋桜子はそこを昔の遷子の句のほうがふくよかだったと言っている訳ですが、同じ景色でも、自然の厳しさを体験しながら生活を営んでいる人の目と、秋桜子や星眠のように旅行者の目とはやはり違って、絵のように美しくは描けなかったのではないかと思いました。

ちょっと例えが不適当かもしれませんが、歩いて苦労して登った山の美しさと、車でひょいと登った山の美しさが違うようなもので、長い冬の厳しい寒さを味わった人が見た花野と、都会から来て良い季節として花野を眺めている人とでは、花野の見え方が違うのではないでしょうか、武骨な表現なのに遷子の花野を愛でる気持ちが伝わってきます。

【原さんは今回休憩です】

深谷:人間生活を対象とした作品と並んで、遷子には数多くの叙景句が残っています。いずれも、スケールの大きな堂々とした詠み振りの作品です。考えてみれば、遷子はその出発点からして「すぐれた自然描写の句を作して」(波郷の『山国』跋より)いたわけですから、当然といえば当然なのですが。その意味で、最終回に採り上げる句が雄大な叙景句というのは、この研究会の原点に回帰するようで、最適な選択だったような気がします。

さて掲出句の眼目は、仲さんも指摘しておられる通り、「天の花野」という表現だと思います。この句を初めて読んだ時、一瞬、甲斐・信濃国境の空、文字通りの「天上にある花野」と解してしまい、妙にメルヘンチックな作品という印象を抱いてしまいました。さすがに、すぐ考え直して、そうした天(空)の下にある花野だと気付きましたが、お恥ずかしい限りです。敢えてこのような恥を晒したのは、遷子の作品はどちらかと言えば「平明で率直な詠み振り」のものが多く、以前に筑紫さんが指摘しておられた「散文に近い」という特徴を思い出したからです。文字通りの散文であれば、小生が誤解したような解釈になりそうですが、掲出句は紛うことなき俳句作品であり、「天の花野」の「の」に込められた意味を抜きにしては作品として成り立ちません。その意味で、「省略の文学」たる俳句らしい俳句なのかもしれないと感じたわけです。

また、上五から中七にかけて一気に詠み上げた後の「の」で、少し間合いがあり、その小休止が天と地(花野)との間に横たわる空気のような質感を持っているようにも思えます。
何れにせよ、俳句という短詩形の醍醐味を味わえる作品だと思いました。

筑紫:「遷子を読む」最終回にふさわしい華麗な句となりました。否が応でも仲さんの言われているように飯田龍太の句を思い出してしまいます。雨のかたつむりと、快晴の下の花野です。龍太が「・・も・・も・・の中」といういかにも龍太調のゆったりとした詠み方なのに比べ、遷子は馬酔木調の颯爽とした風景句です。この句ならば秋桜子も激賞したのではないかと思います。のみならず、遷子の体力が、老いたりとはいえまだまだ余力を残して、何事かなすことあらむと気負っていた時期でもあったのではないかと思います。遷子の『山河』の華ではないかと思います。

とは言いつつも「天の花野」には天上の花野を思わせる雰囲気もあります。花野はある意味で遷子の供花としてふさわしいかもしれません。高原派の雄という呼称が遷子に必ずしもふさわしくはないと常日頃行っているのですが、世の常の評価がそうだとすれば、遷子ミステリーツアー(平成21年8月2日挙行)で訪れた貞祥寺にある秋桜子・遷子の師弟連袂句碑の句、

雪嶺の光や風をつらぬきて  遷子

よりもこちらの句の方が遷子の典型を表しており、いいのではないかと思えます。「山国」「雪嶺」「山河」という言葉こそ入っていませんが、高原派遷子の面目が躍如としているようです。

余計なことながら、微妙な助詞の働きですが「甲斐も信濃も」は2つの異なるものを別々に認識した上で「雨の中」でまとめていますが、「甲斐信濃」はほとんど連続した概念で2つのものに差異を見ていないともうけとれます。繊細さでは龍太の句に一籌を輸するようですが、大景の描き方としては遷子の方が正統派かもしれません。

     *     *     *     *

「―俳句空間―豈weekly」第100号のためのメッセージ
        中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井

●「遷子を読む」では大変お世話になりました。一年あまりも管理人さんにはお手数をお掛けしました。
青い文字の本文と赤い文字の引用文、とてもおしゃれでした。
同時発表の高山れおな氏、中村安伸氏、関悦史氏、恩田侑布子氏の文章に啓発されるところが大きかったように思います。
また、堀本吟氏のコメントに深い文学への思いを感じました。
「遷子を読む」という場所を頂き、仲間を頂き、そしてまた豈weeklyの自由な発言の場で、すがすがしい空気を一緒に吸わせていただきました。感謝致します。
新しいブログがたちあがるとのこと、大いに期待しております。
時代が動いているのを肌で感じております。(中西夕紀)

●第100号、おめでとうございます。あまり熱心な読者だったとはいえませんが、このブログのおかげで共同研究「遷子を読む」が実現かつ継続しえた訳ですから、感謝の念に堪えません。管理人の高山れおなさんはじめ、関係者の方々に御礼申し上げます。ありがとうございました。また当研究会宛に時折いただいたコメントも、なかなか有意義かつユーモアに富んだもので、とても刺激的でした。重ねて御礼申し上げます。
(深谷義紀)

●メッセージが書けるほどの深い関わりとは言えませんでしたが、それでも筑紫磐井さんのお誘いで半年余りの間『遷子を読む』に投稿させていただきとても勉強になりました。関係者の皆さん、とりわけ磐井さん、本当にありがとうございました。『豈』には投稿こそしたことがありませんが邑書林に移って以来の読者ではありました。その若い(実年齢というだけでなく)パワーには圧倒される思いでした。もともと高柳重信や摂津幸彦は憧れの存在でしたから『豈』と聞くだけで気分が高揚するのでした。このたびは『海程』の若い人たちと新しいブログを立ち上げるとのこと、まことに俳句の世界にとってエクサイティングな出来事と言うべきでしょう。心からお慶び申し上げます。『豈』にも『海程』にも少しずつ知り合いがいるのでやや近い距離から見守って参りたいと思います。(仲寒蝉)

●原雅子さんは事故にあわれ最終回には欠稿となりました。重大なものではありませんが、一刻も早いご快癒をお祈りします。

●筑紫磐井は別に、「『―俳句空間―豈weekly』の終刊にあたってすべきこと」を執筆したのでこれに代えさせて頂きます。

長らくのご愛読を感謝します。 中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井

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2010年7月11日日曜日

遷子を読む(67)

遷子を読む(67)


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


雪晴れし山河の中に黒きわれ
    『山河』所収

中西:昭和48年作、一句飛んで、

雪嶺の稜骨くろく地にも雪

遷子の句で黒という色が出てきた俳句は珍しいです。今まで油絵で書いていたような景色だったものが、いつの間に、版画になっていて、ここに来てそれが顕著なものですから、驚いているというような感じがしています。

悪しきこと多かりし年惜しむかな

さらに3句先にあります。翌年入院するわけですから、体調は既に芳しくないのです。急に老いを感じているようにも思います。

掲出句のような版画のような線太な、タッチのざっくりした景色の表現は、知らず知らずのうちに気持ちのあり方を見せているとしたら、心はすでに病気に向っていたかもしれませんね。体の病は心に病も並存させると聞いたことがあります。

「黒きわれ」を病気と思わせるのは、後のことを知っているからであって、単純なイメージとしては、小さくて顔立ちさえもはっきり見えない、蟻のような存在。複数いる蟻に見分けがつかないように、自分も他の人間と見分けのつかない平凡な存在ということでしょうか。

ですが、一方で雪が晴れて景色が見えてきた中で、自分と言う存在を遷子はきちんと位置づけているとも考えられる句です。黒くて小さいかも知れないけれど、具合が良くない老いた自分だけれど、ここに確かにいるんだという存在は明確です。〈山河の中に〉が、〈山河に〉ではないところに、存在の確認を思います。

【原さんは今回休憩です】

深谷:中西さんの基調コメントを読んで、あらためて「黒きわれ」、とりわけなぜ「黒」なのかについて考えてみました。確かに「玄冬」に象徴されるように、黒は冬のイメージに近そうですが、何と言っても掲出句は雪晴れの句です。吹雪の後の雪晴れ、燦燦と陽光が降り注いでいる筈ですから、もっと明るい光景を思い浮かべます。表面的には、その陽光の下、自分の影の黒さが眼に映ったとも捉えられそうです。しかし、遷子は翌49年、

わが山河まだ見尽くさず花辛夷

と詠むなど、佐久の自然に対して一方ならぬ想い入れを示しています。その「山河」の中に自分という存在を置いた時、遷子の胸に去来した感慨が果たしてどのようなものだったのか。「黒」の鍵は、そこにあるような気がします。誤解を懼れずに言えば、「黒」は没個性、あるいは個人の否定に繋がるようなイメージがあります。やはり山河(自然、風土)の悠久性あるいは雄大さを前に、自分の存在を個性の乏しい小さな存在だと感じざるを得なかったのではないでしょうか。その意味で、中西さんが「蟻のような存在」と仰られたのは的確な指摘だと思います。一方で逆説的になりますが、だからこそ小さく没個性的な存在であっても、自分を「その山河の中で懸命に生きる者」として肯定的に捉えているのではないでしょうか。掲出句は、そうした遷子の意識、気概から生れた作品だと思います。中西さんの指摘された「存在の確認」を、もう一歩踏み込んで解してみました。深読みの謗りを受ける懸念なしとはしませんが、如何でしょうか。

仲:雪舟の水墨画でも見るような句ですね。私は以前雪野の中の自分が「汚点」のようだという句を作ったことがあり、この句も最初は大自然の中の小さな自分を表現したものと思っていました。しかし中西さんの評を読んで、言われてみれば遷子は「黒」という色に老いや病い(この時はまだ胃癌と分っていない訳ですが)の含みを持たせたのかもしれないとも思いました。

たまたまこの句には句集名と同じ「山河」という単語も出てきます。句集名の「山河」は当然彼が生まれ、生きている佐久の山河、つまり佐久の自然そのものを指すのでしょう。この句の「山河」もまた然りと思われます。雪晴ですから一面新雪で真っ白、美しくも気高い自然なのでしょう。そこに「われ」だけが黒い存在としてある。その卑小さ、薄汚さを自然の雄大さと対比することにより身にしみて感じているのです。山河の「中」と言ったところに中西さんは注目されておられますが、そう表現することで彼の存在自身が大自然に包まれている感じがよく出ていますし、このような小さくて「黒き」われをも包含してこそ自然は成り立っているとの考え方だと思われます。

筑紫:黒白の写真のような映像に見えます。リアリズムを描くには、天然色よりは黒白の方が適しているようです。ここでもその原則を適用しているのではないでしょうか。記憶にある映画を思い出すと、普通白には明るさと冷たさを感じさせるのですが、黒白映画に関してはあまり冷たさを感じさせず、明るさばかりが際立つように思えます。ここでもほとんど寒さは感じさせず、どうしようもない燦々とした陽光とそれに対比される人影を思い出します。特に山河を一望する視線の中では、ほとんど動くこともない影として刻まれるでしょう。

そうした中で、黒は邪悪とかネガティブな存在というより、科学的な吸光体としての黒であるような感じを受けます。発光体が生命力にあふれているとすれば、それによって生かされている存在としての我であるわけです。

文法的にはかなりいい加減な感じもします。「雪晴れし山河」なんて言いませんよね。「雪晴れ→晴れし山河」をくっつけて、五七五の中に無理やりに押し込んでゆく馬酔木風の詠み方でしょう。最後の「黒きわれ」も無理な表現のように思います。ただ、詠みたい中身があることだけは必死で伝わってくるようで、余計な言葉は一つもありません。世の中にメッセージ派と文法派があるとすれば遷子は明らかにメッセージ派です。

そしてメッセージを、主メッセージと副メッセージに分ければ、副メッセージに「雪晴れし」「黒きわれ」が当たり、「山河の中にわれ」が主メッセージに当たると思います。修飾だけ見ると奇怪な句のようにも見えますが、常識的な遷子の世界が出現するのです。それは決して悪いことではありませんでした。

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2010年7月4日日曜日

遷子を読む(66)

遷子を読む(66)


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


わが病わが診て重し梅雨の薔薇
     『山河』所収

仲:遷子が胃癌を発症し、手術してからの最晩年の句です。この辺が医師としての辛いところですが、いくら主治医が「胃癌ではなく胃潰瘍ですよ」とか「そのうちによくなってきますよ」と気休めを言っても患者自身に医学的知識があり、況して同じような病気の患者を診た経験があればそんな誤魔化しは通用しないのです。ただ以前も議論になったように医師も人間ですから客観的には悪性としか考えられなくても自分の体のこととなると希望的観測のほうに傾きがちです。「こうあって欲しい」がいつの間にか「こうであるに違いない」にすり替わるのです。ある意味医師の人間味が直截的に出てくる場面と言えます。医師俳句なるジャンル(?)があるとすれば往診の句よりも看取りの句よりも、自分の病気を診るというこの句こそが究極の医師俳句と言えるのではないでしょうか。

この前の句には「肝炎再発」の前書きがあり、後の句には「梅雨深し余命は医書にあきらかに」とこの句と同じような心境が詠まれています。この頃の句を読むと「口軽く病を語る百日紅」と言ってみたり、「冷え冷えとわがゐぬわが家思ふかな」と絶望してみたり、遷子の心は揺れ動いています。自分に対しても周囲に対しても正直だからこそ揺れ動くのであり、その点にとても共感を覚えます。実に人間らしいではありませんか。

この句は中七の「重し」で切れていますから所謂二句一章、二物衝撃、取り合わせの句です。下五の季語である「梅雨の薔薇」は単に背景であるとか中七までの流れから必然的に出てくるものではありません。我々はこういう俳句の作り方を普通にしているし山ほど読んでもいますが、楸邨の「鰯雲人に告ぐべきことならず」が難解句とされた時代であればこの句もまた難解句の仲間に入るのかもしれません。「梅雨の薔薇」は「重し」と思っている作者自身の心の象徴と取れます。難解句どころか逆に分かりすぎるとの批判もありそうな程です。季語として使うときは薔薇と言うだけで夏に決まっている、それを敢えて「梅雨の」薔薇と言挙げしたのは、あのじめじめしたやりきれない空気の中で咲く薔薇の(私は真紅の薔薇を思いました)まとわり付くような強くしつこい香りを言いたかったのでしょう。不快ではないけれど鼻を背けたくなるようないたたまれなさをこの薔薇は象徴しているのだと思います。

中西:医師俳句として、究極の医師俳句という寒蝉さんのご指摘、まったく同感しました。自分のことを描いている最もシビアーな俳句ですね。

死の自覚はないので、梅雨の薔薇が効果を出しているように思います。薔薇があって救われるような気がします。

肝炎再発の前書きのある句の前は、

木々の芽や木々の蕾や春激す
花の中雀はげしく追ひ追はれ
放縦に背戸の李の花盛り

などの花鳥の句が並んでいますが、掲出句以後は自分をみつめる句が、深まりながら続いていきます。

季語は俳句を詠むときの楽しみでもあります。こんな切実なことを描くときまで、季語を探している俳人の性が見えるようで、ますます切なくなります。

原:死病を知らされたとき患者に訪れる心理的葛藤の段階には否定から受容に至る経過があるそうですが、多くの症例を見て病気を熟知している石の身にとっては、刻一刻命が削られていくのが見えるような気がするのではないかと想像します。

遷子は直接病名を告げられてはいなかったようですから、自分の病状を自ら診断しつつ、疑念が頭をもたげてくるのもしばしばだったでしょう。「わが病わが診て重し」のフレーズには、そんな苦悩がこもっているように感じます。

下五に置かれた「薔薇」から仲さんが香りに注目されましたが、私は幾重にも花弁を重ねたバラの形状、その量感を思いました。

深谷:初めて掲出句を含む一連の作品(仲さんが引用されたもの)に接した時、胸が苦しくなるような切迫感を覚え、「医師とは何と業の深い職業なのか」という感慨に捉われたことを思い出しました。確かに、これらの句は医師以外の人間(作家)には決して作りえない作品ですから、形式的にも「究極の医師俳句」といえるでしょう。しかしそれ以上に、職業人としての冷徹な病状診断と生身の人間としての楽観的観測との間に揺れる作者の心のありようがストレートに伝わってくるものであり、医師なるが故の切なさ、一個の人間の生き様を俳句形式に結実させた作品として高く評価されて然るべきでしょう。仲さんの仰る「究極の医師俳句」も、こうした意味で規定されたものと解釈いたしました。遷子の作品には、そうした実直さに裏打ちされた訴求力があります。

下五の「梅雨の薔薇」は真っ赤な薔薇を想起しましたが、薔薇の香りではなく、雨に打たれながらも散らずに、懸命に耐えている様子を思い浮かべました。確かに、こうした視覚的アプローチよりも、薔薇特有の濃い匂いに焦点を当てた嗅覚的アプローチの方が作品に深みが出るかもしれません。仲さんの指摘によって、読みが深まったような気がします。何れにせよ、「梅雨の薔薇」の斡旋によって遷子の闘病生活の痛ましさが伝わってきます。

筑紫:先日中西さんと、金子兜太の「造型俳句論」で表現派(中村草田男・加藤楸邨・新興俳句)に対立する諷詠派とよばれた石田波郷の「今生は病む生なりき鳥頭」について議論したことがあります。中西さんは、鳥頭は軽い添え物の季語のようで、「今生は病む生なりき」で波郷ははっきり思いを述べているのではないか(つまり表現派だと言われたかったのだと思います)といわれるのです。

私は、「今生は病む生なりき」という美しい述懐の言葉は、季語の趣味によりかかっているようだと答えたのでした。この述懐はやはり美しい韻文であって、装った言葉に見えたのです。

それに引き替えて遷子の「わが病わが診て重し」は何と拙劣な散文であることでしょうか。しかし、波郷の「今生は病む生なりき」より生々しく感じます。人は詩の中で死ぬのではなく、散文の中で死ぬのでしょう。現在であれば最先端の医療機器の雑音、子供の声、隣の病室の迷惑な騒音、遠縁のもののぼそぼそとした病人と関係のない会話、そんなものが患者の神経を傷つけつつ死期が迫ってくるのではないかと思います。

この句はそこまで死期は差し迫っていませんが、妄想のように自分自身の診断をしている医師である患者がいて、希望したり絶望したりしている一瞬を描いているように思います。「わが病わが診て重し」は嘘です。「重し」と言いつつも次の瞬間には作者は何かの希望を持ってもいるようにも思えるからです。客観的な事実の句ではあり得ません。そこにギリギリの文学性が生まれるのだろうと思います。

「梅雨の薔薇」は「鳥頭」と違って季題趣味ではないと思います。意味もなく、遷子の前にあったから詠んだ、いいも悪いもなく存在そのものであったように思うのです。その意味では、文学としては動く季語です。しかし遷子の記録としてはまぎれもなくこのとき存在した事実であったのではないでしょうか。

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2010年6月26日土曜日

遷子を読む(65)

遷子を読む(65)

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


ちかぢかと命を燃やす寒の星
     『雪嶺』所収

筑紫:昭和35年の作品です。この『雪嶺』の時期は星を詠んだ句が多く見られます。一気に上げてみましょう。

冬来るオリオン山に起き直り 31年
自転車を漕ぐ寒星の宙の中 32年
深夜にて雪上を匍ふさそり星
病む人に銀河を残し山を去る
夜寒さのオリオン諸星白く炎ゆ
中空にオリオン揚げて村凍てし
山の星ともしび凍るミサに侍す
 33年
冬ぬくし月にしたがふオリオン座
ゴッホの星八十八夜の木々の間に
 34年
星満ちて地にはこぼれずクリスマス
雪原に硬き闇あり星を嵌め 
35年
大流星砕けて消えて吾が立つ
寒波来る明星金の翼揺り
凍る闇シリウス光千変し
 36年
ぽつとりと明星ともる梅雨の果て 37年
木枯の野面や星が散りこぼれ 
凍る夜や星に牽かれて星出づる 
38年
荒星のいま大寒に入るひかり 39年
枯野行くまつはる星を眼にて逐ふ 40年
星が降る零下十度を予告して 41年
星白く炎えて雪原なほ暮れず 42年
水田辺の八十八夜星ゆたか 42年
寒星の真只中にいま息す 43年(遷子を読む15)
金銀の星を雲間に梅雨の月 44年

この多さはちょっと驚きです。

いや、第1句集の『山国』からそれは始まっているのです。

星天のおぼろに寒し隠密行 16年
行軍や古沼に夏の星一つ 17年
夜寒むさをめぐる星座とひた歩む
寝て仰ぐ星天雁の声過ぐる
片空に星座ひしめく野分かな 
20年
木枯に星斗爛○たり憎む 23年頃?
○=火偏に干(遷子を読む37)
ひとりゐに銀漢たはむ祭笛 24年頃?
夕星やおとろへそめし雪解風 26年
叢林に夜鷹鳴くより星隠る 26年
邯鄲や樅のほつ枝に星一つ
あをあをと星が炎えたり鬼やらひ 
28年
一寒星燃えて玻璃戸に炬のごとし 29年
星たちの深夜のうたげ道凍り(遷子を読む26)
火星燃ゆ阿鼻叫喚の蛙らに
山国や年逝く星の充満す
天鳴りて寒星青き火を散らす 
30年
露更けし野にぼうぼうと昴星
オリオンを九月の深夜見るかなしさ
長き夜に斎くと山河星を飾り
明星の銀ひとつぞや寒夕焼
 31年
  (波郷の跋文では「ひとつぶや」)
夜空澄み霜害過ぎし星湛ふ

そういえばいままで「遷子を読む」で取り上げた句にも星にちなむものがありました。60回の内3回もあるということはふつうの作家にはないことです。

    *    *    *    *

日本人は自然を愛好していると思われている割には、西洋人・中国人と比較して星を素材とした芸術作品が皆無に近いことがちょっとした驚きです。数ある自然の風物の中で(月には多大な関心があるものの)星には無関心でした。野尻抱影の星に関する美しい著述は世界中の星の伝説や物語で飾られていますが、エジプト、メソポタミア、ギリシャ、中国ばかりで日本の伝説はありません。日本に関しては、民間伝承で(それも星を航海の目印とせざるを得ない漁民のものがおおいようです)お茶を濁しています。

星が登場するのは近代となってから。代表は山口誓子(野尻抱影との共著句文集『星恋』があります)で、彼を頂点に草田男などいかにも近代的な視点から星の俳句をぽつぽつと詠み始めました。そうした意味では、遷子は異常であったのです。

遷子の句を見ると冬の星が多いようです。これは天体観測に向いている時期が日本では特に冬であることから当然かも知れません。またその故に、「春の星」のような情緒的なものではなく、リアリティのある星の姿を映しています。

星の作家と言えば、宮澤賢治を思い出します。彼は科学者(本当は技術者と呼ぶべきでしょうが、科学の勉強を晩年までしていました)の目で見た対象を再構築して独特の詩情を生みだした作家です。彼は存命中に評価されることもなく、貧しい生活の中で亡くなりました。賢治の理想や宗教に対する周囲の人々の無理解から、現実から離れた優れた詩や童話が生まれたと言えなくもありません。

賢治に比較すれば開業医として恵まれてはいたでしょうが、遷子も星のある自然に没入していくようです。遷子の周囲の(故郷ではあっても)人間には疎外感があり、自然に没入せざるを得なかったとすれば、最も純粋に没入できたのが(地上から最も遠い)星空であったかも知れません。

それは人間との葛藤に傷ついた賢治にも似たところがあり、「銀河鉄道の夜」「よだかの星」「双子の星」などで登場する魅力的な主人公はみな賢治の投影でありました。そして、よだかも、チュンセ童子とポウセ童子も、そしておそらくカムパネルラも命を燃やす星となって作者を見守っていたのでした。

「ちかぢか」にはそうした星に親近感を持っていた遷子の気持ちが伝わるようです。

    *    *    *    *

最後の句集『山河』を見てみましょう。

晩霜におびえて星の瞬けり 44年
西眩し夜半の星座の喟集して 45年
鳴く虫のひとつひとつに星応ふ 47年
凍る闇星座牝牛の目が赤し
明星いまだ金色保つ初明り 
48年
玻璃越しに寒星も身を震はせつ
巨き星めらめら燃ゆる木枯に
オリオン座天頂に年逝かんとす
直立の三つ星寒夜始まれり 
49年
寒星に爛たる眼全天に

これ以後の星の句は見当たりません。49年春から入院生活に入りますから、規則正しい入院生活により夜空を観察する機会がなくなったのかもしれません。あるいは、星を詠む緊張した精神を入院・闘病で維持するのは難しかったのかもしれません。

いずれにしても、軍隊で孤独な星天を仰いで始まった遷子の星の句は50余句を持って終わるのです。ここにも、遷子の、ある精神をうかがってよいでしょう。

中西:遷子の星の句の多いのには、佐久が星の降るように見える地域であることがまず言えるでしょう。また遷子が星の美しさを敏感にキャッチし得る美的センスがあったこと、思索好きだったこと、そしてロマンティストの一面があったことがあげられそうですね。星を美しいと陶然と眺めることが多かったのではないでしょうか。磐井さんの遷子全句集中の星の句一覧を見ますと遷子は星の俳人でもあるのですね。

日本はヨーロッパ、アメリカ、アラブに比べますとかなり湿潤だと言われています。東南アジアのモンスーン地域の湿潤に続く日本は、長雨の春と梅雨のある夏、台風のある秋は星が見えにくい、それに比べて日本より乾燥しているヨーロッパや、砂漠のあるアラブなどは、今も大気汚染さえなければ、星が美しいところなのではないでしょうか。星の伝説のあるところは広い空が見える平原(平野)ではないですか。あるいは大航海時代の海洋ですね。島国で山国の小さな日本では、星座という大宇宙が見られるほど広大な地面も空もありません。大陸の壮大な荒々しい景観に比べて、箱庭のような小さな穏やかな景色からは、星座の物語は生まれなかったのかもしれませんね。

宮沢賢治は夜中森を歩いて考え事をしていたらしいですし、遷子は夜の往診に行っていたようです。ふたりの文学的な星との出合いは、暗い夜道を独りで出歩いて得たもののようです。人間が住みにくいところは自然が美しいものです。冬が厳しいところの星はとりわけ美しかったことでしょう。

磐井さんが言われるとおり、星に親近感を感じる句です。「命を燃やす」に遷子の意気込みも投影されているように感じます。

原:「星」の句が多いとは思っていましたが、これほどの数に驚いています。

遷子の「星」の句が、「情緒的なものではなく、リアリティのある星の姿を映してい」るという磐井さんの指摘は大事だと思いました。そういえば、遷子には全くの想像や虚構で成った句はほとんどないようです。一見して観念的であったりすることはあっても、その根本のところでは自分の現実や生のありかたに必ず結びついている作家であって、読み手はその誠実に打たれますし、自然に対する場合も、そういう姿勢、つまり実際の対象を見据えて詠んでいるという信頼感があります。句集『雪嶺』では、社会の矛盾や、その渦中に在る個の生活が多く詠まれている中で、「雪嶺」の語は遷子にとっての精神的象徴のように現れますが、句集中に鏤められた「星」は彼のひとりごころに親しく表れるもののように感じています。

深谷:筑紫さんに、遷子が詠んだ星の句をまとめて掲載していただいたおかげで、その数の多さを実感することができ、あらためて驚きました。確かにこの多さは他の作家にはない特徴で、星は遷子にとって特別な句材だったと思います。そして、「その背景には周囲の人間に対する疎外感があり、最も純粋に没入できたのが星空だった」とする筑紫さんの御指摘に賛同します。その指摘を読んで、以前話題になった“遷子の人間嫌い”を思い出しました。

また「ちかぢか」という措辞が逆にそうした星への親近感を表すものであるという点もその通りでしょう。それに加えて、「命を燃やす」という中七にも注目しました。この表現も、以前採り上げた擬人法です。遷子は対象に没入した時しばしばこの手法を採ったように思えます。夜空の星を見た時、まるで星自身が生命を持ち光を発しているように感じたからこそ成った作品でしょう。遷子が同士愛に類した感情を星たちに抱いていたことを窺わせます。

結局、掲出句は一見メルヘンチックに見えますが、人間に対する遷子の複雑な思い(敢えて「絶望」とは言いません)の反作用として生れた作品であり、遷子の心のありようが反映した作品だったと思います。

仲:磐井さんのご指摘には虚をつかれた感があり、続いてなるほどと深く納得しました。それにしても遷子の星の句をこれだけ並べられると壮観です。日本の文芸では星はあまり扱われてこなかったとのご指摘にも感じ入りました。美術では高松塚やキトラ古墳の壁画、中世の仏像にも妙見菩薩など星を題材にしたものは散見されますがどれもルーツは大陸にあるようです。

さて、俳句をどういうシチュエーションで作るかは作家個人個人によって異なると思います。例えば私は吟行や句会の題詠を除けば大体風呂の中か寝床が多いような気がします。いずれにせよ仕事を終えて夜家に帰ってからです。働いている人は大概そうなのかもしれません。中には仕事中とかトイレの中とかいう人もあるでしょうが。遷子はどうだったのでしょう? 開業医としての仕事が忙しくなってからはやはり夜だったのではないでしょうか。

佐久の夜空は、今では大分明るくなってしまいましたが、それでも都会から比べれば美しいものです。遷子の住んでいた野沢から少し南に行くと臼田という町があり、JAXA臼田宇宙空間観測所のパラボラアンテナやうすだスタードームがあって「星の町」を名乗っているくらいです。

磐井さんの挙げられた星の句54句のうち実に35句が冬の句。残り19句のうち5句は佐久に戻る前の作ですし春の句でも鬼やらいや雪解、秋の句でも夜寒など寒い時期のものがあるのでほとんどが寒い時期の星を扱った句といってよいかもしれません。ここからは想像に過ぎませんが開業してからの遷子の日常の句作は深夜が多かったでしょう。彼の作り方は私のように浴槽に漬かりながら行ったこともない隠岐を想像して作るというようなスタイルではなく、見たもの、出会った人、今日あったことなどを思い起こしながらの行為ではなかったか。そうなると自然に窓の外を眺めたり、時には外へ出たりして夜空の星を見つめ、それに触発されて句をなすということもしばしばであったと思われます。彼の俳句に星が多く登場するのは彼の内面の事情(星が好き、凍て星の凄絶さが彼の感性にはまっていたなど)と環境の事情(仕事柄の句作の時刻、住んでいる町の星空が美しいなど)とが相俟った結果ではなかったかと思うのですが、どうでしょう。

[追加]
筑紫:『雪国』に収録されておらず、『草枕』に掲載されている句があります。

一つ星見えてすなはちおぼろなり
雲の峰昏れて明星をともしたり
月高く稀なる星のうつくしき

いずれも<草枕>の章で昭和11年~15年の作品です。遷子に若くから星への関心があったことはわかりますが、緊張した星の句は大陸へ行ってからの孤立した心境の中で生まれ始めたようです。

余談になりますが、戦争俳句や行軍俳句は現在でこそネガティブにしか受け取られないようですが、その作家がその場にいたことは紛れもない事実であり、人によっては大きな影響を戦争俳句から受けることだとてあるはずです。遷子が見た死は、戦場での死と佐久の貧しい医療現場での死であったとすれば、両者ともに不条理な中での死をみとっていたことになるでしょう。そしたとき仰いだものが、(多く)冴えわたる冬の星座であったと見れば、遷子の思いも分かるような気がするのです。星は自然の象徴ばかりではなくて、その瞬きは死の瞬間を、あるいは死への抗いを意味するのかもしれません。

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