・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井
雪晴れし山河の中に黒きわれ
『山河』所収
中西:昭和48年作、一句飛んで、
雪嶺の稜骨くろく地にも雪
遷子の句で黒という色が出てきた俳句は珍しいです。今まで油絵で書いていたような景色だったものが、いつの間に、版画になっていて、ここに来てそれが顕著なものですから、驚いているというような感じがしています。
悪しきこと多かりし年惜しむかな
さらに3句先にあります。翌年入院するわけですから、体調は既に芳しくないのです。急に老いを感じているようにも思います。
掲出句のような版画のような線太な、タッチのざっくりした景色の表現は、知らず知らずのうちに気持ちのあり方を見せているとしたら、心はすでに病気に向っていたかもしれませんね。体の病は心に病も並存させると聞いたことがあります。
「黒きわれ」を病気と思わせるのは、後のことを知っているからであって、単純なイメージとしては、小さくて顔立ちさえもはっきり見えない、蟻のような存在。複数いる蟻に見分けがつかないように、自分も他の人間と見分けのつかない平凡な存在ということでしょうか。
ですが、一方で雪が晴れて景色が見えてきた中で、自分と言う存在を遷子はきちんと位置づけているとも考えられる句です。黒くて小さいかも知れないけれど、具合が良くない老いた自分だけれど、ここに確かにいるんだという存在は明確です。〈山河の中に〉が、〈山河に〉ではないところに、存在の確認を思います。
【原さんは今回休憩です】
深谷:中西さんの基調コメントを読んで、あらためて「黒きわれ」、とりわけなぜ「黒」なのかについて考えてみました。確かに「玄冬」に象徴されるように、黒は冬のイメージに近そうですが、何と言っても掲出句は雪晴れの句です。吹雪の後の雪晴れ、燦燦と陽光が降り注いでいる筈ですから、もっと明るい光景を思い浮かべます。表面的には、その陽光の下、自分の影の黒さが眼に映ったとも捉えられそうです。しかし、遷子は翌49年、
わが山河まだ見尽くさず花辛夷
と詠むなど、佐久の自然に対して一方ならぬ想い入れを示しています。その「山河」の中に自分という存在を置いた時、遷子の胸に去来した感慨が果たしてどのようなものだったのか。「黒」の鍵は、そこにあるような気がします。誤解を懼れずに言えば、「黒」は没個性、あるいは個人の否定に繋がるようなイメージがあります。やはり山河(自然、風土)の悠久性あるいは雄大さを前に、自分の存在を個性の乏しい小さな存在だと感じざるを得なかったのではないでしょうか。その意味で、中西さんが「蟻のような存在」と仰られたのは的確な指摘だと思います。一方で逆説的になりますが、だからこそ小さく没個性的な存在であっても、自分を「その山河の中で懸命に生きる者」として肯定的に捉えているのではないでしょうか。掲出句は、そうした遷子の意識、気概から生れた作品だと思います。中西さんの指摘された「存在の確認」を、もう一歩踏み込んで解してみました。深読みの謗りを受ける懸念なしとはしませんが、如何でしょうか。
仲:雪舟の水墨画でも見るような句ですね。私は以前雪野の中の自分が「汚点」のようだという句を作ったことがあり、この句も最初は大自然の中の小さな自分を表現したものと思っていました。しかし中西さんの評を読んで、言われてみれば遷子は「黒」という色に老いや病い(この時はまだ胃癌と分っていない訳ですが)の含みを持たせたのかもしれないとも思いました。
たまたまこの句には句集名と同じ「山河」という単語も出てきます。句集名の「山河」は当然彼が生まれ、生きている佐久の山河、つまり佐久の自然そのものを指すのでしょう。この句の「山河」もまた然りと思われます。雪晴ですから一面新雪で真っ白、美しくも気高い自然なのでしょう。そこに「われ」だけが黒い存在としてある。その卑小さ、薄汚さを自然の雄大さと対比することにより身にしみて感じているのです。山河の「中」と言ったところに中西さんは注目されておられますが、そう表現することで彼の存在自身が大自然に包まれている感じがよく出ていますし、このような小さくて「黒き」われをも包含してこそ自然は成り立っているとの考え方だと思われます。
筑紫:黒白の写真のような映像に見えます。リアリズムを描くには、天然色よりは黒白の方が適しているようです。ここでもその原則を適用しているのではないでしょうか。記憶にある映画を思い出すと、普通白には明るさと冷たさを感じさせるのですが、黒白映画に関してはあまり冷たさを感じさせず、明るさばかりが際立つように思えます。ここでもほとんど寒さは感じさせず、どうしようもない燦々とした陽光とそれに対比される人影を思い出します。特に山河を一望する視線の中では、ほとんど動くこともない影として刻まれるでしょう。
そうした中で、黒は邪悪とかネガティブな存在というより、科学的な吸光体としての黒であるような感じを受けます。発光体が生命力にあふれているとすれば、それによって生かされている存在としての我であるわけです。
文法的にはかなりいい加減な感じもします。「雪晴れし山河」なんて言いませんよね。「雪晴れ→晴れし山河」をくっつけて、五七五の中に無理やりに押し込んでゆく馬酔木風の詠み方でしょう。最後の「黒きわれ」も無理な表現のように思います。ただ、詠みたい中身があることだけは必死で伝わってくるようで、余計な言葉は一つもありません。世の中にメッセージ派と文法派があるとすれば遷子は明らかにメッセージ派です。
そしてメッセージを、主メッセージと副メッセージに分ければ、副メッセージに「雪晴れし」「黒きわれ」が当たり、「山河の中にわれ」が主メッセージに当たると思います。修飾だけ見ると奇怪な句のようにも見えますが、常識的な遷子の世界が出現するのです。それは決して悪いことではありませんでした。
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5 件のコメント:
いよいよおわりが近くなりましたね。
中西さんのこういう見方がすきです。
一方で雪が晴れて景色が見えてきた中で、自分と言う存在を遷子はきちんと位置づけているとも考えられる句です。/ここに確かにいるんだという存在は明確です。〈山河の中に〉が、〈山河に〉ではないところに、存在の確認を思います。
どのように読んでもそんなに読み違えがないとおもいます。?・あんまりふかく「黒」にこだわってp、ぴいれをすることもない様な気がします。雪の中の、人間は、黒っぽい冬服を着ていると、そうみえますから。自分を度のようにでも考えられる「黒い点」のようになかば抽象的に詠みこめたところが手柄です。いい風景だな、と思いました。
入力ミスです。失礼しました。
「p、ぴいれ」 → 「思い入れ」
お手数をお掛けするのですが、
遷子を読む〔28〕高空は疾き風らしも花林檎
をクリックすると(27)が出てくるようです。
(28)を読むことは可能でしょうか。お調べ頂けると助かります。
解決しました。ごめんなさい。
リンクはおかしいようですが、
実際のその号ではちゃんと出ました。
失敬いたしました。
島田牙城さま
ご迷惑をおかけしました。
記事中の関連記事へのリンクをミスしていたようです。ご指摘ありがとうございました。
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過去の記事も順次訂正いたします。
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