2010年7月17日土曜日

遷子を読む(68)

遷子を読む(68)――最終回――


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


甲斐信濃つらなる天の花野にて
     『山河』所収

仲:昭和45年の作。これを読むと自ずから飯田龍太の

かたつむり甲斐も信濃も雨のなか

を思い浮かべます。どちらの句もそれぞれの作家の代表作の一つと言っていいでしょう。龍太の俳句は昭和47年の作なのでどちらかがどちらかの影響を受けてということではなく、たまたま同じ頃、一方は佐久から甲斐を望み、一方は境川村から信濃を望んで一句をなしたと思われます。まるで鏡のこちら側と向こう側のよう、とは言い過ぎでしょうか。

もちろん二句の季節は梅雨の頃と秋なので全く印象が異なりますし、詠まれている風景はかなり違うものです。それでも同じ時代に同じ山国で互いの(俳句を詠む時に相手の存在は意識していなかったとしても)国に思いを致しながら暮らし、作句に精を出している二人の俳人がいたとは何やら運命的なものを感じます。以前龍太が遷子の死後に遷子の句集を読んだときの冷やかな感想について磐井さんが書いておられました。この二人の関係や互いが互いをどう思っていたかについてはもっと深く考察する必要がありそうなのでここで安易なことは申しませんが、中央俳壇から遠いところで土地に密着した生き方をしつつ俳句を作っているという立場は非常に似通っている訳です。こう書けば日本全国にそのような俳人は他にも沢山いたはずと言われそうですね。それはそうでしょうがこの時代の俳人ということで、そのような視点でこの二人を比較しながら論じるのも面白いのではないかと思いました。

さて、句意としては甲斐と信濃の境あたり、つまり小海線の野辺山(長野県)・清里(山梨県)の間に花野があり、その花野を介して二つの国(現在では二つの県)がつらなっている、ひと続きであるというものです。標高にして1300メートル(この付近にJRグループの最高標高地点があります)ということから「天の花野」と表現したのでしょう。昔の国名を持ち出すことで歴史を想起させ、大きな時間の流れの中の変らぬ自然を強調しています。また「天の」花野という表現は単に高い所にあるというのみならず一句のスケールを広大なものにする効果があります。国名二つに天と話が大きくなりすぎたのを「花野」という地に足のついた具体的なものを置くことでうまく現実に収束させています。非常に巧みな表現です。

中西:滝をささげ那智の山々鬱蒼たり

と詠んだ若い頃の遷子の面影が残っているような大きな風景句です。ここは日本の天辺の花野だと言っているのは故郷褒めですよね。甲斐信濃は、やはり昔の国名が、詩語にはふさわしいように思います。句が引き締まりますし、山梨長野ではちっとも美しくありませんもの。また、寒蝉さんのおっしゃるように、国名2つと天で話が大きすぎたのを、「花野」という具体的なものを置いて現実に収束しているという考え方もあるなあと思いました。

花野に来てその大きさと、美しさに圧倒させられた気持ちを、美辞麗句を使わずに表現しているところが遷子らしいところです。秋桜子はそこを昔の遷子の句のほうがふくよかだったと言っている訳ですが、同じ景色でも、自然の厳しさを体験しながら生活を営んでいる人の目と、秋桜子や星眠のように旅行者の目とはやはり違って、絵のように美しくは描けなかったのではないかと思いました。

ちょっと例えが不適当かもしれませんが、歩いて苦労して登った山の美しさと、車でひょいと登った山の美しさが違うようなもので、長い冬の厳しい寒さを味わった人が見た花野と、都会から来て良い季節として花野を眺めている人とでは、花野の見え方が違うのではないでしょうか、武骨な表現なのに遷子の花野を愛でる気持ちが伝わってきます。

【原さんは今回休憩です】

深谷:人間生活を対象とした作品と並んで、遷子には数多くの叙景句が残っています。いずれも、スケールの大きな堂々とした詠み振りの作品です。考えてみれば、遷子はその出発点からして「すぐれた自然描写の句を作して」(波郷の『山国』跋より)いたわけですから、当然といえば当然なのですが。その意味で、最終回に採り上げる句が雄大な叙景句というのは、この研究会の原点に回帰するようで、最適な選択だったような気がします。

さて掲出句の眼目は、仲さんも指摘しておられる通り、「天の花野」という表現だと思います。この句を初めて読んだ時、一瞬、甲斐・信濃国境の空、文字通りの「天上にある花野」と解してしまい、妙にメルヘンチックな作品という印象を抱いてしまいました。さすがに、すぐ考え直して、そうした天(空)の下にある花野だと気付きましたが、お恥ずかしい限りです。敢えてこのような恥を晒したのは、遷子の作品はどちらかと言えば「平明で率直な詠み振り」のものが多く、以前に筑紫さんが指摘しておられた「散文に近い」という特徴を思い出したからです。文字通りの散文であれば、小生が誤解したような解釈になりそうですが、掲出句は紛うことなき俳句作品であり、「天の花野」の「の」に込められた意味を抜きにしては作品として成り立ちません。その意味で、「省略の文学」たる俳句らしい俳句なのかもしれないと感じたわけです。

また、上五から中七にかけて一気に詠み上げた後の「の」で、少し間合いがあり、その小休止が天と地(花野)との間に横たわる空気のような質感を持っているようにも思えます。
何れにせよ、俳句という短詩形の醍醐味を味わえる作品だと思いました。

筑紫:「遷子を読む」最終回にふさわしい華麗な句となりました。否が応でも仲さんの言われているように飯田龍太の句を思い出してしまいます。雨のかたつむりと、快晴の下の花野です。龍太が「・・も・・も・・の中」といういかにも龍太調のゆったりとした詠み方なのに比べ、遷子は馬酔木調の颯爽とした風景句です。この句ならば秋桜子も激賞したのではないかと思います。のみならず、遷子の体力が、老いたりとはいえまだまだ余力を残して、何事かなすことあらむと気負っていた時期でもあったのではないかと思います。遷子の『山河』の華ではないかと思います。

とは言いつつも「天の花野」には天上の花野を思わせる雰囲気もあります。花野はある意味で遷子の供花としてふさわしいかもしれません。高原派の雄という呼称が遷子に必ずしもふさわしくはないと常日頃行っているのですが、世の常の評価がそうだとすれば、遷子ミステリーツアー(平成21年8月2日挙行)で訪れた貞祥寺にある秋桜子・遷子の師弟連袂句碑の句、

雪嶺の光や風をつらぬきて  遷子

よりもこちらの句の方が遷子の典型を表しており、いいのではないかと思えます。「山国」「雪嶺」「山河」という言葉こそ入っていませんが、高原派遷子の面目が躍如としているようです。

余計なことながら、微妙な助詞の働きですが「甲斐も信濃も」は2つの異なるものを別々に認識した上で「雨の中」でまとめていますが、「甲斐信濃」はほとんど連続した概念で2つのものに差異を見ていないともうけとれます。繊細さでは龍太の句に一籌を輸するようですが、大景の描き方としては遷子の方が正統派かもしれません。

     *     *     *     *

「―俳句空間―豈weekly」第100号のためのメッセージ
        中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井

●「遷子を読む」では大変お世話になりました。一年あまりも管理人さんにはお手数をお掛けしました。
青い文字の本文と赤い文字の引用文、とてもおしゃれでした。
同時発表の高山れおな氏、中村安伸氏、関悦史氏、恩田侑布子氏の文章に啓発されるところが大きかったように思います。
また、堀本吟氏のコメントに深い文学への思いを感じました。
「遷子を読む」という場所を頂き、仲間を頂き、そしてまた豈weeklyの自由な発言の場で、すがすがしい空気を一緒に吸わせていただきました。感謝致します。
新しいブログがたちあがるとのこと、大いに期待しております。
時代が動いているのを肌で感じております。(中西夕紀)

●第100号、おめでとうございます。あまり熱心な読者だったとはいえませんが、このブログのおかげで共同研究「遷子を読む」が実現かつ継続しえた訳ですから、感謝の念に堪えません。管理人の高山れおなさんはじめ、関係者の方々に御礼申し上げます。ありがとうございました。また当研究会宛に時折いただいたコメントも、なかなか有意義かつユーモアに富んだもので、とても刺激的でした。重ねて御礼申し上げます。
(深谷義紀)

●メッセージが書けるほどの深い関わりとは言えませんでしたが、それでも筑紫磐井さんのお誘いで半年余りの間『遷子を読む』に投稿させていただきとても勉強になりました。関係者の皆さん、とりわけ磐井さん、本当にありがとうございました。『豈』には投稿こそしたことがありませんが邑書林に移って以来の読者ではありました。その若い(実年齢というだけでなく)パワーには圧倒される思いでした。もともと高柳重信や摂津幸彦は憧れの存在でしたから『豈』と聞くだけで気分が高揚するのでした。このたびは『海程』の若い人たちと新しいブログを立ち上げるとのこと、まことに俳句の世界にとってエクサイティングな出来事と言うべきでしょう。心からお慶び申し上げます。『豈』にも『海程』にも少しずつ知り合いがいるのでやや近い距離から見守って参りたいと思います。(仲寒蝉)

●原雅子さんは事故にあわれ最終回には欠稿となりました。重大なものではありませんが、一刻も早いご快癒をお祈りします。

●筑紫磐井は別に、「『―俳句空間―豈weekly』の終刊にあたってすべきこと」を執筆したのでこれに代えさせて頂きます。

長らくのご愛読を感謝します。 中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井

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1 件のコメント:

高山れおな さんのコメント...

「遷子を読む」のみなさま

相馬遷子という、ほぼ忘れられた存在といっていい俳人に光をあてた貴重な試み、毎週、心躍らせながら拝読しておりました。遷子をしかと読むことはしないままに心にかかる名前であったのは、やはり「冬麗の微塵となりて去らんとす」という絶唱あればこそでしたでしょう。

2002年に、青嶋ひろの氏の企画で、当時のアラサー俳人10人程による、『無敵の俳句生活』(ナナ・コーポレイト・コミュニケーション)という本が出ました。なかなかヴァラエティに富んだ若者向け俳句ガイドといった感じの本でしたが、その中に近代の100名句を鑑賞する「入口の一〇〇句」というパートがあり、小生なぜか「冬麗の…」の執筆を担当したのです。以下、恥ずかしながらその全文。

《北信濃の厳しい気候と山岳の美、風土に根ざした人々の生き死にのさまを、沈着なまなざしで詠み続けた医師俳人がいた。彼はやがて胃癌となり、近づいてくる自分の死と対面しながら、句境は乱れを見せることがなかった。遷子には、神仏や霊魂を詠んだ作品はひとつもないとか。すなわち、麗かな冬の青空の、微塵となって私は去ろうとしているというこの句の感慨は、幻想でもなければ、感傷でもない。死を至近にしながらの明るく透き通った認識の歌。見事だ。》

とりたてて誤ったことは書いてないかもしれません。しかし、職業人、知識人、そして病者としての遷子のさまざまな心の揺れにまで目を届かせた、「遷子を読む」の微に入り細を穿った検討を知ったあとでは、いかにも公式言語的な、一般化した語り口であるよなと思わずにはいられないことです。中で、「遷子には、神仏や霊魂を詠んだ作品はひとつもない」という記述はなかなかのものですが、これは矢島渚男さんが書いていたことなのです。こういうことを指摘するのも、いかにも矢島さんらしいですね。

再びの遷子ミステリーツアーも予定されているとか。また単行本化も視野に入っている由。楽しみにしております。長い間、お疲れさまでした。