2010年6月6日日曜日

遷子を詠む(62)

遷子を読む〔62〕

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


雪嶺に地は大霜をもて応ふ
     『山河』所収

仲:昭和44年作。暮の押し迫った頃らしく、この年の作はこのあと3句を余すのみ、母の句の所で触れた〈父みとる母居眠りて去年今年〉がこの年最後の句でした。次の年には父の亡くなった後の句が並んでいます。つまり父の最晩年をともに暮らす中で生まれた句なのです。句集を読み進めると父や母の様子を詠んだ人事句と掲出句のような自然詠とが交互に並んでいますが、その自然詠ではこの句も含めて「雪嶺」という語を使った句が目立ちます。

暁光にけふ雪嶺となりて立つ
小春日や雪嶺浅間南面し
雪の嶺むらさき深しつひに暮る

次に掲出句が来て翌年

雪嶺の光わが身の内照らす
雪嶺と色同じくて霞立つ

と続くのです。

信濃の冬を詠もうとすれば「雪嶺」の語は避けて通れませんし、遷子自身、句集の題にしたくらいですが、これほどの頻出は遷子の一生でもこの冬くらいではないでしょうか。とりわけ寒くて雪の多い年だったのか、それとも遷子の心象風景と雪嶺とが共鳴するような状況だったのか。先に挙げた中で純粋な自然詠とは言えない〈雪嶺の光わが身の内照らす〉がヒントになっているような気がします。私としては、父の衰弱と死、それを息子として且つ医師として見守らなくてはならない立場が目を雪嶺に向けさせたのではないかと思います。

これら雪嶺の句の中で掲出句は殊にスケールの大きい一句です。天に位置する雪嶺と霜の置いた大地との呼応、あたかも神話時代の神々のように信濃の自然が歌われています。深読みが過ぎるかもしれませんが遷子はそこに父と子のあり方を見たのではないか。

遷子にとっての父はどんな存在だったのでしょう。母については先に述べましたが句集を見る限り遷子の父についてはよく分りません。この最後の句集に「老い父」として登場する父は普通の情けない老人です。かつての父豊三は佐久の野沢で薬舗を営んでいたのを弟に譲り幼い遷子らを連れて上京、米殻取引の仕事をしていたということです(相馬愛次郎著『九十年之自分史』より)。お人好しで人助けのために土地を買ってやったりしたのが後に相馬医院を開業する時に役立ったと書いてあります。野沢小学校の頃、当時珍しかった自転車が家にあったという記述や遷子たち兄弟を東大医学部に入学させたことなどを考えると、経済力も見識もある地方の名士といった人だったのでしょう。

私には矢張り山と大地、雪と霜の響き合いに、父と自分の人生を重ね合わせた句のように思われてなりません。

中西:雪嶺を単なる自然詠としないで、「雪嶺」と「大地」の関係を父と子のあり方に見ている寒蝉さんの読み方は一理あるように思います。

確かに「雪嶺」は色々な場面で詠われています。

雪嶺の光わが身の内照らす  45年
雪嶺よ日をもて測るわが生よ  50年

この2句はいかに遷子が雪嶺に心を寄せていたかがわかります。時に、雪嶺に身内に取り込むような一体感を感じ、時に、父なるものとして切々と雪嶺に呼びかけているのです。50年の作は刻々と死に向かっていく時間を見詰めています。

山国の人になりきった遷子にとって、雪をすっぽり被った真っ白な高山は、こころを清浄にしてくれる自然の装置だったのではないでしょうか。こころに問うべきことがある時、雪嶺に問うたのです。

しかし、私は掲出句を自然詠として読みたいと思います。あたり一面真っ白な景色の圧倒的な荘厳さがあります。厳しい寒さと美しさは、大地の先が雪嶺とつながっているにも拘らず、まるで大地と雪嶺は対峙しているような、二人の自然神が向いあっているようなスケールの大きさを見せています。ここには自然と一体となって詠むということをしている遷子の姿があります。

原:やや、図式的な印象も否めませんが大きな景です。

至極個人的な自分の経験に寄りかかってのことですが、身近なものの死を目前にしたとき、たまたま眼に映った自然の様相が、ただ厳然とそこにある、という感じだったのを思い出しました。拒否だけでなく包み込むでなく、単に存在しているだけの天地自然のすごさ、と言ったらいいでしょうか。

掲出句にもそんな感じを持ちましたが、これは一句成立時の作者に身を寄せてみた場合です。雪嶺と大地の霜に、父と子のあり方を重ねた寒蝉さんの有情の鑑賞を興味深く読みました。

深谷:句集『山国』の跋で、波郷は遷子の自然詠を「純粋に自然一辺倒ではない」「生活境涯を詠んだ句よりも、もっと境涯的」「郷国の自然風土の中に、自らの境涯的人間を投影した(中略)句は、高く評価されてよい」などと述べ、とりわけ自然の事物に己が心象を投影した作品を絶賛しています。時代とともに作風を変遷させた遷子でしたが、こうした基調は“通奏低音”のように連綿と続いていました。どうも遷子の内には、単なる自然描写だけでは終われない、あるいは巧緻だけを追い求める俳句では飽き足らない“体質”が潜んでいたような気がしてなりません。絶唱となった、かの〈冬麗の微塵となりて去らんとす〉もこうした基調に基づく作品の頂点と捉えることも可能だと思います。

掲出句も、そうした傾向に属する作品でしょう。そのうえ、句柄の大きさは特筆ものです。佐久の風土の厳しさとともに、その雄大さを余すことなく活写しています。この作品に父親の存在がどの程度投影しているのか判然としませんが、その佐久の風土に向かい、じっくりと対峙する地元の人々(遷子やその父親を含む)の存在や生き様が意識させられる作品です。その存在感が、前述の「境涯的人間」だと思います。

筑紫:仲さんの解釈は、表現上はどこにも現れていない擬人法を内容から読み取っているものと思います。遷子は不器用な人であったのか、さまざまな俳句を詠んだり、巧緻な技法を駆使する人とは思われていないので、ことのほか作者としての固定観念が出来上がりやすいのです。それはそれで「俳人格」として重要なことだと思います。そうした中でほかの人で行うと、深読みの解釈とみなされてしまいやすい鑑賞が出てくるようです。深読みですがいい深読みです。前回私が行った〈ただひとつ待つことありて暑に堪ふる〉(61)もその典型的な例でありました。

こんな俳句の進め方もあっていいのではないでしょうか。ただこうした俳句が成り立つためには、作者自身の強烈なる主張が存在することが必要です。俳句の時評などをやっていて気が付くことは僅か2、30年前に間違いなく存在したこうした強烈な生き方が希薄となっていることです。遷子も、あるいは存命していたら、薄味の郷土俳句となってしまっていたのではないかとやや不安があります。時代を生きたのか、あるいは時代を生かされたのか、解釈は難しいですが独特の時代との共存が俳人にはあるはずです。

それにしても掲出の句は〈滝をささげ那智の山々鬱蒼たり〉(43)のとき申し上げた宗教性を帯びているようです。日本人ですから論理性のある宗教感覚ではありませんが、「大いなるもの」に支配されている地上を感じます。

       *        *        *

さて、昨年に引き続き、この夏、遷子の住んでいた佐久を、こんどは研究会のメンバー全員で訪れようと話し合っています。誰もが遷子の住んでいた佐久を体験してみたいと思っているのですが、場合によってはそこで「大いなるもの」を感じ取れるかもしれません。勿論その頃にはこの連載「遷子を読む」も大団円を迎えているはずですが。

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