・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井
凍りけり疎林に散りし夕焼も
『雪嶺』所収
原:昭和41年作。「沓掛にて 六句」の前書をもつ最終句。この6句は次のようなものです。
風鳴るや枯れ立つものを靡かしめ
尾長ゐて淡青ともす枯るる中
寒林をとよもして雉おどろけり
枯れ果てて落葉松林裡青む
谷深く行く白波は氷れるや
凍りけり疎林に散りし夕焼も
沓掛は北佐久郡、というよりも中軽井沢あたりと言ったほうが分かりやすいでしょうか。掲題句の「疎林」は、4句目から類推して落葉松林と思われます。そういえば北原白秋のよく知られた「落葉松」の詩碑も建っているとのことです。この句、単に林とせずに「疎林」というおよそ情感のない語が使われていますが、この「疎」の有無が成否を分けたと言いたいくらい効果的だったと感じています。これは遷子が凡手ではないことを示すのか、はたまた、彼の律儀な言葉の使い方によるのか、どちらともいえませんが、いずれにしろ、林に性格が生まれたことで、この空間のありようが明らかな形象となって読み手に受け取れます。
決めかねていることが1つあるのですが、それは雪景色かどうかという点です。6句いずれにも雪を感じさせない乾燥した印象が残りますが、沓掛だったら、冬には積雪があるだろうと思うのですけれど。こんな風にこだわるのは、ここでの「疎林に散りし夕焼」の光や色は、地上の積雪に映っていると捉えると、かなり視覚的になるなと思ったせいです。
どうも現実の場所にこだわりすぎたようです。繰り返し読んでみて、これは最初の印象通り、夕焼の光の拡散がひえびえと捉えられたということでよいのでしょうね。現実の雪が地上にあろうとなかろうと、1句の焦点は別にあると。
中西:原さんのご指摘の〈疎林〉という言葉は馬酔木調の華美を抑えているような働きがありますね。〈疎林〉に注目されたところ感心しました。沓掛六句は、馬酔木の詠いかたですが、まるで水墨画を見ているような落ち着きと、色の濃淡はあっても、色彩をあまり感じさせないものです。尾長と雉が点景として出ていますが、これも淡い色と言えるでしょう。また掲出句も夕焼が色を提供していますが、夕景ですから、色を抑えて描いているのかもしれません。枯淡というと言いすぎですが、質実剛健なところは風景句にも当て嵌まるようです。
原さんが雪を問題にされていますが、色を追及すると気になる点ではあります。しかし、雪があっても、あたりは雪を青く見せるほど暮れていたと考えますとどうなのでしょう。「凍りけり」が「夕焼」にも掛かっています。落葉松の木と木の間を染めている夕焼の色を凍っているようだと強調して言っているのだと思います。
この句を美的な鑑賞から、少し放して鑑賞しているのが原さんの面白さだとおもいます。確かに、原さんのおっしゃるように、色彩より冷え冷えしているという体感もこの句から強く感じます。
「疎林に散りし夕焼」は寒々しい景色ですから、「凍りけり」がありますと、身震いするような寒さを連想させられます。「疎」は寒さを誘発させる仕掛けとも受け取れますね。
深谷:凍る(或いは凍つる)は「風凍つる」「鐘凍つる」など比喩的に用いられることも多いため、(本来、凍る筈のない)夕焼の光までもが凍った、という見立ては取り立てて目新しいものではないでしょう。むしろ、そうした寒々とした風景を過不足なく的確に描写した表現に注目すべきかもしれません。「散りし」或いは原さんが仰った「疎林」という措辞は、この景を描写するのに最適な用語選択だったと思えます。確かにこの時代の教養人は皆多少の差はあれ漢学の素養を身に着けているため、彼らの言語感覚からすると「疎林」という言葉も現在よりもっと近しいものだった可能性はありますが、それにしても「疎」の一文字で寒々とした景が眼前に広がってきます。句に弛みは感じられません。巧みな叙景句だと思います。
そこで思い出すのは、この遷子研究の初期に筑紫さんが提起された「遷子は巧緻な俳人ではなかったかどうか」という命題です。もし、遷子がこうした句を作ることに専念し、己の力の全てをそうした方向に傾けていたとしたら、もっともっと巧緻性は向上していたような気がします(もちろん、虚子や龍太の域に辿り着くかどうかは別にして)。つまり「芸」の部分はもっと巧みになっていたと思います。しかし、その一方で「志」の部分は果たしてどうなったのだろうかという疑問が湧いてきます。もちろん、「芸」と「志」の両者が高い次元で全うされていれば、それに越したことはないでしょうし、俳人はそれを目指すべきだという指摘には文句の付けようがないかもしれません。しかし全てを器用にこなせる人間は稀でしょう。いえ、両者を追い求めるのは、ある意味で二律背反の傾向があるような気がします。少なくとも遷子はそうできなかった、あるいはしたくなかったのではないかという気がします。巧緻性を犠牲にしても、ストレートに己が内面の叫びをそのまま句にしたかったのではないでしょうか。掲出句を読んでいるうちに、また先日の中西さんの講演録を拝読して、そんなことに思いが至りましたが如何でしょうか。
なお、雪があったか否かという点に関しては、私も原さん同様、雪がない時期の枯れ果てた林の景でよいと思います。雪原では美し過ぎて、遷子が眼にした野趣が読む者に伝わらないような気がします。
仲:沓掛は中山道69宿の江戸から19番目、軽井沢宿と追分宿(ここから北国街道が分岐しました)の間にある宿ですね。この3宿は「浅間三宿」と言って飯盛女が多かったそうです。長谷川伸の股旅物の代表である「沓掛時次郎」はこの地名に由来するのでしょう。市川雷蔵の映画、橋幸雄の歌、と言っても私達の世代にはあまり馴染みのないものですが…。かつての信越本線、新幹線開業後はしなの鉄道となった路線に「中軽井沢駅」があります。昔はこの駅を「沓掛駅」と呼んだようです。
さて原さんもご指摘の通りこのあたりには落葉松林が多く、疎林は間違いなく落葉松林を指すものと思われます。疎林とは真によく言ったものです。落葉松の林にはあまり他の植物を見かけません。ひたすら落葉松だけがまばらに生えていてとても明るい印象があります。これは落葉松という植物自体が日差しを好み、また成長が早くて他の植物が成長する前に林を形成してしまうからなのでしょうか。また落葉松の落葉は細かくて地面を厚くびっしりと覆ってしまうので他の植物には付け入る隙がないのかもしれませんね。
原さんが雪景色かどうか拘っておられるのは鑑賞する側からすれば大切なことだと思います。軽井沢近辺の気温の低さは皆さんご存知の通りで、先日も佐久では雨だったのが新幹線で通りかかった軽井沢は銀世界でした。しかしそれでも私はこれを雪景色ではなく凍ての厳しい夕暮と取りました。もちろん林のそこここに根雪となった雪は残っているかもしれません。でも「夕焼も凍った」という表現からはむしろダイヤモンドダスト現象が起こる時のような冷え込みを思い浮かべました。尤もダイヤモンドダストは通常朝に起こるもの、この句の場合は夕方なので当てはまりませんが。
疎林なので夕日が林の奥まで射し込み、夕焼も枝に区切られてばらばらとなっている、それを「散りし」と表現したのでしょう。倒置法にすることで「凍りけり」が強調されていて効果的です。
筑紫:キーワードとなる「疎林」は近代の用語(地理学とか林学の)かと思いましたが、むしろ漢詩などで古くから使われた言葉のようで、杜甫の詩「飛仙閣」に「万壑欹疎林、積陰帶奔濤」(万壑 疎林を欹き、積陰 奔濤を帶ぶ)とあり、蘇軾の詩「秋晩客興」に「草満池塘霜送梅、疎林野色近楼台」(草は池塘に満ち 霜は梅に送る、疎林野色 楼台に近し)などとあるようです。さらに近世・近代では絵画の題として盛んに用いられたようで、大雅の「疎林返照図」や福田豊四郎の「疎林雪暮」などがあると言われています。疎林はもともと、木々が密集している状態に比較してまばらな状態を述べた言葉で(密集の極致が密林です)、春夏秋冬を問わずあるわけですが、今日、われわれが冬の枯れ切った樹木を思い浮かべるのは、どうもこうした日本画の影響を受けてしまっているようです。「枯枝に鴉の止まりけり秋の暮 芭蕉」の構図は日本人が大好きなものなのです。馬酔木俳句も絵画的な構図を好みますので、そうした影響を受けていると思われます。
原さんの疑問、「沓掛だったら、冬には積雪があるだろうと思う」は面白く思いました。この句に現れた「文芸上の真」は雪のない風景ですが、「自然の真」である現象として確かに雪はありそうです。馬酔木俳句は、ホトトギスの写生が何でも見出そうとしているのに対し、要らないものを切り落とすことによって成り立っているようです。これは、(43)の「瀧をささげ那智の山々鬱蒼たり」で述べたように、挟雑物を排除し、純化する詠法と指摘した、馬酔木特有の詠み方だろうと思います。
(付言)深谷さんの「志」に対するご指摘、最もだと思います。先日、若い作家たちの発言の場を作ってみましたが、俳句の素材や主題が論じられているのを聞いていて、――似ているような、違うような微妙な違和感を感じていました。主題という外面的な現象としては似て見えますが、遷子の大事に思った「志」は、たぶん主題の背景にある、主題が選ばれる主体的な必然性のようなものに当たると思います。主体的な必然性がある限り、第三者の評価は二義的になるはずです。作者の目的は、表現した段階で実現しているはずなのです(先日の若い人の発言の場では、賞を目指すというのは純粋ではないか、ほめられようと思って頑張るのはよいことではないか、という発言がありました)。こうしたことは、もうこの世代特有の特徴なのでしょうか。
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1 件のコメント:
凍りけり疎林に散りし夕焼も 遷子
『雪嶺』所収
あきれるほど綺麗な絵に描いたような風景句ですね。すごい。華麗なものへの感覚を抑制していたからこうなったのですか?
馬酔木の人、芸術上の「自然美」を追究していても出していても全部がこうではないでしょう?
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