田中裕明「童子の夢」50句
・・・関 悦史
田中裕明は昭和57年(1982年)に「童子の夢」50句で角川俳句賞を受賞した。
そのときの受賞のことばが「夜の形式」という謎めいた短い文章で、この夜の形式とは何なのかについて長年思い巡らしてきた四ッ谷龍氏がさる1月24日に現代俳句協会青年部勉強会とふらんす堂共催のシンポジウムを開いた。
私は当日参加できなかったが後で資料だけ見せてもらい、「夜の形式」(全文が週刊俳句にアップされているhttp://weekly-haiku.blogspot.com/2010/01/blog-post_31.html)を読みつつ考えたことをまとめた(これも週刊俳句に掲載されている。「《悠久》の介入と惑乱―田中裕明「夜の形式」について私がツイッターでつぶやいたこと」http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/02/blog-post_9333.html)。
そこで私は田中裕明のいう《夜の形式》が《昼の形式》と背反するものではないことを本文に即して確認し、《夜の形式》とは非明示的に(《昼の形式》に)繰り込まれた「時間の久しさ」自体のことだとして、上田氏からの質問、「夜の形式」の最後の一文「いま手にしているのは夜の形式ではないようだ」についてどうとるかについては、語り終わった瞬間分離してしまい《夜の形式》の析出の動きをやめてしまった「夜の形式」という文章自体についての自己言及ではないかとだけ取ったのだが、その後、田中裕明の角川俳句賞受賞作「童子の夢」が掲載された「俳句」昭和57年6月号を見る機会を得てやや見方を拡充させたのでそのことを書く。
このときの選考委員は飯田龍太・桂信子・岸田稚魚・清崎敏郎・角川春樹。田中裕明の他に、作風の違う稲富義明が農村生活を描いた一連で同時受賞している。
どちらも特別強く支持した選考委員がいたわけではなく、討議の末、飯田龍太が田中裕明を1位、桂信子が2位に推し、清崎敏郎と角川春樹が稲富義明を推して、3、4篇が団子状態であった中から上位2人を同時受賞としたようだ(ちなみにこの回の予選通過者には菅原鬨也、三村純也、黛執、長谷川櫂、辻桃子、大石悦子といった名も見られる)。
「童子の夢」50句を『田中裕明全句集』の索引と引き合わせると、この50句の中から後に句集に取られたのは以下の11句のみ。すべて第2句集『花間一壺』に収録されている。
春昼の壺盗人の酔ふてゐる
あゆみきし涅槃の雪のくらさかな
午後もまた山影あはし幟の日
田草取る僧侶の鼻のうかみ出で
向日葵に万年筆をくはへしまま
草いきれさめず童子は降りてこず
葡萄いろの空とおもひし貝割菜
宿の子の寝そべる秋の積木かな
物音も雨月の裏戸出でずして
待春のほとりに木々をあつめたる
二月絵を見にゆく旅の鷗かな
他の39句が削られたわけだが、削られたという目で見るせいか、確かに句集に入らなかった句には多次元的に不定形に多くの時空が畳みこまれた句は少ないようで、田中裕明を待つまでもない非-非定型的な、つまりは平板でまとまりのいい句が多い。
《辛夷咲きたちまち乱れつくしけり》は時間の経過が一直線に辿られて平板に終わっているし、《身にそはぬ春の霙とおもひつつ》も思う自己に平板に世界が回収されてしまったきらいがある。
以前私は田中裕明論(「天使としての空間」。豈weeklyに全文が転載されている)で、複数のものの交雑が通常とは別の時空を晴れやかに引き出す田中裕明句の機微を論じたのだったが《沖見えぬ雨の燕の飛びちがふ》となると、飛びちがう燕が見えぬ沖を悠久の別次元に転じているとはまだ言いがたいし、《絵は壁にこの世ならねど五月闇》では別の時空が「絵」としてごく散文的に分離されてしまっている。
「夜の形式」末尾の一節「いま手にしているのは夜の形式ではないようだ」は、「夜の形式」というきわめてパフォーマティヴな文章自体への自己言及というに留まらず、実作においては確かに夜の形式は探求の途上であったようだ。田中裕明という個人の人生は直線的時間の支配の中にもある。「夜の形式」の多義性は悠久の時空と直線的経時性の両方に文章自体が跨っていることからくるそれであったようだ。
選考会で岸田稚魚が「ちょっと難解」と評し、それを受けて飯田龍太が「草いきれの中を山へ登っていって、そのまま降りてこなかった、それだけのこと」と答えている一句《草いきれさめず童子は降りてこず》についてちょっと触れると、まずこの句は「子供」でも「少年」でも「男の子」でもなく、仏教的にか道教的にか他界性を帯びた「童子」である。
一見何の関係もない「草いきれさめず」と「童子は降りてこず」の二つはテクスト内で隣り合ったものは関係を持ってしまう隣接の論理により、草いきれの熱がさめたら童子が降りてくるという相関を持つことになる。
熱気によって過剰な存在感を放射する「草いきれ」の自己主張が薄れたときに他界性たる童子が介入できるとの予感をそのまま表した句であって、夢の論理において何かが消え、入れ替わりに別の何かが現れた場合、その二つが同じ内容を受けもつことを思えば、熱が放散されつくしたときに入れ替わりに降りてくるはずの「童子」は童形の具体的イメージを帯びつつも、熱のごとく不定形なひとつの状態のようなものとして表出されている。
テクスト内に世界形成の論理自体が現れているわけで、ここでは平板な事実説明に句を還元してしまった龍太よりも「ちょっと難解」と立ち止まり、困惑した稚魚の方がこの句の真価に迫っていたのではないか。
以下、資料として「童子の夢」全句と、選考座談会から「童子の夢」に触れられている部分を抄出しておく。
* * * * * * * * * * * *
田中裕明「童子の夢」(※=第2句集『花間一壺』収録句)
春昼の壺盗人の酔ふてゐる ※
あゆみきし涅槃の雪のくらさかな ※
畦火まだ川の向うのしづけさに
身にそはぬ春の霙とおもひつつ
辛夷咲きたちまち乱れつくしけり
竹の秀のはなやぎを見て春の海
東風舟にのりたき瑞枝もちて佇つ
しほがれの松をかたへに耕せり
沖見えぬ雨の燕の飛びちがふ
剪らずおく花をかぞへて朝寝かな
ときに鳴る藪の一天別れ霜
草芳し木星ばかり明るき夜
さくらちる髪をつつみて出でしとき
午後もまた山影あはし幟の日 ※
早苗籠戸口ひらきて月のかげ
老鶯の存分に降り出でにけり
入梅の小夜啼鳥に海の闇
梅雨の月さらに黄花をくはへけり
早乙女とともにあるきて初心とは
人の顔見つめるくせの火取虫
絵は壁にこの世ならねど五月闇
梅雨寒に買ひしさかなの目の大き
柿の花散る冷えにして百姓家
田草取る僧侶の鼻のうかみ出で ※
向日葵に万年筆をくはへしまま ※
髪長く顔をかくして青芒
郭公に湯を捨てて湯のかがやきぬ
草いきれさめず童子は降りてこず ※
ひくく鳴る海のオルガン雲の峰
鯵刺に遠く泳ぎてゆきあはず
天の川貰ひ来し絵を掛けずして
日照るさに秋のはじめの桃畑
葡萄いろの空とおもひし貝割菜 ※
葉生姜にそれきり琴のならずなり
宿の子の寝そべる秋の積木かな ※
物音も雨月の裏戸出でずして ※
夜更しの果ての小さきいぼむしり
西へゆく秋の祭の日傘かな
末枯に希ひてこころよき為事
小鳥来るときをさかひに水の音
薬掘る空憑きそめし草のいろ
神無月大きな石のなかに棲む
冬山に不機嫌の文たまはりし
柚子風呂のはじめのこゑを裏山に
歯朶刈のをる山裾の地図を買ふ
ひとりまた遠くくははる山始
待春のほとりに木々をあつめたる ※
まだ封を切らぬ手紙を探梅に
人けふの厄を落すに雪を掃けど
二月絵を見にゆく旅の鷗かな ※
* * * * * * * * * * * *
参考・第28回角川俳句賞選考座談会
(「俳句」昭和57年6月号 125-126頁)
出席者 飯田龍太・桂信子・岸田稚魚・清崎敏郎・角川春樹
⑫童子の夢
桂 これは五篇に絞ったうちの二番目で、好きな句が多かったわけです。一番好きな句は〈宿の子の寝そべる秋の積木かな〉です。それから〈柿の花散る冷えにして百姓家〉〈田草取る僧侶の鼻のうかみ出で〉〈向日葵に万年筆をくはへしまま〉〈髪長く顔をかくして青芒〉〈郭公に湯を捨てて湯のかがやきぬ〉〈草いきれさめず童子は降りてこず〉〈葡萄いろの空とおもひし貝割菜〉〈物音も雨月の裏戸出でずして〉〈二月絵を見にゆく旅の鷗かな〉も好きでした。
飯田 私もこれは点がいいんです。この人の作品はかなり自在だという感じを、読み通してまず受けました。〈春昼の壺盗人の酔ふてゐる〉という発想……。それをもう少し具体的にとらえた作品としては〈草いきれ……〉もう一つ、自在ということの理由としては、〈田草取る……〉のまじめな諧謔というのかそういうものがある。それとは全然別に〈午後もまた山影あはし幟の日〉という外連味のない作品、これは〈待春のほとりに木々をあつめたる〉もそうですが、かなり作風が自在だという点に魅力を感じましたね。よくできている。
岸田 私もわりあいいい点はつけてあるんです。七・八点かな。でも、八点から上を採ったものですからね。一〇篇ぐらいの中には楽に入るんですが。難点ばかり見てはいけないんだけれど、〈ひくく鳴る海のオルガン雲の峰〉はあまり好きじゃないですね。
飯田 ああ、これはひどいね。
桂 ええ。チェックしてます。
岸田 それから〈絵は壁にこの世ならねど五月闇〉も、ねえ。〈辛夷咲きたちまち乱れつくしけり〉は何か当たり前の気がする。〈竹の秀のはなやぎを見て春の海〉の「竹の秀のはなやぎ」が実に常套的な表現じゃないかと思ったんです。桂さんが欠点ばかりを見て選ぶのをやめたのと同じように、いい句はあるんだけれど欠点を見てやめちゃったような気がしますね。(笑)いいと思った句は〈春昼の壺……〉ですが、〈草いきれさめず童子は降りてこず〉の句はわからなかった。童子の夢を見ていて、童子が降りてこない。「童子の夢」という題と対照すればわかるような気がするんだけれど、この一句だけだとちょっと難解ですね。
飯田 草いきれの中を山へ登っていって、そのまま降りてこなかった、それだけのこと。
岸田 なるほど。私は考え過ぎちゃったわけだ。(笑)
桂 題の「童子の夢」とは関係ないんじゃないですか。
飯田 そう。夢とは関係ないね。
岸田 そのほかに〈待春のほとりに木々をあつめたる〉もいい。あと、何か気になる句がありました。
清崎 〈春昼の壺盗人の酔ふてゐる〉〈柿の花散る冷えにして百姓家〉は僕にもよくわかるんです。でも、〈草いきれ……〉は岸田さんと同じく、僕もよくわからなかった。「降りてこず」ということ、木から降りてこないというのではおかしい。どこから降りてこないのか、ちょっとわからなかったですね。
角川 皆さんの採った〈春昼の……〉は私はいまでもわかりません。説明していただければありがたいのですが。
飯田 これは「春昼」という季語にかなりウエートのかかった作品でしょう。季語の理解の仕方というか、想像力をフルに発揮して、幼いときに読んだ童話みたいなものでもいい、そういうものをフッと思い浮かべた。現実に壺盗人がいるということではなくて、ひとつの想像の世界じゃないかな。そういうことは逆に「春昼」の特っているイメージを側面からとらえている。こういう印象を受けましたが、どうでしょう。「盗人」も日本の風景とは思えない。「開けゴマ!」のような世界を思い描いていたのではないか。表現の中にもすでにそういうイメージがある。こういう句はとかく宙に浮いてしまいがちだけれど、そういう意味では確かな表現技巧を持った人だという感じを受けました。
これは持ち味でしょうね、〈草いきれさめず童子は降りてこず〉のような世界、「童子の夢」という題をつけるところからしても。〈草いきれ……〉の句の私の印象を申しあげますと、「草いきれ」はもちろん真夏の日盛りの情景でしょう。子供が山のほうへ行ったか、原のかなたへ行ったか、登る下るだから恐らく草いきれの中を通って向こうへ行ったんでしょう。いつまでたっても下りてこなかった。ということは、逆にいえば草いきれという真夏の情景を側面からとらえている句になります。
岸田 飯田さんと桂さんの採った句の〈田草取る僧侶の鼻のうかみ出で〉はこんなような感じの類作がないかな。
飯田 ないと思うよ。
岸田 「僧侶の鼻」までは言わないけれど、僧侶がフワッ現れたという感じの発想の仕方はないことはないと思うんだが……。
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