・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井
蒼天下冬咲く花は佐久になし
『山河』所収
仲:そんなことはありません。佐久にだって冬咲く花はいくつもあります。縦令「蒼天下」であろうと蠟梅も寒梅も、冬桜ですら存在します。しかし遷子が「佐久になし」と言い切ったのは実際に花がある・ないの議論をするためではなく彼のこの時の心情としてこう言わざるを得なかったということでしょう。
この句は『山河』の掉尾から6句目、つまり最晩年の句、もちろん病室で詠まれたであろう一句なのです。前後には食欲がないとか身体の衰えを詠んだ句が並んでいます。「温室の花病室賑やかなるがよし」という句もありますから彼の周囲には大勢の見舞い客が置いて行った花で埋め尽くされていたに違いありません。「われにその価値ありや」と彼らしい謙遜の前書きの後「かく多き人の情に泣く師走」ともありますから本当に見舞客はひっきりなしだったのでしょう。してみると「この病室には所謂室の花がたくさんあるけれど、窓の外を眺めると冬空の下に咲いている花は一つもないなあ」との感慨かもしれません。佐久の地を疎ましく思っているのでなく、純粋にこんな寒いところに咲く花はあるまいとの感想でしょう。
ただ最晩年ということを思うと深読みかもしれませんが別の読み方もできる気がします。「自分は良くなると信じて闘病してきたがこんな寒空の下咲く花がないように私の命もこの冬を越せそうもない」との心の内を反映しているのではないか。実際彼は「食思なき食事地獄や冬の鳶」などと珍しく泣言を吐いていて愈々近づきつつある死を覚悟していたようです。「わが生死食思にかゝる十二月」句集の最後の一句ですが、まことに食べられなくなれば人の命は終わるのです。
中西:寒蝉さんは佐久で臘梅も寒梅も冬桜も咲くと書いていらっしゃいますが、実は今まで佐久の冬は厳しくて花など咲かないのではないかと思っておりました。と言いますのも、『山国』『雪嶺』『山河』の冬の句を見ますと、冬は、寒さの厳しさを表わす季語、虎落笛、雪嶺、寒満月、霧氷、霜天などが多く使われ、花の季語はなかったからです。
遷子にとって冬は凍るような寒さを描くのが美学だったか、或は今より本当に寒くて花が咲かなかったととるかではないかと思いました。
この句は病室から、もう起き上がることもできずに書いた句ではないかと思います。としますと、今まで住んできた佐久への深い思いと重なって出てきた「冬咲く花は佐久になし」という措辞だったのではないでしょうか。
そこには佐久への愛着と、否定形であらわされていますが、冬の佐久への一種の礼賛が述べられているように思いました。今ベッドから見える真青な深い空こそが佐久の冬の誇るべき美しさなのであって、それに比肩するような花などないのだということではないでしょうか。
原:願わくばあと僅か生きながらえて、春の花盛りを見せたかったと思わせられる句です。
遷子の死は昭和51年1月19日。句帳に記録されている昭和50年11月26日までにこの句は載っていませんから、それ以後12月までの間に詠まれたもののようです。佐久綜合病院7階の病室からは雪嶺の連なりがよく見えたことだろうと想像します。麓に続く平地もまた雪に覆われていたでしょうか。
おそらく春まで生きのびることは出来まいという心情がこの作品の底流をなすように感じますが、同時に、遷子は自分という存在を、冬咲く花のようでありたいと思っていたかもしれません。「なし」の強い言い切りは断念に通じるかのようです。
深谷:最晩年の句です。仲さんが提示された二つの読み。どちらもありそうですね。
確かに、寒さの厳しい佐久でも冬季に咲く花はあるかもしれません。でも、仲さん御指摘の通り、この句はそんなことにお構いなしに詠まれている作品でしょう。遷子がこの句に込めたのは、そのような「現実」ではなく、「象徴」あるいは「そのように断定した」佐久の風土への想いだったような気がします。佐久の風土こそが、遷子が愛憎綯い交ぜに執着した、あるいはせざるを得なかった、生涯のモチーフだったわけです。句調も素っ気なく、断定したような、どちらかと言えば突き放したようなトーンですが、それだけに、この佐久という土地に対する、遷子の愛着が滲んでいるように思えます。この句では厳しい冬の寒さが前面に出ていますが、一方で、かつて「田を植ゑてわが佐久郡水ゆたか」(『雪嶺』)などと、手放しと言ってよいほどのお国自慢の句を詠んだこともあります。先に「愛憎綯い交ぜに」と書いたのは、佐久に対する遷子のこのようなアンビバレントな評価を踏まえています。
一方、あらためて句集にあたってみると、少し印象が変わります。端的に言えば、仲さんが示された、もうひとつの読みの方が本筋のような気もします。この少し前の作品で遷子が辞世の句とした、例の「冬麗の微塵となりて去らんとす」と同様の系列に属するものと考えたほうが良いように思えるのです。すなわち、死にゆく自分自身を自然の事物(前句の場合は微塵、掲句の場合は花)に託した作品という読み方です。以前、筑紫さんも指摘された、遷子の「美学」が成した作品という解の方が相応しいと考える次第です。
結局、仲さんの基調コメントをなぞったような形になってしまいましたが、以上が現時点での正直な感想です。
筑紫:面白い句です。「冬咲く花」に、不謹慎ですが「夜咲く花」「ネオンに咲く花」などを思い出してしまいました。仲さんが言われるまでもなく、まったくの比喩ですが、そうした言語構造から見ると大きな違いはないからです。言葉を飾るという意味では、立派な文学も歌謡曲もそれほど隔たるものではありません。いや、「冬麗の微塵となりて去らんとす」でさえ、真理の探究よりは美しい表現の探求であるという点では共通しています。
「蒼天下」も、青空にとどまらない言葉の響きが、しみわたる空の青さを印象付けます。これも修飾の一種でしょう。
遷子の最晩年は、仲さんの引用するところに従えば、「食思なき食事地獄や冬の鳶」のような泣き言の句、「かく多き人の情に泣く師走」のような周囲の意図人を意識した句、掲出句や「わが山河まだ見尽さず花辛夷」に見られる美しく言いとめた句など、大きく揺れていますが、やはり興味深いのは最後の傾向の句です。
遷子の作品をまとめたメモについては以前取り上げましたが、死ぬことを見つめながら俳句という記録をとっておくことは俳人の業(ごう)のようなものを感じます。本来闘病には最大の目標があるわけですが、それを客観視して記録します。しかしにもかかわらず、そこにより効果的、ないし美しい言葉を求めるというのは、確かに不思議でもなくありえることですが、それだけにやはり「業」なのです。
最晩年の句稿メモから添削例(業の一端)を眺めて見ましょう。
鰯雲人は働き人は病む(9月26日)
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いわし雲人は働きわれは病む
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いわし雲人は働き人は病む
門に出て釣瓶落しに金縛り(10月17日)
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門にして釣瓶落しに縛さるる
わが思ひすさまじければすぐ返す(10月18日)
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思ひいますさまじければすぐに消す
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思ひいますさまじければすぐ返す[矢島渚男氏の最終稿]
病みて恋ふ花野はいよゝ遥かなり(10月21日)
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病みて恋ふ花野いよゝ遥かなり
木の葉散る生涯に何為せし(11月13日)
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木の葉散るわれ生涯に何為せし
霜天や食絶ちて死すはいさぎよし(11月25日)
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霜天や食絶えて死すはいさぎよし
あきらめし命なほ惜し霜の朝(11月26日)
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あきらめし命なほ惜し冬茜
冬麗に何も残さず去らんとす(同上)
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冬麗の微塵となりて去らんとす
なお掲出句の「花」の持つ意味ですが、「遷子を読む(44)」で引いたように、遷子は夏の段階で、
来年は遠しと思ふいなびかり
で余命1年以内、
病急激に悪化、近き死を覚悟す
死の床に死病を学ぶ師走かな(11月26日)
で「この間の状態では、今年(51年)までは、もつまいと思った」と述べていますから、その意味で原さんの「おそらく春まで生きのびることは出来まいという心情」は遷子の思いをよく伝えていると思います。
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1 件のコメント:
蒼天下冬咲く花は佐久になし」遷子
美意識も、風土や生活や身体状況に密着して醸成される、とうけとめられる句だ、、とおもいました。図式的に思えるほど「蒼天」がくっきりしています。
仰臥する日が多かったのであれば、寒い地方では窓を閉め切っていますから、蒼天は見えるけれど、地上の花は何か咲いていても見えにくく、まして冬は花が少ない。南天など赤い実も少なかったのでしょうね。
雪の中で色を感じさせるのが、唯一「蒼天」であるところ。遷子の好みを感じます。
単純な「風景」なのに。「生活」を感じさせるおもしろい句だなあ。
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