・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井
瀧をささげ那智の山々鬱蒼たり
『草枕』所収
筑紫:戦前の遷子の代表句といってよいでしょうし、馬酔木の自然詠を代表する句といってもよいでしょう。秋桜子が戦後那智を訪れて
瀧落ちて群青世界とどろけり
の句を詠むに当たり頭にあったのはこの句であったといわれます。「群青世界」の観念美は、遷子の写実美に負けまいとする秋桜子の緊張感が作り出した幻想であったと思われます。
類似の句で、
神にませばまことうるわし那智の瀧 虚子
も悪くはありませんが、いかんせん趣味の句であり、瀧と格闘している句とはいえないと思います。
水の上に瀧現れて落ちにけり 夜半
は瀧の句の極め付けとされています。それを否定するものではありませんが、この構図は何べんでも現れかねないパターンを生み出します。瀧だけを素材にして俳句を詠めといわれればこうなるしかない、実際この句の詠まれた直後に同じパターンの作品を一流の作家ですらしばしば詠んでいます。そうした中で、遷子の句は屹立しています。
実は瀧の句とは近代の句でありました。江戸俳諧が関心を持ったのは、瀧殿や瀧見茶屋であり、大自然のなかで水の塊となって落ちる瀧水に目をやるようになったのは近代になってからでした(〈たうたうと瀧の落ち込む茂りかな 士朗〉がありますが、これの季題は茂りですよね)。近代俳句の瀧の系譜の中でこの句は今日も輝いていると思います。
*
なお言えば、「瀧をささげ」に日本人が忘れて久しい自然に対する敬虔さが伺えるようにも思います。万葉集のごく初期に見られる、「とりよろふ 天の香具山」とか「名ぐはし 吉野の山」と呼びかけていた素朴な自然に対する素朴な情感がよみがえる気もするのです。秋桜子一派を「万葉派」と呼んだのですが、それは万葉の風景を読むだけでなく、万葉の真情を再現するところまで進んでこそ初めて適切な名称といえるのではないでしょうか。
中西:若い頃の遷子は医局の句会の先輩達に、兼題の例句として暗記した句を次々と教え、秋桜子はその例句が時代と各派にまたがって広範囲であることに驚いたというエピソードを書いていますが、このことは勉強盛りの遷子を彷彿させるものです。この句も俳句を一生懸命に学んでいる頃の句かと思います。
磐井さんが仰っていた中で、馬酔木の自然詠の代表句であることはすぐに納得できたのですが、「万葉の真情を再現している〈万葉派〉の句である」というご指摘に、馬酔木の〈万葉派〉の奥深さにはじめて触れたように思いました。
この句と並んで、
かの茂る山乗り越えておとす瀧
かの茂る山截ち裂きてとよむ瀧
などがあります。どちらも細かく描写していながら観念的になっているようです。那智の瀧5句の中のトップに載っているこの句の迫力は他の4句を圧倒しています。
「遷子を読む(41)」で磐井さんがこの句を引いて、遷子の自然というのは、没入することによってあらゆるものを切り捨てる、一種の行のようなものと読んでいるという発言に感心しました。自然に没入して作っているのをこの句から直に感じることができるように思います。しかし、行のような作業というのは、もしかして自然を観念化する作業ではなかったかとも考えました。上に揚げた2句も観念を指摘したのですが、観念が観念と感じさせないで、突き抜けた時、佳句が生まれるのではないでしょうか。掲出句はまさにその典型的な例なのではないかと思いました。
原:実はあまり響いてこない句だったのです。あの有名な『那智瀧図』を、言葉に置き換えればこうなるかなと思うのですが、それ以上には取り付くしまがないというのが正直なところです。私は細やかな味わいの景が好きなのかもしれませんね。むしろ、例に挙げてくださった〈たうたうと瀧の落ち込む茂りかな〉の方に、空気や色彩を感じて好きなくらいです。
ただ、「瀧をささげ」のフレーズには「自然に対する敬虔さが伺える」という磐井さんのご指摘には、全面的に同感します。
深谷:句集『山国』の序文に、秋桜子は〈熊野川の句は殊に感銘が深くて、私が南紀に行ったときは、これを一つの範例として、作句の参考としたのであった〉と寄せていますが、掲句はこの熊野川の句の直後に置かれています(なお、戦後すぐの時期に発行された私家版『草枕』では別配列)。掲句も秋桜子の作品に影響を与えたことは、想像に難くなく、筑紫さんが指摘されたとおりでしょう。
確かに掲句は遷子の代表句として名高い作品ですが、正直に告白すれば、初見時より「瀧をささげ」が解りませんでした。「ささげる」の意味を「献上する」というニュアンスで捉えてしまったからです。ですから、ささげるという行為の主体は「那智の山々」なのでしょうが、こうした擬人法が少々あざといという印象を受けたものです。しかし今回あらためて掲句に接し、「ささげる」が「上方にかかげる」という意味だと解した時、永年の疑問が氷解しました。そう考えると掲句は、スケールの大きさを感じこそすれ、ネガティブなわざとらしさは影を潜めました。そして、そのスケールの大きさの底流には、筑紫さんが基調コメントで指摘されたように、「自然に対する敬虔さ」があると思います。そう考えた時、掲句は単なる自然描写から自然賛歌あるいは「那智という土地に対する畏敬の表明」に昇華したように感じます。
窪田:この句を作った昭和13年は、遷子が「鶴」同人となった年。骨格のしっかりした自然詠が中心の作風です。句集『草枕』の「草枕」の章は、ほとんどが前書のある吟行句です。
遷子は、
「大陸行」以前の句はひたむきな投句家時代の所産であり、俳句に対して最も強い情熱を持っていた時のものである。
と『草枕』の序文で述べています。俳句に夢中になり自然の中に出掛け、それを深く見つめたことによって、自然崇拝の姿勢が出来上がったと思われます。
ですから、掲句の、「瀧をささげ」という措辞は技巧ではなく、筑紫さんの言われるように「自然に対する敬虔さ」が素直に表現されたものなのです。この「瀧をささげ」という措辞で、鬱蒼とした山を背景に瀧がぐっと前に立ち現われてきます。また、那智という地名も効果を上げています。「鬱蒼」「ささげ」と響き合い、神々しい趣を醸し出しています。
秋桜子は句集『山国』の序文で〈熊野川の句は殊に感銘が深くて、私が南紀へ行ったときは、これを一つの範例として、作句の参考とした〉と述べていて、
瀧落ちて群青世界とどろけり
の句がこれにあたると思われます。筑紫さんの、秋桜子の「群青世界」の句は、遷子の写実美に負けまいとして構築された観念美の世界という指摘には目を開かされました。
遷子が生涯変わらず持ち続けた自然崇拝の姿勢は、自然の中に溶け込ませるように身を置き作句したこの時期に身に付いたのでしょう。
仲:昨年の夏、「里」の面々で熊野を訪ねました。谷口智行という熊野市で開業する医師であり「運河」「湖心」にも所属する「里」同人の計らいにより熊野をあちこち見て回りました。もちろん那智の滝も。私にとってはこの滝を訪ねるのは2回目でした。高さや水量ということならこれに勝る滝は国内にも幾つかあるでしょうが神秘性というか神々しさという点においてはこれに勝る滝はあるまいとの意を一層強くしたのでした。
実は智行君は滝を後回しにして真っ先に滝の遥か奥の阿弥陀寺という所に案内してくれました。そこは熊野の人たちの魂が死んだら行くという場所で奥の院までの山道を行くと何とも言えない霊気を感じるのでした。熊野は不思議な土地です。古事記の記述を読んでもあそこには原初からの人達、大和朝廷にもまつろわぬ(一方で神武に力を貸したりもしたようですが)民が棲んでいたようです。熊野三山の祭神もアマテラスより以前、或いはそれに逆らった系列の神々というのも如何にも熊野らしい。
磐井さんの挙げられた秋桜子の「群青世界」の方は私の愛唱句の一つになっていますがこの句の方は今回まで知らずに来ました。「群青世界」はスケールが大きい代わりに滝を普遍化・抽象化していて必ずしも那智の滝でなくともよい感じがします。一方遷子の句の方はやはり那智の滝しかないという詠み振りです。磐井さんのおっしゃる万葉人の「自然に対する敬虔さ」に溢れており、それほどの畏敬は滝そのものを神格化した那智にこそ相応しいと思われるからです。また滝ばかりでなくその背景の鬱蒼とした森にも言及し、「紀の国=木の国」と言われた熊野の自然を取り入れています。
[筑紫追記:40回を越えるようになるとそれぞれ自分の基準で採否を決めても気にならなくなってきました。原さんのご意見は尤もだと思います。というより、絵を言葉に写したものが馬酔木俳句の本質であり、理想であったと思っていたからです。「絵の具を使わない印象派」といってよいだろうと思います。しかし考えるて見ると、単語を色彩に置き換えてしまうというのも超絶的な技巧ではないでしょうか。つまらないと思いつつもここまで純化するとちょっとどころ技巧ではすみません、必ず挟雑物が入ってピュアでなくなるからです。もちろんそれがすばらしい文芸といえるかどうかは別として。だから、「それ以上に取り付くしまがない」というのは、俳句表現の近代化が目指したそのものであったからでしょう。情緒や連想やらを切り離して言葉は明瞭なイメージさえ結べばいいという発想です。秋桜子もそうですが、おそらく、素十と誓子が最もその極を行った作家であり、何がいったい面白いのかと思われるような事実描写だけで俳句を成り立たせていたわけです。現在、その近代化は嫌われています。問題はこれを乗り越えて何を作りえたかということです。遷子は社会的意識をそこに見つけたのでしょう。]
[筑紫追記2:窪田さんは今回をもって研究会から抜けられることになりました。長らくのご参加ありがとうございました。メンバー一同感謝します]
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