2010年1月24日日曜日

閑中俳句日記21 眉村卓句集

閑中俳句日記(21)
眉村卓句集『霧を行く』



                       ・・・関 悦史


週刊俳句の新年詠に「スーパーコンピューター的白雲の壊(くわい)や元日の暮」などという句を出した祟りででもあろうか、この年末年始、2台あったパソコンが相前後して両方壊れた。

パソコンともども私の体調も壊れてしばらく休ませていただいていたので、今回がじつは今年最初の投稿となる。本年もよろしくお願いします。

先日SF作家の眉村卓氏に『新撰21』をファンレターを添えてお贈りしてみたところ、氏が去年上梓された句集『霧を行く』のサイン本を送ってきてくださった。眉村氏は私が小学生の頃から愛読してきた作家であり(入手困難なものが数冊あったと思うが、全作品の9割方は読んでいるのではないか)、取り上げないわけにはいかない。

句集『霧を行く』は巻末に「俳句と私」と題する長いあとがきがついていて、今までエッセイなどで断片的に知っていた眉村氏の来歴をかなり詳細にたどることができる。愛読者なら知っていることだが眉村氏は高校時代に俳句部に属している(「文芸部」が見当たらないという消極的な理由からだったらしいのだが)。

昭和9年生まれの眉村氏は新制中学の一期生、つまり高校に入ると一学年上の先輩から旧制中学の卒業生となるので、自由な雰囲気の新制中学からいきなり《議論を吹っかけられ、不勉強をなじられ、ときには命令を受ける》旧制ノリの部活でしごかれることになり、気風の違いに難儀したらしい。当時の投句先は「馬酔木」等で、部の講師にも「馬酔木」同人(澤田幻詩朗)を迎えている。

間を端折ってSF作家となってからの昭和40年代、眉村氏はパーティー会場で毎日新聞の赤尾記者と知り合う。これが俳人の赤尾兜子であった。

この縁で「渦」に入会し、SF的な感覚を句に盛り込めないかと苦心しはじめて、うまくいかずにいる最中、兜子からさらに追い打ちをかけられる。《というより、私の小説の書き方そのものを考え直すきっかけを与えられることになった。何かの折に赤尾兜子氏が、私の書いた小説を前にして、「眉ちゃん、これは俳句の文章やで。こんなもん、散文で書いとったら売れへんよ。もっとわかるように書かんと」》

この言を容れて以後書き方が変わったというのだが、眉村卓と赤尾兜子、この二人の作家にまるっきり別々に親しんできた私などからすると、二人がこういうことを率直に言い合える仲であったということに感慨を覚える。眉村氏はのち兜子の他に伊丹三樹彦氏らも交え総勢7人で、ヨーロッパ旅行(当時はおおごとであった)をも共にしている。

その後兜子の急死、本業の多忙等でしばらく句作からは離れることになるのだが、復活したのが平成9年、悦子夫人のがん発病によってだった。

『妻に捧げた1778話』(新潮新書)に詳しいのだが、夫人の気を引き立たせるため、眉村氏は毎日1本、3枚以上のショートショートを夫人のためだけに創作するという作家ならではの看病の日々に入る。売り物になるレベルを心がけたショートショート創作の一方、《これと平行してにじみ出るような感じで、少しずつ、結構素直な俳句ができるようになってきた》。のち「渦」にも復帰し、エッセイやカット(マンガ的な簡素なイラストがまた味わいがあるのだ)ともども句を寄せるようになったという。氏と俳句との関わり拾うとざっと以上のようなことになる(余談ながらこの『妻に捧げた1778話』は草彅剛主演で映画化されるそうで、SF界における事績を離れて“奇跡と感動の夫婦愛の作家”にされてしまうことには、長年のファンとしてはやや複雑なものがある。眉村氏ら第一世代の作家たちは日本にSFを根付かせるためにある時期まで学習雑誌にジュブナイル作品を多数執筆し、それらの作品がまた女性アイドルを主演に据えやすいためか、NHKのドラマや角川映画等で映像化の機会に恵まれ続けるということになってきたので、この世代のSF作家はミステリ作家と違い、それでなくても一般的には主要作以外の作品で知られていることが多いのだ。眉村氏でいえば『ねらわれた学園』『なぞの転校生』など。眉村氏と同郷同年齢の筒井康隆作品でも『時をかける少女』が映像化の回数で際立っている)。

眉村氏の句集出版は今回が初めてで、内容は3部に分かれる。

Ⅰは高校時代から勤め人生活を経てSF作家となるまで。

ⅡはSF作家に転身後、夫人の病気・死別まで。

Ⅲがそれ以後となる。

私家版にするつもりだったが、齋藤愼爾氏が手伝いを申し出て商業出版のかたちとなったとのこと。

渡り鳥空の一点よりひろがる

冬霧を集めて門に灯がともる

寒灯の輪の沈黙に歩きだす

車庫の灯の届く限りを雪降れり

最初期に限らず「灯」に惹かれている句が多い。

一点の明かりの他界性に想いを託すという作りは類想も生じがちで、初学の時期だけで止められてしまうことが多いのか、専業俳人の作ではあまり見かけない。よってこの辺の句は小説家一代の句集ならではの採録かもしれないのだが、《冬霧を集めて門に灯がともる》には渡辺白泉《街燈は夜霧にぬれるためにある》に通じるモダンな感覚への志向が窺える。「ぬれるためにある」という白泉句の見立ての才気と色気に比べると、こちらの擬人化は「集めて」にかかっていて、霧の中の門灯のみと朴訥に対峙しあっている印象。白泉の街燈はレトリックの鋭敏さが際立つ外在的な素材、眉村氏の門灯はより内面に入り込み、語りかけてきそうな生気を帯びつつ静まっているといった違いが見て取れる。

ポケットの硬貨鳴りをり虹残る

夜風なか思ひなほして蜜柑買ふ

残雪を踏みくれば怒濤くだけをり

以上は勤め人になってからの作と思しく、生活から来る混沌が少し混じり始めているようで、だんだん句の内実が豊かになってくる。

霜の坂揃ひ出づるも馴れにけり

妻遅き霧の夜の窓並びたる

湯気立てて少し酔ひたる妻の唄

長女出生雪の夜を生れて深く眠るなり

夫人との共働きから長女出生まで。

いずれも情と生活実感が素直に出て一見地味ながら実があり、《湯気立てて少し酔ひたる妻の唄》などは夫人の身体がそこにあるという現前感と上機嫌さが巧まずして現れていて、読む者の心にすっと入ってくる。

     Ⅱ

湯ざめつつ異形の美女の宇宙劇

テレビでやっていた特撮映画ででもあろうか。詠まれた時期がよくわからないが、『スター・ウォーズ』が大ヒットした頃にSFブームと呼ばれるものが一度あったらしい。地道に原稿を書いている小説家からすると無縁の空騒ぎとも感じられたようで、この句など日本にもSF的なものが一般化してきたと心強く思っているというよりは、こういう活劇ものだけがSFと思われては困るのだとやや索然としつつ眺めていた可能性もある。

去りし町どこかで布団叩く音

永くバス待ちて案山子の視野の中

腰高の稲架の鮮明すぎる影

この辺の句は本業の方、奇妙な味のショートショートや短編を成り立たせる不安感と同質のものが見て取れる。

《去りし町どこかで布団叩く音》は語り手が不在となった町の生活音を描いている。これは本当に人々が暮らしているのか、それとも何やらあやしげな機械装置の類が人の生活を模してみせているだけなのか。人が滅んでも布団を叩く音だけは勝手に立ち続けていそうで、町というのも親しげなサイズながらよそ者にとってはその正体を把握しきれぬやや不気味なところのあるものでもある(たしか、住人がいなくなった集合住宅を機械仕掛けの生活音で満たすというショートショートもあったはずだ。『午後の楽隊』に収録されていたと思うのだが)。

勤務校探検木の芽みな吹かれ

めちやくちやに枯木に刺され日が沈む

影過ぎて冬田に夕陽あるを知る

立つは松曇りて暗き雪の原

眉村氏は大阪芸大に教授(現在は客員教授)として勤めているので「勤務校」はそこから来たと思しい。《木の芽みな吹かれ》に明るい季感があって、未知なる大建築の探検が楽しそうである。

《めちやくちやに枯木に刺され》て沈む日や、《影》が過ぎる《冬田》は映像性と内面性が両立しているが、ファンとしては不安感の強い作りがやや気になる。

妻元気並木の辛夷咲き始め

癒えよ妻初燕見てはしやぎをり

ぞんざいに言はれもの買ふ暑気中り

軽口を恥ぢて西日の中帰る

七夕竹灯を掩ひゐる胸騒ぎ

病院のいづこ虫鳴く風入れて

風花して妻小康に似る日あり

春嵐持ち直しつつ妻眠る

卯月雨妻への処置を廊下で待つ

紫陽花よ妻確実に死へ進む

西日への帰途の彼方に妻は亡し

ご夫人の発病後の句をまとめて引いた。内容については多言の必要はないと思う。

     Ⅲ

妻逝きし病院を訪ふ秋の雲

妻の居ぬ病院秋のひと満ちて

際限もなく銀杏散る明る過ぎる

これは私も似た経験をしているのだが、死亡診断書が何通も必要になったりして、一、二度はどうしても病院を再訪する必要が出てくるのだ。そして来る度に看病していた時空がいきなり生々しく蘇り、未だに相手が病室で待っている気がして、その不在感に毎回改めて胸が騒ぐのである。

歳末の満月笑ひついてくる

月がついてくるだけならば類想が多々ありそうだが、「歳末」で人事、人の世の濁りが介入した。個人内部の幻想ではなくて、生活空間、世間で満月が笑いついてくるわけで、「満月」が象徴にも写生にもおさまりきらず、微妙にずれたところに浮かぶ変な生き物のようである。

幕末よ薄暑の砂利を踏みつづけ

朱雀門の奥は時間のなき枯野

この古墳築きし日々よ花曇

つけし人ら今亡し梅雨のティアラ展

歴史探訪的な旅行の句も幾つかある。ちなみに「幕末」については、NHK少年ドラマ『幕末未来人』の原作となった「名残の雪」という短篇が『思いあがりの夏』に収録されている。

加速する時間の雫鬱王忌

渦俳句会編『鑑賞赤尾兜子百句』(立風書房)という本に眉村氏も一句鑑賞を寄せている。そこで氏は《踊りの輪挫きし足は闇へゆく 兜子》を取り上げ、兜子本人の不安を忖度していた。俳句という踊りの輪において自分は既に足を挫いているのではという疑いを兜子が抱えていたのではないかと。

《大雷雨鬱王と会うあさの夢 兜子》では一応別のペルソナに分かれて対面していた「鬱王」と兜子、忌日の呼び名が「鬱王忌」と定まるともはや鬱王の正体は兜子自身のことという一体化が露呈しているようだ。この痛ましい癒着が「大雷雨」が「雫」となるまでの歳月を経ても眉村氏の中に残り続けている。

愛読者というのは眉村卓氏の俳句を読むのにじつは一番ふさわしくない立場なのではないかと思いつつ書きつづって来たのではあるが、思いのほか長くなり、きりがなくなってきた。『霧を行く』なのにきりがないのでは先へ行けぬという駄洒落のつもりはさらさらないのではあるが、以下は抜粋句を引くに留める。

暗い心象をあらわしている句も少なくはないが、頂いた礼状には、また何度目かの作風変化に入りつつあるようですと、衰えぬ創作意欲が窺われる文言もあった。夫人を偲ぶ真情の句でも《若かりし妻下り来るか青草土手》などは飾らぬ詠みぶりの中、「青草土手」のゴツゴツした字余りに実体感と明るい光の遍満があって余技の域の作ではない。一ファンとして、今後の益々の御健筆をお祈りします。

秋服に亡き妻のメモ文字勁し

堰鳴つて二月の山に迷ひをり

ロケはじまる谷なす森の法師蝉

水撒きて青鬼通りさうな夕

夢の日々炎昼をパン買ひ戻る

ぎらぎらの寒満月に門とざす

会議あと河内野大き虹得たり

小指ほどのガラスの鳥よ隙間風

病妻が待ちゐし記憶春の雪

銀木犀の空に昭和のあるごとし

草にまぎれ得ぬ秋蝶をみつめをり

降る雪原に派手な巨人を寝させたし

両手振り女去りゆく枯野道

照り出てて立体となる新芽たち

更けて火にむらさきまじる夏暖炉

あの人がゐるかもの町濃紫陽花

向日葵が全部目となるさやうなら

冬の鬱で来しがペンギン並び立つ

冬の噴水また立ちあがる暗き午後

蝶多き池なり手帳失ひて

老鶯や寄れば天までダムの壁

古書漁りして映画見てわが晩夏


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