2009年2月22日日曜日

第28号




第28号

2009年2月22日発行

俳句の余白

八木忠栄句集『身体論』及び武田肇句集『ベイ・ウインドー』を読む

          ・・・高山れおな   →読む

俳句九十九折(25)

俳人ファイル ⅩⅦ 金子明彦

          ・・・冨田拓也   →読む

書物の影 第七回

          ・・・堀本 吟   →読む

 

あとがき           →読む

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あとがき(第28号)

あとがき(第28号)


■高山れおな

わたしは本文記事を書く時も、少々度が過ぎるのではというほどに「あとがき」頼みであるのに、「あとがき」でまで「あとがき」の話をするのはどうかと思うが、安川奈緒さんの詩集『MELOPHOBIA』(二〇〇六年 思潮社)の「あとがき」は大変気に入っている。

中学、高校、大学と朝から晩までテレビばかり観ていた。それ以外何もなかった。明石家さんまの輝く歯を見つめながら、「空耳アワー」のタモリのサングラスの向こうにある目を想像しながら、音楽と詩は無関係だと思った。紙面から囁きかけてくるような詩は下劣だと思った。音楽的快楽から身を引き剥がした詩以外は信じられないと、いつでも甘くなろうとするナルシスティックなリズムを殺した詩以外は信じられないと思った。音韻論とかそういう難しいこととはまた別の次元で、詩の内なる敵は何よりもまず音楽なのではないかと思った。だからMELOPHOBIA(音楽恐怖症)、有言実行できていたらとてもうれしい。この世は音楽を愛しすぎている。

気に入っているということはつまり、これを読んで「そうだ! そうだ!」と思っているわけである。しかし、実際の安川さんが音楽嫌いとはむしろ信じがたいが、わたしは音楽嫌いでないとしてもほぼ音楽不感症である。昔(中学から高校二年くらいまで)は、そうでもなかったのに、大学に入ると同時に音楽というものを聞かなくなった。一日たりとも音楽なしではいられない方も世間には少なくない中で、わたしは間違いなく、一生音楽なしでも平気なクチです。

と、前置きが長くなりましたが、昨金曜、わたしは珍しく独りでコンサートに行きました。新聞で公演の情報を見て、自腹で切符を買って。考えてみると、これまで四十年生きてきながら、わたしは音楽会のチケットというものを自分の意志で買ったことがなかったのです。子供の時は親に連れられて行ったのだし、その後は友人とか奥さんとかに誘われたり、半強制的にお相伴させられたり、仕事のなりゆきだったり。で、結論を述べれば、やはり柄にもないことはすべきではないな、と。眠ってしまいましたもの。S席六千円の子守唄でございます。別に睡眠不足でもなかったはずなのに。そんなわけで、明けて日曜日はひたらすら句集を読むつもり。もちろんBGMなど論外です。


■中村安伸

・木曜日には前週に引き続いて、ハンブルクバレエの『椿姫』を横浜まで観に行きました。主演は『人魚姫』と同じシルヴィア・アッツオーニでした。
すぐれた踊り手は身体そのものが声を発するのですが、この方の踊りのスキルは群を抜いています。また、二次的なことかもしれませんが、周囲のダンサーたちと比べて、この方は背が群を抜いて(というのもおかしな言い方ですが)低いので、人魚姫にしろ椿姫にしろ、悲惨な運命に翻弄される女性の役が非常に似合うのです。

・金曜日は国立劇場の小劇場にて文楽公演を鑑賞しました。第一部の『鑓の権三重帷子』と第二部の『敵討襤褸錦』を通しで。第三部の『女殺油地獄』は貸切で切符がとれず断念。
かつては東京での公演はもちろん、関東近辺での巡業、大阪国立文楽劇場公演、それに小さなホールで行われる素性瑠璃の会から神奈川県の山奥の神社で行われた奉納文楽に至るまで、すべて観なければ気がすまないほど文楽に嵌っていた時期もあったのですが、ここ数年、人形遣いの吉田玉男師がなくなられて以降は劇場に足を運ぶことがありませんでした。
ひさしぶりに劇場で文楽を観て、技芸員さんたちの頭に白いものが増えたというようなことが印象的でした。それよりもブランクを感じたのは、登場人物の思考回路に同調するのが難しかったこと。
近松門左衛門作の『鑓の権三重帷子』にせよ、三好松洛、文耕堂作の『敵討襤褸錦』にせよ「義理」という、現在では理解しにくい規範によって左右される人間の悲劇を主題にしたものであり、現代の感覚で観ると不条理劇に近い異様な物語です。それでも『鑓の権三』に登場するおさゐという女性が嫉妬にかられて破滅する様には、グロテスクなほどのリアルさがありました。このグロテスクさを美に昇華する技巧こそが、伝統の芸というものの力なのでしょう。

・近頃自分自身の興味が俳句から離れているということを感じます。俳句を作ることにも読むことにも心が向きません。これは周期的なものであり、しばらくすればまた元に戻るはずですが、執筆のペースは落ちてしまいそうです。
そんなわけで今回記事はお休みとさせていただきます。

先週あたりからついに症状が出はじめた花粉症が関係しているのかもしれません。


書物の影 第七回

書物の影 第七回

                       ・・・堀本 吟

第二章 A—2 大本義幸・句集『硝子器に春の影みち』ノート

句集も生きている      

【二A−2の はじめに 】

一冊の本を何人かが読むと云うことは、総合的なコミュニケーション空間を育てて、作者も読者もそこの場も、その本も、本の中の句も、全体的に成熟してゆくのである。このように使えば、俳句も俳句集も、いわゆる書物も、当分は滅びない。読まれれば読まれるほどその句集から様々の意味がたちのぼり、その世界全体に磨きが掛かってくる、成長してくる、そういう言葉の集積した句集がある。

句集の個性も十人十色なのである。同じ耕衣の弟子で、前衛的作風の先端を云っている河原枇杷男と安井浩司では、その抽象化の本質的な違いがどこにあるか、そう解ることの意味がどこにあるのか、というような問いに、明快に応えられる人は少ないであろう。自分の俳句観に照らして、それが好きかそうでもにないか、という相対評価しかかできない場合がある。或いは攝津幸彦と坪内稔典は、いわば青春の同志である。しかし、この半世紀の歳月は、おおきく彼らの表現のカラーや活動のフィールドをかえた。かれらのばあい、俳壇での知名度が安定しているので、そこにのって少しづつ評価を積み重ねてゆけば、まあ現在時での一般的なりかいはえられるだろうし、俳句史というのはそのような書物化の過程をとおったものだけが記憶されてゆく。

彼らのように独特の高度の思想性やみごとな技巧の名句が並ぶときに、それが正当に理解され読まれて行くことになんの異存もない。
だが、私は今回、大本義幸の句集をいただいて開いて、つくづく考えた。これはお金を払って(わずかなりでも身銭を切って)読もう・・。何冊も積み重ねられてきた俳句の教科書の基準から見れば、原石の生の光、と言いたい玉石混淆のものだ。また、ひじょうにそのときの自分の境涯に呪縛された題材がでてくる。(日常詠とか存問、と言うようなものも、考えてみれば「自分の境涯に呪縛された題材」ではあるのだが、そういうのともすこしちがう、自己一個の感傷をただちに地続きに普遍的な場にもってゆこうとする、個人性の強い句集なのである。

大阪の句会仲間で話したときに。野口裕が、「年譜を傍に置いて読むとようわかる」といったのである。これが私も同感であり、大本義幸句集のひとつの特徴であることはたしかなのである。作者を離れて読んでも面白いものは実はたくさんはっけんできる。しかし。年譜を読むことで一層その中の言葉の周辺に空気が立ちこめる。全部のことを彼は記してはいないはずなのに、私たちはなんとなく、この少年期からの半生が解ったような気になる。

で、不思議な錯覚になるが、大本義幸の境涯そのもの仮構された小説のようにさえ感じられる。(私は津澤マサ子の俳句にこれに近い印象をもったことがあるのだが、まあこのことの検証は後のことだ)。

くどいようだがくりかえしておく。
この句集がひじょうに魅力的だとしたら、もちろん彼一個の俳句的想像力への共鳴がその源泉であることはたしかなのだが、作品に触れたものの心に、かならず何かの感傷をよびさます、そういういわば過度の叙情の力がうごめいていることを強調したい。そこにひそむ語り手の感傷の大きな力をみとめて、ここに詩の原初を認めざるを得ない。大本義幸の「俳句」群には、そのような意味での抒情というものの造形力が認められる。

【 そのころの思い出 】
一九七〇年〜八〇年ごろ、学園紛争とそのあとの大衆化状況のなかに。新しい俳句の時代の橋渡しとなったニューウエーブ達と知り合ったのが、私の俳句修行のはじまりである。(一九八三年、第五回全国俳句ゼミナール)。坪内稔典中心の「現代俳句」は、十五号十六号目の刊行。ミニコミ誌としても最ももりあがった時期は過ぎていた。この年は、高柳重信、中村草田男という私が、本の中の俳人として遠く畏敬していたあこがれの人たちが死去。竹中宏、大串章等が創刊して、メンバーが入れ替わった戦後第三次「京大俳句」が、江里昭彦によって終刊(一九八三)。「現代俳句」はもうすぐ終刊します、という坪内稔典の予告通り、それは二十巻で終刊(一九八五・三)。(坪内氏からバックナンバーをかなり頂戴した。以後ぽつぽつとあつめて、現在欠号は第十一集のみ)。「豈」は、手元のものを見ると三号(一九八三)。世代交代はそのころからいわれはじめていた。

『硝子器に春の影みち』は、「現代俳句」の編集部にその人あり、と知られ、「豈」の創刊同人でもある大本義幸の「句集」であり、そのころから現在までのほぼ全句集である。彼の俳句人生の現在。「豈関西句会」や「北の句会」への出席や交流のことは、書かれていないが、後半部分の「薄氷」の章にある攝津幸彦の死を愛惜する句は、「北の句会」を舞台に生まれたものである。

【 現在の俳句的付き合い 】
大本義幸と親しくなったのは、「現代俳句」終刊後「船団」に関わり、また、私が迷った末「豈」入会を果たし、「船団」と両立できるかとおもったが、実際上無理で、実際の交流は攝津幸彦の死の前後「豈」関西句会がはじまったときだろう。攝津幸彦の命日前後になると、大本義幸が追悼句をもってくる。あるメンバーが、句会にそう言う個人的な「ケ」の句を出してはいけないのだ、と言って、議論になったことがある。とにかく私たちの句会は、「ケ」であろうが、「私」であろうが、逆にきわめて記号的な言葉遊び風なのも何でもでてくる。加えて川柳人が川柳を提げてくると、やはりこれも十人十色(一枚岩でないということ)で、まともに「私」的なものも、極端に「私」をぬけようとしているものもあり百家争鳴と言うべきテイであった。)、中でも、大本義幸の「私性」は発想のもともとからのものなので、何を詠んでも「これは、大本義幸の実存の感覚的なところからきた実感だ」と思わしめるのである。だから、なかなか的を射た面白い批判ではあったのだ。

句集にもでているが、

わたくしがやんばるくいな土星に輪
マフラーをいただきまする幸彦の
くれるなら木沓がほしい水平線


こういう俳句にあっても私などは、大本義幸の一種閉塞感が、まともに伝わってくる、言葉になったものを現実感に即してばかり見ていたら、それは罠におちることなのであるが、でも、「やんばるくいな」になって大本義幸は、わっかをかけられた遠い惑星を見ている、攝津幸彦の形見のマフラーを首に巻いて。
ああ、でも、だれかがまた形見をくれるなら「木沓」がほしい。水平線をぷかぷか浮いてここをこえてゆけるような・・・

めちゃめちゃな解釈だから笑って貰っても良いが、恣意的に取り出したこの三句をならべたとたんに交感してゆく有形無形の情緒、それの質というのは、まるで俳句の形を借りた私小説空間だ。もっとも身近な自己書物化の仮構の場として、これらの定型の枠を使っているのではないか・・そういう取り方をしてしまうのだ。

【抄出・『硝子器に春の影みち』 】
 ともかく、私はさっそく句をリストアップした。
 
(引用)  
巻頭の章
枯れ笹を渡る蝶よ 向こうも枯原だ
ひとりで歩くと闇がつめよる思春期の 

巻末の章
海を照らす雷よ苦しめ 少年はいつもそう

高校二年から、63歳のいままでの45年間のほぼ全句集である。(あとがき)
                        (以上句集より引用)
配列が製作順だとしたら、この期間は四十年間。誰が選句したとしても少年性と一種のダダイズムはかわっていない。巻頭と巻末の句が、おなじ頃のさくだとしたら(調べてはいないが)、彼は少なくともこの五十年のスパンを生きのびた思春期の出発点の文学的動機をかえようとはしてこなかった、善し悪しはべつとしてみごとな文学的非転向の姿勢である。
坪内、攝津と彼の大きな違いは或いは、こういうところにあるのだろうか?

(引用)
第一章《非(あらず)》

まぼろしの獣が嘗める目の火傷
ひるすぎのコップの中に水座る
夏の闇生毛のごときをつれきたる
風の鳥一樹に集うはすべて白し

第二章《朝の邦》

泥土に生まれて母かやわらかき唇をもつ
風は国境を煽る砕けた虹は納屋にある
硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ
「生きるは悪か」口中深く葡萄詰め
まだ女鹿である朝のバタートースト

第三章《薄(うすらい)氷》

豆腐屋にあつまる死人をかぞえてもみた
TOKYOは秋攝津幸彦死す

黄落は黄泉の津波か幸彦忌
マフラーを頂きまする幸彦の

第四章《冬至物語》

第一夜

黄塵にとりまかれつつ夢を出る

第二夜

一夏〈どすこい〉狂って水晶
一夏〈どすこい〉乳房は鉄路
一夏〈どすこい〉情事と天体
一夏〈どすこい〉ゆくぜ寛章 
市街過ぎゆけりちいさき兜子なり

第三夜

京都雨、人間の肉淫らなれ

第四夜

瓦礫あゆむ猫も戦後の娼婦かな

第五夜

風鰯一戸は葡萄雲に憑き

第六夜

三島忌の花屋の奧の波止場かな

第七夜

ヒロヒトという月見草が咲いている

第八夜

肛門にどこかしたしい赤トンボ

第九夜

火渡周平てふ男あり淡きセレベス
挽夏かなプールで響くビートルズ


第五章 《拾遺・硝子器に春の影みち》

硝子器に春の影さすような人
冬の波病葉の如きを連れてくる
桜闇戸障子すこしあけておく
くれるなら木沓がほしい水平線
コスモスはかたかなで書く花さようなら


「硝子」は大本義幸の初期からのモチーフである。
「硝子」は、触れることが、ためらわれる何かなのである。それは、現代社会を写し出すものでありながら、冷たく拒絶を含むものとして存在している。/その底には大本のロマンチシズムが胚胎している。
 大井恒行(解説、帯)。
                    (抄出 おわり )

【 同時代という感傷 】

 ・・初期の

ひとりで歩くと闇がつめよる思春期の 《巻頭の章》 
海を照らす雷よ苦しめ 少年はいつもそう (⇒「雷」に「らい」とルビ) 《巻末の章》
泥土に生まれて母かやわらかき唇をもつ 第二章《朝の邦》
硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ

 私はこういう俳句好きだ。「この感傷、解る気がする、こんな時代だった。」と、云うのが声に出さない呟きだった。同時に、「時代」といったとたんにこの句集からなにかが滑りおちていった。「同時代」といういい方・・言葉にとってこれほどあいまいな無責任なレッテル張りはない。これらの「感傷」はおいつめられて、比喩に転化しているものだし。詩性を盛り込んだ現代俳句なのである。でも、いうならばやはり「同時代」という呪縛で彼のことがわかってくるのだ。

まだ女鹿である朝のバタートースト  大本義幸
麗かな朝の焼麺麭はづかしく(⇒「焼麺麭」に「トースト」とルビ)  日野草城

と、同じモチーフの両句をならべてみると、新興俳句を切り開いたひとり、大論争をまきおこした日野草城の《ミヤコ・ホテル》の連作句よりも一編の一行詩として、完成度が高い。この違いは時代的な女性観や恋愛観などの認識が違うと言う文化上の問題と、もう一つ表現に、つまりその詩性のポイントがおおきくちがっている、草城の時代には、新婚初夜を詠ったということの衝撃度がたかく、「トースト」という食べ方のいわばハイカラな風俗性が全面出でていた。大本義幸のこの句には、トーストの焦げた茶色に鹿の体の模様を想い出させ、それがしかも「牝鹿」というので、これが、性愛の一夜を過ごした女のしかも若いしなやかな肉体のメタファ、二重の世界がここにダブっているのである。現代詩の「喩」の考え方がはいってきている。草城の時代にはでていなかった技法である。

大本義幸がくれた手紙のなかに「みんな四十五年前の僕についてはなしてくれている」、というような一節があったことを想い出すのだが、草城との連関をいうと、四十五年前にすでにちがってはいるが、どちらも都会的な恋愛の風俗詩であることに共通点がある。

大井恒行の解説にある
引用
「硝子」は、触れることが、ためらわれる何かなのである。それは、現代社会を写し出すものでありながら、冷たく拒絶を含むものとして存在している。/その底には大本のロマンチシズムが胚胎している。 大井恒行(解説、帯)

と言う一節。この「硝子器」を喩として捉えるのは私たちには既に常識的な理解法だろう、しかし、「硝子器」は「硝子器」そのものだ、という考えも成り立つ、それがこの俳句の世界の言葉の理解法だ。

(引用)
硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ
硝子器に春の影さすような人

  
「硝子器」を「現代社会をうつしだすもの」と理解する大井恒行はただしい。作者への同世代、同時代的シンパシィ。大本義幸の理解はまず、この一歩から始まるのだ。
しかし、大本の言葉も、大井の言もその通りであるが、作者が、そういう風に句を差し出しているので、先ずその同時代の雰囲気の中に還ってこの世界を鑑賞しようと思っているだけなのである。別の読み方もあるはずである。
同時代、であることは、必ずしもその句集の最重要時ではないことがある。
でも、なぜ。大本義幸俳句の鑑賞に、この時間意識が重要におもえてくるのだろう。「硝子器」はただのガラスの器。には違いないが、大本義幸がこう書き大井恒行がこうよむと、ここには抜きがたい身体の気配が立ち上がる 

この句集は、だから、さきにいったように、一番わかりやすい読み方は、全身で戦後世代の嚆矢の青春を生きてきた少年、時代の波に浸り込んだかつての「少年」ののこしたことばだからこそ、ひかっている、と言うべきだ。
そしてその次の段階では、時代への大本の共感力がよほど、強かったのか、それとも、小さな個人的なきっかけを、言葉の世界にもちこむ観念力が強いとか、強い自己愛の持ち主であるとか、色々分析しながら、「文学」の本質として、時代の社会性や、身体の肉体の温みをくわえることがその表現技法の鑑賞を損なわないものか?この視点からも一度考えて、より深く彼の言葉の素質をてらしだそうと、私のメモ帳はうめられてゆく。ともかく、この世界に向かう小さな個人の小さいが故の力、におおきな感慨を持つのである。

きょう、句会仲間で彼の句集を読んで、祝賀会に代えるようおともう。たくさんの「五句選」があつまっている。すでにあらわれている句集表もあつめてみた。
読む人が、自分のスタンスをあきらかにしたくなるような ふしぎな煽動性をもつ俳句集なのである。 《以下続09年2月22日 》

引用句にかなり入力ミスがあったので、編集者にご無理を言って訂正させて頂きました。作者はご不快だったと思いますので、お詫び致します。読者もご海容願います。(2月24日)


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俳句九十九折(25) 俳人ファイル ⅩⅦ 金子明彦・・・冨田拓也

俳句九十九折(25)
俳人ファイル ⅩⅦ 金子明彦

                       ・・・冨田拓也

金子明彦 15句
 
めつぶれば秘かにまはる風ぐるま
 
君はきのふ中原中也梢さみし
 
釘打ってさんた・まりあを額となす
 
氷片をタオルにつつみうしなへる

あさゆふの女人とびたちゆくごとし
 
ゆく雁の涯にし紙を燃やしける
 
祭きて青空はいづこにもありぬ
 
巷ふとひろしりれき書わたさざる
 
すすりたればつめたき皿のしまはるる
 
自転車に乗らざる綿を売りにゆく
 
しづり雪皿の触れあふ音のする
 
帚草時計鳴り出づ刻来しか
 
ノヴァリスの小説さみし乾あんず
 
ひとわれも死のふしぎ水盤の水
 
かりがねのそれより宙の絶えて無し

 
 

略年譜
 

金子明彦(かねこ あきひこ)
 
昭和2年(1927) 兵庫県姫路市生まれ。
 
昭和17年(1942) 句作開始 「琥珀」「火星」に投句
 
昭和21年(1946) 下村槐太に師事「金剛」創刊に参加 「太陽系」にも参加
 
昭和27年(1952) 「金剛」廃刊
 
昭和28年(1953) 堀葦男、林田紀音夫とともに「十七音詩」創刊
 
昭和32年(1957) 堀葦男、林田紀音夫が「十七音詩」を離れたため句作中断 小説の執筆
 
昭和37年(1962) 小説「格子の外」(『文学61』1号)で 第47回直木賞候補 その後、小説執筆を中止
 
昭和38年(1963) 下村槐太の俳句復帰による「天涯」の創刊 句作再開
 
昭和41年(1966) 12月下村槐太逝去
 
昭和48年(1973) 下村槐太の句集『天涯』を編集、出版 
 
昭和49年(1974) 休刊状態にあった「十七音詩」を復刊
 
昭和52年(1977) 『下村槐太全句集』
 
没年不詳

 

A 今回は金子明彦を取り上げます。
 
B 大阪の俳人下村槐太の弟子の一人ですね。
 
A 下村槐太をその死後、地道に顕彰し続けてきたのが金子明彦でした。
 
B 下村槐太の『天涯』、『下村槐太全句集』を編纂したのも金子明彦ですね。
 
A この作者については私もそれほど詳しいことを知っているわけではなく、残された資料もあまり多くはないようです。
 
B 句集についても1冊も存在しないようですね。
 
A 『十七音詩』28号(昭和49年1月)に、この金子明彦の250句が掲載されており、今回の作品の選はこの資料によるところが大きいです。
 
B 金子明彦について触れている文章は、私の知る限りでは、
 
塚本邦雄 『夕暮の諧調』(1971) 「きみはきのふ 現代俳句試論」
 
〃    『百句燦燦』(1974)
 
坪内稔典 『土曜の夜の短い文学』(1981 関西市民書房)
 
川名大 『現代俳句 上』(2001年 ちくま学芸文庫)
 
そして、この金子明彦の俳誌「十七音詩」くらいでしょうか。
 
B この金子明彦の略歴を見ていくと、句作を始めたのは15歳ごろのことであるとのことです。
 
A その後、昭和21年に下村槐太に師事し、同じ時期「太陽系」に所属し日野草城の高い評価を受けていたそうです。
 
B 「太陽系」については、当時貧しい学生だったため、会費が払えず、後に退会することになったそうです。
 
A 下村槐太の「金剛」に、昭和27年に廃刊されるまで編集に従事。
 
B 昭和28年には、堀葦男、林田紀音夫とともに「十七音詩」を創刊し、その後二人が「前衛俳句」の「海程」へと向かい離れていくなかで句作を中断。
 
A そして、その後、小説の執筆を始め、昭和37年には「格子の外」で第47回直木賞候補に挙がっています。
 
B 私はこの金子明彦の小説については一つも読んだことがないのですが、「十七音詩」48号の北条沖也の「金子明彦覚え書ノオト」によると〈彼の小説が発表されるごとにその同人雑誌は、新聞・雑誌の批評欄で激賞されるのが常であった。〉とのことです。
 
A そしてこの後、〈昭和三十七年のこの直木賞候補にあげられたころから、明彦は小説を書かなくなってしまう。〉〈「文芸」の編集方針が大幅に変更され、河出書房新社の新編集者と金子明彦との間に一もめあり、すっかり嫌気がさしたようであった。〉とのことで小説の執筆をやめてしまったそうです。
 
B その後の昭和38年ごろ再び句作を始め、昭和48年には「十七音詩」を復刊。
 
A そして、その後は「十七音詩」において句作や下村槐太の顕彰を続け、現在では既に故人となっておられるようです。 
 
B 平成19年に角川学芸出版から出た『平成秀句選集』に物故俳人の作品を年代順に掲載した「平成俳句年表」があるのですが、その中において、平成9年に1句が掲載されていて、この頃まではまだ存命であったということは確かであるようです。
 
A この金子明彦について、現在の関西俳人のどなたかにお窺いすればその辺りの事情について少しは知ることができるかもしれません。
 
B こういった金子明彦の来し方を見てみると、どちらかというとやや異色の経歴の持ち主であることがわかりますね。

A 下村槐太の弟子であり、日野草城から評価され、その後小説で直木賞候補となるも、編集者とのいさかいで執筆中止。その後はずっと評論などによって下村槐太の顕彰に努めたということになるようです。
 
B では、その作品について見てゆきましょう。
 
A まずは〈めつぶれば秘かにまはる風ぐるま〉を選びました。
 
B この句は「太陽系」昭和21年7月号において日野草城選の巻頭となった5句のうちの1句であるそうです。
 
A この時作者の年齢はまだ10代の終わり頃ということになりますね。
 
B 随分若い頃の作品ということになります。
 
A 作品内容については、割合確固とした構成でありながらも、少し変わった印象を受けるところのある内容の句というべきでしょうか。
 
B 「めつぶれば」という表現からそのような感じを受けるところがありますね。
 
A 眼をつむるという行為と、風車が回るという事実には、常識的に考えれば関連性が認められません。
 
B それに、普通に考えてみると、眼をつむれば、風車が回っているかどうかということはよくわからなくなるはずです。
 
A 目をつむった状態から、かすかに風車の回る音が聞こえてきたということなのかもしれません。
 
B あと、なぜ眼をつむれば、なぜ風車が回り出すことになるのかという点についてはいまひとつ釈然としないところがありますね。
 
A たまたま風が吹いたというだけのことであるのかもしれません。
 
B 単純にそういった偶然性が関与しているというべきでしょうか。そう考えると、目をつむった状態で風車の回る音だけでなく、春の風の吹いている感触も感じられるところがあるようです。
 
A また、この句は瞼の裏に映る心象風景を句にしたものであると読むこともか可能であると思います。
 
B この句はそのように解釈した方が自然であるかもしれませんね。
 
A 続いて〈君はきのふ中原中也梢さみし〉を取り上げます。
 
B この句は『十七音詩』28号(昭和49年1月)によると、昭和23年から26年の作であるとのことです。

A 作者の20代前半の頃の作品ということになるようです。
 
B 金子明彦といえばやはりこの句ということになるのでしょうね。塚本邦雄、川名大、坪内稔典もその文章において、この句を大きく取り上げています。
 
A 他の作者の実作への影響も少なくないようで、長岡裕一郎に〈きみはきのふここち裾濃に琥珀いろ〉という句があり、そして歌人の荻原裕幸さんにも〈「きみはきのふ寺山修司」公園の猫に話してみれば寂しき〉という本歌取りの作品があります。
 
B しかしながら、この句はつくづく不思議な印象の作品ですね。
 
A まず「中原中也」という人名がそのまま使用されています。またこの句における別の特徴として無季であるということがあげられます。
 
B それでも無季作品であることの弱さを感じさせないのは、やはりこの「中原中也」という固有名詞によるイメージの喚起力が強く働いているためでしょう。
 
A また、全体的にこの句は散文的なコードでは、単純にその意味内容を理解することができないようなところがありますね。
 
B まず「君」が誰をさした言葉であるのか理解できません。男性であるのか、女性であるのか、または他の猫などの動物のことを指しているのか。それとも、それこそ「中原中也」自身をさす言葉であるのか。
 
A また、同じようによくわからないのが「きのふ」という言葉です。「君はきのふ」という表現は、単純に考えて、君は昨日は中原中也だったけれども、今日は中原中也ではないといった内容を意味するものであると解していいのでしょうか。
 
B やはりいまひとつ意味内容が判然としないところがありますね。
 
A 「中原中也」について少しふれると、中原中也が亡くなったのは昭和12年です。そして、この句は先ほどもふれたように昭和23年から26年のものです。
 
A 中也の死と、この句の制作年次には、およそ十数年ほどの歳月の隔たりがあるわけですね。この句が書かれた当時はどちらかというと、まだ中原中也の存在とその死はそれほど昔のことではなかったといっていいのかもしれません。
 
B それで「君はきのふ中原中也」という表現が生まれたということなのでしょうか。
 
A 実際のところはよくわかりませんが、そういった事実が関与している可能性も考えられなくはなさそうではあります。
 
B あと、昭和22年には、大岡昇平の編集によって創元社から『中原中也詩集』が刊行されています。
 
A この句が成立するほんの数年前ということになりますね。この詩集の存在もこの句の誕生の背景にはあったのかもしれません。
 
B 金子明彦自身による、本人の述懐(『十七音誌』39号「下村槐太秀句覚え書 8」)によると、当時は〈諏訪優や片桐ユズルらの同人詩誌『聖家族』『KAST』などで詩を書いたりしていて、俳句は寡作であった。〉とのことです。
 
A こういった詩の世界からの影響というものも考えられそうです。
 
B そして、この句の下五についてですが、「梢さみし」という表現が来ます。
 
A 「梢」がさみしいというのもよく考えればなかなか感覚的な表現であるといえると思います。「梢」そのものがさみしいということなのか、それを見上げてる「自分」がさみしいのか。
 
B 師の下村槐太に昭和18年作の〈つみふかき女人と梢(うれ)の雪を見し〉という句があります。この表現については、この句からの影響が考えられそうです。
 
A とするとこの句の「梢」の読みは「こずえ」ではなく「うれ」である可能性が高そうですね。
 
B 川名大さんはこの句のこの「梢」の読みについて「うれ」というより読み方よりも〈音韻的にも、イメージ的にも「こずえ」の方が、挫折の淋しさに照応する。〉としています。
 
A しかしながら、やはり「こずえ」では音韻として、6・7・6ということになり、やや全体的に冗長ともいうべき印象となってしまうのを免れ得ないところがある気がします。
 
B 「こずえ」だと、「君はきのふ中原中也梢(こずえ)さみし」ということになりますから、やはりこういった読みでは下五がやや鈍重な印象となってしまうようですね。
 
A それに対して、「君はきのふ中原中也梢(うれ)さみし」という読みの方が、下五が軽やかでシャープな印象になるような気がします。やはり、「梢」は「うれ」と読むのがいいのではないかと思われます。
 
A この句の背景についてですが、先ほどの句だけではなく下村槐太には〈河べりに自転車の空北斎忌〉という句が昭和23年にあり、この句も金子明彦の句の背景には存在すると考えてもおかしくはないのかもしれません。
 
B なるほど。金子明彦の句にしても槐太の句にしても、対象となっている人物の俤が、広い空のスクリーンに髣髴と映し出されるような共通点があります。
 
A 下村槐太が空に思い描くのは北斎であり、金子明彦が思い描くのは中也ということですね。
 
B 槐太の場合はそれこそ「芭蕉」であってもいいようなところもあります。
 
A この金子明彦の句については、結局のところ、「君」、「きのふ」、「中原中也」、「梢」、「さみし」という言葉で構成されているということになります。
 
B 「きのふ」という表現からはおそらく1句のうちに「時間性」を取り込もうとする意図があるのではないかと思います。
 
A 確かに、金子明彦には他には、〈あさゆふの女人とびたちゆくごとし〉〈あさゆふの風くらし麺麭を喰べこぼす〉〈あさゆふに苜宿撒きて絶後とす〉〈海浪をきのふぞ見たるけふも見し〉〈ユッカ咲きリヤカーまれにかよひける〉〈氷片をタオルにつつみうしなへる〉〈肩たたく女ゐて牛けふも居ぬ〉など時間の推移を1句のうちに詠み込もうと意図したような句がいくつもあります。
 
B こういった時間性の操作もおそらく師の下村槐太からのものであるのだと思います。下村槐太にもこの時期〈祭りあはれ夕焼がさし月がさし〉〈夜の霜いくとせ蕎麦をすすらざる〉〈夜いたく更けてふたたび蚊食鳥〉〈昼となく夜となく立ちて寒念仏〉〈らちもなき春ゆうぐれの古刹出づ〉〈切岸にけふも馬立つ春惜しむ〉〈また眠りたれば朝焼すでになし〉などといった時間を重層的に取り込んだ句がいくつも見出すことができます。
 
A 過去の時間を1句のうちに抱え込ませることによって、作品の内容に幅と厚みを持たせることができるわけですね。
 
B さて、ここまで、この句における意味内容や、下村槐太の作品からの影響を見てきましたが、ここで中原中也の作品からの影響というものも少しふれておきたいと思います。
 
A 今回、中原中也の詩について『中原中也全詩集』(2007年 角川ソフィア文庫)で一応全て目を通してみたのですが、この句における「きのふ」、「梢」、などといった言葉から感じられる「はるけさ」や「喪失感」といったものは、やはり中原中也の作品世界から齎された部分が大きいのではないかという気がしました。
 
B 〈君はきのふ中原中也梢さみし〉の「きのふ」、「梢」という言葉に関連性のある内容の中也の詩をいくつか抜粋しておきます。
 

「きのふ」 

「黄昏」 〈失はれたものはかへつて来ない。〉
 
「失せし希望」 〈暗き空へと消え行きぬ/ わが若き日を燃えし希望は。〉
 
「修羅街輓歌 Ⅱ 酔生」 〈私の青春も過ぎた、/――この寒い明け方の鶏鳴よ!/私の青春も過ぎた。〉
 
「雲」 〈近い過去も遠いい過去もおんなじこつた/近い過去はあんまりまざまざ顕現するし/遠いい過去はあんまりもう手が届かない〉


「梢」

「逝く夏の歌」 〈並木の梢が深く息を吸つて、/空は高く高く、それを見てゐた。〉
 
「臨終」 〈しかはあれ この魂はいかにとなるか?/うすらぎて 空となるか?〉
 
「ゆきてかえらぬ」 〈棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者(みより)なく、風信機(かざみ)の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。〉
 
「言葉なき歌」 〈あれはとほいい処にあるのだけれど/おれは此処で待つてゐなければならない/此処は空気もかすかで蒼く/葱の根のやうに仄かに淡い〉
 
「古る摺れた」 〈「空は興味だが役に立たないことが淋しい/――精神の除外例にも物理現象に変化ない」〉
 
「干物」 〈外苑の舗道しろじろ、うちつづき、/千駄ヶ谷 森の梢ちろちろと/空を透かせて、われわれを/視守る 如し。〉
 
「月はおぼろにかすむ夜に」 〈月はおぼろにかすむ夜に/杉は 梢を 伸べてゐた。〉
 
「暗い公園」 〈雨を含んだ暗い空の中に/大きいポプラは聳り立ち、その天頂(てつぺん)は殆んど空に消え入つてゐた。〉


A 中原中也の詩には、過去に対する喪失感とともに、随分と空や梢など高いところを仰ぐようなモチーフのものがいくつも散見されるところがありますね。
 
B 〈君はきのふ中原中也梢さみし〉における「さみし」といった感情が中原中也の詩には底流しているようです。
 
A この句における「さみし」という箇所は「さびし」ではなく、「さみし」なんですね。
 
B 結局、金子明彦の句は、もう帰って来ない「きのふ」や、手の届かない「梢」、そしてもはやこの世には存在しない「中原中也」といった、「遠いい」ものの「さみし」さを詠った句である、ということなのでしょう。
 
A 続いて〈釘打ってさんた・まりあを額となす〉を取り上げます。昭和23年から26年の作です。
 
B 「さんた・まりあ」は聖画で、それを飾るために釘を壁に打ちつけたということになると思います。
 
A 釘を打つという行為から、当然ながら「磔刑」が想起されてきます。
 
B マリアの画を懸けるために、釘を打ち、その行為からイエスの磔刑が連想される、それだけでも怖ろしいところがありますが、さらにそこから「原罪」という概念が否応なく自らの意識にせり上がってきてしまうようです。
 
A 釘を打っているのは自分自身の行為ですから、まるでイエスの手の平に釘を打ち付けているかのような感じにやや近いものがあります。
 
B 「私」の荒涼とした心象が感じとれるようですね。
 
A 続いて〈氷片をタオルにつつみうしなへる〉を取り上げます。昭和23年から26年の作です。
 
B ここにも先ほどの句にも見られた、時間性の操作ともいうべき手法が駆使されていますね。
 
A 「つつみ」と「うしなへる」の間にある時間が一気に省略され、約められているようなところがあります。それこそ時間が編集されているとでもいった印象でしょうか。
 
B 氷をタオルに包み、それが時間の経過とともに溶けて消えてしまったというだけの内容なのですが、仄かな「かなしみ」のようなものが感じられるところがあります。
 
A なかなか繊細な印象の作品ですね。金子明彦の句は全体的に少しメランコリックなところがあるようです。
 
B 続いて〈祭きて青空はいづこにもありぬ〉です。
 
A なんだか少し変わった表現の句です。
 
B 「青空はいづこにもありぬ」という表現がそのように感じさせるところがあるのでしょう。「祭」ですから季語は夏です。普段の日常とは異なる祭の「ハレ」の雰囲気の中における夏の青空。その青空の下、他の場所でもここと同じように祭が行われているという当たり前の事実を詠んだ句であるといえます。
 
A 祭というものは当然ながら本来楽しい行事であるはずなのですが、どこにでも青空はあり、祭もまたどこででも行われているなどということを考えているわけですから、この作者の意識は祭のさ中であってもやや醒めているようなところがあるようです。
 
B また、この句では、「青空」は、当然のことながら何処にでもある風景ですが、わざわざそのことを言葉へと形象化し、作品のうちに詠み込んでいるわけですね。
 
A 俳句という文芸には、それこそ取るに足らないといってもいいような当たり前の事実に着目し、それを様々なかたちで言語化し、形式のうちに充填することによって、作品を成立させ得ることができるというやや特殊な側面があります。こういった俳諧的ともいうべき手法を感じさせるところが、やはり下村槐太門の作者といった感じがします。
 
B そうですね。いくつかそういった表現の例句を挙げると、
 
目刺やいてそのあとの火気絶えてある  下村槐太
 
赫っと向日葵夜でなく昼でなく  小金まさ魚
 
傘干すや雨も未来のものの一つ  火渡周平
 
青ぞらのけふあり昨日菊棄てし  林田紀音夫
 
などということになります。金子明彦には他にも〈自転車に乗らざる綿を売りにゆく〉という句がありますが、この句もそういった系統の作として数えることができるでしょう。
 
A 続いて〈巷ふとひろしりれき書わたさざる〉を取り上げます。昭和23年から昭和26年の作です。
 
B なんだかそれこそ短編小説の一場面を切り取ったような作品ですね。
 
A ディテールのみを切り取って、その全体を仄めかす、というのは俳句の得意とするところのものであるということができるでしょう。その俳句における特性がよく発揮された句であると思います。
 
B 一部分であることの強みとでもいうべきものでしょうか。それはまた同時に俳句という文芸の欠点でもあるのという側面も当然ながらあるのでしょうが……。
 
A この作品の内容についてですが、職を求める日々の中で突然世の中が途方もなく広いものに感じられてしまうという心細さと不安感、そういったものが表出されています。
 
B 「ふと」にその心情がよくあらわれていますね。
 
A ひらがなの多用から想起される子供っぽい印象が、「私」の心の弱さを表しているようでもあります。
 
B ひらがなはやはりどちらかというと幼児的な印象を読者に与えますね。この句ではそういったところから、まるで世の中で自分が迷子になってしまったような不安感、気弱さが感じられます。
 
A 続いて〈すすりたればつめたき皿のしまはるる〉です。昭和23年から昭和26年の作です。
 
B こういった句は、俳人以外の読み手にはちょっと理解しづらいところがあるでしょうね。
 
A 周辺のあらゆる事象を削ぎ落とし「皿」という物質の実在感のみを中心として作品が成立しているところがありますから、やはり俳人以外の読み手にはどこが面白いのかさっぱりわからないという可能性がありますね。
 
B 一応、季語は「つめたき」で冬ということができますが、この句は冬以外でも意味内容は通用するようなところがあるので、さほど季語による季感には拘る必要はないのかもしれません。
 
A やはりこの句の中心にあるのは「つめたき皿」のみですね。周辺の人々(少なくとも2人)とその行為などは脇へ追いやられています。
 
B 食事をしている人と、皿を片づける人が存在していることは一応わかります。
 
A それでも1句の主眼はやはり「皿」ということになりますね。
 
B そういったところから、すこし火渡周平の〈石の上又石の上歩きをり〉〈飛行機が扉をとざし飛行せり〉を思い出しました。
 
A 2人は同じ下村槐太門です。それにこれらの作は大体同時期のものなのではないでしょうか。
 
B 金子明彦の作には火渡周平の作品による影響も少なからずあったのかもしれませんね。
 
A あとこの句にも時間性の操作とでもいった手法が駆使されていますね。
 
B 先ほどのいくつかの句にも見られましたが、過去と現在による連続した時間の繋がりを編集して組み合わせているところがあります。
 
A 続いて〈ノヴァリスの小説さみし乾あんず〉を取り上げます。
 
B 全体的にすこし感傷過多なところがあるでしょうか。
 
A 「さみし」はすこし余分というか、それこそ作品そのものを甘くしているところがありますね。
 
B 「乾あんず」との取り合わせによって、やはり若い青年の手になる作品らしいところがあるとはいえそうではあります。
 
A 「ノヴァリス」は「ノヴァーリス」ともいわれる1772年から1801年におけるドイツロマン主義の詩人の1人です。そのノヴァーリスの小説ですからおそらく「青い花」でしょう。
 
B このようなところからも金子明彦の「詩」への憧憬というか、傾斜のようなものが窺えますね。
 
A こういったところが同門の、セレベスから畳を持って帰ってきたリアリストである火渡周平とは異なるところなのでしょうね。
 
B 確かに火渡周平の徹底したニヒリスト振りと比べると、やはり金子明彦には「詩人」的な「弱さ」、または「甘さ」のようなものが感じられる側面が随所に見られます。
 
A そういった側面が、作品の上に功を奏すこともあれば、悪く作用している側面もあるようですね。
 
B 当時の金子明彦はまだ20代前半の青年ですから、作品の上にそういった感傷的な「甘さ」ともいうべき傾向が認められるのも、よく考えれば当然という気もしますが。
 
A そうですね。同年代の林田紀音夫の作品にもそういった傾向が認められるところがあります。
 
B 林田紀音夫の場合は金子明彦との作品と比べて、「甘さ」というよりもややペシミスティックな側面が感じられる傾向があるように思われます。
 
A 続いて〈ひとわれも死のふしぎ水盤の水〉です。昭和26年から昭和27年の句です。
 
B 水盤は、底の浅い平らな陶製または金属製の花器のことですね。盛り花や盆栽・盆景などに使います。
 
A 人である自分、その存在が死んでしまうことの不思議さを、水盤の水にうつる自身の影を眺めながら考察しているということのようですね。
 
B 林田紀音夫の〈死は易くして水満たす洗面器〉という句の存在を思い出しました。
 
A この句においてもひらがなの表記が、先ほどの「りれき書」の句と同じように一種の幼児性を感じさせるところがありますね。
 
B 子供というものも割合死について考えているようなところもありますから、これはある意味では童心の1句といえるのかもしれません。
 
A 死ぬことも「ふしぎ」なら、このように現在「ひと」として生きて存在していることもまた人智を越えた「ふしぎ」ではあります。
 
B そういったこの世界そのものの「ふしぎ」さらにいえば「謎」に、ふと目を向けたような作品ということができそうですね。
 
A 最後に〈かりがねのそれより宙の絶えて無し〉を取り上げることにします。
 
B どこかしら散文性を峻拒しているような句ですね。金子明彦には他に〈ゆく雁の涯にし紙を燃やしける〉という句も存在します。
 
A それこそこの句は石田波郷の句集に紛れていてもおかしくないような作品ですね。
 
B やや解釈が難しいところがありますが、こういう句をみると金子明彦はやはり下村槐太の弟子であるということを感じさせられるところがあります。
 
A 季語はおそらく「かりがね」で秋でしょう。
 
B 「宙」は「そら」と読むのか、それともストレートに「ちゅう」と読むべきなのか、判じ難いところがあります。
 
A 下村槐太に〈寒木の宙かすむ日の紙芝居〉という句がありますから、「宙」は「そら」ということでいいのではないかと思われます。
 
B 意味内容としては、秋の空に雁が渡ってきて、その風景のほかには「宙」というものは存在しないという風に解することができそうです。
 
A そう考えると、雁の渡る空を賞美した句であるということであるのかもしれませんね。
 
B また、単純に雁が病気や何かの理由で飛べなくなったことを詠んだ句であるのかもしれません。
 
A そのように解釈すれば、ややかなしい印象の句ということになります。芭蕉の〈病雁の夜寒に落ちて旅寝かな〉が思い浮かんできます。また、他に、猟銃で撃たれたなどと解釈することも可能でしょうか。
 
B 「それより」の「それ」の意味の不確定性から、この句は様々な解釈が可能であるということがいえそうです。
 
A さて、金子明彦の作品を見てきました。
 
B 今回抄出したの句の多くは昭和23年から昭和27年あたりのもので、それ以後の作品からは1句も選出しませんでした。
 
A 単純にその昭和23年から昭和26年あたりがこの作者のピークということになるのでしょうね。昭和28年以後の作品には残念ながら正直あまり心を魅かれる作品がありませんでした。
 
B ちょうどこの昭和27年に師の下村槐太が〈心中に師なく弟子なく霞みけり〉と詠み、主宰誌「金剛」を廃刊、弟子からも離れ句作を放棄してしまいます。
 
A 今回この事実に気付いた時、正直驚くところがありました。
 
B 結局、金子明彦の俳句作者としての生命は、師の下村槐太とともに殉じることになったということになるのでしょうね。そういった事実がやはり作品の上に如実にあらわれています。
 
A 坪内稔典も〈金子は、昭和二十年代に俳人としては夭折したのだろうか。〉と書いていますが、その裏側にはこのような事情があったということなのでしょうね。
 
B 今回の抄出した句だけ見ればさほど目立たないと思いますが、昭和28年以後の作品だけでなく初期及び昭和23年から昭和27年までの作品も含めて、塚本邦雄も指摘しているようにその作品は全体的に〈欠陥だらけ〉であるということができます。
 
A 確かにその通りなのですが、そのうちのいくつかの句については、その「舌足らず」でやや稚拙な表現ながらも、どこかしら他の作者の句には見ることができない不思議な魅力を宿した稀有な作品であるという気がします。
 
B そうですね。もしかしたら作品表現におけるそのような一種の稚拙さこそがこれらの作品における一つの魅力となっていると考えることもできるのかもしれません。今後もこの金子明彦の作品のいくつかは、私にとっては忘れることのない作品となることと思います。

 

選句余滴
 
金子明彦
 
子の頭さだかに青き端午かな ⇒「頭」に「つむり」とルビ
 
馬具飾る足ゆびいとも柔かき
 
菜畑の花の映つれる扉をひらく
 
初蛙白昼とほく火の焚かれ
 
薄き戸を敲くは誰ぞ明易き
 
夜祭にゆかむと梳きし髪青き
 
冬の蜂わが読み飽くる馬太伝
 
大学にゆきたし葱の花ちさし
 
頭もさむし電流断たれたる架線
 
鉄橋やのみあましたる氷水
 
蛇の頭はちさしレールの遂にながき
 
十字架に西日照ひてありにけり
 
凍蝶や女を置きて誰と死なむ
 
大学にかよへるシャツの袖ながし
 
ユッカ咲きリヤカーまれにかよひける
 
風呂にゆきひと肋膜をわづらへる
 
あんず咲き相かなしむは梢の上
 
桐の花ワイシャツ洗ふ君羨し
 
女きてよべのカンナをさらひける
 
ともどもに涯にもゆきてもどりける
 
あさゆふの風くらし麺麭を喰べこぼす
 
郵便や黄落の中往きもどる
 
梯子かけて濃き朝陰をのぼりけり
 
帚草風に自転車たふれける
 
かぎろふや扉をさしけふもこもりける
 
ものがたりするしばらくの夕霙

 
 
俳人の言葉
 
下村槐太は、昭和二十七年に作句をやめることを宣言した。そのとき、俳人・槐太は死んだ。以来、金子は、中也の言う「奉仕の気持」で師の愛した俳句にかかわっているのかもしれない。「愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません」と言う中也は、それでも自殺ができずにながらえているなら、「奉仕の気持に、ならなけあならない」と哀しくうたった(「春日狂想」)。
 
坪内稔典 「青春の歌 金子明彦」『土曜の夜の短い文学』より

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八木忠栄・武田肇

俳句の余白
八木忠栄句集『身体論』及び
武田肇句集『ベイ・ウインドー』を読む


                       ・・・高山れおな

以前このブログで、高岡修の詩と俳句を紹介した時に、高橋睦郎を別格として、詩人の俳句のレベルはどうもあまり高くないのではないかという意味のことを書いた(第十二号)。その考えに変わりはないが、ともあれ詩人たちの俳句が、専業俳人のプロフェッショナリズムとは一線を画し、過剰に質にこだわり過ぎない鷹揚な魅力を持っていることは確かだろう。中でも作家(詩人でもある)の小沢信男を中心にしてはじまった余白句会(*1)は、清水哲男、井川博年、八木忠栄、辻征夫(故人)、多田道太郎(故人)、アーサー・ビナード、今井聖(この人は専業俳人ですが)といったメンバーを擁する詩人たちの句会として、俳壇番外地風の存在感を放っているのは周知の通りだ。

余白句会の詩人の句集としては、『んの字 小沢信男全句集』(*2)、辻征夫『貨物船句集』(*3)、清水哲男『打つや太鼓』(*4)などが手元にあって、昨年、そこに八木忠栄の『身体論』(二〇〇八年八月九日刊 砂子屋書房)が加わった。この『身体論』をご紹介したいが、その前に上記三冊の句集を少しだけ覗いておきたい。『んの字』では、〈月島西仲通り〉と前書のある、

学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地

と、表題句である、

んの字に膝抱く秋のおんなかな

あたりが代表句か。「余白句会調」なるものを想定してよければ、このもんじゃ焼きの句などはまさにその典型だろう。すなわち、上昇志向は野暮として退け、下降とまでは言わずとも小成に安んずる心意を粋として共感を寄せるふうである。低い視線で庶民生活をスナップする人事句が多く、自然詠はほとんどない。総じて有季定型の規範に忠実で、文体はわりあい保守的、ただし切れ字は目立たない。と、書いたそばから「秋のおんなかな」と、切れ字が出てくるのは具合が悪いけど、この句にしても他の要素はおおむね上に述べたような特徴に適合しそうだ。

もんじゃ焼きの句を含む「東京百景」の章は、小沢の初期作品からなっており、九十句の全てに前書がついているのも珍しい。これは小沢の俳句の教科書が、久保田万太郎だったためらしい。〈当時は久保田万太郎句集一冊がお手本で、他は眼中になし。万太郎句にはしばしば魅力的な前書きがあって、その模倣をこころがけました。〉と、「あとがき」にある。この前書の力を大いに展開させたのが、「足の裏」の章に収める妹君逝去に際しての連作。「鳥渡る 実妹伊藤栄子を送る」とタイトルの付された全十句を引いておく。

  「栄子がもうダメです」
汝が夫の夜寒の電話こらえ泣く

  入院40余日「脚なんか、ほら、骨と皮」
足裏のなおやわらかく冷まじく  
⇒「冷」に「すさ」とルビ

  気胸後遺症の肺活量ついに30と
その肺で夜長の空気吸いきれず

その肺でこの白髪まで露の世を

  吾は胸郭成形手術で生きのびて
肺病の兄妹なりき吾亦紅

千歳飴わけてしゃぶりし日もありき

  通夜へ、人身事故により電車遅延
毀れやすきものひしめくや月の駅

  告別式、路傍の子らの声
死んだひとの車がゆくよ秋の野辺

  火葬場にて
孫の画と菊を抱いて焼かれけり

鳥渡るはらからの骨ひろうとき

多田道太郎による跋には、〈葬の前後、何十時間かの物語俳句になっていて、読む人を悲傷の共感に誘わずにいられません。〉とあってその通りだが、評者としてはとりわけ七句めの前書と句のみごとさに打たれる。前書にさりげなく置かれた「遅延」の語に、何か万感とでも言いたいような響きがある。その遅延の時間が、「毀れやすき」心と身体とを持ちながら「ひしめく」群集の存在へ目をひらかせるのだが、この「月」ほど美しい月も滅多にないだろう。ちょっと、芭蕉の〈数ならぬ身となおもひそ玉祭り〉を思い出させる。

月といえば、辻征夫の遺句集『貨物船句集』には、

満月や大人になってもついてくる

がある。先ほど芭蕉を引いたが、こちらはさしずめ李白の「月下独酌」の余白句会版か。童画のようななつかしげな構図のうちに、〈我歌へば 月 徘徊し/我舞へば 影 零乱す〉という詩句の薄っすらと狂気を纏ったエクスタシーにも通う気配が揺曳する。辻の句集にはこんどは小沢信男による跋が付されており、「満月や」の句は辻が死去する三ヶ月前、参加した最後の句会に出句したものだと解説されている。最高点を取ったそうだが宜(むべ)なるかな。『貨物船句集』全体の水準が必ずしも高くない中で、掲句は抜きん出ている。この一句を得んがための、辻晩年の俳句遊歴であったかとさえ思う。

清水哲男は、「増殖する俳句歳時記」(*5)の仕事でも知られるように、俳句とのかかわりは少年時代からと筋金入りで、定型を操る自在さは辻征夫などをはるかにしのぐ。『打つや太鼓』では、こんな句にひかれた。

雪降るとラジオが告げている酒場
ぱかんぱかんの灰皿洗う春の暮
お話がありますと言い枯れにけり

例えば、この「雪降ると」の句でも「ぱかんぱかんの」の句でも、清水のある日の実体験を詠んだものとしてなんの問題もないはずなのだが、にもかかわらずそう言い切るのに一抹の躊躇を覚えるのは、そこに庶民生活の典型性を演出するような匂いを感じるからで、このかすかな演出感・演技感のようなものがつまり余白句会調なのかと思う。そこへゆくと今回の本題、八木忠栄の『身体論』はどうか。開巻早々、

底冷えの底にまたがり脱糞す
あつさりと睾丸にぎる春の医者

などという句に出くわす羽目になって、ここには多少の露悪趣味はあるにせよ、余白句会的な演出性とは微妙に異なる詠み口を感じる。もちろん、一方には、

歌舞伎町チンピラ風情が「もう秋か!」
道後の湯秋ぢや秋ぢやと沈みけり

といったあからさまな余白句会調もまま見られるから、八木の独自性をあまり強調しすぎてもいけないだろうけれど。

本書をまとめる段階で、身体というものにこだわっている自分が改めて見えてきた。作っているときにはまったく意識していなかった。なぜ身体なのか? それもよくわからない。突然「身体論」という言葉に摑まれてしまった。そのことを、今はもっともらしく検証なんぞしたくない。ご覧の通り無骨な身体である。

「あとがき」ではこんな調子で句集名の由来が語られていて、なるほど、たまさか跨った和式便所に底冷えの底が抜けたような侘しさを感じるのも身体なら、当たり前の医療行為だと頭ではわかっていても大のおとなが他人に睾丸を握られる馬鹿ばかしさを強いるのも身体に違いない。もっとも、「身体というものにこだわっている」のは八木だけの話ではなくてほぼ万人がそうなので、八木が特異だとすればそれが「こだわり」の系列として見えてくる程に身体を俳句に詠もうとしていることであろう。で、実際、『身体論』にはどんな「身体」があるのだろうか。

雪ごんごん亭主黙々臓物捌く  ⇒「臓物」に「もつ」とルビ
雪激し魚の臓物洗面器
臓物の位置を正して冬ごもり
すさまじや臓物さぐるドクタア
霾るや臓物うたひだす真昼

まず目につくのは、端的に「臓物」を詠んだ句。これは捌かれた魚の臓物であったり、作者自身の臓物であったり、なんだかわけのわからないものの臓物であったりするようだ。先ほども「春の医者」が登場したが、またも「ドクタア」が顔を見せている。はっきりとはわからないながら、身体へのこだわりには、六十代に入っての作者の肉体の現実が大きな影を落としているということなのだろう。臓物五句のうちでは、〈臓物の位置を正して冬ごもり〉が殊に俳諧。「冬ごもり」という季語はそれ自体身体性に由来しているとも言え、例句のうちにも、

冬ごもり又よりそはむ此はしら  芭蕉
眼ばかりは達磨にまけじ冬籠  来山
白粥のあまりすゝるやふゆごもり  去来
冬籠目のくたびれる明り窓  杉風
いねぶりて我にかくれん冬籠  蕪村
身に添てさび行壁や冬籠  太祇
冬籠顔も洗はず書に対す 正岡子規
人間の海鼠となりて冬籠る  寺田寅彦

と、いった調子でその性格をより強く打ち出しているものも少なくない。ただ、未だ重んじられているものの、近世とは社会の条件が異なりすぎて、どうかすると句が嘘臭くなりがちな、現在では遣うに難しい季語でもある。八木の「臓物の位置を正して」という把握は、今日的な新しみを探り出し得ていて、なかなかの好句かと思う。八木はまた、

女性器といふ器あり冬ごもり
冬ごもりふぐりにぎつてをるのだよ

とも作っていて、「冬ごもり」という季語本来の身体性が、八木自身の身体意識を刺激しているさまはいよいよあきらかだ。もっとも、前者は破礼句としてもいただけない失敗作だし、後者は嫌味はないものの何やら中途半端に終わっているが。

遠花火身をゆだねればもうひとつ
ほうとあく女のくちからほたるほたる
青すだれ女ゆつくり割れてくる

性愛の世界を暗示するものとしては、こうした句がある。どれも巧みに幻想的な絵を見せるが、そのぶん既視感がまとわりついてくる。

風光る雲のきんたまぶうらぶら
早春の雲は乳房を出したがる
花の闇にも肉の闇ぎつしりと
稲妻や唇から唇へあばれ馬
  ⇒「唇」に「くち」とルビ

これらはあるいは、身体を介しての自然詠と称すべきものかもしれない。中では、四句目の“暴れ”ように最も引かれる。くちびるからくちびるへ奔る「あばれ馬」が、性愛を暗示するものなのか、あるいは単に言葉の寓意なのか、しかとはわかりかねるが、評者自身は前者にやや傾きながら受け取っている。

野良犬のふぐりは貧し敗戦日
八月が棒立ちのまま焦げてゐる
花粉症ニッポン国がつんのめる


国家意識とまで言ってしまうと大袈裟だけれど、身体を通じて描いた「ニッポン国」の図、三題。三句目が良いと思う。

痰を吐き唾吐きひとり冬田行く
酔ふて夜半冬のバケツを抱き踊る

身体性を踏まえた句の中では、この二句の苛立たしげな表情に最も共感した。一句目は、「冬田行く」が心象の寓意とも取れるのが弱点といえば弱点で、あくまで眼前の景の直叙として味わいたい。二句目。「春の医者」というフレーズが前に出てきたが、ここにも「冬のバケツ」という言い方があって、表現としては拙劣の謗りを免れない。「春の医者」はたしかに春だし、「冬のバケツ」はなるほど冬だ、という意味で嘘はないのが救い。以下、身体性云々とはかかわりなく、興に入った句を幾つか。

薬局もポストも化けよこの暑さ
りんご齧るてんでに写楽の貌をして
たはむれにたはむれせんと夏座敷
年の瀬の仁王雑踏まで出てこい
初席やとんで出てくる漫才師

これら、いささか面白すぎる句かもしれない。ではこんなのは?

花吹雪肩ぐるまの子消されゆく

肩車された子供をかき消すほどの花吹雪とは誇張もはなはだしいけれど、「消されゆく」のは実は視覚ではなく記憶なのだと気づけば、これは誇張でもなんでもない。眼前の景によって、子供だった自分が肩車された時間、自分の子供を肩車してやった時間がよみがえり、そのことがまた過ぎ行くものとしての自覚を呼び覚ますのである。

      *      *       *

武田肇の『ベイ・ウインドー』(二〇〇九年一月九日刊 銅林社)もご紹介しておく。これも詩人の句集とはいえ、余白句会系のそれとは全くおもむきを異にする。この人が編集している「ガニメデ」(*6)という詩誌は、毎号三百頁を超えようかというボリュームで、海外詩の素晴らしい翻訳や当代知名の詩人の新作が載っている一方、どうかすると自称詩人に近いような人の作品までが並んでいて、玉石混交これに過ぎたるはない。評者も求められて石の方を百句投じたことがあるが、圭角に富むらしいこの詩人は自身作句にも熱心で、『ベイ・ウインドー』はすでに三冊目の句集にあたる(*7)

「ガニメデ」という誌名は木星の衛星に由来し、さらにさかのぼればゼウスに誘拐された美少年ガニュメデスに由来する。こんどの句集もカヴァー画として、男性ヌードばかり描いたことで知られるヴィクトリア朝の画家ヘンリー・スコット・テュークの代表作《八月の青》(ロンドン、テート・ギャラリー蔵)をあしらっていて、武田の美的志向が奈辺にあるかはあきらか。中身もそれを裏切らない。

男娼や江戸の暮春を嗅ぎ分ける
蠶屋の少年に裏藉りるとは
⇒「蠶」に「かひこ」、「藉」に「か」とルビ
春月に少年の種はじけ飛ぶ
少年にへこも齧ひ込む夏の月
  ⇒「齧」に「く」とルビ
少年も手の飛魚も裸かな
湯をはじく少年の膚ながれぼし

他にもあるが、まずはこんなところ。中では五句目の「裸」の一語は素晴らしい。それにしても、全体として趣味性が先立つ印象が強いのは、武田の責任なのか、当方のセクシュアリティの貧困の責めに帰すべきなのか。素直に良いと思ったのは、

朧なりわれ印歐語族ならず
花の晝もえる地球を逖見かな  
⇒「逖」に「とほ」とルビ
蛤に精神が出かゝつてゐる
うつはものふせれば物の囀るや
白鷺城に骨組見たり夏の蝶 
 ⇒「白鷺城」に「はくろじやう」とルビ

といったあたりの、文明批評の匂いを感じさせる作。それから、

男は湯へ女は雪へ歸るかな

やはり当方には、少年愛の世界よりはこの方が味わい深い。〈女人咳きわれ咳きつれてゆかりなし  下村槐太〉の句と同様に、掲句の男女にも「ゆかり」はないものと読みたい。


(*1)「余白句会会館」
http://homepage.mac.com/yohaku/Menu7.html
(*2)『んの字 小沢信男全句集』 二〇〇〇年 大日本印刷ICC本部
(*3)辻征夫『貨物船句集』 二〇〇一年 書肆山田
(*4)清水哲男句集『打つや太鼓』 二〇〇三年 書肆山田
(*5)「増殖する俳句歳時記」http://zouhai.com/auth.html
(*6)銅林社発行
(*7)第一句集『星祭』 一九九三年 銅林社
第二句集『海軟風』 二〇〇八年 銅林社

※八木忠栄句集『身体論』及び武田肇句集『ベイ・ウインドー』は、
  著者より贈呈を受けました。記して感謝します。

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死と詩と俳句
高岡修句集『蝶の髪』『透死図法』及び『現代詩文庫190 高岡修詩集』を読む・・・高山れおな →読む

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■関連書籍を以下より購入できます。






2009年2月15日日曜日

第27号




第27号

2009年2月15日発行

匿名批評をめぐる高柳重信の発言とそれに対する山口優夢氏の異論、並びに高山れおなによる回答

                      →読む

全体と全体以外

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          ・・・関 悦史   →読む

俳句九十九折(24)

俳人ファイル ⅩⅥ 野見山朱鳥

          ・・・冨田拓也   →読む

「―俳句空間―豈」47号の俳句作品を読む(7)

塩の手で(「俳句最恐説」をめぐって)――同人作品掲載順13

          ・・・中村安伸   →読む

 

あとがき           →読む

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あとがき(第27号)

あとがき(第27号)


■高山れおな

関悦史氏の「全体と全体以外――安井浩司的膠着について」は、「―俳句空間―豈」本誌第47号に発表された「浩司的膠着」を、四倍強に敷衍したロングバージョンである。すでにショートバージョンを読んだ段階で、安井浩司論は正岡豊の「光の行方」、志賀康の「ありかの詩学」とこれがあればもう充分なのではないかと思ったが、このロングバージョンにいたっては、正岡・志賀の論からも一頭抜きん出た、安井浩司論の不動のメルクマールとなるものではないかと思う。欣快に堪えない。あとはこの全体見取り図に沿いつつ、細部の読みをどこまでも豊かにしてゆけばよいのである。


■中村安伸

・先日ハンブルクバレエの来日公演『人魚姫』を鑑賞しました。
長袴や隈取りなど、歌舞伎の要素を取り入れた演出も面白かったのですが、ジョン・ノイマイヤーの振付けによりシルヴィア・アッツォーニが演じる人魚姫はとりわけ素晴らしいものでした。
人魚として生を受けた喜びを饒舌にあらわす身体。それが一転して、凌辱されるように強引に人間の脚を与えられたのちの、あまりにもリアルな痛みと苦しみの表現には、息がつまりそうになりました。
物語は基本的にアンデルセンの「人魚姫」にのっとったものですが、独特なのは、創造主としての「詩人」が、影のように人魚姫に寄り添っているという点です。もちろんこの詩人はアンデルセンその人ということになるのでしょう。彼が自己の抑圧された感情を人魚姫に投影したという構図を取り入れているわけです。
詩人と人魚姫がともに昇天するという結末はやや通俗的かもしれませんが、自らの作品に殉じるという、詩人として究極の姿を見せつけられた気がして、打ちのめされました。

・匿名批評についての山口優夢氏の意見に対して、高山れおな氏の回答が示されました。私もコメントもしくは次号の記事にて所感を述べさせていただこうと思います。

・冨田拓也氏が今回とりあげておられる野見山朱鳥は、虚子門下のなかでも独特の、強烈な映像喚起力をもつ俳人というイメージですが、晩年にはより観念的な方向に進んだという印象をもちました。

・先週ご紹介したオーストラリアの詩のウェブマガジンン『コルダイト Cordite』の俳句特集、更新が続いています。ぜひご覧ください。


「―俳句空間―豈」47号の俳句作品を読む(7) 塩の手で(「俳句最恐説」をめぐって)――同人作品掲載順13・・・中村安伸

「―俳句空間―豈」47号の俳句作品を読む(7)
塩の手で(「俳句最恐説」をめぐって)
――同人作品掲載順13

                       ・・・中村安伸

■倉阪鬼一郎「人形刑」

俳句作品の読解、批評において「恐怖」というファクターを導入することの有効性、あるいは面白さについてのヒントを与えてもらったという点で、倉阪氏の作品と短文は、私にとって示唆に富むものであった。

倉阪氏の連作に付された短文は「俳句最恐説」と題されており、俳句が短歌に比較してより「恐い」ということを、小説の短編が長編に比べて「恐い」ということと同期させて述べているのであるが、小説と俳句との比較はなされていない。

「恐怖」とは自らの生命や財産が危険に瀕している状況において感じるものだろう。小説や映画の読者・視聴者は、登場人物が体験する恐怖を追体験するのであり、人物への感情移入の度合いが深いほど、感じる恐怖もまた深くなるのであろう。

倉阪氏の連作が、読者に恐怖を体感させることを目的にしたとは書かれていないが、もしそうだとしても、正直に言えば小説や映画で体感されるような恐怖を、これらの句ではほとんど感じることができなかった。

映画や小説であれば、いかに短編であろうと、登場人物の境遇に読者をシンクロさせるための仕掛けを用意することができる。しかし、俳句で同様のことを行おうとしても、結局は状況の断片を提示するだけにとどまってしまうのであり、登場人物、あるいは俳句の作中主体が体験する恐怖を読者に追体験させるところまで至るのは困難であろうと思う。

さて倉阪氏の連作中、恐怖を体感できるかどうかは別として、以下に挙げる句には興味をひかれた。

地上の道を歩けば遠き寒の星

描かれているのは寒夜、星空の下をゆく孤独な道のりだが、言外に天上の道程が暗示されることで、神聖な色合いを帯びた句となっている。

赤いリボン骨に飾つて卒業す

白骨死体となって卒業を迎える少女ということなのだろうか。しかしこの句から感じられるのは恐怖というより、ブラックユーモアに近い笑いの感覚である。

春陰のどこかが漏れてゐる気配

日常にひそむ不安感をシュールレアりスティックに表現したもので、恐怖に近い感覚であるといえるかもしれない。「気配」という語でぼかされた表現が緊張感を削いでしまった面は否めない。

春昼の半眼のもの前へ出よ

件の匿名対談でもB子氏が指摘されているとおり、白泉の〈玉音を理解せし者前に出よ〉を本歌としたものであろう。「前へ出よ」と命ぜられているものが仏像、もしくは仏像同様の表情をしたものであるということは、非常にナンセンスで滑稽な景であるといえる。そのナンセンスが成立するために「春昼」という季語が果たしている役割は無視できない。
春昼という語にふくまれる明るさ、あたたかさのなかには、感覚を麻痺せるものがあり、幻想的な景を許容させやすくするはたらきがあるのだ。

俳句において読者が恐怖を感じるとすれば、それは世界そのものの安定や調和が崩れてゆくときの恐怖であろうと思う。そうした点で私がこの連作で最も「恐い」と感じたのは、以下の句である。

手毬つくその塩の手で塩の手で

この句はもちろん攝津幸彦の〈塩の手で触る納戸の日章旗〉を本歌とするものだろう。そして、攝津の句の最も「恐い」部分を抽出して増幅させたような句である。しかし倉阪氏の句と、攝津の句のどちらがより「恐い」かということになると、攝津の句のほうが恐い気がする。倉阪氏の句のほうは「塩の手で」というフレーズのリフレインによって、絶大な恐怖感を体感できそうなのだが、上五の「手毬つく」がリフレインの謎を解いてしまい、破壊力を削いでいる気がするのである。

「塩の手で」というフレーズは「恐い」ものである。

あえて言うなら「塩の手」とは、調理のために塩がついてしまった主婦の手であり、同時に塩でできた手、たとえば旧約聖書『創世記』でソドムとゴモラが滅ぼされたとき、後ろを振り返ったため塩の柱にされたという、ロトの妻の手でもあり、その他いろいろなイメージを包含する多義的なフレーズである。

しかし、これを短歌や小説のなかに置いたなら、文脈においてそれがどういう「塩の手」なのか説明されてしまい、恐さは消えてしまうだろう。俳句という、わずかな語によって形成された独立小宇宙の中であるからこそ、このようなフレーズの多義性が成立するのである。そしてこの多義性によって、作品小宇宙が崩壊の予兆をはらむとき、読者は恐怖を体感することになるだろう。そのような意味においてこそ「俳句最恐説」は成立するのだと思う。

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俳句九十九折(24) 俳人ファイル ⅩⅥ 野見山朱鳥・・・冨田拓也

俳句九十九折(24)
俳人ファイル ⅩⅥ 野見山朱鳥

                       ・・・冨田拓也

野見山朱鳥 15句
 
犬の舌枯野に垂れて真赤なり
 
火を投げし如くに雲や朴の花
 
雪渓に山鳥花の如く死す
 
冬日よりあをくイエスを描きたる
 
秋風や書かねば言葉消えやすし
 
かなしみはしんじつ白し夕遍路
 
わが中の破船を照らすいなびかり
 
降る雪や地上のすべてゆるされたり
 
永劫の涯に火燃ゆる秋思かな
 
仰臥こそ終の形の秋の風
 
わが中に道ありて行く秋の暮
 
月光は天へ帰らず降る落葉
 
雪嶺を光去りまた光射す
 
つひに吾れも枯野のとほき樹となるか
 
眠りては時を失ふ薄氷

 
 

略年譜
 

野見山朱鳥(のみやま あすか)
 
大正6年(1917)  福岡県鞍手郡直方新町生まれ
 
昭和17年(1942) 句作開始
 
昭和20年(1945) 「ホトトギス」に投句 高浜虚子に師事
 
昭和24年(1949) 『菜殻火』主宰 『純粋俳句』
 
昭和25年(1950) 第1句集『曼珠沙華』
 
昭和27年(1952) 正式に『菜殻火』創刊 『忘れ得ぬ俳句』
 
昭和29年(1954) 第2句集『天馬』
 
昭和33年(1958) 波多野爽波、橋本鶏二、福田蓼汀らと「四誌連合会」結成
 
昭和34年(1959) 第3句集『荊冠』
 
昭和37年(1962) 第4句集『運命』
 
昭和40年(1965) 「四誌連合会」解散
 
昭和41年(1966) 入院のち自宅療養
 
昭和42年(1967) 「ホトトギス」同人、俳人協会会員を辞退
 
昭和43年(1968) 『川端茅舎』
 
昭和44年(1969) 『川端茅舎の俳句』
 
昭和45年(1970) 逝去(52歳)
 
昭和46年(1971) 『野見山朱鳥全句集』(第5句集『幻日』、第6句集『愁絶』を含む)
 
平成4年(1992)  『野見山朱鳥全集』(梅里書房)全4巻
 
 

A 今回は野見山朱鳥を取り上げることにします。
 
B 高浜虚子の晩年における弟子の一人ということになりますね。
 
A 名門「ホトトギス」における最後のプリンスといってもいいのかもしれません。
 
B 「ホトトギス」の昭和21年12月号(600号)で虚子選の巻頭を飾り、第1句集である『曼珠沙華』の虚子の序文〈曩に茅舎を失ひ今は朱鳥を得た〉はあまりにも有名です。
 
A 野見山朱鳥は1917年生まれですから、年齢の近い作者としては、1914年生まれの桂信子、1919年生まれの森澄雄や佐藤鬼房、金子兜太、鈴木六林男、1920年生まれの飯田龍太、三橋敏雄ということになりますが、現在の眼から見ると、これらの作者たちと比べて野見山朱鳥はあまり同時代の作者といった印象が薄いようなところがありますね。
 
B 野見山朱鳥は1970年に52歳で亡くなっていますから、もう少し生きながらえていれば、また違った印象となっていたのかもしれません。
 
A それだけ他の同世代の作者たちと比べて早くに亡くなっているということなのでしょう。
 
B では、その作品について見てゆきましょう。
 
A まず〈犬の舌枯野に垂れて真赤なり〉を取り上げました。
 
B この句は昭和20年の作だそうです。朱鳥は昭和17年ごろから句作を始め、昭和20年から高浜虚子に師事し「ホトトギス」へ投句を始めます。
 
A この句は投句を始めた年の句ということになりますね。
 
B この句については、よく見ると相当異様な句だという気がします。
 
A あらゆる植物の枯れ尽くした風景を背景に垂れ下がる暖かく赤い犬の舌。その犬の下を「真赤」とやや過剰に誇張して表現したわけですね。
 
B それゆえ枯野の色と犬の舌との鮮烈なコントラストが、読者に強い印象を齎すということになります。
 
A こういったやや過剰な表現が野見山朱鳥の特色でもありますね。
 
B 次の〈火を投げし如くに雲や朴の花〉にもそういった傾向があります。
 
A この句が「ホトトギス」の昭和21年12月号(600号)の誌上において〈なほ続く病床流転天の川〉の句とともに虚子選の巻頭に選ばれた句です。
 
B 夕焼けもしくは朝焼けに照らされた雲の様子を「火を投げしごとく」と表現したということですから、やはり少し過剰なところがありますね。
 
A 他にもこの時期には、昭和20年の〈蝌蚪に打つ小石天変地異となる〉、昭和21年の〈曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて〉〈寒紅や鏡の中に火の如し〉、昭和23年の〈飛び散って蝌蚪の墨痕淋漓たり〉などがあります。
 
B 「赤」や「火」といったキーワードが目立つようです。
 
A こういった作品から感じられるやや「通俗的」な側面もこの時期の朱鳥の特徴です。
 
B 続いて〈雪渓に山鳥花の如く死す〉を選びました。第2句集『天馬』所載の昭和27年の句です。
 
A 雪渓とは、高山の斜面のくぼみや谷に夏になってもなお雪が溶けずに大きく残ったもののことです。その高山の残った雪の上に、鳥が羽をひろげて花のように死んでいるということになります。
 
B 山口誓子の〈鶫死して翅拡ぐるに任せたり〉を思わせるようですね。
 
A 続いて〈冬日よりあをくイエスを描きたる〉取り上げました。第3句集『荊冠』所載の昭和28年の作です。
 
B なんだか妙な印象の句ですね。
 
A イエスの肌の白さ、というか青白さ、それを絵画として絵具で描いているのでしょう。
 
B 一見すると「冬日」と「あをく」で爽やかな印象が感じられるところがあり、そこから中村草田男の〈冬空をいま青く塗る画家羨し〉を連想されるようなところもあります。
 
A しかしながら、読後その意味内容を理解すると、単に爽やかさのみではなく「イエス」の肌の「あをさ」を表現したものであるということがわかります。
 
B 「あをく」がイエスの受難の姿を連想させ、その美しさと共にやや凄絶で不気味な印象をも齎せられるところがありますね。
 
A 続いて〈秋風や書かねば言葉消えやすし〉を取り上げます。同じ『荊冠』の昭和28年の作です。
 
B 先ほどのイエスの句といい、なんだかあまり「ホトトギス」調ではなくなってきているような印象がありますね。この句ではモチーフが単に「花鳥諷詠」のみではなく、「言葉」の方が主体になっているようにも感じられます。
 
A この第3句集の前の第2句集でも〈双頭の蛇の如くに生き悩み〉〈炎天を駆ける天馬に鞍を置け〉〈なきひとに導かれゆく野分かな〉などという句が見え、この『荊冠』でも〈封筒の内は水色春の月〉〈運命の一糸乱れず枯野星〉〈稲妻の照らす脳裏になにもなし〉などといった句が見られます。
 
B 朱鳥はこの第3句集『荊冠』の半ばあたりから、「ホトトギス」の「花鳥諷詠」に対して「生命諷詠」といった概念を主張するようになってゆきます。
 
A 続いて〈かなしみはしんじつ白し夕遍路〉です。第3句集『荊冠』の昭和32年の作です。
 
B 白は当然のことながら遍路の装束であり、また、それだけでなくそこには作者の心象の投影も認められるようです。
 
A 朱鳥にはこういった「かなしみ」などといった露わな感情表出の句が少なくないようで、〈風悲し枯草ふれて礎石鳴る〉〈大干潟立つ人間のさびしさよ〉〈火鉢の火せつなきまでにしづかなり〉〈野火の色かなしきまでに光背に〉などといった作品も見えます。
 
B このような傾向もまた朱鳥の作品における通俗性をやや強めている側面があるように思えます。
 
A なんだか、野見山朱鳥にはそれこそ悪い見本といってもいいような作品がちらほら見受けられるところがありますね。
 
B そういった作品の中でも〈旅かなし銀河の裏を星流れ〉あたりは割合成功作であるといえるのではないでしょうか。
 
A 「旅」と「かなし」と「銀河」ですから、それこそ大変べたな言葉で構成されています。しかしながら、「銀河の裏」を「星が流れ」るというやや意表をついた表現によって、一句が通俗な抒情に陥ってしまうのをかろうじて防いでいるようです。
 
B 続いて〈わが中の破船を照らすいなびかり〉を取り上げます。第4句集『運命』所載の昭和32年のものです。
 
A もはや「ホトトギス」の「客観写生」からは随分と遠くなってしまった印象がありますね。
 
B 自己の内面世界の表出とでもいったところでしょうか。
 
A 正直、この句を今回の15句選のうちに取り上げるべきかどうか迷いました。
 
B 現在の眼から見るとやはり少しチープな印象を免れ得ないところがありますね。
 
A 「破船」と「いなびかり」という取り合わせからはやや通俗的ながらも、ある種の危機感もしくはドラマ性といったものが感じられるところはあると思います。
 
B しかしながら、やはり、自分の身体の内部に何かが存在しているという表現は、非写実的な表現においては大変常套的な手法であるといえます。
 
A 高屋窓秋の〈頭の中で白い夏野となつてゐる〉あたりからこういった表現が多く見られるようになった可能性が考えられそうですね。
 
B 朱鳥には他にもこういった〈わが中の洞窟に棲み冬籠〉〈わが中に鷹の羽音や怒濤見る〉〈わがなかにゐて銀河より遠きひと〉〈わが中を軌条走りて寒星へ〉〈わが中の露けき神の中のわれ〉などといった同工の表現がいくつも見られます。
 
A 続いて〈降る雪や地上のすべてゆるされたり〉です。第4句集『運命』の昭和35年の作です。
 
B 非常に大きな景を捉えた句ですね。
 
A 確かに「地上のすべて」ですから、大きな把握ということができます。
 
B その「地上のすべて」が、降ってくる「雪」によって許される、ということでしょうか。
 
A 雪の白さによって、あらゆるものがつつみこまれ、浄化されるということなのであるのかもしれません。
 
B 非常に静かな世界が描かれています。また「ゆるされたり」という言葉からは、なんだか「聖書」の世界を思わせるところがあるようですね。
 
A キリストの関係の作品が朱鳥には数多く見られます。
 
B 朱鳥にはキリスト教、聖書の世界が大きな影響を与えていたようですね。
 
A こういった志向も「ホトトギス」の「花鳥諷詠」と距離を置くようになっていった理由の一つに数えられるのかもしれません。
 
B 野見山朱鳥は、昭和42年に「ホトトギス」から脱退し、俳人協会の会員も辞退することになります。
 
A 続いて〈永劫の涯に火燃ゆる秋思かな〉です。この句は第4句集『運命』の昭和35年の作です。
 
B この句では広大な時間の把握が特徴的ですね。
 
A 時間的思惟とでもいうべき句でしょうか。この世界の中で果てしなくそれこそ「永劫」に流れ続けてきた時間、そしてその「永劫」の「涯」として存在する現在。その気の遠くなるようなスケールを包括するこの世界の本質について、眼前に燃えさかる火を見ながら考察をしているようです。
 
B 永劫の果てに存在する目の前の「火」。それは人類が動物の進化の過程において最も新しい時である現在、即ち時間の「涯」である現在においてようやく手にしたものであるということもできそうです。
 
A その「火」を見ながら、そういった広大な時間の流れについて「秋思」しているということなのでしょうね。
 
B まるで「私」が神話の住人であるかのような印象があります。
 
A 大変スケールの大きな句ですね。
 
B 続いて〈仰臥こそ終の形の秋の風〉を取り上げます。
 
A この句は最後の句集となった『愁絶』の昭和41年の作です。
 
B 朱鳥はもともと病気がちでしたが、この時期から重い病に罹ります。そういった状況の中ゆえに「終の形」という言葉が出てきたのかもしれません。
 
A この辺りから朱鳥の作品のトーンがこれまでとは一気に変化しますね。
 
B この昭和41年の終わりごろから、云わば「雑音」とでもいったような印象の付随する言葉がほとんど見られなくなってきます。
 
A 句集を読むと本当に静謐な作品世界が展開されていることがわかります。それこそ「静かな光」のみの世界といった印象がありますね。
 
B このあたりの作品は、朱鳥が強く影響を受けた川端茅舎とも、同世代の飯田龍太や森澄雄あたりの世界とも異なる独自の境地が現れているように感じられます。
 
A その昭和41年から昭和45年の間の作品をおさめた句集『愁絶』、この句集が野見山朱鳥の到達点だと思います。
 
B 昭和42年に〈わが中に道ありて行く秋の暮〉という句がありますが、この句だけを見ても、先ほどの〈わが中の破船を照らすいなびかり〉と比較すれば、これまでの表現が内面化され深化し、静謐で独自の作品表現を獲得していることが感得できると思います。
 
A 同じ昭和42年の〈月光は天へ帰らず降る落葉〉にしても、初期の〈火を投げし如くに雲や朴の花〉に見られる表現の激しさはここからは既に感じられません。
 
B なにかしら「光」そのものが、激しく強い印象のものから静かで澄みとおった静謐な印象のものに変化を遂げたようですね。これらの句では、「いなびかり」から「秋の暮」、「火のような雲」から降りそそぐ「月光」など。
 
A そういった清澄な「光」がこの時期の句には〈雪嶺を光去りまた光射す〉など数えきれないほど作品の上に頻出しています。
 
B 確かに〈永き昼子よ飴玉をくれないか〉〈はく息の白き微光も野の日暮〉〈過ぎし時ひかりを放つ夜の枯木〉〈大寒や闇深ければ光濃し〉〈群芒ひかりなすまで枯れにけり〉〈射すひかり石を包みてあたたかし〉〈雲ありて遠くを見をる秋のくれ〉〈絵馬に描く火炎は白し秋の風〉〈夏果てのひかりうするる水の上〉〈大寒やみつめゐしもの光り出す〉などの句、さらに他にもこのような句が多く見られます。
 
A 初期の作品とこの晩年の作品の印象を比べると、まるでネガとポジの関係のように思われてくるところがあります。
 
B 野見山朱鳥というと、初期における言葉の印象の強い作品が有名なところがありますが、このような晩年の作品における澄明で静謐な側面については現在ではあまり知られていないところがあるのかもしれません。
 
A 続いて〈つひに吾れも枯野のとほき樹となるか〉を取り上げます。昭和45年の作です。
 
B もはや自らが、遠からず死によって自然と同化するということを知覚したかのような印象の句ですね。
 
A 「つひに」にそういった思いがこもっているようです。
 
B 同時期には〈一枚の落葉となりて昏睡す〉という句も見られます。
 
A 落葉もまた最後には土へと還りますから、この句もどこかしら自らの死を象徴したものであるという風にも読むことができそうです。
 
B 当然のことながら人も落葉と同じく最後には土へと還っていくということですね。
 
A 先ほどの〈月光は天へ帰らず降る落葉〉という句の存在も思い出されるところです。
 
B これらの句から、自然と完全に同化することによって、人は人という属性から離れることになるという当たり前の事実を改めて認識させられるようなところがあります。
 
A そういった人という属性から離れるまでのプロセスが即ち人間の「生」であるということになりますね。
 
B 昭和45年の〈眠りては時を失ふ薄氷〉も、まさにそのような生の実質を表現した作品であるということができそうです。
 
A 人間であることを許された時間が、「薄氷」と取り合わせられることで生命の本来的な儚さ、そして危うさなどがそのまま表出されているようです。
 
B 他に〈吾に残る時幾許ぞ鳥雲に〉という句もあります。この「時を失う」という表現ですが、自らの時を完全に失い人間が滅んだあと、時間という概念は一体どういうことになるのでしょうね。単純に一切は無へと帰してしまうことになるのでしょうか。
 
A そういった問題については、正直私にはなんともいえませんが、そのようなことを考えてみると、人智で理解できることなどというものは実際のところ、ほとんど存在しないのではないかという気さえしてくるところがありますね。
 
B さて、野見山朱鳥の作品についてみてきました。
 
A 正直、野見山朱鳥という作者に対しては、初期の〈寒紅や鏡の中に火の如し〉や〈林檎むく五重の塔に刃を向けて〉などの作品から、どちらかというとやや反撥に近いような印象を抱いていたのですが、今回その作品を通読してみて、そういった野見山朱鳥に対する印象というものが単に一面的なものの見方にとどまっているに過ぎなかったということがわかりました。
 
B そうですね。特に前半あたりは、見るべき作品も少なくないとはいえ、矢鱈と「如く」「いのち」「虚空」「火」「蝌蚪」「曼珠沙華」「銀河」「菜殻火」「昼寝」「キリスト」などといった同工異曲のテーマの作品が目立つのにはやや辟易する部分があったのですが、最後の『愁絶』あたりの作品となると、やはり「野見山朱鳥」という作者名は単なる虚名とは異なるということを強く印象付けられるところがありました。
 
A 野見山朱鳥の作品は初期の作品だけでなく、こういった晩年の静謐な作品世界についても、もう少し注目されていいかもしれませんね。
 
B 第1句集の『曼珠沙華』の言葉の強さから晩年の『愁絶』の静謐な世界まで、これほど作風の振り幅の広さを示した俳人は稀であるということができると思います。
 
 

選句余滴
 
野見山朱鳥
 
二階より枯野におろす柩かな
 
蝌蚪に打つ小石天変地異となる
 
なほ続く病床流転天の川
 
いちまいの皮の包める熟柿かな
 
曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて
 
ふとわれの死骸に蛆のたかる見ゆ
 
鶏頭の大頭蓋骨枯れにけり
 
汽車の月虚空を飛べる枯野かな
 
双頭の蛇の如くに生き悩み
 
なきひとに導かれゆく野分かな
 
胸の上聖書は重し鳥雲に
 
二三歩をあるき羽搏てば天の鶴
 
生涯は一度落花はしきりなり
 
太陽の黒点の子の蝌蚪游ぐ
 
硝子戸に赤き月蝕髪洗ふ
 
若く死す手相の上の花ぐもり
 
秋風や書かねば言葉消えやすし
 
封筒の内は水色春の月
 
宝物に二つの髑髏冬の寺
 
運命の一糸乱れず枯野星
 
稲妻の照らす脳裏になにもなし
 
小面の眦を彫る菊明り
 
舷にゐる子の顔の秋の暮
 
薄氷に映る日輪びびと鳴り
 
春天の塔上翼なき人等
 
水馬映れる藤を踏みくぼめ
 
三日月の金無垢を置く茅の輪かな
 
松蟬の響ける糸を蜘蛛渡る
 
壁に貼る奴隷の素描秋深し
 
冬蜂の胸に手足を集め死す
 
旅かなし銀河の裏を星流れ
 
晩秋を画展は泉よりしづか
 
いま生れし星やはらかし枯木星
 
ふる雪に手をのべて時とどまらず
 
炎昼のミイラ舞妓と並び見る
 
旅信涼しギリシヤの切手まつ青に
 
秋風や地に光陰のあともなし
 
吾に残る時幾許ぞ鳥雲に
 
あたたかく壺振つて出す金平糖
 
永き昼子よ飴玉をくれないか
 
蟻地獄同心円を並べけり
 
炎昼や師を売る銀貨三十枚
 
茅舎忌の夜はしづかに天の川
 
散りしごと人みな遠し秋の暮
 
神の眼と呼ぶ赤光の枯野星
 
はく息の白き微光も野の日暮
 
冬の暮灯さねば世に無きごとし
 
過ぎし時ひかりを放つ夜の枯木
 
大寒や闇深ければ光濃し
 
父母未生以前の雪もただ白し
 
行春のすでにしてわれかすかなり
 
遠きより帰り来しごと昼寝覚
 
雲ありて遠くを見をる秋のくれ
 
絵馬に描く火炎は白し秋の風
 
白露に眠る七星天道虫
 
枯木星誰もが祈りもつ日暮
 
冬の波光焰をあげ進みつつ
 
春落葉いづれは帰る天の奥
 
火穴より覗く火の壺天の川
 
晩秋のこのしづけさに耳澄ます
 
大寒やみつめゐしもの光り出す
 
一枚の落葉となりて昏睡す
 
こまやかに枯枝の間の明けの紅
 
絶命の寸前にして春の霜

 
 

俳人の言葉
 
「時間とは、あるということによってあらぬ存在であり、あらぬということによってある存在である」(ヘーゲル)といわれている。有と無のシーソーゲームを意味する。有と無の不安定な時間感情が無常であり、有が無に、無が有の中に消えゆくところに時間の実在があった。時間のかかる生きた実在が季であって、朱鳥はあらぬ存在という否定に即して季の流れに身を投じたのである。永遠を行じたのであった。
 
小澄等澍 「朱鳥俳句の遠景」 『菜殻火』昭和45年8月号より

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2009年2月14日土曜日

全体と全体以外 ――安井浩司的膠着について・・・関 悦史

全体と全体以外
――安井浩司的膠着について


                       ・・・関 悦史

安井浩司の句には、ある特異なねじれがある。

部分と全体との関係が異様なのだ。

厠から天地創造ひくく見ゆ   (『句篇』)
万物は去りゆけどまた青物屋  (同)

「厠」は「天地創造」の外に位置しており、「青物屋」もまた「万物」のうちに安らぐことはなく、別な場に取り残されたように存在する。

部分と全体というよりも、正確には全体と全体以外というべきか。『句篇』に続く現時点での最新句集『山毛欅林と創造』のタイトルも、同じねじれたありようを、これ以上はない鮮明なかたちであらわしている。

巷間よくいわれる安井浩司の「カオス」の印象の、大きな原因はここにあり、それに比べれば、蛇や牛をはじめとする、いわゆる汎アジア的な霊性を帯びたさまざな奇怪な存在の跳梁は枝葉に属する。いかに奇怪で周縁的な、まつろわぬものたちを並べたところで、それだけではそれらが生と死のはざまの領域に住み入っていることが鮮明にならず、平板な妖怪絵巻ができあがるだけであり、世界の構造に違和を生じさせて風穴を開ける渦とはなりえない。

全句集に蛇の句は無数にあらわれるのにも関わらず、新生の象徴となりやすいはずの「蛇の衣」の句はおそらく皆無である。此岸のうちだけで済んでしまう単なる脱皮では、別次元の生に参入するための、虚空の構造的ねじれを生じさせることができないからだ。

安井浩司は全体を目指す(作家当人の言い方では「無・黙」の世界となるが、とりあえずここでは別の用語法を取る)。

『安井浩司選句集』の著者インタヴューに「もどきの思想」について、「これは実は『もどき』を否定することであって、『もどき』の『もどきがえし』」なのだと聞き手が安井浩司に再確認をせまっているくだりがある。

その点を念頭に置いて「もどき招魂」にあたると、「もどき」は以下のように定義づけられている。

《翁とは、本来、すこぶる「神」に近いところに位置する人の長として、神の一歩手前のところにおいて、その神に水をつける役の恰好の者と思える。しかし、彼は、もともと神そのものではない。日常的には無用無骨な年寄、翁その人である、というところに独得の滑稽、反俗味が存在するようだ。民俗学の考証によれば、むかし人々の心の中に神が主役を演じていたころ、翁は、いわゆる神の唯一のもどきであった、という。神のすこぶる近くに存在しつつ、未だ神になりきれず、なりそこないの阿呆けた風姿は、周囲の人々にとって彼こそもどきを演ずるに充分な資格ありとみたのであった。
 (中略)
 もしや誤った私見かもしれぬが、もどきという言葉は、その深部において、副次的な、あるいは複数的な意味に象徴されるものをもつらしい。もどきとは、時として分裂を起こし、〈翁〉のような〈片割者〉を産むからである。そこに産まれたものが、またもどきと呼ばれる。もどきという言葉には、本来、真似る、という意味以上に、〈反対する〉という意味があったらしいから、もどきの分裂的性格は当然であろう。一般には、悪ふざけをする、茶化する、揶揄する、といった意味にも岐れているようで、それがいつのまにか、すでに固有の「もどき」という演劇的人格を獲得した言葉とさえなっている。》

《もどきは、人と神の間合いに、呪術的性格があり、神の掻乱者であると同時に、助勢者としての、いわば複合的な存在であった。おおむね、はれの場に出現し、メフィストフェレスぶった口吻で参上するや、何がしかの口宣を弄して、人神混淆の世界を解放する、まことに大切な役柄であろう。このような意味から、もどきという助っ人は、人々がおのれ自身をがんじがらめにする「自然」の中に見出しつつ、いわゆる神の方へ派兵した、もう一つの副次的生命として恰好な存在であったのである。》
 (『俳句評論』昭和四十五年十月号所収
 「もどき招魂 ――俳句にとって自然とは何か――」)

ここでは「もどき」は、言表不能な全体性としての「神」に対し、われわれ個別存在の側からの分類撹乱のための装置としてあらわれる。

最後の一節はことに重要である。
 「もどきという助っ人は、人々がおのれ自身をがんじがらめにする『自然』の中に見出しつつ、いわゆる神の方へ派兵した、もう一つの副次的生命として恰好な存在であったのである」

「自然」は包容的、親和的な相手ではないのだ。そしてもどきは、「自然」のさらに深奥にある生動する全体性としての「神」に「派兵」される、複数性を本領とする、人ならぬ断片として認識されている。

《考えてみるならば、山から山へかえす木霊のように、逆置的に拡大しうる詩の世界が、もどきの中の複数的存在として象徴されるとき、もどきそれ自身が、はれの機会に不意に分裂し、不意に相互浸潤をおこしたりするということは、つまり「俳句」の業をひとつの神事に見立てての、あのもどきの〈遊び〉わざなのだ。いや、〈遊び〉わざと言い切ってしまってはならない。敢えていうなら、もどきの、あの「神」にしたたかたてをつく邪しまさ、頑迷さ、ほがらかな悪意こそ、とりもなおさず俳人の汎神論そのもののあらわれである、ということである。これは、「俳句」にたてをつく人間は野暮だ、と笑う人間も野暮であるという、先師の風狂の消息にも通ずるものがある。もどきの風情は、いかにも「自然」の中で、いささか暦日的に皺を刻んでしまった老人たちの、頑なにして阿呆けた面白の風姿に、少なからずよく似ているのである。しからば、勿論、今日、俳句を書こうなどとするものは、もどきの副次的生命として、「自然」の中で阿呆けた老人の面白なくしては絶対にいけないのではなかろうか。しかも、「自然」まったきそのものとして、彼は実際に〈翁〉もどきでなくてはならない。》
   (同前)

ごく簡単にまとめてしまえば、安井浩司は、俳人は「もどき」としての霊性を担った俳句づくりを目指すべしと言っているのではなく、「もどき」である俳句の悪意を介して(あるいは使役して)全体性そのものを目指すべしと言っている。

のちの『汝と我』(昭和六十三年)後記にある「私はもはや世で謂う詩人でも俳人でもなくてよいと思い始めている」という一節は、そうした自覚の深まりをあらわしていると取れる。

全体性は死後の領域をも含む。

というよりも、ことに初期の句において、全体性とは端的に死を指していた。

鳥墜ちて青野に伏せり重き脳   (『青年経』)

ここにも先の二句と同じ、ねじれた構造がひそんでいる。鳥の体というまとまりに対して部分であるはずの脳の重さが異様であり、両者は一体であるにもかかわらず脳が鳥から突出してしまっているのだ。単なる鳥が人格をもった存在に見えるのもこの「重き脳」ゆえだが、ただの鳥というより「鳥‐脳」と表記したほうが良いような複合存在と化した生命が、死ぬことにより「青野」という全体性に参入しようとしている。

この句では全体性が二重になっている。部分である「脳」に対する全体としての「鳥」と、その両者が参入する未だ神とも死とも名指されない言表不能の真の全体性である。こうした初期作品の未整理が消化されると、「万物は去りゆけどまた青物屋」と同じ構造が得られる。

高野素十も草蔭人(くさかげびと)になりにけり   (『牛尾心抄』)

この句、単に高野素十も死んだというだけの意味では全くない。「高野素十も草葉の蔭に入りにけり」というのとは違うのだ。

これは高野素十が「草蔭人」という別次元の位格へと移行し、死後の全体性に参入することで別種の生を生き始めたという事態が語られている。「草陰」と「人」とを複合させて造語としている。これはこの世の周縁に住む怪物的存在を指示するための、単語のレベルにおける浩司句の典型的な技法のひとつであり、「鳥」と「脳」と同じく全体性とそこからはみ出す余剰との膠着である。膠着というあり方は浩司句のある本質的なところに由来している(語の複合の例としては「黒牡丹庭から海へ歩み去る」(『密母集』)といった、よりさりげないものもある。死の影を帯びた「黒」との複合を欠いたただの「牡丹」が海という全体性へ自力で歩いていく怪物になりえたかどうかははなはだあやしい)。

渚で鳴る巻貝有機質は死して   (『青年経』)

安井浩司の句業の始まりに位置するこの句も、今になれば、単なる虚無的な心象、イローニッシュな把握を象徴化した句などという読解には収まりきらないことがわかる。

この巻貝は死んだにも関わらず渚で鳴っているのではなく、死んだことによって別次元の生に到達しようとしているのだ。「死鼠を常のまひるへ抛りけり」(『阿父学』)の死鼠も死ぬことによって全体へと参入している。

安井浩司は『聲前一句』の中で西東三鬼「枯蓮のうごく時きてみなうごく」に触れ、「彼の世界は、『枯蓮』の句をもって終の絶頂とし、生涯これを越えることが出来なかったということを、これが判るのに情けなくも二十年近くかかった」と記している。安井浩司はこの句に死後の生の示現を見て取ったのではないか。三鬼の句を通しての自己発見であり、自分の句たちが何をしようとしているのか、この時点では既に一応の確認を果たしているものと思われる。

もう一つの重要な散文テクスト、「海辺のアポリア」(『俳句研究』昭和五十二年五月号所収)では芭蕉の「暑き日を海にいれたり最上川」「閑さや岩にしみ入蝉の声」の二句を引き、「いれたり」「しみ入」の呪気と邪気に、自分と俳句形式との関わりの根幹を見出している。これも別次元への参入の話である。

巻貝の句を含む三十句を第二回俳句評論賞選考委員として目にし、評価というより瞠目したのが詩人吉岡実だった。吉岡実の「死児」や「僧侶」は死んだままでこの世に存立する、死の側から生の世界へとシュルレアリスティックな侵入を果たした存在だが、安井浩司の巻貝、そしてそれ以降に登場するあらゆる怪異な生物たちはみな丁度この逆方向の志向を示している。吉岡実は自分にきわめて近い資質の登場を直覚したはずだ。

遠い煙が白瓜抱いて昇るらん   (『密母集』)

これが他界への、ある奇跡的な参入の景であることは容易に見て取れるが、ここで特徴的なのは瓜が「白」を帯びることによって「煙」と膠着、キメラ化し、重い実体を保ったままで天界へ上っていることで、これは美しく瑞々しいままでの即身成仏・ミイラ化というに等しい、生身の個体性を保ったままでの全体への参入である(吉岡実であれば逆に煙の方を稠密に現世に固体化させていくところであろう)。

この特異なねじれによって「全体」に接続される「全体以外」、これが安井浩司という主体の位置である。

菩提寺へ母がほうらば蟇裂けん   (『赤内楽』)

浩司句に登場する「母」や「父」も、作者の個人的記憶を反映する存在としてではなく、血縁という自己でもなく他者でもない間の領域に位置する周縁的怪物のひとつとしてあらわれており、この句では「母」がわが家から死後の永遠の虚空にいたる入り口としての菩提寺と、生身の個体的完結に自足する蟇との媒介者としてふるまっている。

この人の姿をとった周縁的怪物は、のちに「汝」としてあらわれる。

汝も我みえず大鋸を押し合うや   (『汝と我』)

「汝」とは、「我」と同じだけの内実を持つことを意識されながら関わる者であり、「汝」との関係に巻き込まれることによって「我」の個人的完結は「蟇」と同じく引き裂かれ虚空へと流れだす。「汝」は「我」の個人的完結、言いかえれば「有機物」を死なせるために到来する者である。

膠着というありようは造語だけにとどまらない。
 「よのつねの作家は句集に意味があるのではなく、そこに収録されている俳句に価値があると考えているから、句集を解体して全作品集にして再度選をかければ容易に選集はできる。しかし安井浩司は句集に意味があり、一つの句集の中で作品が緊密な構造となって組み入れられているのである」(『安井浩司選句集』収録 筑紫磐井「安井浩司俳句入門」)。よって再構築を経た今回の選句集は、過去の十四冊の句集と対等の新句集だと話は続くのだが、これは全句集と選句集とがそっくり「全体」と「部分(または全体以外)」が分離し同時に癒着してもいるという、浩司句特有の関係のパターンをなぞっているということになり、骨絡みの方法の頑強さが一貫している。

これは生と死の境を越え、死や非在のあらゆる潜在性を含む全体という感知しえぬ虚空を言語のなかに引きずり出し定着させるための、なかば必然的な方法である。石が地にひとつ置かれただけであればそれはただの石に過ぎないが、三個の石が置かれれば人はそこに非在の幾何学的図形、三角形を知覚する。数十数百の石が配置され、その全てに同じような苦悶の相を思わせる奇怪な文様が刻まれていれば、なにか名状しがたい異状を感知しないわけにはいかない。そのようにして安井浩司の句群は虚空をからめとり、支配していく。

このことは浩司句の受容に決定的な影響力を持つ。

代表句とされる幾つもの名句、「御燈明ここに小川の始まれり」(『阿父学』)にせよ「麦秋の厠ひらけばみなおみな」(『密母集』)にせよ、みな単独で鑑賞はできるがそれらはすべて美しい誤解に近いものになりかねない危険と隣り合わせであり、そうした事情が安井浩司に永遠に未知の作家の相貌を帯びさせることにもなる。「御燈明」の湧出感から小川への飛躍はごく容易に直感的に受け入れられるであろうが、しかしこの句一句から死をあらわす仏前の燈明から小川という別乾坤への参入という契機を見て取るのは容易ではないし、おみなばかりがこもっている「厠」が後に「天地創造」の外に位置し、「全体以外」を示す特権的な場所になりおおせることは、この句からだけではわからないのだ。「はたはたはうぐいと同じ数にして」(『汝と我』)に至っては、はたはたとうぐいが活躍する一連の句を見た後で、いきなりこの二者の同一性が提示されるから啓示的なので、これだけで鑑賞することは不可能に近い。

句集の構築性とは別に、個別の状態の句からは見て取りにくい特徴がある。

五感を介し、五感に頼ったかたちでの事物の再現(表象)の断固たる排除である。

安井浩司の句は外界の再現を目指しておらず、さわる、聞く、味わう等、うつし身の感官に訴える作りを避ける。場面の提示はなされるのだから、視覚だけは残っているのかと思うと、提示される景はおよそこの世の肉眼では捉えられぬものばかりであり、その都度一回限りの認識にひっかかった事物同士の特異な関係である。浩司句におけるさまざまな存在たちの出会いと膠着は、俗流シュルレアリスムばりに奇怪なイメージを現出させるためのものではない。感覚と世の常の知見で把握しうる世界を殺戮するためのものである。さらに浩司句には情動や感情の直叙もなく、箴言じみた定義づけといったかたちで外界を一定の距離に安置するといった身振りも、あの世の視点を現在に繰り込むことで現在の安息を得ようといったつましい欲望も見られない。自然や外界とのあるがままの姿での宥和の可能性は、ない。

膠着性の別次元のあらわれとして、全体に句の切れが弱いという特徴も挙げられる。切れ字が使われている場合でも意味上明確に切れている句は多くはないのではないか。ことに末尾が「かな」で切れる句に至っては、全句集に収載された三千数百句のうち、わずか三十八句を数えるのみ。これには「かな」の詠嘆が、否定すべき目前の現実の全肯定と化しやすいという事情もからんでいると思われる。

また表記法が一貫して旧かなづかいではなく新かなづかいになっているのも、表記と発音の間のずれというかたちで虚空めいたものをあらかじめふくよかさとして含みこみ、日本の「伝統」に随順しているかに見える旧かなよりも、虚空に鋲を打ち込んでいくような作業にはタイトな新かなの方が句の生理に合っていると直観しているためではないか。

余談に及ぶが、私が去年聴いた現代俳句についてのシンポジウムでは、現在の俳句は言葉がツルツルで何の手ごたえもないという把握のもとに、その原因と対策を探るといった動機づけのもとに俳句における日本語の「身体性」が追求され、意味の明示に直接奉仕しないすべてのノイズ的な領域、音韻、オノマトペ、隠喩や象徴による意味の多重化、カタカナ/ひらがなという表記の問題、発声の際の身体の運動の違いにもとづく個々の母音の印象の相違、詠まれる素材としての人間の身体とその感覚にいたるまでが未整理に話題に上っていた。

しかし、その後で岩山のように動かしがたい実在感を持つ安井浩司の句群を読み返すと、皮肉なことにというべきか、浩司句はそれらの要素の大部分をぞっくり欠落させているということに気がつく。安井浩司の句は、そのようなプレテクストを参照するようなかたちの個人の身体性への依拠とは無関係である。言語芸術に最も実在感と抵抗感を与える要素は音韻でもなければ意味の多層性でもなく、素材としての物質や情動といった此岸性をまぬがれた虚空的なものであり、その虚空をとらえうる言葉とは、ゆるぎのない構造性を持った律法や数式に近いものである。その他はすべて枝葉末節の小細工に属するのではないかとの思いも浮かぶ。

虚空の新たな構造の発見が俳人のなすべき仕事の中核にある。俳句形式の「最終ランナー」を自認していた安井浩司(ふらんす堂版『攝津幸彦句集』解説での安井浩司の言による)を驚かせた後続、攝津幸彦の句の力もそこに発している。一見浩司句とは対照的な、しなやかなやわらかみのある作風と見えるが、流体には流体の構造がある。

単独ではわからぬ特性がまだある。

安井浩司の句はそのいかにも象徴性の強そうな見かけの印象とは裏腹に、隠喩・寓意・象徴によって読み解かれることを期待してはいない句だということである。象徴という言葉、ここではとりあえず何らかのイメージを提示して別の何かを指示するものという程の意味で用いているが、安井浩司の句は隠された真の意味に到達することで安らかに読解を終えられるという作りには、ほとんどの場合なっていない。

稲の世を巨人は三歩で踏み越える   (『霊果』)

この世を三歩で踏み越える闊歩する神格といえばヒンドゥー教の主神の一人、ヴィシュヌを想起しないわけにはいかないが、ここではそのイメージが「巨人」にずらされている。

浩司句にはヒンドゥー教から取ったもの密教から取ったもの等、宗教的な語彙が犇いているが、安井浩司の営為は、何らかの特定教派の教義に随順し、その世界観に過不足なく収まって安心立命を得ようという性質のものではない。全句集を通読するとその多様さは、何でも取り入れることによって結果としてどの特定教派も無効化することに主眼があるのではないかとすら思えるほどだ。

他の句たちも、たまたま何らかの寓意や隠喩として読み解けてしまうように見えるものがあったとしても、どのように「意味」が探りあてられたとしても、確かに句の核心に触れたと感じることはおよそ至難のはずだ。どんな意味を見出し、還元したにせよ、意味一般には還元しきれぬ残余、その句一回限りの事件性、具体性が常軌を逸して大きく、不穏だからである。

安井浩司の句の最大の特徴のひとつはこの、どこにも還元できない単独性である。

選句集解説「ありかの詩学」(志賀康)において、「いきなり現れるものの代表的なもの」として挙げられる「みがきにしん」もまさにそのような仕方で存在する。

秋雨にみがきにしんと遊びつくす   (『中止観』)
ズボンよりみがきにしんを友に出す  (同)
みがきにしん噛みつつ隠し念仏へ   (同)

個別の状態では鑑賞がほとんど成り立たないにも関わらず、いやそれゆえにこそ単独性が強固なのだ。

単独者のみが普遍・神に直に対峙しうるという、ほとんどキルケゴール的な事情が、句の一つ一つにまでしみとおっているようにも思える。絶対の孤独。そして孤独のままの奇跡的な膠着。安井浩司の句においては特に「意味」や「内容」よりも、その「行動」「ありよう」がこそ読まれなければならない。

象徴という手法は直接取っていない(「ヴィシュヌ」を「巨人」に置きかえて打ち消す土台として使われるのみ)にも関わらず、象徴主義的な翳りの中の俳人たち、河原枇杷男や高柳重信との親近性が感じられるとすれば、それは技法や素材のレベルの話ではない。ひとえにこの、「全体」の中に位置しながら「全体以外」として締め出され、締め出されながら膠着し、およそどんな宗教的安息からも遠い未聞の世界を窺い知らんとする主体の、絶対的な孤独によってである。

釣り過ぎの鮒を戻せどただ死ぬだけ  (『句篇』)

死が必ず目出度い膠着をもたらし、全体への(ねじれながらの)参入を果たせるわけではない。単なる数量的過剰しか得られなかった鮒は「ただ死ぬ」。こういう恐ろしい寂しさをたたえた句が、近作の『句篇』に至って出現している。

個々の句は全体たる「句集」に参入し、その「句集」たちは全体たる「安井浩司」に参入する。そして「安井浩司」は全体そのものになろうとする。全体を垣間見るのではなく。

中沢新一は明治期に「幸福」という訳語を新造されることになった英語の「happiness」、フランス語の「bonheur」などがいずれも時間に関係していることを指摘している。

《「happiness」は「happen」という言葉に語源的なつながりがあります。突然、思いも掛けなかったような形で、神のおぼしめしが与えられた、という意味がこめられています。また「bonheur」というフランス語は「bon+heur」ですから、やはり「恵まれた時に会う」という時間概念を含んでいます。
 (中略)
時間概念に関わりをもったこれらの西欧語の背景には、神の恩寵をめぐる宗教的な思考がひかえています。神の恩寵は日常的な時間を垂直に切り裂くようにして、人間の世界に突然に降ってくるものです。平凡に流れていく日常世界の時間のなかに、突如として異質な構造をもった時間が垂直に侵入してくる、その時間の亀裂をとおして神の恵みが豪雨のように注がれてくる――そういうキリスト教に独特な「神の恵み」についての考えと、これらの言葉は関わっています。》
 (中沢新一『対称性人類学 カイエ・ソバージュⅤ』講談社)

説話論的には、これはちょうど物語と小説の関係にあたる。物語はそれなりの起伏や構成を持ちつつも神話と同じく登場人物の類型や状況を要素に還元し、構造を抽出しうる均質な連続であり、物語るとは途中を飛ばして短絡させないということである。ここに幸福が入る余地はない。この連続体を垂直につらぬく契機を導入しえたものが小説と呼ばれることになる。

俳句という形式はこの契機を「切れ」というかたちで制度化させ、内在させている、言いかえれば、俳句における「切れ」とは「幸福」と関係するのではないかと私は予感するものだが、もしそうだとすれば、此岸にいて切れ目から差し込む光にときに触れるのではなく、切れ目の向こうの全体そのものを目指す安井浩司の営為はおよそ幸福とは縁遠い、小昏い達成を示し続けることになるのではないかと思われる。中有全域を物質化してこの世に固着させていくような。

これは「俳句とは何か」ではなく自分にとって「なぜ俳句なのか」を問うてきた大力の作家が、逆説的に達成した俳句形式の可能性の中心、その完璧な陰画であろう。

安井浩司の句を読みつぐときのあの相反する二つの印象、俳句という形式の可能性を最大限に深く掘り下げているという確かな手ごたえがあるにもかかわらず、石壁に囲まれたような密閉感も、ときに感じないわけにはいかないという矛盾したありようは、おそらくここから生じている。

『乾坤』以降、安井浩司の句は天地創造というモチーフが次第に顕著になっていく。

「縄文」であったり「ガイア」であったり、過去のどこかに回帰すべきポイントを仮構し始めたのだとすれば、詩的営為としては衰弱を疑う必要があるが、安井浩司の場合は様相が違うようだ。

緩慢ながら着実な歩みの果てに達した、詩にとっての起源や始原は過去のどこかにあるのではなく書きつつある現在、いまその都度の永遠にこそあるという認識の深まりが天地創造というモチーフを呼び起こしたのだとも考えられる。

渚で鳴る巻貝という小さな骸から始まった探求が、長い歳月を経て山毛欅林の豊かさと複雑さにまで進歩したという話では、おそらくない。

広大無辺の潜在性は、小さな巻貝のうちにはじめから一度に与えられていた。その全景を明るみに出し続ける過程が、そのまま安井浩司の歩みになっているのではないか。

              2008,6,25


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山口優夢氏宛回答

匿名批評をめぐる高柳重信の発言とそれに対する山口優夢氏の異論、並びに高山れおなによる回答

はじめに

当ブログ前号所出の拙文「俳誌雑読 其の六 ほんとに雑読風に」に対し、山口優夢氏から、長文のコメントが寄せられた。コメントの対象となっているのは、全部で五項に分かれた同文中、「夢幻航海」第67号(二〇〇九年一月一日)に触れた第一項、しかもそのうち同誌から引用された高柳重信の発言である。〈僕には、ここに引用されている高柳重信氏の発言にはほとんど納得するところがありませんでした。〉とのことで、縷々批判がなされている。山口氏のコメントに対して卑見を述べたいと思うが、読者の便を考え、拙文中に掲げた高柳の発言をそのまま再掲出する(丸付き数字は引用者)。


それが批評精神の発動であるならば、あくまでも事実を踏まえ、真実に迫ろうとする一貫した論理性がそこに見出だされるはずで、それが明らかであれば、匿名とか実名とかは枝葉末節の問題です。また、論争の作法といい、批評の礼儀といいますが、批評に徹することが批評に関する礼節の基本であり、何を措いても論争に徹することが論争の作法であって、表面的な行儀作法などは二次的なものだと思う。


また匿名記事と単純に対比して署名の文章を持ち出してくるけれど、率直に言えば、その実質において無署名に等しいものが多い。少しも自分の名を惜しむ風情の見えない無責任で低次元の文章や、その発言の内容に後日に至るまで責任をとろうとしない場あたりの文章などは、たとえ署名してあっても無署名と同じです。


これは余談ですが、誰しも匿名を非難することは容易ながら、実は匿名記事だから救いがある場合だって少なくないのです。たとえば匿名記事で批判された人が、そのことの反論として匿名であることだけを非難し、その批評の論理を無視してしまうのは、いわば常套手段とも言えますが、それで一応の恰好がつくだけ救いでもあるのです。


匿名時評には、それなりに求められている幾つかの性格のようなものがあり、その一つに読んで面白いということもあるんですね。皮肉な見方をするとか、多少は揶揄するような書き方も、その中に含まれます。もちろん、その切れ味がいいかどうかも問題で、切れ味が悪いと嫌味になったりして、お行儀のいい人たちの顰蹙を買うことになる。しかし、批評は文学の世界のものなので、その本質は充分に毒を持っているのが当然で、どのような文体で書こうが、その批評の毒に耐えられない人たちは、いろいろ理由をつけて非難したがる。もともと文学というものを、安全で上品なものと思う方が間違いで、うかうかとしていれば必ず心に手傷を負うような危険なものなのです。そのへんの根本の認識がないから、甘っちょろい倫理感をふりまわすことになる。

以上は、一九八一年十二月の「俳句研究」年鑑号に掲載された「俳壇総展望」(座談会 阿部完市・三橋敏雄・高柳重信)から、匿名批評に関する高柳の発言を、高山が抜書きしたものである。直接の引用は、前出「夢幻航海」に拠っている。


山口優夢様へ
拙文に対し、熱のこもったコメントをお寄せくださったこと、御礼申し上げます。以下、貴文に対してお答えします。貴文は、前置きを除いて七節に分かれております。各節毎に、順に全文を掲出し、逐次管見を述べることとします。なお、これも記述の便宜のため、勝手ながら貴文中に括弧付き漢数字を挿入させていただきました。

(一)まず、①「批評に徹することが批評に関する礼節の基本」、「何を措いても論争に徹することが論争の作法」とありますが、そもそも匿名で記事を発表するという選択を行なっている時点で、批評を読む側から言えばそのような「基本」に徹することをさせてくれない、という憾みがあります。(二)匿名で批評を行なうという行為は、批評を言いっぱなしにしてキャッチボールを拒んでいるところがあるのではないかと僕は考えています。(三)だって、その批評に対する反論を誰にすればいいのか分からないわけですよね。(四)現実的には、たとえばその批評の載った同じ雑誌などに反論を載せれば反論は届くであろうという予測はあるにしろ、匿名というのは、最初からそういう反論なんかそもそも想定されておらず、そんなものは受け付けていませんよ、という態度として受け取られても仕方ないのではないですか。(五)果たしてそのように発信された批評が、「何を措いても論争に徹することが論争の作法」というドグマにふさわしいものでしょうか?

最初に確認したいのは、貴兄は匿名批評を否定する考えでいるわけですね。それにしてはこの第一節で、高柳発言①の前半に言及せず、いきなり後半から話を始めているのはなぜなのでしょう。私は、前号拙文で、高柳発言の①④を「匿名批評の一般理論」であるとしましたが、①に関していえば匿名批評の正当性の根拠を述べているのは前半の〈それが批評精神の発動であるならば、あくまでも事実を踏まえ、真実に迫ろうとする一貫した論理性がそこに見出だされるはずで、それが明らかであれば、匿名とか実名とかは枝葉末節の問題です。〉の方です。匿名批評を否定するには、このセンテンスに述べられている認識を否定しなければなりません。私にはそれは出来そうにありませんが(また否定する必要も認めませんが)、ここは是非、貴兄の方で否定してみてください。

さて、貴文(一)に、〈そのような「基本」に徹することをさせてくれない、という憾みがあります。〉とありますが、私にはほとんど理解できない「憾み」です。なぜなら貴兄自身が(四)で述べているように、たとえ匿名批評に対してであっても反論・批判は可能だからです。

貴文(二)に、〈匿名で批評を行なうという行為は、批評を言いっぱなしにしてキャッチボールを拒んでいるところがあるのではないかと僕は考えています。〉とあり、(四)に〈匿名というのは、最初からそういう反論なんかそもそも想定されておらず、そんなものは受け付けていませんよ、という態度として受け取られても仕方ないのではないですか。〉とありますが、顕名の筆者ならキャッチボールしてくれ、匿名の筆者はキャッチボールしてくれないというのは貴兄の一方的な思い込みにすぎません。それも、かなり幸福な思い込みと言ってよいでしょう。キャッチボールしてくれるかどうかは、実際のところケースバイケースのはずです。正当な批判に対して沈黙すれば、その筆者は批判を認めたことになり、体面に傷がつくこともあるでしょう。同時に、正当ならざる批判、回答に値しない批判に対して沈黙を以て応じるというのも、まごうかたなき批評の権利です(貴兄は、自分が求めれば皆がキャッチボールしてくれて当然だと思っているのかもしれませんが)。いずれの場合も、顕名か匿名かは「枝葉末節の問題」にすぎません。

もちろん、匿名の相手と議論の応酬が成立したとしても、なお、相手の名を知りたいという人情自体は自然ですが、それに対しては「我慢したまえ」とだけ言っておきます。批評とは、それが論争に発展した場合でも、互いに〈あくまでも事実を踏まえ、真実に迫ろうとする一貫した論理性〉を追求することこそが本旨なのであって、相手が誰であるかは“二次的な”問題だからです。その上で、本旨は本旨として、相手によって言説の語り口は変わります。例えば今回、小生は貴兄に対して、さいばら天気氏に対するのと同じ語り口では接していません。相手が匿名だったら、その場合はその場合で語り口を探ればよいのです。

ところで、そもそも疑問なのは、貴兄はいついかなる匿名批評によって不利益を蒙り、反論を思い立ちながらそれを拒まれた「憾み」を抱いたのでしょうか。私自身は、幸か不幸かそのような経験がありません。後学のために、何か例をあげていただけると有難いと思います(*1)。あるいは、一般論(しかも誤った一般論)としてこうしたことを言っているなら、それこそ一昔前の批評用語でいう“悪しき抽象”ではないでしょうか。

(六)次に②は匿名記事に対する署名記事の優位性を疑問視していますが、これはれおな様が言及しているとおりたかだか「補足」に過ぎないので、棄てておいてもいいかと思います。(七)あえて一言書かせていただければ、たとえ「少しも自分の名を惜しむ風情の見えない無責任で低次元の文章や、その発言の内容に後日に至るまで責任をとろうとしない場あたりの文章」であっても、署名してあれば、少なくとも責任を取ろうという意思、取れる可能性はあるわけです。(八)匿名であるということは、その可能性をすら、最初から放棄しているのではないでしょうか。

第二節へゆきます。貴文(八)に関しては、第一節について書いたことのうちに、すでに答えが含まれているように思います。貴文(七)ですが、これもまた、私には“悪しき抽象”の一例に見えます。〈責任を取ろうという意思〉などハナから無い文章をさして高柳は〈少しも自分の名を惜しむ風情の見えない無責任で低次元の文章〉とあげつらっているのであり、貴文は揚げ足取りに近い。「署名」というものにそこまで手放しの信をおく貴兄がなんだか心配になるほどです。だいたい貴兄は筆者の側の署名ばかり気にしていますが、俳句界の文章の通弊は筆者の署名の有無ではなく、しばしば批判の対象をはっきり示さないことだと私は思っています。こう書いたそばから具体例を示さないわけにはゆきませんから、少し脇道にそれますが、〈自分の名を惜しむ風情の見えない〉文章の例を、最近の総合誌から二つばかり挙げておきましょう。

ひとつめは「俳句」二月号の特集「いま、注目する俳句と俳人」のうちの「『個』の崩壊の中で」と題した出口善子氏の一文。具体的な俳句鑑賞をしている後半はともかく(それとて優れたものではありませんが)、俳句界の現状分析をしている前半は依怙地な思い込みによる決めつけばかりが目立つ、はなはだ感心しない文章です。それだけならまだしも、こんな一節があるのを貴兄はどう思われますか。

「軽くて場当たり的」、それこそが俳句だと名のある先達的存在が高校生あたりを煽動しているのも事実で、今日の新しい一つの風潮を助長している。

この〈先達的存在〉は誰なのでしょう。出口氏が大阪在の俳人であることなどを勘案すると、坪内稔典氏である蓋然性が高いとは思いますが、もとより確証はありません。また、これが坪内氏だったとしても、あるいは夏井いつき氏や佐藤郁良氏だったとしても、〈「軽くて場当たり的」、それこそが俳句だ〉などと言ってはいないでしょう。対象を特定できるだけの情報を提示せず、しかもこうした名前を曖昧に想起させながら(もちろん貴兄は別の名前を想起するのかもしれません)、かくも悪意ある文章を書きつけるとは驚くべきことです(と、言いたいところですが、俳句界ではあんまり驚くべきことでもありません)。反論を受け付けない文章とは、こういう文章のことです。仮に坪内氏なり他の誰かがこれは自分へのあてこすりだなと感じたとしても、確証はないのですからそれとして反論するわけにはゆきません(もちろん現に私がそうしているように、第三者的な批判は可能です)。また、こうしたケースに限らず、愚劣な文章というのは愚劣さそれ自体によって最初から批判・反論を封じているとも言えるのです。宛名人がわかっているからと言って、一体誰が〈少しも自分の名を惜しむ風情の見えない無責任で低次元の文章〉に対して、いちいち手間と時間を割いて批判を用意するでしょうか。少なくとも私は御免ですが。

もうひとつ例をあげましょう。「俳句界」二月号に載る「俳句添削教室 俳句研究所」の大牧広氏の一文。所員の投句を所長である大牧氏が添削してゆくコーナーですが、冒頭に「今月の講義のポイント 写生句を考える」と題した五百字ほどの短文が置かれています。

ふりかえって考えてみると、現代俳句、ことに生活句や心象句は右に左に思いがぶれている。つよい思考軸がないともいえる。だから写生俳句は一種の軽さを持つゆえの磁力があるのかもしれない。
とは書くものの今売出中の青壮年俳人の老成した、したり顔の写生俳句についていけないことも勿論で、この線引思考は苦しい。

文章全体として微妙に日本語が変で、微妙に支離滅裂なのですが、上に引いた末尾の二つのパラグラフなども、ひとつ目はなにやら意味が取りがたく、ふたつ目はこれまた対象を明示しないままの批判の例となっています。出口氏のものほど悪質とは言えませんが、この類の書き方は俳句関係の文章では実に実に実にしばしば目にするところです。〈今売出中の青壮年俳人〉といい、〈したり顔の写生俳句〉といい、表現があまりにアバウトで、これでは大牧氏が批判したかった誰彼がこの文章を読んだとしても、自らを省みるよすがにすることもできないでしょう。もちろん大牧氏はそのような事態を想定していないのでしょうが、これもまた書くことへの「無責任」が露呈した文章の一典型です。出口氏や大牧氏の駄文の罪は、それ単独では大したことはありません。しかし、こうした水準の文章が互いに互いを肯定し合うことで、俳句界の言説の全体の水準を引き下げてきた、そのメカニズムを認識していただきたいと思います。

高柳発言②に戻りましょう。貴文(六)で述べられるとおり、前号拙文では高柳②を単に「補足」としました。しかし、これはむしろ「匿名批評の感情的基礎」とでも言った方がよいかと思いなおしています。〈実質において無署名に等しい〉〈署名してあっても無署名と同じ〉といった言葉尻を捉えればいささか暴論めいて見えますが、形式論理に淫して揚げ足を取るのでなければ、このような発言の背後にある高柳の感情自体に共感することは難しくありません。高柳は事実あまたの〈自分の名を惜しむ風情の見えない無責任で低次元の文章〉に苦しめられ、苛立たせられていたわけで、こういっては悪いですが、お気楽な貴兄や小生とは立場が違うのです。その程度の想像力は貴兄としても惜しむべきではないと思います。

こんな言い方をするのも、前号拙文では、高柳の発言を引用する前段として、昭和五十年代の「俳句研究」誌における匿名時評「俳壇春秋」の背景について、岩片仁次氏の文章を引くなどして若干の説明を施しているにもかかわらず、貴文にはその点についての言及がほとんどないからです。高柳の発言は匿名批評一般の存在意義を認めてのものであると共に、当時の彼が置かれていた状況に即したものでもあります。貴兄にそうした発言の文脈に対する意識が充分にあるのかないのか、貴文を読むだけでは判断がつきかねています。

補足するならば、そのような立場――俳句界の言論の一翼を担って上述のような“メカニズム”に抗い、俳句表現史の展開に責任を負うような立場――に就いてくれと、誰も高柳に頼んだわけではありません。しかし、頼まれたわけでもないのに勝手に俳句に対して責任感を燃やす人間が、各時代に一定の数は必ず現われてきたし、現在もいるはずです。そしてやはりそのような人たちこそが、俳句表現を展開させてゆく原動力なのです。「無責任で低次元の文章」など読まなければいい、無視すればいい、というのは、そのような責任感に無縁の者に許された幸福というべきであり、勝手に責任を負ってしまった人たちはそれが俳句の内部の現象である以上、無関係でいることはできないのです。

(九)続いて③はタチの悪いブラックジョークみたいなものですね。(十)同じ溜飲を下げるのなら、匿名であることに対してではなく、実際にその人に向って反論することで溜飲を下げたほうがはるかにすっきりするし、批評空間の形成という意味でも有意義なのではないでしょうか。(十一)そもそもこのような溜飲の下げ方をしなければならないということは、①の、「何を措いても論争に徹することが論争の作法」に明らかに反する事態を招くように僕には感じられますが、れおな様はどのようにお感じになりますか? (十二)匿名で批評されたC子さんが溜飲を少しでも下げられたかどうか、僕には大いに疑問です。

貴文第三節は、高柳発言③に対する批判と、同発言にかかわっての小生の記述に対する批判が混在して、読者にはややわかりにくいかもしれません。私は前号拙稿で、〈③は、人間観察者としての高柳重信の凄みが最もよく出ているだろう。もう笑うしかないという辛辣さではないか。本稿冒頭で登場したC子氏なども、高山に向かって匿名を非難したことで少しは溜飲を下げたに相違なく、ご同慶のいたりと申さねばなるまい。〉と書いたのでした。

こうした議論の場で、論者の年齢のことなど持ち出すのは良い趣味ではないでしょうが、それにしてもこの貴文第三節を読むと貴兄の若さを強く感じないわけにはいきません(良い趣味でなくてもあえて持ち出すのは、それこそ高山が「論争に徹」しているためです)。貴兄はいったい、世の中の多くの人々、とりわけ俳人・俳句愛好者なる人種が、貴兄や小生のような多弁な議論好き(しかし、小生は決して貴兄ほどの議論好きではありませんが)ばかりだと思っているのでしょうか。そのうちの相当数は、議論どころか、先の出口氏や大牧氏のケースに見たように、当たり前の日本語散文をつづる能力にも不安のある人たちなのですよ。匿名批評は、いかにも貴文(四)にいうように、〈最初からそういう反論なんかそもそも想定されておらず、そんなものは受け付けていませんよ、という態度〉を感じさせるわけで、貴兄のような意気盛んな議論好きには大いに不満でしょうが(しかし、あくまでそれは一見したところの話にすぎず、反論するつもりであれば反論できることはすでに述べました)、これを逆に言えば匿名批評とは反論を免除する印象を与える形式でもあるのです。「あんなこと言いやがって。でも匿名記事だから放っておこう」という対応が、批判を受けた当人の心理の上でも社会的にも許される、という性質が匿名批評にはあるのです。

俳句人口の少なくない部分を占める、議論する意欲もなく、能力にも不安のある人たちにとって、反論を免除されることは実は好都合な事態というべきでしょう。また、高柳③の後半で言われているように、やむなく反論に及んだ場合でも、「匿名とは卑怯なり」とだけ言っておけば、批判された内実に関してややこしい論を展開しないでも文章の恰好がつく分、反論文としてのハードルは低くなるわけです。要するに楽をさせて貰える。すなわち、〈実は匿名記事だから救いがある場合だって少なくない〉のです。このあたりの事情に対する高柳の洞察の透徹ぶりに対して私は、〈人間観察者としての高柳重信の凄みが最もよく出ている〉と述べたのであり、一方、この残酷なまでのリアリズムを〈タチの悪いブラックジョーク〉と見誤ってしまうような貴兄の洞察力・想像力の欠如ぶりに若さ(はっきり未熟さと言い換えてもいいですが)を感じないわけにはゆかないのです。

しかし翻って考えるに、実は議論の能力の高い人たちにとっても匿名批評は救いでないこともないのです。「夢幻航海」の岩片氏の文章によれば、昭和五十年代の「俳壇春秋」欄では、金子兜太氏ついで角川春樹氏が俎上に乗ることが多かったらしい。春樹氏はともかく、兜太氏がきわめて高い議論の能力を持っていることは言うまでもありませんが、だからといって当時の氏が、若き山口優夢がのべつ逸りたっているように議論をしたくてうずうずしていたかといえばどうなのでしょう。兜太氏の立場で想像してみるなら、仮に匿名時評で手痛い指摘を受けたとしても、先ほど述べたような匿名時評の性質からしてそのまま放置しておくことも出来るわけです。相手が匿名時評である限り、反論するかしないかの選択権は兜太氏の側にあり、反論しなかったとしても兜太氏にとって不名誉にはならない。これがもし、高柳重信が顕名で名指しで公開の批判を繰り広げたらどうなるでしょう。基本的に議論を受けて立たざるを得ないし、受けて立たなければ高柳の批判を認めたことになるわけです。当時の実際を調べたわけではなく、以上はあくまで仮定の話ですが、要は匿名批評は兜太氏のようなこわもての論客にとっても救いとして機能する可能性があったということです。もちろん高柳サイドにしてもそれは同じです。高柳にせよ、彼が信頼して匿名時評を書かせた筆者たち(そのうちの一人が岩片氏であったわけですが)にせよ、反論があれば受けて立つ用意はあったでしょう。なぜなら彼らは、〈あくまでも事実を踏まえ、真実に迫ろうとする一貫した論理性〉を追及することを自負する人たちだったのですから。しかし、そんな彼らにしても、やはり現実に論争がおこれば大きな負担にはなるわけです。そういう意味で匿名は、書き手サイドにも救いだったには違いない。

それにしても、貴兄の文章を読んでいると、反論に敗れるとか、そもそも批判が正鵠を射ているため反論出来ないというケースが想定されていないようで、これにも若さと想像力の欠如を二つながら感じざるを得ません。繰り返しますが、反論出来ない場合に反論を免除されているとしたら、それは“救い”ではないでしょうか。〈実際にその人に向って反論することで溜飲を下げたほうがはるかにすっきりする〉と貴兄は言いますが、いつでも反論し、溜飲を下げられると思ったら大間違いです。

貴文(十二)に言及のあるC子氏に関していえば、彼女になされた批判とは、作品の価値判断の部分なのですから、そもそも反論はできないのです。「俳句甲子園」では、ディベートで自作の価値を擁護して勝利するのがルールだったかもしれませんが、少なくとも私が接触し、信頼する俳人たちの間では自作を弁舌で擁護するのははしたない行為とみなされています(この程度の常識は貴兄とてわきまえているとは思いますが)。あきらかな読み手サイドの力不足(文法知識や語彙力の不足)のために当然読み取られてよい内容が読み取られていない場合とか、特殊な作句事情があるような場合に多少の説明を加えるのは構わないでしょうが、適切な読解の上に立って当該の作品が良いか悪いかを判定しているのであれば、たとえ不満でも自作の擁護はしないのがたしなみです。そして実際、C子氏は不満だった。しかし今述べたような次第で作品評そのものにどうこうは言えないながら、批評が匿名である点を批判することはできたわけです。この場合に、「溜飲を下げる」という言い回しを使うのは、言葉のまことに模範的な運用と申せましょう。

貴兄が、当方とC子氏のやりとりの詳細を知らないのは仕方ないとしても、「A子とB子の匿名合評対談」をもしお読みであるなら、もう少し状況が想像出来てもよさそうなものです。あの合評対談に、俳句の読解と価値判断以外のことが書かれてあったでしょうか。あの合評対談は、チャット機能を使ってのものですからいささか荒っぽくはありますが、基本的な読みの筋は外していないという印象を私は持っています。C子氏は、単純な誤読があるならそれをコメント欄ででも本文記事ででも指摘すればよかったのだし、作品の価値判断に関しては黙っているほかありませんでした。そして、たとえ対談が顕名でなされていたとしても、この条件に違いはないのです。

(十三)最後に④ですが、匿名批評の本質的な優位性を説いているのは4つあるうちでこの項目だけですね。(十四)曰く、匿名記事に求められる性質として「読んで面白い」というものがある、と。(十五)具体的な面白さとしては、「皮肉な見方をするとか、多少は揶揄するような書き方も、その中に含まれます」とありますが、「含まれます」と言いながらそれしか書かれていないということは、それが匿名記事の主な面白さだと重信は理解していると思って良いのでしょう。(十六)皮肉や揶揄が匿名記事の面白さなのだ、というのはただの開き直りではないのですか? (十七)あえて匿名を選択することによって生じる優位性が、皮肉や揶揄といった表面的なところにとどまるということが、匿名という選択肢の無意味さを露呈してしまっているとはいえないでしょうか。

貴文第四節です。貴文(十三)によれば、高柳発言④は〈匿名批評の本質的な優位性を説いている〉とのことですが、どこにそのような記述があるのでしょうか。高柳の一連の発言の根幹にあるのは、「匿名か顕名かは枝葉末節の問題だ」という考えであり、匿名が顕名に比して本質的に優位性を持っているとか、あるいは貴文(二十)にある〈「匿名記事は署名記事に劣るということはない」という主張〉などはどこにも述べられていません。冒頭でも触れたように、貴兄は高柳発言①前半の〈それが批評精神の発動であるならば、あくまでも事実を踏まえ、真実に迫ろうとする一貫した論理性がそこに見出だされるはずで、それが明らかであれば、匿名とか実名とかは枝葉末節の問題です。〉という最も重要な一文をきちんと受け止めていません。何度でも繰り返しますが、この一文にいう〈あくまでも事実を踏まえ、真実に迫ろうとする一貫した論理性〉を持った文章が、すなわち高柳が庶幾し、容認する批評であって、その点さえ担保されていれば、匿名か顕名かも、表面的な礼儀作法も、すべては“枝葉末節”だと彼は述べているのです。“枝葉末節”とはつまり、優位も劣位もへったくれもない、ということです。どうも貴文は全体として、恣意的に妄想された「匿名批評の優位性」に対してつっかかっているような気がするのですが、小生の誤解でしょうか。

貴文(十四)(十五)(十六)にある通り、高柳は発言④で、匿名批評の面白さの問題についてふれていますが、このあたり、貴文は曲解に類します。高柳が、〈匿名時評には、それなりに求められている幾つかの性格のようなものがあり、その一つに読んで面白いということもあるんですね。皮肉な見方をするとか、多少は揶揄するような書き方も、その中に含まれます。〉と述べているのに対して、貴兄は高柳は匿名時評の主な面白さは皮肉や揶揄にあると理解していたとするのですが、高柳がここで述べているのはあくまで文章の書き方についてです。いうまでもなく、文章には内容と形式のふたつの側面があるのであり、形式=書き方とは別に内容=テーマの面白さが想定されているがゆえに、「・・・ような書き方も、その中に含まれます」という表現が出てくるのです。先ほど、貴兄の想像力の欠如ということを申しましたが、この場合も書かれていることから書かれていないことを類推する力、すなわち文脈を読む力が貴兄に不足していることを感じます。では、その内容は何かということをいちおう補足しておくなら、昭和五十年代当時の「俳壇春秋」の場合であれば、すでに述べたように、金子兜太氏や角川春樹氏を俎上に乗せての俳壇政治やら人事やらにかかわるあれこれが多かったようです。

貴文(十七)に関していえば、〈あえて匿名を選択することによって生じる優位性が、皮肉や揶揄といった表面的なところにとどまる〉という貴兄の理解が、貴兄の“表面的な”文章読解力の結果であることはたった今述べました。この前提が誤っているのですから、〈匿名という選択肢の無意味さを露呈してしまっているとはいえないでしょうか。〉については何をかいわんやですが、「内容」というファクターを考慮に入れれば「匿名という選択肢」が「無意味」などでないことはすぐにわかる話です。当時の「俳句研究」にしても、ほとんどの記事は署名入りでなされた作品評や作家評だったわけですが、そちらで書くのは適切でない、もしくは反応の激甚が予想される事柄を匿名時評で書く。匿名で書いてあることが書かれた側にとって(また書いた側にとっても)救いになる機微については説明済みです。言うべきことは言いつつ流血を回避する大人の智恵ですな(*2)。「そんなのきたない、いやだ、きらいだ」という反応をなさってももちろん結構ですが、高柳重信というのは芸術至上主義者であると同時に、俳壇政治の一方の当事者として、そうした汚れ役的な部分をもひきうけた人であったわけです。なぜなのでしょう。端的に好きでもあったでしょうけど、俳壇政治に活気がある時代には俳句表現にも活気があると考えてのことではなかったかとも思います。例えば近代俳句史で最大の俳壇政治的なできごとは水原秋桜子の「ホトトギス」離脱でしょうが、この昭和初期という時代はまた近代俳句のピークでもあったのはいうまでもありません。実際、高柳が逝き、もうひとりの汚れ役は牢屋に入って退場したりということもあり、〈平成俳壇はなにもおこらない。無風状態がつづいている。〉(小澤實氏の言葉/「澤」二〇〇七年七月号)のが現状です。俳壇政治の面でも、作品史的な面でも、と言ってよいのでしょう。

(十八)この項目の終わりの方では、文学はそもそも毒を持つものだ、という論に展開していきますが、これは甚だしい議論のすり替えであり、逆に、文学の毒というものがあえて匿名にすることによってしか発露されぬものだとすれば、それは反論を想定しない書き方によってしか文学の毒は表明されない、ということと同義であり、そのことと角川の言論封殺と、一体何が違うのか僕には分かりません。

貴文第五節=(十八)ですが、ここに書かれている批判(?)は世上いわゆるマッチポンプではないでしょうか。〈文学の毒というものがあえて匿名にすることによってしか発露されぬものだとすれば〉云々とありますが、「優位性」云々と同様、やはり高柳はこのようなことをひとことも言っていません。貴文(十八)は、勝手に筋違いの仮定を持ち出して、ひとりで結論を出している、文字通りのひとり相撲です。ご自分で冷静に読み返してみてください。当然、当方に回答の義務はありません。

(十九)もしも匿名記事というものに、批評空間の形成という観点から見ていささかでも優位性があるのならば、ぜひそれを示していただきたいと僕は思います。(二十)重信氏の①~④は、ほとんどが「匿名記事は署名記事に劣るということはない」という主張であり、あえて匿名という反論を想定しない書き方によってどのように批評空間を形成するかという本質的な事柄にはほとんど触れられていないという印象を覚えます。

第六節です。貴文(十九)ですが、すでに述べたように匿名記事の「優位性」などということを高柳も小生もひとことも述べていません。やはり私に“それ”を示す義務はないと思います。匿名記事が持つ性質や、匿名記事の存在意義についてならば、これまでの記述においておおむね示してきたつもりです。貴文(二十)も、かなり無茶な文章ですね。これだとあたかも高柳が「批評空間」全体を匿名性によって立ち上げようとしたかのような……ここまできてようやく思い当たるとは迂闊ですが、貴兄はもしや高柳重信が何者かよくご存じないのでしょうか。なんだかそんな印象を受けます。貴兄にいわれるまでもなく、〈どのように批評空間を形成するかという本質的な事柄〉について高柳ほど意識的だった人はいません。もしほんとうにそれを知りたいのであれば、拙文のわずかな引用などではなく、『バベルの塔』や『俳句の海で』を読んで勉強することをお奨めします。お読みになれば、なぜ高柳が、顕名か匿名かなどということは枝葉末節だと自信を持って言い切れるのか、理解できるでしょう。この両著をもしすでに読んでおられるのであれば、これまでの的外れな批判の数々がなぜ出てくるのか、私にはほとんどミステリーです(*3)

(二十一)また、野村麻実氏の上のコメントでは「愛情に裏打ちされた企画であれば、大丈夫なんじゃないかな?」という一文がありますが、愛情というのはお互いのことを知ることから始まるのであり、自分から名前を名乗りもしない人間が、愛情を持って自分に接してくれているのかどうかなんてことをどのように判断できるのか、僕には分かりません。

ラスト、貴文第七節=(二十一)です。さすがに辟易してきました。第三者のコメントに触発されての一文に、小生の回答義務があるのかどうかも微妙ですが、小生は愛情深くかつ意地悪でもあるのでお付き合いしましょう。貴兄は、『源氏物語』その他、王朝文学はお読みでしょうか。相手の名前も素性もわからないままに、いきなり愛情が始まる例がいくつも出てきますよ(夕顔とか、朧月夜とか)。往来で一瞬すれ違っただけの喪服姿の女に対する愛を歌った、ボードレールの「路上で会つた女に」なんていう詩も参考になるかもしれません(引用はソネットの後半六行)。

稲光り……それから夜。その眼差が 忽然と
俺を蘇らせたまま、須臾
(しゆゆ)の間に消え去つた美女、
来世でなければ もう二度とお前に会へないのだらうか。


遥か離れた遠国(をんごく)に。遅すぎた。永久に恐らく会へまい。
お前が何処に遁れるか俺は知らぬし、俺の行手
(ゆくて)はお前が知らない。
さぞ深く愛しただろう女
(ひと)なのに、さうとお前も知つてゐたのに。
                    鈴木信太郎訳

小生にはこの詩はとてもよくわかります。しかし、貴兄は「だから名前を名乗るのが大切なんです」なんて言うのかもしれませんが(笑)。



                    ――この稿、了――


(*1)

ただし、例示に際しては、むしろ匿名かハンドルネームによる発信が多数派であるweb上のコメントの付け合いレベルのものを提示されても意味がないので、紙媒体もしくは電子媒体の場合でもいちおう批評文の名に値するものから挙げていただければ幸いです。こうした保留を付けねばならないところ、前号拙文に対するコメントでの、〈匿名の件については、高柳重信が範として出てくるあたりに、紙媒体と電子通信媒体の差を考慮していない気がしました。〉との、野口裕氏の指摘が出てくる所以でしょう。

率直に言ってこれまでのところ、当ブログは紙媒体の延長線上で、編集の手間の最小性と執筆から発行までの速度性という点で電子媒体の長所を生かす、くらいのつもりでやってきました。分量制限が無いという条件が、紙媒体に書く場合とはおのずから異なる文体をもたらしているのは確かですが、当ブログの四人の常連筆者の文章(高山・中村・筑紫・冨田)の書き方は、読者との距離の設定の仕方など、webプロパーの語りではなく、紙媒体のそれの方により近いのかと思います。さらに、他の寄稿者の方々もこの四人が形成している言説空間の個性にある程度、配慮してくださっているように感じています。しかし、これは私の勘違いで客観的にはまた別の見え方をしているのかもしれません。

いずれにせよ、当ブログでの匿名合評対談は、企画当事者の意識としては、インターネット文化の匿名性に由来するよりは、紙媒体における同種企画(石井隆司編集長時代の「俳句研究」に連載された新刊句集を対象とした匿名合評対談など)をweb上に移したものであり、ゆえに前号拙稿で、それに結びつける形で、紙媒体出版文化の権化ともいうべき高柳重信の発言を紹介することになったわけです。

ところで、山口優夢氏に先んじて、さいばら天気氏が、匿名批評を批判していました(*4)が、これは前号拙稿に述べたように、〈この種の“政治的に正しい意見”には興味が無いので〉無視しました。「クールポコ」がどうしたというような品下った語り口にも戦意をそがれましたが、さすがにさいばら氏が、今回、小生が山口氏に説明した程度のことを承知していないとも思えず、となれば要するにことは好き嫌いの問題であって、議論にはらないと考えたためでもあります。しかし、上述の素朴なメディア論を敷衍すれば、さいばら氏の批判は、匿名性が優勢なインターネットの世界で、顕名性を暗黙のルールとした開放型の俳句メディアを形成しようとしていたところ、後発の類似したブログで紙媒体の亡霊のような匿名企画が出現したことへの苛立ちの表明だったかもしれません。まあ、単なる買い被りかもしれませんが。

(*2)

出口善子氏や大牧広氏の書き方も一種の「大人の智恵」ではあるでしょう。しかし、こちらは決して真似してはいけない「大人の智恵」です。なぜなら彼らの文章は、「あくまで事実を踏まえ」てもいなければ、「真実に迫ろうとする一貫した論理性」にも欠けているからです。わかりきったことですが、老婆心によって補足しておきます。

(*3)

・・・と、偉そうに書いておりますが、小生も貴兄の年齢の頃には、高柳重信のことなど碌に知りませんでした。せいぜい、朝日文庫で作品を読んでいたくらいでしょうか。要するに、今回の貴兄のコメントは、いささか蛮勇に過ぎたということです。

(*4)

西原天気「俳句的日常」http://tenki00.exblog.jp/9116492/

(追記)

山口優夢氏への回答は基本的には高柳重信の発言をめぐってのものであり、「A子とB子の匿名合評対談」について、直接的にはほとんど触れていない。前号拙稿に付せられた久留島氏のコメントをとっかかりに、簡単に述べておく。以下、久留島コメントの全文を掲げる(表記を改行なしの追い込みに改め、角ブラケット入り数字を付した)。


[1]こんにちは。毎週興味深く拝読させていただいております。[2]「豈」本誌の状況を全く知らないもので、このような議論に加わることは場違いかとも思いますが、すこしだけ失礼いたします。[3]高山氏は岩片氏と重信の発言を引いて匿名批評の優位性を議論されています。[4]その発言の一部は納得できる部分もあるのですが、ただ、「総合誌」の立場と「同人誌」では違いがあるのではないでしょうか。[5]私のような部外の読者にとっては、HNも匿名も大差なく、たとえばこの場ならコメント欄でも議論は可能かと思います。[6]しかしそれでも匿名というのはやはり「言いっぱなし」であり、総合誌のような中立の立場で行うのと、その後も関係が続くであろう場で行うのとは、まったく違う、かと思います。[7]もちろん、その違いを前提としたうえで、匿名批評の魅力、確かに放言、皮肉、揶揄、などある意味で変則的な力があると思いますが、その力に期待されているのであれば、それはそれでひとつのお立場かと存じます。[8]…もっとも、天気氏同様、「少々驚くとともに残念な」気がしていますが。[9]高山氏のお答えに、いち読者として私も期待しております。

久留島氏[3]については、山口氏宛て本文で回答済み。久留島氏[4]にいう〈「総合誌」の立場と「同人誌」では違いがあるのではないでしょうか。〉との疑問であるが、当然違いはある。実際、「俳句研究」の匿名時評とA子B子匿名合評対談は、匿名という点は共通でも、内容を全く異にしている。ただし、どういう形式でも内容でも、批評という範疇に属する文章なら〈あくまでも事実を踏まえ、真実に迫ろうとする一貫した論理性〉を追求しなくてはならない、という高柳発言①の原則には変わりない。この点に共感したゆえに、「夢幻航海」の記事を紹介したのである。高柳発言はジャーナリスティックな匿名時評に即してのものゆえ、作品評に即して言葉を変えれば、「あくまで書かれた作品の言葉と自己の感性に忠実に、当該の作品を読解し、価値判断をくだそうとする一貫した態度」が大切、とでもなろうか。

久留島氏[6]のうち、〈匿名というのはやはり「言いっぱなし」であり〉の部分については、山口氏宛て本文で回答済み。同じく、〈総合誌のような中立の立場で行うのと、その後も関係が続くであろう場で行うのとは、まったく違う、かと思います。〉については、指摘の通りまったく違うであろう。しかしこれは、それこそ久留島氏[2]にある通り、「豈」誌の問題なので外部の人がご心配になるには及ばない。中にはC子氏のように批判的な同人が他にもいるかもしれぬが(とはいえ「豈」はそもそも高柳重信系統の文化に近しいのである)、それらをひっくるめて高山の責任において行った企画である。他の同人誌や結社誌におなじやり方をお奨めした覚えはないし、そもそも「豈」という雑誌の特異な現状が前提となった企画であり、総合誌はともかく、他の結社誌・同人誌では成立しないだろう。「豈」の特異な現状とは、同人誌としては稀な三十年に及ばんとする命数の長さ、七十余人という規模の大きさ等等である。この辺の事情については、当ブログにおける筑紫磐井氏の連載(下記、「関連記事」の項を参照)が参考になろう。

久留島氏[7]に、〈匿名批評の魅力〉として〈放言、皮肉、揶揄、などある意味で変則的な力〉が挙げられている。その通りであるが、「俳壇春秋」のようなジャーナリスティックな匿名時評と、同人仲間の作品評をおこなうこんどの匿名対談では、その「変則的な力」の現われ方はおのずから異なる。例えば、今対談の企画者には、ふたりの発言者のナレーションを、ある程度フィクショナルに立ち上げることに興味の重点のひとつがあった(現実のa子とA子、現実のb子とB子は同じではないということ)。また、実のところ、放言や皮肉や揶揄があろうがなかろうが(A子B子対談にそうした要素が皆無ではないが、さほど濃厚ではない)、匿名批評は匿名であるということ自体でいかに人々の心を騒がせるものか(つまり魅力がある、面白い、ということです)、拙稿に対する諸兄姉のホットな反応が明かし立てていよう。

面白さの問題を別にすれば、A子B子対談の場合、匿名にしなくてはならない理由は、「俳壇春秋」よりはるかに軽いことは明白である。「俳壇春秋」が、匿名であることで、批判する側・される側双方を衝突の負荷から守っていた点については山口氏宛ての本文で記した通りであるが、A子B子対談はそもそも和気藹々の同人作品評なのだから衝突の負荷などほとんどないのである。が、ほとんどなくてもわずかにあることは確かで、一方、世の俳人は山口優夢のような議論好きやさいばら天気のような喧嘩好きばかりではないし、高山れおなほど面の皮の厚い者ばかりでもない。つまり、匿名性によるガードの意義がゼロというわけではないのである。ひとことで言えば、人目を気にせずのびのび語り合って欲しいということで、その目的は果たしたように思う。久留島氏[8]には〈「少々驚くとともに残念な」気がしていますが。〉とあるが、高山が気にしているのは、読者の方々がA子氏B子氏の評言自体に総じて誠実で的を射ているという感触を持たれたかどうか、彼女らの掛け合いを読み物として興がってくれたかどうか、その点だけである。

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