2008年11月2日日曜日

高岡修 詩集・句集

死と詩と俳句
高岡修句集『蝶の髪』『透死図法』
及び『現代詩文庫190 高岡修詩集』を読む

                       ・・・高山れおな

俳句を書く詩人は今や珍しくもないが、高橋睦郎を別格にすれば、詩人の書く俳句というのは要するに詩人の書く俳句だなというのが、率直な印象だった。余技的という意味では必ずしもない。余技的ということならむしろ高橋の俳句こそ最も余技的な匂いを纏っているのであって、久保田万太郎の例もある如く、俳句において余技性はある積極的な価値を帯びることがある。世の大方の詩人の俳句なるものは、やはり端的に拙いと言っておくのが適切なのだろう。

高岡修の第二句集『蝶の髪』(二〇〇六年 ジャプラン)及び第三句集『透死図法』(四月二十九日刊 ジャプラン)についても、わずか二年の間隔を置いただけで新たな句集が出現したことに高岡の本気を感じないわけではなかったが、それらを卒読した限りでは上述のような偏見を打ち破るまでにはいたらなかった。高岡の場合に、まず襟を正さしめられたのは句集ではなく詩集の方だった。『現代詩文庫190 高岡修詩集』(九月十七日刊 思潮社)がそれで、同書には『水の木』、『二十項目の分類のためのエスキス・ほか』、『梨花の時間』、『梨果の時間Ⅰ』の四詩集からの抄録に加えて、『鏡』、『犀』、『屍姦の都市論』、『蛇』の四冊については全詩篇が収録されている。本書にはまた、高岡自身の詩論二本と、高岡の詩業について論じる批評四本が収められており、そのうち、『犀』が二〇〇五年の晩翠賞を受賞した際の選評である三浦雅士「愚直なまでに素直であることの魅力」と、本書のための書き下ろしである城戸朱里「孤独が貫くもの」とは、非常に念のいった高岡修論になっていて、高岡の詩を読むための良き手がかりとなっている。

城戸によれば、高岡の初期詩集である『水の木』『二十項目の分類のためのエスキス・ほか』『鏡』などには、吉岡実や田村隆一の影響が感じられるという。『水の木』の表題作である「水の木」連作が〈死んだ子どもたち〉をモチーフとしている点など、現代詩に蒙い評者にも吉岡の影はとりわけはっきり看守することができる。吉岡実といっても『静物』や『僧侶』など前期の吉岡と限定してよいのだろう。同じことは高岡の詩がはらむスピードについても言えて、『僧侶』所収の名篇「苦力」を思わせるきびきびしたアレグロの速度感が全体を貫いているのだ。これはどうしても『薬玉』や『ムーンドロップ』など、後期吉岡の韜晦的リズムとは無縁のものと言わねばならない。なぜ、そのような速度感がもたらされているかであるが、城戸が高岡の詩を評しての「柔らかなシュルレアリスム」という切り口が、この場合、参考になりそうだ。

ふつう、日本語によるシュルレアリスティックな詩とは、非日常的で、どちらかと言えば生硬な語彙を用いて、語と語の衝突から新たなイメージを立ち上がらせるものがもっぱらだが、高岡修においては、一見したところ、平明なセンテンスが立ち上げるイメージと意味が、つづくセンテンスによって異化され、新たなイメージと意味を生じさせるという独自の方法がとられている。

〈日本語によるシュルレアリスティックな詩〉の代表者がつまり吉岡なのだから、これは吉岡と高岡の違いについての指摘でもあるのだが、語単位あるいはフレーズ単位でのイメージの転位と、センテンス単位でのイメージの転位という差はあれ、そうした転位をもたらすのが、前出の言葉に「つづく」言葉による「異化」である点は両者に共通する構造と見てよいと思う。その「異化」の急激さが高岡の詩に速度感をもたらすわけだ。形式的には、主に動詞の終止形、断言の助動詞「だ」、体言からなる文末が反復することからそうした印象が生まれる。要は、一文一文が明確に言い切られてためらいがない、そういうことなのだが。詩集『水の木』(一九八七年)所収の「十月」という詩の全体を引く。

「十月」
夕暮れになると、
死んだ子どもたちは、
雲から絲を吐く。
まるで蜘蛛のようだと見ているだれかが笑う。
雲の突起の小孔から紡ぎだす絲は、
わずか〇・〇〇六八から〇・〇〇三四ミリメートルのかぼそさに過ぎないが、
確実に、
水の木の枝と枝のあいだに放射状の網を張ってゆく。
からまる罠に翅をばたつかせるものを待つのだ。
網を張りおわると、
昨夜ねむらずに泥と水とでこしらえたあたらしい鐘を、
水の木のいちばん高い枝につるす。
水の木からみんな降りたあと、
のこったひとりが、
鐘をつく。
世界中の子どもたちが、
遊んでいる手をふととめて、
じっと耳を澄ますのは、
死んだ子どもたちのつく鐘の音が、
聴こえてくるからだ。

高岡修は、鹿児島在住の詩人。三冊の句集を持ち、一九九四年からは、吉岡禅寺洞の弟子である前原東作・誠兄弟が創刊した俳誌「形象」の主幹を務めるなど、九州における新興俳句の系譜をひく俳人でもある。本稿でも後ほど彼の俳句作品と「切れ」(またしても!)についての論考に言及するが、とりあえず「十月」一作からだけでも感じ取れる俳句性があるとしたら、それは思うに「切れ」などではなくむしろ、〈たとへば歌仙は三十六歩也。一歩も後に帰る心なし。行くにしたがひ、心の改まるは、ただ先へゆく心なれば也。〉(『三冊子』)という言葉に示された「先へゆく心」のダイナミズムではないのか。このダイナミズムを想像力と呼んではならない理由はたぶん無い。俳人たちは「切れ」論議なぞにかまけてすっかり忘れてしまっているようだが、言うまでもなく「切れ」の百倍も大切なものだ。詩集『鏡』(一九九三年)には、まさに想像力について想像したすばらしい詩が収められている。その二篇の詩の全体を引く(この詩集の各詩篇はタイトルを持たず、通し番号が打たれている)。

「42」
数億年前、
海から出て、
広大な空を見上げ、
空を飛びたいと思った最初の一頭の恐竜のことを、
きみは思う、
その最初の一頭の恐竜の思いは、
ひとすじの小さな血流となり、
やがて大河となり、
気の遠くなるような時の彼方に、
結晶した、
すなわち、
膨大な時は、
すべての骨を孔質にし、
うろこを羽毛と化した、
しなる尾を消滅せしめ、
そのかわりに、
空を飛びたいと思った最初の恐竜の、
希望と絶望の総量を受けてきらめく翼を、
その両側に、
ひろげせしめた、

「43」
きみの、
そしてぼくの、
頭上に果てしなくひろがっている空を、
飛翔している、
あれは、
鳥ではない、
鳥のかたちをした、
想像力なのだ、

さて、『現代詩文庫190 高岡修詩集』には、北川透の「犀と蛇を両翼とする鷲について――『高岡修全詩集』以後の詩」という一文が収められている。高岡自身の「切れ」論を読む前に北川のこの文章を一瞥しておきたい。

俳句を定型にしているものは、五・七・五のリズムだろう。それは可視的なものだが、その見えないところで働いているのは、〈切れ〉の力学である。(中略)わたしが詩集『蛇』を読んでいて、俳句的な発想を感じるのは、そこに五・七・五に近い音数律があるからではない。この人の文体の〈切れ〉のよさが、高柳(重信……評者注)の多行俳句を思わせるような余白を構成しているからである。(中略)彼が手に入れたのは、ことばの抽象性である。〈切れ〉によって、ことばのもつ具体的な感情、物質的な手触りなどを、ぎりぎりのところまで削ぎ落とすことになった。それは手に入れたというより、俳句的手法によって、余儀なくされたと言った方がいいかも知れない。

俳句界における「切れ」論議のわけのわからなさが、北川のような明敏な詩論家までをもかかる混乱に陥れているかと思うと、なんだかざまみろとでも言いたいような気分になってくる。なにはともあれ、俳人が考えている「切れ」とはこういうものではないだろう。北川は、「切れ」の力学が見えないところで働くというのであるが、見えなければ「切れ」ではない。少なくとも俳句の「切れ」ではない。「切れ」が見えなかったら、長谷川櫂先生がどれほどお困りになることか。また北川は、「切れ」が言葉に抽象性を付与するとも述べているが、これも俳句の観点からすればずいぶん途方もない話という他はない。俳句界の一隅に発した「切れ」ウィルスは、今や現代詩家たちをもまきこんで、あれもこれも「切れ」というタームで語りたがる病気を蔓延させているようである。そのうち郵便ポストが赤いのも、空があんなに青いのも、それはみんな「切れ」のお蔭ということにならなければ幸いである。

高岡自身の論考「死の詩論――詩における〈切れ〉の構造について」は、さすがにこんなご都合主義的なものではない。表題にあるごとく、〈人間だけが言語において死を創造することができる〉という認識から出発して、人間における死/詩の意味を問う透徹した論考である。そこでも「切れ」が大きな意味を持たされているわけだが、最初に俎上に乗るのは、俳句ではなく詩であり、〈みずからを死体と化すことによって一枚の鏡となり、言語によってひたすら生界を照らし出す〉詩法の体現者として、まずは吉岡実が召喚される。

「静物」   吉岡実
夜の器の硬い面の内で
あざやかさを増してくる
秋のくだもの
りんごや梨やぶどうの類
それぞれは
かさなったままの姿勢で
眠りへ
ひとつの諧調へ
大いなる音楽へと沿うてゆく
めいめいの最も深いところへ至り
核はおもむろによこたわる
そのまわりを
めぐる豊な腐爛の時間
いま死者の歯のまえで
石のように発しない
それらのくだものの類は
いよいよ重みを加える
深い器のなかで
この夜の仮象の裡で
ときに
大きくかたむく

高岡修は、ほとんど〈写生の技法の具現〉であるかのようなこの名作の絵画性=俳句性を指摘しつつ、〈しかし、それがどれほど絵画的であろうと、詩であるためには現実世界から切れなければならない。〉と述べる。そして、詩篇「静物」においては、

いま死者の歯のまえで
石のように発しない

という二行が、俳句でいう〈切字の役割を果たし〉ており、「切れ」の構造を現前させていると指摘する。もしこの詩に〈その二行〉が欠けていたら、〈秀れた詩的修辞に満ちながらもなお平板な散文脈空間が残るだけ〉というわけだ。当ブログ第四号における拙稿「『切れ』の大問題とは復本・長谷川問題ならずや」において、そもそも「切れ」とは詩歌に普遍的なものであって決して俳句固有のものではないのではないのかという見通しを述べておいたが、一見すると心強い応援を得たかのごとくである。しかし、あくまで一見すると、であって、「切字」と同様の働きを持ち、「切れ」の構造を現前させるのが〈その二行〉なのだとすれば、そのような「切字」も「切れ」も到底、俳句の側へ還元することはできないだろう。「切字」という言葉も、「切れ」という言葉も、ここでは所詮、比喩として遣われているに過ぎないのではないだろうか。実際ここから高岡は、ポール・リクールやレヴィナスを援用する形で話を隠喩の方へ展開させてしまう。

ポール・リクールは「隠喩は言語の創造性のもっとも明瞭な表現である」としたが、私の言う「高次な隠喩(現実世界を異化するため極限まで進化させた隠喩のこと……評者注)」もまた次のようなものである。

レヴィナスは隠喩を「不在への移送」と定義する。「不在への移送」とは、現在の時間を離脱して、過去と未来へ向う運動である。つまりレヴィナスは隠喩の語源に帰って、字義通りに〈転=移(メタフォラ)〉を実現しようとする。 久米博『隠喩論』

「不在への移送」とは、そのまま「他界への移送」と書きかえうるものである。すなわちそれが、この「死の詩論」のテーゼなのだが、「他界への移送」とは〈切れ〉の構造によって現前する俳句世界にほかならない。つまりは、「高次な隠喩」を全身で体現しようとするのが俳句という形式なのである。

きわめて魅力的な所説だと思うが、ここで述べられている「俳句世界」はあくまでも可能性の範疇に属するものであって、現在までに書かれたどのような俳句とも無関係なのではないかという疑いを拭えない。少なくとも、俳人が「切れ」「切字」を帰納的に論じるのとはこれは全く異なる行きかたであろう。物事を帰納的にしか論じられない俳人の構想力の貧困に対する批判としては有意義かもしれないが、「高次の隠喩」なるものをあえて「切れ」という言葉を遣って語ることの必然性が評者にはよくわからない。さらに言えば、高次であろうと低次だろうと、隠喩とははたして俳句にとってそんなに望ましいものなのだろうか。隠喩化を避けるということは、少なくとも評者にとって、経験から学んだ貧しい智恵のひとつではある。

このあと高岡はようやく俳句、それも〈古池や蛙飛こむ水のおと〉〈広島や卵食ふ時口ひらく〉〈蝶墜ちて大音響の結氷期〉という古今の三つの名句へと筆を及ぼす。それぞれの読解は間然するところのないみごとなものである。特に、三鬼と赤黄男の句に関しての鑑賞を読んでこれほど興奮させられたことはない。ただし、ここでいよいよ明らかになるのは、形式論であるはずの「切れ」「切字」の問題が、じつは高岡にとってはどこまでも価値論だという事態なのだ。結局、意味論的な価値を「切れ」という言葉に託して語る、というのが高岡の「切れ」論の実態であった。当然、長谷川櫂とも相性がよく、「古池」の句を論じる際には批判を交えつつではあれ、その所説を引用している。高岡の論文をどの程度の俳人が読むことになるのかはわからぬが、読めば必ずためになり、そして「切れ」論議はいよいよ混迷を深めることだろう(混迷を避けるためには、本稿と同時掲載される筑紫磐井の評論詩を読むとよい)。

ここで高岡修の俳句作品を読んでみたい。まず、第三句集『透死図法』では、次のような句を佳いと思った。

山ざくら光を〈かげ〉と読むこころ
鳥を飼う雲のかたちの美容室
背を裂いて空蝉となる摩天楼
櫨紅葉そのひかがみの非の鑑
  ⇒「鑑」に「かがみ」とルビ

総じてこの句集には、帯に引かれている〈氷中花あわだつ虚無のオルガスム〉に典型的なように、具体的な事物とごく観念的なフレーズを取り合わせる句形が目立つ。その多くが木に竹を接いだような、説明的な印象しか喚起しないのは残念だ。前出の富沢赤黄男の句の「蝶」について高岡は、〈隠喩それじたいと化した一匹の蝶〉と記しているが、例えば〈己が影すり殺しゆく秋の蛇〉という句の「蛇」には隠喩と化すことを急ぐ心意だけがあらわで、現実世界に対する充分な異化の効果をあげていないように思われる。「すり殺し」の鮮烈な着眼に驚きはするものの、後ほど引用する自由詩における「蛇」が、みごとに〈隠喩それじたい〉たり得ているのとは大きな落差があるようだ。高岡の詩魂を飛翔させるには、俳句という滑走路は短かすぎるのではないのかというのがいつわらざる感想なのだが、そんな中にあって上に引いた四句、とりわけ三番目の摩天楼の句などは彼の庶幾する「転=移(メタフォラ)」に手がかかっているのではないだろうか。四句目には、郁乎流の非具象俳句の味わいがあるが、非具象俳句そのものを名乗るにはむしろ「櫨紅葉」という季語が効きすぎているかもしれない。

つづいて、第二句集『蝶の髪』より。

昼というおとこの顔に熟れる沼
昼の馬あおい湖底を吐いている
壁のなかの怒濤を殺す釘を打ち
白葱のしろい性器がみえている
一滴のスミレがにじむ水宇宙
まぶた伏せ氷河期といる管楽器
歯のようにかがやく非在、水仙の
力学のおおきな翅がたそがれる
既死感へぎらぎらと反るゆりかもめ
冬のそら鳥の瞳嵌めるところなし
  ⇒「瞳」に「め」とルビ
裏の木へ顔かけたまま五十年
西空で神の手がつく火の手毬
くるぶしを透明にして乗る夜汽車
鎌の刃に来て月光が切れている

好感が持てる句は、『透死図法』よりもずっと多い。三句目などは、多少古風かもしれないが名句の格がある。逆に六句目の「まぶた伏せ」の句、その次の「歯のように」の句は、詠まれている感覚において絶対的に新しいだろう。「西空で」は素朴な見立てというべきだが、愚直かつ強引に押し切っている。九番目の句の「ゆりかもめ」は、水鳥でもよいだろうが、東京の新都市交通「ゆりかもめ」なのかもしれない。あの路線はカーヴが多いし、周囲の殺風景な近未来的都市空間は既視感ならぬ「既死感」にいかにもふさわしいだろう。

最後にやはりこの人の本領である自由詩をもういちど引きたい。最新の詩集『蛇』(二〇〇六年)より。

「笛」
虚無の吹く一管の笛をつくるために
蛇たちは脱皮する
ことさらに痛い内側を
外にして剥ける
だが
蛇たちにその音色が届くことはない
蛇たちはかつて
外耳を捨てた
蛇たちは
地の声のみを
脳函で聴く

虚無の吹く一管の笛をつくるために
蛇たちはみずからを脱ぐ
白濁した過去の表皮を
脱ぎ捨てる
だが
脱いでも脱いでも
おのれ自身が
やってくる
脱いでも脱いでも
いのちに鱗が
生えてくる

虚無の吹く一管の笛をつくるために
それでも蛇たちは脱皮する
原罪の生えぎわへ
全身を
こすりつける
死とは
ひとつの寓意への
不意の
静かさなのだ
寓意の死骸のうつろにこそ
虚無の息に澄む至上の音楽が
鳴りひびくのかもしれない
一面ひかりとなって
野の時間がほどけている
その死の微笑のしげみのようなものに向かって
また新しい蛇たちが
およいでゆく

例えば、〈虚無の息に澄む至上の音楽が〉といった生硬な詩行も、詩のトータルな想像力の展開のうちにあって、決して浮き上がった感じはしない。同様の語句が俳句に持ち込まれる時、生硬さは単なる生硬さのまま、性急な説明に堕してしまう、ということなのではないだろうか。ところで、吉岡実の「静物」における〈その二行〉にあたるのは、この詩の場合は第二連の後半六行、さらに絞ればその後半〈脱いでも脱いでも/いのちに鱗が/生えてくる〉の部分だ。これはなるほど現実世界をはっきり異化しつつ、同時にわれわれが日々を生きるとはどういうことかについての深い認識を語る、みごとな隠喩となっていよう。しかし、繰り返しになるが、これを「切字の効果」だの「切れの構造」などと呼ぶ必要があるのだろうか。隠喩は隠喩でよいのであり、かくもたしかな表現をなしえた詩人に脱帽するばかりである。

* 高岡修句集『蝶の髪』『透死図法』および『現代詩文庫190 高岡修詩集』は、著者より贈呈を受けました。記して感謝します。

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