2008年9月6日土曜日

俳誌雑読 其の一 「切れ」の大問題とは復本・長谷川問題ならずや ・・・高山れおな

俳誌雑読 其の一
「切れ」の大問題とは復本・長谷川問題ならずや

                    ・・・高山れおな

「俳句」誌の四月号で「『切れ』についての大問題」という特集をやったらしい。らしい、というのは、もう何年来、俳句総合誌を買うことも滅多にないからで、ただし、この特集についてさいばら天気が「週刊俳句」に書いた文章や、「俳句界」に林桂が書いていた時評での批判はたまたま読んでいる(拙作が載った号なので掲載誌が送られてきた)。ああ、またやっているのだな、ぐらいの感想しか正直持たなかったのであるが、それを九月にもなってむしかえそうというのは、先日届いた季刊俳誌「青群」(伊丹三樹彦が主宰した「青玄」の後継誌)の二〇〇八年秋号で、気になる文章を読んだからである。

「青群」のこの号は、「草城・三樹彦の第一句集を読む」を特集していて、坪内稔典の「『仏恋』の秀句―俳句的発想をめぐって」など、力のこもったエッセイが載っている。『仏恋』というのがつまり三樹彦の第一句集で、十八歳から二十五歳にかけての作品を収めた青春句集であるにもかかわらず、上梓されたのは著者五十五歳の一九七五年のことだった。坪内は、『仏恋』が出版の時機を失した不幸な句集であると指摘すると共に、十八歳当時の三樹彦がすでにして自己を客観視する冷静なまなざし――すなわち、俳句的なまなざしを備えていたと、その早熟ぶりを讃えている。たしかにそこに引かれている、

樹懶ぶらりとひとりものの前  ⇒「樹懶」に「なまけもの」とルビ
虫の夜の洋酒が青く減つてゐる
長き夜の楽器かたまりゐて鳴らず

といった三樹彦の句は清新なもので、なんでそれが………いや、もうやめておこう。

気になったというのは坪内の文章ではなく、草城の第一句集を俎上に乗せた復本一郎の「『花氷』を楽しく、面白く読む」の方である。『日野草城 俳句を変えた男』(二〇〇五年 角川書店)という専著もある復本のことだから、まずは水原秋櫻子の回想を引いて『花氷』時代の草城がいかに江湖の喝采をあびたかを示し、次いで『花氷』出版から二十年近くたった戦後すぐの時期に同書の春の部を抄出して編まれた句集『春』へと、要領良く(相変わらず引用が多いが)話題を展開している。そしてエッセイの最後の部分では、『花氷』から『春』への再編集に際して施された俳句作品の手直しの例を五つばかり挙げて、評釈する。こんな具合。

A 春月をけがして荼毘の煙かな
a 人を焼くけむりの触るる春の月
Aが『花氷』、aが『春』(以下、大文字が『花氷』、小文字が『春』)。推敲によって、一句が別種の趣を獲得し、深みを増した。病草城の面目、躍如。

B 春寒や雨のひと夜は夢ばかり
b 春浅き雨のひと夜は夢ばかり
季語を変更し、切字を削っている。これも見事な推敲。中七・下五の世界に「春寒や」はそぐわない。「春浅き雨」の措辞も効いている。


なるほどB/bの改変では明らかに句が良くなっている。一方、A/aは情景は同じでもほとんど別の句という感じ。たしかにaの方がいかにもモダニスト草城なのだろうが、Aには大正時代の俳句らしいテイストがあってこれはこれで悪くない。それはともかく、B/bの説明で、〈切字を削っている。〉とさらりと書いているところで、評者はおよよっと身が泳いだ。そして、C/c、D/dと記述が進み、E/eに至ったところで、先生、あなたがそれをおっしゃいますか(!)と内心に叫んだのであった。

E 春の夜や足のぞかせて横坐り
e 春の夜の足のぞかせて横坐り
草城の代表句の一つも、実は、このように推敲されていたのである。一句から切字を削っている。削ることによって「春の夜の足」という、なんとも艶(なまめ)かしい措辞が新たに浮上してくる。最近、俳句界では、やや切字にこだわり過ぎ、詩(文学)性が二義的にされる傾向があるので、この推敲など、大いに注目すべきであろう。


いやほんと、この最後のセンテンスには大いに注目した。そもそも切れについてさんざん鼓吹して、当節のようにオブセッション化した主犯格のひとりが復本だと、評者などは思っていたからである。これではまるでマッチポンプか、はたまたどこかの他人事総理みたいではないか。さらにもうひとりの主犯格を挙げるとすれば、冒頭で触れた「俳句」誌の特集で総論を執筆している長谷川櫂であろう。ここまで書いてきて、買ってません、読んでませんでは済まない雲行きになってきたので、図書館へ行って借りてきました、「俳句」の四月号。

大特集「『切れ』についての大問題」――読んでみれば、それなりに面白い。内容がというより風景として。長谷川櫂の文章は、羊羹の譬えをさいばら天気に憫笑されていたごとく、論理的には荒っぽいものだと思うが、不屈の努力によって存在しないニーズを喚起し、商業雑誌にしばしば切れ特集を編ませてしまうような気運を醸成することに成功した彼の来し方には皮肉でなく感心する。成熟した市場ではニーズに向けて新商品が開発されるのではなく、新商品そのものがニーズを創出するとはよく言われることだが、『俳句の宇宙』(一九九三年 花神社)から『俳句的生活』(二〇〇四年 中公新書)や『古池に蛙は飛びこんだか』(二〇〇五年 花神社)にいたるまでの長谷川の一連の言説は、「切れ」をいわば新商品として流通させることになった。この意味で、長谷川は俳句界における一流ビジネスマンと言ってよい(前号の拙稿で最も優秀な批評家として名を挙げた林桂は、ビジネスマンとしては最も無能な人であろう。いかなるニーズも創出しないばかりか、そもそもニーズに背を向けることを倫理にしている林は、やはり純文学=近代日本文学の精神を生きる人だと思う)。

ニーズによってではなくニーズを創出するために開発された新商品に消費者がふりまわされる光景は、これまた経済社会でおなじみのものだけれど、同様の事態は「俳句」の特集でも看取することができる。「私の『切れ』論」の通しタイトルで短文を寄せている今橋眞理子、佐藤明彦、中田尚子らの論旨の混乱ぶりを見ると、手に余る不用の商品を買わされながら、もとい、要らざる議論に参加を無理強いされながら、それでも真摯に対応しようとするさまがなんだかお気の毒である。もちろん、中原道夫あたりになるとさすがで、多力の実作者らしくプラグマティックに問題をいなして動じることはない。評者の気分は、この特集の中では中原に最も近い。

さて、新商品としての切れの登場に、長谷川櫂の著書と並んで大きな役割をはたしたのが、復本一郎の『俳句と川柳 「笑い」と「切れ」の考え方、たのしみ方』(一九九九年 講談社現代新書)だった。同書について評者は、当時、担当していた図書新聞の俳句月評の欄で俎上に乗せたことがある(二〇〇〇年一月二十九日付)。

柳俳それぞれが成立するまでの、沿革史的な流れをさばく手際は見事。ことに「発句・川柳句合競演」と銘打ち、主題を同じくする江戸時代の発句・川柳の句合わせによって、両者の違いを際立たせるあたりは試みとして楽しく、説得力もある。

といった前置きをした上で、〈構造的な「切れ」と「穿ち」〉の有無で、近現代の柳俳をも機械的に弁別しようとする無理を指摘したのだった。復本は季語の本意をめぐる発言などでもそうなのだが、発生史に対する理解と同時代作品の批評を素朴に混同する悪癖を持っていて、『俳句と川柳』はその典型的な事例であった。俳文学者がなまじアクチュアリティを発揮しようとすると、そんなふうになるしかないのかも知れないが。

拙文に限らず、さすがに復本のこの蛮勇の書には反発も多く、特に川柳サイドからは樋口由紀子や倉本朝世らによる強い批判の噴出があった。だが、二〇〇〇年の読売新聞の年間回顧で川名大が〈今年、俳句界と川柳界で最も話題になり、論議された〉と紹介しているように、同書は良くも悪くも影響力のある本であり、例えば「俳句研究」の同年五月号で、大石悦子×今井聖×小川軽舟による「切字の復権」と題しての鼎談が行われているのは、本書が作った流れを受けてのものであろう。その後も、「俳句」「俳句研究」両誌だけでも、「名句と切れ」、「俳句の未来―『切れ』と『季語』をめぐって」、「『切れ』の徹底研究」、「切字と切れ」、「『切れ』と俳句空間」といった特集やら対談やらが行われている。

俳句が俳句らしくあるためには、俳句に似たなにかを「非俳句」として実体視して、その「やつら」とのあいだに境界線を引くことを必要とします。その「やつら」が子規にとっての連俳と川柳、虚子にとっては新傾向だったわけです。同様のメカニズムによって、小は田舎のヤンキー集団同士の軋轢から大はナショナリズムまで、いろんなものが動きます。

これは、千野帽子が「俳句」四月号特集に寄せた「復本一郎『俳句と川柳』を再(誤)読する。」の一節だが、かくも切れをめぐる議論が欲望される無意識の動機をよく突いているだろう。しかし、復本や長谷川の活躍はあったにせよ、なぜ二〇〇〇年代の今、切れ論議がこんなに盛り上がるのかにまでは千野も答えてくれない。ここで「青群」における復本の、一文に戻る。復本は切字(当然、切字によらない切れをも包摂して言っているのだろう)にこだわり過ぎる結果、詩(文学)性が二義的にされていると述べているが、これは話が逆で、むしろ詩(文学)性が二義的にされた結果、切れという形式性への過剰な期待が生じてしまったという方が事実に近いのではないのか。復本の切れ論議などはまだしも形式性を形式性として扱うことから逸脱しないが、それは復本が一義的には実作者ではない(鬼ヶ城? そんな人もいましたな)ためそれで済むからで、それでは済まない長谷川の切れをめぐる主張が一路精神主義に傾いてゆくのはなんのことはない、本来、形式性でしかないところに彼の詩(文学)性が賭けられてしまっているからだ。

さて、論を閉じるにあたって、いちおう評者自身の切れ観を示しておくべきだろうか。評者は、俳句オリジナルとしての切れは、連歌の発句だった段階にしかなかったと思っている。すなわち、かつて仁平勝が二条良基の所説を引きながら言っていたように、脇以下から発句を切り離す意味での切れのみが俳句に独自なのであるということ。脇以下から語の上でではなく、ジャンルとして切り離されてしまった近代の俳句の切れは、もはや別段この形式に特有のものではないのでは、と疑っている。先にちらと触れた川名大の年間回顧に、〈俳句や川柳のような短詩型で詩的インパクトを増幅させようとすれば、「切れ」が入り込むのは必然なのだ。〉とあるが、ここで川名が言っているような意味での切れ(つまり現在、多くの俳人が考えているような切れ)は、短詩型だろうが長詩型だろうが、およそ詩的言語が「インパクトを増幅」させる場合の普遍的な手段のひとつ、ではないのかどうか。例えば、次のランボーの有名な詩の一節(和訳は小林秀雄)。

O saisons, o chateaux !

Quelle ame est sans defauts ?

あゝ 季節よ、城よ
無疵なこゝろが何処にある


評者は一行目のO saisons, とo chateaux,の間に、いうところの切れが無いとはにわかに信じられない。またさらにこの一行目と二行目も切れているのではないのか。

万里悲秋常作客 万里/悲秋/常に客と作(な)り
百年多病独登台 百年/多病/独り台に登る


これは杜甫。やはりスラッシュのところは切れではないのか、特に各行の後の方は。

常娥応悔偸霊薬 常娥は応(まさ)に悔ゆべし霊薬を偸(ぬす)みしを
碧海青天夜夜心 碧海/青天/夜夜(よよ)の心


こちらは李商隠だが、一行目と二行目の関係はまさに切れつつ繋がるという意味での切れそのものと思え、二行目は二箇所で切れ、特に後の方の切れは深いと感じる。評者は外国語の教養に乏しいので、以上は自信を持っての言述ではない。これらを切れとみなせるか否か、博学の士の教えを待ちたい。

*「青群」二〇〇八年秋号は、編集部より贈呈を受けました。記して感謝します。

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5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

復本氏、長谷川氏の論も、件の特集もきちんと読まずに書くのですが、現在一般的に言われている「切れ」とは、句中の切断のことで、当然他の文芸にもあるもだと思います。多行詩の改行もそれでしょう。
ただ、俳句の場合、作品のボリュームが小さい分、ひとつの「切れ」が作品全体に及ぼす影響が大きく、それだけ有効な技法として重宝されてきたということだと思います。
あまりに便利使いされすぎているのも事実で、「週刊俳句」で「十二音技法」などというものが話題になったほどです。こちらを参照してください。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/05/blog-post_3632.html
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/11/blog-post_5890.html

匿名 さんのコメント...

俳句と切れについては、復本論に先行して外山滋比古『省略の文学』で既に「切れ」の強調をしていますね。これがその出版当時如何ほど反響があったのかは知りません(これはちょっと知りたい)し、外山自身は川柳を視野に入れて書いていないけど、論理的には包含していて、既に復本論的「切れ」による俳句川柳の切り分けを相対化していると思っています。
 

匿名 さんのコメント...

Quelle ame est sain defaut?
訂正:
Quelle ame est sans defaut ?
「切れ」は繋がるためにある。
堀切実氏の記事を参照。

匿名 さんのコメント...

匿名さま
ご指摘ありがとうございました。
訂正いたしました。

匿名 さんのコメント...

匿名さま
「切れ」は繋ぐためにあるとかないとか、さしあたり問題ではありません。拙稿の意図は、個別の切れ論の当否をあげつらうところにはないのですが、お読み取りいただけなかったのでしょうか。ランボーの詩の引用の誤りのご指摘、感謝いたします。