■俳句九十九折(2)
近代俳句史人名リスト
・・・冨田拓也
A 第二回目が始まりました。B 今回はどうするのですか。
A とりあえず、これからの前提となる俳句の始まりから現在までを作者名の羅列で俯瞰してみましょうか。
正岡子規 内藤鳴雪 夏目漱石 藤野古白 新海非風 石井露月
松瀬青々 青木月斗 大谷句佛 齋藤紅緑 岡本癖三酔 高田蝶衣
村上鬼城 尾崎紅葉 泉鏡花 岡野知十 増田龍雨 籾山梓月
大場白水楊 安藤和風 高浜虚子 寺田寅彦 大須賀乙字 臼田亜浪
飛鳥田孋無公 河東碧梧桐 中塚一碧楼 青木此君楼 野村朱鱗洞
海藤抱壺 安齋櫻磈子 大橋裸木 村上蚋魚 大谷碧雲居 大須賀乙字
松根東洋城 野村喜舟 尾崎迷堂 久保田万太郎 岡本松浜 久保より江
島村元 池内友次郎 柴田宵曲 荻原井泉水 種田山頭火 尾崎放哉
富田木歩 渡辺水巴 原石鼎 前田普羅 飯田蛇笏 富安風生 高野素十
川端茅舎 松本たかし 杉田久女 阿波野青畝 森川暁水 後藤夜半
芥川龍之介 内田百閒 永井荷風 池内たけし 原月舟 吉岡禅寺洞
芝不器男 横山白虹 鈴木花蓑 水原秋櫻子 石田波郷 石橋辰之助
能村登四郎 永田耕衣 山口誓子 橋本多佳子 平畑静塔 山口青邨
中村草田男 加藤楸邨 篠原梵 高浜年尾 日野草城 京極楊陽
高屋窓秋 渡辺白泉 篠原鳳作 皆吉爽雨 伊藤柏翠 長谷川素逝
藤後左右 片山桃史 高篤三 喜多青子 神生彩史 藤木清子 細谷源二
中村三山 阿部青鞋 三谷昭 秋元不死男 鈴木しづ子 川口重美
安住敦 火渡周平 齋藤空華 星野石雀 富澤赤黄男 三橋鷹女
高柳重信 中村苑子 野沢節子 石原八束 桂信子 下村槐太 金子明彦
火渡周平 林田紀音夫 中田有恒 池上浩山人 村山古郷 相生垣瓜人
百合山羽公 稲垣きくの 鈴木真砂女 野見山朱鳥 橋本鶏二 中島斌雄
上村占魚 木下夕爾 榎本冬一郎 草間時彦 小川双々子 堀井春一郎
角川源義 加倉井秋を 村越化石 相馬遷子 飯田龍太 森澄雄
金子兜太 佐藤鬼房 三橋敏雄 鈴木六林男 赤尾兜子 橋間石
和田悟朗 楠本憲吉 藤田湘子 加藤郁乎 飯島晴子 阿部完市
清崎敏郎 津田清子 波多野爽波 後藤比奈夫 石川桂郎 深見けん二
安東次男 津田清子 星野麥丘人 山口草堂 鷲谷七菜子 山上樹実雄
佐野まもる 齋藤玄 原裕 堀葦男 島津亮 八木三日女 澁谷道
古沢太穂 内藤吐天 篠原梵 本郷昭雄 八田木枯 岡井省二
中尾壽美子 山田みづえ 相馬遷子 右城暮石 千代田葛彦 上田都史
志摩聡 寺田澄史 古館曹人 有馬朗人 細川加賀 石田勝彦
今井杏太郎 磯貝碧蹄館 清水径子 飴山實 三好潤子 大峯あきら
稲畑汀子 辻田克巳 平井照敏 岡本眸 齋藤夏風 黛執 宮坂静生
大串章 中谷寛章 竹中宏 友岡子郷 宇佐美魚目 高橋睦郎 鷹羽狩行
上田五千石 小宮山遠 石川雷児 吉田汀史 大嶽青児 宗田安正
柿本多映 手塚美佐 鍵和田柚子 長谷川草々 寺山修司 福永耕二
矢島渚男 河原枇杷男 安井浩司 折笠美秋 酒井弘司 大岡頌司
馬場駿吉 齋藤愼爾 福田甲子雄 広瀬直人 川崎展広 宇多喜代子
茨木和生 寺井谷子 大石悦子 山本洋子 岩城久冶 池田澄子
角川春樹 大木あまり 石寒太 倉田紘文 黒田杏子 攝津幸彦
坪内稔典 沢好摩 大井恒行 江里昭彦 宮入聖 西川徹郎 藤原月彦
今井聖 鳴戸奈菜 辻桃子 西村和子 岩淵喜代子 高野ムツオ
豊口陽子 大沼正明 久保純夫 大屋達治 能村研三 星野高士
西村我尼吾 筑紫磐井 堀本吟 仁平勝 小林恭二 夏石番矢 林桂
水野真由美 正木浩一 佐々木六戈 あざ蓉子 鎌倉佐弓 橋本榮治
三村純也 住宅顕信 奥坂まや 小澤實 長谷川櫂 皆吉司 山西雅子
中原道夫 和田耕三郎 対馬康子 片山由美子 正木ゆう子 中田剛
千葉皓史 上野一考 稲畑廣太郎 坊城俊樹 四ッ谷龍 三森鉄治
仙田洋子 石田郷子 夏井いつき 島田牙城 櫂未知子 田中裕明
岸本尚殻 中岡毅雄 小川軽舟 依光陽子 五島高資 高山れおな
鴇田智哉 髙柳克弘
B うーん、俳人って沢山いますね。全部読むだけで人生のあらかたが終わってしまいそうです。こんなものを勝手に作成して誰かが「自分が入っていない」と言って怒ってきませんか。
A まあ、どこの馬の骨とも知れない一介の俳句愛好者の所業ということで許していただきましょう。いくらか取りこぼしや偏りのある杜撰なものですが(特に明治時代は私自身の勉強不足と資料が手に入らないものが多いため)、なんだかんだいって俳句の歴史の中で主要な(と思われる)俳人はせいぜいこの範疇におさまるでしょう。若手の作者が五島高資、高山れおな、鴇田智哉、髙柳克弘といった方々以外にも存在し、これらの作者と同様まだ未知数の部分がありこれからどのような展開を遂げてゆくのか注目されます。作者の順番はある程度時代に沿って並べましたが、どういう順番にしてよいのかわからない部分が多いです(特に長命の俳人の場合句作期間が長期に及ぶため位置付けが難しい。生年順にしても問題がある)。一応「人名による俳句史」のプロトタイプとでもいったものでしょうか。評論家の名前がありませんし(山本健吉、神田秀夫、小西甚一、川名大など)、俳句に関係のある詩人(大岡信、宗左近、清水哲男など)や歌人(塚本邦雄、岡井隆、佐佐木幸綱あたり)などの名前も欠けています。無論、これ以前には俳諧の歴史が存在します。まあ、とりあえずこの流れの上に2008年9月の現在があるわけです。
B ここにいたるまでこれまでに「何があったのか」、そして「何がなかったのか」ということですね。
A 俳句の歴史を大雑把にみてゆくと。
正岡子規の俳句革新→河東碧梧桐の新傾向俳句→高浜虚子の俳壇復帰→4Sの登場→水原秋櫻子に端を発した前期新興俳句→後期新興俳句と人間探求派→戦後→第二芸術論→社会性・前衛俳句運動→飯田龍太・森澄雄の時代→ニューウェーヴの登場→新古典派の時代→現在
となります。
B なんだかいい加減過ぎませんか?
A そうですね。坪内稔典さんに「近代俳句史は謎だらけである。」という名言がありますが、俳句史全体を俯瞰する場合もよくわからない部分が多くてなんとも厄介です。とくに混沌としているのは戦後からでしょうか。戦後の俳句は、戦前からの作者も存在していますし、非常に多種多様です。能村登四郎の意見では俳人が最も刮目すべきよい仕事をしたのは敗戦や「第二芸術論」による衝撃の大きかった昭和二十年代の十年間だとか。1948年の山口誓子の「天狼」創刊や1951年の山本健吉の「現代俳句」の刊行、1952年の角川書店の「俳句」創刊もこの時期ですね。そしてやはりこのあたりから金子兜太、高柳重信、鈴木六林男、佐藤鬼房、飯田龍太、森澄雄、赤尾兜子あたりの固有の才能の存在が大きくなってゆくわけです。他に永田耕衣、三橋鷹女、加藤郁乎、寺山修司、鷹羽狩行なども存在していました。1961年には現代俳句協会が二つに別れ、俳人協会が設立。昭和四〇年代あたりになると、三橋敏雄が俳句に復帰し、阿部完市、飯島晴子、折笠美秋、河原枇杷男、安井浩司あたりがその存在感を増してきます。いままで空白の時代だともいわれていた昭和四〇年代は宗田安正さんによると「存在のエポックともいうべき時代」ではないかとのことです。この時期には上田五千石、福永耕二、竹中宏、矢島渚男、酒井弘司、大岡頌司、大串章なども登場してきます。
B その後の「ニューウェーヴ」という呼称もよくわかりませんね。「新古典派」とは違うのでしょうか。そしてこういった「ニューウェーヴ」や「新古典派」といった呼称もはたして現在どこまで有効性を持っているのでしょう。
A この時代から現在までを次回、少し詳しく見て行きましょうか。現代の俳句が直面しているいくつかの問題点に行き当たるかもしれません。
「俳人の言葉」第二回
君程度の感性では現代の詩的最先端などありえない。俳句という文芸を選んだ時点で椎名林檎には勝てない。
坊城俊樹 「伝統とファッショナブル」(「俳句研究」2003年10月号)より
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■関連記事
俳句九十九折(1)・・・冨田拓也 →読む
1 件のコメント:
「ニューウェイヴ」というのは私も聞いたことがありますが、誰が何を指して言い始めたのか判然としません。
それにしても伝統派は―その内実はともかく―「伝統」という語を使い続けることができるのに対し、反伝統というか、新しい傾向を行う側は、自分達をあらわす語も更新していかないといけないというのが、必然ではありますが、つらいですね。
現時点で適切な語が存在していないというのも……。
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