■時評風に(猪村直樹/作品番号3)
・・・筑紫磐井
「―俳句空間―豈weekly」は3人で発行されているが、生野氏が中々登場しない。彼のリリーフ役でもと思い年かさな私も書かせていただいた(前回から富田氏が参加しているのは寄稿者として心強い)。
* *
猪村直樹句集から名句を選ぶつもりはない。私が彼の句集を今読もうとする意味は、もしかしたら中原道夫や正木ゆう子をしのぐ作家になりえた(当時両者の俳句の差など我々には全く見えていなかった)猪村直樹が、同世代と何を共有していたかということだ。中原や正木という世代を突き動かす動因が猪村をも動かしているはずであり、中原や正木がその個性という名で限定・切り取ってしまった当時の「俳句の時代精神」が、猪村を通すことによってもっと広く見えてくる可能性を見たいと思うのだ。
そしてそれは、中村安伸氏がweeklyで連載している佐藤文香を見る目とも重なり合うように思う。同時代の作家(生き残っている前の世代、および同世代)と比較することも大事だが、20年前に中原や正木が作り上げた俳句世界以外の可能性とも比較したとき、果たしてそれが新しいのか新しくないのかがよりよく分かるだろうと思う。
猪村直樹と言ったらまずこの句であろう。かりがねと水道管の二物は恐ろしい衝撃波を私達の脳髄に与える、なんて分かったようで分からない言葉を手紙に書いたが、「水道管」という素材に沖の若手はたじろいでしまったと言うべきだ。
花疲れ人のうしろにゐて撮らる
中原や正木、鎌倉佐弓、小沢克己などが自分たちの世界を作り上げる過程で切り捨てたあの時代の何とも言えない雰囲気だ。そして、切り捨てられてしまってよかったどうか、は今もって分からない。いや、佐藤文香の現代的と思われる世界にも亡霊のように浮かび上がる、猪村直樹が20年を先取りした精神(ガイスト)であったかも知れない。
初蝶来あたまのなかの蝶は消え
前の句に対する、現実の蝶と観念の蝶が荘子の比喩にのっているという当時の私の解釈はあまり適切なものではなかった。むしろ「今日もまた昼めしぬき」が出てきてしまう、猪村直樹の生活と精神の世界が、今日の我々の違和感を予告していると見た方が、はるかによいのではないか。当時誰もこのような詠み方はしなかった、しかし厭に腑に落ちてしまうリアリティがある。鬱とか過労死とかフリーターとか、高齢未婚(猪村直樹も比較的高齢の結婚だったように思う)とか、当時考えられなかった憂鬱な世界を猪村直樹は当時から引き受けていた。
これも、明治大正時代の句と見えながら(詠み方も実際そうだが)実はその心情は現代の我々の心に深く錘を垂れている【注】。
釘抜きし穴が台風圏にあく
宇宙へと空がらあきや干菌
だから、当時、我々の仲間が若々しさが見えているとした、〈ヨットの帆しばらくは戻りこぬ白さ〉〈折りとりしつららが君へ尖るなり〉もさほど今や驚く句ではなくなっているし、まして大構えな〈日と月のわたりゆくため大枯野〉〈こつそりと天にかへつてまた降る雪〉は、当時流行った「沖風」の中に収まりきってしまっているように思われる。
最後に若干佳句を補足しておく。
今点きし春燈までは同番地
消し忘れ来し寒燈に待たれをり
ある日よりもう降りてこぬ鷹となる
* *
【注】予防接種(種痘)は昭和51年廃止、天然痘の絶滅宣言は昭和55年。天然痘以後の誕生の現代俳人は、俳句研究年鑑で見ると高柳克弘、神野紗希(もちろん佐藤文香も)だけのようだ。猪村直樹の恋の対象たり得ない、か。
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