2008年9月6日土曜日

時評風に(猪村直樹/作品番号3)・・・筑紫磐井

時評風に(猪村直樹/作品番号3)

                    ・・・筑紫磐井

「―俳句空間―豈weekly」は3人で発行されているが、生野氏が中々登場しない。彼のリリーフ役でもと思い年かさな私も書かせていただいた(前回から富田氏が参加しているのは寄稿者として心強い)。

「時評風に」と題しながら訃報記事が続いたが、なぜなら、「アジリティ」という特性から言うと訃報ほどweeklyに向いているものはない。単に事件としてというより、その人の名前によってある時代を想起せざるを得ないのもいい。60年近く生きていると、事実が私の中で歴史的に対比比較できる条件は生まれてくる。成功するかどうかは別として、書く価値も生まれてくるように思われる。ただ、今回は報告すべき訃報がないので、古い句集を読んでみた。古い句集がなぜ「アジリティ」かは自ずと説明が及ぶと思う。

     *     *

猪村直樹はもう俳句を作っていない。20年ほど前に『二水』という句集を編んで俳壇から消えた。当時の年齢は30代半ばのはずであるから、一応若手には属するだろう。私の記憶する最も愉快なエピソードは、「沖」という雑誌で若手座談会をやることになり、中原道夫や能村研三らが参加したのだが、雑誌編集の最後に参加者の写真を入れようとしたら猪村直樹の写真が入らない、つまり彼は二時間口を開かなかったのである。後でどのように編集してごまかしたのか知らないが、その強烈な自己主張(ネガティブな意味での)に、日頃ただでさえ饒舌な私は畏敬の念を抱かずにいられなかった。

猪村直樹句集から名句を選ぶつもりはない。私が彼の句集を今読もうとする意味は、もしかしたら中原道夫や正木ゆう子をしのぐ作家になりえた(当時両者の俳句の差など我々には全く見えていなかった)猪村直樹が、同世代と何を共有していたかということだ。中原や正木という世代を突き動かす動因が猪村をも動かしているはずであり、中原や正木がその個性という名で限定・切り取ってしまった当時の「俳句の時代精神」が、猪村を通すことによってもっと広く見えてくる可能性を見たいと思うのだ。

そしてそれは、中村安伸氏がweeklyで連載している佐藤文香を見る目とも重なり合うように思う。同時代の作家(生き残っている前の世代、および同世代)と比較することも大事だが、20年前に中原や正木が作り上げた俳句世界以外の可能性とも比較したとき、果たしてそれが新しいのか新しくないのかがよりよく分かるだろうと思う。

  かりがねが水道管を伝はれり

猪村直樹と言ったらまずこの句であろう。かりがねと水道管の二物は恐ろしい衝撃波を私達の脳髄に与える、なんて分かったようで分からない言葉を手紙に書いたが、「水道管」という素材に沖の若手はたじろいでしまったと言うべきだ。

むしろ、今になって端倪すべきはこんな句であろうか。

  花疲れ人のうしろにゐて撮らる

  仲間うち一人だけ汗退いてゐる

中原や正木、鎌倉佐弓、小沢克己などが自分たちの世界を作り上げる過程で切り捨てたあの時代の何とも言えない雰囲気だ。そして、切り捨てられてしまってよかったどうか、は今もって分からない。いや、佐藤文香の現代的と思われる世界にも亡霊のように浮かび上がる、猪村直樹が20年を先取りした精神(ガイスト)であったかも知れない。

もっと不可解な世界だってある。

  初蝶来あたまのなかの蝶は消え

  今日もまた昼めしぬきに蝶舞へり

前の句に対する、現実の蝶と観念の蝶が荘子の比喩にのっているという当時の私の解釈はあまり適切なものではなかった。むしろ「今日もまた昼めしぬき」が出てきてしまう、猪村直樹の生活と精神の世界が、今日の我々の違和感を予告していると見た方が、はるかによいのではないか。当時誰もこのような詠み方はしなかった、しかし厭に腑に落ちてしまうリアリティがある。鬱とか過労死とかフリーターとか、高齢未婚(猪村直樹も比較的高齢の結婚だったように思う)とか、当時考えられなかった憂鬱な世界を猪村直樹は当時から引き受けていた。

  初恋は種痘のころと思ひけり

これも、明治大正時代の句と見えながら(詠み方も実際そうだが)実はその心情は現代の我々の心に深く錘を垂れている【注】。

また一見、正木ゆう子の専売特許のように思われている宇宙俳句、環境俳句も、

  釘抜きし穴が台風圏にあく

  宇宙へと空がらあきや干菌

に、この世代の共通の視点が見えるのである。
だから、当時、我々の仲間が若々しさが見えているとした、〈ヨットの帆しばらくは戻りこぬ白さ〉〈折りとりしつららが君へ尖るなり〉もさほど今や驚く句ではなくなっているし、まして大構えな〈日と月のわたりゆくため大枯野〉〈こつそりと天にかへつてまた降る雪〉は、当時流行った「沖風」の中に収まりきってしまっているように思われる。
最後に若干佳句を補足しておく。

今点きし春燈までは同番地

出生の前夜の火事の記憶かな

消し忘れ来し寒燈に待たれをり

撮られたる白鳥のまだネガのまま

ある日よりもう降りてこぬ鷹となる

なおついでながら言えば、能村登四郎の門下にいた影響は、(私も含め)他の多くの若手作家同様、猪村直樹に切れや切字に無関心な態度をとらせている。切れや切字があるかないかではなくて、どうでもいいのである。実際新聞の記事の一行を切り取ってきたような文体である。現在やたらと切れに執着する保守化した若手とは対照的である。では何が猪村直樹にとって俳句的なのか。おそらく、詠まれた俳句の中にある思想や思念の断絶、切れ、ミスマッチにこそ俳句の伝統を見ているのである。そしてそれは結構正しいのである。

     *    *

第2号の高山氏の「『鑑賞女性俳句の世界』第6巻を読むーー併せて池田澄子著『休むに似たり』について」はいろいろなブログで反響を呼んでいるようだが、第3号の私の「時評風に」は高山れおな氏に言わせると、蓋棺録に加えてこの池田澄子論へのある種の批評が入っているそうだ、しかし名前を出さずにしている批判(高山批判、池田批判ではないそうだ)がどれくらいの他の人に通じるか分からない、と危惧してくれた。今回は正直に中村安伸氏の「佐藤文香句集『海藻標本』を読む」に触発されたものであることをあらかじめ断っておく。『二水』は牧羊社から1988年、今から20年前に刊行されている(佐藤句集を出したふらんす堂を起こした山岡喜美子さんがプロデュースしたものかも知れない)。私がワードプロセッサーを使い始めたのはこの年、当時出した手紙のフロッピー文書が今も残っており、先日その整理をせざるを得なくなり、出てきた手紙を元に再構成してみたものである。

【注】予防接種(種痘)は昭和51年廃止、天然痘の絶滅宣言は昭和55年。天然痘以後の誕生の現代俳人は、俳句研究年鑑で見ると高柳克弘、神野紗希(もちろん佐藤文香も)だけのようだ。猪村直樹の恋の対象たり得ない、か。

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■関連記事

時評風に(伊藤白潮/作品番号1)・・・筑紫磐井   →読む

時評風に(前田透/作品番号2)・・・筑紫磐井   →読む

『鑑賞 女性俳句の世界』第六巻を読む(2)

併せて池田澄子著『休むに似たり』について・・・高山れおな   →読む

佐藤文香句集『海藻標本』を読む(1)・・・中村安伸   →読む

佐藤文香句集『海藻標本』を読む(2)・・・中村安伸   →読む

佐藤文香句集『海藻標本』を読む(3)・・・中村安伸   →読む

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