2008年11月1日土曜日

俳句九十九折(10)俳人ファイル(2)小宮山遠・・・冨田拓也

俳句九十九折(10)
俳人ファイル 小宮山遠

                       ・・・冨田拓也

小宮山遠 15句


夕焼の中来て白き掌をひらく

人死にしゆうべにんじんの花白き

海くらし身にまとうべきマント着れば

寒卵わるとき火事に似しおもい

木の股の白きゆうべの老婆の死

灼砂を蹴る何物も恃めなし

群るるとき苦しみのいろ曼珠沙華

露一粒その周辺の昏きことよ

全身に寒さ呼ぶごと踏切越ゆ

園は黄に枯るる「このとき目覚めねば」

隙間多き家をめざして稲妻す

明日生きたし裸の山のいなびかり

訣れたり山上の風に髪怒る

木より蛇墜ちてゆうべに生身の音

手を挙げて虹に列すべき指はなし


略年譜

小宮山遠(こみやま とおし)

昭和6年(1931)  静岡県に生まれる

高校在学中に秋元不死男を知り、「氷海」創刊と共に参加

昭和25年(1950) 「氷海」同人

昭和29年(1954) 西東三鬼の「断崖」に投句

昭和37年(1962) 「頂点」同人

昭和44年(1969) 句集『喪服』刊

昭和49年(1974) 一切の所属を断つ

平成10年(1998) 「夢幻航海」客員

平成13年(2001) 句集『黒鳥伝説』刊

平成16年(2004) 句集『第七氷河期』刊


A 第2回目です。

B 今回は小宮山遠です。

A あまりご存じない方も多いかもしれません。

B 『最初の出発』第2巻に第1句集『喪服』の抄出が掲載され、塚本邦雄の『百句燦燦』に1句が取り上げられているくらいですから、多くの人たちの目に触れる機会が少ないところがあります。他には「鬣」で江里昭彦さんが言及されているくらいでしょうか。

A 私は俳句を始めて一年ほどした頃、齋藤慎爾さんの評論でこの作者の存在を知ったような記憶があります。

B そういえば『最初の出発』への入集も斎藤慎爾さんの推挽ではなかったかと思います。

A 私にとっては、これらの作品の持つ詩性の強靭さは相当な驚きでした。このような作者が存在したのかと瞠目したおぼえがあります。

B ここに選んだ15句は、ほとんど昭和24年から昭和27年の作品、つまり、この作者の10代の終りから20代のはじめの頃の作品ということになります。おそらく句作を開始して数年の作ということになるのではないでしょうか。

A ちょっと信じ難いところがありますね。凄まじい才気です。

B 齋藤慎爾さんも〈ひとはしばしば早熟・天稟を口にする。しかし小宮山遠のような戦慄すべき一行を十代にして彫琢しえた早熟の俳人を私は寡聞にして知らない。誓子、草田男、波郷、楸邨の天才をもってしても、固有の文体の「完成」をみるには二十代を待たねばならないであろう〉と書いておられます。さらに、「俳句四季」において齋藤さんは〈山口誓子と秋元不死男が、この十代の俳人に愕然としたんです。勿論、上田五千石、鷹羽狩行も驚嘆したはずです。〉と発言しておられます。

A しかしながら、齋藤慎爾さんがこのように評価し続けてこなければ、今頃この作者の作品は歴史の堆積の中に紛れ、ほとんど存在しなかったことになっていたわけですね。

B ですから、やはりこういった評価の存在が重要だと思うのです。自分が本当に優れていると思える作品についての評価を、評論やアンソロジーなどといったかたちで纏めて残しておく、そういった作業がやはり必要なのだと思います。そういったことを、なんらかのかたちで行わなければ、優れた作品の存在が、そのまま無かったこととして、葬り去られてしまう結果にもなりかねません。

A そういった意味では、斎藤慎爾さんもいつも「怨念」を撒き散らしているような印象がありますが、その一方で、優れた作品をしっかりと評価、顕彰されておられるわけですね。

B 他にも、堀井春一郎、秋沢猛、中尾寿美子、正木浩一、長谷川草々など、あまり人に知られるところが少ないですが、優れた作者を評論などで評価しておられます。

A さらに齋藤さんは、他に編集者として、朝日文庫の『現代俳句の世界』16冊、「アサヒグラフ」の増刊、『誓子 青畝 楸邨 さらば昭和俳句』、『西東三鬼の世界』の編集、『女性俳句の先覚者 4T+H』、『二十世紀名句手帖』全8冊などの業績、そして、寺山修司『花粉航海』、堀井春一郎『曳白』、『正木浩一句集』、宗田安正『巨眼抄』などの句集や、江里昭彦『生きながら俳句に葬られ』、筑紫磐井『飯田龍太の彼方へ』、宇多喜代子『つばくろの日々』、堀本吟『霧くらげ何処へ』などといった評論集の出版もなされています。

B 齋藤慎爾さんは、宗田安正さんと共に俳句史における重要な編集者の一人としてこれからも評価されることになりそうですね。

A 宗田安正さんも、立風書房の『現代俳句全集』全6巻や『鑑賞現代俳句全集』全12巻、『橋本多佳子全句集』、『三橋鷹女全句集』、『杉田久女全集』、『高柳重信全集』などを編集されておられます。また、お二人とも俳句という1つのジャンルのみにとどまらず、文芸の世界における業績も少なくありません。

B さて、それでは小宮山遠の作品についてみていきましょうか。

A まずは〈夕焼の中来て白き掌をひらく〉

B 非常に色彩感覚が鮮やかですね。一面のオレンジ色の夕焼けの中に、ゆっくりと開かれてゆく白いてのひら。普通の言葉が使用されているだけなのですが、なにかしら尋常でない濃密なポエジーが感じられます。

A 対馬康子さんに〈月光やあの手も燃えてしまいけり〉という句がありますが、小宮山遠の句も同様に、かなり謎めいた雰囲気があります。

B この句には、おそらく西東三鬼の〈夜の湖ああ白い手に燐寸の火〉の影響があるのではないでしょうか。

A なるほど。この作者の色彩感覚は、たしかに三鬼作品の原色の強さを髣髴とさせるところが多分にあります。そして、白という色彩は新興俳句にとっては象徴的な色彩でした。

頭の中で白い夏野となつてゐる     高屋窓秋

影はただ白い鹹湖の候鳥        富澤赤黄男

あまりにも石白ければ石を切る     渡辺白泉

波のりの白き疲れによこたはる     篠原鳳作

しろい昼しろい手紙がこつんと来ぬ   藤木清子 

しろきあききつねのおめんかぶれるこ  高篤三


B こういった作品の影響がどこまであったのかわかりませんが、この作者の作にはどこかしら新興俳句的な雰囲気が感じられるところがあります。師が秋元不死男であるということも大きいのかもしれません。

A 当時の秋元不死男の「氷海」には多くの俊鋭たちが集まっていたそうです。堀井春一郎、鷹羽狩行、上田五千石、清水径子、中尾寿美子、寺山修司、松村禎三、宗田安正、齋藤慎爾、秋沢猛等々。

B すごいメンバーですね。これらの作者の中の何人かの影響も少なくないのかもしれません。

A 〈夕焼の中来て白き掌をひらく〉の他にも、同じような色彩感覚の句に、〈人死にしゆうべにんじんの花白き〉〈寒卵わるとき火事に似しおもい〉〈木の股の白きゆうべの老婆の死〉などがあります。

B どの句もオレンジと白ですね。〈木の股の白きゆうべの老婆の死〉は三鬼の〈月夜少女小公園の木の股に〉が下敷きでしょう。

A 〈寒卵わるとき火事に似しおもい〉も三鬼の〈火事赤し一つの強き星の下〉〈赤き火事哄笑せしが今日黒し〉を思わせます。

B おそらくこの句は、卵の黄身の赤さが、火の色にみえたというところからの発想なのでしょう。

A 卵を割った瞬間に火事を連想するというのは、並の感性ではありませんね。

B まるで、無垢なる白い卵の生命を自らの手によって奪う原罪意識と、一切のものを灰燼に帰せしむる火事の暴力性とが交錯するようです。

A 卵の冷たさによる無機質さと、火事の圧倒的な熱量の対比も感じられそうです。

B 他に、このような強い色彩感覚を喚起するものとして、〈群るるとき苦しみのいろ曼珠沙華〉〈園は黄に枯るる「このとき目覚めねば」〉〈手を挙げて虹に列すべき指はなし〉などが挙げられます。

A 〈群るるとき苦しみのいろ曼珠沙華〉は咲き乱れる曼珠沙華を「苦しみのいろ」と表現したところに驚かされます。

B 確かにあの曼珠沙華の過剰なまでの赤さには、ある種の息苦しさのようなものを感じさせるところがありますね。「苦しみのいろ」という表現からは、どこかしら「傷」による痛みも連想されます。

A 〈園は黄に枯るる「このとき目覚めねば」〉も「黄」の色彩が特徴的です。

B 「黄」ですから、黄落というべきなのかもしれません。

A あらゆる植物が枯れていく風景の裡に精神の逼迫と危機が投影され、自らの覚醒への希求が強く願望されています。極寒の季節を前にして、黄葉の目の覚めるような鮮やかな色彩を自らの心象へ投影することで、己自身を強く鼓舞しようとしているわけですね。〈明日生きたし裸の山のいなびかり〉という句と同様、心の奥底から自らの力を喚起しようとする強い意志が感じられます。

B 〈手を挙げて虹に列すべき指はなし〉も色彩に特徴がありそうです。

A 虹は、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色、そして、指は当然ながら、肌色です。5本の肌色の指。そのどれもが、無様で、虹の美しさとは比すべくもないとでもいったような、なにかしら人間であることへの嘆きというか、諦念のようなものが感じられます。

B 否定による表現から、強い現実感が顕れてくるようです。それと同時に、虹への強い憧憬と、虹に列するような煌びやかな指のイメージも逆に喚起されてくるようなところもあります。

A さて、小宮山遠の作品について少しですが見てきました。

B 戦後直ぐという時代状況ゆえなのでしょうか、どの句も重い苦悶の表情を湛えています。だからといって、その作品が、単純にそういった境涯性に溺れしまうことなく、ひとつの鑑賞に堪えうる作品として完成し、自立している印象も強く感じられます。

A それは、もしかしたら新興俳句の作品主義的な側面が、単純な境涯性へと陥ることをかろうじて踏みとどまらせていたのかもしれません。

B ここに取り上げたのは、さきほども書きましたが、ほぼ昭和24年から昭和27年までの作です。このあと作者は、所謂「前衛俳句」へと向かい、作風も変貌してゆきます。

A 小説家の小川国夫が「俳句研究」の「兜太の鼓動」という文章で〈私の生れ住む藤枝という町には、やはりここに生まれ住む小宮山遠という俳人がいて、兜太について語り合うことが少なくなかった〉と書いていますね。

B この3、4年という短い期間における作品の一瞬の閃光。それは、戦後の一時期、一人の青年のうちに様々な条件が偶然に重なりあい、ある奇蹟的な均衡を保つことによって生み出された、特別な作品だったのかもしれません。

A その作品は、時代の陰影を深く刻印されたがゆえの、強靭で底光りのするような詩性による光耀を、いまも発し続けているようです。


選句余滴

寒木やみな飢えおれば空仰ぐ

寒く堅き土を跣足の群衆過ぐ

灯すとき海の寒さに手をつつまる

蟻が頭を喪のある家へ上ぐるなり

太宰忌や蟬死しほかの蟬鳴けり

冬晴や孤児がみひらく胡桃の目

拳で叩く枯木悪夢の昨夜無し

炎天をいま盗人の目ばかり過ぐ

枯蓮以外悪魔の杖を未だ見ず

崖端の菫に触れて怒りほどく

海にドア開かれる青年の死のように

鳥の目光る山頂めざしわが柩




俳人の言葉 第10回

句作を初めたのは、はっきり戦後だが、その基盤となる精神形成の面から考えると、戦争と敗戦とそして復興につながる、苛酷な時代に青春を過ごして来た。時代の落差によって生じた不幸な落し子の青春でもあった。

小宮山遠 句集『喪服』昭和44年(1969)あとがきより

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俳句九十九折(8)俳句アンソロジー・・・冨田拓也   →読む

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