2008年11月1日土曜日

切れについて2又は序詩

評論詩「切れについて2 又は序詩」(作品番号10)

                       ・・・筑紫磐井

目次
1.私が評論詩を書く理由
2.『老子』について
3.ウエッブの文体
4.評論詩と切れ
5.無粋な解釈詩学、粋な定型詩学
6.切れの定型詩学的分析
7.句読法の歴史
8.歌人の切れ
9.川柳・俳句の切字論争
10.芭蕉・蕪村・子規と現代俳人

1.私が評論詩を書く理由
「評論詩」の祖はアレクザンダー・ポープであろうか。
彼が「人間論」を書くに当たり、韻文形式をとった理由について、
①読者の感銘も深く記憶が容易である、
②このようにして書いた方が
短い言葉で表現できるからである、と述べている。
アリストテレスは「かかる韻律を用いたエムペドクレースの哲学詩は
詩ではない」
といっているが、
それならばなぜ韻律を用いたのかを説明できない。
ポープの方が直接的だ。
とはいえ一方で、韻文形式は論理を超越することがしばしばある。
しかし、「人間論」を論ずるに当たって、
論理を超越することが必要である理由がこれでは中々理解できない。

ポープやアリストテレスの考え方は
いささか便宜論に陥っているような気がする。
もっと高邁な評論詩の理念論があってしかるべきだ。
定型詩学は、形式が内容を生む、と見る。
改行することによって生まれる改行の精神がある、
改行すれば詩となる、
そこには詩の精神が生まれる。
これを求めてポープは「人間論」を書き、
エムペドクレースは「自然論」を書いたのだ。
散文では「人間論」も「自然論」も書けなかった、
あるいは、全然違った「人間論」や「自然論」になっていた。

高山れおな氏は私に対するインタビューで、
「文章の改行が多くて、
余白が大きければそれは詩だという、極端な逆転の発想があって、
こういうスタンスには、
一種の悪意みたいなものを感じる」
(「豈」36号)といったが、
真摯に真実の姿を探究することは
好意以外の何ものでもないように私は思っているのだが。

かくて私は論文をすべて改行してみた。
これを、評論を詩で書くという。
詩にふさわしくない叙述は多少削除し、変形させ、
詩が語るように「切れ」について語らせてみた。
散文では書けないことをつい口走っている。


2.『老子』について
『老子』に深遠な思想を読み取る人は多い。
ただ、定型詩学の立場から見ると、間違っている。
孔子・孟子・荀子・荘子・韓非子の饒舌な諸子百家の中で、
なぜ、『老子』にわずか81章5000言の短編が編まれたか。
『老子』のポイントはそこにある。
すなわち饒舌に対する寡黙である。
多少は易に学んだのかも知れないが、本質はそこである。
そして、それを載せる文体に徹底した対句構造を選ぶ。
対句構造は使用方法によっては寡黙ともなるからである。
ところで、対句構造で記述される内容には、
①同義的内容と②対立的内容がある。
日本の古代歌謡・沖縄のクェーナの
「要素反復」は同義的内容であったが、
中国の特に『老子』のそれは対立的内容であった。
同義的内容はその反復により歌謡を生み出すが、
対立的内容の対句構造はぶつぎれにぶつぎれ、
矛盾した論理(前述した「論理を超越する)をどんどんと展開する。
これが『老子』の思想の本質である。見てみよう。

[『老子』第1章]
道可道非常道
名可名非常名
無名天地之始
有名万物之母

常無欲以観其妙
常有欲以観其徼

これは思想ではない。
詩である。
そして、各連(2行1連)の間に詩的連続はあるものの、
思想的連続はない。
それを読者が、強いて思想として解釈しようとするとき、
深淵なる老子という思想が出現する。
その思想は書かれていない、
読者が読み取ってしまう思想である。
これが老子の秘密である。(その文体は若干『孫子』に似ている)

従って老子は、深い内容があってそれが記述されたのではない。
基本的な態度があるばかりだ。
反饒舌主義(それは反権力主義・反合理主義でもあったろうが)はあった、
それが対句構造をとって叙述(それも表現が優先する、芸術至上主義)された、
それにより、老子的思想を生んだのである。
反饒舌主義とは敗者の心情である、思想的態度ではない。
対句構造とは個人的な趣味の問題である、思想的態度ではない。

老子に個人思想の深さがない、
政治的な思想ばかりだという人もいるが、
それは当然なのである。
老子の態度は反饒舌主義と対句構造だけであれば、
その形式が何に触れて起こるかと言えば
他の諸子百家と同じ社会環境でしかない。
老子に見えている社会は、孔子・孟子に見えていた社会と同じである。
この社会枠組みを飛び出して、
超越した宇宙が見えるほど老子は独創的ではないのである。

老子の誕生は、孔子・孟子・墨子という思想家より新しいのは
このような理由による。
対句構造は楚辞に特徴的に見られるから、南方系の文体だ。
南方は滅ぼされた王朝であるから、反饒舌主義にはふさわしい。


3.ウエッブの文体
閑話休題。
ウェッブは自ずとウェッブに向いた形式・文体を要求している。
限られた視野面積、スクロール形式の読み取り、
文字量の無制限な可能性。
ウエッブに向いているのは改行の技術である。
そして、恣意的な(主観的な。
言い換えれば、機械的ではないという意味)改行が行われれば
そこに改行の精神が生まれる。
(私によればそれが)つまり「詩」である。
これが評論詩を書く理由である。
そこには散文で評論を書くのとは自ずと違った精神が生まれている。

4.評論詩と切れ
特に今回そこで論じられるのは「切れ」である。
詩で俳句を論ずることはローカルである。
俳句を論ずる際に「切れ」を論ずることは(俳人が見ても)
更にローカルである。
ローカルの中のローカル、
そこに自ずと俳句の精神が生まれる。
現代詩は9.11テロと湾岸戦争を論ずるべきである。
評論詩は「切れ」を論ずるのである。

従って、一見結論のように見える「俳人は、
「切れ」について沈黙しなければならない」
という
詩人(私)の言葉を信用してはいけない。
これは俳句の末尾に切字「かな」をおくのと同じように、
評論詩の伝統なのである。
俳句らしさを感じさせるための技法なのである。
では評論詩とは何か?まずもって、
「評論詩」を書くことが俳句的なのである、
評論詩で「切れ」を取り上げることが俳句的なのである。


5.無粋な解釈詩学、粋な定型詩学
私の俳句がメタ俳句であると批評されたことがある。
間違ってはいないかも知れない。
しかし俳句自身が、メタ世界記述である。
実体的解釈が多くの場合は成り立たない。
メタ世界記述の解析が出来るのは定型詩学だけである、
なぜなら解釈しないから。
私は、ひとりで喫茶店でボーッとしている時間が好きである。
色々な会話が耳を通過していく。
老人に巧みに投資を申し込む詐欺話もあれば、
亭主が職権を乱用して毎週ゴルフ三昧をしているとこぼす
汚職官僚妻の井戸端会議もある。
労働組合の委員長に会社側への寝返りを勧める人事部長もいるし、
不倫旅行の計画に熱中している会社の上司と部下もいる。
実に無防備に話がせせらいでいる。
いつから日本人がこんなに饒舌になったのか知らんと興味深い。
そんな中に、つい今までいちゃいちゃしていたカップルが、
突然、女が男に向かって「嫌い!」と叫び
店内がしーんとすることがよくある。
このとき、「嫌い」をI hate you!と理解するのが解釈詩学である。
定型詩学はこんな解釈はしない、状況を点検する。
無粋な解釈詩学に従って反論し、ますますぬかるみにはまりこむ男と、
粋な定型詩学に従って女の肩に手を回しなだめてしまう男と。
両詩学の違いはこんなところに現れる。


6.切れの定型詩学的分析
前述したように「評論詩」を書くことが俳句的なのであり、
評論詩で「切れ」を取り上げることが俳句的なのであるとしたら、
この評論詩で俳句的でないものは何か。
それは定型詩学そのものである。
だから、本編を補い、かつ独自の意味を持つ「序詩」を書くとしたら
この定型詩学部分だけでよいと思う。
「評論詩」は独自で俳句的なのであり、
「序詩」で補われては俳句的でなくなる。

さて、「評論詩」、つまり本編では4つの切れに分解したが、
これはあまりにも俳人が幼稚に「切れ」を扱っているために
分析的手法で違いを説明したに止まる。
実は4つは有機的に結びついている。

第1種の切れ(始源的切れ)は、
第2種の原始的な息切れが存在しないでは
生まれなかったであろう。
(もちろん、第1種の切れ(始源的切れ)の影響で
第2種の切れ(恣意的切れ/息切れ)は
近代化しているのだが(柿本人麿は
古代歌人に比較して、「近代歌人」である)。
第2種の切れ(恣意的切れ/息切れ)から
第3種の制度的な切れ(ジャンル創造的切れ)が生まれるに当たっては、
第1種で創造を行ったかすかな記憶が働いているからに違いない
(特に冠句の創始者にあっては)。
第1種の切れと第4種の切れは、
実は広い目で見れば何の違いもない切れなのである
(口語自由詩を創始した川路柳虹は
古代歌謡原理を完璧に使いこなしている)、
少なくとも日本以外の世界中の詩歌は、
第1種の切れが第4種の切れとして現在までそのまま通用している。
しかし、いま、これらを同一次元で論議することは俳人に向いていない。
「困難は分割せよ」【注1】という。
従って本編詩で4つに分解したのである。
「全体は部分の全体ではない」【注2】ともいう。
従って序詩を書くこととしたのである。

定型詩学のこのような考え方は、まず、「切字」の切れと、
短歌の伝統で言う「切れ」の違いに気づくことによって始まる。
近くは、引用した川本皓嗣氏の「切字論」が明確に述べている
(淺野信『切字の研究』は膨大な切字を論じながら、
この最も重要な点を気づかず、川本の批判を浴びている。後述)。
更に遠くは、仁平勝が『詩的ナショナリズム』で述べた
「虚構としての定型」論(まだ切れとは結びついていないようである)
も源流にあるといえるかもしれない。
私はこれを「第3種切れ(ジャンル創造的切れ)」と
「第2種切れ(恣意的切れ/息切れ)」と対比した。
しかし、後者の第2種切れの句切れは、自然に生まれるものではない。
定型詩学的に分析すれば、
2句切れ、4句切れは日本歌謡から必然的に生ずるものである。
しかし3句切れは、31文字(57/57/7)が確定した後に
専門歌人集団が生まれて初めて形成された。
専門家によるずらしの技法として生まれた。
私は、前者(2句切れ、4句切れ)を「第1種切れ」と呼ぶこととし、
日本歌謡史上において3者を並列に対比することとした。
「切れ」を自然発生するものではなく、
歌謡が自覚的に選び取った構造又は技法と考えたのである。
これが上に述べたような相関図として形成されたのである。
「第4種切れ(強制的切れ)」はこれらのついでに発案したものであるが、
日本の歌謡を世界に展開するためには
案外重要なコンセプトであると気づいた。
日本では、秋山基夫の『詩行論』が
『切字の研究』に匹敵する、唯一最も詳細な研究書である。

【注1】デカルト『精神指導の規則』規則第13の要約。
【注2】筑紫磐井。「しかし、部分は全体の部分である」と続く。


7.句読法の歴史
この評論詩、本編のクライマックスは、
誰が見ても分かるように、第3章(2)「句読点の歴史」にある。
「目に見えない句読」から、「目に見える句読点」、
この中に切れのヒントがある。
正しく言えば「読点」である。
読点を打てないところに切れはない、
だから冒頭に読点はおかない、
文末に読点はおかない、
文中にしか読点はない。
だから、冒頭に切れはない、
文末に切れはない、
文中にしか切れはない。

句読法についても、
詩人(私)の言葉をただちに信用せず、
十分考えなければならない。
例えば、句読法が、句読点に関する法であるとすれば、
それは「句点」・「読点」の法である。
それは「句読」の師、「句読」の方法と少し違うかも知れない。
にもかかわらず句読の法の中で
句点「。」が使われていたことは間違いない。

本編中に示せなかった句読点の歴史を
国立国会図書館アーカイブから貼り付けよう。拡大してみられたい。
http://rarebook.ndl.go.jp/pre/servlet/pre_com_menu.jsp
○中央赤「・」で示す例(論語集解〔室町末期〕の加筆部分)
○中央赤「・」で示す例(妙法蓮華経[鎌倉末期]の加筆部分)
○中央黒「○」で示す例(源平盛衰記刊本[年代不詳])
○右下隅赤「。」で示す例(介殻稀品撰写本[年代未詳]の加筆部分)
○右下隅黒「。」で示す例(好色一代男[年代不詳])。但し読点も入っている。
http://www.ndl.go.jp/exhibit/50/html/catalog/c030.html
○右下隅黒「。」で示す例(仏果圜悟禅師碧巌録〔室町時代〕)

印刷用語で言う「約物」(やくもの)で比較すると面白い。
英文における「ピリオッド」(「.」)と
日本文における「句点」(「。」)は、
文の終端を意味するから同一機能を持つと見ることが出来る。
しかし、英文における「コンマ」 (「,」)は、
①複数のものを列挙する場合、
②副文を導く場合に使われる
のに対し、日本文における「読点」 (「、」)は、
①語句を並列させる場合(これは上記①に似ている)、
②一文を意味のある区切り(英語の副文よりもっと短く頻繁である)
ごとに分けるために付ける場合、
③(音読する場合に)これを息継ぎの目安とする場合
(まあ②と同じであるが)があり、
機能が違うのである。だから、
厳密に言えば「読点」は英語にない。
日本独特のルールなのである。
英語の秀才芥川の期待するような、
統一的な読点法は日本語では未来永劫生まれるはずもなかったのである。



8.歌人の切れ
短歌総合雑誌「短歌研究」(2005年4月号)で、
「隠されている短歌の約束事」という特集を行い
「ニュアンスを添える語
―――詠嘆・強意・願望・切れ字」が論じられた。
これには驚いた。
現代歌人たちは切字を論ずるのだ、
しかしそれは決して俳句の切れを生む字ではない、
よく読むとそれは
「や」「かな」「けり」なのである(虚子の理解と同じだ)。
たとえば、「いかに」を切字と考えていない
(一般俳人も知らない。川本論文をよく読まれたい)。
だから切字=や・かな・けりと言い換え可能と思っている。
つまり歌人たちは、
俳句の切字を歌壇で論じているのではない、
俳句の切字に触発されて擬似的な切字・短歌の切字を論じているのである。
定型詩学の概念を借りて整理して言おう。
歌人たちは、
俳句の切字(「第3種の切れ」を生む字)を歌壇で論じているのではない、
俳句の切字(「第3種の切れ」を生む字)に触発されて
擬似的な切字・短歌の切字(「第2種の切れ」を生む字)を論じているのである。
理由は簡単である。
俳句にある第3種の切れ(ジャンル創造的切れ)が、短歌にはないからである。
俳句は575の末尾で切れなければならないが、
切れている保障がないから切字を求めたのに対し、
短歌は77で明らかに切れている、
古代歌謡の伝統で77は切れる印であるから他には何もいらない。
上記「短歌研究」の標題を見れば一目瞭然である。
「切れ字」は「ニュアンスを添える語」、
表現技法としてとらえられているのである。

これは、現在流行している俳句の切れと同じであることが分かるであろう。
「切字」という言葉は事ほどさように誤解を生むから、
意味を限定して使用しよう。

               ┌[短歌]第2種の切れ
[俳諧]第3種の切れ――┤
    (切字の切れ)   └[俳句]第2種の切れ

淺野信『切字の研究』は唯一の切字研究書である。
「和歌の切字を説いたものは
由来これをうかがうことすらできなかった」
と言いながら、
元禄16年の『倭謌切字』という怪しげな本を引用し
和歌の切字の存在を妄想している。
和歌に切字はなかったことは誰にでも推測がつくはずで、
『倭謌切字』なる書が連歌の切字の剽窃であることは
一目で分かるはずである。
和歌の切字があって連歌俳諧の切字が生まれたのではない。
淺野は、同じところで「和歌の切字は連歌の切字より、
それほどの切実性をもたなかった」
と弁明しているが、
むしろ切字があったとはとてもいえないのである。
江戸時代ありもしない、
2句1章の概念(明治の大須賀乙字の不適切なる命名)に踊らされて、
あり得ない切字を見つけてしまったのである。

だから古代中世歌人の切字に関する理解は
現代の歌人の切字に対する理解と同じである。
そして現代歌人の切字は平成俳人の切字と同じである。
ということは、
歌人の切れも平成俳人の切れと同じはずである。
たぶん詩人の切れとも同じであろう。
そして、小説家も戯曲家も、桑田佳祐も岡村孝子も、
新聞記者も法律制定に当たる
内閣法制局参事官の切れも同じであろう。

9.川柳・俳句の切字論争
近年、川柳と俳句の間で、
その差別化の基準に「切れ」の有無が論ぜられている。
第2種の切れ(恣意的切れ/息切れ)については、
新聞記事にさえ有るのだからそれを論じることは無意味である。
第3種の切れ(ジャンル創造的切れ)についてはどうであろうか。
まず、切字について考えてみたい。

川柳に切れがないのではない。
特定の機能の字(特定の切字)がないのである。
なぜ特定の機能の字(特定の切字)がないのかと言えば、
あまりにも単純であるが、本来それが前句付だからである。
前句に付ける句であるから、
発句にのみ特有の用語が使われるはずがない。
即ち、前句付で「かな」が使えないから、
川柳に(切字の代表である)「かな」は使えないのである。
川柳の由来を知る人にとっては当然のことであるが、
呉陵軒可有の編んだ『誹風柳多留』は、
前句付である「川柳評万句合」の勝句の中から選んでいるわけである。
「川柳評万句合」は、
例えば「惜しいことかな惜しいことかな」の前句で
付句を応募するわけであるから、
「川柳評万句合」からどんなに選んでも
付句の体以外ができるはずはない。
「かな」は江戸時代の連句になると、
殆ど発句固有の切字となっているおり、
付句に使われる可能性は皆無であるから、
前句付の付句に出てくるはずがないのである。
ただし「かな」以外の切字はこうした拘束は強くなかったから、
「なり」「らむ」は結構あった。
そしてこれは、しばしば
川柳の前句付秀吟付句集『誹風柳多留』と比較される、
慶紀逸の俳諧高点付句集である『誹諧武玉川』も
全く同じ特徴を持っている。
そしてさらに誹諧の祖とされる山崎宗鑑の
『犬筑波集』の付句についても言えることなのである。

さて、切字をここまで論ずれば、
改めて「切れ」を論じても意味がないことが分かる。
切れはあるに決まっている。
橋本文法に従って切れの候補を挙げてみよう。
後は第2種切れ(恣意的切れ/息切れ)として選ぶか否かの話だ。
息切れを入れるかどうかだ。

[誹風柳多留2編]
 (前句:命なりけり命なりけり)
母の、名は、親仁の、腕に、しなびて、居
 (前句:近づきにけり近づきにけり)
四天王、金剛杖で、いがを、むき
 (前句:おくびやうな事おくびやうな事)
疵の、無い、人は、通らぬ、ふしみ町
 (前句:近づきにけり近づきにけり)
つねていの、うそでは、行かぬ、大晦日

文末結びについて強いて特徴をあげると、
『誹風柳多留』には連用中止形が多く、
『誹諧武玉川』には名詞止めが多く、
『犬筑波集』の付句には「て」止め、「らん」止めが多いようだ。
これはそれぞれの個性であり、本質ではない。
本質は「かな」を使わないことである。
『誹風柳多留』『誹諧武玉川』『犬筑波集』の個性的な文体は、
寺山修司や宮澤賢治同様、文体論の対象であり、
定型論の対象ではない。
特に、『誹風柳多留』、いやその前身である
「川柳評万句合」は上に見たように
踊り字のついた類型化した前句であるから、
前句としての独自性はほとんど無く、
俳諧高点付句集である『誹諧武玉川』の前句が
個性に富んでいたはずのものと大きく違っており、
それは付句の文体に大きな影響を与えているはずであるが、
それはここでは述べない【注】。

【注】仁平勝がこれを<幻肢としての下句>と乙なこといっているが、そのたとえに従うならば、仁平の言うように俳句ではそれがあり川柳ではそれがないのではない。俳句では実体があるのに対し(例えば芭蕉『冬の日』の「木枯」の発句に対しては<誰そやとばしる笠の山茶花>)、川柳の上の例では<おくびやうな事おくびやうな事>と実体がない、―――あってもなくてもいい下句(実は前句であるが)であるところに差が生まれるのである。短歌の下句におびえているのが俳句なら、前句におびえていないのが川柳なのだ。


10.芭蕉・蕪村・子規と現代俳人
芭蕉も、蕪村も、子規すらも、橋本文法を知らない。
ということは、あの革命的な「文節」概念を知らない。
正確な息切れの法則を知らない。
ということは、芭蕉も、蕪村も、子規すらも、
切れは知らなかった。

もちろん当然のことながらそんなことを知らなくても何の支障もなかった。
知っていると思っているのは平成の俳人ばかりかも知れない。

○芭蕉は、「切れ」について沈黙している。
○蕪村は、「切れ」について沈黙している。
○子規は、「切れ」について沈黙している。

なぜ平成の俳人は「切れ」について饒舌なのであろう。
―――他に語ることがないから。

ただ、芭蕉も、蕪村も、子規も、切字は知っていた
(たぶん各人の理解は大きくずれていただろうが)。
とすれば、切字の齟齬くらいは知っておいてよいかもしれない。
ただ虚子は、「切字の論の如きは
左程大切なることとも覚えず」
(『俳句入門』明治31年)、
「切字といふことを昔は大変やかましくいつてゐましたが
それ程やかましくいふ必要はありません」
(「俳句を志す人のために」昭和5年)といっている。私もそう思う。

せわしない現代俳人のために
悠々たる虚子の切字論のよってたつ由来を語ってみよう。
切字は17字という制約と殆ど同格で
発句を発句たらしめる形式的要件であったと考えられる。
季題の本意は宗匠の間で秘伝となっていたが、
連歌の発句は誰が見ても分かる明瞭さが必要である。
これが連歌だと誰にでも分かる形式があってこそ、
内容にわたる秘伝も一層の価値が生まれる。
とすれば、屋上屋を重ねようとも
発句であることを素人たちに否応もなく納得させる形式は
価値がないとは言えなかった。
まして、575はこの連歌の草創期には発句として認識されるか、
和歌の片割れ、生成途中として認識されるかおぼつかなかったからである。
「や」「かな」でがんじがらめになることは、
575であっても和歌の片割れであることを拒否することになったのである。
このように見れば、切字「や」「かな」は17字と並んで、
俳句を俳句らしく見せる、意味のほとんどない専用用語である、
というのが正しいだろう。
しかしいまやその俳句が俳句らしくさえ見えれば、
もとより切字を使う必要もない。したがって、
「切れ字といふことを昔は大変やかましくいつてゐましたが
それ程やかましくいふ必要はありません」


                        (10.26)

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評論詩「切れについて」(作品番号9)・・・筑紫磐井   →読む

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