2008年11月1日土曜日

身体俳句曼陀羅 2

身体俳句曼陀羅
【第二回】ひげ/舌/喉

                       ・・・江里昭彦

4 ひげ
髭・髯・鬚・不精ひげ

ひげは男性特有の性徴である。そして、古来、権力の座に即くのは男性が多かったことから、ひげは権力・権威の象徴となって、支配者の顔面を飾った。カイゼル髭は、口ひげが尊大な様式美に至りついた一例である。世の男は、支配者に倣ってひげをたくわえることで、みせかけの威厳を示そうとするが、同時にそれは性的能力の旺盛さを威嚇的に表現する効果ももっている。

ひげは時に、政治的・文化的主張の小道具にもなる。ヒッピーののばしっぱなしのひげと、ゲリラの英雄を模したゲバラひげとは、アメリカのワスプ流保守精神に対する、それぞれ違った方向からの反逆の表明になった。

常に手入れを必要とするひげは、放置すると男の顔相をがらりと変える。『源氏物語』の柏木の巻は、愛息柏木の死去でうちのめされた頭中将の悲嘆を、のびたひげの描写によって印象深く語る。

〔例句〕
ほのかなる少女のひげの汗ばめる  山口誓子
初夜へいくたび薄月の青き髯垂れ  加藤郁乎
濃き髭を貯へ旱牛使ふ  鷹羽狩行
そのまま死がくる童画の父の髭  竹本健司
夢に触れし父の荒髭露晨  福永耕二


5 舌
べろ

味覚を感知し、摂食と発音に重要な役割をはたす舌は、奇妙な形状ゆえに、いくぶん下品な器官とみられている。舌を出す仕草が、挑発と愛嬌の両義性を帯びるのはそのためだ。老アインシュタインの有名な舌出し写真をまねてみたくなる人は多いにちがいない。

舌はまた性愛の武器であるとなまなましく主張するのが、劇画の宮西計三。彼が描く肉の棒としての舌は、第二のペニスに他ならない。その棒から、倒錯的な欲望が孕む暴力と陶酔があふれでる。

舌を用いた慣用句には、圧倒的に言語活動に関するものが多い。『舌切雀』で雀の被る受難が、読者に強烈な印象を残すのは、痛覚に加えて、言葉を失ったものの孤立を想わせるからだろう。そういえば、ソビエト映画『アンドレイ・ルブリョフ』のなかにも、流言に対する処罰として、舌を切られる男が登場していた。

〔例句〕
父祖哀し氷菓に染みし舌出せば  永田耕衣
あかんぼの舌の強さや飛び飛ぶ雪  中村草田男
秋風に舌を扁く児が泣けり  山口誓子    ⇒「扁」に「ひらた」とルビ
秋風や濁世の舌をつかひをり  小林康治
晩春の肉は舌よりはじまるか  三橋敏雄
舌いちまいを大切に群集のひとり  林田紀音夫
木登りの俗物の舌ひかるなり  徳弘純
蝶の昼かたみに舌を噛むあそび  鳴戸奈菜
二枚舌だから どこでも舐めてあげる  江里昭彦


6 喉
喉笛・喉仏

のどは、人体の司令部たる頭部と本体とをつなぐ。それゆえに、ひとを確実に死に至らしめるべく、狙われやすい不安な部位である。斬首といい断頭といい、刃物がのどに打ち込まれることに他ならない。絞首刑も、のどを絞めあげる殺人法である。

のどは平生顎のかげか襟のあわいにひっそり隠れている。ルネサンス期の肖像画のように、ひとが横向きに描かれたとき、のどは無防備に露われる。成人男性なら、そのとき、「アダムのりんご」と俗称される喉仏が突起する。

声帯という発声装置をもつのどは、発語や歌唱と不可分の関係にある。ウォーターゲイト事件でひろまった「ディープ・スロート」というスラングが、機密漏洩者を意味するのは、そのためか。

〔例句〕
春の灯や女は持たぬ喉仏  日野草城
喉ふかく羽抜鶏鳴くただ一度  加藤楸邨
怒らぬから青野でしめる友の首  島津亮
人の血を見て咽喉かはく麦の秋  藤田湘子
牡蠣食うて男も白きのどをもつ  原裕
関守が喉にくるしき故郷の柿を  安井浩司
声おさめゐし白鳥の喉なりき  鎌倉佐弓

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