2009年1月10日土曜日

俳句九十九折(19) 俳人ファイル ⅩⅠ 大原テルカズ・・・冨田拓也

俳句九十九折(19)
俳人ファイル ⅩⅠ 大原テルカズ

                       ・・・冨田拓也

大原テルカズ 15句
 
星の出の星の顫えを憂いけり

懶惰てふ体内の墓地晩夏光
 
天を発つはじめの雪の群必死
 
左よりわが埋葬を救うシャベル
 
沿線に金色の障子救いを待つ
 
からだなき干物の袖火事明り
 
終湯は明日への穴のごと黒し
 
石の窓怒濤の秋を飼殺し
 
枕辺に夢みよと誰が藁捨て置く
 
臨終へ麦藁色の自転車ライト 
 
積木の狂院指訪れる腕の坂 
 
眼底階段一本の毛が傘をさし
 
マッチに青い坊さんの群兄ら帰らず
 
星の領海エコーの頭蓋母ははハハ
 
黄金の転轍手この駅隣接なし



略年譜
 
大原テルカズ(おおはら てるかず)
 
昭和2年(1927) 千葉に生まれる
 
昭和17年(1942) 大野我羊に師事
 
昭和33年(1958) 高柳重信の「俳句評論」参加
 
昭和34年(1959) 句集『黒い星』(芝火社)
 
昭和35年(1960) 「全市蝋涙」で現代俳句協会賞候補 合同句集『火曜』 大阪に移住 島津亮等の「縄」に参加
 
昭和38年(1963) 自身の出版社「新書林」より『有恒句集』などを出版
 
昭和41年(1966) 『私版・短詩型文学全書6 大原テルカズ集』(八幡船社)
 

没年不詳

 
A 今回は大原テルカズを取り上げます。

B ますますマニアックな路線を一直線に突き進んでいくような感じになってきましたね。

A けっしてそのような作者だけをここに取り上げようとしているわけではないのですが、どういうわけかこういった方向へ進んでしまうようです。
 
B まあ、前回の火渡周平、前々回の神生彩史ときて、今回のこの作者については一応一つの流れとして見ることが可能でしょうか。
 
A そうですね。この作者も戦後直ぐに登場した作者です。
 
B この作者について言及しているのは、現在のところ私の知りうる限りでは、楠本憲吉、永田耕衣、中村苑子、塚本邦雄、高柳重信、安井浩司、小林恭二の各氏くらいでしょうか。
 
A 現在においてもこの作者の認知度はそれほど高くはないようです。
 
B ここ数年では小林恭二さんが『俳句研究』2005年5月号で取り上げておられたくらいではないかと思います。
 
A 作品についてですが、この作者には『黒い星』(1959)という句集が1冊と、選句集『私版・短詩型文学全書6 大原テルカズ集』(1966)があります。
 
B この作者についての纏まった資料はせいぜいこれくらいしか存在しないようですね。
 
A そのため、この作者について、その活動期間や所属歴、没年などいまだに不明な点がいくつかあります。
 
B 一応昭和33年に高柳重信の「俳句評論」に参加し、昭和35年には島津亮等の「縄」に参加したようですが、その後についてはほぼ不明のようです。
 
A 句集『黒い星』についてですが、収録句数は206句で、序文には大野我羊、高柳重信が筆を執り、印刷は同じく重信で、中村苑子がその編集にあたっていたようです。
 
B 選句集『私版・短詩型文学全書6 大原テルカズ集』は、あとがきに楠本憲吉が執筆し、その作品の内容としては『黒い星』からの抄出句と、その後の作である「心犬抄」(65句)から成っています。
 
A では、とりあえず、この大原テルカズの作品を見ていきましょうか。
 
B まず〈星の出の星の顫えを憂いけり〉です。
 
A この句は大原テルカズの初期における作品のひとつですね。
 
B 句集『黒い星』ではこの句は昭和16年から19年の作として掲載されています。この時期の作品として他には〈月の海指さす爪のひかりけり〉〈帰るほかなし寒潮既に夜へ走る〉など割合ストレートな作品が並んでいます。
 
A 〈星の出の星の顫えを憂いけり〉も、作者の憂愁をそのままストレートに表現しているようです。
 
B 星の光が震えていると認識する明敏さと、それを我が事として憂うという過敏な心情。そこからこの作者の持つ異様なまでの繊細な感性が感じられます。
 
A たしかにすこし過剰なまでのナイーブさが感じられますね。
 
B この後に終戦を迎えることになります。
 
A このあたりから徐々にストレートな句が多くを占めていたこの作者の作風が変化してくるようです。
 
B では、次に〈懶惰てふ体内の墓地晩夏光〉を挙げましょうか。
 
A この作品あたりから現実に即した写実的な作風から、自らの内側にある抽象的な思念を作品に定着させるような句が増えてくるようです。
 
B たしかにこの句はもはや単純に現実の風景を句にしたものではありません。
 
A なんとも重苦しい句ですね。自らの体内に墓地の存在を実感するということから感じられる気鬱さ。そして、そこに衰え始めの晩夏の光が加わります。
 
B この晩夏光は実際に射しているものであると同時に、作者の体内にも射しているといった風に感じられるようです。
 
A 夏の終りから、何かしら終末感とでもいったようなものを予感させるところがあります。
 
B 続いて〈天を発つはじめの雪の群必死〉です。この句は「雷光」創刊号の三鬼の選で発表された句だそうです。
 
A 内容的には、ただ雪が降っているということを句にしてあるだけですね。先ほどの〈星の出の星の顫えを憂いけり〉に見られる精神の戦きにも少し共通するものがあります。
 
B 初雪ということなのでしょうか。しかしながらここでは雪の白の美しさという概念はほとんど感じられず、「はじめ」「必死」という言葉から悲壮感を伴うような懸命さのみが感じられます。そしてそれらの言葉と共に作者の心象における切迫感が窺えるようです。
 
A 「雪の群」という言葉が少し普通の表現ではないですね。こう表現することで雪のひとひらひとひらがまるで人そのものを仮象したものであるように思われてくるところがあります。
 
B また、中七から下五の「はじめの雪の群・必死」という句跨りの表現が三鬼の作にも共通するような独特の音楽性が感じられます。最後の「必死」というやや過剰ともいえる強い表現が読者に「はじめの雪の群」の切迫感を印象付けるようです。
 
A どことなく山口誓子の〈海に出て木枯らし帰るところなし〉や金子兜太の〈朝はじまる海へ突込む鴎の死〉を思い起こさせるところもありますね。
 
B 続いて〈左よりわが埋葬を救うシャベル〉です。
 
A なんだか猟奇的な匂いがしますね。まるで江戸川乱歩や横溝正史、夢野久作の小説のワンシーンを思わせます。
 
B 埋葬しているのは「私」なのでしょうか。誰か他人と共に「私」がシャベルで土を被せているというか。
 
A そう考えてもいいのでしょうが、もしかしたら「私」は生き埋めになっていて、左の方から誰かがシャベルで土を掘り起こし「私」を救おうとしている、という風にも読むこともできますね。
 
B どちらにしても、なんともおそろしい場面を句にした作だと思います。
 
A 次に〈沿線に金色の障子救いを待つ〉を鑑賞しましょう。
 
B 単純に考えて「障子」は冬の季語ですね。それが「金色」になっているとのことです。
 
A 「救いを待つ」という表現から、障子の内側の灯りではなく、障子の外側の光、即ち夕陽に照らされて障子が金色に輝いていると見るのが妥当でしょうか。
 
B そう考えると、冬の没日にぎらりと光る鉄路と、金色に染まった障子が思い浮かびます。
 
A なんだか障子の内部の世界を想像するとおそろしいものがありますね。
 
B ただ、この作品は外から障子を眺めたものなのか、それとも障子の中にいて夕日に染まった障子を見ているのか、よくわからないところがあります。
 
A 内側による閉鎖性と、外側にある光の世界、そして「沿線」がその外側の世界を自在に行き来する列車による「自由」を連想させます。こういった言葉の関係性から考えて、「私」が障子の内部にいると読む方が適切かもしれません。
 
B たしかにこの作品からはこの作者における、閉鎖性とそこからの解放という願望の存在が読み取れるようですね。内なる世界への執心と外部世界への渇望のせめぎ合いがこの作者の根幹にはあるのかもしれません。これまで見てきた〈星の出の星の顫えを憂いけり〉〈懶惰てふ体内の墓地晩夏光〉〈天を発つはじめの雪の群必死〉〈左よりわが埋葬を救うシャベル〉にしても内なる世界と外部の世界の相克とでもいうべきものが感じられます。
 
A 続いて〈からだなき干物の袖火事明り〉です。
 
B なんともおそろしい印象の句ですね。
 
A 宮入聖に〈吊るされて土用の葬の羽織透く〉がありますが、それよりも異様な迫力があります。
 
B 西東三鬼の〈赤き火事哄笑せしが今日黒し〉の存在もこの句の背後からは思い浮かびます。
 
A 大原テルカズには三鬼の影響も小さくないのかもしれません。
 
B 「からだなき」という否定の表現が逆に人間の肉体をまざまざと感じさせるところがあります。存在しないものをわざわざ文字として形象化し、そのあとすぐに打ち消すことで、逆に肉体そのもののイメージが強く印象付けられるところがあるようです。
 
A こういった否定の表現から逆にその存在を浮き彫りにし印象付けるという手法は短詩型の持つ一つの特色でもありますね。
 
B 続いて〈終湯は明日への穴のごと黒し〉です。
 
A 小説家の山田風太郎の『戦中派不戦日記』に、戦中、銭湯の湯が真っ黒になった様子を克明に記した箇所がありますが、それを思い起こさせるような句です。
 
B この句が詠まれたのは、昭和24年から28年ですから、当時の時代状況としても終湯というものは、多くの人々の汚れを落としていった後、大変なものであったであろうということは容易に想像がつきますね。
 
A この作者にとって「終湯」は一つの大きなモチーフであったようで、他にも〈終湯に幻の墓渺と立つ〉〈終湯に野良犬とわが四肢だぶる〉〈コロナ来る明日へ繰り込む終湯火の粉〉〈終湯を広場に浮べ佇つ男〉〈終湯を運転台としてまどろむ〉〈終湯の 貌は 藁小屋 犬剥く部屋〉〈終湯にトレモロ蒼いガラスの彌撒〉〈オヴジエ半身銃の籍掘られた終湯〉〈夢にかかわる二種の片翅終湯に〉など、いくつも句に詠み込んでいます。
 
B この作者はこのように一つのテーマでいくつも句を作るという試みを他にも行っています。
 
A 他には「心の犬」というテーマの作があります。
 
B 「心の犬」というテーマは『私版・短詩型文学全書6 大原テルカズ集』では、後期の作品のタイトル「心犬抄」にもなっているので、これもこの作者にとっては大きなモチーフであったようです。〈海坂に心の犬が引くびっこ〉〈占領旗心の犬の頭べなき〉〈受胎歩々それは心の犬、廃墟〉〈占領旗心の犬が痺れいます〉〈指されたる心の犬の陰蒼し〉〈蒼いおけさで 心の犬煮つめる〉〈ドブの膜テロ伝染す眼の心の犬〉
 
A こういった作品をみると、詩人三好豊一郎が戦後「荒地」に発表した「囚人」という詩が思い浮かびます。最後の一部を抜粋すると〈私の心臓の牢屋にも閉じこめられた一匹の犬が吠えている/不眠の蒼ざめたⅵeの犬が〉といった内容です。これを下敷きにしている可能性が考えられそうです。
 
B やはりこの詩に底流するような戦後の時代の雰囲気が、大原テルカズの作品にも影響を及ぼしている部分があると考えるのが妥当でしょうか。「終湯」にしてもそういた雰囲気が感じられます。
 
A 続いて〈枕辺に夢みよと誰が藁捨て置く〉です。
 
B ちょっと変わった句ですね。眼が覚めた時、枕辺に藁があって、それが誰かの親切心からのものであるということを瞬時に理解し、それに腹を立てているということなのでしょうか。
 
A 屈折した男の心情とでもいったようなものなのかもしれません。
 
B 「夢みよ」と「捨て置く」という表現はなんだかすこし不自然ですね。親切からの行為ならば「捨て置く」という表現にはならないような気もします。
 
A あと、「夢」と「藁」から連想される西洋の浪漫的なイメージを踏まえつつも排斥したようなところもある句ですね。
 
B そうですね。ただ、どことなく青年の客気とでもいうようなものも感じられるようです。中原中也が藁束の上で仰向けになって目をつむっている写真があるのですが、それを思い出しました。
 
A 続いて〈臨終へ麦藁色の自転車ライト〉です。
 
B 自転車のライトを麦藁色と表現したところに妙なリアリティを感じます。
 
A 「臨終へ」自転車で向かうというのもどことなく不気味な感じがします。
 
B 自転車のライトが、まるで人魂のようにふらふら、ゆらゆらと頼り気なく進んでいる光景が目に浮かぶようですね。
 
A 続いて〈積木の狂院指訪れる腕の坂〉です。
 
B 指そのものが一個の独立した生き物のように感じられます。この句は『黒い星』以後の『私版・短詩型文学全書6 大原テルカズ集』における「心犬抄」所載の句です。
 
A なんとなくドイツの昔のサイレント映画「カリガリ博士」(1920)を髣髴とさせるところがありますね。
 
B この頃、即ち『黒い星』を上梓した後の昭和35年頃、大原テルカズは関東から大阪に移住することになったようです。
 
A そこから関西の前衛俳人と交流が始まり、島津亮等の「縄」に入会。作風もさらに当時の「前衛俳句」へと傾斜していくようです。
 
B 当時については本人の述懐によると〈大阪天王寺区大道の畳屋さんの倉庫の二階四畳半のアパートで暫時を送った。言うなれば即俳句関西への遊学〉であり〈関東からちん入した一人の生徒に対し、いうところの烈士、烈女たる講師たちは島津亮、東川紀志男、外池鑑子、八木三日女、林薫子、門田誠一、大橋嶺夫、稀れに東京から加藤郁乎。〉〈この「縄」の人々の他に折々に「十七音詩」の堀葦男、林田紀音夫、上月章、仲上隆夫の方々が随意におられた。別格に永田耕衣、下村槐太の御両所。〉〈解っているのかいないのか、さっぱり反応のない厄介者に対し、独自の熱風を吹きつけてくれた講師たち。道頓堀、送別の橋。自ら生を断って行ってしまった赤尾兜子。既に西東三鬼なし。新幹線以前の日夜を懸命に生きていたわが講師たちの形影こそ、今だから言えるが私の意外にして幻の資産なのだ。〉とのことです。
 
A 当時の悪名高い関西の「前衛俳句」の面々が勢揃いしているといった感じですね。
 
B この時期における〈眼底階段一本の毛が傘をさし〉という句をみても、やはりそのシュールさから、これらの当時の「前衛俳句」の影響が感じられます。
 
A この句における「眼底階段」も大原テルカズにとって重要なテーマであったらしく例によっていくつか似たような作品が存在しています。〈眼底階段陰毛をつぎたし吹かれ〉〈眼底階段おそらくは殺意が光〉〈眼底階段一本の毛が傘をさし〉〈眼底階段遠いかなりな生埋めに光る〉〈前頭部裏眼底へ坂鴉が五羽〉
 
B 次に〈マッチに青い坊さんの群兄ら帰らず〉について見ていきましょう。
 
A この句は高柳重信の
 
白い耳鳴り

坊さんたちの

とほい酒盛

 
が、本歌として存在するのではないかと思われます。
 
B たしかに近い印象がありますね。「兄ら」ですからこの作者のことを考えると、この「兄ら」は戦死した人々のことであるようにも思われます。
 
A 続いて〈星の領海エコーの頭蓋母ははハハ〉を鑑賞しましょう。この句も「心犬抄」からの句です。
 
B 今回、この大原テルカズの句を読み直していて一番印象に残ったのはこの句でした。
 
A 「星の領海」ですから、星が支配している広範囲、即ち夜の海が思い浮かびます。そしてそのあと「エコーの頭蓋」という表現が現れます。
 
B 高野ムツオさんに〈冬の星いかなる神の頭の中ぞ〉という句がありますが、こういった情景に近いものを想起しました。
 
A そして、最後の下五に「母ははハハ」という大変特異な表現が登場します。
 
B こういった表現はいままで私は見たことがないですね。頭蓋骨の中に響き渡る母への叫び、もしくはレクイエムでしょうか。俳句という狭く限定された定型の内部における下五ゆえに響かせることができた「エコー」であると思います。
 
A 漢字、平仮名ときて最後がカタカナで表記してあることから、これらの言葉による表現を「エコー」そのものとして認識することができます。
 
B この「母ははハハ」は母への思いの谺のみではなく、それこそ作者の「笑い声」のようにも思われてくるところもありますね。また、「海」という言葉から、「母」を連想させるという仕組みにもなっているのだと思います。
 
A どうも普通の「母恋」の作ではないですね。「海」という言葉については三好達治の「郷愁」に〈海、遠い海よ!――僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある〉といった内容のものがあります。
 
B あと、この句の場面が夜というのもよく考えれば異様です。
 
A この句から、仙波龍英の短歌〈ひら仮名は凄じきかなはははははははははははは母死んだ〉を思い出しました。
 
B この句に表現されているのはやはり母親への屈折した愛情とでも言うべきものでしょうか。寺山修司が逃げ切ることができなかった「母親地獄」といったものも連想されます。
 
A 「母」という字は「海」だけではなく「毒」という字にも近いものがあります。母というものは実際のところ誰にとっても大変厄介というか、危険な存在であるといえます。母親という存在のおそろしさをそのまま封刻したような句であるというべきでしょうか。
 
B さて、最後に〈黄金の転轍手この駅隣接なし〉を鑑賞しましょう。『俳句研究』昭和42年1967年1月号所載の「王谷抄」よりの作品です。
 
A なんというか、異界に紛れ込んでしまったかのような句ですね。
 
B 「黄金の転轍手」が線路のポイントを切り替えたために、この世に存在しない駅に辿り着き、取り残されてしまったとでもいうような雰囲気があります。
 
A なんとなく鈴木六林男の〈わが死後の乗換駅の潦〉という句が思い出されます。
 
B あと、「黄金の転轍手」の得体の知れなさ、正体の不明さも印象に残ります。
 
A 大原テルカズの作品にはこういった正体不明の人物がよく登場しますね。
 
B 先ほどにも挙げた〈左よりわが埋葬を救うシャベル〉〈からだなき干物の袖火事明り〉〈枕辺に夢みよと誰が藁捨て置く〉などの句にもそういったところがあります。
 
A 大原テルカズはこういった顔の見えない正体不明の人物の存在を待望し希求しようとする気持ちがあったのかもしれません。そして、それはまた先ほどにも記したように、自己の世界への執着と、外部の世界を希求しようとする心象の相克にも共通するものがあったのではないかという気がします。
 
B あと、この句における「黄金」という表現からは色彩感覚の強さもうかがわれるようです。
 
A たしかに他にも大原テルカズには真紅、黄、金、青、黒など原色の生々しさを感じさせる作が多くあります。これは三鬼の影響であるのかもしれません。
 
B この『私版・短詩型文学全書6 大原テルカズ集』を上梓した後、大原テルカズは「俳句研究」「季刊俳句」「俳句公論」などに作品を時折発表し、その後、その行方は杳として知れなくなるようです。
 
A 『俳句研究』2006年5月号での八田木枯と今井杏太郎の対談において、大原テルカズについての話が出て、今井杏太郎が、大原テルカズは早く亡くなった、といったような発言をしていたような記憶があります。
 
B しかしながらこの発言からは実際にいつ亡くなったのかはやはり不明ですね。
 
A 作品について、私が確認することができたのは『俳句公論』昭和55年10月号までです。この事実から、この昭和55年までは存命であったということは間違いないようです。この時この作者は最早無所属であったようで、作品は〈脳裡緋に藍はた銀に或る町あり〉というものでした。
 
B こういった作品を見るとこの作者にとっての理想郷は外の世界ではなく、自らの内側においてしか存在しなかったものであったのかもしれない、という風に思わせるところがありますね。
 
A さて、大原テルカズの作品をみてきました。
 
B その作品の印象はまさしくデカダンスとでもいうべきものであると思いました。そこからはまるで村山槐太の作品世界の鮮烈さが思い起こされるようでした。
 
A たしかに大原テルカズの作品の毒々しい世界はそういったデカダンスともいうべき世界を想起させるところがあります。一種の「猟奇」ともいうべき世界でしょうか。
 
B 永田耕衣はこの作者の作品について〈大原テルカズは俳壇まれな悪霊の作家である。〉と評しています。
 
A 俳句の世界にはこういった「猟奇的」「悪霊的」な世界はそれほど描かれることは少ないと思いますが、江戸川乱歩、夢野久作といった小説の世界に近い俳句作品であると思えば、それほど抵抗なく読むことができるのではないかという気がします。
 
B 小林恭二さんはこの大原テルカズについて『俳句研究』2005年5月号の「恭二歳時期」(29)で〈言語センスという点については、この大原テルカズ、攝津幸彦、それに加藤郁乎が、戦後の三大天才だとわたしは思っています。〉と書いておられました。
 
A 確かに大原テルカズは現在読んでもその作品は面白いものであると思いますが、正直なところ、この作者を加藤郁乎、攝津幸彦と同列に並べるのは、すこし厳しいところがあるのではないかという気がします。
 
B そうですね。確かに大原テルカズには優れた作品もありますし、その言語センスは普通のものではありませんが、この加藤郁乎、攝津幸彦の二人とその作品を比較してみるとどうしても質、量ともにやはり一籌を輸するものがあるといわざるをえないところがあるのではないでしょうか。
 
A 特に加藤郁乎については当時の「前衛俳句」の多く作者達と比較すれば、より一層加藤郁乎の達成度、到達点の高さというものが益々明確なものに感じられるような気がします。
 
B 大原テルカズの作品は、どちらかというとやはり当時の「前衛俳句」の島津亮、大橋嶺夫、八木三日女、東川紀志夫といった作者たちの作品に近いものであるということができるのかもしれませんね。

 

選句余滴
 
大原テルカズ
 
月の海指さす爪のひかりけり
 
帰るほかなし寒潮既に夜へ走る
 
傷うけて祖父来し巷しぐれいしか
 
血吐くなど浪士のごとしおばあさん
 
屋根裏にああ艦旗煤け落つ抱擁
 
一瞬や鱗のような奔馬身
 
雪の路燈市長と呼べど人違い
 
鶏殺すこと待て海を見せてから
 
博物館甲冑髑髏ふり離し
 
沖黒し瞳孔という種子枯らし
 
死んで降る雪うちすがる雪路地に
 
終湯に幻の墓渺と立つ
 
汝とわれと奈落の茶屋の茹卵
 
全市蝋涙ここに上司に酒さす婦人
 
カツ揚る沸騰空母沈むさまに
 
昇天か森の秀既に黒衣僧
 
終湯に野良犬とわが四肢だぶる
 
銀行の路地を空地へひきずり出す
 
青銅の男根かっきられホーマー
 
太陽と裁判の遺児 火刑の旗
 
赤い気流 障子の裏に トルソオは待つ
 
鼠いつせいに皮を脱ぐしかも赤い広場
 
下着裂く病い空瓶の肩なだらか
 
枯れた山中医師の姿に灰の瀑布
 
湯掻く梅干閃光に舞いちぎれたる都市
 
緋の雪嶺私闘へ返えすブルドーザー
 
連山深紅潜在を出る蒼い兵士
 
前頭部裏ツェッぺリン号深紅の霊
 
十字架に振袖懸かる灰降り出す
 
ぐたぐたに二兎踊りゆく文明あり
 
罅絵黄にからくも在るかわが廃屋
 
脳裡緋に藍はた銀に或る町あり


 

俳人の言葉
 
いま、僕の眼の前には、この十余年間に、彼が秘かに剽めとり、秘かに貯えてきた多くの財宝が、――すなわち、「幼さ、卑しさ、愚かさ、古さ、きたならしさ、ひねくれ、濁り、独善、悠意」と彼が呼ぶところのものを蒐めた、句集「黒い星」がある。(…)たとえ市井に潜もうとも、あわれ、彼もまた、天来の血の導きをまぬがれ得ぬ我が同族であつた。(…)ただひたすらに消えぬために、または消え去り得ぬために、思えば、この十年に余る困難な歳月を、彼も、そして僕も、多くの誇りを人々から奪いとり、剽めとつて来たようである。彼も、そして僕も、まさに、まことに、そうすることによつて切実に生きて来たのであつた。
 
高柳重信 『黒い星』序文「序にかえて」より
 

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2 件のコメント:

野村麻実 さんのコメント...

あけましておめでとうございますo(^-^)o
今年もご活躍をお祈りしています。

さて、今回の方、変な方連れて来たなぁ、と思いました。(失礼)
でも最近の方ではないのですね。

>体内の墓

私、好きです。この句。なんとなく。
昔、弓道をやっていたことがあるのですが、的に向かう一番最初に「すまし」というのをやるんです。正座して瞑想みたいなものだと思っていただければ構いません。
丹田に気を集めて、己の内側だけ見る・・・というか、そもそも大学時代が遠くなりにけりですから説明が難しいしあっているか分からないですが(それでも四段か!と怒られそう)からだの中にぽっかり「無」が入り込んで気持ちいいんです。
そんな感触にとても似ていて、素敵です。

>天を発つはじめの雪の群必死

私は今年も冬を第二の故郷?の雪国で過ごしましたので、なんとなくこの雪の“必死”さが判る気がします。だって雪国の雪って、凄いですよ。もう本当に必死!必死なのは私の方かもしれませんけれど、雪の必死さったら、絶対殺そうとしているっ!って感じさせるほどの殺気です~。死に掛けました。
雪ってね、死ぬんですよ、人が!
(千葉生まれとのことですので、読みが違うかもしれませんけれど)

戦中の世代を生きた方々の句や文章っていいですね。本当の「死」を知っている人たちのものは、心が温まります。
訳わかんない句が残念ながら大半を占めていますけれど(;;)。面白いです。

冨田拓也 さんのコメント...

野村麻実様

コメントありがとうございます。

そうですか。
「訳わかんない句」が大半を占めていますか。
いわゆる「伝統俳句」あたりと比較して読めば、こういった俳句との「距離」というか「間合い」のようなものが見えてきて、ある程度は理解できるようになるかもしれません。
「実験的な俳句」と「伝統的な俳句」を併せて読むことで相互的に理解を深めることができるというか。

では、またご感想などお聞かせ下さい。