2008年11月8日土曜日

俳句九十九折(11)俳人ファイル(3)三橋敏雄・・・冨田拓也

俳句九十九折(11)
俳人ファイル 三橋敏雄

                       ・・・冨田拓也

三橋敏雄 15句


かもめ来よ天金の書をひらくたび

いつせいに柱の燃ゆる都かな

昭和衰へ馬の音する夕かな

撫で殺す何をはじめの野分かな

絶滅のかの狼を連れ歩く

夏百夜はだけて白き母の恩

一生の幾箸づかひ秋津洲

身みづから瞼がくれに秋の暮

老い皺を撫づれば浪かわれは海

またの夜を東京赤く赤くなる

待遠しき俳句は我や四季の国

井戸は母うつばりは父みな名無し

銀座銀河銀河銀座東京廃墟

みづから遺る石斧石鏃しだらでん

山に金太郎野に金次郎予は昼寝


略年譜

三橋敏雄(みつはし としお)

大正9年(1920)  東京生まれ

昭和10年(1935) 句作開始 渡辺保夫を知る

昭和12年(1934) 渡辺白泉に私淑

昭和13年(1938) 戦火想望俳句が誓子に激賞される 三鬼に師事

昭和14年(1939) 白泉と共に「京大俳句」に加盟

昭和15年(1940) 「京大俳句」事件 阿部青鞋、渡辺白泉らと古典俳句の研究を開始

昭和16年(1941) 『現代名俳句集』刊 「太古」収載 

昭和21年(1946) 運輸省航海訓練所に勤務

昭和23年(1948) 作句中止を決意 6年ほど句作を休止

昭和28年(1953) 三鬼の「断崖」に同人参加

昭和30年(1955) 句作再開

昭和37年(1962) 「天狼」同人 三鬼死去

昭和38年(1963) 「面」創刊に参画

昭和40年(1965) 「俳句評論」同人

昭和41年(1966) 第1句集『まぼろしの鱶』

昭和48年(1973) 第2句集『眞神』

昭和52年(1977) 初期句集『青の中』 戦火想望句集『弾道』 「俳句研究」11月号「特集・三橋敏雄」

昭和54年(1979) 第3句集『鷓鴣』 間奏句集『巡禮』

昭和57年(1982) 『三橋敏雄全句集』(第4句集『長濤』を含む)

昭和59年(1984) 朝日文庫『現代俳句の世界』全16巻の解説を担当

昭和63年(1988) 第5句集『疊の上』

平成2年(1990)  増補版『三橋敏雄全句集』

平成8年(1996)  第6句集『しだらでん』

平成13年(2001) 12月死去(81歳)

A 今回は三橋敏雄です。

B 戦後俳句の巨人ですね。

A 正直この作者と対峙するのは随分と怖ろしいです。

B そうですね。多くの俳人たちとはスケールが違うというか、作品のレヴェルがかけ離れているところがあります。

A とりあえず15句選びましたが、15句に絞るというのは、この作者の場合あまり意味をなさないようなところがあります。

B そうですね。完成度の高い句が数多く存在します。戦後の俳人の中でもっとも高い技量と共に、完成度を誇るのがこの作者でしょう。

A 他の追随を許さないところがあります。

B とりあえず、第1句目には〈かもめ来よ天金の書をひらくたび〉を選びました。

A 当然、この句が第1句目でしょうね。第1句集『まぼろしの鱶』でも劈頭の句とされています。洋装の書籍とかもめから連想される、海とその向こうにある外国。まさしくモダニズムの1句です。

B また、この句は無季の句でもあります。あと、蛇足ながら「天金の書」について解説をすると、書籍には、天と前と地の三つの小口(こぐち)があり、この三方の小口に金箔を貼付したものを三方金、天のみのものを天金といいます。ということで、天金の書とは洋装本の上端に金箔をはりつけたものです。

A 「かもめ来よ」という表現ですが、この天金の書と関係がありそうです。

B まず本を開いた形状が、かもめの飛翔するかたちに似ていますね。

A その通りですが、それだけではなく、本を開いた状態で天金の部分のみを眺めた場合に、金色の鳥の飛翔している形象が現れるわけです。

B なるほど。たしかに、本を反対にして、目の高さまで水平に持ち上げ、天金の部分だけを見ると、金色の鳥が飛翔しているように見えます。

A このことは須永朝彦さんが『扇さばき』(西澤書店)の「不取敢二句」で指摘しておられ、小説家の北村薫さんも『詩歌の待ち伏せ 上』(文藝春秋)で取り上げておられます。

B この句の原型は、『現代俳句全集 四』(立風書房)所載の「自作ノート」では、「句と評論」昭和12年4月号所載の〈冬ぬくき書の天金よりかもめ〉ということだそうですから、やはり天金の部分を「金のかもめ」として想定した句なのではないかと思います。

A その「金のかもめ」と は、本を読むことによって得られる現実とは異なった世界を垣間見ることができる愉悦、即ち「ポエジー」の象徴であるのかもしれませんが、それだけではな く、この句の「金のかもめ」には、もしかしたら、当時の三橋少年のある矜持と決意が込められていたのかもしれません。

B どういうことでしょうか。

A 本を開く度ごとに、「金 のかもめ」に「来よ」というわけです。当然ながら「金のかもめ」は、その輝かしい色から、他の「白いかもめ」に紛れることはありません。その気高さの象徴 ともいうべき「金のかもめ」の翔来を自らの下へ希求するということは、本の頁を開く度にそのような上質の「ポエジー」に出会いたいという願望もあるので しょうが、それだけではなく他に容易に紛れてしまうことを拒否し、自らを誇り高き「金のかもめ」を以て任じようとする、密やかな自恃の意志が込められてい るのかもしれません。

B なるほど、そう言われれば、そのような解釈も成り立ちそうですね。やや深読みの感もありそうですが。

A 『三橋敏雄全句集』(1982)の後記に〈思ふに私は、新興俳句時代に俳句形式の魅力に囚れてより此方、最も将来を期待する俳人は誰かと云ふ自問に対して、常に其は私自身であると自答し続けて来た。〉とありますから、このような読みも、あながち間違いではないのかもしれません。

B ということは、今回は早くも結論が出たようですね。三橋敏雄とは、他に容易に紛れることのない「金のかもめ」を招来させ、その輝かな詩魂を自らのものと成し得た俳人であった、と。もう、今回はここで終ってもよさそうです。

A 正直そうしたいところですが、まだそういうわけにはいきません。この句には、それだけでなく、『現代名俳句集』の「太古」、そして第1句集『まぼろしの鱶』では、この句の後に〈鼻ばしらひとへに雲にとほく病む〉〈少年ありピカソの青のなかに病む〉の2句が続いて並んでいます。

B どういうことでしょうか。

A これは『展望 現代の詩歌10』において林桂さんが指摘しておられるのですが、どうやらこの3句は連作としても読むことが可能なのだそうです。次のように並べればわかりやすいでしょうか。

かもめ来よ天金の書をひらくたび

鼻ばしらひとへに雲にとほく病む

少年ありピカソの青のなかに病む

B なるほど。そのように意 識して読めば、なんとなく病床における連作として読めなくもないところもありますね。「金」、「白」、「青」といった色彩がイメージされ、その色合いが推移、混在し、まるでグラデーションのように変化してゆくようです。そして、原色による色彩感覚の表現は新興俳句特有の手法でした。

A この3句はフィクション として読むことも可能なのでしょうが、それだけでなくこれらの句の成立した当時の時代状況も考慮に入れる必要がありそうです。この3句を含む「太古」掲載 の『現代名句全集』が刊行されたのは昭和16年。つまり太平洋戦争が開始された年でした。戦争という時代状況に脅かされている少年の蒼ざめた心象がここに は描き出されているといえるのではないでしょうか。その蒼ざめた心の風景から見える雲の白さと、天金の書の発する光輝には、なんともいえない哀切なものが 感じられます。この絶望的ともいうべき青い風景の中での白い雲と天金の書(金のかもめ)の強い輝きは、当時の三橋少年にとって、自らをかろうじて支えるた めの慰藉そのものであった、と読むことも可能なのかもしれません。

B この3句を通して読む と、1句目におけるかもめは、まさしく空を翔けるところからまさしく自由そのものの象徴であると同時に、現実とは別の書物の世界における自由をも象徴して いるというべきでしょうか。そして続く、第2句に感じられる雲との距離の遠さは、白い雲への憧憬とともに、空を飛翔することの不可能性と、また、本の中に おける自由なフィクションの住人でもないという苦い現実を否応もなく想起させるようです。さらに3句目には「ピカソの青」に象徴されるような免れ難い現実 への憂愁が表出されているように思われます。「病む」の一語は、やはり当時の状況における精神的な煩悶を表したものだという気がします。

A まるで現実と空想の世界 が激しく鬩ぎ合っているようですね。これらの句はけっして単なる空想の句ではなく、その裏側にはどうすることもできない現実の重たさが厳然と横たわってい たという事実が窺えます。そういった当時の逼迫した時代状況の中での苦しみと同時に、それに耐えようとする三橋少年の強い意志の力も感じられるようです。 三橋敏雄の輝かな詩魂は、このような息苦しい時代状況の中ゆえに創出されたものであったのかもしれません。

B あと、『展望 現代の詩歌』の林桂さんの文章では言及されておられませんが、この連作については渡辺白泉の連作の影響があるはずです。『観賞現代俳句全集 六』に三橋敏雄による渡辺白泉の鑑賞文が掲載されており、白泉の3句を挙げて次のように解説しています。

あまりにも石白ければ石を切る

煌々と石を切るにぞ海膨る

山蔭にゆふべ真赤な石を切る

昭和10年作。〈石切場風景〉と題するこの連作俳句は、どこそこに実在するといった特定の〈石切場〉を表現の条件にしていない。そういうこととは別にこの一 連三句の表現意図は、それぞれ「石を切る」単調な音を介在させながら、順に白・青・赤という鮮やかな光彩感を訴えようとしているのだ。(…)言ってみれば、ここに感知する、音・光・色のあやなす諧調に誘われて、読者は、どこに在るとも知れないこの「石切場」へ、ふと行ってみたくなるような気になりはしまいか。なんとなくそういう気にさせるところが、この最少の句数による連作俳句形態における、言うところの〈風情〉であろう。ところで三句構成の連作俳句は、しいて言えば連句(俳諧の連歌)のいわゆる三ッ物に先蹤を見てもよい。それはそれとして、連作俳句なりの緊密性を求めていくとき、配列すべき句数の幅 には限界がある。一連三句という連作はおのずから窮極的な一つの型を示すものであった。

A 昭和10年作ですから、やはり三橋敏雄はこの白泉の手法を参考にしていたとみるべきでしょう。そして、現在ではこういった手法はほとんど用いられず、閑却されているところがあります。

B あと、蛇足かもしれませんが、当然ながら三橋敏雄の3句は、「かもめ」の句、「ピカソの青」の句、ともに、それぞれ完成度が高く、一句の独立した句として鑑賞することも可能だと思います。

A ともあれ、〈かもめ来よ天金の書をひらくたび〉という句については、様々な解釈が可能であると思いますが、この「かもめ来よ」という表現には、当時の状況における三橋少年の痛切なまでの願いが込められていたということは、間違いのないところではないかと思われます。

B では、次に〈いつせいに柱の燃ゆる都かな〉を鑑賞しましょうか。

A この句は昭和20年の句 ですね。三橋少年を擒にした新興俳句も戦争のために沈黙を余儀なくされます。さらに、同世代の俳人の仲間たちを戦争で失うなど、この時代に三橋敏雄の負っ た心の傷は当然のことながら深く、生涯にわたって戦争をテーマとした句を多く書き継いでゆくことになります。

B この句は無季の句ですが、まったく無季であることの弱さを感じさせません。

A 昭和15年あたりから渡辺白泉、阿部青鞋らと俳諧の技法を学び、それを自家薬籠中のものとした成果が、このあたりから見受けられるようになってゆきます。

B この句は「柱」という言葉から当時の戦争のみでなく、平安時代おける戦乱や西洋の戦争までをも連想させるところに、時代や空間を越えた普遍性が獲得されているようです。

A また、「柱」という言葉から「人柱」が、そして『古事記』などでの神を数える単位としての「柱」も連想させます。

B あと、当然ながら「火柱」という言葉も連想されます。こういった点を踏まえて読むと、句の世界における具体性が増し、より凄惨な状況が眼前に広がるようです。

A 時間や空間を越えて、人間の持つ「業」の深さとその重たさが、自己の意識の深奥にまで迫ってくるようですね。

B 次は、第2句集『眞神』冒頭の句である〈昭和衰へ馬の音する夕かな〉です。

A この句は昭和41年の作です。昭和とともに40年あまりを生きてきた作者の実感であったのでしょうか。高度経済成長の時代ですが、まるでこの時点おいてに三橋敏雄はすでに時代の終焉を予見しているようです。

B 戦後から20年。復興から経済の発展へという時代にあって、この作品の醒めた眼差しによる現実認識には、なにかしらただならぬものが感じられますね。

A これも無季の句ですが、そのことを感じさせない完成度を示しています。ただ、いま一つ句意が明瞭に汲み取れないところがあります。「衰へ」と「夕」で終焉の予感が濃厚に漂っているのははっきりとわかるのですが。

B 問題は「馬の音」をどう解釈するべきなのかということなのでしょう。

A 「自作ノート」では、「馬の音」に関してのみ、万葉集巻十一の作者不詳の〈馬の音のとどともすれば松蔭を出でてぞ見つ蓋し君かと〉を遠望している、と書いています。宗田安正さんは『昭和の名句集を読む』でこの句の馬は〈馬は軍馬であり、挽馬であり、挽馬など戦後しばらくは都会生活者にとってもなじみ深いものだった。〉としておられます。

B やはり「軍馬」と見るのが妥当でしょうか。この句からはやはりどこかしら戦争の影が感じられるところがあります。

A あと、阿部青鞋の戦前の作である〈馬の目にたてがみとどくさむさかな〉、そして佐藤鬼房の第2句集『夜の崖』の〈縄とびの寒暮いたみし馬車通る〉を思わせるところもあります。

B 他には、『聖書』の「ヨハネ黙示録」に〈視よ、蒼ざめたる馬あり、これに乗る者の名を死といい、冥府(よみ)これにしたがへり〉という一節がありますが、これを踏まえての、昭和の終焉の予感を表現した句であるということもできるのかもしれません。

A 続いて〈絶滅のかの狼を連れ歩く〉です。

B 絶滅のため存在しない狼が、あたかも実在しているかのように描かれています。

A 存在しない狼を連れ歩いているわけですから、それだけで異様な感じがしますが、さらにそこにとどまらず、狼を連れ歩いている人物自体も多分に超俗的で、謎めいた雰囲気を濃厚に纏っています。

B 「狼」は冬の季語であり、それと同時に、雪のイメージを連想させます。そういった雪の風景の中で、狼を連れ歩く人物も、そして狼も、まるでこの世のものとはどこかしら隔絶した、一種の虚像としてのイメージが顕ち上がってくるようです。

A この「狼」は一説によると、「俳句形式」、さらには「新興俳句」そのもののメタファーではないかとのことです。

B なるほど。そう考えると極寒の雪の中、狼を連れ歩く人物は「三橋敏雄」であり、「狼」は滅ぼされた「新興俳句」そのものであるという読みも可能でしょうか。

A 厳しい寒さと雪の中で、狼と共に進む姿が、まるで三橋敏雄自身の句業の道のりの険しさを象徴しているかのようです。そして、それと同時に、新興俳句の精神を引き継がんとする強い意志と矜持も感じられるといえそうです。

B 次は〈一生の幾箸づかひ秋津洲〉です。

A 非常に広大な時空を感じさせる句ですね。まず、芭蕉の〈朝顔に我は飯食ふ男かな〉、 と蕪村の〈稲づまや浪もてゆへる秋つしま〉が思い起こされます。

B あと「箸」の、『古事記』の須佐之男命の昔から現在、そして未来へと連綿と続いてゆくであろう、箸における食の文化や、人々の歴史が思い浮かびます。

A 「現代詩手帖」の1978年4月号における本人の「飯・箸・飯茶碗」という文章によれば、「秋津洲」は「蜻蛉洲」であり、幾つもの使い捨てられていった箸と、空に湧くトンボの細長い腹の群れとのイメージが重ねあわされているとのことです。

B 「戦争」などと同じく、三橋敏雄の俳句にとっては、「食」もまた、人間の業の深さを感じさせる普遍的なテーマの一つとして重要なものだったのでしょう。

A 次は〈身みづから瞼がくれに秋の暮〉です。

B 並外れた技術の卓抜さが感じられます。

A 秋の夕日の眩しさに、自ずと瞼が閉じかかる、そのことを「身みづから瞼がくれ」と表現したわけですね。

B 大変な表現力です。まず「瞼がくれ」という表現が出てきませんし、上五の「身みづから」という表現も普通の発想ではまず不可能な表現です。

A 「身みづから」の部分は大方の俳人は大体「おのづから」などとしてしまうところでしょうね。

B 「に」の助詞についても、もしこの部分を「や」という切れ字にすると、切れが強くなり過ぎて一句のニュアンスが台無しになってしまうところですが、「に」としたため自然なかたちで下五の「秋の暮」へと繋がってゆきます。やはりここにも技量の冴えがみられます。

A 〈またの夜を東京赤く赤くなる〉を鑑賞しましょう。

B この句のテーマも当然ながら戦争でしょう。この句の以前の作に〈鬼赤く戦争はまだつづくなり〉がみられます。

A それだけでなく、この句は震災などの天変地異の句としても読めそうです。

B 東京の空襲や、そして、関東大震災などといった過去の時代における災害。そして、さらにこれから先の未来に起こりうるかもしれない事態への警告という意味合いとしても読むことが可能なのだと思います。

A この句も無季です。渡辺白泉の〈赤く青く黄いろく黒く戦死せり〉などの新興俳句や、上島鬼貫の〈今の心是こそ秋の秋の月〉が下敷きとなっているのかもしれません。

B たしかに「赤く赤く」という表現が、新興俳句における色彩の強さを思わせますし、また、同じくその「赤く赤く」という繰り返しの表現が、鬼貫の句における「秋の秋の」という言葉を重ねて畳みかけるような強調の手法を思わせるところがあります。

A 現在ではなかなかこういった大胆な手法は用いられることは少ないでしょうね。

B 次に〈銀座銀河銀河銀座東京廃墟〉です。

A 正直、よくわからないところのある句です。ただ単語の羅列による言葉の響き合いに迫力があり、廃墟の荒寥とした感じを思わせます。〈またの夜を東京赤く赤くなる〉とも共通する面がある句ともいえそうです。

B 「またの夜を」の句が東京の非常時の夜を描いた句なら、この句は東京の平常時の夜の句なのかも知れません。

A 東京の煌びやかな夜の灯の連なる人工的な空間と、銀河の荒寥とした虚無、ということでしょうか。都市そのものが自然を排斥した廃墟である、という感じの。

B しかしながら、どうも語感の荒々しさから、単純にそうとは思えないところもありますね。「銀」の語が4回も繰り返し出てきます。そこから連想されるのはもしかしたら、弾丸が飛び交っているイメージ、ということでもあるのかもしれません。

A なるほど。そう考えるやはり〈またの夜を東京赤く赤くなる〉と同じ系列の句なのかもしれませんね。「廃墟」は戦争によるものであるということでしょうか。

B あと、おそらく渡辺白泉の〈遠き遠き近き近き遠き遠き車輪〉〈赤の寡婦黄の寡婦青の寡婦寡婦寡婦〉、もしくは「運動」と題された3句〈凝視する仰ぐ瞬く張る瞑る〉〈抱く掴む投げる引つぱる振る毆る〉〈駈ける蹴る踏む立つ跨ぐ跳ぶ転ぶ〉などの手法が活かされているのではないでしょうか。

A こう考えると渡辺白泉と三橋敏雄の句の関連性などをもう少し考察、検証する必要性がありそうですね。他にも、三橋敏雄の俳句には三鬼や渡辺保夫、小沢青柚子の句を下敷きにした、もしくは発展させたような句もいくつかみられます。

B 新興俳句の未完の部分、実現できなかった部分を、亡くなってしまった作者たちの分まで自らに引き受けて、完遂しようという強い使命感と意志を、三橋敏雄は終生持ち続けていたのだと思います。

A 続いて〈みづから遺る石斧石鏃しだらでん〉です。

B この句も無季ですね。まず、「石斧」と「石鏃」の読みは、「せきふ」と「せきぞく」です。共に新石器時代に工具や狩猟の道具として使われていたものです。

A 「しだらでん」は「震動雷電」という字音の転移したものともいわれており、意味としては、大風雨、大風大雨のことで、この語は貞門俳諧の〈五月雨や山鳥の尾のしだら天〉(慶友半井)のものだそうです。

B 縄文の昔から、厳しい自然の風雪の中を長期にわたって耐え続けてきた黒曜石の斧と鏃。作者はそれらと同じく、自らの作品が時を越えて残るようにという願いが込められているのかもしれません。

A なんとも重厚な作です。「みづから遺る」という表現に作者の強い意志と矜持が読み取れます。あと、このように三橋敏雄の作品をみていくと三橋敏雄が俳句における音韻についても尋常でないこだわりのあったことがよくわかりますね。

B では、最後に〈山に金太郎野に金次郎予は昼寝〉を鑑賞しましょう。

A この句は作者自身が用意していた辞世の句だとのことです。終焉の地、小田原への挨拶句だともいわれています。

B 金太郎といえば足柄山ですね。金次郎も相模の人でした。句の舞台としては、まず「山」と「野」が出てきます。

A 「山」と「野」に対して、この句の作者三橋敏雄は、いうまでもなく「海」の人でした。

B そうですね。27年もの長きにわたって船の事務長を務めていました。

A 「山」、「野」、「海」という関係性から思い当たるのは、句集についてなのですが、『現代俳人の風貌』(毎日新聞社)のインタヴューで三橋敏雄は〈実は、いわゆる序数句集の題名には、陸・海・空にちなんだ言葉を、交互に付けようと途中から思いはじめたのです。「まぼろしの鱶」の海の次は「真神」の陸。次が「鷓鴣」の空、そして「長濤」の海。次の「畳の上」が陸だから、今度は「しだらでん」の空です。〉と発言しています。

B 「陸」、「海」、「空」ですか。

A この句は三橋敏雄にとっての辞世の句ですから、これまでの句集と同じく、それに準ずるなんらかの意匠が凝らされている可能性があると考えても不思議ではなさそうです。なにしろ作者は他でもない三橋敏雄です。

B そういう風に考えると、この句には「地」である「山」と「野」、そして「海」の三橋敏雄がありますが、「空」に対応するものがありませんね。「山」がありますが、「空」であるとは言い難いところがありますし。

A よく見てください。なぜ「金太郎」と「金次郎」とが、「予」である三橋敏雄とともに並列させられてあるのかを。

B どういうことでしょうか。「金太郎」と「金次郎」。その共通点は「金」ということでしょうか。

A ほら、思い出して下さい。三橋敏雄は若いころから自分のことをどう思っていたのか。

B なるほど。ここで〈かもめ来よ天金の書をひらくたび〉が出てくるわけですね。

A 果たして、このような読みがどこまで正しいものであるのか、正直よくわからないところではありますが、こういった読みをも許容にしてしまうほどの懐の深さがこの作者の句にはあるということは確かだと思います。

B そういえば三橋敏雄の自選作が掲載されている多くの資料を見ると、ほとんどのものが初めの1句としてこの句が選ばれています。実際にははじめて句作をした句は〈窗越しに四角な空の五月晴〉であったとのことですが、三橋敏雄が自らであることを自他ともに証したといえる句は、この句が最初であるということができそうです。

A 第一句集『まぼろしの鱶』の第1句目もこのかもめの句でした。

B この句を念頭に置いて、この辞世の句は詠まれていると考えても、おかしくはないのかもしれません。

A ということで、ここまでの読み整理すると、辞世の句である〈山に金太郎野に金次郎予は昼寝〉の「金太郎」と「金次郎」、そして、「余」の関係。即ち「金太郎」と「金次郎」に対する、「金のかもめ」という輝かしい詩魂を持つ三橋敏雄、という「金」において共通する関係性が明らかになったのではないかと思います。

B さらにここから考えを進めれば、句集名の「空」「海」「陸」の、「空」にこの句において対応するのは「金のかもめ」であるといってもいいのかもしれませんね。

A その昔、三橋少年の眼に やきつけられた「金のかもめ」。その煌びやかな形象は、戦火を潜り、戦後の長い航海の歳月を経、さらに晩年に至っても、けっしてその眼から消滅してしまう ことはなかったというべきでしょうか。そして、長い歳月の末、その「金のかもめ」は、この辞世の句に至って、ついに、昼寝の瞼の裡へと永遠に解き放たれ、 その黄金色の姿形を以て、海の上を揺曳し続けているのではないか、という気がします。

B まるで、船に揺られながら昼寝をしている三橋敏雄の姿が目に浮かんでくるようですね。三橋敏雄は最後までモダニズムの美学を貫き通した俳人だったのかもしれません。


選句余滴  三橋敏雄

少年ありピカソの青のなかに病む

射ち来る弾道見えずとも低し

死して師は家を出て行くもぬけの春

共に泳ぐ幻の鱶僕のやうに

我多く精虫となり滅ぶ夏

桃咲けり胸の中まで空気満ち

世界中一本杉の中は夜

曳かれくる鯨笑つて楽器となる

家枯れて北へ傾ぐを如何にせむ

顔古き夏ゆふぐれの人さらひ

日にいちど入る日は沈み信天翁

たましひのまはりの山の蒼さかな

もの音や人のいまはの皿小鉢

めし碗のふち嶮しけれ野辺にいくつ

晩春の肉は舌よりはじまるか

緋縮緬噛み出す箪笥とはの秋

蟬の殻流れて山を離れゆく

積む雪の乗り捨ての花電車かな

鈴に入る玉こそよけれ春のくれ

秋や海の凹面にゐる男かな

枝豆の食ひ腹切らばこぼれ出む

撫でて在る目のたま久し大旦

泳ぎつつ舌に廻るや水の海

暗闇を毆りつつ行く五月かな

食ふ肉と滅びあふ身ぞ空のあを

春深き混沌君われ何処へ行く

長濤を以て音なし夏の海

戦争と畳の上の団扇かな

汽車よりも汽船長生き春の沖

死に消えてひろごる君や夏の空

海へ去る水はるかなり金魚玉

十七字みな伏字なれ暮の春

翔け翔くる蝶の頭は鈴ならむ

青空の奥処は暗し魂祭

奏でゐる自動ピアノや三鬼の忌


俳人の言葉  三橋敏雄篇

海にも飽き、もとより陸にも飽きていたが、打ち消し難い事実として、私が生きているからには、習い覚えた俳句表現に、生を賭けるより他に憂鬱から逃れる術はなかつた。憂さ晴らしは、いわば遊びである。従つて私の俳句は遊びであるか。然り、志して至り難い遊びであつた。

『まぼろしの鱶』後記より


俳句は一つとして同じ表現であってはならない。それゆえに、人から教えられたり、また人に教えたりすることが困難である。肝心なところは、すべて原表現者の発明に委ねられている。

「『斎藤玄全句集』 無類の輝き」より 「俳句」1986年11月号


古典俳句に遡ることができる俳句には、大別して有季俳句と無季俳句がある。約めていえば、両様式の歴史が示してきた多様性とともに俳句の伝統があるのだと考える。その意味では、現在一般にいうところの伝統俳句もまた、俳句の伝統の中の一様式にすぎない。


「俳句研究」1987年11月号より


一句一句について、異なることを本来のものとする表現技術は、これに支えられた新しい作品内容の開示とあわせて表裏一体、車の両輪の関係にある。この積み重ねが、いわば俳句史という伝統を形成しているのであって、いままでにない表現技術の発見がなければ、俳句の伝統は二番煎じ三番煎じの停滞を招く。

「困難への挑戦」より 


現行の俳句歳時記のたぐいをうかがえば、登載のいわゆる季題、季語があまりにも殖えすぎている。これは有季語を求めて無季語を取り込んだためであり、本来あるべき無季俳句の側からみればアンフェアともいえよう。このような状況下では日本人の美意識に長い間培われてきた、選りすぐった季の言葉は、その喚起力において底知れぬ力を有している。これを除外した無季俳句を成立させようなどということは、もともと無謀に近い。その上にも有季俳句とちがって、無季俳句には先行のすぐれた例句が極めて少ない。だから、私がいったん志した「吟誦に堪へる」無季俳句の制作に当たっては、その作り方のいっさいを、自分自身で考えださなければならなかった。いわば「私の俳句作法」のはじまりは手探りであった。そして、その果てに、たまたま自分で納得できるような一句を得たとき、その作法は一回で終わる。すべてに通じる作法はない。(…)付け加えれば、私は無季俳句の実践により、改めて季の言葉の重要性を認識した。余慶というべきものである。

「私の俳句作法 4 手探り」より 「毎日新聞」平成2年7月28日


五十年後、百年後といった長い目でみて、なお残る作品があるようならば、それらの作品は、おそらく他者が真似したくとも真似しにくいような、きわだった特徴 を持っているにちがいない。すなわち一流作品である。これに反し、現在においてといわず、百年後といわず、真似したいと思えばすぐにも真似ができる構造を持つ作品は、そのことによって二流作品といってよいだろう。

「青樹」1985年7月号


すぐれた一個の俳句表現は、俳句に課せられたあらゆる分類的呼称を超越して、改めて、いわば正規の俳句の名を襲うことができるのだ。それに価いしないもの、 先蹝作品のいずれかに忽ち似かよい、紛れこんでしまうような表現は、まだ、俳句でも何でもなく、仮りに俳句と呼ばれているにすぎない。現在、行われてい る、すべての分類的呼称下の仮りの俳句表現も、長期展望(百年くらいを想定したい)の中では、かつての新興俳句の場合と同様に、きわめて少数の作品だけ が、正規の俳句の列に加わり得よう。そう思うにつけても、いま陽気に量産をつづけている仮りの俳句に対し、否定的関心を抱きつづけていきたい。と同時に、 正規の俳句に列し得るような、自他の作品創造への予感に結びつく評価基準を、自身の内部に育て高めていきたいものと思う。

「わが俳句詩論・前説」より 「俳句研究」1977年6月号


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6 件のコメント:

tenki さんのコメント...

おもしろかったです。

ただ、行と行のあいだ、アキ過ぎw
スクロールで疲弊し、死ぬかと思いました。

中村安伸 さんのコメント...

>tenkiさま
いつもOperaというブラウザで編集していたのですが、都合によりIEでやりました。するとなぜだか改行が倍になってしまうようで……。
どうしてなんでしょう?

のちほど修整します。

tenki さんのコメント...

あ、恐縮です。
てっきり、意図的なレイアウトか、と。

bloggerの暴走は、私もしょっちゅう経験しております。お疲れさまです。

冨田拓也 さんのコメント...

中村さま
修整していただき感謝いたします。

tenkiさま
コメントありがとうございます。
今回、三橋敏雄作品の奥の深さを改めて実感することができました。
また、気が向いたらコメントしてくださいね。

野村麻実 さんのコメント...

いつせいに柱の燃ゆる都かな
またの夜を東京赤く赤くなる

東京大空襲の時の話でしょうか?
風が強い日で、熱風も吹き荒れ、そのせいで何もものの存在しない所に、竜巻状の火柱が至るところに立ち上がった恐ろしい状態であったらしいですね。鑑賞の仕方の間違いなのかもしれませんが、その情景を「柱の燃ゆる」と逆に平易な表現に落着かせている所に平穏な不気味さを感じてしまいます。
  

撫で殺す何をはじめの野分かな

わかる気がします(笑)。とても植物(お米かな?食べ物がらみの食物を想像してしまうのは、お腹が減っているせいでしょうか?)への愛情を感じさせる素晴らしい句ですね。

個人的に、
絶滅のかの狼を連れ歩く

が趣味な句です。

また文中ご紹介の渡辺白泉の句、

あまりにも石白ければ石を切る

いい句だなぁと。こういった全く何も知らない素人読者には解説がつかないと何もわからないし、知識も広がりませんので、とてもありがたいです!

冨田拓也 さんのコメント...

野村麻実さま

白泉の句も今回読み直したのですが、いま読んでも優れた句がいくつもあります。
実験的な試みも多くて、現在においても参考になるところが少なくないのではないかと思いました。
白泉は相当な博識だったそうです。