2009年1月10日土曜日

作品番号20 俳句の未来予想図

感想風に(俳句1月号「俳句の未来予想図」を読んで/作品番号20)

                       ・・・筑紫磐井

「俳句」1月号の特集は、橋本榮治・対馬康子・高山れおな・神野紗希による新春座談会「俳句の未来予想図」。かって「俳句」の新年号の新春座談会は、森澄雄や金子兜太らがやっていた印象が強く、時代が変わったと感じざるを得ない。しかし、元旦のテレビ番組さえ、昔の眠くなるような邦楽演奏から、今は騒々しいお笑いタレントの隠し芸やクイズに変わっているぐらいだから、「俳句」の正月号の大特集が変わるのも不思議はないかも知れない。要は森澄雄の体験談と、高山れおなの挑発と、どちらが今の時代にふさわしいのかを考えればよいのである。

座談会の司会を高山れおながやっているせいか、同席しない影の座談会メンバーがちらちらする。一人は、『現代俳句の海図』を執筆した小川軽舟、もひとりはこのブログを始めいろいろな場で若手の保守化や切れを批判している筑紫。座談会全体は明らかに小川の『海図』を主軸に据えて展開しているから、隠れメンバーの一人に小川がなっているのは当然であろう。ただ、筑紫の方は高山が語るに当たっての過激な発言を引き受けさせられているようで、いっこく堂の腹話術人形のような感じがしないでもない。

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高山は、まず、小川の『海図』に入るべくして入っていない橋本榮治・対馬康子を挑発しつつ、批判の対象を、東大法学部系俳人の優雅な生活感への批判と、本書が持つスタンダード化への危惧を大きな道筋として議論を進める。座談会だから発言のぶれは大きいが、前者はなにをかいわんや、後者は少し異論がある。

スタンダード化への道は、何も小川の『海図』に始まっているわけではない。小川が選んだ人選、中原道夫、正木ゆう子、片山由美子、三村純也、長谷川櫂、小澤實、石田郷子、田中裕明、櫂未知子、岸本尚毅の10人をどう見るかだが、実は30年代世代のこの人選は既に何回も見てきた模式図――長谷川、小澤、田中、岸本に小川流のアレンジを加えたものに過ぎない。この4人に、攝津幸彦や夏石番矢らを加えれば「俳句空間」第23号の行った特集<現代俳句の可能性>に近くなるであろう。

何より、長谷川、小澤、田中、岸本という、かっていわゆる「新古典派」などとジャーナリスティックに呼ばれた作家を中心にまとめられ、何があろうとこの4人は昭和30年世代の人選に欠かせないと思われている――これ自身が既に我々が長いこと眺めてきたスタンダードなのである。だから小川の関与によってこのスタンダードが揺らいでいるわけではないはずである。また、高山れおなの言うように、この人選が団塊の世代と夏石番矢を棚上げしたとしても、すでにそれはかっての4人のスタンダードがそうである以上、小川の手柄にもならないし、小川がこの中に割り込めるわけでもないだろう。

むしろ興味深いのは、この「新古典派」などという枠組みも今では崩壊し始めているように思われることである。これは四人の作家が崩壊しているのではなくて、それぞれが「新古典派」などという枠組みで囲え切れない方向に動き始めていると思われるからである。「澤」を創刊し、読売文学賞を受賞して以降の小澤實の作風の変化は顕著である。岸本尚毅が最近出版した力作評論集『俳句の力学』はもはや「新古典派」理論ではない。若い頃は事件的な俳句を嫌った田中裕明の晩年の作品を繰ってみると、「いきいきと生かされてあり百日紅」などというまことに事件的な作品(例の類想句事件)が出ている。「新古典派」として変わらないのは長谷川櫂ぐらいではなかろうか。(なお筆者は「新古典派」などという名称を肯定している訳ではないので念のため)

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以上の話題は少し通俗的な話題に落ちやすいので、この座談会が狙った「時代の俳句の潮流を探る」に近い問題に戻ってみる。一つは、表現すべき主題がなくなってしまった時代に俳句をどのように作るべきかという問題であり、もう一つは神野紗希が発言している「俳句を文化にしない」という問題である。

第1の問題は、先日ある座談会で一緒した澤好摩が、いつの時代でも表現すべき主題はなくなったと言っていたものだ、と漏らしていた(その後、座談会の議事録を見たら漏れていたので、はっきりした発言として確認はできないが)。確かにいつの時代も俳句には新しい領域は常になく、一見それらしく見える俳句も「それは俳句ではない」といわれたり、「甘やかさない座談会」などでたたかれてきた。俳句に新しい領域がある・なしではなくて、このような慨嘆・批判の構図だけが常に変わらなく存在しており、表現史はそれと全然別に進んできたと言うことなのである。我々は、昨年ノーベル物理学賞を受賞した素粒子理論が分からないように、新しい俳句は分からないと考えておくべきかも知れない。

ただ、新しい俳句を作りそうな人間はある程度分かる。我々凡人と全く同じ発想でいる人間は、――新しい俳句を作らない、ものすごく立派な古い俳句を再生産する。「豈」は若手作家だからといって珍重しているのではない、従来と異なることをやりそうな若手(必ずしも年齢にもこだわらない)だから注目し(もちろん、この中に詐欺師も混じっているかも知れない)、従来と同じことをやっている若手には注目しない。前者には、(座談会で出てきた)「主題」であるかどうかは別にして、新しい何ものかが浮遊していることを期待しているのである(期待するのと、批判非難するのは別である)。

第2の問題については、本論に入る前に、神野紗希が結社に入らない若手の活動について述べているのに注目する【注】。俳句において指導を受ける俳人がいないわけではないが、それは結社とは別に私淑の関係でつながり、句会は超結社句会に参加する、総合誌や同人誌からの依頼で作品を発表する、という俳句の関わり方をしているのだという。おそらく、一昔前の我々はそれを「俳句を制度化(結社制度化)しない」と理解し、だからこそ同人誌によっていたのだが、神野たちの発想はもう同人誌も必要としない、脱制度化の領域に入っているのだろう。もちろん神野たちがそのような無重力な状態で浮遊するには、彼女たちを取り巻く環境が十分な状態でないことは承知しているようだ。面白いのは、「俳句界」1月号で「これらの若手新人類の出現に難色を示すのは、案外、上の世代よりも若手自身なのかもしれない」として村上鞆彦の「豈」の<青年の主張>をひいて批判している(「俳句の未来をつくり出すこと」)。

おそらく制度は、神野たちが考えているよりもう少し根深いものかも知れない、決して制度は外部にあるのではなく、我々自身の内部が常に再生産しているものであり、結社も制度であれば同人誌も制度であり、「文化」も制度であるのだろう。「俳句を文化にしない」は座談会のメンバーの誰も異議のない意見であったが、我々が能やお茶を文化と見るのと同様に、外部の人間(例えば外国人)は俳句を文化として見ていることは争えない事実だ。歳時記、句会、吟行、発表と批評、俳句賞と応募、師弟関係等々、文化の香りの芬々とする行為だ、文化なしに俳句が維持できないのも否定できない。「俳句を文化にしない」は大事だが、それは「俳句を制度にしない」と同様、外形の文化・制度ではなく、意識の問題でもあるのだろう。

【注】本件については、ウラハイ = 裏「週刊俳句」http://hw02.blogspot.com/が、2009年1月7日付けで「「俳句結社」論議あれこれ〔上〕」(さいばら天気)で「結社と若者についての話題がこのところさかんだ」と「俳句」1月号「俳句の未来予想図」、「―俳句空間―豈weekly」などを引用しつつ、考察している。

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