2009年2月8日日曜日

俳句九十九折(23) 俳人ファイル ⅩⅤ 川口重美・・・冨田拓也

俳句九十九折(23)
俳人ファイル ⅩⅤ 川口重美

                       ・・・冨田拓也

川口重美 15句
 

渡り鳥はるかなるとき光りけり
 
兎死に夜となり牡丹雪が降る
 
秋風のかゝる香かつて希望ありき

霜柱青春の骰子七も出でよ
 
妙に深いソファー、時計が止つてゐる

石蹴りの地に画きし輪に蝶よ下りよ
 
夏氷錐効かぬまで心蒼し
  ⇒ 「心」に「しん」とルビ
 
餓鬼の忌や水に漬けたる眼を開く
 
文待つやみどりに透ける蟬の翅
 
秋風や生きのこりたる黒金魚
 
炎天の羽音や銀のごとかなし
 
夕焼や裁かるゝごと木にもたれ
 
夕焼けてゐたりしシャツを今日著て出づ
 
死が去らず月光にてるてる坊主
 
春の灯へ積木の塔がつみあがる

 
 
略年譜
 

川口重美(かわぐち しげみ)
 
大正12年 (1923) 下関に生まれる 
 
昭和19年(1944) 句作開始
 
昭和20年(1945) 東京帝国大学第二工学部建築学科入学
 
昭和24年(1949) 「風」同人 死去(25歳)
 
昭和38年(1963) 『川口重美句集』
 
平成20年(2008) 「山繭」発行所より復刻版『川口重美句集』(監修 上野燎)
 
 
A 今回は川口重美を取り上げることにします。

B 戦後直ぐに生まれた若者の俳誌「風」の作者の一人ですね。
 
A この作者についてふれている文章は、私の知る限りではせいぜい、
 
沢木欣一  『俳の風景』(1986年 角川書店) 「川口重美聞き書」
 
〃   『俳句研究』1992年3月号 「私の昭和俳句 川口重美」
 
  〃   『証言・昭和の俳句 下』(2002年 角川書店)
 
飴山實   『俳句』1963年12月号 書評
 
村上護   『虹あるごとく 夭逝俳人列伝』(1990年 本阿弥書店)
 
宇多喜代子 『私の名句ノート』(2006年 富士見書房)
 
〃   『俳句朝日』2007年6月号
 
〃   『現代俳句』2009年1月号 「川口重美句集のこと」
 
高柳克弘  『凛然たる青春』(2006年 富士見書房)
 
程度でしょうか。他には『川口重美句集』(昭38年)に寄せられた沢木欣一、川口達仁、倉本宗剛、上野潦の4氏の文章があるくらいですね。
 
B 『現代俳句』2009年1月号の宇多喜代子さんの文章によれば、2008年10月に、宮田正和、倉本宗剛両氏の尽力により46年ぶりに『川口重美句集』が復刊されたとのことです。
 
A 今回のこの文章において、私が参照している資料は、復刻された新しいものではなく昭和38年の『川口重美句集』ということになります。
 
B では、川口重美の略歴について少し見ていきましょう。
 
A 川口重美が句作を始めたのは何時からであるのかあまりはっきりとはしておらず、残された手帖から推察しておおよそ昭和19年ごろからのことではないかとのことです。
 
B 戦争の末期であり、10代の終わり頃ということですね。
 
A 句作を始める前には短歌を書いていたそうです。その後、昭和21年から「風」「寒雷」「万緑」などに投句し、昭和24年に亡くなっていますから、句作期間はせいぜい5,6年ということになりますね。
 
B 思った以上に短い句作期間ですね。
 
A 戦中から戦後の数年間ということになるようです。
 
B 昭和24年の没後、約14年ほどが経過した昭和38年に『川口重美句集』が纏められています。
 
A この句集は、川口重美の遺した作品1287句から300句を選んで纏められたものであるとのことです。
 
B 総数が1287句ですから、思った以上に遺された句の数は多いようですね。
 
A 川口重美は1日に10句程度を毎日句作していたという話があります。
 
B では、その作品について少し見ていきましょうか。
 
A 第1句目には、まず〈渡り鳥はるかなるとき光りけり〉を選びました。
 
B 『川口重美句集』によると、この句は1944年から1947年の作であるとのことです。
 
A これが俳句を始めて数年の作者の手になる作品であると思うと、少し驚いてしまうところがあります。
 
B この句だけを見ると、すでに「完成品」といった趣きがありますね。
 
A 高浜虚子の〈木曾川の今こそ光れ渡り鳥〉を思い出しました。
 
B 川口重美は虚子を尊敬していたという話もあります。この虚子の作品の影響がこの句の背後にあったと考えてもおかしくはないのかもしれません。
 
A しかしながら、この川口重美の句における表現は、むしろ虚子の句よりも簡潔で、そのイメージについても、川口重美の句の方が鮮烈な印象を受けるところがあるようにすら思われるところがあります。
 
B 表現がどこかしら現実の景を越えて、象徴の域にまで達しているような雰囲気がありますね。
 
A この句から感じられるのは、はるかな距離に見える鳥が発光しているイメージのみ、とでもいった感があります。
 
B 季感についても、どちらかというと「渡り鳥」における秋の季節という限定を超えたところで一句が成立しているように思われるところがありますね。
 
A 続いて〈兎死に夜となり牡丹雪が降る〉を取り上げました。この句も1944年から1947年の作です。
 
B 時間の経過が巧みに詠み込まれているようです。
 
A 昼か夕方に兎が死に、その後に夜となり、そこに牡丹雪が降ってくる。その様子が句跨りを伴う畳みかけるようなリズムとともに無理なく表現されています。
 
B 色彩についても、兎が何色であるのかわかりませんが、兎が死んだ後の世界を包み込む夜の黒、そしてそこに降ってくる牡丹雪の白、といった具合に時間の経過とともに色彩の移り変わりも一句のうちには展開されています。
 
A 「牡丹雪」が一句における死の冷厳さを幾分か和らげているようなところもありますね。
 
B 続いて〈秋風のかゝる香かつて希望ありき〉です。1944年から1947年の作です。
 
A この句も音韻についてやや特殊な面があるようです。
 
B 「か」や「き」といったK音の連なりが特徴的ですね。その中でも特に「か」の音が強い働きをしています。
 
A 秋風の「香」という表現がみえますが、当然のことながら秋風に特定の「香」はないのではないかという気がします。ですから、この「香」という言葉は、おそらくK音のリズムの連なりから自然発生的に導き出されてきたものなのでしょう。
 
B 秋風の「香」という表現は、散文的な意味としてはやはりあまり適切なものではないのかもしれませんが、それでも、「秋風のかゝる香」と表現されることで、その流れを伴った音楽性により、秋風を感じた時の全身的な感覚がそのまま喚起されてくるようなところがあります。
 
A そして、その秋風による感覚から呼び起こされるのは「かつて」の「希望」のあった日々である、とのことです。
 
B このとき作者はまだ20代の前半であったはずです。
 
A この時点で、最早「希望」というものがないということを詠んでいるわけですね。既に晩年とでもいったような思いが川口重美にはあったのでしょうか。
 
B この句のように、川口重美の作は全体的に動かし難い現実の絶対性というものが重くのしかかっているような句が数多く見られるようです。
 
A 確かに一種の現実に対する空虚や不安感のようなものを感じさせる句が多いですね。同じ「秋風」の〈秋風や添ひゆく柵のふと切れぬ〉という句についても似たようなことがいえると思います。
 
B 続いて〈霜柱青春の骰子七も出でよ〉です。1944年から1947年の作です。
 
A やはりこの句からも、現実の絶対性へのほとんど自棄にも近い一種の諦念とでもいったような心情を感じさせるところがあります。
 
B 普通のサイコロは当然1から6までしか存在しません。ですから、どうあっても「七」の目なんて出るわけがないんですよね。そういった不可能性を前提として「七も出でよ」と表現しているようですね。
 
A 「青春」という言葉からも窺えるように、そういった「七」の目など出ることはないという絶対的な自明の事実を深く認識しつつも、それでもその現実に対して苦しい胸の内を表現せずにはいられなかったということなのかもしれません。
 
B 「奇跡」という言葉がありますが、その言葉の意味をこの句を前にして考えた場合、それがどれほど儚いものであるのか、存分に思い知らされるところがありますね。
 
A 取り合わせられた季語も「霜柱」ですから大変荒寥とした心象を思わせます。
 
B 波多野爽波の〈骰子の一の目赤し春の山〉という春の温かい世界と比べると、随分と大きな隔たりが感じられます。
 
A 続いて〈妙に深いソファー、時計が止つてゐる〉です。1948年の作です。
 
B なんだか異様な内容の句ですね。
 
A 無季の句であることに加えて、口語で表現されています。
 
B ちょっと普通の感覚の句ではないですね。
 
A ソファーへ深く沈み込むまるで手応えのない自らの身体感覚の茫洋さと、まるで時間が止まってしまったかのように錯覚させられる動かない時計の針。
 
B なんだか別の世界に迷い込んでしまったような感覚がありますね、あまりこのような妙な句は見たことがありません。
 
A 自由律俳句にすこし近い感じがあるでしょうか。
 
B なんだか「乗り物酔い」をしたような読後感が残りますね。川口重美には他にも〈梅雨のある夜幻灯の家がさかさまだ〉などといったややシュールともいうべき内容の句がいくつか見られます。
 
A 続いて〈夏氷錐効かぬまで心蒼し〉です。1948年の作です。
 
B 句集を見ると、「心」には「こころ」ではなく、「しん」とルビがふってあります。
 
A 「心」を「しん」と読ませているわけですから、氷の「芯」を表しているというわけなのでしょう。
 
B 氷の芯の硬質さ。それと同時にやはり作者の「心」をもこの夏氷には仮象されていると見てもいいはずだと思います。
 
A 氷だけでなく、自らの「心」のうちの有りようをも「蒼し」と表現したわけですね。
 
B 氷の何物をも容れようとしない硬質な質感、そこから作者の精神の矜持が感じられるようです。
 
A 川口重美には、この句の「蒼」に見られるような色彩感覚に秀でた側面があります。
 
B 他には〈友酔ひつぶれやがて冬星白し青し〉〈生きたかり埋火割れば濃むらさき〉〈人生なかば白く黒く雪降りしきる〉〈ももいろの爪の三日月夏が来ぬ〉〈秋風や生きのこりたる黒金魚〉などという句が見られますね。
 
A 続いて〈餓鬼の忌や水に漬けたる眼を開く〉を取り上げます。1948年の作です。
 
B 「餓鬼の忌」とは芥川龍之介の忌日のことですね。そして、「餓鬼」とは芥川龍之介の俳号でした。
 
A 芥川龍之介と「水に漬けたる眼」という言葉から連想されるのは、芥川龍之介の小説「河童」でしょうか。
 
B そのように読むと、この句は自らをまるで河童になぞらえているかのような作品ということになりますね。
 
A そう考えると、この句の背後にあるのは、もしかしたら、自らが人間であることへの諦念、もしくは慨嘆であるのかもしれません。
 
B 自身は人間であり、当然ながら河童にはなれないという不可能性から、先ほどの〈霜柱青春の骰子七も出でよ〉を思い出させるところがあります。
 
A 現実というものの重たさ、そしてその不可解性といったものが強く刻印されているようなところがありますね。
 
B 川口重美には、1946年4月ごろに、生と死の意味を徹底して考えてみるため、東大建築科を止めて京都大学の哲学科に入学したい、といった旨を記した手紙が存在するそうです。
 
A 他にも、手紙には、この寂しさ世のはかなさを自分なりに追求してゆきたい。それが私の哲学になるだらう、といった言葉もあるそうです。
 
B こういった言葉を見ると、川口重美の作品の根幹には、このような生や死といった問題を根底から追求しなければやまないような心情が確乎として存在していたということが窺われますね。
 
A 続いて〈炎天の羽音や銀のごとかなし〉です。1948年の作です。
 
B この句も「銀」という言葉から色彩感覚の鮮やかさが感じられます。
 
A 「かなし」というのは、なかなか直截な感情表現ですね。俳句ではあまりこのようなストレートな感情表現は忌避されるところがあります。
 
B この作者にはこういった直截な感情表現が他にも〈真ッ昼間蕃茄畑にふとかなし〉〈ねんねしな狐おそろし夜おそろし〉などいくつか見られます。
 
A 夏の暑い空と日射し、その苛烈な空を飛ぶ鳥の羽音。それが「銀」のように悲しく感じられる、という内容なのでしょうか。
 
B 少し解釈しづらいところがありますね。
 
A おそらく炎暑の中における鳥の羽音の涼やかな感じを「銀」のようである、と表現したのかもしれません。
 
B 暑さの中における鳥の羽撃きとその響きから感じられる一抹の涼気、そしてそういった炎暑の只中における儚さゆえに「かなし」という嘆息が漏れたということでしょうか。
 
A 鳥のそのものの持つ存在の孤独感といったようなものも感じられるようです
 
B 続いて〈夕焼や裁かるゝごと木にもたれ〉です。1948年の作です。
 
A 夕焼けの中、木に凭れかかってうなだれている青年の姿が髣髴と浮かんできます。
 
B 憂悶の表現としては割合わかりやすい内容ですね。楠本憲吉の〈寒スバル裁かるがごと振り仰ぐ〉を思い出しました。
 
A また、「木」と「裁か」れるという言葉から「磔刑」を連想させるところもあるようです。他に似たような句として〈森を抜け被告の如く夕焼くる〉という句も見られます。
 
B 続いて〈夕焼けてゐたりしシャツを今日著て出づ〉を取り上げます。1948年の作です。
 
A まず、昨日と今日という時間性が一句のうちに内包されてあることが読み取れます。
 
B 昨日の夕方ということでしょうね。シャツはここでは当然ながら「白」と見ていいでしょう。
 
A 昨日夕焼けに染まっていたシャツが、次の日には、夕焼けに染まっていたことがまるで嘘であるかのように真白なままである、ということなのでしょう。橙と白のコントラストが見事に浮かび上がってきくようです。
 
B シャツが夕焼けに染まっていた事実が、まるで儚い幻であったかのように感じられるところがありますね。
 
A 続いて〈死が去らず月光にてるてる坊主〉です。1948年の作です。
 
B 「てるてる坊主」は天気が晴れることを願って吊るされるものですが、ここでの「てるてる坊主」はあまりそういった意味では使われていないようです。
 
A 「死が去らず」ですから、なんとも重い内容を思わせます。
 
B それこそ「晴れない心」とでもいったところでしょうか。天気ではなく心の方が曇っているというわけですね。
 
A そして、「死」と「てるてる坊主」という言葉の関連性から連想されるのは、首吊りの輪ということでしょうか。
 
B そう考えるとなんとも怖い印象の句です。
 
A 作者が死の想念とでもいったようなものに随分と苛まれていることがわかりますね。

B 最後に〈春の灯へ積木の塔がつみあがる〉を取り上げました。1949年の作です。
 
A 「春の灯」ですから時刻は夕から夜ということになります。そして、その「春の灯」へ向って積木が積まれていくわけですね。
 
B 「つみあがる」という表現ですから、なんだかひとりでに積木が積み上がっていくような印象があります。
 
A 確かに勝手に積木が積み上がっていくような感じがしますね。実際は幼児が積み上げ、どの積木の塔も小さなものであるのでしょうが、この句の中では、どことなく大きくて、迫力のあるものであるようにも思われてくるところがあります。
 
B この句が作られた年の1949年に、川口重美は女性と心中し、その25年の生涯における幕が閉じられます。
 
A 当時は戦後直ぐの苦しい時代状況ゆえか、学生の自殺などが多かったそうです。
 
B 沢木欣一は、『俳の風景』所載の昭和40年の「川口重美聞き書」において、当時の時代状況について〈狂気ともいうべき時代、異常なる時代が確かにあったのだ。あるいは見方によれば、現在などよりもよほど本質的に皆が生きようとしていた時代が……。〉と書いていますね。
 
A さて、川口重美の作品について見てきました。
 
B 今回、久しぶりに句集などを読み返してみて、随分と吃驚する箇所がいくつもありました。
 
A そうですね。作品全体に漂う「憂悶の深さ」というか、もっといえば「精神の危うさ」とでもいったようなものが、その作品の随所からまざまざと読み取れるところがあり、正直、たじろぐ思いをすることがしばしばありました。
 
B 先ほども触れましたが、それはやはり、現実とその生の意味を突き詰め、妥協することなく追求し続けた川口重美の姿勢と、当時の混乱した時代状況とが重なって作品の上にあらわれた結果であったということができるのかもしれません。
 
 

選句余滴

 
川口重美
 
青表紙とぢて寝に立つ火蛾の夜
 
無為の日や溶けつゝ傾ぐ雪達磨
 
見てをれば鶏頭の門に入りにけり
 
友酔ひつぶれやがて冬星白し青し
 
露と星胎児うごけば犇々と
 
木兎の杜ゆくや跫音吸ひとらる
 
獣めき終電車馳せ月一つ
 
筆買ふや朝虹の今日佳きことあれ
 
秋風や添ひゆく柵のふと切れぬ
 
まざと見たり寒鯉沈むときの瞳を
 
生きたかり埋火割れば濃むらさき
 
水飲めば生きたかりけり遠嶺の雪
 
雪原におらぶ言の葉なさぬ語を
 
寒雷に響けるがにも白き飯
 
人生なかば白く黒く雪降りしきる
 
金星見放しこの道曲がらねばならぬ
 
弱肉強食真ッ赤な月へ汽車が馳す
 
蛇出でてもつとも飢のきらきらす
 
ももいろの爪の三日月夏が来ぬ
 
六月猫が曲つた方へ曲らう
 
梅雨のある夜幻灯の家がさかさまだ
 
やもりの夜開けたトランクがからつぽ
 
夏の蝶あひくちのごと地におちし
 
泳ぐ身をさびしくなればうらがへす
 
ゆらゆらと市電が蝶にぶつかりそう
 
ほろほろと女犯の朝のほたる死ぬ
 
蟬の森抜けたる影のむらさきに
 
白蚊帳に奇蹟の目覚めある如し
 
眼薬の睫毛におちぬ月はじく
 
パラソルのひとつ外れゆき喪の家へ
 
殺したる蚊の刻印の胸にのこる
 
耳に手をおほへばひびく秋の雨
 
色鳥を含みたる木に手を触るゝ
 
森の中ついに夕焼けざる石と
 
小鳥来てひとり病む家つゝきけり
 
秋蝶去り風景ほつとおとろふる
 
きちきちと冬夕焼に家ちゞむ
 
鱗雲なんでもポケットから出そう
 ⇒「出」に「だ」とルビ
 
月まどか羽搏てるがごと豚の耳
 
冬の星うがひしてゐて歌となる
 
雪を食ひ耳の底までさびしくなる
 
野火を見てきて椅子が持ち去られゐし

 
 
俳人の言葉
 
私は四十年(…)「川口重美聞き書」を「風」三月号に載せた。そして単行本「俳の風景」(六十一年四月刊、角川書店)の巻頭に据えた。最近、この文章を愚息が読んで、「川口重美はきつい男だね。こういう青年は今はほとんど居ないよ。皆、利口になって。しかし悪く言えば世の中へのまた女性への甘えの精神だね」と事もなげに言ってのけた。私はすぐには言葉が出なかったが、「人間というものはそう簡単に割り切れるものではないよ。割り切れないところに興味を持つのが文学だろう。」と弱い調子で答えた。
 
沢木欣一  『俳句研究』1992年3月号 「私の昭和俳句 川口重美」より

--------------------------------------------------

■関連記事

俳句九十九折(8)俳句アンソロジー・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(9) 俳人ファイル Ⅰ 下村槐太・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(10) 俳人ファイル Ⅱ 小宮山遠・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(11) 俳人ファイル Ⅲ 三橋敏雄・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(12) 俳人ファイル Ⅳ 阿部青鞋・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(13) 俳人ファイル Ⅴ 飯田蛇笏・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(14) 俳人ファイル  宮入聖・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(15) 俳人ファイル Ⅶ 石川雷児・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(16) 俳人ファイル Ⅷ 正木浩一・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(17) 俳人ファイル Ⅸ 神生彩史・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(18) 俳人ファイル Ⅹ 火渡周平・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(19) 俳人ファイル ⅩⅠ 大原テルカズ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(20) 俳人ファイル ⅩⅡ 中田有恒・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(21) 俳人ファイル ⅩⅢ 島津亮・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(22) 俳人ファイル ⅩⅣ 中島斌雄・・・冨田拓也   →読む

-------------------------------------------------

■関連書籍を以下より購入できます。










2 件のコメント:

高山れおな さんのコメント...

冨田拓也様

拙稿のコメント欄が愉快なことになっていて、感想を記すのが遅れました。

川口重美の読み、堪能しました。とりわけ、〈霜柱青春の骰子七も出でよ〉〈妙に深いソファー、時計が止つてゐる〉の読解は見事だと思います。

⇒なんだか「乗り物酔い」をしたような読後感が残りますね。

とは、言い得て妙です。
実は小生、つい先日、『川口重美句集』の復刻版の方を手に入れて、いずれブログ上に感想を書こうと思っていましたが、先を越されました。もちろんそれでも書きますが、冨田さんがあれだけ丁寧に参考文献を挙げてくださっている以上、これは読まないといけませんね。
第25号の「あとがき」に、八重洲ブックセンターで『青の時代』の文庫本を買ったことを記しましたが、あれは川口重美を読む参考になるだろうかと思ってのことです。あんまり参考になりませんでした(笑)。あの主人公(そしてそのモデルの山崎晃嗣)と川口は、生年もほぼ等しく、同じ時代に東京帝大の学生となり、共に昭和24年に自殺しています。狙いは悪くなかったですが、三島由紀夫というバイアスが強烈すぎるようです。しかし、主人公が焼け残った東大校舎の屋上で弁当を食べるシーンなんかには時代の空気を感じました。

冨田拓也 さんのコメント...

髙山れおな様

コメントありがとうございます。

コメント欄、確かに随分と賑やかですね。

川口重美について書かれるとのこと、いまから楽しみにいたしております。
髙山さんが川口重美の作品をどのように読まれるのか大変興味のあるところです。
しかしながら、今回早めに取り上げておいてよかったな、と思いました。
髙山さんのあとでは、おそらく私は何も書けなくなっていたはずですので。

今回の私の文章では当然のことながら不備な点が少なくなく、触れなければならない箇所がいくつもあったのではないかと思われます。
そういった点について、思いつくままに上げると、

肺病(病身)であったこと
師系の有無について
韻律面での加藤楸邨からの影響(破調の多さなど)
「風」の仲間達の作品からの影響

などがありそうです。