2009年1月25日日曜日

俳句九十九折(21) 俳人ファイル ⅩⅢ 島津亮・・・冨田拓也

俳句九十九折(21)
俳人ファイル ⅩⅢ 島津亮

                       ・・・冨田拓也

島津亮 15句



象の足しづかに上る重たさよ
 
父酔ひて葬儀の花と共に倒る
 
炎天にのこせし斧の重さかな
 
秋風に和服なびかぬところなし
 
電線に触れゐて強し夜明の星
 
天心に旱星並ぶ自由欲し
 
黒帯の柔道に惚れ二月尽く
 
いちまいの白い人体春の雷
 
怒らぬから青野でしめる友の首
 
炎天へ真赤な国へ逃げころぶ
 
きついエレベーター嘔吐のさようならたち
 
僕等に届かぬ鍵がながれる指ひらく都市
 
百哭けばあひるの白の島津 亮
 
越冬のトノサマバッタエメラルド
 
いつかくるキャベツ畑にジェノサイド





略年譜
 

島津亮(しまづ りょう)
 
大正7年(1918) 香川県香西町に生まる
 
昭和11年(1936) 大阪外国語学校入学
 
昭和21年(1946) 西東三鬼に逢う 「青天」参加 句作開始
 
昭和23年(1948) 「雷光」創刊同人
 
昭和25年(1950) 「雷光」廃刊
 
昭和26年(1951) 「梟」創刊同人
 
昭和27年(1952) 第1句集『紅葉寺境内』
 
昭和29年(1954) 右肺上葉部を切除
 
昭和30年(1955) 退院
 
昭和32年(1957) 「夜盗派」同人
 
昭和35年(1960) 「夜盗派」終刊 「縄」同人 第2句集『記録』
 
昭和37年(1962) 「海程」創刊と同時に同人参加
 
昭和43年(1968) 「ユニコーン」創刊同人
 
昭和44年(1969) 第3句集『戦後俳句作家シリーズ16 島津亮句集』
 
昭和52年(1977) 第4句集『唱歌』
 
平成12年(2000) 逝去(82歳) 『島津亮句集 亮の世界』

 

A 今回は島津亮を取り上げることにします。
 
B これまでより今回はすこしメジャーな人選となったかもしれませんね。
 
A 島津亮は現在においてはさほどメジャーな俳人でもないのでしょうが、それでも俳人の間ではこの作者の存在を知らない人はやはり少ないのではないかという気がします。
 
B 島津亮は昭和21年に句作を始め、西東三鬼に師事しました。その後「前衛俳句運動」を代表する作者の一人となります。
 
A では、早速島津亮の作品について見ていきましょうか。
 
B まずは〈象の足しづかに上る重たさよ〉を取り上げます。
 
A この句は島津亮の処女作であるとのことです。第一句集『紅葉寺境内』の第一句目に置かれています。
 
B 無季の句ですね。象の前脚でしょうか。象の巨大な体躯ゆえの緩慢な動作ゆえの静かな迫力が感じられます。
 
A 足を上げる動作をわざわざ「しづかに」「重たさ」と形容したことにより、象の足の重量感をよりいっそう感じさせるところがあるようです。俳句を始めたばかりの作者の稚気の魅力が感じられるとでもいうべきでしょうか。
 
B 続いて〈父酔ひて葬儀の花と共に倒る〉です。
 
A この句は島津亮の作品の中でも割合知られた作品であると思います。
 
B この作品も比較的初期のものです。
 
A この句は三鬼により添削されたものであるとのことです。
 
B 当初の島津亮の作品は下五が「共倒れ」であり、その「共倒れ」の部分を三鬼が「共に倒る」と改めたといわれています。
 
A 下五の6音による字余りの効果を狙っての添削ということなのでしょう。
 
B 「共倒れ」ならば、酔った父が花と共に一気に倒れるどちらかというと性急な印象の表現となりますが、「共に倒る」とすることで父が倒れる瞬間の時間性が引き延ばされ、ゆっくりと酔いにまかせた父の身が葬花と共に沈んでゆく映像がありありとイメージされるようです。
 
A このあたりの気息がやはり三鬼のものというべきでしょうか。
 
B たしかに、三鬼にはこういった下五を6音にした作がいくつも目につきます。
 
春の夜の暗黒列車子がまたたく
 
雪嶺やマラソン選手一人走る
 
薄氷の裏を舐めては金魚沈む


A 鈴木六林男にもこういった下五を6音にした例は少なくありませんね。
 
生き難し華人降り来る神戸の坂
 
磨かれた消火器の赤明日また会う
 
都会の昼一個のボール転りゆき

 
B こういった五七五の定型からややもすると逸脱してしまいかねないような独特のリズムが時としてあらわれるところが三鬼門の一つの特色でもあるのかもしれません。
 
A 島津亮の句はいうなれば父と息子の関係による悲喜劇を作品にしたものであるとでもいったようなところでしょうか。
 
B どことなく下村槐太や林田紀音夫あたりの市井の風景の一齣を髣髴とさせるような作品と似通う部分があるようにも感じられるところがあります。
 
A 続いて〈秋風に和服なびかぬところなし〉です。
 
B この句も比較的初期の句にあたるようです。
 
A 島津亮の作にしては割合すっきりした内容の句ですね。
 
B たしかに秋風と和服のみの単純な取り合わせのみ句です。
 
A ただ秋風に和服が靡いているだけですが、その簡素な表現に格調の高さが感じられるところがありますね。
 
B あと、蒸し暑い夏が終わり、秋の爽やかな風による快さがそのまま感じられるようです。
 
A 続いて〈電線に触れゐて強し夜明の星〉を鑑賞しましょう。この句は1951年ごろの作品です。
 
B 「強し」と「星」という表現から三鬼の〈火事赤し一つの強き星の下〉あたりからの影響がみてとれるようです。
 
A また、島津亮にはこの句の他にも〈三月の天指す梢信じをり〉〈天心に旱星並ぶ自由欲し〉といった高いところにあるものへの憧憬が核として詠まれている作品がいくつか見られます。
 
B 続いて〈いちまいの白い人体春の雷〉です。
 
A この句は第2句集『記録』所載の昭和29年~30年の作で、右肺の切除の手術を行う前の句であるようです。
 
B 手術前であるという状況を念頭に置くならば、自らの病によって痩せ細った身を「いちまい」という薄っぺらな紙に擬して表現したものと捉える事ができるのでしょうが、必ずしもその事実のみに固執してこの句を読む必要はないのかもしれません。
 
A たしかにこの句は「春の雷」というさほど強くない雷の光と、薄い紙に擬した自らの痩身の取り合わせによって、おそらく自嘲もしくは手術前の不安を表出した内容のものであるというべきなのでしょうが、それだけではなく、漫画的な読みも可能だと思います。
 
B 実際の状況から離れて読めば、紙のようにぺらぺらな人体と春の雷の取り合わせから、コミカルなイメージがそのまま顕ち上がってくるところがあります。
 
A 続いて〈怒らぬから青野でしめる友の首〉です。
 
B 島津亮の作品においてもっとも有名なのはやはりこの句ということになるはずです。
 
A この句は第2句集『記録』の昭和31年の作です。
 
B 江戸中期の俳人、炭太祇に〈脱ぎすてて角力になりぬ草の上〉という発句がありますが、島津亮の句はこのような江戸時代の牧歌的な風景とはやはり異質の趣きがあるようですね。
 
A たしかに「青野でしめる友の首」ですから、草の上の相撲よりも随分と不穏な雰囲気があるようです。
 
B 「青野」ですから季節は夏。夏の陽射しとむせかえるような草いきれ、そしてその暑さから噴き出す汗。そういった状況で首をしめるわけですから、両手に友人の首の感触が生々しく感じられるようなところがあります。
 
A また、その「青野」という言葉の「青」という文字から「青年」という言葉が連想されるようです。それにより、一層一句に籠っている濃密な息苦しいまでの情感が強く印象付けられるように感じられるところがあります。
 
B ヴェルレーヌとランボーの関係とでもいったものに近いものを想起してしまうようなところがありますね。この句には愛と憎しみの感情が作品のうちに深く込められているというべきでしょうか。
 
A こういった男性同士の関係性を詠った句が島津亮には他にもいくつかあります。
 
B 他には〈黒帯の柔道に惚れ二月尽く〉〈朝の裸泉のごとし青年立つ〉〈青年のごとく寒鯉縛られて〉〈男の愛からたちに指刺されたり〉などが挙げられます。また先ほど取り上げた〈父酔ひて葬儀の花と共に倒る〉を挙げることもできそうです。
 
A 昭和24年に三島由紀夫の『仮面の告白』が発表され、塚本邦雄の短歌も発表されていますから、こういった作者からの影響というものも考えられなくはないのかもしれません。
 
B 実際のところはどうであったのかわかりませんが、こういった男性同志の関係を主題としたものはもしかしたら当時のちょっとした流行であったのかもしれません。
 
A 他には、これよりもすこし後になりますが、加藤郁乎に〈雄蕊相逢ふいましスパルタのばら〉という句がみられます。
 
B この昭和31年あたりから、島津亮の作品は徐々に「社会性俳句」「前衛俳句」へと傾斜してゆくことになります。
 
A 当時の「前衛俳句」の傾向の強い句として〈飢えて禅な洪水の村 粥の晩鐘〉〈太陽一つずつ労働祭の水たまり〉〈銅の青年火を焚いて森脂ぎる〉〈えつえつ泣く木のテーブルに生えた乳房〉などがあります。
 
B 「労働祭」の句以外はほとんど意味を解することが不可能なところがありますね。
 
A さらに他にも〈きついエレベーター嘔吐のさようならたち〉〈デパートのさまざまの椅子われら死ぬ〉〈僕等に届かぬ鍵がながれる指ひらく都市〉などといった作品があります。
 
B これらの句もいまひとつ意味が理解しづらいところがありますが、それでも〈きついエレベーター嘔吐のさようならたち〉などという句を見ると、言葉の関係性の特異さ、最後の「さようならたち」という表現とその音韻の不可思議さ、といったところになにかしら言葉の魅力的な力が感じられるようなところがあると思います。
 
A たしかにこういった句を見るとやはり俳句は必ずしも意味だけのものではないという気がしますね。
 
B 〈僕等に届かぬ鍵がながれる指ひらく都市〉にしても先の句と同様都市における人間存在の在り方がテーマとなっているようですが、その意味するところはやはりいまひとつ明瞭でないところがありまるようです。しかしながらそれでも、「都市」における「僕等に届かぬ鍵」の存在、そしてそれに対して「指」を開くという行為の不毛性、徒労感といったようなものが作品の上に表出されているところがあるように思われます。
 
A たしかに「僕等」に届かないものが「鍵」に仮象されていて、都市というものの無情さ冷厳さが感じられるようなところがありますね。
 
B この後も、この第2句集『記録』の作品はこういった「前衛俳句」の傾向の強いものが引き続き頻出します。
 
A しかしながら、その表現の多くはあまりにも粗雑というか、すこし「やり過ぎ」な感もあります。
 
B たしかに〈半舷土葬の貝殻背廣隊 無砲のデスク〉〈手錠の男の おお・うう・るる・の拳 僕の〉〈俺と同じ走者垂れ吊り皮に止まる蜂〉あたりとなると正直その言葉の放埓さについていけないところが多分にありますね。
 
A 続いて〈百哭けばあひるの白の島津 亮〉を取り上げることにします。
 
B この句は第4句集『唱歌』の昭和44年~51年の作です。
 
A どことなく永田耕衣の〈朝顔や百度訪はば母死なむ〉を思わせるところがありますね。
 
B このあたりとなると先ほどの『記録』の頃の傾向もある程度穏当な表現になってくるようです。
 
A たしかにこの時点でもわかりにくい表現もみられますが、〈あんあんと弁慶なかす氷水〉〈関西線すぐそば河内盆踊〉〈消しゴムの滓ピノキオの息づかい〉など、表現はやはりある程度平明なものとなってくるようです。
 
B 続いて〈越冬のトノサマバッタエメラルド〉を取り上げることにします。
 
A この句は『亮の世界』所収の平成9年の作です。

B ほぼ晩年の作ということになりますね。
 
A このあたりとなると、もはやあまり見るべき作はないのではないかという印象が強くなってきますが、この句には魅かれるものがありました。
 
B バッタの緑をエメラルドと表現した句はそうそう存在しないでしょうね。
 
A 多くの作者はこのような形容はおそらく怖くてできないものではないかと思われます。
 
B 一種の童心とでもいうべきものによる表現であるのかもしれません。
 
A 「越冬のトノサマバッタ」という表現から三鬼の〈冬に生まればつた遅すぎる早すぎる〉を連想させるところもあります。
 
B 最後に〈いつかくるキャベツ畑にジェノサイド〉を選びました。
 
A この句も晩年の作ですね。『亮の世界』の第三部の遺句集「地球いっぱい」所収のものです。
 
B 最後あたりにこういった句の登場するところが、やはりこの島津亮という作者がただの作者ではなかったということの証左であるのかもしれません。
 
A 「ジェノサイド」という言葉は、現在の作者の大半が俳句の中では使うことのできない言葉であるというべきでしょうね。
 
B 平時における危機意識の強さが感じられるようです。鈴木六林男の〈遠くまで青信号の開戦日〉を想起しました。
 
A さて、島津亮の作品をみてきました。
 
B 島津亮は三鬼の弟子ということでしたが、同じ三鬼門の佐藤鬼房、鈴木六林男、三橋敏雄あたりと比べると、随分と放埓というか、やや異質な雰囲気がありますね。無論共通する側面も少なくないと思いますが。
 
A 特に「前衛俳句」時代についてはそういった印象が強いですね。鈴木六林男にしてもその表現は随分と奔放なところがありますが、島津亮はさらに過激というか滅茶苦茶な部分があります。
 
B しかしながら、島津亮のそういった「前衛俳句」による試行から結局どれだけの成果をあげることができたのかという問題となると、すこし厳しいものがあるといわざるをえないところがあるというべきでしょうか。
 
A やはりその作品における表現はやや破れ過ぎているところがあるようです。
 
A 高柳重信は、島津亮に対して〈彼は、いつも、やがて何かをするであろうと公約する姿勢でいる。そして、いまだ嘗つて一度も、それを実現したことはないのである。(…)彼は、いまだに彼の未来の富を予告しつづける(…)彼は、彼のそういう一種の業病のようなものに元気づけられて、いままで生きて来たのかもしれないし、これから生きてゆくにちがいない。(…)あるいは、彼は、絶対に思いしるまいとして、いま必死なのかもしれない。〉と評しています。
 
B 実際その通りなのかもしれませんが、あまりといえばあまりな内容の文章ですね。
 
A それでも一応、その後〈それも、一つの修羅ではあろう。このむなしさが、いま、彼のことを、いよいよ俳人に仕立てあげているにちがいない。〉といったフォローのような表現が続きます。

B しかしながら、結局、その後についても、島津亮の句業は「前衛俳句」以後、これといった大きな作品展開はなく、俳句表現も弛緩した内容になっていくように感じられるところがあります。
 
A この作者についてはもしかしたらその作品よりも、実際の人物とその言動の方が面白いものであったのかもしれません。
 
B 確かに「評伝 島津亮」などが書かれれば大変面白い内容となりそうです。
 
A 島津亮の文章についても、私はその一部を読んだに過ぎないのですが、その内容は独自の面白さがあり、これが現在まで纏められていないのはすこし残念な気もします。
 
B このように、どちらかというと放埓な印象のある島津亮ですが、福田基さんは〈衆の場における野次と揶揄には閉口した方々もあろう。〉とし、それでも〈彼は頭が切れたし、句会の選句など真面目であった〉と書いておられます。
 
A 澁谷道さんも島津亮の話す内容について〈言葉が機関銃のようにとび出して耳を奪われた。詩的で大胆で、ときにとても滑稽で、おそろしく博識だった。〉と書いておられました。
 
B 意外にもというか、島津亮は割合インテリだったようですね。
 
A そういえばいつだったか、私が、偶々古書店でこの島津亮の第一句集『紅葉寺境内』を手にとった時、表紙の見返しに〈天心に旱星並ぶ自由欲し〉という句がペンで3行に分けて署名されてあったのですが、その文字の繊細さ、美しさに一驚したことがありました。
 
B この作者にはそういった知的さやナイーブな側面もあったわけですね。
 
A もしかしたらそういった側面こそが、この作者の本質であったということでもあるのかもしれません。
 
B 俳人というものは、その実態については一面的でないというか、随分とややこしいところがあるというべきでしょうか。


 
選句余滴
 

島津亮
 
冬の河石岩巌ごろごろす
 
土砂降りの傘の中にて諍へる
 
脚のびて死ねり蛙のことなれど
 
野鼠逃ぐる前へ前へと稲びかり
 
存分に使ふ四月の井戸の水
 
枯木へ灯愛についての講演果つ
 
三月の天指す梢信じをり
 
氷挽く帯がほどけてならぬなり
 
土砂降りを照らす外燈一つあり
 
梅雨雲の上に日はあり死にたくなし
 
雑巾を絞りきる手に凩す
 
とつぷりとくるる黄麦よりの声
 
裁判や冬の運河に花流れ
 
青年のごとく寒鯉縛られて
 
人生輝く空瓶に蝿すみつきて
 
洋傘の黒充つ炎天に突き射して
 
一軒のパンの店ある野に遊ぶ
 
太陽一つずつ労働祭の水たまり
 
デパートのさまざまの椅子われら死ぬ
 
母が怺えるやさしさやさしい遠いロケット
 
童貞の眼帯の樹の紫の豹
 
くすぐられる部分と溺死 夥しい指らの街
 
銃よりちかし改札口の焼けるオルガン
 
買えたドレスは水銀わたしはみんなコンクリート
 
僕の夜を潜り翼失う黒い隊商
 
ALONE!!吹き上ぐる褐色の波濤の馬車
 
智恵の巨人遠のくカーテン煖炉燃やし
 
生誕いたむ深夜へ屋台すれちがい
 
すてるあひるがプールでは死にきれぬかなあという
 
あんあんと弁慶なかす氷水
 
夏蜜柑むく中正確な宇宙船
  ⇒「中」に「なか」とルビ
 
鯨来て歯を換え帰る伯父の家
 
花屋から追っかけてくる鉢アロエ
 
もの言えぬ子の終日のボール投げ
 
夜盗派という俳誌の六人の金魚すくい
 
ラーメンの屋台やさしき十三夜
 
夜の特急一瞬の窓に百合の束
 
おおまかに凹凸凸凹初競馬
 
れんこんのあな宦官がみえかくれ
 
幕の内喰べてバッタと秋の暮
 
柿の花人に大腸と小腸と
 
校庭の児を呼ぶ声の秋のくれ
 
三越と帝劇ことに秋の暮
 
くりかえし榠樝がうたうイヨマンテ
 
ミャンマーよりビルマなつかし枇杷の花

洗濯ものとりいれるとき地球いっぱい

 

 

俳人の言葉
 

船焼き捨てし

船長は

 

泳ぐかな

 

彼(高柳重信)はこの句が出来たときよだれをくりながら、つばをとばしながら僕にじまんしつづけた。あげく作家というものは生涯に三作をのこす。歴史にのこる句を三つもってこそ名人といえるのだと。しまづはまだ二句だな。私の「父酔ひて」と「怒らぬから」をあげながら私をあわれみのめでみるのであった。

 

島津亮
 

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3 件のコメント:

高山れおな さんのコメント...

冨田拓也様

優夢さんのところにコメントしたような事情で、レスポンスが遅くなって申し訳ありません。島津亮は登場すべくして登場した感じですが、いろいろ面白い句に出会えました。

越冬のトノサマバッタエメラルド

は、なんだか愉快でそして美しい句ですね。今、必要があって『青の時代』を読みつつあるところなので、『仮面の告白』に言及されているのに又もやシンクロニティを感じました。それにしても島津亮と高柳重信の掛け合いは面白いなあ。

冨田拓也 さんのコメント...

髙山れおな様

コメントありがとうございます。

島津亮はもうすこし言葉をコントロールする能力があれば、もっと優れた作品を残せたのではないかという気もしました。そこがすこし残念ですね。

島津亮は重信だけでなく、他の俳人との関係も面白いものだったのではないかと思います。

富田拓也 さんのコメント...

本文について少し追記します。

島津亮の

きついエレベーター嘔吐のさようならたち

について本文では、「はっきりと解釈できない」といったようなことを書いたのですが、その後、ふと散文的な意味でも解釈が可能なのではないか、という気がしました。

これはおそらくエレベーターを「胃」に見立てた句であるのだと思います。
満員のエレベーターが到着階に着き、扉が開かれたとき、なだれをうってぎゅう詰めになっていた人々が出てくる。
その様子を「嘔吐のさようならたち」と表現したのではないかと思います。

こう見るとこの句は単純に当時の「前衛俳句」の勢いだけで書かれたものではなく、割合計算されて言葉が組み合わせられた句であるようにも思われます。