2009年1月18日日曜日

俳句九十九折(20) 俳人ファイル ⅩⅡ 中田有恒・・・冨田拓也

俳句九十九折(20)
俳人ファイル ⅩⅡ 中田有恒

                       ・・・冨田拓也

中田有恒 15句


くれないにみな天指せり芽木の尖

秋風の野に沈めるはみな墳墓

月光にみれば修羅なす夜の枯木
 
三日月のひかりはじめて猶予なし
 
ぬらぬらと螢火ぬれて掌のなかに
 
秋の霖孤舟のごとく真夜を臥す
 
冬日さし流魄の身をつつまれぬ
 
夕虹に彳つ身のしばし幹と化す
 
糸ほどの春三日月になに祈らん
 
母よ胸白きはむかしつばくらめ
 
極月や不眠の闇の巌なす
 
灯を消せばおのがひかりに雪降るも
 
秋ふかし露を露とは思へずに
 
赫と没日あああの声は初蟬か
 
時雨音踏みきて帰る影か死か

 
 

略年譜
 
中田有恒(なかた・ありつね)

大正10年(1921) 横浜に生まれる
 
昭和16年(1941) 詩歌に専念
 
昭和22年(1947) 石田波郷の指導を受け、俳句を始める
 
昭和24年(1949) 大野我羊の「東虹」に参加
 
昭和26年(1951) 大野我羊、本島高弓、大原テルカズの尽力で第1句集『流魄』刊行
 
昭和27年(1952) 入院
 
昭和31年(1956) 逝去(35歳)
 
昭和38年(1963) 大原テルカズの新書林より『有恒句集』刊行
 
昭和47年(1972) 『私版・短詩型文学全書26 中田有恒集』
 
 

A 今回は中田有恒を取り上げます。
 
B 本当にこの連載は一体どういった方向へ進んでいるのでしょうか。
 
A 前回に大原テルカズを取り上げましたので、今回は一応その流れということになっています。
 
B 現在では、この作者をご存じの方はほとんど存在しないでしょうね。
 
A それでも一応かつては、加藤楸邨、石田波郷、高柳重信、金子兜太、楠本憲吉などがその作品について言及していました。
 
B 年譜を見ると、この作者の句作期間は、昭和22年から昭和31年に亡くなるまでのおよそ10年弱ということになるようです。
 
A 資料としては、句集として『流魄』、選句集として、『有恒句集』、『私版・短詩型文学全書26 中田有恒集』が存在するようです。
 
B では、とりあえず作品をみていきましょうか。
 
A まず〈くれないにみな天指せり芽木の尖〉です。この作品は比較的初期のものです。
 
B 「芽木」は木の芽のことですね。
 
A 発芽の先端が「くれなゐ」を帯びたものであることに着目し、その芽の全てが天に向かっていると大きく表現したところに木々の生命力の強さが感得できます。
 
B この「くれなゐ」がこの後、時の経過とともに、葉を広げ、すべて「緑」へと変貌してゆくわけですね。
 
A 「芽木の尖」の「尖」が「先」という表記ではない配慮の繊細さについても注目したいところです。
 
B どことなく正木浩一の〈刃のごとき地中の冬芽思ふべし〉も思い出されるところがあります。
 
A 天と地の広い空間と、時の流れを懐孕した句ですね。
 
B 続いて〈秋風の野に沈めるはみな墳墓〉です。
 
A 「墳墓」はそのまま墓ということなのでしょう。
 
B 「秋風の野」ですから、薄などが一面に広がっている風景が思い浮かびます。
 
A そこに墓が潜んでいるということなのでしょうね。
 
B 風によって薄が打ち靡き、それによって生じるざわめきが、まるで死者の世界からのもののようにも思われてくるところがあります。

A 土に還った死者たちが植物となって、風に揺られてざわめいているという風にも読むことが可能かもしれません。
 
B この句に近い内容の句として〈枯れ果つや低き野墓ら現れいでて〉があります。
 
A 続いて〈月光にみれば修羅なす夜の枯木〉です。
 
B 随分と迫力のある句です。
 
A 「修羅」という言葉はそれほど俳句には出てきませんね。
 
B 「夜の枯木」ですから季節は冬です。
 
A 句の内容としては、ただ冬の月の光に照らされた枯木が描いてあるだけということになります。
 
B 月に照らされた枯木。その姿、形状のおそろしさを、そのまま表現した句なのかもしれません。
 
A 次に〈三日月のひかりはじめて猶予なし〉です。
 
B 中田有恒は20代のころから病を患っていて、この句にはそういった自らの命の危うさに対する切迫した思いが込められているようです。
 
A 「ひかりはじめて」ですから、まるで「三日月」が鋭利な刃物のように見えてくるようです。ここにはやはり自らの命の危機が予感されているというべきでしょう。
 
B 続いて〈ぬらぬらと螢火ぬれて掌のなかに〉です。
 
A 普通なら蛍の光というものは、おおむねその美しさを賞美し、表現するものなのでしょうが、ここでは蛍の光の存在そのものの生々しさが表現されているようです。
 
B 中西進さんの『古代往還』に〈蛍はむかしはいいイメージがなかった。太古の日本は木や草がものをいっていて、不気味に蛍火が燃えていたと語られる。〉という記述がありますが、この句にはそういった感覚に近いものがあるのかもしれません。
 
A 続いて、〈秋の霖孤舟のごとく真夜を臥す〉です。
 
B この句も病中の吟ですね。降り続く真夜中の秋の雨、その病床で自らを舟に擬しています。
 
A まるで自らを座礁した舟として捉えているようにも思われます。また、ただの舟という表記ではなく「孤舟」であるところにも、作者の孤独感が伝わってきます。
 
B 山口誓子にも〈炎天の遠き帆やわがこころの帆〉という病床での作があります。
 
A 同じ病床の作でも、その孤独さにおいては共通するものの、風景としては随分と対照的なものがありますね。
 
B 続いて〈冬日さし流魄の身をつつまれぬ〉です。
 
A おそらく「流魄」という言葉は漢文あたりからのものか、そうでなければ造語でしょうね。この言葉はそのまま、流離、流浪の身であるという意味として受け取っていいはずだと思います。
 
B 冬日の中の暖かさと、それ以前の日の射さない寒く荒寥とした状況との対比における落差の大きさが感じられます。
 
A  冬の日射しの中で、身も心もまるでその光の中に消え入ってしまいそうな句ですね。
 
B 続いて〈夕虹に彳つ身のしばし幹と化す〉を鑑賞しましょう。
 
A 本来のところは「幹と化す」という表現は、「木と化す」、とすべきところなのかもしれません。しかしながら、それでもその云わんとするところの意味は伝わると思います。
 
B 「私」が木に化したのは、「夕虹」の美しさにしばし我を忘れて見入っているからであるのかもしれません。
 
A 夕暮れの中で「私」の姿が影となり、まさしく木そのもののように思えてくるようですね。
 
B 続いて〈糸ほどの春三日月になに祈らん〉です。
 
A 先ほどの〈三日月のひかりはじめて猶予なし〉とすこし近い内容の句であるといえるでしょうか。
 
B 「糸ほどの」ですから、もはやぎりぎりの状況での希みのなさといったものが伝わってくるようです。
 
A ここにはかつての〈三日月のひかりはじめて猶予なし〉ほどの鋭利な印象はないようです。

B たしかに「春」の一語が、茫洋とした感じを漂わせています。そして、そこからある種の諦念のようなものも感じられるようです。
 
A 続いて〈母よ胸白きはむかしつばくらめ〉です。
 
B 中田有恒は俳句を始める前に斎藤茂吉から通信によって短歌を学んでいたそうです。
 
A そういったことを考え併せると、この句は茂吉の〈のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり〉あたりの影響があるのかもしれません。
 
B 茂吉の短歌では燕の喉が赤いと表現したわけですが、それに対してこの句では燕の胸の白さを表現しているわけですね。
 
A 過去における母と、病とは無縁であった当時の自身の状況を愛惜した内容の句であるのかもしれません。
 
B 続いて〈極月や不眠の闇の巌なす〉です。
 
A こういった句をみると、中田有恒は単純にただ現実の事象をそのまま句にするというだけの作者ではなかったようですね。
 
B 闇に対する焦燥感と切迫感を「巌」という実際の現実よりやや飛躍した表現手法によって捉えたところは、たしかに単なる現実を写しているだけの作品とは異なるところがあります。
 
A 続いて〈灯を消せばおのがひかりに雪降るも〉です。
 
B こういった句を見ても、やはり中田有恒の句は、単なるありきたりの病床吟とはいくらか趣を異にするところがあるように感じられます。
 
A 灯を消した後に見える闇の中の雪の白さ。その白さは雪そのものが微弱ながらも光を発しているからである、と捉えたわけですね。
 
B 大変注意深い現実への認識である思います。
 
A この宇宙空間ではどのようなものであれ、たとえ肉眼では確認できないほど微弱であったとしても、自ら光を放っていない物質は存在しないそうです。
 
B この句からどことなく正木浩一の〈消して灯のしばらく明し鉦叩〉を思い出しました。
 
A 正木浩一の句も中田有恒の句と同じように現実の事象そのものの姿を注意深くとらえた作品ですね。中田有恒の句は、雪の持つ微弱な光を言葉として捉え、規定したことによって、今後、実際に雪の発するかすかな光とでもいうべきものを意識の上において明確に認識できることになるような気がします。
 
B たしかにこの句を読んだ後では、夜の雪の認識が刷新されるように思われます。これからは、夜に降る雪が、微弱ながらも光を放っているものとして見えてしまうような気がします。
 
A 世界が少し変わって見えてくるようなところがありますね。
 
B 続いて〈秋ふかし露を露とは思へずに〉です。
 
A こういった句をみると、病者には、普通の人々とは異なった鋭敏な感覚が宿るのではないかという気もしてきます。
 
B たしかに療養俳句にはそういった思いを抱かせる例が数多く存在しますね。このような境涯にある作者たちには、どこか共通して澄みきった詩境がその作品の上にあらわれてくるところがあるような気がします。
 
A この句では、もはや眼前の露が単なる露としてではなく、もっと露そのものの存在の本質がそのまま剥き出しになって作者の眼に映じているように感じられるところがあるようです。
 
B 続いて〈赫と没日あああの声は初蟬か〉です。
 
A 「初蟬」ですから夏の日の始まりということなのでしょうね。
 
B 「赫と」という表現から夕日の光が強くなってきたことがわかります。
 
A 夏の始めの季節の夕日の強さが増してきたことを、蝉の鳴き声から、より一層明確に意識されるようになったというべきでしょうか。
 
B そう考えるとこの句は、過ぎゆく春の季節を惜しんでいる句であると解釈することもできるのかもしれません。
 
A 最後に〈時雨音踏みきて帰る影か死か〉を鑑賞しましょう。この句は遺作となった作品の中のものです。
 
B 正直、いまひとつ意味がとらえきれないところがある句ですね。
 
A それでもどこかしら意味性を超越したとでもいうべき迫真力が感じられます。俳句は韻文ですので必ずしも意味性のみで成り立つわけではありません。
 
B この作者には石田波郷の影響が大きいですから、波郷の〈力竭して山越えし夢露か霜か〉が意識下にあったのかもしれません。
 
A まず「時雨音」という表現がやや特殊なところがありますね。それを「踏みきて帰る」ということですが、これは「私」の行為なのでしょうか。
 
B 難しいところですね。そして、その後に「影か死か」という表現が来ます。
 
A やはりはっきりと意味が捉えきれないところがあります。
 
B しかしながら、どことなく「時雨」と「死」、「影」という言葉から「死の影」の存在が重量感を伴って思い浮かんでくるようです。
 
A この句の後に同じような内容の〈生死彷徨真夜は踏み来る時雨音〉という句があります。そして、これが中田有恒の最後の作品となったようです。
 
B さて、中田有恒の作品について見てきました。
 
A その作品の内容については、作品全体としてみると、やや完成度が低いところがあるというか、表現の詰めが甘い部分が随所に見られ、正直そのことにやきもきする局面もけっして少なくなかったのですが、句作期間がおよそ10年弱であったということと、亡くなった年齢が思った以上に早く、35歳であったという事実を思い併せると、ある程度は仕方のない部分があるのかもしれません。
 
B たしかに作品全体としての完成度についてはその通りだと思うのですが、それでもこの作者のいくつかの句については、やはりどこかしら忘れ難い滋味溢れる魅力が秘められているように思いました。
 
A 石田波郷が中田有恒のいくつかの作品について〈孤独感に裏打ちされた、暗く炎え上る紅色の俳句〉と評しましたが、まさしくその作品のいくつかは、赤い光が黒い闇を通して密やかに息づいているのが確認できるような作品であると思われます。そして、それはまた斎藤茂吉の『赤光』にも通じるものであったのではないかという気もします。

 

選句余滴
 

中田有恒
 

さすらいに似て春寒き十字路に
 
稲妻に夜陰のしぐさ映さるる
 
八街の夜霧に紛れ去らんとす
 
枯れ果つや低き野墓ら現れいでて
 
行く雁やひとの流離に関らず
 
冬三日月海に痕あるごと昏し
  ⇒「痕」に「きず」とルビ
 
夜の曲みだらを覗く枯木の手
 
身に遠く晩夏の波浪くずれ去る
 
銀漢や夜はたれよりも空仰ぐ
 
痩身の過ぎても螽蟖らはたと止む
 
秋暮色蟬の一樹も余さずに
 
轣轆と雁わたり過ぐ病屋舎
 
樹も波の音たて野分海より来
 
虫絶えてよりの天明おくれゆく
 
北風馳けて野の一身をひるがえす
 
冬の雁ふた声啼くはちちはは乎
 
餅を切る妻の手力身にひびく
 
目つむれば身より暮れゆく秋の風
 
雑草の穂に出てあわれ稲の中
 
蟬あはれ白き掌の中にても啼く
 
牡丹雪樹間の海に濃く昏るる
 
蟻地獄凶はつぶさに来つつあり
 
おびただしき貝殻ふむや夏流離
 
暁くらき露は胸にも置かるるや
 
病廊はいくおれ暗きいなびかり
 
行雁の消ゆるや海をかたむけて
 
肋なき胸元に来て初螢
 
暗黒の夜半の宙より一風鈴
 
妻禱るや濡れて銀漢夜ごと濃く
 
秋天の瑠璃のごとくにいつ起たん
 
犬として目頭ぬらし枯野ゆく
 
春雪を来し白息ゆたにあたたかし
 
暁紅の離々と地に降る寒雀


 

俳人の言葉
 

この『流魄』は、おそろしいほど淋しく、すさまじいほど悲しい作品集であつたが、それはしかし、肉眼と心眼と、その二つの視野に映るものを、すべてたやすく眺めとり、それをたやすく嘆き、たやすく涙を流したという態の、直接的な淋しさや悲しさではなく、あまりに多くのものを耐えしのび噛みころしてきたための、清澄な抒情の淋しさ悲しさであつた。(…)僕の知るかぎりの彼は、常にみずからかえりみて恥じ入つてばかりいた作家であつた。そして同時に、他とくらべて、少なからぬ矜持をひそかに育てていた作家であつた。だから、中田有恒の真の無念さは、もつと切実なすさまじい無念さだつたと、いまも僕は確信している。
 
高柳重信 「『有恒句集』紹介」(『俳句』昭和38年9月号)より

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3 件のコメント:

野村麻実 さんのコメント...

こんにちは!
とてもたくさんの俳人の方々がたまってきましたね。
いつも思うのですけれど、この書籍群、どうやって手に入れていらっしゃるのでしょうか。

論文を書く際、いつも苦労するのが「原著にあたる」事でして、幸い理系論文の場合は海外ネットワークの影響もあり、日本語でも検索で原著が割と手に入りやすく、参考文献なども記されているため取寄せは可能なのですけれど、趣味の日本史古書を手に入れる際には大変な努力を要します。
(ちなみに「古書」の値段を吊り上げているのは医者だと一部地域では悪評の種になっておりまして、私もその一味には違いないのですが)図書館などに通えぬ身、仕方がないと割切って何でも購入~という状態です。

今回の俳人さん、中田有恒さんは、もちろん知らない俳人さんですけれど、ご紹介された句を見る限りとても好きです!
ご紹介ありがとうございます!

冨田拓也 さんのコメント...

野村麻実様

コメントありがとうございます。

資料は多くが図書館で調べたものか、ネットで購入した書籍を参照にしております。他には古書店で直接購入したものなどですね。
資料は購入できるならなるべく購入したほうがいいかもしれません。図書館を利用するのはやはりいろいろと手間がかかりますので。

中田有恒の句、気に入っていただけたとのことでほっとしました。
また、率直なご意見をお聞かせ願います。

野村麻実 さんのコメント...

図書館ですと大変ですね。
ご自分でおそらく打ち込みをなさっているだろうと存じます。

最近、いろいろな事を考え、様々な試行錯誤を行っております。句のうち込み共用ができるとよいのですけれど、著作権というものもありますし。。。。難しいのですよね。

また私信させていただきます。