・・・筑紫磐井
正月が明けた直後、雲英末雄著『三光鳥の森へ―近世俳人短冊逍遙―』(本阿弥書店)が届いた。雲英夫人からお送りいただいたものだ。なぜなら雲英氏は昨年10月6日に亡くなられているからである。雲英氏と最後にお会いしたのは定かに記憶はないが、せいぜい1年ぐらい前ではないかと思う。立派な体軀であったし病気を持たれている風には丸で見えなかった。3月から骨髄性白血病を発し、4月に入院し、その後は回復に向かわれて自宅で療養をされていたと聞いていた。確かにこの著書のあとがきは9月に書かれており、この本の初校までされていたというが、10月急逝されたのである。年賀状のリストを整理し年末に外したばかりの雲英氏から、湯気の立っているような生身の語り口で書かれている著書を贈られて複雑な心境である。
『三光鳥の森へ』の第38話に平成19年1月に67歳で亡くなられた櫻井武次郎氏の話が載っている。櫻井氏は余命4年余をかけて『奥の細道行脚』『俳諧史の分岐点』『俳諧から俳句へ』の3冊の著述をまとめられたが、雲英氏はその思いに同じ学究として深い共感を示されている。しかし結果的に雲英氏も櫻井氏とほぼ同い年で亡くなられた訳である。病気の発見されてわずか半年で亡くなられた雲英氏にはそうした本をまとめるいとまはなく、この1冊の『三光鳥の森へ』ばかりが亡き人の待望の本として知人知友の手元に贈られることとなったのであろう。
『三光鳥の森へ―近世俳人短冊逍遙―』は副題通り近世俳人の短冊を紹介する本で、「圓」という雑誌に連載していた記事を1冊の本にまとめている。雲英氏は、明治以降の活字化した俳書ではなく、絵とか自筆の書籍とか俳人たちが直接作った資料から研究されている方法をとっており、私の対極に位置するような正統的研究者であった。<近世俳人短冊逍遙>も実は、4年前に『鶯の昔に―近世俳人短冊逍遙―』(本阿弥書店)を出され、今回はその続編という位置づけになる。そして実は、その本の前に、『鳥は雲に―近世俳人書画逍遙―』(和泉書院)、『梟の声―近世俳人短冊逍遙―』(北溟社)という同旨の著書が出ているから、(連載の最初は1992年からというから)10数年にわたる雲英氏の研究シリーズの大尾を飾るものなのである。
連載で積み重ねた1回1回が、軽妙な身辺エッセイと、短冊1枚の写真、そしてその句と作者の紹介、というスタイルで変わらずに続けられていた。大学院修了後から集め始めた短冊のたぐいは600枚と言うからまだまだストックのある話であった。近世の有名・無名の俳人のエピソードは、いずれ我々も無名の俳人として消えて行くであろうことを想像すると、身につまされるものがある。しかし、興味深いのは常にセットになって導入される、著者の身辺エッセイである。
いただいて2、3日の間に速読したところ私自身の名前がちらちら出てくるので意外であった。これは連載の毎年の新年に、年賀状の賀句を紹介する挿話を交えているために、賀状を出した私の名前がしばしば登場するようになったようである。その最初は、『鶯の昔に―近世俳人短冊逍遙―』の第60話ではなかったかと思う。加藤郁乎氏からきた賀状の一句、
ひらけ□□ひめのはじめに候はばや
の□□を巡り、雲英末雄、柳瀬尚紀、小林恭二氏ら当代の碩学が、新年早々、「火處(ほと)」だ、「奥處(ポポ)」だと揣摩憶測をめぐらす記事である(翌月号で「眞處」と判明。郁山人によれば「眞處はマコと訓じ、マンコの音便形なりと大槻文彦説にあるのが気に入り用ゐました」)。この号で、さらに賀状の中から賀句を抜き出してみようと、筑紫、川崎展宏、矢島渚男氏と紹介されているのが最初だった。
高濱家膳の多さぞ御慶なる 磐井
何、「もりソバ」の句の焼き直しではあったが。
次回は、『三光鳥の森へ―近世俳人短冊逍遙―』の第1話、10余句の中で、
あらたまの新嘉波(シンガポール)の季を祝ぎぬ 磐井
であり、確かこの時雲英氏から連載に当り、「この『季』は、季?年?」と質問がきた記憶がある。有季定型派にしてみれば、熱帯季題を使えなくても、新年の季語(「あらたま」)を使えるから季を祝えるだろうという皮肉を込めて述べたのだが、学究派雲英氏にしてみれば腑に落ちなかったのだと思う。ただ、『三光鳥の森へ』では原句どおりとなっている。第14話では珍しく前書きを付けて、
めでたかりけりめでたかりけり虚子庵に娘近離で初詣り 磐井
が載っている。虚子庵から10分以内の距離に眞砂子、立子、晴子、章子らの家があり、毎日のように「お父様」の家に娘たちが交代で食事を取りに来ていたという伝説を星野椿氏から聞いていた。男親にしてみれば至福の晩年だったろうと想像した次第である。おそらく連れだって鎌倉八幡宮に初詣にも出かけていたはずだ。
第49話では、短歌狂歌俳句が20章余り載る中で、高山れおな氏と私の句が並んで載っている。きよし・たけし・たかしが並び御慶とや 磐井
酔夢あゝ醍醐と熟柿ふところに れおな
末尾1・印刷句
元日雲海を降りゆく黙や飾り臼 豊口陽子
千の
風ある
今朝の春 横山康夫
二日
初風に顔から軽くなる身体 森須蘭
三日
春を待つ熊野の山は千の牛 夏石番矢
牛の背はそらいろ春はすぐそこに 鎌倉佐弓
凛凛
胎内に
根づく山脈 高原耕治
四日
初笑ひ干支の撫牛撫でもして 渡辺恭子
五日
乗初は黒牛の背や何処行かん 小澤實
新しき句など
年酒添へ 酒巻英一郎
六日
小鳥らも老いもお正月も来た 谷佳紀
七日
送稿のボタンクリック初仕事 谷地海紅(快一)
八日
双六やまた戻りたる富嶽の絵 星野高士
十日
美しき手鞠たまはる夢語り 水野真由美
不明
若水を光らせそそぐ古端渓 山本志津香
元日・能登段駄羅(中七に多義を持たせる地方雑俳)
美しい 蓮実を付けて
弾みをつけて 突いた鐘 夢岡樽蔵(木村功)
末尾2・手書き句(はっきり読めるものに限った)
元日
新年の藤にまみえし仮住ひ いさ桜子
ヽではじまる物語はなし秋の暮 大本義幸
みつしりと空に雪ある信濃かな 越村蔵
雲行方 象形文字の一つとも 三村昌也(冠句)
虚子と私のどつちが大事餅を焼く 佐藤文香
一笙の音よ初春の川に添ふ 増成栗人
暗がりを水の流れて初日射 大西時夫
投げぬいた球と投げ出す日の丸と 千頭樹
牛の尾のたたく初日のある空間 山本敏倖
沖を見てその先を見て初句会 秋元倫
山小屋の灯の見えてゐる大旦 鹿又英一
あと半歩出ず傀儡のフットサル 真矢ひろみ
仏性の虚の河渡る霜の華 森ひさ子
二日
人の世のえにし宝と初日記 山田弘子
三日
手毬つくよろづの神に囲まれて 柴田佐知子
四日
飯食うて寝て牛になる御慶かな 安西篤
五日
自由律を反芻している特牛 藤田踏青
しばしまた鴉鳴きをる牛と見し世に 丑丸敬史
六日
三日さて八十に八尺のさかほがひ 加藤郁乎
黒豆の隠れちよろぎをつまみけり 大木孝子
春の雪老松にすぐつもりけり 山本洋子
あら玉の風や木の根を抱く木の根 ふけとしこ
ポスト昭和という霧笛でありしか 川名つぎお
七日
お元日雀も凛と嘴の影 横沢放川
八日
俳諧に生かされ生きて薺粥 吉田汀史
不明
元日の器父母在すかに 加藤耕子
大鳥の影を置きたる初日かな 差出人無記名
(編者詠)
とそ・ざふ煮伊豫の書生は俳句興す 筑紫磐井
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