2009年1月17日土曜日

筑紫(作品21 雲英書評+賀句)

時評風に(雲英末雄『三光鳥の森へ』を読んで/作品番号21)


                       ・・・筑紫磐井


正月が明けた直後、雲英末雄著『三光鳥の森へ―近世俳人短冊逍遙―』(本阿弥書店)が届いた。雲英夫人からお送りいただいたものだ。なぜなら雲英氏は昨年10月6日に亡くなられているからである。雲英氏と最後にお会いしたのは定かに記憶はないが、せいぜい1年ぐらい前ではないかと思う。立派な体軀であったし病気を持たれている風には丸で見えなかった。3月から骨髄性白血病を発し、4月に入院し、その後は回復に向かわれて自宅で療養をされていたと聞いていた。確かにこの著書のあとがきは9月に書かれており、この本の初校までされていたというが、10月急逝されたのである。年賀状のリストを整理し年末に外したばかりの雲英氏から、湯気の立っているような生身の語り口で書かれている著書を贈られて複雑な心境である。

『三光鳥の森へ』の第38話に平成19年1月に67歳で亡くなられた櫻井武次郎氏の話が載っている。櫻井氏は余命4年余をかけて『奥の細道行脚』『俳諧史の分岐点』『俳諧から俳句へ』の3冊の著述をまとめられたが、雲英氏はその思いに同じ学究として深い共感を示されている。しかし結果的に雲英氏も櫻井氏とほぼ同い年で亡くなられた訳である。病気の発見されてわずか半年で亡くなられた雲英氏にはそうした本をまとめるいとまはなく、この1冊の『三光鳥の森へ』ばかりが亡き人の待望の本として知人知友の手元に贈られることとなったのであろう。

『三光鳥の森へ―近世俳人短冊逍遙―』は副題通り近世俳人の短冊を紹介する本で、「圓」という雑誌に連載していた記事を1冊の本にまとめている。雲英氏は、明治以降の活字化した俳書ではなく、絵とか自筆の書籍とか俳人たちが直接作った資料から研究されている方法をとっており、私の対極に位置するような正統的研究者であった。

<近世俳人短冊逍遙>も実は、4年前に『鶯の昔に―近世俳人短冊逍遙―』(本阿弥書店)を出され、今回はその続編という位置づけになる。そして実は、その本の前に、『鳥は雲に―近世俳人書画逍遙―』(和泉書院)、『梟の声―近世俳人短冊逍遙―』(北溟社)という同旨の著書が出ているから、(連載の最初は1992年からというから)10数年にわたる雲英氏の研究シリーズの大尾を飾るものなのである。


連載で積み重ねた1回1回が、軽妙な身辺エッセイと、短冊1枚の写真、そしてその句と作者の紹介、というスタイルで変わらずに続けられていた。大学院修了後から集め始めた短冊のたぐいは600枚と言うからまだまだストックのある話であった。近世の有名・無名の俳人のエピソードは、いずれ我々も無名の俳人として消えて行くであろうことを想像すると、身につまされるものがある。しかし、興味深いのは常にセットになって導入される、著者の身辺エッセイである。
いただいて2、3日の間に速読したところ私自身の名前がちらちら出てくるので意外であった。これは連載の毎年の新年に、年賀状の賀句を紹介する挿話を交えているために、賀状を出した私の名前がしばしば登場するようになったようである。その最初は、『鶯の昔に―近世俳人短冊逍遙―』の第60話ではなかったかと思う。加藤郁乎氏からきた賀状の一句、

ひらけ□□ひめのはじめに候はばや

の□□を巡り、雲英末雄、柳瀬尚紀、小林恭二氏ら当代の碩学が、新年早々、「火處(ほと)」だ、「奥處(ポポ)」だと揣摩憶測をめぐらす記事である(翌月号で「眞處」と判明。郁山人によれば「眞處はマコと訓じ、マンコの音便形なりと大槻文彦説にあるのが気に入り用ゐました」)。この号で、さらに賀状の中から賀句を抜き出してみようと、筑紫、川崎展宏、矢島渚男氏と紹介されているのが最初だった。

高濱家膳の多さぞ御慶なる 磐井

何、「もりソバ」の句の焼き直しではあったが。
次回は、『三光鳥の森へ―近世俳人短冊逍遙―』の第1話、10余句の中で、

あらたまの新嘉波(シンガポール)の季を祝ぎぬ 磐井

であり、確かこの時雲英氏から連載に当り、「この『季』は、季?年?」と質問がきた記憶がある。有季定型派にしてみれば、熱帯季題を使えなくても、新年の季語(「あらたま」)を使えるから季を祝えるだろうという皮肉を込めて述べたのだが、学究派雲英氏にしてみれば腑に落ちなかったのだと思う。ただ、『三光鳥の森へ』では原句どおりとなっている。

第14話では珍しく前書きを付けて、

  めでたかりけりめでたかりけり
虚子庵に娘近離で初詣り
 磐井

が載っている。虚子庵から10分以内の距離に眞砂子、立子、晴子、章子らの家があり、毎日のように「お父様」の家に娘たちが交代で食事を取りに来ていたという伝説を星野椿氏から聞いていた。男親にしてみれば至福の晩年だったろうと想像した次第である。おそらく連れだって鎌倉八幡宮に初詣にも出かけていたはずだ。

第49話では、短歌狂歌俳句が20章余り載る中で、高山れおな氏と私の句が並んで載っている。

きよし・たけし・たかしが並び御慶とや 磐井
酔夢あゝ醍醐と熟柿ふところに れおな

私の句については、豈の同人大屋達治氏から「①きよし・たけし・たかしはお子さんですか?②西川(きよし)・北野(たけし)・細川(たかし)?」と問い合わせがきたが、高濱(虚子)・池内(たけし)・星野(高士)ではないかと思っている(一方、大屋達治氏の賀句は「あけおめやことよろなどと初笑」で私と同工異曲である)。こんな楽しい思い出も、たった1年前のことであったのだ。
そして、今年はこうした賀句をまとめていただける雲英氏はいなくなった。今回、末尾に私の手元に集まった今年の年賀状の賀句を掲げてみようと思う(到着順)。正直言って、年賀状の賀句は滅多に残らないものだ。記録に残したり句集に載せることもまれであるし、余った年賀状は景品交換するか新しい葉書に交換してしまう。律儀に書き残してくれる人はありがたいことだ、数年前の賀句を見せてもらって意外に当時の心境を思い出したりするものだ。

末尾1・印刷句

元日
雲海を降りゆく黙や飾り臼 豊口陽子
地球これ乗り合はせたる宝船 恩田侑布子
反芻に優る推敲初御空 打田翼
文机の文を開けば淑気かな 小池正博
下肢は地に根を張る強さ弓始 柴田奈美
伐りつめし枝にみなぎる淑気かな 長嶺千晶
丘に息あり雪のカンタービレ 小湊こぎく
琉球の石蕗の黄の濃かりけり 小西昭夫
空想は真上にありて初宇宙 和田悟朗
俳諧は足元にあり藪柑子 青柳志解樹
チェンバロの光に満ちて冬の森 山内将史
芒原昭和の波の音ばかり 室生幸太郎
牛窓という内海の春浅し 堀本吟
反芻やソロあの奥には銀河あり 北村虻曳
秋冬春夏壊れつづける石佛・人 坂戸淳夫
うた歌留多をとことをんなのあればこそ 松尾隆信
鈍牛と呼ばれてうれし初日の出 八木山羊(幹夫)
思いきり伸ばす手足や初景色 山崎十生
永劫やぽっぺんの真似していたる 久保純夫
牛頭栴檀
千の
風ある
今朝の春 横山康夫

人間という怪奇なるもの牛を食う 村井和一
日のひかりときをり差して若菜摘 遠藤若狭男
がむしやらに生きてこれよりゆきのした 新山美津代
無の論理 精神の陽動 白い卵波 伊東聖子
蠢けるものらや<戦前>へ羊歯は反り 望月雅久
響きなら氷の角の夜で来る 古田嘉彦
海鳥の声の溢るる初日かな 本宮哲郎
花売りの思いもかけぬ花の色 武馬久仁裕
初御空まろし太平洋円し 鳥井保和
十三頭うち一頭小牛今日の春 三宅やよい
初釜やまずは音より始まりぬ 加藤哲也

二日
初風に顔から軽くなる身体 森須蘭
大枯野ふいに矢印ありぬべし 高橋修宏
冬銀河しづかに牛の模様かな 倉阪鬼一郎
牛連れて桃の邑まで帰るといふ 間村俊一


三日
春を待つ熊野の山は千の牛 夏石番矢

牛の背はそらいろ春はすぐそこに 鎌倉佐弓

天道
凛凛
胎内に
根づく山脈 
高原耕治
鈍牛の頭を垂るる恵方かな 戸恒東人
牛にあたるは闇をぬけたる初日の出 大井恒行
あらたまのわが干支の年立ちにけり 島谷征良
牛の目を回してゐたる蕨かな 佐怒賀正美

四日
初笑ひ干支の撫牛撫でもして 渡辺恭子
改革の魂傾けて陶土練る 木暮陶句郎
雪が来るコントラバスに君はなれ 坪内稔典
初市や呂宋わたりの茶入壺 星野麦丘人

五日
乗初は黒牛の背や何処行かん 小澤實
牛飼ひの
新しき句など
年酒添へ 
酒巻英一郎
白ら波はくづれこなるる羽子日和 八田木枯
太箸の太さに挟みきれぬかな 伊藤眠
こころざしちちちと三歩初雀 松田ひろむ

六日
小鳥らも老いもお正月も来た 谷佳紀

七日
送稿のボタンクリック初仕事 谷地海紅(快一)
愛用の机にどっと 初日影 伊丹三樹彦
来し方の 切々とあり 初霞 伊丹公子

八日
双六やまた戻りたる富嶽の絵 星野高士
時空を映すむらに金三日月を忘れ 阿部鬼九男

十日
美しき手鞠たまはる夢語り 水野真由美

不明
若水を光らせそそぐ古端渓 山本志津香
青春の日にも仰げり寒昴 泉田秋硯
壺口に炎の声や年新た 河内静魚

元日・能登段駄羅(中七に多義を持たせる地方雑俳)
美しい 蓮実を付けて
     弾みをつけて 突いた鐘
 夢岡樽蔵(木村功)

末尾2・手書き句(はっきり読めるものに限った)

元日
新年の藤にまみえし仮住ひ いさ桜子

ヽではじまる物語はなし秋の暮 大本義幸

みつしりと空に雪ある信濃かな 越村蔵

雲行方 象形文字の一つとも 三村昌也(冠句)

虚子と私のどつちが大事餅を焼く 佐藤文香

一笙の音よ初春の川に添ふ 増成栗人

暗がりを水の流れて初日射 大西時夫

投げぬいた球と投げ出す日の丸と 千頭樹

牛の尾のたたく初日のある空間 山本敏倖

沖を見てその先を見て初句会 秋元倫

山小屋の灯の見えてゐる大旦 鹿又英一

あと半歩出ず傀儡のフットサル 真矢ひろみ

仏性の虚の河渡る霜の華 森ひさ子

二日
人の世のえにし宝と初日記 山田弘子

三日
手毬つくよろづの神に囲まれて 柴田佐知子

四日
飯食うて寝て牛になる御慶かな 安西篤

五日
自由律を反芻している特牛 藤田踏青

しばしまた鴉鳴きをる牛と見し世に 丑丸敬史

六日
三日さて八十に八尺のさかほがひ 加藤郁乎

黒豆の隠れちよろぎをつまみけり 大木孝子

春の雪老松にすぐつもりけり 山本洋子

あら玉の風や木の根を抱く木の根 ふけとしこ

ポスト昭和という霧笛でありしか 川名つぎお

七日
お元日雀も凛と嘴の影 横沢放川

八日
俳諧に生かされ生きて薺粥 吉田汀史

不明
元日の器父母在すかに 加藤耕子

大鳥の影を置きたる初日かな 差出人無記名

(編者詠)
とそ・ざふ煮伊豫の書生は俳句興す 筑紫磐井


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