■あとがき(第9号)
■高山れおな
雲英末雄氏逝去
俳文学者で早稲田大学教授の雲英末雄先生が、10月6日に急性骨髄性白血病で亡くなった。
ご病気のことは春先にはうかがっていたが、その後、治療が奏効しているようにも聞いていたので、こんなに早くにとは思っていなかった。8日の通夜に参列したが、弟子の池澤一郎氏や伊藤善隆氏、玉城司氏らも茫然とした様子だった。心からご冥福をお祈りします。
雲英先生のお仕事でわれわれにも親しいのは、俳画や絵俳書、俳諧一枚摺など、俳句と美術の結びついた領域を扱ったものだろう。蕪村に限っては別であるが、俳画一般についての先行する研究らしい研究としては岡田利兵衛翁のものがあるくらいで、雲英さんが事実上、パイオニア的存在だった分野である。また、近世俳諧師の短冊類についても、洒脱なエッセイの形でさかんに紹介しておられた。68歳のご逝去であり、遣り残した仕事への思いは強かったと拝察する。
ほとんど最後の仕事になってしまった『【カラー版】芭蕉、蕪村、一茶の世界』(二〇〇七年 美術出版社)は、一般向けのビジュアル本であるが、雲英先生の学問のエッセンスがコンパクトに纏められており、末永く読み継がれて欲しいと思う。最後に、先生がいちばん好きだと言っておられた、三井秋風(元禄時代の俳人。三井の一族。芭蕉とも交友)の発句をご紹介しておく。
正月を馬鹿にくらして二月哉 秋風 『誹諧吐綬鷄(はいかいとじゅけい)』
お休みのこと
中村安伸氏は今週はメンテナンスのみで、原稿はお休み。『田中裕明全句集』の再読に全力を挙げております。当代屈指の俳句ワーカーホリック筑紫磐井氏は、ついに売れっ子小説家なみの“毎日が締め切り”状態に突入。今週は攝津幸彦十三回忌を簡略に報告し、来週はお休みします。しかし再来週11号に予告篇を打ち、その次の12号には超巨編の評論を発表すると張り切っております。電話帳なみの体裁を誇るあの『定型詩学の原理』の著者が、大論文になる、分載不可と通告してきております。おそろしくも楽しみです。
冨田拓也氏は、「俳句九十九折」にひと区切りはつけましたが、休みません。若さに任せてどんどん行って欲しい。今週が最終回となる「俳句九十九折」では、「週刊俳句」やわが「―俳句空間―豈weekly」の創刊を、主要事項として年表に立項しています。80回近く回を重ねている「週刊俳句」はともかく、ようやく第9号に到達したにすぎない当ブログを年表に入れるのは明らかに時期尚早です。しかしこれは未来から振り返って年表に立項されるにふさわしい仕事をせよという叱咤激励と、ありがたく受け止めておきます。青山茂根氏は今回が初登場。失われた風景の中で、“わが俳句”を求めての彷徨がどこへ向かうのか、注目しましょう。
岩はなやこゝにもひとり月の客 去来 『笈日記』
■中村安伸
高山れおな氏のあとがきにあるように、今回は休んで資料などを読み込むつもりでしたが、やはり休みは返上し原稿を書こうという気になりました。
先週、新郎新婦ともに会社の後輩という結婚式の二次会に参加しました。余興は参列者をグループに分けてのゲームで、各グループ代表の男子を、女子たちがよってたかってメイクし、女性に似たものに仕立てあげ、その出来栄えを新郎新婦が判定するというものでした。
私が振り分けられたチームでは、勇敢にも立候補した男子がいたため、私が代表者の栄誉を担うことはかなわなかったのですが、七人の美女(に似た怪物)が並んだ様子には、深いダメージを与えられました。
それはともかく、私が感心したのは、わがチームで主にメイクを担当してくれた女性の手際のよさです。ご本人もなかなかに格好いいお姉さまでしたが、その筆さばきの鮮やさには見ほれてしまいました。
毎日繰り返し行っていることは、意識せずとも「芸」の領域に達するようです。つまり、継続は力なり、ということ。
継続のためには適度な休養も必要です。窮地におちいったときには遠慮なく休ませていただく所存です。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲「豈」発行人からのお知らせ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
■「―俳句空間―豈」47号発行予定:10月中(今のところ特に変更なし)
■イベント:
豈忘年句会:恒例の忘年会を兼ねた横浜吟行句会を「蛮」と共同で11月22日(土)に予定。
句会:波止場会館1F多目的室(大桟橋入り口/海岸通1-1)
/12時受付開始・1時出句締切、会費1000円
懇親会:中華街「廣東飯店」/18時より/7000円
■同人の出版:
恩田侑布子句集『空塵秘抄』(角川書店)9月21日刊/2667円
貞永まこと、大本義幸、長岡裕一郎句集近刊予定。
3 件のコメント:
バナナの続き
中村さん、ご無理なさらずともよかったですのに。しかし、筆跡からの裕明俳句の読み込み説得力がありました。
これは、佐藤文香さんへ。高橋龍さんや池田澄子さんたちがやっておられる「面」という同人誌の最新号(第108号)に、
空あかくバナナ尊き子供かな
という句が載っていました。知られざる名人・山本紫黄さんの句です。
さっきの匿名さんは、小生です。名前を書き入れようとしたところで勝手にアップしてしまいました。
れおなさま
>空あかくバナナ尊き子供かな
バナナが手前に尊大に、後ろにそれを持つ子どもが輝いていて、背景に夕焼がある、地面からあおりで撮影したような劇画チックな句という印象を受けました。いいですね。(ずいぶんバナナ話を引っぱってしまい申し訳ありません)
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