・・・堀本 吟
第二章 A—2 大本義幸・句集『硝子器に春の影みち』ノート
句集も生きている
【二A−2の はじめに 】
一冊の本を何人かが読むと云うことは、総合的なコミュニケーション空間を育てて、作者も読者もそこの場も、その本も、本の中の句も、全体的に成熟してゆくのである。このように使えば、俳句も俳句集も、いわゆる書物も、当分は滅びない。読まれれば読まれるほどその句集から様々の意味がたちのぼり、その世界全体に磨きが掛かってくる、成長してくる、そういう言葉の集積した句集がある。
句集の個性も十人十色なのである。同じ耕衣の弟子で、前衛的作風の先端を云っている河原枇杷男と安井浩司では、その抽象化の本質的な違いがどこにあるか、そう解ることの意味がどこにあるのか、というような問いに、明快に応えられる人は少ないであろう。自分の俳句観に照らして、それが好きかそうでもにないか、という相対評価しかかできない場合がある。或いは攝津幸彦と坪内稔典は、いわば青春の同志である。しかし、この半世紀の歳月は、おおきく彼らの表現のカラーや活動のフィールドをかえた。かれらのばあい、俳壇での知名度が安定しているので、そこにのって少しづつ評価を積み重ねてゆけば、まあ現在時での一般的なりかいはえられるだろうし、俳句史というのはそのような書物化の過程をとおったものだけが記憶されてゆく。
彼らのように独特の高度の思想性やみごとな技巧の名句が並ぶときに、それが正当に理解され読まれて行くことになんの異存もない。
だが、私は今回、大本義幸の句集をいただいて開いて、つくづく考えた。これはお金を払って(わずかなりでも身銭を切って)読もう・・。何冊も積み重ねられてきた俳句の教科書の基準から見れば、原石の生の光、と言いたい玉石混淆のものだ。また、ひじょうにそのときの自分の境涯に呪縛された題材がでてくる。(日常詠とか存問、と言うようなものも、考えてみれば「自分の境涯に呪縛された題材」ではあるのだが、そういうのともすこしちがう、自己一個の感傷をただちに地続きに普遍的な場にもってゆこうとする、個人性の強い句集なのである。
大阪の句会仲間で話したときに。野口裕が、「年譜を傍に置いて読むとようわかる」といったのである。これが私も同感であり、大本義幸句集のひとつの特徴であることはたしかなのである。作者を離れて読んでも面白いものは実はたくさんはっけんできる。しかし。年譜を読むことで一層その中の言葉の周辺に空気が立ちこめる。全部のことを彼は記してはいないはずなのに、私たちはなんとなく、この少年期からの半生が解ったような気になる。
で、不思議な錯覚になるが、大本義幸の境涯そのもの仮構された小説のようにさえ感じられる。(私は津澤マサ子の俳句にこれに近い印象をもったことがあるのだが、まあこのことの検証は後のことだ)。
くどいようだがくりかえしておく。
この句集がひじょうに魅力的だとしたら、もちろん彼一個の俳句的想像力への共鳴がその源泉であることはたしかなのだが、作品に触れたものの心に、かならず何かの感傷をよびさます、そういういわば過度の叙情の力がうごめいていることを強調したい。そこにひそむ語り手の感傷の大きな力をみとめて、ここに詩の原初を認めざるを得ない。大本義幸の「俳句」群には、そのような意味での抒情というものの造形力が認められる。
【 そのころの思い出 】
一九七〇年〜八〇年ごろ、学園紛争とそのあとの大衆化状況のなかに。新しい俳句の時代の橋渡しとなったニューウエーブ達と知り合ったのが、私の俳句修行のはじまりである。(一九八三年、第五回全国俳句ゼミナール)。坪内稔典中心の「現代俳句」は、十五号十六号目の刊行。ミニコミ誌としても最ももりあがった時期は過ぎていた。この年は、高柳重信、中村草田男という私が、本の中の俳人として遠く畏敬していたあこがれの人たちが死去。竹中宏、大串章等が創刊して、メンバーが入れ替わった戦後第三次「京大俳句」が、江里昭彦によって終刊(一九八三)。「現代俳句」はもうすぐ終刊します、という坪内稔典の予告通り、それは二十巻で終刊(一九八五・三)。(坪内氏からバックナンバーをかなり頂戴した。以後ぽつぽつとあつめて、現在欠号は第十一集のみ)。「豈」は、手元のものを見ると三号(一九八三)。世代交代はそのころからいわれはじめていた。
『硝子器に春の影みち』は、「現代俳句」の編集部にその人あり、と知られ、「豈」の創刊同人でもある大本義幸の「句集」であり、そのころから現在までのほぼ全句集である。彼の俳句人生の現在。「豈関西句会」や「北の句会」への出席や交流のことは、書かれていないが、後半部分の「薄氷」の章にある攝津幸彦の死を愛惜する句は、「北の句会」を舞台に生まれたものである。
【 現在の俳句的付き合い 】
大本義幸と親しくなったのは、「現代俳句」終刊後「船団」に関わり、また、私が迷った末「豈」入会を果たし、「船団」と両立できるかとおもったが、実際上無理で、実際の交流は攝津幸彦の死の前後「豈」関西句会がはじまったときだろう。攝津幸彦の命日前後になると、大本義幸が追悼句をもってくる。あるメンバーが、句会にそう言う個人的な「ケ」の句を出してはいけないのだ、と言って、議論になったことがある。とにかく私たちの句会は、「ケ」であろうが、「私」であろうが、逆にきわめて記号的な言葉遊び風なのも何でもでてくる。加えて川柳人が川柳を提げてくると、やはりこれも十人十色(一枚岩でないということ)で、まともに「私」的なものも、極端に「私」をぬけようとしているものもあり百家争鳴と言うべきテイであった。)、中でも、大本義幸の「私性」は発想のもともとからのものなので、何を詠んでも「これは、大本義幸の実存の感覚的なところからきた実感だ」と思わしめるのである。だから、なかなか的を射た面白い批判ではあったのだ。
句集にもでているが、
わたくしがやんばるくいな土星に輪
マフラーをいただきまする幸彦の
くれるなら木沓がほしい水平線
こういう俳句にあっても私などは、大本義幸の一種閉塞感が、まともに伝わってくる、言葉になったものを現実感に即してばかり見ていたら、それは罠におちることなのであるが、でも、「やんばるくいな」になって大本義幸は、わっかをかけられた遠い惑星を見ている、攝津幸彦の形見のマフラーを首に巻いて。
ああ、でも、だれかがまた形見をくれるなら「木沓」がほしい。水平線をぷかぷか浮いてここをこえてゆけるような・・・
めちゃめちゃな解釈だから笑って貰っても良いが、恣意的に取り出したこの三句をならべたとたんに交感してゆく有形無形の情緒、それの質というのは、まるで俳句の形を借りた私小説空間だ。もっとも身近な自己書物化の仮構の場として、これらの定型の枠を使っているのではないか・・そういう取り方をしてしまうのだ。
【抄出・『硝子器に春の影みち』 】
ともかく、私はさっそく句をリストアップした。
(引用)
巻頭の章
枯れ笹を渡る蝶よ 向こうも枯原だ
ひとりで歩くと闇がつめよる思春期の
巻末の章
海を照らす雷よ苦しめ 少年はいつもそう
高校二年から、63歳のいままでの45年間のほぼ全句集である。(あとがき)
(以上句集より引用)
配列が製作順だとしたら、この期間は四十年間。誰が選句したとしても少年性と一種のダダイズムはかわっていない。巻頭と巻末の句が、おなじ頃のさくだとしたら(調べてはいないが)、彼は少なくともこの五十年のスパンを生きのびた思春期の出発点の文学的動機をかえようとはしてこなかった、善し悪しはべつとしてみごとな文学的非転向の姿勢である。
坪内、攝津と彼の大きな違いは或いは、こういうところにあるのだろうか?
(引用)
第一章《非(あらず)》
まぼろしの獣が嘗める目の火傷
ひるすぎのコップの中に水座る
夏の闇生毛のごときをつれきたる
風の鳥一樹に集うはすべて白し
第二章《朝の邦》
泥土に生まれて母かやわらかき唇をもつ
風は国境を煽る砕けた虹は納屋にある
硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ
「生きるは悪か」口中深く葡萄詰め
まだ女鹿である朝のバタートースト
第三章《薄(うすらい)氷》
豆腐屋にあつまる死人をかぞえてもみた
TOKYOは秋攝津幸彦死す
黄落は黄泉の津波か幸彦忌
マフラーを頂きまする幸彦の
第四章《冬至物語》
第一夜
黄塵にとりまかれつつ夢を出る
第二夜
一夏〈どすこい〉狂って水晶
一夏〈どすこい〉乳房は鉄路
一夏〈どすこい〉情事と天体
一夏〈どすこい〉ゆくぜ寛章
市街過ぎゆけりちいさき兜子なり
第三夜
京都雨、人間の肉淫らなれ
第四夜
瓦礫あゆむ猫も戦後の娼婦かな
第五夜
風鰯一戸は葡萄雲に憑き
第六夜
三島忌の花屋の奧の波止場かな
第七夜
ヒロヒトという月見草が咲いている
第八夜
肛門にどこかしたしい赤トンボ
第九夜
火渡周平てふ男あり淡きセレベス
挽夏かなプールで響くビートルズ
第五章 《拾遺・硝子器に春の影みち》
硝子器に春の影さすような人
冬の波病葉の如きを連れてくる
桜闇戸障子すこしあけておく
くれるなら木沓がほしい水平線
コスモスはかたかなで書く花さようなら
「硝子」は大本義幸の初期からのモチーフである。
「硝子」は、触れることが、ためらわれる何かなのである。それは、現代社会を写し出すものでありながら、冷たく拒絶を含むものとして存在している。/その底には大本のロマンチシズムが胚胎している。 大井恒行(解説、帯)。
(抄出 おわり )
【 同時代という感傷 】
・・初期の
ひとりで歩くと闇がつめよる思春期の 《巻頭の章》
海を照らす雷よ苦しめ 少年はいつもそう (⇒「雷」に「らい」とルビ) 《巻末の章》
泥土に生まれて母かやわらかき唇をもつ 第二章《朝の邦》
硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ
私はこういう俳句好きだ。「この感傷、解る気がする、こんな時代だった。」と、云うのが声に出さない呟きだった。同時に、「時代」といったとたんにこの句集からなにかが滑りおちていった。「同時代」といういい方・・言葉にとってこれほどあいまいな無責任なレッテル張りはない。これらの「感傷」はおいつめられて、比喩に転化しているものだし。詩性を盛り込んだ現代俳句なのである。でも、いうならばやはり「同時代」という呪縛で彼のことがわかってくるのだ。
まだ女鹿である朝のバタートースト 大本義幸
麗かな朝の焼麺麭はづかしく(⇒「焼麺麭」に「トースト」とルビ) 日野草城
と、同じモチーフの両句をならべてみると、新興俳句を切り開いたひとり、大論争をまきおこした日野草城の《ミヤコ・ホテル》の連作句よりも一編の一行詩として、完成度が高い。この違いは時代的な女性観や恋愛観などの認識が違うと言う文化上の問題と、もう一つ表現に、つまりその詩性のポイントがおおきくちがっている、草城の時代には、新婚初夜を詠ったということの衝撃度がたかく、「トースト」という食べ方のいわばハイカラな風俗性が全面出でていた。大本義幸のこの句には、トーストの焦げた茶色に鹿の体の模様を想い出させ、それがしかも「牝鹿」というので、これが、性愛の一夜を過ごした女のしかも若いしなやかな肉体のメタファ、二重の世界がここにダブっているのである。現代詩の「喩」の考え方がはいってきている。草城の時代にはでていなかった技法である。
大本義幸がくれた手紙のなかに「みんな四十五年前の僕についてはなしてくれている」、というような一節があったことを想い出すのだが、草城との連関をいうと、四十五年前にすでにちがってはいるが、どちらも都会的な恋愛の風俗詩であることに共通点がある。
大井恒行の解説にある
引用
「硝子」は、触れることが、ためらわれる何かなのである。それは、現代社会を写し出すものでありながら、冷たく拒絶を含むものとして存在している。/その底には大本のロマンチシズムが胚胎している。 大井恒行(解説、帯)
と言う一節。この「硝子器」を喩として捉えるのは私たちには既に常識的な理解法だろう、しかし、「硝子器」は「硝子器」そのものだ、という考えも成り立つ、それがこの俳句の世界の言葉の理解法だ。
(引用)
硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ
硝子器に春の影さすような人
「硝子器」を「現代社会をうつしだすもの」と理解する大井恒行はただしい。作者への同世代、同時代的シンパシィ。大本義幸の理解はまず、この一歩から始まるのだ。
しかし、大本の言葉も、大井の言もその通りであるが、作者が、そういう風に句を差し出しているので、先ずその同時代の雰囲気の中に還ってこの世界を鑑賞しようと思っているだけなのである。別の読み方もあるはずである。
同時代、であることは、必ずしもその句集の最重要時ではないことがある。
でも、なぜ。大本義幸俳句の鑑賞に、この時間意識が重要におもえてくるのだろう。「硝子器」はただのガラスの器。には違いないが、大本義幸がこう書き大井恒行がこうよむと、ここには抜きがたい身体の気配が立ち上がる
この句集は、だから、さきにいったように、一番わかりやすい読み方は、全身で戦後世代の嚆矢の青春を生きてきた少年、時代の波に浸り込んだかつての「少年」ののこしたことばだからこそ、ひかっている、と言うべきだ。
そしてその次の段階では、時代への大本の共感力がよほど、強かったのか、それとも、小さな個人的なきっかけを、言葉の世界にもちこむ観念力が強いとか、強い自己愛の持ち主であるとか、色々分析しながら、「文学」の本質として、時代の社会性や、身体の肉体の温みをくわえることがその表現技法の鑑賞を損なわないものか?この視点からも一度考えて、より深く彼の言葉の素質をてらしだそうと、私のメモ帳はうめられてゆく。ともかく、この世界に向かう小さな個人の小さいが故の力、におおきな感慨を持つのである。
きょう、句会仲間で彼の句集を読んで、祝賀会に代えるようおともう。たくさんの「五句選」があつまっている。すでにあらわれている句集表もあつめてみた。
読む人が、自分のスタンスをあきらかにしたくなるような ふしぎな煽動性をもつ俳句集なのである。 《以下続09年2月22日 》
引用句にかなり入力ミスがあったので、編集者にご無理を言って訂正させて頂きました。作者はご不快だったと思いますので、お詫び致します。読者もご海容願います。(2月24日)
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2 件のコメント:
堀本吟様
説得力に富む好文章、楽しませていただきました。とりわけ、大本さんと日野草城のトースト俳句の比較は興味深い。すべておっしゃる通りなのだろうと思います。草城の天才に比べれば大本さんは非力のはずですが、表現史のステージをきちんと押さえることでより高度の表現をなし得ているわけで、これは我々にとっても希望を抱かせてくれる事実ではないでしょうか。
れおな様 早速の書き込みやご意見、じつに感謝です。
「表現史のステージをきちんと押さえることでより高度の表現をなし得ているわけで」(れおな)
さっき「北の句会」と大本義幸さんの句集出版祝賀会と二次会から還ってきました。少数ですが、様々な個性が集まり大変面白い形の会になりました、大本義幸さんの昔からのことをよく知っている人と、北の句会や今の「俳句空間—豈」の若手とでは、さらに明らかに感受性がちがうのです。で、おもしろかったですよ、
具体的な内容や私のつっこんだ感想は、次週から少しづつこの章でかいて行きます。
なお、ここにあわせたくて釈迦力で書いた拙文は、例によって引用句の入力ミスなどがすこしあります。
ご迷惑をおかけしますが、後ほど訂正メールをおくります。
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