2010年7月18日日曜日

俳句九十九折(92・最終回) 七曜俳句クロニクル XLⅤ・・・冨田拓也

俳句九十九折(92・最終回)
七曜俳句クロニクル XLⅤ

                       ・・・冨田拓也



7月11日 日曜日

今週は、一体何を書けばいいのか。

とりあえず、これまでの内容に対する回顧というものを、少しばかり記して見ることにしてみたい。

思えば、この「―俳句空間―豈weekly」が開始されたのが、2008年の8月のことであった。そして、気が付けば、自分も誘われるがままに、何の目算もない見切り発車で、ついふらふらとつられて走り出してしまっていたのであった。

記憶を遡ってみると、自分はこの連載の最初において、インターネットで何が可能かといったことについて述べ、いくつかの企画を提案してみた。

そして、それから俳句というジャンルのこれまでの来し方というものを俯瞰することによってこの現在の自らの足場というものを確認してみたい、との思いから、現在までに至る「俳句の歴史」というものを、大雑把ながらではあるが辿ってみることにしたのである。

とりあえず6週間ほどの時間をかけて俳句の歴史における主要と思われる出来事を簡単にピックアップしていった。以前、俳句の研究しておられるある知人の方が、自分のこの連載の内容を見て「このような俳句の歴史の現在までのアウトラインを示したものは、いままでに存在しなかった」と評価して下さり、さらにはその方の論文にまで拙文の内容を引用し取り上げて下さった、とのことである。しかしながら、実際のところ、この連載の実質というものについては、ひたすら「引用による継ぎ接ぎ」を繰り返すことで成り立っている、一種の「パッチワーク」であるという側面も強い。

ということで、正直なところ、ある程度主要な部分はカバーしているとは思いつつも(総合誌である角川書店の『俳句』の歴史など言及できていない部分もあるが)、他に一体どこで何を見落としてしまっているかわかったものではない、というところがあるのも事実である。しかしながら、思えば、芭蕉であれ、蕪村であれ、一茶であれ、いまでこそ俳諧の歴史を語る上においてどうあっても欠かせない存在ということになっているが、その生前はそれほどメジャーな存在というわけではなかったという側面もあるそうである(芭蕉についてはやはり生前でも単に無名の存在というわけではなかったそうであるが)。

こういった事実があることから、当たり前のことであるかもしれないが、俳句の歴史というものは、後の時代になるとどのような様相を示すことになるのかやはり不確定な部分が相当にある、ということになるようである(無論だからといって、俳句の歴史に対する視点というものがいい加減なものであっていいというわけでは当然のことながらない)。



7月12日 月曜日

これまでの「俳句の流れ」というものをある程度眺めた後、次の展開として「俳句のアンソロジー」というものを作成してみようという気になり、「俳人ファイル」というタイトルで俳句アンソロジーの作成を行う作業に取り組むことにしたわけであるが、これはこれまでに書店や図書館、古書店やネットなどで少しづつ蒐集してきた資料の存在というものが随分と役に立った。

しかしながら、この「俳人ファイル」については、続けているうちに、中途で段々と半端でなく草臥れてきてしまったのと、資料を蒐集する大変さ、さらにその資料を読み込んで纏め上げるまでにかかる手間の大きさ、そして、俳人の数の多さ、時間の問題、また自分の能力の問題など様々な要素が重なって、結局のところ中断という結果となってしまった。それでも、おそらくこれはこれでよかったのであろう。

あと、いまからよく考えてみると、このような企画というものは、はじめから個人の力のみで行うのは相当に無茶というか非常に無謀な企てであったのではないかという思いのするところが多分にある。こういった作業には、やはりそれなりの人材と資料の存在というものがどうしても不可欠であり、そういった条件が揃うことによって漸く高水準での達成が可能となる性質のものではないかという気がする。

また一応、自分が今回のこの「俳人ファイル」において取り上げた作者は、合計で39人であったが、いずれの内容もまだ完成形といえるまでの水準には達しているとは言い難いものが多く、残念ながらそのおおよそはまだ試作の域にとどまるものであると言わざるを得ないところがあろう。また、いずれ何かの機会があれば、それぞれの作者とその作品については、もう少しその本質というものを掘り下げて、しっかりと取り組み直してみたいところである。



7月13日 火曜日

その「俳人ファイル」を中断すべきかどうかと少々煩悶している時期に、ふと「日記形式」なるアイデアが思い浮かんできた。その発想をきっかけとして、とりあえずのところ、「俳人ファイル」については一旦休止させ、「七曜俳句クロニクル」というタイトルによって、日記形式による文章というものを書きはじめてみることにした。

これは、以前、総合誌『俳句』や『俳句研究』の誌上において、橋間石や和田悟朗、阿部完市などの様々な俳人が、それぞれ1回のみの限定での登場であったが、日記形式によってとある1ヶ月の生活模様を記述するといった内容の連載があり、その日記の内容には各々の俳人の日常生活における、テレビや美術、交友関係、読んだ本のことなどといった多種多様な事象が混在して描かれており、思った以上に面白い読みものとして印象に残り、自分もいつかこういった日記による文章というものを書いて見たいものだなと考えていたのであるが、そのことが「七曜俳句クロニクル」をはじめるひとつのきっかけとなっていたのではないか、という気がする。



7月14日 水曜日

結局のところ、この日記形式による「七曜俳句クロニクル」については、開始してから現在の最終回を迎えるまで、そのまま45回にわたって書き続ける結果となった。

ということで、見切り発車で始まったこの「俳句九十九折」は、その実質としては、「俳句史」、「俳人ファイル」、「七曜俳句クロニクル」という3つの変遷を経る結果となった、ということになる。



7月15日 木曜日

ともあれ、今回の「俳句九十九折」の連載によって、自分が2000年頃から現在の2010年までの10年程の間に、様々な図書館、書店、古書店などに何度も足を運ぶことによっていくつか手にすることのできた資料というものが、今回の連載のおかげで漸く少しばかりは日の目を見ることができたのではないか、という気がしている。

これまでの自分の殆んど無為とも思える歳月の浪費というか蕩尽というものも、今回の連載によってあながち無駄な側面のみではなかったといえるのではないか、と思いたいところではある。



7月16日 金曜日

この間、家の中のものを片付けていたら、嘗ての自分の子供の頃に集めていたお菓子のおまけのシールやゲームなどのキャラクターのカード、また、日本の古い硬貨や紙幣などのコレクションというものが出てきた。

それらを眺めると、カードや硬貨などはそれぞれを収納する専用のケースの中に種類ごとにきちんと区分けされ丁寧に整理されており、現在の自分の視点から見ても小学生にしてはなんとも律義というか相当に几帳面な性質のもので、嘗ての自らの行ったことでありながら少々驚いてしまうところがあった。

しかしながら、思えば自分のこういった性質というか性分というものは、実のところ現在に至るまで、この嘗ての子供の時分からほとんど何ひとつ変化してはいないのではないか、と思われてしまうところがある。

それは、この「俳句九十九折」の連載の内容というものを振り返ってみれば理解できるであろうが、それこそ嘗ての自分が蒐集していたシールやカード、硬貨や紙幣といったものの存在が、現在においては、ただ単に「俳句」そのものに置きかえられているだけ、といえるようなところがあるのである。特に「俳人ファイル」については、まさにそういったある種のコレクターとしての性質といったものが、そのまま如実にあらわれた結果のものであるといえそうである。

この事実を眼の前にして、なんというか、詩人谷川俊太郎さんの詩の中にある、「私はかっこいい言葉の蝶々を追いかけただけのただの子供」、といった内容のフレーズの存在を、そのまままざまざと思い出してしまうところがあった。

結局のところ、自分がこれまで繰り返し行い続けてきたのは、それこそ「蝶の標本」を作ること、とでもいったようなものに近いのかもしれない。



7月17日 土曜日

とりあえず、この「俳句九十九折」は、今回の92回目をもって終幕ということになる。

というわけで、この日記をつけるのも今日で最後である。

そういえば、この連載のタイトルである「俳句九十九折」とは、その当初99回の連載を達成することを目標にしよう、という趣旨によって名付けたタイトルであったような記憶もある。

そもそも、この「俳句九十九折」の「九十九折」という言葉は、別の漢字表記では「葛折」とも書き、そのどちらの表記の場合も「つづらおり」と読む。そして、その意味するところについては、「幾重にも曲りくねった坂道」のことを指すものということになる。

この俳句の「九十九」にも及ぶ曲りくねった険しい坂道を踏破した者には、「俳句の阿闍梨」の称号が授けられることになるという風説があるとか、ないとか……(すみません)。

一応、今回で、この連載は92回目であるから、あと7回で99回の連載が達成される予定であったということになるわけであるが、これはこれでむしろ登り切らない方がいいのであろう、という風に考えておくことにしたい。

実際のところ、現在の自分の歩いている現実における俳句の「九十九折」というものは、まだ容易には先が見えず、さらにその道のりというものもおそらくこれからも随分と長いものとなるであろう、ということが推測されるゆえである。

ともあれ、ここで一つの扉は閉じられる。

最後に一言だけ述べさせていただくと、最近の俳句を巡る状況というものを眺めてみた場合、やはりなにかしらの変化というものを見せはじめているように思われるところがある。インターネットの普及、「芝不器男俳句新人賞」や「北斗賞」などといった新人賞の創設、『新撰21』の刊行、俳句総合誌での若手俳人の登場頻度の増加、最近の『現代詩手帖』6月号による短詩型の特集等々。

この流れというものは、今後も継続的に波及してゆく性質のものであると見て、おそらく間違いのないところであろう。

このように見ると、言葉の力をも含むなにかしらの働きかけというものによって、現実というものは幾分かなりとも変化させ得ることが可能である、といえるところもやはりあるのである、という思いもしてくる。

そして、そういった言葉というものが秘めている力、またはその可能性というもの、それはやはり確かに存在し、本来的には誰しもが自らの内側においてその力を備え持っているはずのものである、ということを、最後にいま一度この場において言明し、確認することによって、この連載を終了させていただくことにしたい。

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。

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