2009年1月31日土曜日

新歳時記通信

俳誌雑読 其の五
制度の情熱 「新歳時記通信」の企て


                       ・・・高山れおな

ふだん、俳人の評伝などにそれほど関心の強い方ではないのに、前田霧人の『鳳作の季節』(二〇〇六年 沖積舎)ばかりは夢中になって読んだ記憶がある。山本健吉文学賞(二〇〇七年度 評論部門)を受賞する栄に浴したのもむべなるかな、とにかく資料の博捜ぶりはたいへんなもので、臆断を排し、ひとつひとつが確かな裏打ちを持つ記述のむこうに、篠原鳳作という魅力的な俳人の姿がくっきりと浮かび上がってきた。いや、“魅力的な俳人”などとぬけぬけと書いてしまったが、じつのところ前田のこの本によってはじめて鳳作の魅力を認識させられたというのがほんとうであった。

鳳作は我々に何を残したのであろうか。答えは簡単である。彼が言いたかったのは、ただ次の一言である。
「我々は我々の詩心をいつわらざる生活感情を単一に十七字に結晶せしめんとするのみである。其結果なる作品が無季たると有季たるとは問う所ではない。 」

これは同書の終章の一節。この、いわば“篠原鳳作”という問題構成の延長線上に、より大きなスケールでの新たなとりくみを前田は始めている。昨二〇〇八年四月に創刊号を、七月に第二号を、そしてこの一月に第三号を発刊した個人誌「新歳時記通信」がそれである。前田のこの活動については、林桂がすでに「俳句界」の時評欄(二〇〇八年十月号)でとりあげており、〈目指すは「歳時記」の再構築とその意味を問うという気宇壮大な仕事である。〉と好意的に論評している。“気宇壮大”という形容でもまだ足りないような、途方もない企てで、これはあるだろう。発刊の辞や後記の類を除いた、同誌の目次を示しておく。

創刊号
新歳時記考序説
座敷鷹

第二号
西瓜考
季の問題
エントロピー的俳句論

第三号
伊豆の縄船
ひやひやと昼寝
海女沈む
押せば開く

このうち、第二号に載る「季の問題」が、俳文学者・頴原退蔵の『俳句周辺』(一九四八年 天明社)からの再録であるのを除けば、いずれも前田自身の渾身とでも呼びたい論考がならぶ。まず、「新歳時記考序説」において基本的なスタンスを提示し、ひとつひとつの季語について各論を積み重ねてゆくことで新たなる歳時記秩序を編み出そうとの構想であり、行文の緻密をもって鳴る林桂が、〈前田は、物事を徹底的に調べないと気が済まないらしく、その一歩一歩も非常に重いものである。〉とややあきれた気味の物言いをするほどであるから、いわんや評者のようなプリンシプル無き場当たり的実作者には驚異であると同時に脅威ですらある。

あらかじめ言っておくならば、その熱心な仕事ぶりに対する敬意は敬意として、実のところ評者は歳時記の再構築という前田の大目標についてはさして共感していない。一方で、前田がその作業の過程であきらかにしつつある個別的・具体的な事象に関しては、大いに興趣をそそられもする。例えば、「西瓜考」では一般に夏の果物と認識され、盛夏七月から初秋八月にかけて出荷のピークを迎える西瓜が、なぜ現行の多くの歳時記において秋季に分類されているかが考察される。前田によれば、西瓜が「四季の詞」として俳書に登場するのは江戸時代、十七世紀半ばのこと。その嚆矢となる松江重頼撰の『毛吹草』(正保二年/一六四五)から幕末の藍亭青藍撰『増補改正俳諧歳時記栞草』(嘉永四年/一八五一)まで、近世の季寄せ・歳時記類十八種における西瓜の扱いを検討した前田は、近世における西瓜の季の変遷を次のように概括する。

即ち、初出と思われる一六四五年の『毛吹草』から一七一三年の『滑稽雑談』まで七十年に亘り、「水瓜」あるいは「西瓜」の季は現在の通説とは相違し、一貫して陰暦六月・晩夏であった。それが夏、秋「好む所に随ふ可し」とした『滑稽雑談』を境に変化を見せ始め、まず『通俗志』で「西瓜」が陰暦七月・初秋に設定される。そして、「水瓜」あるいは「西瓜」を六月、「西瓜」を七月に併出、従来の「水瓜」六月説を批難、「水瓜」を抹消という過程を経て「西瓜」の季が陰暦七月・初秋に一本化される。その間、一七一七年の『通俗志』から一八一八年の『季引席用集』まで、丁度百年の歳月が流れている。

このように江戸初期には夏季に配されていた西瓜が、江戸中期以降、徐々に秋のものとされるようになっていったというのが前田の見通しであるが、実際の運用が果たしてこの通りだったかどうか、微妙なところもあるように評者は思う。例えば其角撰『花摘』(貞享四年/一六八七)には、百里という人の

辻々に切ちらしたる西瓜哉

という句が載っているが、前後がそれぞれ

馬士(うまかた)も倒れ臥す野の末の露
(うけ)がたき身を悦べや生身魂

であるから、この西瓜は秋ということになる。また、同じく其角の追善集である『類柑子』(宝永四年/一七〇七)には、潘川の

業平の暗(やみ)にしられし西瓜哉

を発句(かなり面白い句ではある)とする其角参加の歌仙が見えるが、脇が、

薄は月のありになるまで  里東

第三が、

御用木一本乗を初汐に  堤亭

なのだからこの西瓜も秋季の扱いである。評者の手元の本を少し覗いてみただけでもこの調子なのを見ると、正徳三年(一七一三)刊の『滑稽雑談』が〈好む所に随ふべし〉と言っているのは、実作ですでに夏秋の併用がそうとう広範に見られたことの追認なのであろう。ちなみに、近世初期の西瓜を詠んだ発句で最も有名なのは、さっきから名が出ている其角の

西瓜喰ふ奴(やっこ)の髭の流れけり
西瓜くふ跡は安達が原なれや

あたりであろうか。其角の家集『五元集』では秋の部に入っているが、両句が載るのは其角自選の巻ではなく、百万坊旨原が編んだ拾遺の巻であるから、これが其角の意図にかなっているのか、あるいは編者の恣意なのかはわからない。其角自身の意図だったとしたら、蕉門の最有力俳人がすでに西瓜を秋と認識していたことになるのだが。

話が少々脱線してしまったようだ。前田は引き続き近代の歳時記の検討に入っている。子規の俳句革新以降、歳時記の歴史に一線を画する改造社版『俳諧歳時記』が出版された昭和八年(一九三三)にいたるまで、前田が掲げた十二種の歳時記を見ると、意外にも七種が西瓜を夏季とし、五種が秋季としており、江戸後期とは状況が異なっていることがわかる。これらの歳時記の編者は、素性不詳の一人を除いていずれも子規系統の新派俳人で、季がふたつに分かれるのも子規の態度に由来するのであろうというのが前田の考えだ。つまり、近世俳句の集成である子規の『分類俳句全集』(昭和三~四年/一九二八~二九 アルス)では西瓜は江戸中後期に一般的だった秋季説に準拠して秋に分類される一方で、『俳諧大要』(明治三十二年/一八九九 ほととぎす発行所)では、

四季の題目にて、花木(かぼく)、花草(かそう)、木実(このみ)、草実(くさのみ)等はその花実(かじつ)の最(もつとも)多き時を以て季と為すべし。梨、西瓜等亦(また)必ずしも秋季に属せずして可なり。

とされているからだ。このふたつの行き方がひとつの歳時記に合流したのが改造社版『俳諧歳時記』で、西瓜は青木月斗編の「夏之部」、松瀬青々編の「秋之部」に併記されることになった。月斗は解説で、現在では西瓜は夏に市場に出まわるから歳時記でも夏の季題とするのが普通だが古歳時記では秋とされていることを述べ、青々はさらにやや詳しく、栽培法が変わった現在では西瓜の旬は晩夏で秋に至ればその味は劣るとし、西瓜の季は夏季に移すのがよいが、西瓜を秋季とした古人の句意をあやまつことをおそれて秋の部にも存置した、と説明する。こうした月斗や青々のゆき方について、前田は次のように記す。

これらを見ると、我々の大先輩に当たる月斗、青々らが如何に真面目で柔軟で、高い見識と決断力を持った素晴らしい俳人たちであるかが本当に良く分かる。「但し西瓜の季は晩夏、初秋に亙る季物とするが穏当ならん。」(上記歳時記解説にある青々の言葉……評者注)という青々らの真摯な思いを七十五年経った今も満足に歳時記に反映出来ていない不勉強と優柔不断を、現代の俳人たちは大いに恥じなくてはならないのである。

この月斗・青々に対する高い評価と対照的な扱いを受けるのが他ならぬ虚子で、

「西瓜」の季に対する月斗、青々らの真摯な態度を僅か一年の後に反古にしたのが昭和九年(一九三四)に三省堂より刊行された虚子編『新歳時記』である。

と、ほとんどヒールに近い。前田は、『新歳時記』刊行の背景には、虚子が改造社の歳時記に抱いていた強い不満――編者の人選、編集方針など――があるといい、それはなるほど『新歳時記』の序にあきらかなのであるが、ここではその点はスキップして、『新歳時記』における西瓜の解説を前田に導かれながら読んでみる。

そして、肝心の『新歳時記』における「西瓜」の季であるが、「西瓜・蜻蛉(とんぼ)等も寧ろ夏が多いのに秋とし」たのは「其季題に対する感じが重きを為したものである。」と虚子が「序」に明記するように、「西瓜」は当然の如く陽暦八月・初秋の季語となっている。

〔西瓜は昔から秋季としたものであるが、近来栽培法が発達し、外来種なども多くなり早生種が多く市場に現れるようになった。七夕によく之を供える。〕

前田は、虚子歳時記の系譜を嗣ぐ稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』の記述も同様であることを確認し、さらにこう続ける。

しかし、第一節で述べたように、現代の俳人大多数の感覚では「西瓜は盛夏のイメージ」(『角川俳句大歳時記』「冷し西瓜」解説)である。また、確かに西瓜は七夕にも供えられるが、西瓜から直ちに七夕をイメージする人は多くないであろう。虚子らの「西瓜」という「季題に対する感じ」は明らかに一般と乖離しているのである。

〈真面目で柔軟〉な月斗・青々が、近世中後期以来の西瓜秋季説と実感の齟齬を齟齬として提示し、夏秋併出することで問題を解決しようとしたのに対して、虚子が自らの〈「季題に対する感じ」〉〈一般と乖離している〉ことに無自覚なまま、性急に西瓜の季を秋と定めていることが“真摯な態度”を欠如したものと前田の目には映るのであろう。もちろんすでに見たように、〈西瓜は昔から秋季とした〉という認識自体が厳密には正確なものではないことが前提としてある。とはいえ、西瓜は秋季とする虚子の選択にしても、前田の基準では疎漏を免れないにせよ相応の根拠は持っているのであり、恣意ということはできない。そしてついに、虚子についての前田の記述は、以下のような常軌を逸したところにゆきついてしまう。

うり西瓜うなづきあひて冷えにけり  虚子
そして、彼ら
(虚子と汀子……評者注)の矛盾を象徴するのが『新歳時記』、『ホトトギス新歳時記』双方に「西瓜」例句として掲げられたこの句である。両歳時記共に、「瓜」、「冷し瓜」は夏の季語である。夏季の「瓜」と秋季の「西瓜」がどうやって頷き合うのか。秋の西瓜を冷やせば、夏にタイムスリップするとでも言うのか。

歳時記における季を異にする複数の事物が一句の中に同居するのは、虚子に限らず少しも珍しいことではない。虚子にしたって西瓜が夏には存在しないとも、瓜が秋に存在しないとも言っているわけではないのである。評者には、こんな揚げ足取りめいた物言いは、せっかく積み重ねた調査や考証の労苦に泥を塗るものとしか思えないが、前田の虚子に対する憎しみはそんな常識的な判断力を失わせるほどに深いものなのであろう。前田は、秋桜子編集の歳時記がすべて西瓜を夏としていること、秋桜子が新たに歳時記を編纂するたびに虚子が時をおかずに歳時記を出している(ように見える)ことにも注意をうながしているが、その事実に対する前田の評価にも明らかに飛躍がある。

○ 昭和七年十二月―秋桜子編『現代俳句季語解』(交蘭社)
○ 昭和九年十一月―虚子編『新歳時記』(三省堂)
○ 昭和十三年五月―秋桜子編『新選俳句季語解』(交蘭社)
○ 昭和十五年四月―虚子編『新歳時記』改訂版
○ 昭和二十六年三月―秋桜子編『新編歳時記』(大泉書店)
○ 昭和二十六年十月―虚子編『新歳時記』増訂版
虚子は昭和三十四年四月に八十五歳で没しているが、偶然と言うには余りに年月の符合した秋桜子と虚子の歳時記刊行と、その改訂振りである。

あたかも虚子が『新歳時記』で西瓜を秋としたのは、西瓜を夏とする秋桜子の『現代俳句季語解』に対するアンチであり、虚子は常に秋桜子に対抗せんがため『新歳時記』を改訂・増補しつづけたと言わんばかりである。なるほど、そうでないとする積極的な証拠を評者は別段用意していないし、俳人としての二人に対抗意識があったことはもちろんのことだ。しかし、俳壇の二大巨頭が数年のインターバルを置いて歳時記の編集・改訂を繰り返すのはなんら不思議ではないし、ここに見られる時間的な前後関係が“偶然”でないとするのは、他になんらかの証言でもあるなら別であるが、いささか強弁に過ぎよう。西瓜の季を両者が違えていることにしても同様である。季の所属に揺れがあるものは言うまでもなく西瓜に限らない。そうした事例すべてにおいて、虚子歳時記は秋桜子歳時記と季を異にしているのであろうか。これはさしずめ、裁判沙汰であれば証拠不十分で不起訴処分になる程度の事案のように評者には思える。せっかくの地道な調査が、陰謀史観めいた記述に帰結するのは淋しい風景という他はない。

「西瓜考」にかかずらいすぎたかも知れないが、前田はこのような具合に「伊豆の縄船」では“鮫”の季を論じ、「ひやひやと昼寝」では、芭蕉の

ひやひやと壁を踏まへて昼寝哉

を入口にして“昼寝”と“ひやひや”の季を考察する。「海女沈む」はもちろん“海女”についての論考。「押せば開く」は、

祇王寺の留守の扉(とぼそ)や押せばあく

という虚子の無季の句を俎上に乗せ、新興俳句と虚子の関係を再検討している。いずれの文章にも、興味深くも為になる知識の披瀝といささか辟易させられるような情念の奔出とが混在しているおもむきであるが、今これら各論に具体的に立ち入ることはしない。前田が、「西瓜考」で見たような強固な実感主義に拠りつつ、新たな歳時記秩序をどのようなものとして構想しているか、むしろ総論である「新歳時記考序説」の方を覗いておきたい。

「新歳時記考序説」において前田はまず、旧来の太陰太陽暦ではなく現行の太陽暦を基準に、三、四、五月を春、六、七、八月を夏にするなど、気象学的区分による季節区分を採用したことで話題になった現代俳句協会編『現代俳句歳時記』(二〇〇四年 学習研究社)の功罪を検討することからはじめている。罪としてあげられるのは、立春が冬になってしまうような、主に時候季語に見られる矛盾である。これは〈二十四節季を規準とする一つの確立した季節区分に直接係わる季語を、もう一つの別の季節区分で再度区分しようとしたことに起因する〉混乱であると批判される。また、〈現代の生活の中で季節性が薄れ、どの季節と決め難くなっている季語〉を「通季」として立項したことには、〈従来の俳句歳時記の形骸化した一面を明確に指摘した〉と、一定の評価が与えられるが、季語と無季に加えて別の範疇を導入することによって、言葉の体系がさらに分断されてしまう点が問題であると指摘する。一方、功とされるのは「無季」の立項で、〈これまでは「雑」という従来の古い呼称に終始していたものを、誰はばかることなく堂々と「無季」としたこと〉で、〈一つの大きな壁を打ち破る快挙〉と称賛される。

『現代俳句歳時記』の矛盾を止揚し、功を生かす道として前田が提案するのが、「物象感」の軸を第一義としての歳時記の再編成である。「物象感」とは金子兜太の用語で、『現代俳句歳時記』の前身である『現代歳時記』(金子兜太・黒田杏子・夏石番矢編 一九九七年 成星出版)の兜太による「あとがき」には次のような説明がある。

それ(=ものを美意識化したところに現出した「造語」……評者注)が季語。その季語とは別に、季節感ではなく、そのものの〈物象感〉を軸とした美意識化もあり得る。季節感が得難いときでも、物象感を軸に美意識化が出来るということで、「春の山」は季語だが、「山」は季語ではない。しかし、「山」の物象感を十分に活かせば、季語同様に天然自然との交感を可能にする、ということなのである

前田は、金子が「無季」語にのみに限定した〈「物象感」の軸〉を、一般の季語をも包摂するものとして拡張し、〈夏石番矢の言う「有季・無季の次元を超越した分類基準」に採用〉することを主張する。

このような「物象感」の軸を第一義に採用した新しい俳句歳時記は、従来の季語に「無季」を加えた「俳句キーワード」を一本に体系化出来るだけでなく、従来の俳句歳時記に生じている大抵の問題が解決できる。

「季節感」の軸を第一義としないことにより、季語を無理矢理一つの季節に限定する必要がなくなり、複数の季節にまたがって記載することも当然に可能となるからである。

従来の季節区分と生活実感とのずれの問題は、「時候」季語を中心に既に体系化が出来上がっている従来の区分を規準とした上で、四季を表す「春」、「夏」、「秋」、「冬」などの季語は「春」なら陽暦三月から五月までなどとする生活実感としての区分を併記する。そして、暦の上の春と生活実感としての春を、その時その人の気分で自在に詠めば良い。

如上の目標のために、ひとつひとつの季語を洗いなおす作業がすなわち「新歳時記通信」の各論なのである。改めてその情熱に敬意を表しておきたい。しかし一方、〈暦の上の春と生活実感としての春を、その時その人の気分で自在に〉詠むなどということは、前田が夢見る新たなる歳時記の出現を待つまでもなく、実作の現場では昔から行なわれているのではないだろうか(先ほどの虚子の「うり西瓜」の句もまさにそのようにして詠まれたものだ)。前田は歳時記の実体との齟齬や空洞化がよほど我慢ならないようだが、歳時記秩序は、いわば最初からそうした不合理をも内包したシステムなのだし、少なくとも評者はそのことに格別の痛痒を感じてはいない。

つまり評者には、前田にあるような合理性・整合性を希求するメンタリティがほとんどまったく欠けているのであろう。個々の単語から統辞法、さらに表現の様式、歳時記、日々に生起する現象のレベルにいたるまで、言葉というのは要するにすべて他人のものである。言葉のシステムというのは、まず受け入れなければ始まらないところがある。受け入れて正確に運用すること、言い換えれば合理性ではなく正確さを追及すること――評者に興味があるのはそちらの方だ(この場合の正確さとは表現価値の問題であって、文法的な正しさの意味ではない。念のため)。そして正確な運用という観点からすれば、じつのところ前田のやっていることは煩瑣な訓詁学に過ぎず、「物象感」を軸にした歳時記なるものも、およそ実用には適さない博物学的な化け物のような姿を呈する懸念なしとしない。

ところで前田の試みに対して、評者とはまた違う立場で片山由美子が批判している。「新歳時記通信」第三号の後記で、前田が〈二〇〇九年版「角川俳句年鑑」の片山由美子「巻頭提言」にも、ほんの二行ですが拙誌の御紹介を賜りました。〉と記すその巻頭提言「歳時記を考える」である。なるほど、同文中で直接、前田の仕事に言及するのは、

また、「新歳時記通信」(編集発行・前田霧人)のように、歳時記を考察し提言することに徹した冊子まで刊行され始めている。

という〈ほんの二行〉に相違なく、前田の不満げな口ぶりもわからなくはない。しかし、一般化した形で語っているとはいえ、その内容からすれば片山の文章は全体として前田に対する批判と言ってもよいものと評者には見える。実際、

近年、歳時記と実生活が大きくずれているという指摘がある。西瓜が秋の季語であるのはおかしい、というように。暑い夏に食べてこそのものであり、夏に分類すべきであるというので、実際に夏の季語にしてしまった歳時記もある。

といった記述もあるのである。これはおそらく現代俳句協会の歳時記のことを指しているのではあろうが、ことさら西瓜が例に挙がっているのは前田を意識してのことではないのか。

生活実感は、歳時記の季節に優先しない。それを前提としないかぎり、有季俳句は成り立たないのである。

という片山の立ち位置ははっきりしたものだし、ここで片山が述べている意見自体は正しいと思う。ただ、片山のように有季俳句に忠義立てする気持ちが評者にはないというだけのことだ。しかし、一方で前田のいう〈「無季有季俳句融合の理想境」〉なるヴィジョンにも、あまり魅力を感じられないのは何ゆえか。評者が思うに、無季有季の並存や融合は中長期的には事実として進行の度を深めてゆくであろう。なにしろすでに、俳壇を二分する協会のひとつが無季を立項した歳時記を作っているのである。しかし、それは基本的には心性面での有季の溶解という形でなし崩し的に進行する事態であって、前田が思い描くような合理的・積極的なヴィジョンの展開の形をとることになるかは疑問だ。そして、有季を支える心性が溶け去ったあとに残った俳句の荒廃は、いかなる意味でも「理想境」からは遠いものになるに違いない。実作者としての評者が興味を抱いているのは、この心性レベルの転位の方である。有季墨守の片山も、無季推進の前田も、歳時記という制度の延命に加担しようとする熱意において、意外に似た者同士なのかもしれない。

*「新歳時記通信」は、全文をウェブ上で読むことができます。
  http://kirihito.holy.jp/saiji/
* 前田霧人『鳳作の季節』及び「新歳時記通信」創刊号~第三号は、
  著者より贈呈を受けました。記して感謝します。

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書物の影 第五回

書物の影―第五回

                       ・・・堀本吟

はじめに 年の初めのためしとて
お正月は(それからも)、野暮用につぶれてすぐには調子が戻らなくなった。風邪症状がまたもや。

突然変異でもない限り、人間のアタマって、そうそう独創的にはなれないものだ。でも。筑紫磐井(氏)は毎週進化しているそうだから、いまごろ銀河鉄道の何処かに星雲を走っているだろうが、何周目かおくれたコースの先頭を切っている私の関わった年頭イベントは主に以下の通り。

①1月07日締め切り 【《伊丹公子論》――「青群」11号掲載予定】
②1月10日神戸文学館、パネルディスカッション【震災と神戸と文学と】
③1月18日詩誌「めらんじゅ」読書会【テキスト『安井浩司選句集』邑書林】
④1月20日詩誌「びーぐる」2号(澪標発行)――俳句時評を連載。

① について調べていたら、伊丹公子の分かち書きの動機の説明が、磐井の評論詩の説明に、似通っているので、後日参照することもあるはず、書きとどめておく。

筑紫磐井《評論詩切れについて2・又は序詩》(作品番号10) 10項目

目次の引用
1.私が評論詩を書く理由
2.『老子』について
4.評論詩と切れ
5.無粋な解釈詩学、粋な定型詩学
6.切れの定型詩学的分析
7.句読法の歴史
8.歌人の切れ
9.川柳・俳句の切字論争
10.芭蕉・蕪村・子規と現代俳人 
 (以上本文)

このうち、1、3、4.7,などが彼の理論的な根拠になろうか。

《3.ウエッブの文体》のところの本文をさらに抜粋一部引用すれば

ウエッブに向いているのは改行の技術である。
そして、恣意的な(主観的な)。
言い換えれば、機械的ではないという意味)改行が行われれば
そこに改行の精神が生まれる。
(私によればそれが)つまり「詩」である。
これが評論詩を書く理由である。
そこには散文で評論を書くのとは自ずと違った精神が生まれている。
                         
というくだりがある。

かたや。先日、「青群」十一号に寄稿の《伊丹公子の詩と俳句》へお原稿を書く際に、公子の講演録を読んでいたら、それに似た面白いことをいっている。私の原稿に使った部分を、ここに転載しておく。

伊丹公子の「分かち書き」の弁

本文引用

「分かち書きとは表記の問題なんです。」「例えば、昔文字を知らなかった時、人々はすべて口承だったじゃありませんか。だから、すべてのものはそれ以前にありなんですね。その内容を書き写すときに分かち書きにするか、横書きにするか、三行書きにするか、斜め書きにするか、それは自由だとおもいます。
(堀本註・公子はさらに自作の詩から改行部分を引いて)。
 
「あとは
生粋の
風の原」
というように、ここで切りたいから切っているんです。ここで、一呼吸置いて、自分の内的なものをととのえているんです。俳句の分かち書きと結びついてきます。」「自分の言いたい言葉を自由に切り、そして自由に述べる、どういう風な表現にしてゆくかというのは、自分に忠実にありたいためなんです」
 伊丹公子《詩と俳句—第二十回現代俳句講座》(平成十二年七月二十九日講演。これは、「現代俳句」二〇〇一年一月号に所収され、エッセイ集『詩人の家』(二〇〇一年・沖積舎)に収録されている。

以上そのままひっぱってきた。分かち書きの最初とか、伊丹三樹彦の発言を調べてみたのではないが、ここで重要なことは、自分の詩の改行のしかたと自分の俳句の分かち書き(一字あけ、と言う表記)は、要するにおなじ動機だといっている。

「ここで、一呼吸置いて、自分の内的なものをととのえているんです。」(伊丹公子。前掲文)

という。このいいかたは、私、ひじょうに気に入っている。作家の思考のリズムは息づかいにあらわれる、というこの考え方が、俳句の表記に分かち書きを取り入れた理由の一つである。

俳人はこの分かち書きには馴染まないが、私には理解できる。一行棒書きにも不便なところがあることは、考えておいた方がいい。
私の場合も(一行でとおしているのはそれが気持ちは良いから、好みの問題である。)、じつはここで一文字あけておきたい、というときがあるのだ。ちょっとしたきっかけで、ここをもう少し実験的にやってみようと思った人がはじめて、それに同意する人がふえてひろまった、ということもある。制度の始まりは、あんがい単純なきっけかだが定着するにはそれなりの現実的な根拠があるものだ。実験精神は、最初はそういう思いつきではじまれば良いのである。今までの書き方が不便だからとか、こうやったらもっと変化がでるだろう、とか、いろんな模索がなされるほうがいい。だめならばやめる、そう言うのが実験精神というもので、傍目にはいくぶん安易に見えることもあるか知れぬが、こういうこだわりは個人としてはあんがい創作の飛躍をもたらす。

高柳重信が、多行俳句を遂に方法化してしまった。その影響も大なるものだが、最後に「山川蝉夫」をなのって、一行表記のスタイルに戻った。一行の意識と多行の意識はいつも行き来している。

改行の発見とその方法化は現代俳句の立派な遺産である。そのことで「切れ」空間がひろがり、定型詩の内部のこの場の動きのダイナミズム、表現の可能性をぐっとひろげているかだらだ。

改行したその場所は、表記という二次元の世界へ三次元いや四次元五次元の意識世界がうつりかえられるときの、その奥行きの入口なのである。だから「分かち書き」や「多行俳句」には、私は前から興味があった。

伊丹三樹彦の(妻であることはともかくとして)俳句上の一の弟子である伊丹公子は、「分かち書き」をごくナチュラルにうけいれたひとりだろう。むしろこころの動きの自由、という点では、詩的感受性は師を(夫を)しのいでいるのかも知れない。(いまは、ステージが「青群」に変わってはいるが、かつて「青玄」には、中永公子、松本恭子など、感受性にめぐまれた言葉の巫女のような女性が異彩を放っていた。)

彼女は、イメージがまだ直感的で恣意的な瞬間に位置する時のすがたを、表記の場面に素早く取り入れるその「呼吸」、これが大事だといっているのだ。

「物のみえたるひかり、いまだ心に消えざる中にいひとむべし」と言われる。(これだれだっけ?ああ、俳聖松尾芭蕉だ)。例えばそう言うこころの瞬間の場面。

呼吸を切ってまさに伊丹公子の言うように「内的なものをとのえる」作業として、休符のように、一字の空白をおくのである。そこに、「いまだ心に消えざる、物のひかり」が措かれている、この不可視の事態の可視化として、【分かち書き】の思想は、空白(空間)を提示して、だれでもがそこで自由に自分の中に見えたる光を感じとれるようにし向けている。

また。公子はいう。
本文引用
「自分の言いたい言葉を自由に切り、そして自由に述べる、どういう風な表現にしてゆくかというのは、自分に忠実にありたいためなんです」(同、前掲文)

ものに感じて心を動かす、その瞬間をとらえようとする含蓄のある言い方である。いや含蓄というのはあたらない。「含蓄」などという余裕の時間を蹴飛ばして、その瞬間の自分のこころにしたがって自由にやってみる。・・そんなん、私の勝手やないの、と言っているのである。内的な必然性は、このように外側から観じれば時に恣意的に見えるかもしれない。一つの言葉の時空が転換するときにうまれる、あたらしいスタイルについて、筑紫磐井と伊丹公子は、内側と外側から観ているのである。そしてどちらも「恣意」というこころのあり方を言いとめている。伊丹公子は、「切りたいから切る」と言う言い方をしている。
要は内容が巧く伝わればいいので、分かち書きでも、一行でも、詩でも俳句でも、言いたいことがつたわればいいのだ、と、彼女はいいきる。
この、恣意性と言うことは、実は詩に措いては大変重要なことであり、辞書的な語彙が生きてくるのはこの恣意性(主観)が、跳躍したときである。

主観の絶対的優位にたって、俳句を詩的リズムの方向へひきよせているケースである。「青玄」が「俳句現代派」、となのったのは、この、口承性、口語性に足場を持ったからである。

富澤赤黄男の分かち書き

いや、そもそも、旗艦時代にはかの冨澤赤黄男がいたのである。
かれは、

蝶墜ちて大音響の結氷期 『天の狼』(昭十六年・「旗艦」発行所)
が有名であるが、『天の狼』には、はやくも分かち書きがあらわれる。

冬日呆 虎陽炎の虎となる    富澤赤黄男
花粉の日 鳥は乳房をもたざりき   
雲 雲は かの花びらは崩れたり   同
民族の郷愁 鶏を焼くにほひ     
鰯雲 流れ弾きて流れたり      
三日月よ けむりを吐かぬ煙突    同(ルビ・「煙突→けむりだし」

この分かち書きの表記が全面開花するのは、『蛇の笛』(昭二十七・三元社)『黙示』(昭三十六・俳句評論社)においてである。さらに『黙示』では、一字あけ、字足らず、──、もくわわり、俳句形式が改行の定型詩へ、また多行の詩へと転移する寸前の形を示している。表記の変化は、赤黄男の実存への省察も伴ってくる。『黙示』には つぎに掲げる有名な句がある。

草二本だけ生えてゐる 時間   富澤赤黄男
無名の空閒 跳び上る 白い棒    同(ルビ・無名 → アノニム)

一字あけることで生まれる想像空間。そこに顕れる、世界のあり方についての思念。

黒い海圖の くろい機雷の 行方かな 
風の 寫實の 皮を剥がれてた牛の胴 同
三角形の 黒の物体 裏側の雨    同(ルビ・物体→オブジェ)

これらの文節ごとの断絶は、北園克衛の詩の構築法との内的な関連をみせている。
そして、伊丹公子が引いている自作詩の一部分を、次の三種類に置き換えて並べてみる。

あとは
生粋の
風の原
    (伊丹公子の詩作品 部分)


あとは 生粋の 風の原   


あとは生粋の風の原
 (先述の引用詩を、堀本が一行の分かち書きと、棒書きの一行にしてみた)


次に富澤赤黄男

風の 寫實の 皮を剥がれた牛の胴  富澤赤黄男




寫實
の 
皮を剥がれた牛

胴   

とならべる。北園克衛の詩のようではないだろうか?(赤黄男の句を一字あけて場所で堀本が仮に改行)

改行するしない、一字あけるあけない、と言う決定にはやはり作者の意志が入り込んでいるので、面との形のママがのぞましいし、わかりやすい。公子の分かち書きと、改行されている詩行は、その効果はそうかわりはないようにおもわれるものの微妙なところでこの「風の原」は自作の詩のなかで生きている。

赤黄男の場合は突き詰めればむしろ、北園克衛の造形的な語の並べ方に近い効果を持ってくる。富澤赤黄男は表記、或いはイメージの類似というようにいろんな意味で、詩と俳の境界をさまよった俳人=詩人であった。「旗艦」という日野草城をいただいた俳句の場は、モダニズム詩の影響を濃厚にうけて分岐してきたように見える。


北園克衛の詩の引用。とりあえず手近に抄出されている雑誌からの引用。

● 本文のママ

その絶望



把手


のある

の腕 
   (北園克衛 《夜の要素》部分)

北園の詩は、一行一行がオブジェ、改行の瞬間にある種のポエジーのスパークが生じているところを味わってほしい、赤黄男の句もそのスパークをねらっている。表記の改行の場面で、読者にゆだねられたメッセージを感じられないだろうか?

その詩が俳句であり、その俳句が詩であることの区別は、表徴としてはしだいに境界線が崩れてきている。ほんとうに自由詩であり、ほんとうに定型俳句である根拠は、なんだろうか?

詩の自己陳述 としての改行

筑紫磐井はこのウェブの自作評論にこういっている。

本文引用

「現在隣のコーナーで堀本吟氏が何を論じているかは分からないが、
この論はその一歩先を行っていると思う。
なぜなら、堀本氏が論じているのは、

詩で俳句を論ずることはローカルである。
俳句を論ずる際に「切れ」を論ずることは(俳人が見ても)
更にローカルである。
ローカルの中のローカル、
そこに自ずと俳句の精神が生まれる。
   *    *
「評論詩」を書くことが俳句的なのである、
評論詩で「切れ」を取り上げることが俳句的なのである。」(筑紫磐井)、

という私の旧思想であるが、
いまや私も1週間ごとに進歩していると思っている。」
「最近では、結社誌と同人雑誌について書くことが俳句的であり、
評論詩でこれらを取り上げることも俳句的であると思っている。
俳句は文学から見てコントロコレンテ(反流)であり、
結社誌を常態とする俳句において
同人雑誌は一層コントロコレンテである。」
            (参照・筑紫磐井――作品番号17,18)

この通りで、この論法に則るかぎり、内容に関して、私が付け加えることはなにもない、反論もない。私は筑紫磐井というローカルな批評家にこだわるとともに、別のローカルな問題にもこだわっている。想像力は、最初はつねにローカルな次元から立ち上る。ただし、ローカルな次元はそのまま連続して行けば、何時までもローカルでありとじられてしまう。ある場所で(どこでどう)次元移動(改行)するかはたまたしないか・・。問題はここですよ、磐井さん。

こういうところで、なにを書き残すか、俳句というローカルな表現をグローバルな(?)パラダイムのひとつの環として押し出せるかどうか・・これは、ひとつの思考実験である。「豈」の場所はここにしかない。

彼は自分の位置を改行しているのである。詩の行間には、言葉のかわりに無限の想像力がつめこまれている、恣意性や主観の入りうる空無の場がある。筑紫磐井がこのような「評論」文体をかんがえついたこと、私にはそこが面白い。そして、このようなスタイルでの俳句的なる言説のテーマの模索は、それを「進化」というならば、磐井的な進化は私の思考の展開の中でも起こりうる。

機能的で事務的にことを処理するかに見える筑紫磐井は。かといって心太方式で順序よくテーマをおっているわけでもない。それをおっかけるのであるから、テーマごとに新しい場所にあちこちつれてゆかれるのは、私としても覚悟のうえだ。
また、私自身の頭脳も、〈野蛇みな縦横の絲でできてをる〉(安井浩司『汝と我』)みたいなところもあり、一言隻句に刺激されて、並行して或いは縦横にうごいている別の話題に絡んだりすることもあるので、系統樹から順序よく思考の枝分かれを経験する、そういった傍目に整理しやすい論争になるわけでもない。そういうからみのなかでの、俳句的散文(評論)、俳句的詩文の展開ができるというところが、今の筑紫磐井への関心なのだ。(関心の一つだった、と言うべきかも知れない。彼の脳は一週間ごとに進化しているそうだから。)

《書物の影・第一章》は、筑紫磐井との対論の章、とする

さて、それゆえに、この読書ノートは、隣の頁でどんどん書き込まれている筑紫磐井の「切れ論」とか「評論詩」とかの提案を受け止める形で(刺激される形で)、自分の文体を考え直すよすがとして、若い時代から抱いてきたテーマ再開を決めた。だから、私がキャッチした、筑紫磐井の言説や俳句にかかわることをおもにここあつめることにする。筑紫磐井流のコントロコレンテの作り方があるからその具体的な例も。

ついでながら、紙媒体(「俳句空間—豈」)とネット媒体(「俳句空間—豈—weekly」のふたつに進出しはじめた、「豈」の行動半径の広がりについて。

「一将功なって万骨枯る」という同人誌の限界をなんとかのりきろうとする、豈現在時の「俳句運動」の「健闘」に、注目してほしい。かりに直接の発言はかなわずとも、あらゆる結社や同人誌の心あるエディターは、とくに筑紫磐井という「書物」それがひきずる「影」をみつめるだろう。

編集人筑紫磐井が、フォーマットを出来るだけ公正につくり、豈の同人が何を書きたがっているのか、というデータ(アンケート資料)をもとに一冊に編集してゆくとき、豈同人の個人の創作幻想が次第に共同的な実体になってゆくその過程に彼の編集センスや抜群の機動性が加わっているのだ。
戦後の同人誌組織が軒並みに結社化していったのだが、結社誌がひろくメディアとしてジャーナルとして機能できないという連帯のあり方は、関西俳壇でも天狼、花曜、草苑、青玄・・みなそうである。
けっきょくそのグループでは突出している作家に頼りまなぶ私塾的教育機関になりかわっていった、それなりの効果はあったが、師弟の関係に象徴されるような個人崇拝が、雑誌編集にそのまま反映してきたのが、現代俳句の俳人の組織論なのだ。

まとめ
筑紫磐井の思考のポイント「改行の恣意性」《改行によって誌の意識が生まれる》
「自分の言いたい言葉を自由に切り、そして自由に述べる、どういう風な表現にしてゆくかというのは、自分に忠実にありたいためなんです」(伊丹公子)
恣意的な(主観的な。言い換えれば、機械的ではないという意味)改行が行われればそこに改行の精神が生まれる。/そこには散文で評論を書くのとは自ずと違った精神が生まれている。
                       筑紫磐井(作品10)

「自由」(伊丹)と「恣意的」(筑紫)は、このばあい同じ意味で使われている。ただし、伊丹公子は、自由になったときに俳句詩型がどうわるのであるか?ということは、いっていない。が、御両所共々、表現したい内容の伝達には、改行の有無は絶対的な与件ではない、と言うことが言われているので、これはたいへん、わかりやすい。むしろこれからの詩歌の理解には有効なデモクラティックな表現の理論と言える。【書物の影:第二章】は別の主題を掲げるつもり。      である。(この稿了)


0-はじめに
第一回【まとめ】 書物の死をめざして自己書物化をはかる            
1章—自己書物化への陳述(個人的思考としての思索)

第二回【まとめ】 自己書物化の一例 「筑紫磐井という書物」          
【筑紫磐井のウェブ評論の目次の作り方。 磐井的「切れ」の説明、要旨】

第三回【まとめ】言葉全体の動きをみきわめる批評軸の一例・改行による数千行のアフォリズム

第四回【まとめ】「評論詩」の概念について。
磐井詩学では、改行の恣意性によって無限に「詩」行がうまれる。かつどこでなぜ改行するか、というところに。「切れ」の論理が適用される。三段論法めくが「改行」→「切れ」→「発語者の思考や呼吸のと切れ」というかたちで、形式に生理的な恣意性が入り込んでくる。
改行したくなる磐井的機能主義の不思議な熱っぽい「恣意性」へ着目。

第五回【まとめ】詩の自己陳述としての改行。第一章は筑紫磐井の言説にかかわることをあつめる。
要点1 伊丹公子の分かち書きの説明が、磐井の「ウェブの文体が改行を必然化する、という理屈の展開に似ていること。更に、分かち書きの源流としての、冨澤赤黄男の作品例 → 北園克衛への遡及。(参照、詩誌「びーぐる2号」特集)

要点2 磐井の論調に刺激されて考えたこと、戦後俳句の組織論を代表している結社と同人誌、という連帯の箱作りは、いまや失効している。現在、なぜ編集という概念が必要なのか?


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2009年1月25日日曜日

第24号





第24号

2009年1月25日発行

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『安井浩司選句集』および「蛇結茨抄」(「豈」47号所収)を読む

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          ・・・中村安伸   →読む

 

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あとがき(第24号)

あとがき(第24号)


■高山れおな

岸本尚毅さんの『俳句の力学』は、作者と読者の間のインターフェイスの問題を投資信託のポートフォリオ作りになぞらえたりして、ある意味、抱腹絶倒な部分も少なくない愉快な本なのですが、拙稿はなんだか意味も無く晦渋な文章になってしまい忸怩たるものがあります。岸本さんの本、ともかくご一読をおすすめします。

A子さん、B子さんの合評対談は四回にして完結しました。お二人のチャット対談は、延べ二十四、五時間を要した模様。お疲れ様です。これまで豈本誌は、同人数に比べ、同人作品評のスペースは狭小で、内部の相互批評が充分でなかったのですが、分量無制限のブログによってその点はクリアできました。ただし、負担も重いので、本誌次号が出たらまた好事の同人が手を挙げてくれることを希望します。



■中村安伸

今回、山口優夢氏による安井浩司鑑賞の寄稿をいただきました。俳句、特に安井浩司の俳句は、読まれることによってどんどん豊かなものとなってゆくと感じています。山口氏の鑑賞によって私も安井俳句の新たな面を見ることが出来ました。


「―俳句空間―豈」47号の俳句作品を読む(5) 鼓膜のごとき―同人作品掲載順6,7・・・中村安伸

「―俳句空間―豈」47号の俳句作品を読む(5)
鼓膜のごとき―
同人作品掲載順7、8

                       ・・・中村安伸

■大本義幸「冬至物語外伝8」

昨年出版された第一句集『硝子器に春の影みち』によって、大本義幸の作品の多くに触れることが可能となった。この句集に関しては、Web上にも多くの人が評や感想を書いていて、それぞれに興味深いものである。

さて「―俳句空間―豈」47号に掲載された作品は十九句であるが、句集にて発表済みのものも含まれている。そして、前半の九句のうち六句に「耳」「鼓膜」という聴覚に関する語が使われていることが、この作品群を特徴づけている。

大本は咽頭癌のために声を発することが出来なくなってしまっているとのことである。「ウラハイ」に掲載された野口裕の記事には、以下のように記されている。「大本さんとはじめて顔を合わせたときには、すでに彼は声を失っていた。筆談を通して行う彼の物言いは、断定に近い響きを持っている。」

声を発する機能を失った彼にとって、声に対する関心は高いものとならざるを得ないだろう。そして、コミュニケーションにおいて声と対になる「聴覚」への思いもまた高まるであろうことは想像に難くない。

もちろん、このように作者の境涯を句の読みの前提とすることには注意が必要である。

作者と作品を完全に切り離すことは出来ないし、ことさら作者の影を消し去ろうとすることは、魅力的な解釈へ回路を閉ざすことになりかねない。一方で境涯にこだわりすぎることもまた、作品そのものが本来持っている多様な解釈可能性を制限することになるだろう。俳句作品の解釈めいたものを発表することについては、常に複雑な思いがつきまとう。作品の多様な可能性を切り開いているつもりが、逆に、読者にとっても、あるいは自分自身にとっても、知らず知らずその他の可能性を隠す結果になってしまっているのではないかと懸念するのである。

さて、大本の俳句作品に戻るが、前述の六句において、聴覚をめぐるふたつの語、すなわち「耳」と「鼓膜」が使われているのだが、これらはそれぞれ異なる意識を反映している。

「耳なし芳一」を持ち出すまでもなく「耳」には、身体の外側に突出した部分と、内部で音を感じる器官としての部分がある。

前者は(後者もだが)持ち主本人からは見えず、一方で彼に語りかけようとする他者からはよく見えるものである。

〈美しき耳もつ人や初蛍〉という句の「耳」は、もとより外部器官としての「耳」であり。自らの美に気づかない人への愛しさという感情を思わせる。とりあわせられた「初蛍」は、その淡やかな思いを形象していると受け取ってもよいだろう。

同じく外部器官としての「耳」だが〈降りしきる星々の夜に耳漱ぐ〉における「耳」は、作中主体自身のものである。ここでは逆に自らの一部でありながら、どことなく得体の知れぬ異物のように感じられる「耳」を描いている。

そして〈耳にのこりし雷鳴の清しこと〉という句は内部器官としての「耳」と、それに接続された記憶を描いている。この句の清らかさは、彼の境涯へと思いを至らせることによって、より高い純度をもって感受される。蛇足だが「清しこと」は「清きこと」とするのが正しいだろう。

一方、解剖学的にはより微細な器官を指し示す「鼓膜」の語の使われ方に関しては、聴覚への関心と同時に、薄くてこわれやすい物への愛着を感じさせる。これは大本氏の俳句の根幹をなすモチーフである「ガラス」「薄氷」に通じるものと言ってよいだろう。大本氏の句集における「ガラス」「薄氷」については「ウラハイ」に掲載された羽田野令の記事において、以下のように言及されている。「硝子も薄氷も透明で割れやすいものであるが、薄氷は硝子よりも一層あやうげである。それは青年の孤独な傷つきやすい心にも似る。そして、光を通す美しさ、透明ゆえの清らかさは憧れの対象ともなり得るだろう。」

さて「鼓膜」が使用されているのは以下の二句である。

少年や鼓膜のごとき霧の村
海ありて鼓膜のごとき過疎の村


二句とも「鼓膜」は「村」に対応する直喩として使われている。薄くてこわれやすく、それゆえに愛すべきもの、また一方で、そのナイーブさゆえに守るべき、隠すべき弱点であるもの、そのようなものとして、おそらくは故郷である「村」への思いを描いたものだろう。前者は過去の、後者は現在の村を描いているのかもしれない。どちらにも同じ喩を使うということの不器用さ、それゆえの強さを思う。


■岡村知昭「原人へ」

岡村は同号に掲載された「特集・青年の主張」に「「実験」の必要」というタイトルで寄稿し、その中で「実験」へのあくなき意欲を述べている。そして「原人へ」と題された二十句についても、実験作とは銘打っていないものの、そこには実験的な姿勢を垣間見ることができるのである。

しかし「実験」とはどのようなことを示すものか、判然としない部分があることも事実である。理論を実証するための実験、製作したモノの機能や安全性を測定するための実験など、さまざまなものがあるだろうが、概して言うと実験とは、机上あるいは脳内においてはクリアーでなかった点を明らかにするために行われる実証作業であり、その結果を評価する段階までを含むもののはずである。

岡村の作品が実験的であると感じるのは、こうした評価、確認作業済みの完成品からはほど遠い、おそらくは作者本人もその効果についての手ごたえを、確かには把握していないと思われる作品が多いからである。つまり、本来の意味での実験の過程にあるものを公にしているというわけである。

俳句作品をひとつのプロダクトとして考えるなら、その機能、安全性がしっかりと確認されたものをこそ発表するべきであり、実験は自らの工房内で行われるべきという考え方も成り立つだろう。

しかし俳句作品、ことに同人誌という場に発表されるものについてこのような考えは適切かどうか。

もちろん自選能力は大切だが、時には作者自身にとっても「よくわからないが気になる」作品について、思い切って読者の評価を仰いでみることも必要だろう。同人誌とは基本的にはその嗜好や思想等に共通項を持った人々の集まりのはずであり、一種の共同組合のような場でもあるはずだ。同人たちに実験の立会い、あるいは評価の手助けをしてもらうことに不都合は無いはずである。

もちろん、こうした場が機能するためには同人相互の作品批評が必要となるが、それが十分に機能している同人誌は少数派であると言わざるを得ないだろう。主宰が責任をもって――たとえ偏向していたとしても――評価を下してくれる結社のほうが、実験の場にはより適していると言えるかもしれない。

話はそれるが「主宰」という評価機関をもたない同人誌においては、同人自らが相互評価機関とならなくてはならないはずであるが、すくなくとも「豈」においてはこうしたシステムは十分には働いていないと思う。今週完結した匿名批評や、この連載が、そうしたシステムを稼動させるための呼び水となれば良いと思っている。

さて、岡村の二十句には、うまく説明できないが、なんともいえず気になるという作品が散見される。作者もまた、この「気になる」感覚を頼りに、これらの作品を纏め上げ、発表したのではないだろうか。

なかには、あまりにも理が勝っている作品、とりあわせが収拾つかないほどに離れすぎている作品など、失敗と判断せざるを得ないものも少なくない。一方で以下のような作品には魅力を感じる。

ヒヤシンス大陸棚にママはいる
つるばらの稔や蕁麻疹の姉
鈴へ降る麟粉ささくれて日暮


一句めの確信に満ちた言い切りは魅力的である。母ではなく、幼児期に自分と一体であったはずの「ママ」。なくなってしまった自分自身の一部を思うような痛みとなつかしさが込められているように感じる。

二句めの「姉」の肌にあらわれる「蕁麻疹」の、ばらの花のような美しさとグロテスクさ。「つるばら」は近親相姦のタブーを乗り越えそうになる自らを縛り付けるためのものか、それとも花のような斑をあらわす肌に棘を食い込ませたいという嗜虐的な欲求のあらわれだろうか。

三句めの視覚的効果の巧みさ。「鈴」「麟粉」「日暮」とそれぞれに質感、スケールを異にする、それでいて黄金色という色彩の共通点のある物体を配合し、暮れてゆく日の光が、変化しつつ「ささくれ」る瞬間をとらえたのだろう。

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ある肉体
『安井浩司選句集』および「蛇結茨抄」(「豈」47号所収)を読む

                       ・・・山口優夢



この前、豈ウィークリーに「豈47号を読む 特集「安井浩司の13冊の句集」編」を書かせていただいた。その折に、安井浩司の句について書かれた評者の方々の文章についてさまざまに批判を加えたにも関わらず、じゃあ、自分は安井浩司の句をどのように読んでいるのか、という方法論については(少々触れたものの)ほとんど書かずにいてしまった。このため、あとである俳人から「あの文章に対しては、書かれた評者もみな反応しにくいのではないか」という批判をいただいた。

確かにそれももっともな話で、さんざっぱら人のことをとやかく言っておいて自分は何もないのか、というのも少々気にかかるところではあった。さらに、あの原稿を書く際に参照した「安井浩司選句集」および「蛇結茨抄」を読んだ所感もまとめておきたいとの考えから、再度、この場をお借りして安井浩司の俳句について文章を書かせていただきたいと思う。

また、本文に入る前に、僕が安井浩司の句を読んだ感想が「9割方は全然面白さが分からない」というものであることは、一言言っておきたい。たとえば、選句集からランダムに抜いてみるが、

命としてふるさとに立つスルメの姿 『霊果』
木耳に落胆の旅人は帰りなさい 『霊果』
人来ればわざと野面の皺の水 『句篇』

などの句は、それぞれの単語が有機的なつながりを持って僕の心に迫ってこない。こちらに飛びつこうとする単語単語がみなばらばらなままで、ぐしゃっと僕の前に落ちてしまう感じがする。僕には読み取れない面白さが恐らくはかなり多く埋蔵されているものと推察する。

その上で、僕が面白いと感じた一割弱の句についてのみ、書き記すことにする。僕が以下に書く彼の句の印象は、彼の句集全体の印象というよりも、僕がその中で面白いと思えたものを対象にして書いたものであるため、安井浩司全体から見るとかなり偏ったものである可能性もあることは一言申し添えておきたい。

それでも、少なくとも、安井浩司のある一端には触れ得たのではないかという確信は持っているのだが。



野の蛇の交差するとき上下すや 『四大にあらず』

蛇にも衣擦れと言えるような音がするだろうか。

二匹の蛇が交差するとき、おのおののうろこがするすると擦れていく、そのかすかな音を彼は聞きとめていただろうか。蛇と蛇が交差してゆくその肌触りを、感じられるはずのない皮膚感覚を、彼はほとんど自分のものとして感じているのではないか。そうでもなければ、「上下すや」という一語は出てくるものではない。

もちろん、交差する、ということは、どちらかが上になり、もう一方が下になる、ということであるのは当然である。しかし、そのような理屈でこの「上下」という言葉の必然性を問うことにはほとんど何の意味もない。この句に表出された皮膚感覚、質感が、うんざりするくらいリアルに感じられる原因は、本質的には、句中におけるその視点の迫り方にあり、「上下すや」という下五が決定的にそれを後押ししているのだから。

まず、「野の蛇の」という上五によって、読者の頭の中には、潜在的に「野」の情景を俯瞰するという視点が用意される。単に「蛇」ではなく「野の蛇」と書かれているのは、蛇がおなかに感じているであろう土のひんやりとした触感を出すためでもあるだろうが、「野」という平面的で俯瞰しやすい大きな場を提示してみせることができるからでもあろう。

「交差するとき」という中七。ここで、「交差」という状況から、上五で書かれた「野の蛇」が一匹ではなく(少なくとも)二匹存在することが分かる。ここではまだ、読者の頭の中に描かれた情景は俯瞰のままだ。上から見ることで、二匹の蛇が十字をなしてするすると動いていることが分かる。二匹しかいない、と書かれてはいないから、何十匹もの蛇が野いっぱいに蠢いているのだと読んでもいい。実際、蛇同士が「交差」するのは、何十匹もの蛇が高密度である領域を占めていると思わなければ、考えにくいシチュエーションではある。ただ、僕のイメージでは、広大な野の中でただ二匹しか存在しない蛇同士がするすると交差しているのだと考えたい。「野」という大きな場の中で、小さな生き物同士が偶々交差する、その偶然性をこそ、尊びたいのだ。

そして、下五の「上下すや」で視点はぐっと蛇に迫ってくる。俯瞰、という視点は大きく物事を切り取っていると同時に事物そのものからは遠い。「野」という語から引き出された俯瞰の視点によって、蛇の「交差」はやや遠くから見た二次元的な景色として捉えられていたが、それに対して「上下」は、明らかに立体的な空間把握だ。蛇の体が彼の視野いっぱいを満たすものとして感じられるほど、彼の視点は低くなっている。この中七までと下五との間にある視点の断絶はほとんど劇的と言ってもいいほどだ。この視点まで下りてくることで初めて、蛇同士がスマートに重なることができず、不恰好に交差部分だけ盛り上がってしまうという事実、肉体同士が確固たるものとして存在してしまっているという避けがたい事実を嘆くことになる。偶然は喜劇であり、必然は悲劇だ。この句において「交差」という事態は喜劇であり、「上下」という状態は悲劇なのである。

「上下」という把握からは、上になった蛇がおなかの辺りに感じるかもしれない息苦しさや、下になった蛇が感じるかもしれない上からの圧迫感も伝わってくる。否応もなく自分の体が存在してしまうという認識はどれほど淋しくまた悲しいものであろう。それは、存在することへの逃れがたい悲しみだ。



彼の句でもっとも注目すべきは、ある肉体がどうしようもなく存在しているということのあわれではないだろうか。

喰いかけの蟹の裏面林に落ち 『青年経』
日の高み胸掻きむしりいなご食う 『乾坤』
花かりん眼球もまた断食し 『汝と我』
伊勢蝦の胸さぐらんや天の川 『四大にあらず』

摂食は、全ての生物の基本である。肉体の存在のためにはそれを形作るもととなる食料が絶対不可欠だ。これらの句に描かれた摂食行動は、自分の肉体が存在するためやむにやまれず行なわれているという認識が強く、その裏打ちがあってこそ、取り澄ましたディナーやランチとはほど遠い、原始のままの摂食の生々しさが浮き彫りになる。

「喰いかけの蟹の裏面」という言葉から立ち上る気色悪さは、そのまま、食べるという行動が本来的に抱えている、自己本位的な強奪が生きものの間で交わされることの生々しさに通じている。それを思うからこそ、「いなご食う」のに冷や汗流し、「胸掻きむしり」しなければならないのだし、逆に体中の器官に断食を命じることで「花かりん」の美しさに達するという幻想を見もするのだ。「伊勢蝦の胸」をさぐるという動作の気味悪さ。さぐられた胸はそのままバリバリと切り裂かれ、硬い歯で白い肉は噛み潰される。それぞれの句において「林に落ち」「日の高み」「天の川」という状況設定が、それぞれ句の中の摂食行動を世界の一諸相として定着させるのに一役買っている。

睡蓮やふと日月は食しあう 『氾人』

だからこそ、このような戦慄すべき幻想を見てしまう。日食、月食という言葉はあるが、それらは古来不吉なものと言われてきた。「日月は食しあう」ことの不気味よりも、そのことに「ふと」気付いてしまったときの彼の戦きを思ってしまう。

そしてもちろん、入ってくるものがあれば出てゆくものもある。

麦秋の厠ひらけばみなおみな 『密母集』
旅人に乾ききつたる野の厠 『霊果』
盲女来て野中の厠で瞠かん 『霊果』 ⇒「瞠」に「みひら」とルビ
春日われ尿の高さに敗れたり 『句篇』
老農ひとり男糞女糞を混ぜる春 『句篇』

普通、食べるという行為よりも排泄行為の方が気持ち悪いものであるはずなのに、これらの句には、むしろ摂食行動に比べて不思議とあっけらかんとした明るさが感じられる。摂食が食うものと食われるものとの主従的な関係性の中に閉じていたのに対して、排泄は排泄する者たち同士の横並びのコミュニケーションがほのかに示されている。

それが一番明らかなのは「春日」の句。男同士で並んで立ち小便でもしているのだろうか。上に向けて放った尿の高さを争い、そして負けてしまったという句意からは、摂食の際に感じたようなおののきはどこにも感じられない。実に馬鹿馬鹿しく情けなく、それゆえに楽しく笑い合える、豊かなコミュニケーションが成立している。「男糞」と「女糞」を混ぜ合わせるという発想、ここでは、肉体同士ではうまく交じり合えなかった物同士が、排泄されたもの同士だといとも簡単に混ざり合い、混沌を生み出している。これをコミュニケーションと名づけるべきだろうか?少なくとも、世界に向けて開かれていることは確かなようだ。

また、厠という場が世界へ開かれているということも彼の句においては真のようである。盲女が厠で目を開くという奇跡体験、なおかつ「ひらく」という動詞は「厠ひらけばみなおみな」の「ひらく」に通ずる。麦秋のきらきらした光の中のおおらかな排泄行為たち。また、「旅人」の句では、「乾ききつたる野の厠」と言うことで、逆に乾いていない厠が想起させられる。乾いていない厠を用いるのがそこで生活する人々であり、旅人は、人が滅多に来ない厠で用を足すため、そこは乾ききっている。そこに旅人の寂しさを見出すということから、厠に込められたコミュニティ性が裏返しに読み取れる。

厠から天地創造ひくく見ゆ 『句篇』

あるいは、こういう句を読むと、厠のコミュニティ性は本来的に具わっているものではなく、志向されているもののようにも思える。厠には一人づつ入るわけで、そもそもは一人一人隔離された状態に置かれるのだが、排泄行為によってその一人の空間から世界へ開こうという意思が働くのだ。天地創造を厠から見てしまうという絶対的な淋しさは、人々へつながってゆこうとせざるを得ない淋しさなのかもしれない。

彼の句における摂食と排泄の違いを見てきたが、実は次のような句も存在する。

あゝそれは一食の糞夏の土堤 『四大にあらず』 ⇒「一食」に「いちじき」とルビ

夏、土手などで人糞か犬の糞か、とにかくそのようなものを見かけることはたまにあるものだが、その量を「一食」と捉えたのは彼以外になかったのではないか。排泄は摂食につながり、無限のループの中で生き物は生き続ける。摂食は自分に閉じて行く行為だから暗く切なく、排泄は世界に開いてゆく行為だから明るく楽しい。しかも、それらは別々に存在するわけではなく、我々の体をなす表裏一体の現象なのだ。その逃げられない現実を「一食の糞」という言葉で捉えたとき、彼の中から自然と「あゝ」という嘆息が洩れたのであろう。そこに降り注ぐ夏の光と湿気を帯びた空気は、生きていくことに関する何もかもをさらけ出してしまっているかのようだ。

こういう句では「糞」を気取って「まり」などと読まずに、ストレートに「くそ」と読みたい。



ある肉体が存在するとき、それを生み出した何者かが必ず存在し、そして、その肉体も必ず何かを生み出そうとする意思を持って存在している。しかし、彼の句においては、実に奇妙な生まれを持つ存在が多く描かれる。

夏の海ふとヴァイオリンの妊娠へ 『密母集』
大地に涌きし魚は河に棄てられん 『氾人』
野のみみず創るや蛇を細分して 『四大にあらず』
白山蛇は生まれずにただ分離して 「蛇結茨抄」 ⇒「蛇」に「かがち」とルビ

大昔に、アダムは土人形として神に作られたという話を思い出させる。まるで泥をこねるように生み出されるみみずや蛇、おまけに水の中にすむ魚は大地から涌いて来たものだという。かと思えば、ヴァイオリンは妊娠し、さて、何を生み出すのか?しかし、あの曲線美は確かに、何かを孕んでいると思わなければ説明がつかないかもしれない!

このような世界では、母性は混乱し、女たちは途方に暮れる。

赤松に釘打てば母泣きにけり 『乾坤』
つわぶきの葉や自らを裂く女 『汝と我』
主を掴むおみなは鳥の力なれ 『汝と我』 ⇒「主」に「しゅ」とルビ
睡蓮に百の身振りをする母や 『汝と我』

「主(しゅ)」とは造物主であろうか。その人の腕を掴むおんなの手に込められた力は決して強くないだろう。しかし、そこには必死ですがり付こうとする懸命さが読み取れる。赤松に釘を打てば泣く母、自らを裂く女、母の見せる百の身振り。これらは、まさに狂乱の態といった句だ。

遠い空き家に灰満つ必死に交む貝 『青年経』
如輪木けむりのごとくに性交す 『阿父学』 ⇒「如輪木」に「じょりんもく」とルビ
つわぶきに照らさる馬上性交や 『風餐』
父母の最中を過ぎてや稲交び 『四大にあらず』 ⇒「稲交」に「いなつる」とルビ
みな人体の最終性交笹のなか 『句篇』
深草風遂に女賊へ乗るゆめや 「蛇結茨抄」

「誕生」に対して、性行為のことをはっきり詠んでいる句を上のようにいくつか挙げてみたが、これらの句にいわゆる「エロティシズム」を読み取ることは難しいように感じる。どの句も、官能美を楽しむには、あまりにも必死すぎるのだ。貝は灰が降り積もる中で一刻も早く性行為を完了させようとしているようだし、「けむりのごとくに」という比喩からは感じている官能そのものの淡さを思わせる。そもそも、「性交」という、輪郭が明瞭で硬い言葉が頻繁に使われているところを見ても、彼にはどうやらセックスを楽しむという観念は欠如しているように見える。「女賊へ乗る」という夢の中の行為も、「深草風」という言葉があるからか、生き急ぎ、切迫しながら早く相手を仕留めようとする息遣いが聞えてきそうだ(それが楽しいのかもしれないが)。

これらの句の切迫した性行為も、自己の肉体の存在に対するよるべない淋しさの現われなのだろう。むしろ、肉体の存在が、それのみに留まらず死のイメージと抱き合わせられるとき、次のようにエロティシズムが発現する余地が生まれる。

恋人とただ菩提寺へ毬つきに 『乾坤』
大鮭を抱き草上にすわる裸女 『乾坤』

菩提寺の象徴する死後の世界、抱かれた鮭に刻々と迫り来る死。しかし、恋人も裸女も、実に悠々と死という事態に臨んでいる。それは第三者的な冷たさに裏付けられたものではなく、死という絶対性さえ包含してしまえる「無意味さの余裕」によるものではないかと僕は考えている。

摂食や性行為には、それが生きてゆくために必要不可欠であるという絶対的な逃れがたさがある。それに対して、排泄や「毬つき」「草上にすわる」という行為には、それら自身は大して意味がないということに救いが見出される(もちろん、排泄しないと生きていけないという意味では排泄行為も必要不可欠なのだが、排泄されたもの自体は人間にとってほぼ無価値だ。飼料にするなどの副次的な意味を除いて)。これらは、純粋な恍惚なのだ。毬をついて空白になる時間、鮭を抱いたまま腕の中の鮭が死んでゆくのをいとおしむ時間、それらの恍惚は、生きてゆくことに縛られる生き物にとっての、最大の贅沢なのである。排泄も、同様の文脈のもとに捉えなおすことができる。だからこそ盲女も目を開くし、「厠ひらけばみなおみな」という実におおらかな幻想が芽生えもするのだ。



犬二匹まひるの夢殿見せあえり 『阿父学』
ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき 『阿父学』
二階より地のひるがおを吹く友や 『阿父学』

生きてゆく上で必要不可欠ではない、つまり「遊び」と思える部分の句には、たとえば上のようなものがある。「まひるの夢殿」とは何なのか、判然としないところはあるが、夢殿という語感や形状から察するに、おそらくはふぐりのことを指すのではないかと想像する。後ろ足で立ち上がりながら二匹の犬が互いのふぐりを見せ合っているという非現実的な状況は、楽天的であっけらかんとした明るさに満ちている。

「ひるすぎの」の句は彼の中でも特に著名な句である。「小屋を壊せば」とさらっと書かれているが、どうやって壊すのだろう?ショベルカーなどのものものしい機械を持ってきて壊す、というよりは、僕は、一人の大男が斧を振り下ろしてざっくり壊してゆく状況を想像したい。なぜなら、そのほうが「みなすすき」という下五の状況に至ったときに呆然とする男の顔が見えてくると思うからだ。破壊という行為からは彼の憂愁が立ち上ってくるだろう。彼は何を目指して小屋の破壊にいそしんだのだろうか。それは分からないが、少なくとも「みなすすき」などという意味のない情景に小屋を還元するためではなかったのではないかと推察する。その無意味さに戸惑う男とそれを喜ぶ作者の顔が二重写しに見えてくる。

三句目は、「二階より地のひるがおを吹く友」を、それを見ている人の視点から映し出しているところに興味が惹かれる。「吹きにけり」では自身が吹いたと読めてしまい、それだとこの句に出ている「友」を不可思議に思う気分は生まれない。友が漫画のようにぐぐぐっと二階の窓から身を乗り出し、地のひるがおにぎりぎりまで顔を寄せてそっと息を吹きかける。友の体の構造がどうなっているのか、彼にはまるで分からない。実に不可解なのだ。そして、なぜそんなことをするのかも。この句は、ひるがおが主役ではなく、上から降りてくる友の胴体が、それを見ている人の視界を圧してしまうところを面白いと思う。実に無意味であるがゆえに、シュールな情景が映し出せている。

これらの句は、たとえば次に挙げるような、生きてゆくのに必死で、それゆえ生理的な感覚に訴えてくるところの大きい生き物たちとはやはり違う次元に属しているようだ。

鳥墜ちて青野に伏せり重き脳 『青年経』
雪野ひと握りの血で蝙蝠鍛える 『青年経』
夜間飛行士草に眠る処女膜のように 『赤内楽』
たらの芽に悲しき虎は存在す 『霊果』
主よ昼餉跡かなしみの蟲興る 『乾坤』 ⇒「主」に「しゅ」とルビ

非情に大雑把にまとめれば、彼の句には以上見てきたような無意味性・不可避性という二つの系統があり、冒頭に挙げた「野の蛇」の句は「交差」で無意味性、「上下」で不可避性を表すことでふたつの系統を止揚していると言えよう。結局、その二つの局面を行ったり来たりすることでみな生きてゆくものなのだろう。

笹のはな暦の裏はみな忌日 「蛇結茨抄」

このような不可避性に真っ黒に塗りつぶされるまで。

作者は安井浩司(1936-)

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島津亮 15句



象の足しづかに上る重たさよ
 
父酔ひて葬儀の花と共に倒る
 
炎天にのこせし斧の重さかな
 
秋風に和服なびかぬところなし
 
電線に触れゐて強し夜明の星
 
天心に旱星並ぶ自由欲し
 
黒帯の柔道に惚れ二月尽く
 
いちまいの白い人体春の雷
 
怒らぬから青野でしめる友の首
 
炎天へ真赤な国へ逃げころぶ
 
きついエレベーター嘔吐のさようならたち
 
僕等に届かぬ鍵がながれる指ひらく都市
 
百哭けばあひるの白の島津 亮
 
越冬のトノサマバッタエメラルド
 
いつかくるキャベツ畑にジェノサイド





略年譜
 

島津亮(しまづ りょう)
 
大正7年(1918) 香川県香西町に生まる
 
昭和11年(1936) 大阪外国語学校入学
 
昭和21年(1946) 西東三鬼に逢う 「青天」参加 句作開始
 
昭和23年(1948) 「雷光」創刊同人
 
昭和25年(1950) 「雷光」廃刊
 
昭和26年(1951) 「梟」創刊同人
 
昭和27年(1952) 第1句集『紅葉寺境内』
 
昭和29年(1954) 右肺上葉部を切除
 
昭和30年(1955) 退院
 
昭和32年(1957) 「夜盗派」同人
 
昭和35年(1960) 「夜盗派」終刊 「縄」同人 第2句集『記録』
 
昭和37年(1962) 「海程」創刊と同時に同人参加
 
昭和43年(1968) 「ユニコーン」創刊同人
 
昭和44年(1969) 第3句集『戦後俳句作家シリーズ16 島津亮句集』
 
昭和52年(1977) 第4句集『唱歌』
 
平成12年(2000) 逝去(82歳) 『島津亮句集 亮の世界』

 

A 今回は島津亮を取り上げることにします。
 
B これまでより今回はすこしメジャーな人選となったかもしれませんね。
 
A 島津亮は現在においてはさほどメジャーな俳人でもないのでしょうが、それでも俳人の間ではこの作者の存在を知らない人はやはり少ないのではないかという気がします。
 
B 島津亮は昭和21年に句作を始め、西東三鬼に師事しました。その後「前衛俳句運動」を代表する作者の一人となります。
 
A では、早速島津亮の作品について見ていきましょうか。
 
B まずは〈象の足しづかに上る重たさよ〉を取り上げます。
 
A この句は島津亮の処女作であるとのことです。第一句集『紅葉寺境内』の第一句目に置かれています。
 
B 無季の句ですね。象の前脚でしょうか。象の巨大な体躯ゆえの緩慢な動作ゆえの静かな迫力が感じられます。
 
A 足を上げる動作をわざわざ「しづかに」「重たさ」と形容したことにより、象の足の重量感をよりいっそう感じさせるところがあるようです。俳句を始めたばかりの作者の稚気の魅力が感じられるとでもいうべきでしょうか。
 
B 続いて〈父酔ひて葬儀の花と共に倒る〉です。
 
A この句は島津亮の作品の中でも割合知られた作品であると思います。
 
B この作品も比較的初期のものです。
 
A この句は三鬼により添削されたものであるとのことです。
 
B 当初の島津亮の作品は下五が「共倒れ」であり、その「共倒れ」の部分を三鬼が「共に倒る」と改めたといわれています。
 
A 下五の6音による字余りの効果を狙っての添削ということなのでしょう。
 
B 「共倒れ」ならば、酔った父が花と共に一気に倒れるどちらかというと性急な印象の表現となりますが、「共に倒る」とすることで父が倒れる瞬間の時間性が引き延ばされ、ゆっくりと酔いにまかせた父の身が葬花と共に沈んでゆく映像がありありとイメージされるようです。
 
A このあたりの気息がやはり三鬼のものというべきでしょうか。
 
B たしかに、三鬼にはこういった下五を6音にした作がいくつも目につきます。
 
春の夜の暗黒列車子がまたたく
 
雪嶺やマラソン選手一人走る
 
薄氷の裏を舐めては金魚沈む


A 鈴木六林男にもこういった下五を6音にした例は少なくありませんね。
 
生き難し華人降り来る神戸の坂
 
磨かれた消火器の赤明日また会う
 
都会の昼一個のボール転りゆき

 
B こういった五七五の定型からややもすると逸脱してしまいかねないような独特のリズムが時としてあらわれるところが三鬼門の一つの特色でもあるのかもしれません。
 
A 島津亮の句はいうなれば父と息子の関係による悲喜劇を作品にしたものであるとでもいったようなところでしょうか。
 
B どことなく下村槐太や林田紀音夫あたりの市井の風景の一齣を髣髴とさせるような作品と似通う部分があるようにも感じられるところがあります。
 
A 続いて〈秋風に和服なびかぬところなし〉です。
 
B この句も比較的初期の句にあたるようです。
 
A 島津亮の作にしては割合すっきりした内容の句ですね。
 
B たしかに秋風と和服のみの単純な取り合わせのみ句です。
 
A ただ秋風に和服が靡いているだけですが、その簡素な表現に格調の高さが感じられるところがありますね。
 
B あと、蒸し暑い夏が終わり、秋の爽やかな風による快さがそのまま感じられるようです。
 
A 続いて〈電線に触れゐて強し夜明の星〉を鑑賞しましょう。この句は1951年ごろの作品です。
 
B 「強し」と「星」という表現から三鬼の〈火事赤し一つの強き星の下〉あたりからの影響がみてとれるようです。
 
A また、島津亮にはこの句の他にも〈三月の天指す梢信じをり〉〈天心に旱星並ぶ自由欲し〉といった高いところにあるものへの憧憬が核として詠まれている作品がいくつか見られます。
 
B 続いて〈いちまいの白い人体春の雷〉です。
 
A この句は第2句集『記録』所載の昭和29年~30年の作で、右肺の切除の手術を行う前の句であるようです。
 
B 手術前であるという状況を念頭に置くならば、自らの病によって痩せ細った身を「いちまい」という薄っぺらな紙に擬して表現したものと捉える事ができるのでしょうが、必ずしもその事実のみに固執してこの句を読む必要はないのかもしれません。
 
A たしかにこの句は「春の雷」というさほど強くない雷の光と、薄い紙に擬した自らの痩身の取り合わせによって、おそらく自嘲もしくは手術前の不安を表出した内容のものであるというべきなのでしょうが、それだけではなく、漫画的な読みも可能だと思います。
 
B 実際の状況から離れて読めば、紙のようにぺらぺらな人体と春の雷の取り合わせから、コミカルなイメージがそのまま顕ち上がってくるところがあります。
 
A 続いて〈怒らぬから青野でしめる友の首〉です。
 
B 島津亮の作品においてもっとも有名なのはやはりこの句ということになるはずです。
 
A この句は第2句集『記録』の昭和31年の作です。
 
B 江戸中期の俳人、炭太祇に〈脱ぎすてて角力になりぬ草の上〉という発句がありますが、島津亮の句はこのような江戸時代の牧歌的な風景とはやはり異質の趣きがあるようですね。
 
A たしかに「青野でしめる友の首」ですから、草の上の相撲よりも随分と不穏な雰囲気があるようです。
 
B 「青野」ですから季節は夏。夏の陽射しとむせかえるような草いきれ、そしてその暑さから噴き出す汗。そういった状況で首をしめるわけですから、両手に友人の首の感触が生々しく感じられるようなところがあります。
 
A また、その「青野」という言葉の「青」という文字から「青年」という言葉が連想されるようです。それにより、一層一句に籠っている濃密な息苦しいまでの情感が強く印象付けられるように感じられるところがあります。
 
B ヴェルレーヌとランボーの関係とでもいったものに近いものを想起してしまうようなところがありますね。この句には愛と憎しみの感情が作品のうちに深く込められているというべきでしょうか。
 
A こういった男性同士の関係性を詠った句が島津亮には他にもいくつかあります。
 
B 他には〈黒帯の柔道に惚れ二月尽く〉〈朝の裸泉のごとし青年立つ〉〈青年のごとく寒鯉縛られて〉〈男の愛からたちに指刺されたり〉などが挙げられます。また先ほど取り上げた〈父酔ひて葬儀の花と共に倒る〉を挙げることもできそうです。
 
A 昭和24年に三島由紀夫の『仮面の告白』が発表され、塚本邦雄の短歌も発表されていますから、こういった作者からの影響というものも考えられなくはないのかもしれません。
 
B 実際のところはどうであったのかわかりませんが、こういった男性同志の関係を主題としたものはもしかしたら当時のちょっとした流行であったのかもしれません。
 
A 他には、これよりもすこし後になりますが、加藤郁乎に〈雄蕊相逢ふいましスパルタのばら〉という句がみられます。
 
B この昭和31年あたりから、島津亮の作品は徐々に「社会性俳句」「前衛俳句」へと傾斜してゆくことになります。
 
A 当時の「前衛俳句」の傾向の強い句として〈飢えて禅な洪水の村 粥の晩鐘〉〈太陽一つずつ労働祭の水たまり〉〈銅の青年火を焚いて森脂ぎる〉〈えつえつ泣く木のテーブルに生えた乳房〉などがあります。
 
B 「労働祭」の句以外はほとんど意味を解することが不可能なところがありますね。
 
A さらに他にも〈きついエレベーター嘔吐のさようならたち〉〈デパートのさまざまの椅子われら死ぬ〉〈僕等に届かぬ鍵がながれる指ひらく都市〉などといった作品があります。
 
B これらの句もいまひとつ意味が理解しづらいところがありますが、それでも〈きついエレベーター嘔吐のさようならたち〉などという句を見ると、言葉の関係性の特異さ、最後の「さようならたち」という表現とその音韻の不可思議さ、といったところになにかしら言葉の魅力的な力が感じられるようなところがあると思います。
 
A たしかにこういった句を見るとやはり俳句は必ずしも意味だけのものではないという気がしますね。
 
B 〈僕等に届かぬ鍵がながれる指ひらく都市〉にしても先の句と同様都市における人間存在の在り方がテーマとなっているようですが、その意味するところはやはりいまひとつ明瞭でないところがありまるようです。しかしながらそれでも、「都市」における「僕等に届かぬ鍵」の存在、そしてそれに対して「指」を開くという行為の不毛性、徒労感といったようなものが作品の上に表出されているところがあるように思われます。
 
A たしかに「僕等」に届かないものが「鍵」に仮象されていて、都市というものの無情さ冷厳さが感じられるようなところがありますね。
 
B この後も、この第2句集『記録』の作品はこういった「前衛俳句」の傾向の強いものが引き続き頻出します。
 
A しかしながら、その表現の多くはあまりにも粗雑というか、すこし「やり過ぎ」な感もあります。
 
B たしかに〈半舷土葬の貝殻背廣隊 無砲のデスク〉〈手錠の男の おお・うう・るる・の拳 僕の〉〈俺と同じ走者垂れ吊り皮に止まる蜂〉あたりとなると正直その言葉の放埓さについていけないところが多分にありますね。
 
A 続いて〈百哭けばあひるの白の島津 亮〉を取り上げることにします。
 
B この句は第4句集『唱歌』の昭和44年~51年の作です。
 
A どことなく永田耕衣の〈朝顔や百度訪はば母死なむ〉を思わせるところがありますね。
 
B このあたりとなると先ほどの『記録』の頃の傾向もある程度穏当な表現になってくるようです。
 
A たしかにこの時点でもわかりにくい表現もみられますが、〈あんあんと弁慶なかす氷水〉〈関西線すぐそば河内盆踊〉〈消しゴムの滓ピノキオの息づかい〉など、表現はやはりある程度平明なものとなってくるようです。
 
B 続いて〈越冬のトノサマバッタエメラルド〉を取り上げることにします。
 
A この句は『亮の世界』所収の平成9年の作です。

B ほぼ晩年の作ということになりますね。
 
A このあたりとなると、もはやあまり見るべき作はないのではないかという印象が強くなってきますが、この句には魅かれるものがありました。
 
B バッタの緑をエメラルドと表現した句はそうそう存在しないでしょうね。
 
A 多くの作者はこのような形容はおそらく怖くてできないものではないかと思われます。
 
B 一種の童心とでもいうべきものによる表現であるのかもしれません。
 
A 「越冬のトノサマバッタ」という表現から三鬼の〈冬に生まればつた遅すぎる早すぎる〉を連想させるところもあります。
 
B 最後に〈いつかくるキャベツ畑にジェノサイド〉を選びました。
 
A この句も晩年の作ですね。『亮の世界』の第三部の遺句集「地球いっぱい」所収のものです。
 
B 最後あたりにこういった句の登場するところが、やはりこの島津亮という作者がただの作者ではなかったということの証左であるのかもしれません。
 
A 「ジェノサイド」という言葉は、現在の作者の大半が俳句の中では使うことのできない言葉であるというべきでしょうね。
 
B 平時における危機意識の強さが感じられるようです。鈴木六林男の〈遠くまで青信号の開戦日〉を想起しました。
 
A さて、島津亮の作品をみてきました。
 
B 島津亮は三鬼の弟子ということでしたが、同じ三鬼門の佐藤鬼房、鈴木六林男、三橋敏雄あたりと比べると、随分と放埓というか、やや異質な雰囲気がありますね。無論共通する側面も少なくないと思いますが。
 
A 特に「前衛俳句」時代についてはそういった印象が強いですね。鈴木六林男にしてもその表現は随分と奔放なところがありますが、島津亮はさらに過激というか滅茶苦茶な部分があります。
 
B しかしながら、島津亮のそういった「前衛俳句」による試行から結局どれだけの成果をあげることができたのかという問題となると、すこし厳しいものがあるといわざるをえないところがあるというべきでしょうか。
 
A やはりその作品における表現はやや破れ過ぎているところがあるようです。
 
A 高柳重信は、島津亮に対して〈彼は、いつも、やがて何かをするであろうと公約する姿勢でいる。そして、いまだ嘗つて一度も、それを実現したことはないのである。(…)彼は、いまだに彼の未来の富を予告しつづける(…)彼は、彼のそういう一種の業病のようなものに元気づけられて、いままで生きて来たのかもしれないし、これから生きてゆくにちがいない。(…)あるいは、彼は、絶対に思いしるまいとして、いま必死なのかもしれない。〉と評しています。
 
B 実際その通りなのかもしれませんが、あまりといえばあまりな内容の文章ですね。
 
A それでも一応、その後〈それも、一つの修羅ではあろう。このむなしさが、いま、彼のことを、いよいよ俳人に仕立てあげているにちがいない。〉といったフォローのような表現が続きます。

B しかしながら、結局、その後についても、島津亮の句業は「前衛俳句」以後、これといった大きな作品展開はなく、俳句表現も弛緩した内容になっていくように感じられるところがあります。
 
A この作者についてはもしかしたらその作品よりも、実際の人物とその言動の方が面白いものであったのかもしれません。
 
B 確かに「評伝 島津亮」などが書かれれば大変面白い内容となりそうです。
 
A 島津亮の文章についても、私はその一部を読んだに過ぎないのですが、その内容は独自の面白さがあり、これが現在まで纏められていないのはすこし残念な気もします。
 
B このように、どちらかというと放埓な印象のある島津亮ですが、福田基さんは〈衆の場における野次と揶揄には閉口した方々もあろう。〉とし、それでも〈彼は頭が切れたし、句会の選句など真面目であった〉と書いておられます。
 
A 澁谷道さんも島津亮の話す内容について〈言葉が機関銃のようにとび出して耳を奪われた。詩的で大胆で、ときにとても滑稽で、おそろしく博識だった。〉と書いておられました。
 
B 意外にもというか、島津亮は割合インテリだったようですね。
 
A そういえばいつだったか、私が、偶々古書店でこの島津亮の第一句集『紅葉寺境内』を手にとった時、表紙の見返しに〈天心に旱星並ぶ自由欲し〉という句がペンで3行に分けて署名されてあったのですが、その文字の繊細さ、美しさに一驚したことがありました。
 
B この作者にはそういった知的さやナイーブな側面もあったわけですね。
 
A もしかしたらそういった側面こそが、この作者の本質であったということでもあるのかもしれません。
 
B 俳人というものは、その実態については一面的でないというか、随分とややこしいところがあるというべきでしょうか。


 
選句余滴
 

島津亮
 
冬の河石岩巌ごろごろす
 
土砂降りの傘の中にて諍へる
 
脚のびて死ねり蛙のことなれど
 
野鼠逃ぐる前へ前へと稲びかり
 
存分に使ふ四月の井戸の水
 
枯木へ灯愛についての講演果つ
 
三月の天指す梢信じをり
 
氷挽く帯がほどけてならぬなり
 
土砂降りを照らす外燈一つあり
 
梅雨雲の上に日はあり死にたくなし
 
雑巾を絞りきる手に凩す
 
とつぷりとくるる黄麦よりの声
 
裁判や冬の運河に花流れ
 
青年のごとく寒鯉縛られて
 
人生輝く空瓶に蝿すみつきて
 
洋傘の黒充つ炎天に突き射して
 
一軒のパンの店ある野に遊ぶ
 
太陽一つずつ労働祭の水たまり
 
デパートのさまざまの椅子われら死ぬ
 
母が怺えるやさしさやさしい遠いロケット
 
童貞の眼帯の樹の紫の豹
 
くすぐられる部分と溺死 夥しい指らの街
 
銃よりちかし改札口の焼けるオルガン
 
買えたドレスは水銀わたしはみんなコンクリート
 
僕の夜を潜り翼失う黒い隊商
 
ALONE!!吹き上ぐる褐色の波濤の馬車
 
智恵の巨人遠のくカーテン煖炉燃やし
 
生誕いたむ深夜へ屋台すれちがい
 
すてるあひるがプールでは死にきれぬかなあという
 
あんあんと弁慶なかす氷水
 
夏蜜柑むく中正確な宇宙船
  ⇒「中」に「なか」とルビ
 
鯨来て歯を換え帰る伯父の家
 
花屋から追っかけてくる鉢アロエ
 
もの言えぬ子の終日のボール投げ
 
夜盗派という俳誌の六人の金魚すくい
 
ラーメンの屋台やさしき十三夜
 
夜の特急一瞬の窓に百合の束
 
おおまかに凹凸凸凹初競馬
 
れんこんのあな宦官がみえかくれ
 
幕の内喰べてバッタと秋の暮
 
柿の花人に大腸と小腸と
 
校庭の児を呼ぶ声の秋のくれ
 
三越と帝劇ことに秋の暮
 
くりかえし榠樝がうたうイヨマンテ
 
ミャンマーよりビルマなつかし枇杷の花

洗濯ものとりいれるとき地球いっぱい

 

 

俳人の言葉
 

船焼き捨てし

船長は

 

泳ぐかな

 

彼(高柳重信)はこの句が出来たときよだれをくりながら、つばをとばしながら僕にじまんしつづけた。あげく作家というものは生涯に三作をのこす。歴史にのこる句を三つもってこそ名人といえるのだと。しまづはまだ二句だな。私の「父酔ひて」と「怒らぬから」をあげながら私をあわれみのめでみるのであった。

 

島津亮
 

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2009年1月23日金曜日

合評対談 最終回

A子とB子の匿名合評対談
「―俳句空間―豈」第47号読み倒し〔四・完結〕 マ行~ワ行の作者


真矢ひろみ「末世」二十句
B 
A子様、こんばんは。こちら席に付きましたが、今日は大丈夫ですか?

 こんばんは。問題なしです。

B マ行からということで、最初は真矢ひろみさんです。お好きな句はありますか?

 うーん、

時計塔のⅧの裏より見る枯野
憑きものを各々映し夜店たつ

ですかね。

 「時計塔の」は、二十句中で唯一、はっきり意味のわかる句ですね。「憑きものを」は中七「各々映し」をどう読まれました? わたくしここがよくわからず。

 夜店の怪しげな雰囲気を、憑きもので表しているのでしょうか。道に水がこぼれていたり、そこに映る夜店の灯も揺れている、まやかし。

B なるほど、そんなところでしょうね。わたくし、とにかく全体に思い込みの激しさばかりが目についてしまって。

 同感。とにかく、

声援は泳ぐリズムにSM会
ケータイを濡らす口裂け女かな
蛍光ペン引けば光に孕むごと
内分泌卍どもえにきれぎれに


といった句の「SM会」「口裂け女」「孕む」「内分泌」など、生な素材がそのままです。

 「声と俳」と題された短文では、ウォルター・J・オングの『声の文化と文字の文化』(原著一九八二年/邦訳一九九一年 藤原書店)を引き合いに出して「連歌、俳諧は正しく声の文化であり」云々と言ってますけど、この俳句史の理解も出鱈目ですの。書記言語を前提にしないで、どうやって長連歌をやろうってのかしら。短連歌だって、短歌が書かれることで対象化され、上句・下句という分節が生じたからこそのものでしょう。表題句の

末世とは死語か緑雨を歩きけり

にしても、自分ひとり現在の末世の相を見抜いていると言いたいのかしら。

ブルースの六腑腐して七月尽

という句がありますね。真矢さんの内部にブルースが渦巻いているのは了解しましたけど、どうも音程外してると思いますの。

宮﨑二健「苦獄」二十一句
 次へ参りましょう。宮﨑二健さん。今回も、上から読んでも下から読んでもの回文俳句ですね。

奪胎大王の魚偉大だった
辛抱真悲し干し菜が舞う梵字

といったところで採っています。

 「奪胎大王」は、わたくしも。でも、全体に面白いと思いました。

陸奥惜しい遠目の夫婦石を積む

は、切ない風景が見えますの。

蚊帳よ死の魂と外股の初夜か

は、屍姦? エログロの極みだわ。お好みはともかく突き抜けてます。

その艾咬み汝は天使死んで花実が咲くものぞ

これもタナトスへと切迫してゆくエロスかしら。一方で醒めたユーモアが感じられるのもいいわ。

赤紙の来て魔笛の身がかあー

のこのヤケクソ気味な「かあー」もなんともアヴァンギャルド。醜悪美の世界ですね。

 これもまた芸風ですね。回文であるために先のような思い込みでなく、これだけの倒錯が可能とは。

 思い込みは思い込みでも、回文という厳格な規則によって思い込みが外部化されているのが真矢さんとの差なのでしょう。

 ふむ、エログロも、先のような生な言葉に頼っていないのですよ。せいぜい、今B子様が挙げた「蚊帳よ」の句の「初夜」とか、

枯れた歳よ夜尿垂れか

の「夜尿」とか。技巧を感じます。

 あと、転調の細かさにも注意すべきね。これも回文という形式の要請なわけだけど、言葉がベタつかないでどんどんホップしてゆくんですの。あとは句集になる時、どう編集するかで印象ががらりと変わってくるのでは。たしか宮﨑さんは邑書林の「セレクション俳人」のラインナップに入ってたわよね。楽しみにしておりますが、なかなか出ません。

 そう転調の面白さですね。短歌にも似て。

望月雅久「他者という地獄」十句
 次は望月雅久さん。『辺縁へ』(二〇〇七年 まろうど社)という句集は良かったですが、今回はぴんときません。全部、説明的に言い尽くしてしまっていて。モチーフはタイトル通り「他者という地獄」で、これはその通りとしても、モチーフがモチーフのまま投げ出されて終わり。これでは採れませんですの。

 皆、予定調和ですね。

向日葵の枯れの近づく乳房かな

くらいかな、自分は。

 わたくしもその句だと思うのですが、中七の「近づく」はどう解釈なさいました? 女が枯れた向日葵に向かって近づいてゆくのを、向日葵の方から近づいてくるというふうに転換したクローズアップと思えばいいのかな?

 そうでしょうね。逆転させて語っている、あるいは、時間としての近づき、ですか。女にも枯れが、ってことで。乳房だし。花の色はうつりにけりな……。

 向日葵のように豪華な豊満な乳房ということかしら。

A 豪華な乳房ってのも重そうで良いですね。

 たしかに、向日葵って枯れても立派ですわよね。ひとひねりした女人賛歌ということにしとこうっと。

森川麗子「逸抄」
 森川麗子さんです。短文では巫女系歌人の山中智惠子のことを書いてます。なんか今日は思いこみ系の人が多いのかしら。

 そんな回ですね。

苺市人の臓器を淋しめり
邂逅は薔薇の灰なり汝とわれ

というところですか。

B わたくしは、

ふとかげる無花果の木の塩気かも

「塩気かも」の着地の意外性に一票。A子様がお採りになった二句は、並びとしてひとつの風景になっているところがよいわ。秋桜子の「青春のすぎにしこゝろ苺喰ふ」(『葛飾』)を思いだしました。「薔薇の灰」は結構なナルシシズムですが、なにか青春の終わり、若さの終わりの空気はひたひたと迫ってきます。

A 「ふとかげる」も良いかなと思いましたが、B子様とは逆に「塩気」にひっかかってしまいました。「薔薇の灰」、おっしゃるとおり自己愛強しですが、アンデルセンの『錫の兵隊』の最後に、こんなシーンがなかったでしょうか。

B 全体に世界がある感じはするのですが、もう少し丁寧に俳句にすればいいのにと思いましたの。

森ひさ子「正法」十六句
 では、森さんへ。仏教用語満載の句が並びますが、あえて、

うろつく妹燐寸をすりながら

をよしと採りました。

 あ、不覚、見落としてましたの。たしかに面白い。八九の完全な破調と見てよいですか?

 はい、確信犯の破調ですよね。これは独特な世界の広がりがあるのでは。

 この静かな不気味さ、とらえどころのない孤独感。破調ですが、表現として決して恣意的ではないですの。

 で、他の句についてはどう思われます、B子様? ご意見お伺いしたく。

 タイトルが「正法」で仏教語入りの句が並ぶわけですが――本気なのかパロディーなのか、そこからして摑めなかったですね。

時を知る花のように得よ心身脱落
迷妄を破る音冴え真如の月

は、公式言語そのものだし、

緋ぞまつわる獅子吼谺す火宅僧

の濃ゆさはちょっと笑えますが、良い句かと言われれば……。

只管打坐暁天の菫半眼にて昇  ⇒「昇」に「しょう」とルビ

は、中七以下のイメージは美しいですが、「只管打坐」の語が浮いてしまっていると思うし。

 自分は、

神にはりつく広島の産声  ⇒「産声」に「うぶごえ」とルビ
ゴーギャンの癩の面影島に発火

とかちょっと惹かれるんですけどね。ご本人の意図されていないところで句が成立しているような。

 十六句のうち最後の四句だけ異質なのよね。「神にはりつく」の句は、凄惨かつ晴朗な呪詛という感じでインパクトはあるのよ。

 葬頭河の婆にて舌に這わせる蛆  
    ⇒「葬頭河」に「しょうずか」、「婆」に「ばば」とルビ

の句は、でもまあ公式どおりではないですか? 脱衣婆なんでしょ、蛆は近い素材。

 「神にはりつく」「ゴーギャンの」のあとに仏教系の脱衣婆の句が来るのも変な感じです。当然ヒロシマの太田川とのダブルイメージかと思えば、次に

死死死死死足下の花宗川  ⇒「花宗川」に「はなむねがわ」とルビ

という句がくる。花宗川って、森さんの地元の福岡県の川なのよ。混乱します。「ゴーギャンの」の句の「島」が、広島の「島」と重ねあわされているようでもあり……。この排列の意図、よく見えない。

 そうですよね、癩病の療養施設のある島ありましたよね、瀬戸内に。ゴーギャンの『ノア・ノア』の世界とダブらせてよいものかどうか。

 長島愛生園ですね。「癩」という言葉をやや無頓着に使ってる感じがしますね。それこそ「只管打坐」とか「火宅僧」といった言葉と同じように。どうも、考えをつめきってない部分が多い気がします。むしろ、広島とゴーギャンの二句がはらんでいる問題を、十六句全体のモチーフとして展開すればよかったのかも。

森須蘭「夜景」二十句
A 
次は森須蘭さん。

人の世の虹に大きな傷がある
寒いのは貴方の中の四畳半

かな。

休日の眼鏡を外すシャボン玉
猫の夜を遊び尽くして落椿

は次点というところで。

 わたくしは、

妻というグラスの中の蜃気楼

でしょうか。ただ、全体に余りに楽天的に書かれている印象を受けましたの。書けばそれで読者に通ずるとでもいうような。

 「妻という」の句ってそれこそナルシスでは? 水鏡をグラスにして蜃気楼配しただけじゃ?

 いやもう、その通り。妻たちのナルシシズムを許容する心なんですの。

 絡めあう腕五月の闇生まる  ⇒「腕」に「かいな」にルビ

も年相応問題に抵触しそう。

B その句は、作者から自立した感じがして、年相応問題はさほど気にならないわ。意外と、

黙読の続きの続き紅葉山

がよくないかしら。夢中になって本を読んでいるのでしょう。ふと気づくと紅葉。読書による人間の変化を、「紅葉山」が象徴しているような。紅葉山といっても、ほんとの山とかではなく、公園の中の丘とか学校の裏山とかそんな感じで。

 ふうん。季語に寄りかかっている句に見えますが。公園の丘は無理ですよ。やはり全山の錦繍でなくては紅葉山とは言わないはず。

B まあ、そういう山が視野に入っていればいいということで許して。

 その時期の奥日光あたりは本当に凄いですよ。読書なぞ手につかないほどの迫力です。人を圧倒する山としか。

 行ったことありますよ、わたくしだって。もう二十年も前になりますか。ふ~。しかしですよ、ものすごく面白い本を読みかけで行って、紅葉も凄いが読書も止まらないということもあり得てよ。宿にも泊まるわけだし……って、果たしてそれ以前にこれがそういう句がどうかも確実ではないですが。

 なんでしょう、その「ふ~」は? 宿うんぬんはB子様の体験上のお話と。まあ、この句はその辺で。

柳谷昌「夏」十五句
 柳谷昌さんは、

先祖代々貧乏で夏には強い

でしょうか。

いなびかり目のない魚釣り上げる

は、これはこれで成り立っているでしょうが、別の季語にすれば予定調和な感じをなくして、もっと意外性を出せたように思いますの。

眉のない顔のむかしを墓洗う

は、妙になまなましいユーモラスな句だわ。でも、この「むかしを」の「を」が「の」の誤植ということはないかしら。

 自分も「眉のない」、それから

大は小兼ねない西瓜買ってきて

を採っています。「先祖代々」の句って俳句なんでしょうか? もしや川柳の方?

 この飾らないところがいいんですよ(笑)。

A なんでも(笑)でまとめてますよ。そりゃ、共感を呼ぶってだけな。

B そんな、(笑)は本日初でございますよ(笑)。しかし、

朝顔が咲いたよ国際フェスティバル

とか、真顔で作ってますからね。「大は小兼ねない」だって、ちょっとした思いつき以上ではないし。

 でも、西瓜でこの詠みかたは初めて見ましたね。

 この場合、「兼ねない」のあとで区切って読むのですか、それとも区切らず西瓜にかかるのですか?

 どちらもあり、としたいですね。それは読み手にゆだねてあると。自分は両方にとっています。

山上康子「乱反射」二十句
A 
次は山上康子さん。

禾が突き空気の抜ける地球かな
昨年と同じ藪蚊の待つ墓標


と採ってます。

 その二句はわたくしも頂きますわ。

視線合わさぬ翁と媼半夏生

は、また共感呼ぶだけって叱られてしまいますかしら。

 いや、それはそちらのご事情では。「半夏生」に何か必然が?

 こんな季語はただの投げ入れですもの。

A そうだと思いますが。ただ、投げ入れの茶花と同じく、そこに世界が生まれるものもございます。これはそこまでとは。

 青大将の句が二句あります。

川風や青大将の楊枝づかい
軒ふかく青大将の棲み廃れ

これはもしや若大将シリーズの青大将なのでしょうか?

 おや、ほんとだ。自分はその次に並んでいる、

蛇の衣一週間の物忘れ

に引きずられて気がつきませんでした。

 そうなんですよ。次の「蛇の衣」のせいで、とうぜん蛇の青大将だと錯覚するわけですが、川風に吹かれながら楊枝を使ってますからね。しかし、「棲み廃れ」ていたとは。あの人は今、だわ。

A ふむ、「棲み廃れ」はよいですね。しかし、「蛇の衣」に「物忘れ」はあまりに近いですよ。俳人は蛇の衣って季語大好きですが、字面上からのイメージ膨らませすぎな感。実際見ると、そんなに感慨ないです。「会ってがっかり俳人」というジャンルがあるのですが、「見てがっかり季語」の範疇ですね。

 まあ、誰なの、それは? どうせ教えてくれないのでしょうけど。それはともかく、

軍帽を目深に馬を捨ててきし
軍馬捨てきし兵士今風となる

も悪い句じゃないかも。

A 「兵士、いま、風となる」ですか? 「いまふう」と読んでしまってました。「風となる」はしかし、古い青春詩のようでいただけませぬ。

山﨑十生「でりしやすⅤ」二十句
 山﨑十生さんにゆきましょう。

更衣して珈琲を淹れている
大西日いつも左の頬にかな
珈琲を日傘の影と思ひけり

と、採っております。

 自分は、

未遂とは美しきもの大西日
求愛のことば扇子と扇子かな

と採りました。

 二人とも扇子使いながら一方が一方に求愛するわけですね。余裕だわ。しかし、「未遂とは」は、それこそ古い青春詩のようではないですか?

 「求愛のことば」の句、鳥たちの求愛のダンスを思い起こすんですよ。扇子みたいに羽根をひろげてね。大西日は未遂の明日なのでしょうね。

 大西日が未遂の明日であるのはよいとして、それを「美しきもの」というのがどうなのか、ですね。未遂って美しいんでしょうか。わたくしはあまり説得されないわ。

 ああ、櫂未知子さんに「夭折と言へど夕焼より赤し」があるのでそれが影響してるかな。

 それはその櫂さんの句の方がよいですね。しかし、コーヒー飲みたくなってきました。暗示にかかりやすいんですの、わたくし。

 そちらのおとりになっている「更衣して」と「大西日」の句はどう読まれて?

 ごくごく、素直に。日常の中のささやかな幸福感といったものでしょうね。「大西日」の句の方がベターでしょうか。自宅のテーブルか、喫茶店かわかりませんが、いつも同じような時刻に同じ席で珈琲を飲むということでは。

 そうか、右の頬を打たれたら左を、とか深く考えてしまいました。

 それは考え過ぎ。もっともこの句に限れば珈琲とはどこにも書いてないですけど、珈琲でなくてもいいわけで。いつも同じ日常を反復する倦怠というのもありえますが、なんとなくこの句には静かな幸福の空気を感じますの。「更衣して」の方は、からっとしていて、でも乾きすぎてもいないところが良いんですの。

 さっぱり感はありますよね。うーん、でも季語としては梅雨に入っていく前の感じかなあ。

B え? 衣更えって五月でしょ。まだ一ヶ月あるわよ。

 ふむ、自分がずれてるのかしらん。卯の花腐しの頃のじめじめ感から衣だけでも開放ってとこ。綿入れから袷、袷から単衣ものという和装の頃の衣更えとやっぱり現代はずれがあるのでしょうね。

山本左門「白夜の色」二十句
 さて、山本左門さん。既視感の強いところが難ですが、丁寧は丁寧な句作りかと。

朝曇烏はらわたもて啼けり
筍に両性具有の匂ひあり
ひた急ぐ犬に会ひけりクリスマス
鉛筆にあをき匂ひや螢の夜
雪女ナプキンの立つ予約席
ふらここや過去と未来がすれ違ふ
パレットに白夜の色を溶きにけり
明るくて冷たき夜の華道展
コーヒーゼリー潜水艦の色に冷ゆ

などがよいかと。長打はないけどこつこつ打っている印象でした。

 自分は、

春の昼画鋲ひとつが狂ひ出す

それから、「ひた急ぐ」「コーヒーゼリー」です。

 「コーヒーゼリー」はいいとして、「ひた急ぐ」はなんか見たことあるんだなあ。そうそう、攝津幸彦さんに「柴犬も地獄へ急ぐ二月尽」(『鳥屋』)があった。

 「春の昼」の句、 画鋲が狂うって意味はとりきれないですが、鈍い金色ののっぺりした点から何か春昼のただならぬ気配が。

 「春の昼」は、まあ一種の表現の型をなぞってるところがありますね。

 筍が両性具有の匂いって? 宦官が独特の体臭がしたってのは読みましたがね。

B 「匂ひ」というのは鼻で嗅ぐ匂いでなくてもよいのでは。

  んじゃどういう?

B 辞書にも(1)赤などの鮮やかな色が美しく映えること、(2)華やかなこと、(3)かおり、(4)悪臭、(5)ひかり、威光――みたいに書いてありますわ。皮を剥いた筍のあの形状、つやつやしたなまっちろい質感に若いぴちぴちのお肌を連想するというのはわりと自然に思えます。とはいえ、「両性具有」という語が出てくるのは結局、文学趣味ということですけどね。この辺がどうしても既視感につながってしまうのだわ。

 匂いは若者の匂いってことなんですね。そりゃ雄蕊や雌蕊を持たないから両性具有かもしれませんが、それは知識を経由してきた言葉でしょうね。

 雄蕊、雌蕊のことまで作者が考えたかどうかはわかりませんが。「雪女」の句はどうですか? 高級レストランのテーブルセットの雰囲気を雪女で受けるのは、なかなか悪くない趣向のようにも思いますの。

  間接照明で、ですね。ナプキンの白が同列すぎて邪魔する気が。そんな、一陣の雪とともに現れるほど、冷えてないですよね、高級であればあるほど。

 リアリズムでこられると困りますわ。

 だって雪女なんて、どんなものにもくっつけられるんですよ。どこかに納得させるリアルをひとつ仕込まないと。雪女も俳人好みの季語で、あらゆるバージョンがありますから。

 鷹羽狩行とかずいぶん作ってますよね。

 なんでこの作者は有季なんだろう、と疑問ですね。

山本敏倖「紙と石」二十句
B 
では、山本敏倖さん。A子様、お採りになった句はありますか?

A 海市やら回教徒やらうさぎ

これがダントツでした。

 それは思い切った選ですの。わたくし前々回も申しましたが、字足らずが苦手で。この「うさぎ」はなんなのでしょう?

A 海市、回教徒、うさぎ、どれも脈絡のない言葉で構成されつつも、何かの世界の端緒であるように。うさぎが何だかわかりません。ただ、そこにウサギがいるとしか。ただこの順列組み合わせで見たときに、海の向こうに見える海市を、イスラムの民がたまたまそっちがメッカの方角で拝礼しているように、砂地にひれ伏して、そして砂地の穴に棲むウサギがいると。不可思議ながらありえなくもない。

 千夜一夜物語風の幻想と思えばよいでしょうか?

  幻想であって幻想でないかもしれない、そこに惹かれるのですよね。以前海の近くに住んでいたときに、高台の砂地によく、ウサギの足跡や糞がありました。飼いウサギの捨てられたものですかね。そのすこし小高いところからの眺めを思うのです。

 ご説明よくわかりましたですの。わたくしなどは、

取手行きにとっておきの春盗られけり  ⇒「盗」に「と」とルビ

の貧乏臭いユーモアがお似合いですわ。

 常磐線の取手? そんな、B子さまの絢爛豪華たる句の世界はどうしました? ゴージャスな虚無の句がお似合いですよ。

  取手は、もちろん常磐線の取手。奇想のようですが、この「春」の使い方は伝統にかなってもいますの。「行春にわかの浦にて追付たり」という芭蕉の句がありますが、春の湊とか春の泊りとか、「春」を擬人化した使い方が昔からありますよね。「取手行き」の電車で春が行ってしまったというのは、これは俳諧でございましょう。でも、常磐線のとっておきの春くらいでは、東横線では鼻もひっかけられないことでしょう。

 そうかなあ。東横よりずっと歌枕な土地が常磐線のが多くないですか?

B 筑波山が近いのは俳句史的には重いかも。もちろん、敏倖さんは日暮里のお住まいですから、ご自分の日常生活からごく自然に「取手行き」の言葉が出てきたのでしょう。「とりでゆき」と「とっておき」の駄洒落、「とられ」も含めての頭韻の効果を狙ったということもあります。ただ、取手からさらに水戸まで足を伸ばせば偕楽園があるわけで、取手の先にとっておきの春があるのは確か。作り手が偕楽園まで意識していたかはともかく。

渡部伸一郎「やほよろづ」二十句
 渡部伸一郎さんにゆきます。作品下の短文によると、渡部さんは、去年の暑いさかりに京都・奈良の寺社めぐりをして句を作られたのですね。それも昆虫に焦点を当てて。

 「カミサマは涼しいが、ホトケサマは暑い」って、けだし名言ですね。神棚より仏壇暑そうだもの。

 蝶とか蟻といった大雑把な目名ではなく、個別の昆虫の種類を細かく詠みわけてます。哀しいかな、こちらに全てを味わい分ける力がないのですが。

 先日の「豈weekly」に取り上げられていた、ドゥーグル・リンズィーさんの句と同じで、その名から特性を鑑賞しきれないもどかしさでしょうか。まあ、でも、海洋生物よりは多少わかるものも入ってますが。片仮名表記にしているのは逆に季題から切り離しているようで好感ありますね。

 片仮名表記に関しては全く同意見。さて、全体として木立の多い寺社境内の清爽な空気が感じられて結構ですが、句としてはどうでしょう。わたくしは、

クマゼミの真向勝負脳絞る
本殿をゆっくり往き来ツマグロヒョウモン
直哉邸アカハナカミキリ飛んで来る

あたりが好ましいです。

 自分は、

大夕立糺の森のコノマチョウ
タマムシの翔びゆくならの小川かな

でしょうか。

 「大夕立」の句、「糺の森のコノマチョウ」はとても素敵なフレーズですが、大雨の時にも蝶は飛ぶのでしょうか。飛んでたのかな。「ならの小川」はなんで平仮名にしたのか、ここは漢字の方が良いのにと思いましたですの。

A 逃げ遅れた蝶がさまようときありますよ、雨の中でも。木々が鬱蒼とした中ならそんなに雨もあたらないですしね。「なら」の平仮名は疑問ですね、自分も。クマゼミは、近頃温暖化の影響で群馬あたりでもいるそうですが、やはり関西ならでは。しかし、うっとおしい鳴き方に「脳絞る」は順当でしょう。自分は親が関西出身なので、クマゼミというと法事の印象が。

B クマゼミ⇒法事という連想は面白いといったら不謹慎ですが、面白いですね。仰るとおり、「脳絞る」は順当というか素直すぎる表現かもしれません。ただ、その順当さを「真向勝負」で極端に強く出しているところ、その稚気を買いたいのだわ。「ツマグロヒョウモン」の「ゆっくり往き来」という描写のおおらかさも好き。

A そうなんですけど、ツマグロヒョウモンって……と、隔靴掻痒感ぬぐえず。お好きな方にはわかる句かもしれません。「方丈の大庇より春の蝶」(高野素十)の句も先行してるし。

 結局、種の名前で俳句を作ると、読者がついてゆけないというのもありますが、もうひとつ、名前が長くなって細かい描写がしにくいというのも難点ですよね。ウラギンシジミとかアカハナカミキリとか、興味深い名前が出てきますがこれで七音、八音とってしまうのですから。

 それと、その種の名を逆手にとれば面白いのに。

六道へ続きショウリョウバッタかな

という句がありますが、六道に精霊ばったは近いでしょう。そこが惜しいですね。

 でも、

ヤマアリを潰さぬやうに朱塗橋

の句なんかは、「朱塗橋」でそこが神社の橋なのだろうと見当がついた上で、ヤマアリなのだから、市中のお社ではないということもわかって、うまく空間の設定が出来てますよね。境内地ということで、生き物に気をつけるというのも自然に納得できます。

 ヤマアリを配して、朱塗りに緑陰を対比させたのは見事ですね。木の根元などに巣を作るのではなかったでしょうか。

わたなべ柊「色は匂へと・・・・・」十八句
B 
わたなべ柊さんはどうでしょうか。正直言ってうかうかと作られた句ばかりのように思います。選ぶの苦しいですが、

哀しみは宙の果より“ひかり号”

にします。このチョンチョンは余計なんですけどね。なにしろうかうかと括弧を付けてしまった、と。

 うかうかと、ってのもよく人事句に使われる語です、そういや。

 「娘等のうかうかあそびソーダ水」(星野立子『立子句集』)とか。

 わがままな仔猫の眠る夏座敷

ですね、自分は。でもそれほど積極的にではなく。「哀しみは」の句は、銀河鉄道入ってる?

 この句の光は、昼間の太陽の光ように感じるのですが、どうでしょうか。もちろん銀河鉄道のことがあるから、宙の果から電車がやって来るという発想も出てきたのでしょうし、受け入れ易くもなっているのだと思います。

 0系新幹線の丸い黄色い鼻、それが光りつつホームに滑り込んでくるのは描けてますね。あのユーモラスなデザインに哀しみは斬新かも。

  去年0系の最後の車両が引退しましたよね。その辺の報道をご覧になっての作ということはないかしら。仔猫の句は、わがままな元気なやつが眠っている、というずらしのよさでしょうか?

 まあ、でも仔猫はわがままなものなので。夏座敷という涼やかな世界に、小さき獣が眠っているという。茣蓙やら簾やら爪でばりばりにしますけどね。

 ごく穏当な句ですね。

亘余世夫「奉安殿」二十句
 さて、いよいよ最後の同人です。亘余世夫さん。短文に奉安殿のこととか書いてらっしゃいますが、この記述からするともう七十歳くらいにおなりなんですね。そんなお年とは思いませんでした。

A どの地方あたりで戦前戦中をお過ごしになったのでしょうか。そして、この短文、いまどきのお若い方に伝わるのだろうか、と危惧が。太平洋戦争について教科書上の知識としてしか知らない方多いですよ。

 奉安殿くらいはわかりますが。句ですが、

曼荼羅に戦争展の遺影かな

小さな遺影がびっしりと貼り並べてあるのを曼荼羅と見立てたのでしょうね。さっきの雪女じゃないですが、曼荼羅という言葉も、俳句で安易に使われる言葉のひとつですが、これは珍しい詠み口かと。あと、

レグホーンの卵は露の不発弾

 曼荼羅、本当にそうですね。先年、沖縄に作られた慰霊碑を思いました。沖縄戦で亡くなられた方の名前がすべて記された壁。ベルリンに新しく作られたホロコーストで亡くなった方のモニュメントも。自分は、

旗を振る日焼の腕でありにけり

をなんとも重く受け止めました。攝津さんの「塩の手で触る納戸の日章旗」(『鳥屋』)より、ずしりと布地の重みがきます。風の抵抗力とともに。

 風の抵抗力まで言うのは深い読みですね。ただ、A子様が重く受け止めたというのは、この一連の中にあればこそ、ではありますね。もちろんそれでいいのですが、下五が「でありけり」でせっかくあいているので、日の丸でも軍旗でもなんでもよいですが、どういう旗か具体的に言ってもよかったかも。攝津さんの方は「納戸の日章旗」とそこを明示していますね。

 いえ、あえて言わないから読み手には伝わるのだと思います。日の丸、日章旗という言葉の持つさまざまな意味、多少右翼的な匂いなどを付随せずに。「レグホーン」の句、不発弾とはつまり自決のための手榴弾のことですか。敵の手に落ちるなら自ら命を絶てと。

B 一般的な空襲や艦砲射撃の不発弾と読みました。鶏の卵とは大きさは異なりますが、形状からの連想ですね。この場合は不発弾の語に託されているのは、何か言いたくて言葉にならぬ思いというようなことではないでしょうか。それが今でも時々ニュースになる不発弾に重ねあわされている。おりおりに過去からやってくる不意の珍客、招かれざる客として不発弾という表象はあるのだと思います。

A いや、

芭蕉糸紡ぐ日永の座り胼胝
朱瓦灼けてシーサーの目の虚ろ
源氏名の月下美人でありにけり

それからさっきの「旗を振る日焼の腕でありにけり」といった句群の中にあるので、やはり沖縄戦の手榴弾の不発弾と自分はとりましたね。そうでなくとも、地雷として使われるものにもこの形状のものありますしね。カンボジアやアフリカなどけして過去の話ではない。そういえば、

素麺を捌く夕日の幾筋ぞ

も採ってました、忘れてた。最後に救いのような句なんですよ。白い帳を染める夕日。

 「捌く」の語の斡旋がよいですね。西日が厨房に指し入っているのですね。

A ええ? 厨房? 素麺を精製しているところでは。その前の句が冬季ですから、冬の屋外で引き伸ばして干すのですよ。「素麺干す」という季語です。奈良県の三輪、小豆島、兵庫県の揖保など、今でもこの製法だと歳時記にありますね。ただ、「捌く」ではB子様が違ってうけとられたように、「素麺干す」の動作とは断定できませんが。

 勉強になりますの~! というわけで、最後に「豈」らしからぬ佳句を鑑賞して匿名対談おひらきということにいたします。

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時評風に(作品番号22)

時評風に(揺れる想い/作品番号22)

                       ・・・筑紫磐井

このシリーズで連載した「自叙伝風に」で同人雑誌のあり方を述べたが、昨年10月、久保純夫氏が発行人を務める同人雑誌「光芒」が10号で終刊を迎えた。

終刊の編集後期で久保氏は、「「光芒」では、特集を組む号の場合、編集部からの提案に賛同する同人のみが参加するという方式を採ってきました。通常の号、あるいは特集に参加しない同人は、自らがもつテーマに従って、俳句作品なり、文章を書いてきました。この遣り方は、私が今考える最高の形態だと思います。ただ、号を重ねるに従い、久保純夫個人の想いと同人誌としての統一という間に齟齬が生まれてきたのです。それが終刊の理由です。」と述べている。

編集人の高橋修宏氏も「同人誌の存在意義とは、その場において自分の書きたいものを書くと言うこと以外にないと言えるでしょう。「光芒」は号を重ねるたびに、そのような遠足を幾度となく確認し、限りなく近づける努力を続けてきました。しかしながら、そのことによって同人誌の<誌>として統一されたフォームと個人の描くイメージと間に、ある種の齟齬が生まれてきたことも否定できません。」と述べている。

私が「自叙伝風に」で何度も述べてきた「自分の書きたいものを書く」が同人雑誌発行の本質であると言うことは、二人の発言からもはっきり裏打ちされているし、それらを忠実に行ってきたことが分かる。しかし、「最高の形態」と思われるそのような同人雑誌の運営がなぜ終了させられるのか。

二人そろって述べていることは、「久保純夫個人の想いと同人誌としての統一という間に齟齬が生まれてきた」「同人誌の<誌>として統一されたフォームと個人の描くイメージと間に、ある種の齟齬が生まれてきた」ということである。

私が「自叙伝風に」で述べてきたことは、同人雑誌は分業で成り立つのであり、同人雑誌自身に理念は生まれない、同人雑誌の編集態度に理念が生まれるだけなのであると言うことであった。つまり、雑誌の理念とは、発行・編集事務に携わる者の理念であったのである。

発行編集の役務に携わる者の理念が「久保純夫個人の想い」「個人の描くイメージ」であるとすれば、それは現実に存在するものである。これに対し、「同人誌としての統一」「同人誌の<誌>として統一されたフォーム」が齟齬したとされるが、果たしてそのようなものがあったのだろうか。同人誌としての統一――それ自身が共同幻想なのではなかろうかというのが、私の長い議論の結論であったはずだ。万が一、あるとすれば、「久保純夫個人の想い」の中に「同人誌としての統一」への想いがあった場合であろうか。これはほとんど時限爆弾を抱えた高速鉄道のようなもので、いずれカーブにさしかかったところで爆発せずにはおかないものである。近い将来、久保氏がそうした想いを持たずに済む個人誌でも同人雑誌でも出されれば爆弾を抱えずに「最高の形態」で進むことが出来るかもしれないと思うものである。

同人雑誌は、このように部外者には分からないものの、思念の上でのある種の危機を常に抱えていることを思い知らせる。

      *      *       *

これに対し結社誌はどうであろうか。昨年12月、長谷川久々子主宰の「青樹」が730号でいきなり終刊した。引退の直接の原因は長谷川氏の視力の衰えだそうだが、次期主宰を養成するのが主宰の務めと想い様々な努力をしたが功を奏しなかったという。一昨年の4月に、「青樹」をやめていた渡辺純枝氏が復帰し、副主宰・編集長に任命されたが、それがその努力の一つのようであった。しかし、今般社告では、役員会では後継者の選定を行い交渉に当たったが決定には至らず「青樹」の終刊を議決した、と無感動に告げている。どんな事情があったのか想像に難くない。久々子氏は、長谷川双魚から主宰を承継したとき、新主宰に対する非難が公然と行われ裁判沙汰になるまでに進んだことを生々しく語っているが、それは単なる過去の回顧談ではないようである。同人雑誌であっても、結社誌であっても、「個人の想い」は果たされないのであろうか。

話は飛ぶが、「光芒」と同じく鈴木六林男の「花曜」の系列の「花象」(徳弘純・塚原哲発行編集)10号が『鈴木六林男全句集』(草子舎)の「私訂・未収録句篇」を載せている。これは徳弘純氏が自らの責任において校訂した句と未収録句を編集したものである。私訂というのは『全句集』の刊行委員の総意を得ていないと言うだけでなく、徳弘氏自身が『全句集』の正字表記をめぐって刊行委員を辞退したかららしい。それはさておき、それらをあわせると、句集脱落2句、未収録92句、誤植25句、字句訂正117、計236句だそうである(この他に句集と拾遺集との重複が80句あったそうだ)。

『鈴木六林男全句集』の編集作業をあげつらうわけではない。同じことはどの全句集についてもいえそうだからである。我が『攝津幸彦全句集』についても徳弘氏ほどの執念を持って点検してくれる人がいたら、結構大きな数字になるのではないかとぞっとした。

実際、全句集の編集は困難が多い。作者が亡くなっていることが多いし、長期間にわたる時間のなかで作者は表記に関わる哲学をしばしば変更している。一方で一流作家でさえ、旧仮名遣いは学習途中であることが多い。初版本にそのまま従えばよいわけではないし、ましてや学校文法に従って訂正すればよいものでもない。新版『攝津幸彦全句集』(沖積舎)でも、編集委員のこんな苦渋に満ちた結論が載せられている(606~607頁)。載せられているからと言ってそれで解決しているわけではないし、よくなっている保障もかならずしもない。徳弘氏にも刊行委員にも、両方に共感しながら読んだ次第である。(「花象」11号ではさらに徳弘氏により未収録11句が追加される一方、10号で訂正した2句をその訂正を取り消している。正誤版も永遠に終らない作業なのだ。)

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岸本尚毅「俳句の力学」

雑感風に
岸本尚毅著『俳句の力学』を読む


                       ・・・高山れおな


岸本尚毅の『俳句の力学』(二〇〇八年九月三十日刊 ウエップ)は、『俳句の力学』というタイトルがまず意表をつかれるようでもあり、岸本尚毅らしいようでもある。例によって「あとがき」を見ると、

本書は「ウェップ俳句通信」に連載した俳句に関するエッセイをまとめたものである。/「力学」とは、俳句を貫く俳句の法則のようなものを考察したいと願っての題であるが、書き上がったものを見ると「雑感」の体である。

と、説明がある。この説明になんとなく既視感を覚えたので考えてみると、子規の『獺祭書屋俳話』(一八九三年 日本新聞社)の「小序」にこんな記述があったのを思い出した。

(さき)に『日本』に載する所の俳話、積んで三十余篇に至る。今、之を輯(あつ)めて一巻と為さんとす。乃ち前後錯綜せる者を転置して稍〃俳諧史、俳諧論、俳人俳句、俳書批評の順序を為すといへども、固(も)と随筆的の著作、条理貫通せざること多し。
  ⇒漢字を現行のものに改め、句読点・括弧ルビを加えた。

『獺祭書屋俳話』の前年に、旧派宗匠の第一人者・其角堂機一の『発句作法指南』という本が出ており、子規は同書に対して〈秩序錯乱して条理整然ならず。唯思ひ出づるがまにまに記し付けたるが如き書きぶりは、猶(なほ)明治以前の著書の体裁にして〉と、痛烈な評言を加えていたのだが、いざ自分でやってみると「条理貫通せざること多し」と同じ穴のムジナであることを認めざるを得なかったのは皮肉である。ただし、このことが『獺祭書屋俳話』の欠点になっているかどうかはまた別の問題であるし、それは『俳句の力学』の雑感風の体裁とその内容の価値の関係に関してもあてはまるだろう。なお、子規と幾一のやりとりについては、復本一郎の『正岡子規・革新の日々 子規は江戸俳句から何を学んだか』(二〇〇二年 本阿弥書店)に詳しい。

『俳句の力学』はなかなか剣呑なはじまり方をする。冒頭「俳句の可能性」の章で、俳句の数には限界があるのではないか、〈未発見の秀句は次第に少なくなってゆく〉のではないかと、「俳句有限説」の問題を俎上に乗せているのである。これがまた、子規的といえば子規的な発想で、そもそも「錯列法(パーミユテーシヨン)」を持ち出して、和歌や俳句が〈早晩、其限りに達して、最早此上に一首の新しきものだに作り得べからざるに至るべし〉と唱えたのは『獺祭書屋俳話』における子規その人に他ならない。

概言すれば俳句は已に尽きたりと思ふなり。よし未だ尽きずとするも、明治年間に尽きんと期して待つべきなり。

という一節はよく知られているだろう。俳句は明治で終わりだと予見しながら、俳句革新に邁進するのが子規という人のおもしろさであるし、そのような見通しのもとでの子規の活動が結果として大正・昭和の俳句の隆盛をもたらすことになったのは、歴史の皮肉とばかりは言えない表現史の展開における必然性を感じさせて、俳句にかかわる者が何度でも立ち返るべき光景かと思う。一方、岸本が「俳句有限説」に対して提示するのは「現場の楽観論」である。

資源が有限だという「机上の悲観論」は観念上の「真理」です。しかし技術革新や市場原理を通じた資源の効率利用が進みつつある現実は「現場の楽観論」を裏づけているとも思えます。/俳句においても吟行や句会の現場に身を置くとき、新たな一句への期待に胸膨らむ思いがします。とくに自然を相手にするとき、俳句という詩が無限の可能性を秘めているような心持ちがします。

『俳句の力学』は、読んでいて気持ちのいい本だ。その根底にあるのが岸本のこの楽観主義である。ただ、楽観主義が不快な教条主義に転じるさまを俳句の世界ではしばしば目にしなくてはならないのだが、岸本の語り口はその弊を免れていて、それこそが本書の最も称揚すべき点に違いない。もちろん引用した一節に限っても批判しようと思えば、難しくはないだろう。とりわけ「資源の効率利用」を要請し、可能にしているのは他ならぬ「机上の悲観論」なのであり、それなくしては「資源の効率利用」の動機そのものが生じないことは忘れるべきではない。岸本の楽観主義にしてからが、じつは子規の悲観主義と結びついた写生という方法論に淵源しているのである。

たしかに、俳句の個数が有限だから俳句に未来はない、などという言説は無視してもよい。しかし、百年前の方法論が今後とも有効かどうか、評者は岸本ほど楽観的になれずにいる。これは、写生という手法が使えなくなる、というようなこととは違う、もっと漠然とした気分のようなものだ。むしろ、岸本の楽観主義が「自然を相手にするとき、俳句という詩が無限の可能性を秘めているような心持ちがします」という具合にすぐれて現場主義的なものであるのと同様に、現場主義的悲観論とでもいうべきものが評者にはある。つまり、「自然を相手にしても、俳句という詩が無限の可能性を秘めているようにはとても思えない」ということだ。そして言うまでもなく、岸本の楽観主義が岸本ひとりのものではないように、評者の悲観主義もまた評者ひとりのものではないし、俳句の豊饒、必ずしも楽観主義からあるいは悲観主義から生じると決まったものではない。それは岸本がおなじ「俳句の可能性」の章で、昭和の時代に「新たな意匠」を世に問うた人々としてそれぞれの代表作と共に列挙する、以下の顔ぶれを一瞥するだけでも明らかだ。

種田山頭火・水原秋桜子・橋本多佳子・永田耕衣・川端茅舎・中村汀女・西東三鬼・中村草田男・山口誓子・富澤赤黄男・橋間石・加藤楸邨・松本たかし・高屋窓秋・石田波郷・森澄雄・佐藤鬼房・金子兜太・鈴木六林男・野澤節子・飯田龍太・三橋敏雄・高柳重信

もちろん、岸本やこれらの人々が現場で抱いている(抱いていた)楽観論・悲観論を超える次元で、俳句形式にはそれ自体の運命があるはずだ。〈世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。〉(レヴィ=ストロース)という言葉に倣って、「日本語は俳句なしに始まったし、俳句なしに終わるだろう」とつぶやくことだって出来るのだ。筑紫磐井の『定型詩学の原理』(二〇〇一年 ふらんす堂)はそのような次元における俳句の運命を探ろうとする試みだったかもしれない。ただし、その次元ではもはや個々の俳人が果たし得る役割などは存在しないのだし、責任のとりようもないわけである。岸本の現場主義とは、このような意味でのニヒリズムを回避し、俳句に対する責任を手放さないためのすぐれて自覚的な選択ではないかと評者は思っている。念のために言い添えておくと、岸本の現場とは吟行や句会の場ばかりを意味しているわけではない。正確には「言葉の現場」というべきであって、それが岸本の証拠主義的というか、常に極めて具体的な技術批評に即しつつ展開する論述のスタイルを要請しているのである。ここで遅ればせながら本書の目次を掲げておく。

俳句の力学 目次
俳句の可能性
主題について――季題という秩序
季題を演じる
季題と取り合わせ
写生について
「写生」と「読み」について
言葉選びの心理
名山と名月
切れ字について――『葛飾』の場合
切れ字と叙情について
常態としての変化――俳句と時間
感覚について
俳句の設計思想
会話と棒読み――他者としての言葉
言葉と自然
内言語について
俳句という器

いずれも総合誌の企画絡みで、岸本とは三度ばかり同席したことがある。アドリブの利かぬ評者などと違って座談のうまい人で、今でもよく覚えているのは類句問題などというのは自然淘汰の考えで処理すればよいのだという話。ちょうど例の類句騒動が喧しい頃だったのだろう。岸本は、

山川に高浪も見し野分かな  原石鼎
山川に高浪たつる野分かな  村上鬼城

という二つの句を例に挙げ、言葉も情景もほとんどおなじだが、石鼎の句は名句として人々に共有され、鬼城の句の方は誰も覚えていない。それで決着しているので、どちらが先かを云々することに大した意味はない、そんな趣旨だった。岸本の語り口の妙味などは伝えようもないが、感心した記憶だけは残っている。じつはこの両句、本書でもならんで登場している。ただし、ポイントは類句だの類想だのとは別のところにある。その引用がなされている「内言語について」の章は、あるいは本書の中でも最も難解な部分であろう。これはほとんど俳句づくりの奥義と言ってもいい内容で、俎上にのぼっているのは名人クラスでも容易にはコントロール出来かねる領域なのだ。その前提となっているのは、岸本の師・波多野爽波のいわゆる俳句スポーツ説である。

波多野爽波は「俳句とは身体で受け止め、瞬時にして反射的に、有季十七音という言葉の塊として一時にでてくるもの。/従ってこれを為し得るような体質づくりを目指して、恰もスポーツの練習を反復して行うように写生の修業をこれでもか、これでもかと思う迄にやって足腰の鍛錬を行い、よき俳句に恵まれ得るような体質づくりこそ目指すべき」(「再び『瞬時の詩』を」)と言います。

岸本は、〈「外に、音声や文字となって現われない言語。考えごとをする時や、声を出さずに本を読んでいる場合など」〉という「内言語」についての『広辞苑』の定義を引きつつ、〈「内言語」とは「心の呟き」です。〉と述べ、さらに師説を次のように敷衍する。

爽波は、脳裏に浮かぶ内言語すなわち「心の呟き」がそのまま俳句になるように作句の鍛錬をすべしというのです。/作者の「心の呟き」がそのまま俳句になり、それがそのまま読者に共有されること、そのような感覚で俳句が読者の中へスッと入ってゆくことが理想です。

岸本はこうした理想を具現した作として阿波野青畝の〈十六夜のきのふともなく照らしけり〉を挙げる。

この句を読むと心地よい「内言語」が頭の中に響きます。外から入ってきた感じではなく、自分の心の中に埋もれていた言葉の塊に光が当ってキラッと輝いたような感じがするのです。

というわけだ。対照的に加藤楸邨の〈木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ〉や水原秋桜子の〈冬菊のまとふはおのがひかりのみ〉は、すぐれた句ではあっても〈そのまま私自身の内言語として受け入れるには抵抗感があり〉、楸邨・秋桜子の内言語が〈自分の外から入ってくる感じ〉だという。俳句を読むという感覚的な体験を微分してゆく手際のみごとさに感嘆しつつも、教師が板書する数式をあんぐりと口をあけて眺めている不出来な学生になったような気がしないでもない。楸邨・秋桜子についての記述はそれでもまだわかるが、青畝についての引用部分などはこれを実感的に理解するだけの繊細さを持ち合わせていないのではないかと、自分で自分が疑わしい。それでも抵抗なく読めてしまうのは、岸本の比喩的な語りが、それ自体で秀抜な質を持っているからで、じつは本書は全篇これ比喩の見本帳という面もあって、考えてみれば“俳句の力学”というそもそものコンセプトからして一種の比喩であった。

さて、問題の石鼎・鬼城の句が登場するのはこの先で、カエサルの『内乱記』にある

アレクサンドリアでポンペイウスの死を知った。

という一文との関連においてである。岸本は、この一文が〈カエサル派なら凱歌をあげ、ポンペイウス派なら涙したであろう、そのどちらの感情にも合うように書かれた〉とする塩野七生の見方を紹介しつつ、岸本自身は〈「ポンペイウスは死んだ」ではなく、「ポンペイウスの死を知った」であることに興味を覚え〉たと述べる。

「死を知った」の主語はカエサルです。ポンペイウスとの和解を望んでアレクサンドリアに来たカエサルは、そこで相手の死を知りました。(中略)一見すると「ポンペイウスは死んだ」の方が客観的に見えます。カエサル自身を主語とした「ポンペイウスの死を知った」の方か主観的な書き方に見えます。理屈の上では、ポンペイウスの死を知ったからそれを記述したわけですから、「知った」は冗語とも思えます。
しかし「ポンペイウスの死を知った」は「大理石に刻まれた」
(小林秀雄の評言……引用者注)ように揺るぎない。むしろ「ポンペイウスは死んだ」の方が「内言語」そのものです。

ここまでくればおわかりのことと思うが、石鼎の〈山川に高浪も見し野分かな〉が鬼城の〈山川に高浪たつる野分かな〉に勝る所以が、カエサルの一文からの類推によって説明されるのである。石鼎の句には「高浪も見し」という述語表現によってその主体である「われ」の存在が示されている、にもかかわらずそこに人物の気配がない。結果として石鼎の句には、〈あたかも山霊が山中の絶景を人間の脳裏に「念写」したかの如き凄まじさ〉が表現されることになった。カエサルがというよりも、〈歴史自身がポンペイウスの死を自らに刻印した〉かのような『内乱記』の一文の荘重さにも似て……。

断るまでもないことながら、一句の中に主体の存在を書き入れれば名句が生まれるなどということを岸本は一般論として述べているわけではない。繰り返せば、この章は『俳句の力学』のうちでも最も難解な部分で、一句がはらむ価値と内言語性のメカニズム、あるいは作り手の内言語・読み手の内言語の関係を、岸本自身も完全には整理しきれていない印象も受ける。が、それは岸本の不名誉というわけではない。さきにも言ったように名人にも必ずしもコントロールしきれない、奥義とでも呼びたいような句づくりの呼吸について、岸本はここで書こうとしているからである。一見すると俳句入門書ないし鑑賞の手引きのような体裁の本でありながら、このようなところまで筆が及んでいることに驚きを感じる。しかもこの「内言語について」の章は、最後にもう一押しのサプライズまである。

内言語すなわち「心の呟き」を最も無造作に表出したのが自由律です。しかし私は、自由律のすぐれた作品は、決して内言語そのままではないと考えます。たとえば
 春風の重い扉だ  住宅顕信
 ずぶぬれて犬ころ  〃
のような内言語があり得るでしょうか。むしろ作り手の心の襞を押し隠すような、言葉の再構成によってこのような作品が生まれたのです。「ずぶぬれて犬ころ」という言葉は、読み手の中に入った瞬間、たちどころに読み手自身の内言語と化します。

本書の多くの部分において岸本は、季題や写生、切れ字をめぐってほとんどウルトラ保守とでも称すべき立場で論をくりひろげている。その一方で、なんの保留も無しにすぐれた達成の例として自由律が引き合いに出される。こういう風通しのよさは、あまり出会うことのできないものだ。そしてじつは、そのウルトラ保守的な立論にしても、徹底的な自己相対化を内在させたものなのである。なにしろ「写生について」の章など、虚子や外山滋比古の説に依拠しつつ写生についてさまざまに考察した挙句に、

俳句の写生とは何でしょうか。その間口を広く解していったとき、何が写生で何が非写生かという議論自体が、私には意味のないものと思えてくるのです。

という結論がきたりするのだ。なんだそれなら本書の「議論自体」も「意味のない」放言にすぎないのか、といえば無論そんなわけはない。むしろ写生についてであれ他のなにくれの問題についてであれ、「その間口を広く解して」ゆく、それも出鱈目にではなくあくまで俳句に対する責任を放棄しない形で「その間口を広く解して」ゆく、そのような思考実験のテキストとして本書はあるのではないかとさえ評者は思う。なぜ、岸本はこのような態度をとるのか。それは、岸本がどこまでも実作者として自分を律しているからであるに違いない。彼は季題や写生についてはっきりとした価値観を持っているが、もし彼が真に実作者であることに徹するなら、「新たな一句」のためにそのような価値観をいつでも擲ってみせる覚悟もまた必要なのだ。それが結局、可能性に終わるとしても、である。それこそが、「俳句という詩」の「無限の可能性」に対するへりくだりというものだろう。実作者として語りはじめながら、しばしば何の根拠もなく俳句の代理人ででもあるかのように振舞ってしまいがちな多くの俳人たちに比して、岸本のこの自制は水際立って見える。鮮やかな技術分析の数々の向こうに、なりふりかまってはいられない実作者の息遣いが潜んでいる、そこに強い共感を覚えた。

*岸本尚毅著『俳句の力学』は、著者より贈呈を受けました。記して感謝します。
*本書については、筑紫磐井氏が「俳句四季」二月号の「俳壇観測」欄で興味深い言及を行っています。また、「週刊俳句」第90号で、上田信治氏が書評しています。
  http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/04/081.html


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