2009年1月31日土曜日

新歳時記通信

俳誌雑読 其の五
制度の情熱 「新歳時記通信」の企て


                       ・・・高山れおな

ふだん、俳人の評伝などにそれほど関心の強い方ではないのに、前田霧人の『鳳作の季節』(二〇〇六年 沖積舎)ばかりは夢中になって読んだ記憶がある。山本健吉文学賞(二〇〇七年度 評論部門)を受賞する栄に浴したのもむべなるかな、とにかく資料の博捜ぶりはたいへんなもので、臆断を排し、ひとつひとつが確かな裏打ちを持つ記述のむこうに、篠原鳳作という魅力的な俳人の姿がくっきりと浮かび上がってきた。いや、“魅力的な俳人”などとぬけぬけと書いてしまったが、じつのところ前田のこの本によってはじめて鳳作の魅力を認識させられたというのがほんとうであった。

鳳作は我々に何を残したのであろうか。答えは簡単である。彼が言いたかったのは、ただ次の一言である。
「我々は我々の詩心をいつわらざる生活感情を単一に十七字に結晶せしめんとするのみである。其結果なる作品が無季たると有季たるとは問う所ではない。 」

これは同書の終章の一節。この、いわば“篠原鳳作”という問題構成の延長線上に、より大きなスケールでの新たなとりくみを前田は始めている。昨二〇〇八年四月に創刊号を、七月に第二号を、そしてこの一月に第三号を発刊した個人誌「新歳時記通信」がそれである。前田のこの活動については、林桂がすでに「俳句界」の時評欄(二〇〇八年十月号)でとりあげており、〈目指すは「歳時記」の再構築とその意味を問うという気宇壮大な仕事である。〉と好意的に論評している。“気宇壮大”という形容でもまだ足りないような、途方もない企てで、これはあるだろう。発刊の辞や後記の類を除いた、同誌の目次を示しておく。

創刊号
新歳時記考序説
座敷鷹

第二号
西瓜考
季の問題
エントロピー的俳句論

第三号
伊豆の縄船
ひやひやと昼寝
海女沈む
押せば開く

このうち、第二号に載る「季の問題」が、俳文学者・頴原退蔵の『俳句周辺』(一九四八年 天明社)からの再録であるのを除けば、いずれも前田自身の渾身とでも呼びたい論考がならぶ。まず、「新歳時記考序説」において基本的なスタンスを提示し、ひとつひとつの季語について各論を積み重ねてゆくことで新たなる歳時記秩序を編み出そうとの構想であり、行文の緻密をもって鳴る林桂が、〈前田は、物事を徹底的に調べないと気が済まないらしく、その一歩一歩も非常に重いものである。〉とややあきれた気味の物言いをするほどであるから、いわんや評者のようなプリンシプル無き場当たり的実作者には驚異であると同時に脅威ですらある。

あらかじめ言っておくならば、その熱心な仕事ぶりに対する敬意は敬意として、実のところ評者は歳時記の再構築という前田の大目標についてはさして共感していない。一方で、前田がその作業の過程であきらかにしつつある個別的・具体的な事象に関しては、大いに興趣をそそられもする。例えば、「西瓜考」では一般に夏の果物と認識され、盛夏七月から初秋八月にかけて出荷のピークを迎える西瓜が、なぜ現行の多くの歳時記において秋季に分類されているかが考察される。前田によれば、西瓜が「四季の詞」として俳書に登場するのは江戸時代、十七世紀半ばのこと。その嚆矢となる松江重頼撰の『毛吹草』(正保二年/一六四五)から幕末の藍亭青藍撰『増補改正俳諧歳時記栞草』(嘉永四年/一八五一)まで、近世の季寄せ・歳時記類十八種における西瓜の扱いを検討した前田は、近世における西瓜の季の変遷を次のように概括する。

即ち、初出と思われる一六四五年の『毛吹草』から一七一三年の『滑稽雑談』まで七十年に亘り、「水瓜」あるいは「西瓜」の季は現在の通説とは相違し、一貫して陰暦六月・晩夏であった。それが夏、秋「好む所に随ふ可し」とした『滑稽雑談』を境に変化を見せ始め、まず『通俗志』で「西瓜」が陰暦七月・初秋に設定される。そして、「水瓜」あるいは「西瓜」を六月、「西瓜」を七月に併出、従来の「水瓜」六月説を批難、「水瓜」を抹消という過程を経て「西瓜」の季が陰暦七月・初秋に一本化される。その間、一七一七年の『通俗志』から一八一八年の『季引席用集』まで、丁度百年の歳月が流れている。

このように江戸初期には夏季に配されていた西瓜が、江戸中期以降、徐々に秋のものとされるようになっていったというのが前田の見通しであるが、実際の運用が果たしてこの通りだったかどうか、微妙なところもあるように評者は思う。例えば其角撰『花摘』(貞享四年/一六八七)には、百里という人の

辻々に切ちらしたる西瓜哉

という句が載っているが、前後がそれぞれ

馬士(うまかた)も倒れ臥す野の末の露
(うけ)がたき身を悦べや生身魂

であるから、この西瓜は秋ということになる。また、同じく其角の追善集である『類柑子』(宝永四年/一七〇七)には、潘川の

業平の暗(やみ)にしられし西瓜哉

を発句(かなり面白い句ではある)とする其角参加の歌仙が見えるが、脇が、

薄は月のありになるまで  里東

第三が、

御用木一本乗を初汐に  堤亭

なのだからこの西瓜も秋季の扱いである。評者の手元の本を少し覗いてみただけでもこの調子なのを見ると、正徳三年(一七一三)刊の『滑稽雑談』が〈好む所に随ふべし〉と言っているのは、実作ですでに夏秋の併用がそうとう広範に見られたことの追認なのであろう。ちなみに、近世初期の西瓜を詠んだ発句で最も有名なのは、さっきから名が出ている其角の

西瓜喰ふ奴(やっこ)の髭の流れけり
西瓜くふ跡は安達が原なれや

あたりであろうか。其角の家集『五元集』では秋の部に入っているが、両句が載るのは其角自選の巻ではなく、百万坊旨原が編んだ拾遺の巻であるから、これが其角の意図にかなっているのか、あるいは編者の恣意なのかはわからない。其角自身の意図だったとしたら、蕉門の最有力俳人がすでに西瓜を秋と認識していたことになるのだが。

話が少々脱線してしまったようだ。前田は引き続き近代の歳時記の検討に入っている。子規の俳句革新以降、歳時記の歴史に一線を画する改造社版『俳諧歳時記』が出版された昭和八年(一九三三)にいたるまで、前田が掲げた十二種の歳時記を見ると、意外にも七種が西瓜を夏季とし、五種が秋季としており、江戸後期とは状況が異なっていることがわかる。これらの歳時記の編者は、素性不詳の一人を除いていずれも子規系統の新派俳人で、季がふたつに分かれるのも子規の態度に由来するのであろうというのが前田の考えだ。つまり、近世俳句の集成である子規の『分類俳句全集』(昭和三~四年/一九二八~二九 アルス)では西瓜は江戸中後期に一般的だった秋季説に準拠して秋に分類される一方で、『俳諧大要』(明治三十二年/一八九九 ほととぎす発行所)では、

四季の題目にて、花木(かぼく)、花草(かそう)、木実(このみ)、草実(くさのみ)等はその花実(かじつ)の最(もつとも)多き時を以て季と為すべし。梨、西瓜等亦(また)必ずしも秋季に属せずして可なり。

とされているからだ。このふたつの行き方がひとつの歳時記に合流したのが改造社版『俳諧歳時記』で、西瓜は青木月斗編の「夏之部」、松瀬青々編の「秋之部」に併記されることになった。月斗は解説で、現在では西瓜は夏に市場に出まわるから歳時記でも夏の季題とするのが普通だが古歳時記では秋とされていることを述べ、青々はさらにやや詳しく、栽培法が変わった現在では西瓜の旬は晩夏で秋に至ればその味は劣るとし、西瓜の季は夏季に移すのがよいが、西瓜を秋季とした古人の句意をあやまつことをおそれて秋の部にも存置した、と説明する。こうした月斗や青々のゆき方について、前田は次のように記す。

これらを見ると、我々の大先輩に当たる月斗、青々らが如何に真面目で柔軟で、高い見識と決断力を持った素晴らしい俳人たちであるかが本当に良く分かる。「但し西瓜の季は晩夏、初秋に亙る季物とするが穏当ならん。」(上記歳時記解説にある青々の言葉……評者注)という青々らの真摯な思いを七十五年経った今も満足に歳時記に反映出来ていない不勉強と優柔不断を、現代の俳人たちは大いに恥じなくてはならないのである。

この月斗・青々に対する高い評価と対照的な扱いを受けるのが他ならぬ虚子で、

「西瓜」の季に対する月斗、青々らの真摯な態度を僅か一年の後に反古にしたのが昭和九年(一九三四)に三省堂より刊行された虚子編『新歳時記』である。

と、ほとんどヒールに近い。前田は、『新歳時記』刊行の背景には、虚子が改造社の歳時記に抱いていた強い不満――編者の人選、編集方針など――があるといい、それはなるほど『新歳時記』の序にあきらかなのであるが、ここではその点はスキップして、『新歳時記』における西瓜の解説を前田に導かれながら読んでみる。

そして、肝心の『新歳時記』における「西瓜」の季であるが、「西瓜・蜻蛉(とんぼ)等も寧ろ夏が多いのに秋とし」たのは「其季題に対する感じが重きを為したものである。」と虚子が「序」に明記するように、「西瓜」は当然の如く陽暦八月・初秋の季語となっている。

〔西瓜は昔から秋季としたものであるが、近来栽培法が発達し、外来種なども多くなり早生種が多く市場に現れるようになった。七夕によく之を供える。〕

前田は、虚子歳時記の系譜を嗣ぐ稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』の記述も同様であることを確認し、さらにこう続ける。

しかし、第一節で述べたように、現代の俳人大多数の感覚では「西瓜は盛夏のイメージ」(『角川俳句大歳時記』「冷し西瓜」解説)である。また、確かに西瓜は七夕にも供えられるが、西瓜から直ちに七夕をイメージする人は多くないであろう。虚子らの「西瓜」という「季題に対する感じ」は明らかに一般と乖離しているのである。

〈真面目で柔軟〉な月斗・青々が、近世中後期以来の西瓜秋季説と実感の齟齬を齟齬として提示し、夏秋併出することで問題を解決しようとしたのに対して、虚子が自らの〈「季題に対する感じ」〉〈一般と乖離している〉ことに無自覚なまま、性急に西瓜の季を秋と定めていることが“真摯な態度”を欠如したものと前田の目には映るのであろう。もちろんすでに見たように、〈西瓜は昔から秋季とした〉という認識自体が厳密には正確なものではないことが前提としてある。とはいえ、西瓜は秋季とする虚子の選択にしても、前田の基準では疎漏を免れないにせよ相応の根拠は持っているのであり、恣意ということはできない。そしてついに、虚子についての前田の記述は、以下のような常軌を逸したところにゆきついてしまう。

うり西瓜うなづきあひて冷えにけり  虚子
そして、彼ら
(虚子と汀子……評者注)の矛盾を象徴するのが『新歳時記』、『ホトトギス新歳時記』双方に「西瓜」例句として掲げられたこの句である。両歳時記共に、「瓜」、「冷し瓜」は夏の季語である。夏季の「瓜」と秋季の「西瓜」がどうやって頷き合うのか。秋の西瓜を冷やせば、夏にタイムスリップするとでも言うのか。

歳時記における季を異にする複数の事物が一句の中に同居するのは、虚子に限らず少しも珍しいことではない。虚子にしたって西瓜が夏には存在しないとも、瓜が秋に存在しないとも言っているわけではないのである。評者には、こんな揚げ足取りめいた物言いは、せっかく積み重ねた調査や考証の労苦に泥を塗るものとしか思えないが、前田の虚子に対する憎しみはそんな常識的な判断力を失わせるほどに深いものなのであろう。前田は、秋桜子編集の歳時記がすべて西瓜を夏としていること、秋桜子が新たに歳時記を編纂するたびに虚子が時をおかずに歳時記を出している(ように見える)ことにも注意をうながしているが、その事実に対する前田の評価にも明らかに飛躍がある。

○ 昭和七年十二月―秋桜子編『現代俳句季語解』(交蘭社)
○ 昭和九年十一月―虚子編『新歳時記』(三省堂)
○ 昭和十三年五月―秋桜子編『新選俳句季語解』(交蘭社)
○ 昭和十五年四月―虚子編『新歳時記』改訂版
○ 昭和二十六年三月―秋桜子編『新編歳時記』(大泉書店)
○ 昭和二十六年十月―虚子編『新歳時記』増訂版
虚子は昭和三十四年四月に八十五歳で没しているが、偶然と言うには余りに年月の符合した秋桜子と虚子の歳時記刊行と、その改訂振りである。

あたかも虚子が『新歳時記』で西瓜を秋としたのは、西瓜を夏とする秋桜子の『現代俳句季語解』に対するアンチであり、虚子は常に秋桜子に対抗せんがため『新歳時記』を改訂・増補しつづけたと言わんばかりである。なるほど、そうでないとする積極的な証拠を評者は別段用意していないし、俳人としての二人に対抗意識があったことはもちろんのことだ。しかし、俳壇の二大巨頭が数年のインターバルを置いて歳時記の編集・改訂を繰り返すのはなんら不思議ではないし、ここに見られる時間的な前後関係が“偶然”でないとするのは、他になんらかの証言でもあるなら別であるが、いささか強弁に過ぎよう。西瓜の季を両者が違えていることにしても同様である。季の所属に揺れがあるものは言うまでもなく西瓜に限らない。そうした事例すべてにおいて、虚子歳時記は秋桜子歳時記と季を異にしているのであろうか。これはさしずめ、裁判沙汰であれば証拠不十分で不起訴処分になる程度の事案のように評者には思える。せっかくの地道な調査が、陰謀史観めいた記述に帰結するのは淋しい風景という他はない。

「西瓜考」にかかずらいすぎたかも知れないが、前田はこのような具合に「伊豆の縄船」では“鮫”の季を論じ、「ひやひやと昼寝」では、芭蕉の

ひやひやと壁を踏まへて昼寝哉

を入口にして“昼寝”と“ひやひや”の季を考察する。「海女沈む」はもちろん“海女”についての論考。「押せば開く」は、

祇王寺の留守の扉(とぼそ)や押せばあく

という虚子の無季の句を俎上に乗せ、新興俳句と虚子の関係を再検討している。いずれの文章にも、興味深くも為になる知識の披瀝といささか辟易させられるような情念の奔出とが混在しているおもむきであるが、今これら各論に具体的に立ち入ることはしない。前田が、「西瓜考」で見たような強固な実感主義に拠りつつ、新たな歳時記秩序をどのようなものとして構想しているか、むしろ総論である「新歳時記考序説」の方を覗いておきたい。

「新歳時記考序説」において前田はまず、旧来の太陰太陽暦ではなく現行の太陽暦を基準に、三、四、五月を春、六、七、八月を夏にするなど、気象学的区分による季節区分を採用したことで話題になった現代俳句協会編『現代俳句歳時記』(二〇〇四年 学習研究社)の功罪を検討することからはじめている。罪としてあげられるのは、立春が冬になってしまうような、主に時候季語に見られる矛盾である。これは〈二十四節季を規準とする一つの確立した季節区分に直接係わる季語を、もう一つの別の季節区分で再度区分しようとしたことに起因する〉混乱であると批判される。また、〈現代の生活の中で季節性が薄れ、どの季節と決め難くなっている季語〉を「通季」として立項したことには、〈従来の俳句歳時記の形骸化した一面を明確に指摘した〉と、一定の評価が与えられるが、季語と無季に加えて別の範疇を導入することによって、言葉の体系がさらに分断されてしまう点が問題であると指摘する。一方、功とされるのは「無季」の立項で、〈これまでは「雑」という従来の古い呼称に終始していたものを、誰はばかることなく堂々と「無季」としたこと〉で、〈一つの大きな壁を打ち破る快挙〉と称賛される。

『現代俳句歳時記』の矛盾を止揚し、功を生かす道として前田が提案するのが、「物象感」の軸を第一義としての歳時記の再編成である。「物象感」とは金子兜太の用語で、『現代俳句歳時記』の前身である『現代歳時記』(金子兜太・黒田杏子・夏石番矢編 一九九七年 成星出版)の兜太による「あとがき」には次のような説明がある。

それ(=ものを美意識化したところに現出した「造語」……評者注)が季語。その季語とは別に、季節感ではなく、そのものの〈物象感〉を軸とした美意識化もあり得る。季節感が得難いときでも、物象感を軸に美意識化が出来るということで、「春の山」は季語だが、「山」は季語ではない。しかし、「山」の物象感を十分に活かせば、季語同様に天然自然との交感を可能にする、ということなのである

前田は、金子が「無季」語にのみに限定した〈「物象感」の軸〉を、一般の季語をも包摂するものとして拡張し、〈夏石番矢の言う「有季・無季の次元を超越した分類基準」に採用〉することを主張する。

このような「物象感」の軸を第一義に採用した新しい俳句歳時記は、従来の季語に「無季」を加えた「俳句キーワード」を一本に体系化出来るだけでなく、従来の俳句歳時記に生じている大抵の問題が解決できる。

「季節感」の軸を第一義としないことにより、季語を無理矢理一つの季節に限定する必要がなくなり、複数の季節にまたがって記載することも当然に可能となるからである。

従来の季節区分と生活実感とのずれの問題は、「時候」季語を中心に既に体系化が出来上がっている従来の区分を規準とした上で、四季を表す「春」、「夏」、「秋」、「冬」などの季語は「春」なら陽暦三月から五月までなどとする生活実感としての区分を併記する。そして、暦の上の春と生活実感としての春を、その時その人の気分で自在に詠めば良い。

如上の目標のために、ひとつひとつの季語を洗いなおす作業がすなわち「新歳時記通信」の各論なのである。改めてその情熱に敬意を表しておきたい。しかし一方、〈暦の上の春と生活実感としての春を、その時その人の気分で自在に〉詠むなどということは、前田が夢見る新たなる歳時記の出現を待つまでもなく、実作の現場では昔から行なわれているのではないだろうか(先ほどの虚子の「うり西瓜」の句もまさにそのようにして詠まれたものだ)。前田は歳時記の実体との齟齬や空洞化がよほど我慢ならないようだが、歳時記秩序は、いわば最初からそうした不合理をも内包したシステムなのだし、少なくとも評者はそのことに格別の痛痒を感じてはいない。

つまり評者には、前田にあるような合理性・整合性を希求するメンタリティがほとんどまったく欠けているのであろう。個々の単語から統辞法、さらに表現の様式、歳時記、日々に生起する現象のレベルにいたるまで、言葉というのは要するにすべて他人のものである。言葉のシステムというのは、まず受け入れなければ始まらないところがある。受け入れて正確に運用すること、言い換えれば合理性ではなく正確さを追及すること――評者に興味があるのはそちらの方だ(この場合の正確さとは表現価値の問題であって、文法的な正しさの意味ではない。念のため)。そして正確な運用という観点からすれば、じつのところ前田のやっていることは煩瑣な訓詁学に過ぎず、「物象感」を軸にした歳時記なるものも、およそ実用には適さない博物学的な化け物のような姿を呈する懸念なしとしない。

ところで前田の試みに対して、評者とはまた違う立場で片山由美子が批判している。「新歳時記通信」第三号の後記で、前田が〈二〇〇九年版「角川俳句年鑑」の片山由美子「巻頭提言」にも、ほんの二行ですが拙誌の御紹介を賜りました。〉と記すその巻頭提言「歳時記を考える」である。なるほど、同文中で直接、前田の仕事に言及するのは、

また、「新歳時記通信」(編集発行・前田霧人)のように、歳時記を考察し提言することに徹した冊子まで刊行され始めている。

という〈ほんの二行〉に相違なく、前田の不満げな口ぶりもわからなくはない。しかし、一般化した形で語っているとはいえ、その内容からすれば片山の文章は全体として前田に対する批判と言ってもよいものと評者には見える。実際、

近年、歳時記と実生活が大きくずれているという指摘がある。西瓜が秋の季語であるのはおかしい、というように。暑い夏に食べてこそのものであり、夏に分類すべきであるというので、実際に夏の季語にしてしまった歳時記もある。

といった記述もあるのである。これはおそらく現代俳句協会の歳時記のことを指しているのではあろうが、ことさら西瓜が例に挙がっているのは前田を意識してのことではないのか。

生活実感は、歳時記の季節に優先しない。それを前提としないかぎり、有季俳句は成り立たないのである。

という片山の立ち位置ははっきりしたものだし、ここで片山が述べている意見自体は正しいと思う。ただ、片山のように有季俳句に忠義立てする気持ちが評者にはないというだけのことだ。しかし、一方で前田のいう〈「無季有季俳句融合の理想境」〉なるヴィジョンにも、あまり魅力を感じられないのは何ゆえか。評者が思うに、無季有季の並存や融合は中長期的には事実として進行の度を深めてゆくであろう。なにしろすでに、俳壇を二分する協会のひとつが無季を立項した歳時記を作っているのである。しかし、それは基本的には心性面での有季の溶解という形でなし崩し的に進行する事態であって、前田が思い描くような合理的・積極的なヴィジョンの展開の形をとることになるかは疑問だ。そして、有季を支える心性が溶け去ったあとに残った俳句の荒廃は、いかなる意味でも「理想境」からは遠いものになるに違いない。実作者としての評者が興味を抱いているのは、この心性レベルの転位の方である。有季墨守の片山も、無季推進の前田も、歳時記という制度の延命に加担しようとする熱意において、意外に似た者同士なのかもしれない。

*「新歳時記通信」は、全文をウェブ上で読むことができます。
  http://kirihito.holy.jp/saiji/
* 前田霧人『鳳作の季節』及び「新歳時記通信」創刊号~第三号は、
  著者より贈呈を受けました。記して感謝します。

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