「―俳句空間―豈」第47号読み倒し〔二〕 カ行~サ行の作者
岡村知昭「原人へ」二十句/恩田侑布子「桃の皮」十六句
B Aさんこんばんわ。バレエを見に行ってらしたそうね? 演しものは何だったのかしら。さて、この前はア行の作者まで読んだのでしたが、疲れてたのもあってスルーしちゃった岡村さんと恩田さん、もういちど見返したら、岡村さんの
は、面白いと思い直しましたんですの。ただ、下五の「ママはいる」、たぶん「ママは居る」だと思うけど、「ママ入る」なのかな。だとするといただけませんが。しかし、この「ヒヤシンス」も少し危ないし、
日本人風の暴漢ぐらじおらす
の「ぐらじおらす」の取り合わせとか、言葉の持ち出し方に信頼しきれないところがありますね。全体にその荒さが問題だと思いました。
A こんばんは、年の瀬は慌しいですね。以前はよくモダンバレエを見ていたのですが、クラシックはほぼ未見でして、そういう意味ではなかなか。いや、岡村さんですね。「ママは居る」でしょうね。このヒヤシンスの付け方は橋閒石の「銀河系のとある酒場のヒヤシンス」(句集『微光』)の付けにならっている? 海に散った母でしょうか。
B 散ったというか、「居る」んですよ。『崖の上のポニョ』かな? 子供の視点を通じて、大地母神というか太母のイメージを提示しているように感じました。ヒヤシンスって、ギリシャ神話の起源説話だと、ヒュアキントスという美貌の青年がアポロンと円盤投げに興じていて、誤って額を割られて死んだ、その血だまりから生え出た花なのよ。そういう起源説話が生まれるような花の雰囲気が、この置き去りに去れた子供のモノローグみたいな句にフィットしてるんですの。
A 『ポニョ』なんて見ませんよ。なぜ皆があれを評価するのかまったく理解できず。宮崎アニメは『カリオストロの城』までですね、自分は。いえいえ、47号の話。鷹羽狩行さんの「母います」だったりしませんかね?
A そうそう、死後もそこに、と。「居る」ではなく「います」だけど。しかし、「ママ」の語の選択が効いている句ですね。
男瀧女瀧天空に吹きなびきつつ
聖五月片翼の富士嵌め殺し
たまの汗玉の涙に変へまじく
なんかはいまひとつつまらないし。せいぜい、
うすうすと白桃をむく地球かな
の句だけど、これも雰囲気先行でハートが感じられないのよね。
A 恩田さん、自分は、
ですね。夜中に咲くさびしさが出ているか、と。
B 「月下美人」の風情はさながら「出戻」の女性のさびしさであるということですか? その比喩の多少俗っぽいところには目をつむるとしても、「深夜の」がなんだか間延びしてて。
A まあ、その時刻に咲く花ですからね。余計といえば、余計。しかし、その時刻の空気の冷えが「しんや」という音から伝わるとも。風情と喩えるのではなく、出戻りの身の上と一人深夜に咲く花の相通じる心境でしょう。作者が出戻りかどうかではなく。実際、この花が開いていくところを目にすると、わかる景ですね。
鹿又英一「鞍馬天狗」二十句
B では、カ行に入りましょうか。鹿又さん。短文の方が面白かったりして。全国少年剣道練成大会の審判員をもう十年以上なさっているというお話なんだけど、文中に出てくる「基本打突の判定試合」というのが気になって。キホンダトツと読むのでしょうか。奥床しい言葉だわ。句では、
スパイかも知れぬ婆居り梅雨寒し
など目を引くけどやや悪ふざけ気味ね。
はるあらし鞍馬天狗が飛んで行く
は、鞍馬天狗という素材を持ち出しただけで、言葉に働きが感じられないし、
昭和史を秘めたる春の雪融ける
は、ちょっと久保純夫調だけど、底が割れてますの。わたくしとして好きなのは、
鳥雲に入る舌戦の果てもなし
口角泡を飛ばして口論する人たちをとりまくかさかさした空気と、天空かなたの命の営みが良い具合に照応しています。世界のざわめきを感じるですの。
A ふむ、そうですか。「雪女」のお腰やらなにやら、もう読みつくされた感。自分は、
でしょうか。「昼寝」の句で足の裏を詠むのはよくあるのですが、「鬼やらい」と付くと、鬼の足の裏?と一瞬面白い。その静謐さを読んだ句もなかったのでは。
B たしかに、足の裏と鬼やらいのとりあわせは珍ね。
川名つぎお「ドッペルゲンガー以後Ⅱ」十五句
B 川名つぎおさんです。お好きな句はありましたか?
荒星に帰る箒にまたがり
せせらぎのすみれ笹舟わが安否
西空に母が来たりて水を打つ
と取っています。
B わたくし俳句はじめて数年の頃、川名さんの句のファンでした。ただ、それ以来、あまりにも変化がないんですの。昭和懐旧果てしなし、なのでございます。まあ、意味がよく取れない句が多い人が続いたあとでは、このわかりやすさはほっとしますが。
死ぬのを忘れたり昭和後遺症
というのは、しかし、この人のややパターン化した昭和モノの中にあっても突き抜けてますね。よくよく味わうと凄いことを言っています。
A ほんとだ、そうですね。屍だらけの昭和から現在の平和ボケを揶揄? 幼いと言ってしまいましたが、「荒星」の整った非定型はかなり評価できると思います。箒が箒星を思わせてちと惜しいですが、能村登四郎の「霜掃きし箒しばらくして倒る」(句集『長嘯』)を連想しますね。「せせらぎ」の句も、サ行の音の流れが川の水に浮かび弄ばれる菫の花や笹船を形容しつつ、「わが安否」がなかなか出てこないでしょう。
B 昭和も屍だらけだったのは最初の三分の一だけですから、平和ボケを揶揄というのはどうかしら。ただ、世界を相手の戦争といい、戦後の高度成長といい、昭和という時代に異様な活力があったのは事実。その活力の余韻を、我が身の上にひきつけての「死ぬのを忘れたり」なのでは。もうひとつ、魅かれるのに解釈に迷うのが、すみれより父ひくし昭和のむかし
夏目漱石に「菫程な小さき人に生れたし」という有名句がありますね。それを踏まえてはいるのでしょうが。しかし、いってみれば戦争という形で「父」が極限まで巨大化した挙句に破滅したのが昭和でしょう。うーん、詰め切れず。
A 父権が失墜したということですか? 漱石のその句は、父権ではなく、恋の句と解釈してますけど。
B 漱石の句は、菫と人体との大きさの比較というところで発想源となったのではと。川名さんの句、昭和の昔をふりかえると、父のこともなんだか菫のように小さくなつかしいものとして思い出される、くらいの解釈でよいのかも。父権云々の社会的な事柄とせず、個人史的な回想の心中風景ととった方がよさそう。
A そのようですね。自分も父の年齢を越えてみると、という述懐でしょうか。いや、漱石のその句を恋句と考えてるのは自分だけかもですので、お気になさらず。
北村虻曳「うらがえる」十五句
B 北村虻曳さん、如何に?
A さまざまの早さで沈むtwin-tower
が、9.11を素材にしててちょっと残りますね。
B 北村さんはおっしゃるとおり「さまざまの」でしょうね。作品より「虻曳(あぶのぶ)」という俳号の方に詩を感じます。
B 筆名に「虻」を入れるくらいなので、動物や昆虫への愛の強い人なのでしょう。句のラインナップからもそれは伝わってくる。でも、作品としてはまだまだですね。
倉阪鬼一郎「人形刑」二十句
A 倉坂さんへいきましょう。
寒灯のゆるゆる遠ざかるあやし
雪の日はさて人形になりませう
赤いリボン骨に飾つて卒業す
B 「赤いリボン」はわたくしも一票。でも、全体に面白かったですよ、今回。
冬の浜みんなかくれてしまひけり
という句なんか、冨田拓也さんの「天の川ここには何もなかりけり」(句集『青空を欺くために雨は降る』)を思い出しました。
A 作者は意図せずでしょうが、茅ヶ崎、湘南あたりの景が出ていますね。「寒灯」「冬の浜」その海岸線と、波打ち際のひろがり。「赤いリボン」の句、卒業証書を骨に見立てつつ、学園生活の猟奇的な一面や、リボンのかかった骨を持って座っている学生服が、みな骸骨だったりとも、さまざまに想像をかきたてられます。
柳絮飛ぶ終末の日も次の日も
とか、
春昼の半眼のもの前へ出よ
半眼といえば仏像ですからね。
ふとうごくこの世の果ての寒紅や
なんかも、大げさで、ばかばかしいキュートな句だと思いますの。
A 「雪の日」は、四谷シモンや、古いビスクドールの冷たく白い肌に対峙して、ですね。無音の世界。「半眼」は仏像? この中七下五は軍隊調でしょう、居眠りではないですか、だけれど、軍隊のなかでの、男色もちょっと匂う。その到達の半眼では?
A うーん、仏像が半眼というのはわかりますが、「半眼のもの」が仏像そのもの、ずらっと千体くらいを描いている? いまひとつその読みに乗れず。しかし、この方の句の世界には惹かれますね。
B いや、ですから実体化はせずに「半眼のもの」は「半眼のもの」でよいので。そもそも白泉の句が軍隊言葉のパロディーだったわけで、二重パロディーの滑稽句かと思います。
鍬塚聰子「まつろわぬ」十七句
B では、鍬塚さんですが、あまり感心できませんの。それでも、
筍を食っちまった中年の輝き
どこからも返しにこない五体かな
は、いいですね。筍の句は、なんかおりにふれて思い出しそうな予感が。
A 「どこからも」いいですね。「筍を」にはそんなに感慨わかずです。
ひさかたの春の飛び方教え方
が巣立であったり、
春眠のほどけて巻き貝のままで
のさめやらぬ感じ、がとれます。「筍を」もパロディですか?
B 「筍を」はパロディとは思いませんでしたが、なにかお心当たりの句がありますか? 「ひさかたの」は、鳥の親子の様子ということか。なるほど。そういわれてようやく気づきました。「巻き貝のままで」は、ちょっとナルシスティックな感じが気になります。わたくしこう見えて年相応を重んじるタイプなもので……。
A 汚れちまった哀しみが、筍食ったから? ハンバーガー食っちまった我々とか、どなたか総合誌でお書きではなかったですかね? いえ、この方がお幾つか存じませぬ。が、短文で絵本カーニバルのことを書いているので、そういった志向をお持ちかなと。年相応、ふうむ、作者の背景込みで鑑賞すべきと?
B 作者の背景云々はケースバイケースとしか。ただ、「巻き貝のままで」という自己愛も、若ければ仕方ないが、いずれは卒業すべき境地ならずやと、そのように思う次第ですの。
A 「ままで」が甘いのでしょうね。句意は悪くないと判断しますが。
小池正博「バオバブの樹」二十句
A 小池さんにいきますか?
海流に島の鎖骨を洗わせて
形に不満ありですが、島を取り巻く珊瑚礁を俯瞰で、でしょうか。沖縄の島などに飛行機で近づくとき見る景です。海流に鎖骨、詩性がありますね。
籐椅子に座って何も見ていない
類想ありますが悪くないです、文体によるのでしょうね。
B 小池さんの作品には、熟練を感じましたの。
雲に眼があると怯える喜寿童女
古高ドイツ語叫び佃煮落花する
廃船の枕木たちのアルタイ語
体内を移動するのは猫目石
眼帯をして石の方言語りだす
などなど。俳句の滑稽とも、旧来の川柳の穿ちとも違う、まさに現代の川柳なんでしょうね。今あげた句など結構暗い背景を持つとも読めますのに、それが一種躁的なにぎやかさを振りまいていて。佃煮は床に落ちただけですけどね。
A 結局、好きかわかるか、になりそうで。自分にはこちら側に入ってこないのは、なぜなのでしょう。自分には、風刺を離れた川柳が、どこへ向かうのかわかりません。
A 加藤かな文さんが、鴇田智哉さんの句をジェンガにたとえていましたが、小池さんのこの世界はレゴブロックでしょうか。赤青黄の小さなパーツで構成された、そのようなかたちに見える塊。
A いや、その枕木の句意くらいはわかりますよ。あえてアルタイ語を配している点も。でも、枕木を、歴史を支えた人々と連想させるのは、あまりに明解すぎて面白くない。やはり言葉からの発想と見ますね。「アルタイ語」という言葉に、自分はもっと広大な風景、遊牧によって大陸を移動した人々をみますし、そこに「枕木」の付けは、シベリアへ満州へと敷設を広げられた鉄道に想念が飛んでしまって、ばらばらにされた言葉のみのパズルのようには受け取れないです。
A そう、過不足無く言い切ってしまうのですね、川柳は。全部言ってしまわないとこが俳句なのでしょう。いや、でも、「海流に」は自分はかなり評価しています、「鎖骨」が巧みですね。
B 「鎖骨」はよくも繊細に言ったものよね。さっきの話、でも、全く謎が無いと言えばいいすぎで、
狩衣世界で交叉する右手左手
の「狩衣世界」って何?とさっきから考えているのですが、これなど謎として残る言葉かも。
小湊こぎく「夕べまで夏木立」十五句
B さて、小湊さんです。
A 白亜紀の真昼の泉ここにあり
でしょうか。言葉より自分は景でうけとめがちなのですが、現俳系のすべて象徴としての読みもどうかと思う。この方の句はどう読むべきで?
B ほんと、どう読むべきなのでしょう。ともかく気持ちいい句ではあります。しかしこれなどは虚実を決めなくてもいいような。
夏木立シーラカンスになれそうな
だと「夏木立」が実であることは動きませんね。その分、ちょっと口つきが幼い印象になってしまったかも。良い句ですが。あと、
たとえば星座の水も温むなり
の句だと、これは虚であることが動かない。虚実どちらとも決めかねるところであえて「ここにあり」の断言がくるのが、「白亜紀の」の句のパンチになっているとは考えられませんか?
A いや、虚が取れないわけではないのです。自分も虚で作りますしね。「白亜紀の」は、白亜紀という言葉、文字からうけるものと真昼、泉が呼応していると。さらっとした味わいがあり、嫌味のない句柄の方だと思います。拒絶反応はない。ただ今回もうひとつ深みのある句が見受けられなかった印象でした。
A 先ほどあげた川名さんの「荒星に帰る箒にまたがり」もそうですが、字足らずゆえの効果はありますよね。それを皆多用しすぎ、ということですか? よく、形がよくてとりました、とかきちんと五七五に収まっていていいですよね、という評があるのですが、そういうことの裏でしょうね。字足らずだと何か新奇な句になっている気がしてしまう、といった心理は否定できないような。形式が目的になっているとか、逆の立場で。この方はそうではなく、形式の過信はないとお見受けしますが。
蜘蛛の子が方角になる南海
鍬塚さんには、
敗戦忌晴れて時々少女
どくだみのちょっとそこまで接吻
岡村さんには、
鈴へ降る鱗粉ささくれて日暮
まあ、最後のは「鱗粉ささく/れて日暮」と、句またがりのつもりかも知れないけど。
A 最後のは句またがりですね。俳句らしくない俳句、を形式のみに求めると、なのでしょうか。散文志向があるとか。
B 山本敏倖さんとか多いんですよね。それはともかくカ行の作者終りました。
堺谷真人「persona non grata」二十句
B サ行の一番手は、堺谷真人さん。西洋語をアルファベットのまま句中に取り入れたり、意欲は買うけど、あまり成功はしてませんね。
ぬかづける船虫を武将と思ふ
は、かなり面白いのに、上五の「ぬかづける」で台無しになってますの。かと思えば、
峰々の堂も祠も夕立かな
とか妙に古めかしい句が出てきたり。何がやりたいか自分でもわかってない印象。
A 「ぬかづける」が惜しいですね。逆に自分がぬかづくほうがよいのに。
ひた照りの田の青を統べ鷺一羽
漆黒の杼を取り落とす厄日かな
牽牛花雨は格子に匂ひ来る
あたり悪くないですので、むしろそちらでまとめたほうが、インパクトになりうるか。
B 破れ芭蕉より一瞥の艦載機
は、沖縄かしら。破れ芭蕉の影にたたずんで米軍機が飛んでゆくのを一瞥する風景と取れそうね。言い回しが誤解を生みそうだけど、豈みたいな媒体では。ところで、この人の短文、ちょっと自意識過剰じゃありませんこと。「ときどき俳句がいやで堪らなくなる。実際、何日ものあいだ俳句を読むことも作ることもできない空白期間がある。」云々とあるけど甘いですの。わたくしなんかもう三ヶ月も一句も作ってませんわ。数ヶ月とか、半年一年の「空白期間」が何度もありましたし。しかしその間も俳句が頭に取り付いてはいるのですが。
A 皆そうでしょう。いやになって、しばらくほっといて、ふつふつしてきたら作る。俳句バイオリズム、ありませんか? 誰か俳人の条件に、一日一度は句帳を開くとか書いてましたが、それなら自分は俳人ではないんでしょうね。
A 雨で外仕事ができず機にむかっている、ということ? 取り落とすと厄日が意味ありげで近いですが、手元の暗さを感じました。使い込まれている杼としても、漆黒は言いすぎでしょうか。
B あ、やはりこの句に肯定的なAさんでも漆黒に言いすぎ感はあるのですね。
坂間恒子「彫物師」二十句
B さて、坂間さんです。
とある日の寝釈迦は危険 椿
ここでほら、さっき言った急停止式の字足らずがまた。この句面白いですけどね。しかし危険て、寝釈迦ががばと起き上がって……みたいなことでしょうか。倉阪最恐俳句の一例?
A この字足らずは成功してますよ。一字あきも意図してだし。倉坂さんほどの世界観はないですよね、微苦笑俳句ってとこ? ところで、表題句の
十一月雨の両端彫物師
というのはどういうことでしょう?
神棚は庭で燃します落椿
は、素直に妙でよいですね。
B 「十一月」の句はどういうこともなにも、句になってないような。「神棚は」はきっとたまたまの実景ですよ。燃したんですよ神棚を、この句をつくる三日くらい前に。あと、妙ということでは、
戦争は牛乳ビンのいろ変える
の句は印象に残るけど、ほんとうにありそうでもあり(いわゆる代用品というやつ)、しかしやっぱりほんとではないようでもあり、どうなんでしょうか、すとんと落ち着いては読めない。二十句全体を読んで、この人の言葉に信頼感を持てないのですわ。
A 「神棚は」の句は、そう、たまたまの実景と自分も推察しました。古いもん好きに、牛乳瓶マニアとかあるんですよね。この句確かに戦争をそんなとこで語るって興味引きますが、そのマニアックな世界で、ビンの文字の色がどうとかあった気が。やっぱ実景捨てきれないように見えます。
夏の霧寝返りを打ち追いかける
が、だんだんよく見えてきました。このばらばら感に、薄っすらした狂気を覚えるのですが。
A 寝苦しさの狂気ですかね、ばらばらになっちまいそうな気分をあらわしている? でも、霧が立つのは涼しいところ、だとしたら違うでしょうか。夏の必然性ないかも。
A いや、夏霧は湿気るのでそんなよいものではないですよ。それは旅行者の視点。無季で書くべきでは、と思いますが。
A 眠りの夢の中と、最初はとったのです。だから、夏をもってくることは、不要な連想を生んでしまう。霧なら霧で、できている句ですよね。
佐藤榮市「鳩サブレ」十九句
B あら、佐藤文香さんにつづいて同じ佐藤のこの人も「鳩サブレ」をタイトルにしてるわ。文香さんは正しく「鳩サブレー」で、榮市さんは音引きがないけど。どうでもいいけど可笑しいわ。推薦句はありますか?
鏡ごとにトナカイ群れる駅舎かな
そもそもの駅という語の由来と、どこか北欧の風景が作り物めいて美しい。駅には確かに鏡がどこかにある、と。そんなところでしょうか。
B 下品な句があるでしょう。
夏草や雪隠附属中学校
すこしづつヅラがずれる日ももすもも
とか。一方、Aさんがあげた「鏡ごとに」とか、
陽炎の次の頁をゆくカモメ
噴水が夜汽車の駅だった
みたいに、妙に透明感のある叙情的な句があって、相変わらず食わせものという感じ(笑)。短文の方は、お義父さまの介護の話ですね。こういう世界は結社でさんざん見てらっしゃるかもしれないけど、上手く書けてますの。お義母さまによる介護の苦労について記したあと、「……僕達の介護にはわりと素直に従ってくださることが多く、『生きているのか死んでいるのか、はっきりせんのです』なんて呟いたりなさる。」とか、なかなか。
A そう、「陽炎の」もよいですね。短文も面白く読みました。実生活に精神的のほほん感がない人は、文もつまらないですね。この方は、そんなもんだろ、と眺めていらっしゃる心理的余裕が現れているのでしょう。しかし、下品といえば、Bさんだって、ときどき(最近はあまりない?)、お下劣な句があるじゃないですか。
B まっ、一緒にしないで欲しいわ(汗)。
鈴木純一「寝茣蓙で雑魚寝」十四句
B さて、鈴木純一さん。この人、とにかくいろいろ仕掛けてくるタイプで、今回も一行書き、二行書き、三行書きと賑やかです。が、正直、ぴんときませんでした。
嗚呼猪ノ四肢的構造机ニモ
⇒「猪」に「ブタ」とルビ
離人とや
グラナダ王の
前に出よ
くらいかな、ひっかかったのは。
A あ、この「嗚呼」の句、昨日ほとんど同じ句が句会に出てましたね。ありがちな発想ではないですか。
我思ふあなたの胸に手を当てて
が、おかしいですけど。
B そうですね。ちょっと愛らしい。でも今回はあまり言いたいこともないですの。
B 特集をぐーんと飛び越え、妹尾健さん。特集について何かおっしゃりたいことあれば別ですが。
A 山内将史さんの「幼年の森の中で」が一番でしたか。
妹尾健「秋黴雨」二十句
B 妹尾健さんは、桂信子さんの弟子ですから、豈で唯一のオーソドックスな俳人ですの。
青鷺の思案の長き山河かな
一刀に切りしメロンを囲みゐる
萍のなびくあたりの眠りかな
あたりで。
B じゃあ、わたくしは、
眼を病むで父の我れ見る残暑かな
どれほどの眼病かわからないですが、想像される父の視野の歪みを「残暑」がうまく引き出しているかと。青鷺はじっと田んぼか川に立っているのでしょうか?
A まあ、そうでしょうね。けっこう大きな鳥で、仙人っぽい風貌ということでしょうか、水墨画の。「眼を病むで」の「む」は誤植? 音便が気になってしまってとれず。
B 誤植でしょうね。で、早いですがサ行のトリ、千頭樹さんへ行っていい? なかなか力作、問題作。
千頭樹「時計じかけのエヴァ」二十句
A 先の小池さんの川柳より、こちらのほうが自分には入りやすし、です。
A 最初の、
堕天使の闇を歪めた白き羽
で、一旦ひくんですけどね。堕天使はないだろ、と。
メビウスの蝶も少女も頂上へ
とかなんじゃこりゃ、と思いつつ巻き込まれる展開。錯綜する美があります。
B 今さら綾波レイ?エヴァンゲリオン?というところもあるのよ。
アキバ発〈少女〉専用列車エヴァ
⇒「少女」に「もどき」とルビ
水晶の舟に眠れる美少女よ
⇒「美少女」に「クローン・レイ」とルビ
シナプスの繭に鎧の少女かな
とか。でも、これらの句に否定できない美しさも感じるわけ。
A それ知らなかったのですよ、エヴァンゲリオンか。自分そういう系にめちゃ暗いので。しかし、それぞれに世界の構築があると思います。
夢殿に木馬廻ればみなおみな
も、パロディですが、木馬があやしく、美しく。「エゴイスト」って香水のCMが以前ありましたが、それを彷彿と。集合住宅すべての窓が開いてたくさんの女がエゴイスト!と一人の男の背中に叫んでいる図。でもそれは、元の安井さんの句からですね。
B 「エゴイスト」のCM、覚えてますわ。ただ夢殿の句の下五の「みなおみな」は一考すべきような気も。女を登場させるのはいいんだけど、ここで安井浩司が顔を出すのは余計ではないの? 夢殿も安井的オブジェではあるけど、それはまあいいとして。とまれ、秋葉原文化的なものの俳句への持ち込みを絶対許容できない人でも、
マネキンや合わせ鏡の蟻の塔
三日月や神はいますか圏外に
は、認めて欲しいですの。わたくしこの二句があることによって、一句一句の成功・不成功はともかく、この一連を信用する気になりましたもの。
A 現に自分のようにまったくその意味がわからない人にも、訴えるものありました。
A 「圏外」ってケイタイのですよね? 冷えた空気感ありますね。
A だって「三日月」だから、大気圏外もある、と。それでもなんだか意味があっていいけど。宇宙船との会話のようで。
A ええ、もちろんそうでしょうね。その取り合わせも効いてます。とも読める、といっただけで。
A ウィンドウにごちゃごちゃに積まれたフィギュアの大きさがいろいろなのでしょう、その肌色の質感は確かに。それこそスペインのサグラダファミリアの人体で構成された壁面や、アンコールワットを始めとするカンボジアの遺跡の形状にも似て、どこか虚無的な廃墟として描いて読み手に提示している。この鏡も不可欠で、俳句に鏡が出てくる句は非常に多く皆安易に使うのですが、その虚栄の象徴ですね。評価されるべき連作でしょうね。
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