2009年1月23日金曜日

時評風に(作品番号22)

時評風に(揺れる想い/作品番号22)

                       ・・・筑紫磐井

このシリーズで連載した「自叙伝風に」で同人雑誌のあり方を述べたが、昨年10月、久保純夫氏が発行人を務める同人雑誌「光芒」が10号で終刊を迎えた。

終刊の編集後期で久保氏は、「「光芒」では、特集を組む号の場合、編集部からの提案に賛同する同人のみが参加するという方式を採ってきました。通常の号、あるいは特集に参加しない同人は、自らがもつテーマに従って、俳句作品なり、文章を書いてきました。この遣り方は、私が今考える最高の形態だと思います。ただ、号を重ねるに従い、久保純夫個人の想いと同人誌としての統一という間に齟齬が生まれてきたのです。それが終刊の理由です。」と述べている。

編集人の高橋修宏氏も「同人誌の存在意義とは、その場において自分の書きたいものを書くと言うこと以外にないと言えるでしょう。「光芒」は号を重ねるたびに、そのような遠足を幾度となく確認し、限りなく近づける努力を続けてきました。しかしながら、そのことによって同人誌の<誌>として統一されたフォームと個人の描くイメージと間に、ある種の齟齬が生まれてきたことも否定できません。」と述べている。

私が「自叙伝風に」で何度も述べてきた「自分の書きたいものを書く」が同人雑誌発行の本質であると言うことは、二人の発言からもはっきり裏打ちされているし、それらを忠実に行ってきたことが分かる。しかし、「最高の形態」と思われるそのような同人雑誌の運営がなぜ終了させられるのか。

二人そろって述べていることは、「久保純夫個人の想いと同人誌としての統一という間に齟齬が生まれてきた」「同人誌の<誌>として統一されたフォームと個人の描くイメージと間に、ある種の齟齬が生まれてきた」ということである。

私が「自叙伝風に」で述べてきたことは、同人雑誌は分業で成り立つのであり、同人雑誌自身に理念は生まれない、同人雑誌の編集態度に理念が生まれるだけなのであると言うことであった。つまり、雑誌の理念とは、発行・編集事務に携わる者の理念であったのである。

発行編集の役務に携わる者の理念が「久保純夫個人の想い」「個人の描くイメージ」であるとすれば、それは現実に存在するものである。これに対し、「同人誌としての統一」「同人誌の<誌>として統一されたフォーム」が齟齬したとされるが、果たしてそのようなものがあったのだろうか。同人誌としての統一――それ自身が共同幻想なのではなかろうかというのが、私の長い議論の結論であったはずだ。万が一、あるとすれば、「久保純夫個人の想い」の中に「同人誌としての統一」への想いがあった場合であろうか。これはほとんど時限爆弾を抱えた高速鉄道のようなもので、いずれカーブにさしかかったところで爆発せずにはおかないものである。近い将来、久保氏がそうした想いを持たずに済む個人誌でも同人雑誌でも出されれば爆弾を抱えずに「最高の形態」で進むことが出来るかもしれないと思うものである。

同人雑誌は、このように部外者には分からないものの、思念の上でのある種の危機を常に抱えていることを思い知らせる。

      *      *       *

これに対し結社誌はどうであろうか。昨年12月、長谷川久々子主宰の「青樹」が730号でいきなり終刊した。引退の直接の原因は長谷川氏の視力の衰えだそうだが、次期主宰を養成するのが主宰の務めと想い様々な努力をしたが功を奏しなかったという。一昨年の4月に、「青樹」をやめていた渡辺純枝氏が復帰し、副主宰・編集長に任命されたが、それがその努力の一つのようであった。しかし、今般社告では、役員会では後継者の選定を行い交渉に当たったが決定には至らず「青樹」の終刊を議決した、と無感動に告げている。どんな事情があったのか想像に難くない。久々子氏は、長谷川双魚から主宰を承継したとき、新主宰に対する非難が公然と行われ裁判沙汰になるまでに進んだことを生々しく語っているが、それは単なる過去の回顧談ではないようである。同人雑誌であっても、結社誌であっても、「個人の想い」は果たされないのであろうか。

話は飛ぶが、「光芒」と同じく鈴木六林男の「花曜」の系列の「花象」(徳弘純・塚原哲発行編集)10号が『鈴木六林男全句集』(草子舎)の「私訂・未収録句篇」を載せている。これは徳弘純氏が自らの責任において校訂した句と未収録句を編集したものである。私訂というのは『全句集』の刊行委員の総意を得ていないと言うだけでなく、徳弘氏自身が『全句集』の正字表記をめぐって刊行委員を辞退したかららしい。それはさておき、それらをあわせると、句集脱落2句、未収録92句、誤植25句、字句訂正117、計236句だそうである(この他に句集と拾遺集との重複が80句あったそうだ)。

『鈴木六林男全句集』の編集作業をあげつらうわけではない。同じことはどの全句集についてもいえそうだからである。我が『攝津幸彦全句集』についても徳弘氏ほどの執念を持って点検してくれる人がいたら、結構大きな数字になるのではないかとぞっとした。

実際、全句集の編集は困難が多い。作者が亡くなっていることが多いし、長期間にわたる時間のなかで作者は表記に関わる哲学をしばしば変更している。一方で一流作家でさえ、旧仮名遣いは学習途中であることが多い。初版本にそのまま従えばよいわけではないし、ましてや学校文法に従って訂正すればよいものでもない。新版『攝津幸彦全句集』(沖積舎)でも、編集委員のこんな苦渋に満ちた結論が載せられている(606~607頁)。載せられているからと言ってそれで解決しているわけではないし、よくなっている保障もかならずしもない。徳弘氏にも刊行委員にも、両方に共感しながら読んだ次第である。(「花象」11号ではさらに徳弘氏により未収録11句が追加される一方、10号で訂正した2句をその訂正を取り消している。正誤版も永遠に終らない作業なのだ。)

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