岸本尚毅著『俳句の力学』を読む
・・・高山れおな
岸本尚毅の『俳句の力学』(二〇〇八年九月三十日刊 ウエップ)は、『俳句の力学』というタイトルがまず意表をつかれるようでもあり、岸本尚毅らしいようでもある。例によって「あとがき」を見ると、
本書は「ウェップ俳句通信」に連載した俳句に関するエッセイをまとめたものである。/「力学」とは、俳句を貫く俳句の法則のようなものを考察したいと願っての題であるが、書き上がったものを見ると「雑感」の体である。
と、説明がある。この説明になんとなく既視感を覚えたので考えてみると、子規の『獺祭書屋俳話』(一八九三年 日本新聞社)の「小序」にこんな記述があったのを思い出した。
曩(さき)に『日本』に載する所の俳話、積んで三十余篇に至る。今、之を輯(あつ)めて一巻と為さんとす。乃ち前後錯綜せる者を転置して稍〃俳諧史、俳諧論、俳人俳句、俳書批評の順序を為すといへども、固(も)と随筆的の著作、条理貫通せざること多し。
⇒漢字を現行のものに改め、句読点・括弧ルビを加えた。
『獺祭書屋俳話』の前年に、旧派宗匠の第一人者・其角堂機一の『発句作法指南』という本が出ており、子規は同書に対して〈秩序錯乱して条理整然ならず。唯思ひ出づるがまにまに記し付けたるが如き書きぶりは、猶(なほ)明治以前の著書の体裁にして〉と、痛烈な評言を加えていたのだが、いざ自分でやってみると「条理貫通せざること多し」と同じ穴のムジナであることを認めざるを得なかったのは皮肉である。ただし、このことが『獺祭書屋俳話』の欠点になっているかどうかはまた別の問題であるし、それは『俳句の力学』の雑感風の体裁とその内容の価値の関係に関してもあてはまるだろう。なお、子規と幾一のやりとりについては、復本一郎の『正岡子規・革新の日々 子規は江戸俳句から何を学んだか』(二〇〇二年 本阿弥書店)に詳しい。
『俳句の力学』はなかなか剣呑なはじまり方をする。冒頭「俳句の可能性」の章で、俳句の数には限界があるのではないか、〈未発見の秀句は次第に少なくなってゆく〉のではないかと、「俳句有限説」の問題を俎上に乗せているのである。これがまた、子規的といえば子規的な発想で、そもそも「錯列法(パーミユテーシヨン)」を持ち出して、和歌や俳句が〈早晩、其限りに達して、最早此上に一首の新しきものだに作り得べからざるに至るべし〉と唱えたのは『獺祭書屋俳話』における子規その人に他ならない。
概言すれば俳句は已に尽きたりと思ふなり。よし未だ尽きずとするも、明治年間に尽きんと期して待つべきなり。
という一節はよく知られているだろう。俳句は明治で終わりだと予見しながら、俳句革新に邁進するのが子規という人のおもしろさであるし、そのような見通しのもとでの子規の活動が結果として大正・昭和の俳句の隆盛をもたらすことになったのは、歴史の皮肉とばかりは言えない表現史の展開における必然性を感じさせて、俳句にかかわる者が何度でも立ち返るべき光景かと思う。一方、岸本が「俳句有限説」に対して提示するのは「現場の楽観論」である。
資源が有限だという「机上の悲観論」は観念上の「真理」です。しかし技術革新や市場原理を通じた資源の効率利用が進みつつある現実は「現場の楽観論」を裏づけているとも思えます。/俳句においても吟行や句会の現場に身を置くとき、新たな一句への期待に胸膨らむ思いがします。とくに自然を相手にするとき、俳句という詩が無限の可能性を秘めているような心持ちがします。
『俳句の力学』は、読んでいて気持ちのいい本だ。その根底にあるのが岸本のこの楽観主義である。ただ、楽観主義が不快な教条主義に転じるさまを俳句の世界ではしばしば目にしなくてはならないのだが、岸本の語り口はその弊を免れていて、それこそが本書の最も称揚すべき点に違いない。もちろん引用した一節に限っても批判しようと思えば、難しくはないだろう。とりわけ「資源の効率利用」を要請し、可能にしているのは他ならぬ「机上の悲観論」なのであり、それなくしては「資源の効率利用」の動機そのものが生じないことは忘れるべきではない。岸本の楽観主義にしてからが、じつは子規の悲観主義と結びついた写生という方法論に淵源しているのである。
たしかに、俳句の個数が有限だから俳句に未来はない、などという言説は無視してもよい。しかし、百年前の方法論が今後とも有効かどうか、評者は岸本ほど楽観的になれずにいる。これは、写生という手法が使えなくなる、というようなこととは違う、もっと漠然とした気分のようなものだ。むしろ、岸本の楽観主義が「自然を相手にするとき、俳句という詩が無限の可能性を秘めているような心持ちがします」という具合にすぐれて現場主義的なものであるのと同様に、現場主義的悲観論とでもいうべきものが評者にはある。つまり、「自然を相手にしても、俳句という詩が無限の可能性を秘めているようにはとても思えない」ということだ。そして言うまでもなく、岸本の楽観主義が岸本ひとりのものではないように、評者の悲観主義もまた評者ひとりのものではないし、俳句の豊饒、必ずしも楽観主義からあるいは悲観主義から生じると決まったものではない。それは岸本がおなじ「俳句の可能性」の章で、昭和の時代に「新たな意匠」を世に問うた人々としてそれぞれの代表作と共に列挙する、以下の顔ぶれを一瞥するだけでも明らかだ。
種田山頭火・水原秋桜子・橋本多佳子・永田耕衣・川端茅舎・中村汀女・西東三鬼・中村草田男・山口誓子・富澤赤黄男・橋間石・加藤楸邨・松本たかし・高屋窓秋・石田波郷・森澄雄・佐藤鬼房・金子兜太・鈴木六林男・野澤節子・飯田龍太・三橋敏雄・高柳重信
もちろん、岸本やこれらの人々が現場で抱いている(抱いていた)楽観論・悲観論を超える次元で、俳句形式にはそれ自体の運命があるはずだ。〈世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。〉(レヴィ=ストロース)という言葉に倣って、「日本語は俳句なしに始まったし、俳句なしに終わるだろう」とつぶやくことだって出来るのだ。筑紫磐井の『定型詩学の原理』(二〇〇一年 ふらんす堂)はそのような次元における俳句の運命を探ろうとする試みだったかもしれない。ただし、その次元ではもはや個々の俳人が果たし得る役割などは存在しないのだし、責任のとりようもないわけである。岸本の現場主義とは、このような意味でのニヒリズムを回避し、俳句に対する責任を手放さないためのすぐれて自覚的な選択ではないかと評者は思っている。念のために言い添えておくと、岸本の現場とは吟行や句会の場ばかりを意味しているわけではない。正確には「言葉の現場」というべきであって、それが岸本の証拠主義的というか、常に極めて具体的な技術批評に即しつつ展開する論述のスタイルを要請しているのである。ここで遅ればせながら本書の目次を掲げておく。
俳句の力学 目次
俳句の可能性
主題について――季題という秩序
季題を演じる
季題と取り合わせ
写生について
「写生」と「読み」について
言葉選びの心理
名山と名月
切れ字について――『葛飾』の場合
切れ字と叙情について
常態としての変化――俳句と時間
感覚について
俳句の設計思想
会話と棒読み――他者としての言葉
言葉と自然
内言語について
俳句という器
いずれも総合誌の企画絡みで、岸本とは三度ばかり同席したことがある。アドリブの利かぬ評者などと違って座談のうまい人で、今でもよく覚えているのは類句問題などというのは自然淘汰の考えで処理すればよいのだという話。ちょうど例の類句騒動が喧しい頃だったのだろう。岸本は、
山川に高浪も見し野分かな 原石鼎
山川に高浪たつる野分かな 村上鬼城
という二つの句を例に挙げ、言葉も情景もほとんどおなじだが、石鼎の句は名句として人々に共有され、鬼城の句の方は誰も覚えていない。それで決着しているので、どちらが先かを云々することに大した意味はない、そんな趣旨だった。岸本の語り口の妙味などは伝えようもないが、感心した記憶だけは残っている。じつはこの両句、本書でもならんで登場している。ただし、ポイントは類句だの類想だのとは別のところにある。その引用がなされている「内言語について」の章は、あるいは本書の中でも最も難解な部分であろう。これはほとんど俳句づくりの奥義と言ってもいい内容で、俎上にのぼっているのは名人クラスでも容易にはコントロール出来かねる領域なのだ。その前提となっているのは、岸本の師・波多野爽波のいわゆる俳句スポーツ説である。
波多野爽波は「俳句とは身体で受け止め、瞬時にして反射的に、有季十七音という言葉の塊として一時にでてくるもの。/従ってこれを為し得るような体質づくりを目指して、恰もスポーツの練習を反復して行うように写生の修業をこれでもか、これでもかと思う迄にやって足腰の鍛錬を行い、よき俳句に恵まれ得るような体質づくりこそ目指すべき」(「再び『瞬時の詩』を」)と言います。
岸本は、〈「外に、音声や文字となって現われない言語。考えごとをする時や、声を出さずに本を読んでいる場合など」〉という「内言語」についての『広辞苑』の定義を引きつつ、〈「内言語」とは「心の呟き」です。〉と述べ、さらに師説を次のように敷衍する。
爽波は、脳裏に浮かぶ内言語すなわち「心の呟き」がそのまま俳句になるように作句の鍛錬をすべしというのです。/作者の「心の呟き」がそのまま俳句になり、それがそのまま読者に共有されること、そのような感覚で俳句が読者の中へスッと入ってゆくことが理想です。
岸本はこうした理想を具現した作として阿波野青畝の〈十六夜のきのふともなく照らしけり〉を挙げる。
この句を読むと心地よい「内言語」が頭の中に響きます。外から入ってきた感じではなく、自分の心の中に埋もれていた言葉の塊に光が当ってキラッと輝いたような感じがするのです。
というわけだ。対照的に加藤楸邨の〈木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ〉や水原秋桜子の〈冬菊のまとふはおのがひかりのみ〉は、すぐれた句ではあっても〈そのまま私自身の内言語として受け入れるには抵抗感があり〉、楸邨・秋桜子の内言語が〈自分の外から入ってくる感じ〉だという。俳句を読むという感覚的な体験を微分してゆく手際のみごとさに感嘆しつつも、教師が板書する数式をあんぐりと口をあけて眺めている不出来な学生になったような気がしないでもない。楸邨・秋桜子についての記述はそれでもまだわかるが、青畝についての引用部分などはこれを実感的に理解するだけの繊細さを持ち合わせていないのではないかと、自分で自分が疑わしい。それでも抵抗なく読めてしまうのは、岸本の比喩的な語りが、それ自体で秀抜な質を持っているからで、じつは本書は全篇これ比喩の見本帳という面もあって、考えてみれば“俳句の力学”というそもそものコンセプトからして一種の比喩であった。
さて、問題の石鼎・鬼城の句が登場するのはこの先で、カエサルの『内乱記』にある
アレクサンドリアでポンペイウスの死を知った。
という一文との関連においてである。岸本は、この一文が〈カエサル派なら凱歌をあげ、ポンペイウス派なら涙したであろう、そのどちらの感情にも合うように書かれた〉とする塩野七生の見方を紹介しつつ、岸本自身は〈「ポンペイウスは死んだ」ではなく、「ポンペイウスの死を知った」であることに興味を覚え〉たと述べる。
「死を知った」の主語はカエサルです。ポンペイウスとの和解を望んでアレクサンドリアに来たカエサルは、そこで相手の死を知りました。(中略)一見すると「ポンペイウスは死んだ」の方が客観的に見えます。カエサル自身を主語とした「ポンペイウスの死を知った」の方か主観的な書き方に見えます。理屈の上では、ポンペイウスの死を知ったからそれを記述したわけですから、「知った」は冗語とも思えます。
しかし「ポンペイウスの死を知った」は「大理石に刻まれた」(小林秀雄の評言……引用者注)ように揺るぎない。むしろ「ポンペイウスは死んだ」の方が「内言語」そのものです。
ここまでくればおわかりのことと思うが、石鼎の〈山川に高浪も見し野分かな〉が鬼城の〈山川に高浪たつる野分かな〉に勝る所以が、カエサルの一文からの類推によって説明されるのである。石鼎の句には「高浪も見し」という述語表現によってその主体である「われ」の存在が示されている、にもかかわらずそこに人物の気配がない。結果として石鼎の句には、〈あたかも山霊が山中の絶景を人間の脳裏に「念写」したかの如き凄まじさ〉が表現されることになった。カエサルがというよりも、〈歴史自身がポンペイウスの死を自らに刻印した〉かのような『内乱記』の一文の荘重さにも似て……。
断るまでもないことながら、一句の中に主体の存在を書き入れれば名句が生まれるなどということを岸本は一般論として述べているわけではない。繰り返せば、この章は『俳句の力学』のうちでも最も難解な部分で、一句がはらむ価値と内言語性のメカニズム、あるいは作り手の内言語・読み手の内言語の関係を、岸本自身も完全には整理しきれていない印象も受ける。が、それは岸本の不名誉というわけではない。さきにも言ったように名人にも必ずしもコントロールしきれない、奥義とでも呼びたいような句づくりの呼吸について、岸本はここで書こうとしているからである。一見すると俳句入門書ないし鑑賞の手引きのような体裁の本でありながら、このようなところまで筆が及んでいることに驚きを感じる。しかもこの「内言語について」の章は、最後にもう一押しのサプライズまである。
内言語すなわち「心の呟き」を最も無造作に表出したのが自由律です。しかし私は、自由律のすぐれた作品は、決して内言語そのままではないと考えます。たとえば
春風の重い扉だ 住宅顕信
ずぶぬれて犬ころ 〃
のような内言語があり得るでしょうか。むしろ作り手の心の襞を押し隠すような、言葉の再構成によってこのような作品が生まれたのです。「ずぶぬれて犬ころ」という言葉は、読み手の中に入った瞬間、たちどころに読み手自身の内言語と化します。
本書の多くの部分において岸本は、季題や写生、切れ字をめぐってほとんどウルトラ保守とでも称すべき立場で論をくりひろげている。その一方で、なんの保留も無しにすぐれた達成の例として自由律が引き合いに出される。こういう風通しのよさは、あまり出会うことのできないものだ。そしてじつは、そのウルトラ保守的な立論にしても、徹底的な自己相対化を内在させたものなのである。なにしろ「写生について」の章など、虚子や外山滋比古の説に依拠しつつ写生についてさまざまに考察した挙句に、
俳句の写生とは何でしょうか。その間口を広く解していったとき、何が写生で何が非写生かという議論自体が、私には意味のないものと思えてくるのです。
という結論がきたりするのだ。なんだそれなら本書の「議論自体」も「意味のない」放言にすぎないのか、といえば無論そんなわけはない。むしろ写生についてであれ他のなにくれの問題についてであれ、「その間口を広く解して」ゆく、それも出鱈目にではなくあくまで俳句に対する責任を放棄しない形で「その間口を広く解して」ゆく、そのような思考実験のテキストとして本書はあるのではないかとさえ評者は思う。なぜ、岸本はこのような態度をとるのか。それは、岸本がどこまでも実作者として自分を律しているからであるに違いない。彼は季題や写生についてはっきりとした価値観を持っているが、もし彼が真に実作者であることに徹するなら、「新たな一句」のためにそのような価値観をいつでも擲ってみせる覚悟もまた必要なのだ。それが結局、可能性に終わるとしても、である。それこそが、「俳句という詩」の「無限の可能性」に対するへりくだりというものだろう。実作者として語りはじめながら、しばしば何の根拠もなく俳句の代理人ででもあるかのように振舞ってしまいがちな多くの俳人たちに比して、岸本のこの自制は水際立って見える。鮮やかな技術分析の数々の向こうに、なりふりかまってはいられない実作者の息遣いが潜んでいる、そこに強い共感を覚えた。
*岸本尚毅著『俳句の力学』は、著者より贈呈を受けました。記して感謝します。
*本書については、筑紫磐井氏が「俳句四季」二月号の「俳壇観測」欄で興味深い言及を行っています。また、「週刊俳句」第90号で、上田信治氏が書評しています。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/04/081.html
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