俳人ファイル ⅩⅩⅧ 藤野古白
・・・冨田拓也
藤野古白 15句
傀儡師日暮れて帰る羅生門
のどかさは泥の中行く清水かな
永き日の洛陽に入りて暮れにけり
花を折つてふり返つて曰くあれは白雲
泥舟の泥に散りたる桜かな
運慶が鬼の皮たく蚊遣かな
大阪や烟突に立つ雲の峰
捨舟を隠して蓮のさかりかな
耳つくの耳立てゝ居る秋の暮
今朝見れば淋しかりし夜の間の一葉かな
秋海棠朽木の露に咲きにけり
小夜時雨溝に湯を抜く匂ひかな
松原や闇の上行く冬の月
星消えて闇の底より霰かな
水底に骸骨もあり角田川
略年譜
藤野古白(ふじの こはく)
明治4年(1871) 伊予に生まれる
明治23年(1890) 自ら古白と号し、句作を始める
明治27年(1894) 小説「椿説舟底枕」
明治28年(1895) 逝去(24歳)
明治30年(1897) 子規編『古白遺稿』
A 今回は藤野古白を取り上げます。
B この作者は、正岡子規の従弟ということで、割合有名であるかもしれません。
A 藤野古白は、明治4年(1871)に伊予松山で生まれました。
B 正岡子規も、慶応3年(1867)に同じく松山で生まれています。
A ということは、古白は、子規よりも4歳ほど年下ということになりますね。
B 古白は、明治23年(1890)ごろから句作を始めます。
A 10代の終わり頃ということになるようですね。
B 子規が俳句を書き始めたのが明治18年(1885)頃といわれていますから、やはり子規からの影響により句作を始めたものであったのでしょう。
A その後、しばらく句作を続けていたのですが、明治28年(1895)になると、ピストルで自ら命を絶ち24歳の若さで亡くなります。
B 句作期間は大体この間の5、6年といったところとなるようですね。
A 古白没後の明治30年(1897)には、子規編『古白遺稿』が纏められています。
B 今回のテキストはこの『古白遺稿』と、『子規全集』16巻(講談社)所載の『案山子集』を主に参照にしています。
A では、古白の作品について少し見てゆきましょうか。
B まず〈傀儡師日暮れて帰る羅生門〉を選びました。
A 『古白遺稿』所載の「新年」の句です。
B なんというか、情景そのものが言葉によってあまりにも完璧に構成されているようなところがありますね。
A まず「傀儡師」とその人形のイメージが浮かび、そしてそこから徐々に姿を見せはじめる正月の夕刻の都の南に聳える「羅生門」の姿。
B 人形師が日暮れの中で自らの影を曳きながら、「羅生門」の方へと向かって少しずつ歩んでいる姿が髣髴としますね
A この作品は、それこそ情景として「出来すぎ」といってもいいかもしれません。
B 「傀儡師」と「羅生門」という言葉から、それこそややものものしい雰囲気が感じられますね。
A また、この「羅生門」という固有名詞から、明治28年の子規の〈柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺〉という句の存在を思い出しました。
B 「羅生門」と「法隆寺」ということで、共に歴史性を感じさせる固有名詞が使用されているということになりますね。
A これらの作品からは、「歌枕」というか、「名所」そのものが持つ言葉の力というものを感じられるところがあります。
B 古白の作品には、この「羅生門」のように、特定の地名や建築物を表す言葉が使用されている作例が数多く見られます。
A 確かに〈永き日の洛陽に入りて暮れにけり〉〈春風や橋を渡れば嵐山〉〈山の灯は京のうしろや朧月〉〈諸越の使者来る夜なり朧月〉〈上げ汐の千住迄来て朧月〉〈鳴くや雲雀五山の空に只一つ〉〈大阪や烟突に立つ雲の峰〉〈唐崎の松の月夜は雨青し〉〈大阪や屋根の上吹く秋の風〉などという作品があります。
B 他にもこういった作品は多く、このように地名などの名所がいくつも作品の中に登場するのが古白の俳句の特徴の1つということになるようです。
A 「京」あたりとなると、それこそ蕪村的な雰囲気がありますが、「千住」や「唐崎」などといった地名が詠み込まれている句をみると、古白には蕪村からの影響だけでなく、芭蕉からの影響も少なくないようですね。
B 他にも〈唐崎の松の月夜は雨青し〉〈ぬつと出る海苔干す露路の白帆かな〉〈石山の石洗ひけり秋の雨〉〈芭蕉破れて先住の発句秋の風〉〈浜納屋の破れ網這ふいとゞかな〉〈古池やこいつ投げこめ水の音〉〈雪に鳴く鴉の声は黒いもの〉など芭蕉の作品からの発想と思われるものは少なくありません。
A 〈雪に鳴く鴉の声は黒いもの〉にしても、芭蕉の「鴨の声ほのかに白し」からのものなのでしょうね。
B この句は、必ずしも成功しているとは言い難いところがあると思いますが、この時代にこのようなややシュールともいえる試みが既に存在していたということに少し驚いてしまうところがあります。
A 続いて〈花を折つてふり返つて曰くあれは白雲〉を取り上げます。
B なんというかやや不思議な句ですね。
A まず、花の色と白い雲の色彩感覚の対照が大変印象的です。
B やや夢遊病者的とでもいうのでしょうか、少し惚けた様な雰囲気がありますね。
A こういった口語的な叙法の句がこの明治の時代において、既に詠まれていたということになるようですね。
B 同じ時代の、新海非風という古白とともに子規の周辺にいた作者の作品にも〈時鳥中洲は雨に消えて行く〉といった口語による作品が見られます。
A また、この古白の句はついては、やや破調といってもいいところがありますね。
B 音数を数えてみると、6・8・7ということになりますから、それこそ自由律と見紛うような表現といった趣きがあります。
A それこそ阿部完市の作品を思い出してしまうようなところがありますね。
B 明治時代に、既に「アベカン調」に近い俳句作品が存在していたということになるようです。
A 古白には、他にもこのような破調ともいうべき作品がいくつかあります。
B 〈風は草を分けて野中の清水秋近し〉〈今朝見れば淋しかりし夜の間の一葉かな〉〈栗拾はゞや先づは主無き山尋ねばや〉といった作品ですね。
A 当時としてはこういった表現はおそらく大変斬新なものであったのだと思われます。
B 子規も「藤野潔の伝」において古白の作品について〈趣向も句法も新しく且つ趣味の深きこと当時に在りては破天荒ともいふべく余等儕輩を驚かせり。〉と書き、当時の古白の〈今朝見れば淋しかりし夜の間の一葉かな〉〈芭蕉破れて先住の発句秋の風〉〈秋海棠朽木の露に咲きにけり〉といった作品を挙げて〈此等の句はたしかに明治俳句界の啓明と目すべき者なり。年少の古白に凌駕せられたる余等はこゝに始めて夢の醒めたるが如く漸く俳句の精神を窺ふを得たりき。俳句界是より進歩し初めたり。〉と評しています。
A 他に、古白の作品の特徴として、異様なまでの感覚の冴えや鋭さを挙げることができると思います。
B そうですね。そういった特徴の窺える作品としては〈のどかさは泥の中行く清水かな〉〈泥舟の泥に散りたる桜かな〉〈捨舟を隠して蓮のさかりかな〉〈秋海棠朽木の露に咲きにけり〉〈鹿の角月にうつして落しけり〉〈野辺の露毛が生えて飛ぶ螢かな〉〈月出でゝ暗くなりたる雲間かな〉〈星の飛ぶたぐひなるべし走り炭〉〈松原や闇の上行く冬の月〉〈枯野原風のとだえに星が飛ぶ〉〈根に残る力や雪の枯尾花〉〈凩や落ちてわれたる鬼瓦〉〈水せくや沈むはかりの松の影〉〈小夜時雨溝に湯を抜く匂ひかな〉〈星消えて闇の底より霰かな〉あたりということになるでしょうか。
A どの句も、明と暗の対比とでもいうべき相反する要素が、それぞれお互いに緊張感を伴って拮抗しているような張りつめた雰囲気が窺えるところがあります。
B 光と影、清と濁、動と静、生と滅、有と無、冷と熱、といった様々な要素の対比が認められますね。
A こういったやや鋭敏いうべき感覚を作品の内に捉え表現することを可能にした背景には、〈鶴に乗る願ひは無くて今朝の朝〉〈切れ凧に淋しく暮るゝ広野かな〉〈鳴くや雲雀五山の空に只一つ〉〈撫子やひとり昼寝の檜木笠〉〈橋踏みにひとり行くなり秋の暮〉などといった作品にみられる、強い淋しさや孤独感といったものが、大きく関与していたのかもしれません。
B さて、藤野古白の作品について見てきました。
A 子規は、古白の作品について「藤野潔の伝」において〈其草稿を取つて熟読するに及んで歌俳小説尽く疵瑕多くして残すに足らず。完全なるは十数首の俳句のみ。〉と評しましたが、現在でもその作品のいくつかは割合高い水準を示しているのではないかという気がしました。
B そうですね。確かに平凡な内容の作品も少なくありませんが、いくつかの作品については感覚の鋭さや破調による表現など、それこそ現在の俳句作品を読むよりも面白い部分があるといっていいのではないかと思いました。
A 藤野古白のこのような作品を見ると、この明治時代に、俳句は、既にある程度の完成を示していたような気もする、というと少し言い過ぎでしょうか。
B 少なくとも、この俳句が生まれた時代、即ちいまから115年から120年ほど前の時代における俳句作品のもっとも先鋭的な表現が、この藤野古白の俳句であったということだけは、言えるのではないかとは思います。
選句余滴
藤野古白
鶴に乗る願ひは無くて今朝の朝
元日や夜に入りしより女声
きさらぎや若草山に昼の月
山焼くや窓でながめて庭へ出て
畑打や柳の奥に村一つ
切れ凧に淋しく暮るゝ広野かな
不老門に日の暮るゝなり春の雨
山を出て山を見返る霞かな
水門を出て濁りけり春の水
鹿の角月にうつして落しけり
鳴くや雲雀五山の空に只一つ
燕やぬれ足並ぶ橋の上
白梅やその暁の星寒し
花守の散る時は寝てしまひけり
山吹の濡れてひつゝく折戸かな
夕立の沖には裸船頭かな
野辺の露毛が生えて飛ぶ螢かな
蚊柱や蚊柱や三十三間堂
撫子やひとり昼寝の檜木笠
牛牽いて川渡りけり今朝の秋
橋踏みにひとり行くなり秋の暮
稲妻や天の一方に花の山
月更けぬ山をめぐつて帰る人
月出でゝ暗くなりたる雲間かな
乞食を葬る月の光かな
唐崎の松の月夜は雨青し
思ふこと月より上の心かな
大阪や屋根の上吹く秋の風
南とも北ともいはず秋の風
見に行かん野守の鏡星月夜
白萩に駅路の鈴の夜明かな
水音や川添垣の青瓢
霜月の川口船を見ぬ日かな
蛸の抱く鳥居に海の寒さかな
星の飛ぶたぐひなるべし走り炭
凩や富士の裾野を吹きまくる
横町の時雨出て来る屑屋かな
御車を大路に立てゝ夜の雪
枯野原風のとだえに星が飛ぶ
行く年の帆柱多き入江かな
根に残る力や雪の枯尾花
雲早し螢の如く星が飛ぶ
古池やこいつ投げこめ水の音
行春や錨をぬきし蒸気船
柴舟のかけ水にあり夕ほたる
河すしの夜明(あけぼし)青し子規
凩や落ちてわれたる鬼瓦
水せくや沈むはかりの松の影
俳人の言葉
病やゝ癒えて郷里に帰り始めて古白の墓に詣でしは同じ年の秋の初なり。惘然として彳むこと小時、
我死なで汝生きもせで秋の風
後東都に帰りて復褥に臥す。さめざめと雨ふる夜の淋しさに或は古白を思ふことあり。古白の上はわが上とのみ覚えて、古白は何処に我を待つらんといと心細し。古白手を拍つて余の怯を笑はん。
正岡子規 「藤野潔の伝」より 『古白遺稿』(明治30年)
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6 件のコメント:
冨田拓也様、「藤野古白」興味再燃しました。古白の自殺の真相はよくわかりませんね。
今回拝見すると、自由律俳句に行っているものが視られますね。子規の時代、俳句の形態がまだ定まっていなかったことが窺われます。
伊予出身で、芝不器男、野村朱燐洞、は、夭逝した俳人、いずれも、早熟さと叙情性タップリの青年達でした。惜しいと言うべきですが、そう言う生き様もまた後世のたちいるべきことではありませんね。
堀本吟様
コメントありがとうございます。
子規の時代の俳句というものもいまだによくわからないところがありますね。
不器男、朱燐洞ともに今後取り上げてみたいと思っておりますが、いずれにせよこれらの作者を取り上げるには、随分勉強しなければならないなと途方に暮れております。
朱燐洞などの自由律についてもいまひとつよくわからないところがありますね。
碧梧桐、一碧楼、井泉水など。
冨田拓也様
しばらくサボっておりましたが少し暇ができましたので、「俳句九十九折」まとめて読ませていただきました。不勉強の身としては、いつも見たこともない佳句が読めるので、ほんとうにありがたいです。
高田蝶衣、いいですね。
梯子かけて月の鯨に上りけり 高田蝶衣
永き日やつるす人形の首の数
蛇穴を出てサフランの茂りかな
あたり、好みです。これだけ佳句があれば手ばなしで称賛してもよいのではないか、とこれは門外漢の意見。ですが、最後の句など吉岡実『サフラン摘み』なんかも連想させて、現代的ですね。
花を折つてふり返つて曰くあれは白雲 藤野古白
水せくや沈むはかりの松の影
古白ではこの辺り。ちょっと芝居っ気がある人だったんでしょうね、歌舞伎の決めのポーズやせりふみたい。2句目の「かりの」なんて、泣かせどころですねえ。
古池やこいつ投げこめ水の音
も面白い。さすが子規の従弟。
湊圭史様
コメントありがとうございます。
私が選んだ作者とその作品に対して評価していただき、大変心強い思いがしました。
高田蝶衣や藤野古白などといったあまり話題にならない作者にも優れた作が存在するということで、俳句の世界というものの広大さというものがわかる気がしますね。
まだまだ優れた作者や作品が埋もれ続けている可能性は少なくなさそうです。
あと、
蛇穴を出てサフランの茂りかな
という句は、岡本癖三酔という俳人の句です。
この作者も明治の俳人で、この作者については、林桂さんや夏石番矢さんも言及しておられます。
私も今後この岡本癖三酔についてはいずれ取り上げてみたいと思っております。
では、またご感想などお聞かせくださると嬉しいです。
本文について訂正です。
河すしの夜明(あけぼし)青し子規
という句における
夜明の振り仮名は、
(あけぼし)ではなく、
正しくは(あけぼの)でした。
河すしの夜明(あけぼの)青し子規
が、正しい表記です。
謹んでお詫び申し上げます。
冨田拓也様
岡本癖三酔の句に関して勘違いをしてすみません。この句の(私にとってはですが)発見にちょっとのぼせていたようです。ほんとうに魅力的ですね。
冨田さんの癖三酔論、楽しみにしております。
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