2009年3月7日土曜日

俳句九十九折(27) 俳人ファイル ⅩⅨ 上田五千石 ・・・冨田拓也

俳句九十九折(27)
俳人ファイル ⅩⅨ 上田五千石

                       ・・・冨田拓也

上田五千石 15句
 
 
ゆびさして寒星一つづつ生かす
 
オートバイ荒野の雲雀弾き出す
 
もがり笛風の又三郎やあーい
 
月明き浜に流木曳きしあと
 
渡り鳥みるみるわれの小さくなり
 
麦秋や死せば未刊の一句集
 
かくてはや露の茅舎の齢こゆ
 
これ以上澄みなば水の傷つかむ
 
太郎に見えて次郎に見えぬ狐火や
 
早蕨や若狭を出でぬ仏たち
 
梟や出てはもどれぬ夢の村
 
月の村川のごとくに道ながれ
 
水草生ふわが詩も青の時代経し
 
貝の名に鳥やさくらや光悦忌
 
わが消なば道こそ絶ゆれ百日紅

 
 
 
略年譜
 
上田五千石(うえだ ごせんごく)
 
昭和8年(1933) 渋谷に生まれる
 
昭和29年(1954) 秋元不死男に会い「氷海」に投句 「子午線」にも参加
 
昭和30年(1955) 「天狼」に投句
 
昭和43年(1968) 第1句集『田園』 『田園』で第8回俳人協会賞
 
昭和48年(1973) 「畦」創刊・主宰
 
昭和53年(1978) 第2句集『森林』
 
昭和57年(1982) 第3句集『風景』
 
平成4年(1992) 第4句集『琥珀』
 
平成5年(1993) 『春の雁』
 
平成9年(1997) 逝去(63歳)
 
平成10年(1998) 遺句集『天路』
 
平成15年(2003) 『上田五千石全句集』
 

 
 
A 今回は上田五千石を取り上げます。
 
B 上田五千石は昭和8年に東京に生まれ、平成10年に63歳で亡くなっています。
 
A 亡くなってから現在まで、まだ10年ほどしか経過していないことになりますね。少し意外な感じがしました。
 
B 同年代の俳人が現在でも活躍していますから、それほど昔の俳人ではないということになります。
 
A 上田五千石が俳句をはじめたのは何時ごろでしょうか。
 
B 父親が句作をしていたそうで、五千石も子供の頃から俳句に親しんでいたそうです。
 
A 10代の頃には詩作を行っていたようですね。
 
B そういった時期を経て、神経を病んでいた昭和29年に頃に秋元不死男と出会い、師事し、「氷海」に加わるわけです。
 
A 俳句に本格的に取り組むのは、この時期からのようです。その後山口誓子の「天狼」にも投句を始めます。
 
B では、その作品を見ていくことにしましょうか。
 
A まずは〈ゆびさして寒星一つづつ生かす〉を選びました。
 
B この句は第1句集である『田園』の劈頭の1句ということになりますね。この昭和29年から昭和43年までの15年弱の作品が、この名高い『田園』の作品ということになります。
 
A 大体作者の20代から30代前半の頃の作品ということになりますね。
 
B この頃の五千石の周辺には、先にもふれたように師である不死男、「天狼」の選者としての誓子、そして「氷海」の先輩として兄事した堀井春一郎、同年代の作者である鷹羽狩行などの存在がありました。
 
A 『春の雁』(1993年 邑書林)における本人の述懐では、〈堀井春一郎、鷹羽狩行という稀有の異才秀才を身近にしなかったとしたら、今日の上田五千石の俳句はなかったような気がする。〉また〈誓子に傾倒し、不死男に師事した私ではあったが、実作の手ほどきをしてくれたのは堀井春一郎だと今でも思っている。〉という記述があります。
 
B こういった周辺の環境からの影響も『田園』の背景には存在していたようですね。
 
A 〈ゆびさして寒星一つづつ生かす〉についてですが、この「ゆび」は当然人差し指でしょうね。星というものは、空を長く見つめていると段々と眼が馴れてきて、それまで見えなかった星がいくつも見えるようになります。
 
B 「寒星」ですから季節は冬です。冬の星空における星の数が、時間の経過とともにどんどんその数を増していくプロセスがそのまま感じられるところがあります。
 
A 本当に「青春俳句」そのものといった趣きがありますね。
 
B 続いて〈オートバイ荒野の雲雀弾き出す〉を選びました。この句も『田園』所載の作です。
 
A この句は西東三鬼が激賞したそうです。
 
B 「雲雀」といえば、それこそ『万葉集』の大伴家持の和歌のように春ののどかな季節感を表現するのが一般的ですが、この句では1句の場面が「荒野」であり、さらにそこに「オートバイ」が登場します。
 
A そういった素材の斬新さが当時としては従来の俳句と異なるポイントだったのでしょう。またこの句には、やはりある程度当時の時代の影響が反映されているところがあるのかもしれません。
 
B 西洋文化への憧憬のようなものがあったと考えても不自然ではないのでしょうね。当時の外国映画などの影響があったのかもしれません。
 
A 上田五千石と親交のあった寺山修司に〈冬海に横向きにあるオートバイ母よりちかき人ふいに欲し〉という短歌が昭和37年に刊行された『血と麦』という歌集にあります。
 
B 『田園』の刊行が昭和43年ですから、やはり同時代的な空気が感じられるようなところがあるようです。
 
A 「オートバイ」の俳句は金子兜太の〈激論つくし街ゆきオートバイと化す〉や鈴木六林男の〈墓の前オートバイ立て行方知れず〉などいくつかありますが、結局はこの上田五千石の句が過去のオートバイ俳句の中で一番恰好いい出来であるような気がしますね。
 
B 上田五千石の句では、オートバイの疾走感と、そのオートバイの急襲に驚いた雲雀が空へ上昇してゆく速度とがクロスしているわけですね。
 
A また、オートバイのエンジンの音の蕪雑さと雲雀の澄み透った声との対比にも注目したいところです。
 
B 続いて〈もがり笛風の又三郎やあーい〉を取り上げます。
 
A この句は兄事していた堀井春一郎が〈これだ、これが君だ。君ははじめて君の句を作った〉と激賞したそうです。
 
B 「風の叉三郎」は当然ながら宮沢賢治の童話ですね。「もがり笛」は、冬の風が柵や垣根などの物に吹きつけられた時にヒューと鳴る音のことです。
 
A その「もがり笛」に乗って「又三郎」が遠くへと去っていくということであるようですね。
 
B 「やあーい」という表現が随分と非凡です。「やあーい」という表現は、おそらく普通に「やあーい」と読むのではなくて、実際のところは「やあーーーーい」という風に読むのではないかと思います。
 
A 「私」の「風の叉三郎」に対する呼びかけは、やはり「やあーい」という短いものではなく、そのように長い息のものということになるのかもしれませんね。「又三郎」は風とともに遠ざかっていくわけですから、その姿に向って呼びかけるとなると、そのように呼び声における長音の部分はやはりある程度長い感じのものの方が相応しいと言えそうです。
 
B そして、「もがり笛」にとともに去ってゆく「又三郎」の側からは、「私」の呼びかけ、即ち「又三郎やあーーーーい」という呼び声が、どんどん遠ざかり、か細いものとなりながらも聞こえ続けているというわけです。
 
A 音響効果とでもいったようなものが感じられますね。葛原妙子の短歌〈疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ〉の存在を思い出しました。
 
B そして、「又三郎」の去った後には、その風景のみならず、心の内にも、まさしく虚空のしづけさとでもいったような空白のみが空しく残っているということなのだと思います。
 
A なんだか谷内六郎の絵のさびしさや、鈴木翁二の漫画の世界にも共通するような情感がありますね。
 
B この『田園』という句集には、このようなそれこそ「取り残されたさびしさ」とでもいった内容の作品が数多く見られます。
 
A そういえば〈渡り鳥みるみるわれの小さくなり〉にしても、この句と似たようなところがありますね。
 
B 「われ」が「渡り鳥」を見ているわけですから、普通に考えれば小さくなってゆくのは当然「渡り鳥」ということになります。ですから本来的には「われ」が「小さくな」ってゆくということはありえないはずなのですが、それでもそういったイメージがある種の真実味を帯びて実感できるようなところがあります。
 
A 確かに「みるみるわれ」が「小さくな」るという表現は、想像によるイメージであるにもかかわらずなにがしかの現実感が伴っているようなところがありますね。また、「われ」が「渡り鳥」を見ている視点と、「渡り鳥」から「われ」を見ている視点が交錯し、そういった「われ」と「渡り鳥」の双方の存在を俯瞰するようなマクロ的な視座がイメージされるところもあります。
 
B 『田園』にはこれらの「又三郎」や「渡り鳥」といった作品の他にも〈蟾蜍人生に出遅れしかな〉〈瞑ればすでに晩年風と霜〉〈冬銀河青春容赦なく流れ〉〈冬空の鳶や没後の日を浴びて〉〈喪にこもりゐて北窓を片開き〉〈梁掛けに遺品となれり夏帽子〉〈青春のいつかな過ぎて氷水〉〈月明き浜に流木曳きしあと〉〈秋の蛇去れり一行詩のごとく〉などといった、自らが「取り残されたさびしさ」を詠んだ句がいくつも見られます。
 
A また、「疎外されたもの」へ意識を向けた〈萬緑や死は一弾を以て足る〉〈水増して代田ひしひし家かこむ〉〈水中に水より冷えし瓜つかむ〉〈朝日出て螢の生死忘れられ〉〈杖振つて亡き父来るか月の道〉〈檻の鷲眼光にぶくなりしかな〉〈秋の雲立志伝みな家を捨つ〉〈雪の渋民いまも詩人を白眼視〉〈星夜出て反骨教師雪つかむ〉〈水草生ふ放浪の画架組むところ〉〈寄辺なき身にて立ち見る蝌蚪の水〉〈闇に跼み蟇の弱音を聴いてやる〉などといった作品の存在も見られます。
 
B 結局これらの作品から感じられるのは、自らを取り巻く世界への「違和」であり、そういった「ずれ」によって認識される「距離感」や「隔絶感」、即ち「孤独」の感情であるということになるのでしょうね。
 
A 自分が成長し変貌してゆくことに伴う怖れ、即ち嘗ての自分自身と別れてゆくことによって伴う痛みや苦しみとでもいったようなものが想起されるところもあります。
 
B こういった句を見ていると、なんとなく宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の主人公である「ジョバンニ」の存在を思い出しました。
 
A そういえば「銀河鉄道の夜」には「ジョバン二」が銀河鉄道の中で親友「カムパネルラ」から「取り残されて」最後は一人になってしまい、窓の外の虚空に向って泣き叫ぶ、という場面がありましたね。
 
B 『田園』の作品はもしかすると「ジョバン二の俳句」であるといえるのかもしれません。
 
A 『田園』には〈白光のレールを月に向はしむ〉という句も存在します。しかしながら、句集全体を見ると単純に全てがそのような俳句であるとは言い切れない部分もあって「ジョバン二の俳句」という言い方はどこまで適切なものであろうかという気持もあるのですが、いくつかの作品については確かにそういった側面も感じられなくはないところがありそうです。ただ、句集の途中からは愛妻俳句や吾子俳句によるやや俳句的な私性の要素も加わってくる部分も見られるところがありますが。
 
B とりあえず、上田五千石の第1句集である『田園』の中の作品について見てきました。
 
A 『田園』時代の拾遺作品に〈冬夕焼わが青春の余白尽く〉という句が見られるように、この句集の後、上田五千石の年齢も30代後半となることによって青春の時代も終局を迎え、作風についてもこの後は変化してゆくことになります。
 
B では、その後の昭和53年の第2句集『森林』について見ていきましょう。
 
A 『森林』は『田園』以後からほぼ10年間の作品による句集ということになります。この期間である昭和48年に、上田五千石は39歳で俳誌「畦」を創刊しています。
 
B 39歳で結社の主宰となったわけですか。
 
A また昭和43年の時点では、第1句集『田園』で35歳という若さで俳人協会賞を受賞しています。その後、受賞の影響からか上田五千石は思うように句が成せなくなってしまったそうです。
 
B そして、その後の様々な模索から「眼前直覚」という方向へ上田五千石の手法はシフトすることになるわけですが、正直、この第2句集である『森林』はそういった作風の変換期ゆえか、さほど見るべき作品がないような気がします。
 
B そうですね。私がせいぜい選んだのは〈いちまいの鋸置けば雪がふる〉〈竹の声晶々と寒明くるべし〉〈雁ゆきてしばらく山河ただよふも〉〈草の実の紅の点綴素十亡し〉〈白露や一詩生れて何か消ゆ〉〈かくてはや露の茅舎の齢こゆ〉あたりと、拾遺の〈麦秋や死せば未刊の一句集〉〈巣燕の黒耀の眼の粒ぞろひ〉くらいです。
 
A 正直この句集における作品を読むと、「はたしてこのような作品を上田五千石ほどの作者が書く必要があるのだろうか」という疑念がどうしても拭い去れないところがあります。
 
B そうですね。〈冬浜に浪のかけらの貝拾ふ〉〈黄落のとどめともなく二三片〉などの表現の粗雑さ、〈蝉声八重息つぐことは生きつぐこと〉〈焚火辺をはなれて流浪はじまるか〉などといった安っぽい感慨を表出した句も見られ、他の作品にしてもこの程度の作品を成せる俳人は上田五千石でなくても、いくらでも存在するであろうという思いが湧出するのを抑えられないところがあるというのが正直な感想です。
 
A 先ほどにも触れたようにこの第2句集において、上田五千石は「眼前直覚」を標榜する方向へとシフトしましたが、その結果として果たしてその作品内容がどれほど深化したのかというとやはり厳しいものがあるといわざるをえないという気がしました。
 
B 続いて昭和57年の第3句集『風景』について見ていきましょう。
 
A 『風景』は昭和53年から昭和57年の5年間の作品によって構成されています。
 
B この句集では前回の第2句集による方向転換からある程度時間が経過して、やや表現がこなれてきた感のあることが作品の上から読み取れるところがあります。
 
A たしかに〈卯の花を腐して足らずけふも降る〉〈枯山の暮色にをんな声ともす〉〈梶の葉や法師の恋の歌あはれ〉〈物種のいづれ小さき光蒔く〉〈火に投げて世々の雛と別れけり 〉〈野分浪倒れんとして立ち怺ふ〉〈金屏や父の世に古りいまに古り〉などを見ればそのことがわかるところがあると思います。
 
B この句集からは、昭和55年の〈これ以上澄みなば水の傷つかむ〉〈太郎に見えて次郎に見えぬ狐火や〉昭和57年の〈早蕨や若狭を出でぬ仏たち〉といった作品を選びました。
 
A こういった句を見るとやはり上田五千石の優れた資質というものが感じられるところがあります。
 
B 〈これ以上澄みなば水の傷つかむ〉などは、それこそ『田園』の作品としても差支えないような出来映えを示しています。
 
A 〈太郎に見えて次郎に見えぬ狐火や〉についてですが、この句は、三好達治の「雪」という短い詩〈太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。〉が踏まえられた作品です。
 
B 上田五千石の句は、「雪」ではなく「狐火」というフィクション性のある季語を配したことにより1句の世界に幽幻な雰囲気が齎されています。
 
A 昔の怪異譚のような趣がありますね。
 
B 〈早蕨や若狭を出でぬ仏たち〉についてですが、この句はそれこそ森澄雄の作であるといっても通用しそうな作品ですね。
 
A やや古風な雰囲気があるのはこの句における単語の作用によるところが大きいのだと思います。
 
B 「仏たち」は単純に考えて仏像でしょうね。
 
A 「若狭」という地名から、昔の若狭湾の向こうから仏教が渡来した時代の有様が髣髴としてくるところがあります。
 
B 「出でぬ」という言葉によって、「若狭」という場所は山に囲まれている土地であるということを思い起こさせます。
 
A 「早蕨」という季語から『万葉集』の〈石走る垂水のうへの早蕨の萌え出づる春になりにけるかも〉が連想され、さらには「若狭」という言葉から「若狭湾」の存在が思い浮かび、その若狭湾そのものが春の光にきらめいているようなイメージが生じます。そして、その若狭湾の波の光が、仏の金色を髣髴とさせ、現在の古びて剥落しているであろう仏像の姿と二重写しになってイメージされるようなところがあります。
 
B この句におけるある種の「閉鎖性」とでもいうべきものによって、「若狭」という空間がまるで架空のユートピアのように思われてくるところがあるようです。
 
A 続いて第4句集の『琥珀』について見ていきましょう。
 
B この句集も全体的に見ると、取り立ててどうという内容でもなく、それこそ〈ふだん着の俳句大好き茄子の花〉という安直な所思の句も見られるところがありますが、それでも昭和58年の〈梟や出てはもどれぬ夢の村〉や、昭和61年の〈月の村川のごとくに道ながれ〉1990年の〈貝の名に鳥やさくらや光悦忌〉などといった優れた作品の存在をいくつか確認することができます。
 
A 〈梟や出てはもどれぬ夢の村〉は、構造的には先程の〈早蕨や若狭を出でぬ仏たち〉に近いものがありますね。
 
B 「梟」の句の方はまるで宮沢賢治の童話のような趣きがあります。
 
A 昭和62年には〈水草生ふわが詩も青の時代経し〉という句が見え、過去を振り返るような句がいくつか現れるようになります。
 
B この頃上田五千石は50代後半です。若い頃の句に〈瞑ればすでに晩年風と霜〉という作品がありましたが、当時の感慨がこの時点では既に実際のものとなりつつあります。
 
A 他にこの句集の特徴として、1990年の〈はらわたをしぼる吟なし蕨餅〉〈麦秋やあとかたもなき志〉1991年の〈こころにもあらでながらへ歌留多読む〉といった作品の存在が確認できます。
 
B なんだか自棄に近いようなものがありますね。
 
A 最後の句集である1998年の第5句集『天路』にもそのような句がいくつか見られます。1994年に〈何せんと世に遺されし冬の鵙〉〈こときれてゐればよかりし春の夢〉、そして1995年には「自嘲」と前書のある〈黄落やいまにいそしむ贋作り〉という句の存在までもが見られます。
 
B やや自虐的なところがありますね。このあたりにきて、やはり「晩年意識」というものが強く顔を出してきているようです。
 
A そのような晩年の意識を詠んだ作としては〈芭蕉忌や眼中の人みな老いて〉〈枯菊焚く為残しのこと何ぞ多き〉〈鳥雲に何ぞ待たるるおのが果〉〈わが消なば道こそ絶ゆれ百日紅〉〈たらちねに生み遺されて悴める〉などが挙げられます。
 
B こうなってくるとやや凄みのようなものが作品の上に認めることができるところがありますね。作者の晩年における「意地」のようなものがこのような作からは感じられます。
 
A またこれらの作ともやや異なる位相にある句として〈蚊遣香父のをんなもみんな果て〉という長谷川かな女の〈西鶴の女みな死ぬ夜の秋〉を髣髴とさせるような私小説的な作品や、〈銀漢や家系に尽きぬ放浪死〉などというなかなか迫力のある作品も見られます。
 
B こういった句をみると上田五千石はやはり単なる作者ではなかったと思わせられるところがありますね。
 
A さて、上田五千石の作品について見てきました。
 
B 上田五千石というとやはり第1句集の『田園』の印象が強く、どうしてもその印象が拭い切れないところがあります。
 
A 現在においても『田園』は、鷹羽狩行の『誕生』とともに優れた句集としてその価値は減じていないところがあるという気がします。
 
B 確かに現在読んでも、その内容は高い水準を示している句集であると思います。
 
A そして、その『田園』以降の作品についてですが、第2句集『森林』の時期における作風の変転から最後までの作品は、正直なところやはり『田園』に比肩しうるような成果は、残念ながら認められないのではないかという気がしました。
 
B 確かに第2句集以後については、やはり全体的に見ればそれほど優れた作品はないのかもしれませんが、それでも〈これ以上澄みなば水の傷つかむ〉〈太郎に見えて次郎に見えぬ狐火や〉〈梟や出てはもどれぬ夢の村〉〈月の村川のごとくに道ながれ〉〈水草生ふわが詩も青の時代経し〉〈貝の名に鳥やさくらや光悦忌〉などといった完成度の高い句の存在がいくつか認められ、こういった成果については、やはり評価されるべきところであるとは思います。
 
A このような「田園」時代の俳句から、その後の「眼前直覚」を標榜する作風への変転といった軌跡とその作品を見るにつけ、三島由紀夫が自決する前に執筆した1970年10月19日の「日本読書新聞」の歌人春日井健の選歌集『行け帰ることなく/未青年』の書評が思い出されます。その書評の一部を引用すると〈今さらに、詩人の成熟の難しさを、私は考へずにはゐられない。成熟はほとんど自殺と同じほどのエネルギーを詩人に要求するのだ。〉といった内容のものです。
 
B 上田五千石も、春日井健と同じく若いころからあまりにも「詩人」でありすぎたようなところがありましたね。
 
A 『田園』には、そういった表現者の痛々しさといったものがまざまざと感じられる作品がいくつも見られました。
 
B しかしながらこの『田園』における「オートバイ」「一弾」「風の又三郎」「放浪の画架」「渡り鳥」などといった言葉が用いられた作品を見ると、上田五千石はひたすらそういった自分自身の在りようから逃れたいと願っていたのではないかという気もするところがあります。
 
A 確かに〈萬緑や死は一弾を以て足る〉などを見ると、まさにそのように思われてくるところがあります。
 
B 始めの方で『田園』には「取り残されたさびしさ」や「疎外されたもの」へ眼差しを向けた句が多いと指摘しましたが、それもこのような自己からの解放されたいという願望の強さゆえのものであったということもできるのかもしれません。
 
A 上田五千石は〈もがり笛風の又三郎やあーい〉〈渡り鳥みるみるわれの小さくなり〉などといった作品のように、その後『田園』の時代を過去のものとして、そこから去っていったということなのでしょうね。
 
B 昭和62年には〈水草生ふわが詩も青の時代経し〉という当時について回想した作品があります。
 
A ともあれ、その「取り残された」「青の時代」である『田園』の世界は、当時の上田五千石の「さびしさ」を湛えたまま、現在に到るまで、なおも静やかなポエジーの横溢する「楽園(エデン)」としてその風姿をとどめ続けているものであると思われます。
 
 
 
選句余滴
 
上田五千石
 
告げざる愛雪嶺はまた雪かさね
 
外寝して星の運行司る
 
断髪の生まの襟足卒業す
 
萬緑や死は一弾を以て足る
 
結氷を迫らるる湖半生過ぐ
 
蟾蜍人生に出遅れしかな
 
杖振つて亡き父来るか月の道
 
冬銀河青春容赦なく流れ
 
水中に水より冷えし瓜つかむ
 
冬空の鳶や没後の日を浴びて
 
水草生ふ放浪の画架組むところ
 
はじまりし三十路の迷路木の実降る
 
貝遠く光れるために冬浜ゆく
 
遠浅の水清ければ桜貝
 
青春のいつかな過ぎて氷水
 
かたつむり殻の内陣透けゐたり
 
秋の蛇去れり一行詩のごとく
 
冬夕焼わが青春の余白尽く
 
いちまいの鋸置けば雪がふる
 
竹の声晶々と寒明くるべし
 
雁ゆきてしばらく山河ただよふも
 
草の実の紅の点綴素十亡し
 
白露や一詩生れて何か消ゆ
 
巣燕の黒耀の眼の粒ぞろひ
 
山出しのスピカに春やきたりけり
 
まがりても花のあんずの月夜道
 
草餅の肌どむみりと燈下あり
 
梶の葉や法師の恋の歌あはれ
 
枯山の暮色にをんな声ともす
 
鳥雲に入るや言問ふ人もなし
 
物種のいづれ小さき光蒔く
 
火に投げて世々の雛と別れけり
 
野分浪倒れんとして立ち怺ふ
 
金屏や父の世に古りいまに古り
 
青山に男還りぬきりぎりす
 
鉄橋の歓声に遭ふ初電車
 
青饅や黙契ながき句兄弟
 
ねはん哭くみみずやゴムの身をくねり
 
虹二重すべては絵空事なりし
 
涅槃会や誰が乗り捨ての茜雲
 
あたたかき雪がふるふる兎の目
 
文焚いてゐるむらさきの春の果
 
フオーク逃れのマツシユルームや不死男の忌
 
落合ひて山水澄みをたがへざる
 
月赤くあげて山負ふ蟇の恋
 
雪渓の雪を啖ひて生き延びる
 
恋やみなかりそめならぬ歌かるた
 
蛤の夢に雀のころの磯
 
待宵や秘してひとりの女弟子
 
蚊遣香父のをんなもみんな果て
 
銀漢や家系に尽きぬ放浪死
 
うちどめの恋永かれよ桜餅
 
鳥雲に何ぞ待たるるおのが果
 
朝寝して花鳥の世に目覚めける
 
虚子の忌をかぎりに花のうすれけり

 
 
俳人の言葉
 
省みれば、私の句は全て「さびしさ」に引き出されて成ったようである。この「さびしさ」が深められて、しずかさにおいて凝縮されるのが、いまの私の念じているところである。
 
上田五千石  『田園』後記より
 
 
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2 件のコメント:

高山れおな さんのコメント...

冨田拓也様

早蕨や若狭を出でぬ仏たち

の句について、志貴皇子の歌を持ち出しての解釈、すこぶる興を覚えました。架空のユートピアとしての若狭というのは言い得て妙ですね。それこそオバマ大統領のお蔭で有名になった小浜市は、平安時代の良い仏像がたくさんあるので仏像ファン垂涎の地でもあるのです。

春日井健/三島由紀夫のことに触れておられましたが、青春性の表出によって輝かしい出発を遂げた詩人の成熟は、難しい問題です。近年では、歌人の穂村弘氏が、小生には最も興味深い例に見えます。「青春ゾンビ」という解決にはのけぞりました。そこゆくと俳句は、早老のやつしに適性がありすぎる詩型のようで、五千石なんか見ているとその後の展開に確かに今ひとつの感は否めませんね。

冨田拓也 さんのコメント...

髙山れおな様

コメントありがとうございます。

思えば穂村弘さんもずいぶん長い間短歌を続けておられますね。
第1歌集の「シンジゲート」が1989年ですから、いまからちょうど20年前ということになります。
まさしく「青春ゾンビ」といった感じですね。

上田五千石の「田園」について書き忘れていたのですが、「田園」は2句で1組になっているものが多く、この視点からも読むことが可能であるようです。