2009年5月17日日曜日

飯田蛇笏論(江里昭彦)

-Ani weekly archives 006.17.05.09-
覇者のまなざし

                       ・・・江里昭彦

代表句集『霊芝』をひもとくと、飯田蛇笏はまず〈詰めこむ人〉といった印象をわれわれに与えてくる。集中の大正初期までの作品は、一句のなかに情景がやや窮屈におしこまれている感じが拭えないのだ。例えば、以下のような作品。

あら浪に千鳥たかしや帆綱巻く
雷やみし合歓の日南の旅人かな
雁を射て湖舟に焼くや蘭の秋
書楼出て日さむし山の襞を見る

人々が一定の範囲内に居住するとき、適当な人口密度であれば暮らしやすいように、俳句作品が佶屈であったり、逆にだらしなく見えたりしないためには、定型にことばが収まる場合の望ましい密度というものが考えられる。引用した四句では、いますこし密度が緩やかならば、という憾みを感じさせる。

むろん蛇笏は、かかる句作の機微をたいして時間をかけずに会得している。作品にも容器と中身とのほどよい均衡が実現されるようになる。われわれが彼の代表作とみなす名吟は、みなそうした安定感を具えている。

流燈や一つにはかにさかのぼる
死骸や秋風かよふ鼻の穴
秋たつや川瀬にまじる風の音

こうして姿を現した巨匠蛇笏に読者は胸をなでおろすのだが、なぜ一旦は〈詰めこむ人〉であったのか、という疑問は残ろう。彼に「言い定めよう」とする意気込みが強かったせいだろうか。しかし、短い詩型でもって言い定めることこそ俳人の本領なのだから、その意欲が過剰であっても批判される筋合いではない。

では、蛇笏に絵画的志向が強すぎたのか。「構図と遠近感覚」を重視したという意味に解釈するなら、この指摘は中っていよう(絵画にも、俳画のように、単品をさらりと描いて雰囲気を醸しだすやり方、つまり構図も遠近感覚も必要としない画法があるのだから、絵画的志向という漠然とした言い方でとどめずに、定義を詳しくする必要がある)。

「構図と遠近感覚」の重視――たしかにこれは蛇笏俳句の性格のひとつである。いや性格というより、彼が俳句を立ちあげる際の基本様式とみなしてよい。そして構図と遠近感覚が活きるのは、ちいさな事物を対象とするより、大柄な景色を捉えたときだ。蛇笏に大景を詠む性癖が強いのは、しかもそれが生涯を通じて変わらなかったのは、この基本様式が彼の俳句を支えていたからであろう。

秋風や野に一塊の妙義山  『霊芝』
大艦をうつ鷗あり冬の海  『霊芝』
蝉鳴いて遅月光る樹海かな  『霊芝』
日も月も大雪渓の真夏空  『霊芝』
雪山を匐ひまはりゐる谺かな  『霊芝』
梅雨の雲幾嶽々のうらおもて  『雪峡』
寒景をうかがふ鷹に夕あかね  『雪峡』
つらなりて雪嶽宙をゆめみしむ  『雪峡』
寒流の奥嶽を去る水けむり  『椿花集』

詠み手の肺活量の巨きさが直に伝わる、雄渾にして端然たるかような表現が、作品集からたくさん抄出できる。

ではあるが、皮肉屋の私はこうした句を読むと、まるで天皇の国見のようだと苦笑を禁じえない。これでは覇者のまなざしではないか。高きに登って四辺を見渡し、眺めによって威力を及ぼす行為である国見と同質の、「視線による支配」と称すべき意志と気迫がこれらの作品を貫いている。雄大な構図、凛とした声調、謹厳な詩趣、定型の重量感は、すべてそこに起因している。

実際、蛇笏のまなざしは下方より上方へと向かう傾きが強い。つまり、地に近い自然の風物をみつめるより(無論、彼も全くそうしないのではないが)、背筋をのばしてあたりを睥睨するのを好んでいる。そして、まなざしはおのずと頭の高さを越える上方へ移動してゆくのだ。樹ならば梢へと、山岳ならば頂き・稜線へと、更には大空へ、天体へと。

大木を見つつ閉す戸や秋の暮  『霊芝』
臼音も大嶺こたふ弥生かな  『霊芝』
蚕部屋より妹も眺めぬ秋の虹  『霊芝』
秋虹をしばらく仰ぐ草刈女  『霊芝』
月中の怪に射かけたる猟夫かな  『霊芝』
虹きえて諸嶺にとほき釈迦ヶ嶽  『雪峡』
地表出る凍月おとを喪へり  『雪峡』
春暁のうすむらさきに枝の禽  『椿花集』
霜溶やこころにかなふ山の形  『椿花集』

視線の移動を促すのは鳥である。蛇笏俳句には実によく鳥が登場する。かつ、佳作は、爬類・昆虫・地を離れえぬ獣を素材とした場合より、自由にはばたける鳥を詠んだ作品に多く見られよう。

月入れば北斗をめぐる千鳥かな  『霊芝』
一鷹を生む山風や蕨伸ぶ  『霊芝』
狩くらの雲にあらはれ寒の鳶  『霊芝』
秋雲を縫ふ岩燕見えそめぬ  『霊芝』
渓声に鷹ひるがへる睦月かな  『雪峡』
富士をこえみづうみをうつはつ燕  『雪峡』
雁仰ぐなみだごころをたれかしる  『雪峡』
雙燕のもつれたかみて槻の風  『椿花集』
たそがれて高原の雁しづみ去る  『椿花集』
寒雁のつぶらかな声地におちず  『椿花集』

それだけではない。霧・霞・靄など大気中にわだかまり、漂い、浮遊する現象への関心が強いのも、まなざしの上方志向を裏づけている。そして、雲! 宙を自在にゆききしつつ形態と表情を多彩に変える雲に対しては、憧れにちかい視線を、飽かず、倦まず、生涯をとおして寄せつづけている蛇笏である。

出水川とどろく雲の絶間かな  『霊芝』
深山木のこずゑの禽や冬の霧  『霊芝』
杣のみち靄がかりして猟期畢ふ  『霊芝』
青梅路や秋かすみして大菩薩  『霊芝』
葬送の山路がかりにいわし雲  『雪峡』
地靄してこずゑにとほく春鶫  『雪峡』
雲海を上れる月の翳仄か  『雪峡』
閑古啼き麦穂をわたる雲を見る  『椿花集』
後山の雲を高みに虹消える  『椿花集』

こうして作品を列挙すると、微妙な変化が浮上してくるのに気づかないだろうか。大景を詠むとき、景観に向ける蛇笏のまなざしは覇者のそれであった。「視線による支配」を内包した勁い精神性が感じられた。ところが、その視線が上へ上へとのびゆくとき、そこに穏やかさや諦観のようなものが混入してきて、勁い精神性を弱め、ほぐしてゆく。つまり、鳥や雲を詠んだ作品では「視線による支配」という統括力が背後にしりぞくようになる。この違いは興味深い。

〈視る〉ことは支配の一行為として、人間や事物に力を及ぼしうる。支配は、山河・民衆・建造物・禽獣・鉱物などにかぶさるであろう。しかし、なにびとも天は支配できない。視線の強度という矢も、空の奥まで届くことはない。虚空に消えゆく鳥や、ゆききする雲を仰ぐとき、蛇笏の眼もやわらかくならざるをえないのだろう。

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