2010年2月21日日曜日

俳句九十九折(71) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅣ・・・冨田拓也

俳句九十九折(71)
七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅣ

                       ・・・冨田拓也

2月15日 月曜日

家にあった川柳の総合誌『月刊 川柳マガジン』(新葉館出版)をいくつか引っ張り出してきて、気儘に目を通していたのであるが、その中に「川柳一人百句」というコーナーがあることに気が付いた。これは川柳の作者の1人からその作品100句を選出し、その作者の略歴を付したアンソロジーということになっているようである。詳しくはわからないが、この連載は同誌上において相当長期にわたって続いているものということになるようで(10年以上?)、現在までにゆうに100人以上の作者が取り上げられているのではないかと思われる。おそらくこれらは資料として相当に貴重なものなのではないかという気がするところがある。

俳句の総合誌などでは、これに類する企画があまり見当たらず(せいぜい総合誌『俳句界』の「魅惑の俳人」くらいか)、長い期間にわたって恒常的に試みられてこなかったという事実については、もしかしたら俳句という文芸にとって随分と大きな損失であったのかもしれない、という気のするところもある。

以下、『川柳マガジン』のバックナンバーに掲載されてあった「川柳一人百句」からすこし作品を引用しておくことにしたい。

奇蹟なし雑草ふんで子へ還る  河野春三(『川柳マガジン』2003年1月号より)

地を匍えば絶えだえにあるけものみち  〃

流木よいそげ 北指す鳥の 北  〃

狼のごと月明に咽喉かわく   松本芳味(『川柳マガジン』2007年7月号より)

空の奥恋ふ いつぴきの魚なれや  〃

ぼろぼろの船が出てゆく 丘まひる  〃

生きて行く技巧まずしく歯を磨く  定金冬二(『川柳マガジン』2001年10月号より)

なんとなく人の世がある水ぐるま  〃

冬の旅人 冬を出でんとして斃れ  〃



2月17日 火曜日

久しぶりに古書店をいくつか回ってみた。

大西泰世『世紀末の小町』(砂子屋書房 1989)、渡辺隆夫『宅配の馬』(近代文藝社 1995)、鈴木石夫『風峠』(現代俳句協会 平成4年)、杉本雷造『火祭』(ぬ書房 昭和51年)、花谷和子『五月の窓』(毎日新聞社 2000)、『こころの秀作百選シリーズ 清水基吉篇』(東京美術 昭和62年)を購入。

大西泰世、渡辺隆夫の句集は川柳のもので、他のものは俳句関係ということになる。

しかしながら、俳人の数や句集の数というものは、本当に尽きるところがなく、これまでに自分がいまだに手にしたことのない資料の存在というものも、それこそ相当な数にのぼるように思われる。そういった例のひとつとして、自分がこれまでに資料を探している過程において、いまだに1冊たりとも出会うことができていないものとして、「長谷川草々」という名の俳人の句集がある。

この長谷川草々という作者は、大阪の俳人であり、現在自分の暮している場所から割合近くのところに住んでいたようで(どうでもいいことであるかもしれないが、現在の自分の居住地の半径約2キロの範囲内には、この長谷川草々の他にもかつて、歌人塚本邦雄、俳人西村白雲郷、俳人小川枸杞子などが暮していたようである)、1921年に生れ、2000年に没、「頂点」「海程」「未完現実」などに所属し、1971年に「投影」を創刊主宰、句集に『雲山間思』、『餓鬼の田』、『長谷川草々句文集』、『その折々』などがあるそうである。

俳句誌のバックナンバーなどから、これまでの作品のいくつかをここに抜粋しておくことにしたい。

星座さがす三葉虫の淋しさで

梅雨の瀧仏らあまた落ちゆけり

五月雨や机上に古りし俳愚伝

関東ローム霜柱また人柱

地球病む天の川より水もらい

白粉花や月の出端は闇に似て

青虫太る胎臓界にわれを置き

葛の花生きて戻るに遠かりし



2月19日 金曜日

『桂信子全句集』(ふらんす堂 2007)を、断続的に読み継ぎ続けているのであるが、思った以上に読み進めるのに時間がかかっている。現在までいまだに読了できないでいるのである。

現在の時点で漸く、第5句集『初夏』(昭和52年)、第6句集『緑夜』(昭和56年)、第7句集『草樹』(昭和61年)を読み終えたところということになる。

第5句集の『初夏』のはじまりが昭和48年秋からの作品ということになり、桂信子の年齢はこの時で大体58歳ということになる。もはや、ほぼ還暦といってもいい年齢である。そういった年齢的な要素も反映しているためか、この第5句集『初夏』のあたりから、その作品の傾向が全体的にやや圭角が取れてきたというか、まさに「円熟」の気配へと傾き始めているように思われるところがあり、おおむねマイルドな「程良い」読み応えといった感じで、それこそいうなればまさしく「平明な作風」という桂信子の作品に対する一般的なイメージというものがそのまま当て嵌まるように感じられるところがあるといえよう。

そして、これ以前の第4句集『新緑』の時期における、誓子を淵源とする「実」の把握への強烈なまでの志向と、草城の影響さえをも振り切ってしまうかのような「虚」の世界への飛躍の意志とを併せ持つ、まさしく気魄そのものに充ちた句境というものを思い起こしてみた場合、この第5句集『初夏』以降の句にもけっして見るべき作品がないわけではないのであるが、若干ながら句集の作品全体としてはこれまでのものと比べてみるとなにかしらの不満というかやや物足りない側面があるように思われてしまうところがあるというのが読み手としての正直な感想ということになろうか。

とはいえ、以下のような作品を見るとやはり、さすがに「桂信子」だけあるといった感に打たれるのも事実ではある。

新緑の顔映るまで茹で卵  『初夏』

一日の奥に日の指す黒揚羽  〃

水底に泥のかぶさる月の村  〃

きさらぎをぬけて弥生へものの影  〃

微塵ともならず真向う寒入日  〃

涅槃会の拇指太く宙にあり  『緑夜』

十二月遠くの焰消しにゆく  〃

蟇大きな月がうしろより  〃

母のせて舟萍のなかへ入る  〃

皿叩く子がひとり居て夏の果  〃

ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く  『草樹』

下京や生麩ふくらむ花の昼   〃

穂芒や水よりくらく馬過ぎる  〃

口開けてすこし雪受く空也の忌  〃

陸橋の遠く日あたる冬至かな  〃



2月20日 土曜日

とある方より、とある機縁により邑書林の「セレクション俳人」シリーズの数冊をいただくことができた。このことによって、現在までに刊行されている「セレクション俳人」のシリーズの全てが、一応自分の手元において揃う結果となった。内容としては以下の通りである。

『大木あまり集』、『小澤實集』、『櫂未知子集』、『岸本尚毅集』、『佐々木六戈集』、『仙田洋子集』、『高野ムツオ集』、『田中裕明集』、『筑紫磐井集』、『対馬康子集』、『中田剛集』、『中原道夫集』、『行方克巳集』、『西村和子集』、『仁平勝集』、『橋本榮治集』、『正木ゆう子集』、『四ッ谷龍集』

このうちいまだに刊行されていない選集は、『あざ容子集』、『藺草慶子集』、『上田日差子集』、『宮崎二健集』、『セレクション俳論』ということになるようである。現在までなお全冊刊行までには至っていない様子を見ると、どうやら想像以上に時間がかかっているシリーズであるように思われる。

思えば、このシリーズが刊行されはじめたのは一体何時からのことであるのかというと、どうやら『櫂未知子集』の刊行が、2003年5月1日の発行ということになり、いまからおよそ約7年も前ということになる。

あと、このシリーズでは何人かの作者が入集していないように思われ、当然ながらそういった人選における欠落が少しばかり見受けられるのはある程度仕方のないことであるには違いないが、読者としては少なからず残念な気もする。また、他にもこういった俳句の選集というものは、「ふらんす堂」と「砂子屋書房」などの出版社からも何点か出版されているが、ここにもやはり名前の見られない作者というものの存在が少なくないように思われる。

--------------------------------------------------

■関連記事

俳句九十九折(48) 七曜俳句クロニクル Ⅰ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(49) 七曜俳句クロニクル Ⅱ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(50) 七曜俳句クロニクル Ⅲ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(51) 七曜俳句クロニクル Ⅳ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(52) 七曜俳句クロニクル Ⅴ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(52) 七曜俳句クロニクル Ⅴ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(53) 七曜俳句クロニクル Ⅵ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(54) 七曜俳句クロニクル Ⅶ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(55) 七曜俳句クロニクル Ⅷ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(56) 七曜俳句クロニクル Ⅸ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(57) 七曜俳句クロニクル Ⅹ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(58) 七曜俳句クロニクル ⅩⅠ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(59) 七曜俳句クロニクル ⅩⅡ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(60) 七曜俳句クロニクル ⅩⅢ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(61) 七曜俳句クロニクル ⅩⅣ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(62) 七曜俳句クロニクル ⅩⅤ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(63) 七曜俳句クロニクル ⅩⅥ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(64) 七曜俳句クロニクル ⅩⅦ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(65) 七曜俳句クロニクル ⅩⅧ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(66) 七曜俳句クロニクル ⅩⅨ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(67) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(68) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅠ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(69) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅡ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(70) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅢ・・・冨田拓也   →読む

-------------------------------------------------

■関連書籍を以下より購入できます。


10 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

こんばんわ。ふっ、と息抜きに来ました、といっては失礼かしら?ごめんなさい。

河野春三、大西泰世、桂信子、長谷川草々。一時に多方面の作家の読破ですね。
桂信子さんいついての感想が面白かった。

長谷川草々氏、は大東市に棲んでいたのですか?知っている人をしっているので、なつかしい気がしました、晩年、病気がちの方とうかがっていました。
頂点、海程、未完現実、と言う経歴だったのですね。主宰誌があったのでは?

冨田拓也 さんのコメント...

吟様

コメントありがとうございます。

いつでも息抜きに来てくださいね。

桂信子についてはまた明日取り上げます。

長谷川草々が住んでいたのは東大阪市です。塚本邦雄もそうですね。
大東市は、西村白雲郷、小川枸杞子です。

長谷川草々については、知っていそうな人にこれまでに何度かお会いしたのですが、聞きそびれてしまいました。たしか福田基さんが追悼文を書いておられたはずです。

晩年は闘病生活であったそうです。
この作者についてはまた今度もうすこしとりあげてみたいと思っております。

冨田拓也 さんのコメント...

本文中における、桂信子の第4句集は『晩春』ではなく『新緑』でした。

お詫び申し上げます。

中村安伸 さんのコメント...

>>本文中における、桂信子の第4句集は『晩春』ではなく『新緑』でした。

本文訂正しました。

冨田拓也 さんのコメント...

中村安伸様

訂正ありがとうございました。
感謝いたします。

Unknown さんのコメント...

今日、柿衛文庫で、頂点の60年という講演があります。(日原輝子、谷山花猿、両氏)

 大阪俳句史研究会。
 午後2時から、4時まで
 予約不要。入場無料。
わたしは、これから、聴きに行きます。春になったので、冨田さんもふらっと出てこられたら?

冨田拓也 さんのコメント...

吟様

うーん、すごいタイミングですね。長谷川草々をすこし話題にしているこの時期に。

頂点といえば、たしか佐藤鬼房、鈴木六林男が初期メンバーだったような。その後杉本雷造、熊谷愛子、鈴木慶子、小宮山遠、長谷川草々あたりが中心となった、三鬼系の俳誌ということになりそうですね。

いま(12時20分)私はいつものように明日のための原稿を半分泣きながら書いているので出掛けられません。

なにか発見や面白い事柄があればまた是非教えてください。

Unknown さんのコメント...

演題は【「頂点」の50年】でした。失礼しました。三鬼系というのは確かにそうですが、昭和、23年ごろから36、7年までの、小冊子の壮観関係は、ごちゃごちゃしていて、じつは私にもよくわからぬところがあります。

「頂点」は、創刊時には鈴木六林男の力がひじょうにおおきかったそうです。そこが詳しく話されました。これは私もあらたにしったことです。他の同人の話はあまり出てきませんでした。
第一期
「天狼」の三鬼の主宰誌「断崖」のひとたち、「雷光」(天狼系前衛俳誌)のやんちゃな鈴木六林男。島津亮、井沢唯夫、杉本呆太(雷造)佐藤鬼房ら、がひとつの拠点をつくった同人誌なのですが、そのご、縄、夜盗派というコースで、「前衛化」してゆきます。
昭和三六年頃。杉本雷造氏が、三顧の礼をもって、鈴木六林男を選者に迎えて代表にしたのが「頂点」のはじまりだ、ということです。かなり、名のある戦後俳句作家が、登場します。まさに社会性俳句、前衛俳句の牙城の要に見受けられます、
関西はどうも、こういう「天狼系」前衛俳誌
のことが、その性格がよくわかりません。

第二期、六林男が「頂点」を去り。「花曜」をつくっていらい、杉本雷造中心になり、東京同人が殖えていった時期。この時期に長谷川草々氏が、中堅で活躍された様子。刊行句集の特集号もあるようです。

第三期
雷造氏が亡くなり、日原大彦もなくなられて、解散の帰路にたたされたときに、夫人の日原輝子さん(創刊時の名、豊輝子)が代表になった現在、谷山花猿さんが、毎月東京から句会の参加しに大阪へ来る、と言うような緊密な協力をしている、と言うお話。花猿氏の話も、まとまっていました。いまは、高齢化したし、おとなしくなっているけれど、往年のこの同人誌の激しさをたんたんと日原輝子さんが話されて、興味深い内容でした。

これは、そのうち、大阪俳句史研究会の会報にのせられるはずです。四月になるでしょう。

冨田拓也 さんのコメント...

吟様

詳細なご報告ありがとうございます。

昨日は、私の方もなんとか無事(?)に今回の内容を書き上げました。

「頂点」という俳誌は50年もの長い年月にわたって現在まで続いているのですね。思えば、すごいことですね。

第三期についてはほとんど知りませんでした。杉本雷造が亡くなったのは、たしか数年ほど前だったような。

大阪俳句史研究会の会報、またいずれ読んでみたいと思います。

Unknown さんのコメント...

一期、二期、というのは、日原輝子さんがわかりやすいように、主宰者や中心人物でわけられたもの。内容の変化については、違う基準がいるはずです。
構成メンバーで創刊当時を知っているのは、もう日原輝子さんぐらいです。
でも、大変わかりやすい考え方です。惜しむらくは、(時間の都合もあったらしいけど)、杉本雷造さんの作品紹介や作家の像をもっとしりたかったです。もう一度してほしいな、いろんなヒントが貰えます。