俳人ファイル ⅩⅩⅥ 喜多青子
・・・冨田拓也
喜多青子 15句
さんらんと陽は秋風を磨くかな
フリージャのかぼそき茎のふるへがち
園暮れてひとゝき白し雪柳
汽車の噴く入庫のけむり鶏頭に
鞦韆のつかれ来し眼に虚空あり
きざはしのしづかなるときかぎろへる
星涼し鉄骨くらく夜を聳ちぬ
秋炎の空が蒼くて塔ありぬ
瞑ればこがらし窓に鋭かり
おぼろ夜の街へ空気のごとく出る
ベッドの燈ほろびて春の星燦と
死顔のためし涙よ梅雨の燈に
夢青し蝶肋間にひそみゐき
脳髄に驟雨ひゞける銀の夢
蝶のごとく瞼の奥を墜つる葉よ
略年譜
喜多青子(きた せいし)
明治42年(1909) 神戸生まれ
大正14,15年頃から俳句を作る
昭和8年(1933) 「ひよどり」創刊
昭和10年(1935) 日野草城の「旗艦」創刊に参加 11月逝去(27歳)
昭和11年(1936) 句集『噴水』
平成元年(1989) 句集『噴水』復刻
A 今回は喜多青子を取り上げます。
B この作者はどちらかというと知る人ぞ知る新興俳句の作者ということになるでしょうか。
A この作者について触れているのは、私の知る限りでは、
宇多喜代子 「草苑」1989年10月号 「近刊紹介」
川名大 「現代俳句 上」(ちくま学芸文庫 2001年)
中島敏之 「鬣」25号(2007年11月) 未完の「新興俳句」
あたりということになります。
B 喜多青子は明治42年(1909)神戸生まれ、大正14、15年頃から句作を始め、昭和3年ごろから本格的に俳句に取り組み、「ひよどり」など様々な俳誌を創刊し、昭和10年には日野草城の「旗艦」へと自身の俳誌である「ひよどり」が合併することになりましたが、俳句作者としてこれからというその年の11月に、27歳の若さで亡くなっています。
A 句集としては、没後の昭和11年に「旗艦叢書第三篇」として『噴水』が纏められて刊行されています。その内容は、序文を日野草城が執筆していて、作品としては昭和7年あたりから昭和10年までの作品225句が収録されています。
B 今回私が参照している資料は『噴水』の復刻版ということになります。では、その作品について見てゆきましょうか。
A まず、昭和7年作の〈さんらんと陽は秋風を磨くかな〉を選びました。
B 高い秋の空と、そこに射し込む秋の陽の光。そしてそこに吹き渡る爽やかな秋の風。秋の清澄な空気感がそのまま思い浮かぶところがありますね。
A また「磨く」という言葉がそういった秋の季節感といったものを強めているように思われます。
B この時期の作としては、他に〈吹かれ来て草に沈みぬ秋の蝶〉〈春愁のふと聴き入りし歌時計〉〈タイプ打つ七階の窓秋日和〉〈ジャズいよよはなやかにして年は行く〉といった句が見られます。
A 喜多青子は神戸の人であったということですから、「歌時計」「タイプ」「ジャズ」などといった言葉からも窺えるように作品に登場する素材が全体的にややモダンな傾向があるようですね。
B 当時の昭和初期における神戸というものは港町ということもあり、やはり当時としては大変モダンな都市であったようですね。
A というわけで、基本的に喜多青子の俳句は、その多くが当時の都市における俳句ということになります。
B 昭和8年には〈いちときに時計鳴りそむ春の昼〉〈噴水の夜目にもしるき穂となんぬ〉〈噴水の水な底にある魚の国〉〈灰皿に噛み捨つるガム夏を病む〉〈汽車の噴く入庫のけむり鶏頭に〉〈長き夜のシネマの闇に君とゐる〉〈巨き船かゝりて港まつり来ぬ〉〈ラグビーの脚が大きく駆けりくる〉などという作が見られますね。
A これらも「時計」「噴水」「灰皿」「ガム」「汽車」「シネマ」「ラグビー」といった言葉から、まさしく都市における俳句といった趣きがあります。
B また「汽車」「シネマ」「ラグビー」といった語彙は、山口誓子の作風に極めて近しいものを感じさせます。
A やはりこの時代における誓子の影響というものは随分と大きかったようですね。
B 喜多青子は神戸の人でもあったわけですから、同じ地域ということでその影響というものは甚大なものであったはずです。
A 名前の読みも「せいし」で同じですね。これは意図的なものなのでしょうか。
B それについてはどうであるのか私にはわかりません。
A また、青子の句業には、他にも誓子からの影響であろうと思われる連作(「噴水」、「ラグビー」など)による試みもいくつか見られます。
B 他に、この昭和8年の時期の青子の作には〈フリージャのかぼそき茎のふるへがち〉〈犬が追ふ球の行方に草青む〉〈クローバに一人が坐りみな坐る〉〈園暮れてひとゝき白し雪柳〉などという句の存在が見られます。
A 「フリージャ」や「雪柳」の句などの作品を見ると、その対象へのまなざしというものは非常に繊細な印象がありますね。
B 「モダニズム」の感覚と、このような対象への「繊細」な感覚が、この喜多青子の俳句における大きな特徴をなすものであるといっていいでしょう。
A 昭和9年の作品となると、その過敏といってもいいような「繊細」な精神の持主であったためでしょうか、段々と社会の状況と歩調を合わせるかのようにその作風は、微妙な変化を見せはじめることになります。
B 確かに昭和9年の時期の作品を見ると〈鞦韆のつかれ来し眼に虚空あり〉〈星涼し鉄骨くらく夜を聳ちぬ〉〈地下歩廊出でて夏樹のみどり濃き〉〈秋寒し隊道とはの闇を垂れ〉などといったやや重い印象の作品がいくつか見られるようになってきますね。
A 「鉄骨」「地下歩廊」「隊道」あたりの作品は、どことなく都市の空間における暗部というかやや殺伐とした風景へと目を向けているようにも思われるところがあります。
B そして、それらの景物が青子の「つかれ来し眼」には、まるで「虚空」のように空しいものとして映じているようにも思われるようです。
A この時期、時代は徐々に戦争へと傾斜してゆく方向へ向かっているといった状況にありました。
B 昭和10年には〈枯芝とナチスの旗といまは暮れ〉という句の存在も見えますね。
A 他にも〈群衆のなだれに在りて憂き春ぞ〉〈瞑ればこがらし窓に鋭かり〉〈おぼろ夜の街へ空気のごとく出る〉〈春愁のわれ海底の魚とねむる〉などといったややものうい心象を表出したような作が散見されます。
B 「群衆」「空気のごとく」といった句には、まさしく自己の存在が希薄となってゆくかのような感覚があるようですね。青年青子の不安な心象とでもいったようなものが、これらの作品には投影されているところがあるように思われます。
A こういった作品傾向はこの後さらに深化の傾向を見せることとなり、青子の心象風景をそのまま表現したような抽象性の高い作品が生み出されることになります。
B それが昭和10年の「夢の彩色」という題の付された〈夢青し蝶肋間にひそみゐき〉〈夢青し肋骨に蝶ひらひらす〉〈脳髄に驟雨ひゞける銀の夢〉〈叡智の書漂泊の夢にくづれくる〉〈天才の漂泊の夢書を焚けり〉〈書肆に繰る文芸の書の白き夏〉という6句ですね。
A どの句も単純に外部の世界に材を摂った内容ではなく、ひたすら内側の内面世界へと向かっていくような作品ですね。
B それこそ高屋窓秋の作品世界にやや近いものを思わせるところがあります。
A 高屋窓秋には、昭和7年における〈頭の中で白い夏野となつてゐる〉という作品がありました。
B あと、青子のこれらの作品におけるキーワードは「夢」ということになるでしょうか。
A 「夢」というものはそれこそ「現実」とは対極に位置する「フィクション」であるということになります。
B こういった青子の作品を見ると、重い時代状況を眼前にするような状況においては、その現実の軋轢に対してどうにか心身のバランスを保とうとする作用のために、「夢」というフィクションの要素を伴うものを心象の内部に不可避的に構築せざるを得なくなってしまうような心理状態となってしまうところがあるのではないかと思わせるものがありますね。
A 当時の渡辺白泉、高篤三などの作品を見てもそういった印象を受けるところが若干ありますね。
B 白泉には同じ昭和10年作の〈ふつつかな魚のまちがひそらを泳ぎ〉といったフィクション性の高い句が存在し、前年の昭和9年には高篤三の〈しろきあききつねのおめんかぶれるこ〉といった童謡の世界を思わせる作品あります。また、三橋敏雄にも昭和12年に〈かもめ来よ天金の書をひらくたび〉の原形である〈冬ぬくき書の天金よりかもめ〉といった「金のかもめ」といった現実とはやや異なる世界を希求する句が書かれてます。
A 青子は昭和10年におけるこのような不安の影が忍び寄ってくる時代状況の中で、「夢の彩色」といった自らの心象風景を表現する手法を獲得するに至ったわけですが、その後、病により27歳の若さで亡くなってしまいます。
B その晩年に〈蝶のごとく瞼の奥を墜つる葉よ〉という句がありますが、〈夢青し蝶肋間にひそみゐき〉〈夢青し肋骨に蝶ひらひらす〉における蝶は、青子の内部から外の世界へと向かって飛び翔ってゆくことなく、結局青子の内部における世界へと落葉と変じて永遠に翻っていってしまったということになるようですね。
A さて、喜多青子の作品を見てきました。
B その作品を見ると喜多青子が優れた資質を有していたことは間違いのないところだと思いますから、やはりこれからの作者であったという気がします。
A もし生きながらえていれば、それこそ高屋窓秋、篠原鳳作、富澤赤黄男、渡辺白泉、西東三鬼に次ぐような作者になっていた可能性もあったのではないかと思わせるところが確かにありますね。
B 篠原鳳作とは、青子は一度神戸で会っていて、その後は葉書でお互いの作品を批評し合う仲であったそうです。鳳作は、青子が亡くなった時に追悼句を8句作っていて、その中には〈咳入りて咳入りて瞳のうつくしき〉〈詩に痩せて量もなかりし白き骸〉といった作品が存在します。
A 鳳作もこの青子が亡くなった昭和10年の翌年の昭和11年の9月に、30歳の若さで亡くなっています。
B こうみると青子、鳳作ともに随分若くして亡くなっていたということに改めて驚く思いがしますね。
A 2人とも優れた才質を有していただけにその早世はなんとも惜しいところです。
B 後年の『白骨』所載の昭和24年の三橋鷹女の作に〈青年のあばらを出でて冬の蝶〉という、それこそ喜多青子の〈夢青し蝶肋間にひそみゐき〉〈夢青し肋骨に蝶ひらひらす〉の続篇のような作品がありますから、こういった作者たちの遺志というものは、この鷹女の作品のようになんらかのかたちでその後に受け継がれているような部分もあるのではないかという気もします。
A 喜多青子の作品は全体的に本当にどれも非常に繊細というか、大変弱々しいものであるといった印象がありますが、その作品世界は、そういったいまにも壊れてしまいそうなところでなんとか均衛を保っているとでもいったような危うさゆえによる魅力を有しているように思われます。
選句余滴
喜多青子
吹かれ来て草に沈みぬ秋の蝶
春愁のふと聴き入りし歌時計
タイプ打つ七階の窓秋日和
犬が追ふ球の行方に草青む
クローバに一人が坐りみな坐る
いちときに時計鳴りそむ春の昼
噴水の夜目にもしるき穂となんぬ
噴水の水な底にある魚の国
灰皿に噛み捨つるガム夏を病む
長き夜のシネマの闇に君とゐる
巨き船かゝりて港まつり来ぬ
ラグビーの脚が大きく駆けりくる
揚がりゆく錨は寒き潮こぼす
屋上の小春にあそぶ娘らが見ゆ
青芝は香へり身もてまろぶとき
ソーダ水翡翠のあをき手が添へる
秋の朝はやきめざめの牛乳(ちち)飲める
地下歩廊出でて夏樹のみどり濃き
秋寒し隊道とはの闇を垂れ
街の角白堊そびえて冬に入る
枯芝とナチスの旗といまは暮れ
壁爐燃え銀器しづかにひゞかへる
群衆のなだれに在りて憂き春ぞ
春愁のわれ海底の魚とねむる
カラー白しあまりに白し冬の燈に
日向ぼこ鷗が越ゆるマストあり
パン売りは雪降る街へ去りゆける
ベッドの燈ほろびて春の星燦と
夏ゆふべ岸壁の船白く暮れ
夢青し肋骨に蝶ひらひらす
叡智の書漂泊の夢にくづれくる
書肆に繰る文芸の書の白き夏
三等の赤い切符をふところに
あかときの吾も鈴虫も睡の青く
橋燈の水いろの燈に夕焼雲
稲を刈る幽けき音に来て佇てり
図書館の白堊ぞ黄なる芝につゞき
俳人の言葉
もつともつと生かして置きたかつた。誰もがそういう。が青子はながいきをしないつもりであつたのではないかと思う。何故そう思うかと問ひ返されても明答は出来ない。青子が欲すると欲しないとにかかわらず、ながいきの出来ない星であつたのかも知れない。惜しみつつも、その短命が決して不思議に考へられないというのは、どうも不思議な次第である。そはとまれ、ほろびたのは青子の肉体である。青子のあの気魄は小さな肉体から解放されて、今こそのびのびと遍満し、われらの頭上に焰を心ゆくばかり燃え立たせているに違ひない。
日野草城 喜多青子『噴水』(昭和11年)序文より
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2 件のコメント:
冨田拓也様
またまた知らない作者。お恥ずかしい。しかし、肋間の蝶の句には覚えがあります。弱い中にも好ましい作品が幾つもありました。中で、選後余滴にあげられていた、
ソーダ水翡翠のあをき手が添へる
にしびれました。これは翡翠の指輪をした女の手を詠んでいるものと思いますが、省略が生む幻想美がすこぶる妙。
髙山れおな様
いつもコメントいただきありがとうございます。
喜多青子の作品は、弱々しいながらも、一方で割合構成と骨格がしっかりしているところもありますね。
なんとなく澤好摩さんの作風を思い出しました。
両者とも誓子に対抗するような作品がありますね。
青子の
ソーダ水翡翠のあをき手が添へる
は、当時の「新青年」あたりの小説の雰囲気に近いものがありますね。城昌幸など。
当時は確かモダンボーイ、モダンガールといった時代だったような。
そういえば横溝正史は神戸で「モボ」だったとどこかで読んだような記憶もあります。
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