俳人ファイル ⅩⅩⅡ 寺井文子
・・・冨田拓也
寺井文子 15句
誰を恋はむ菊人形を裏よりみる
白鳥を雪の蝙蝠傘につつむ
一夜経て姥となりけり桃の花
やはらかき魚の産卵天の川
魔がさして天を仰ぐや蝸牛
渡り鳥しづかにわたる羽に遇ふ
いづこより来てまばたくや秋の暮
夢殿やしぐれのあとの風が吹く
鳥一羽ちらつきにけり天の川
天の川一掬の水くらかりき
凩の手より淡墨ひとしづく
しぐるるや水底にある石二つ
秋分やいまだ詠はぬ虚空の火
かたつむり水平線になにもなし
花ふぶき一命あるは間違ひか
略年譜
寺井文子(てらい ふみこ)
大正12年(1922) 神戸市生まれ
昭和21年(1946) 句作開始 以後、草城門
昭和23年(1948) 神生彩史の「白堊」に投句
昭和31年(1956) 草城没、彩史に師事
昭和37年(1962) 第1句集『密輸船』
昭和41年(1966) 彩史没後、永田耕衣の「琴座」に入会
昭和45年(1970) 桂信子の「草苑」創刊に参加
昭和54年(1979) 第2句集『弥勒』
平成12年(2000) 逝去(78歳)
平成13年(2001) 『寺井文子遺句集』(編集 田畑耕作)
A 今回は寺井文子を取り上げます。
B あまりこの作者についてご存じの方は少ないと思います。あと、当然のことながら「寺井谷子」さんではありません。
A 宇多喜代子・黒田桃子編の『女流俳句集成』にも『観賞 女性俳句の世界』全6巻にもこの作者は収録されていませんね。
B 私がこの作者を知ったのは確か『俳句四季』の2001年9月号の時評において江里昭彦さんが『寺井文子遺句集』を取り上げておられたのを読んだことがきっかけであったはずだと思います。
A 他には、正木ゆう子さんが『現代秀句』などでこの作者について言及しています。
B この作者の略歴についてですが、寺井文子は1922年に神戸で生まれ、俳句を始めたのは、昭和21年に会社での俳句会に誘われたことがきっかけであったそうです。
A その俳句会の関係から日野草城に師事することとなり、その後は神生彩史の「白堊」にも投句し、草城の没後は彩史に師事することになります。
B その後、彩史が亡くなってからは永田耕衣に師事し「琴座」に所属、昭和45年には桂信子の「草苑」の創刊に参加しています。
A この作者については資料がさほど多くなく、句集などを見てみてもあまり詳しい記述が見られず、不明な点が少なくありません。
B 句集にしても一応『密輸船』『弥勒』『寺井文子遺句集』の3冊が確認できますが、果たして句集の存在はこの3冊のみであるのかどうかについても不明なところがあります。
A 『草苑』の終刊号を見るとどうやらこれらの句集のみであるようです。今回、資料として参照しているのはそれらの3冊ということになります。
B では、とりあえず、その作品について見ていきましょうか。
A まず〈誰を恋はむ菊人形を裏よりみる〉を選びました。
B 第1句集『密輸船』の昭和31年の作です。
A この第1句集には昭和22年から昭和36年までの作品が収録されています。
B この作品集のはじめの頃の作品はどちらかというと習作といった作品が多く、内容としては全体的にやや凡庸な印象があります。
A 本人も始めの頃はさほど俳句について熱心ではなかったようで、そのことが作品にも反映しているようです。
B 始めの頃の作品で私が興味を引かれたのは、昭和22年の〈仏桑華少年兵もたばこ吸ふ〉昭和23年の〈幸うすく梅雨の甘藍あまくかむ〉あたりです。
A 「仏桑華」の句は詩人の吉岡實の〈フリイジヤ少年たばこ吸ひ初めぬ〉を思わせるところがありますね。
B 吉岡實も昭和14年から15年に日野草城の俳誌「旗艦」の神生彩史選と安住敦選へ投句していたことがあるそうです。
A やはりどちらかというと両句ともやや草城に近いような雰囲気が共通して感じれるところがあるようですね。
B 昭和31年に草城が亡くなりますが、この頃から寺井文子は徐々に句作に身を入れ始めるようになるようです。
A 本人も〈私が、何とか俳句に慾を出して、真剣になり始めたのは、「高熱の鶴青空に漂へり」の草城鶴を見失って以後のことである。〉と述懐しています。また句集における作品を見ても、そのことが確認できるようです。
B また、このころから作品の上に自らの「女性性」とでもいうべき属性を前面に押し出すかのように「女」というキーワードが句の中に頻出するようになります。
A 作品としては昭和31年の〈悪女にて祈る神苑枯れ極む〉〈黒人水夫哄笑す花火の下〉〈獅子は餌の器かたむけ秋の昼〉〈誰を恋はむ菊人形を裏よりみる〉〈水郷の霰にねむる女の旅〉ということになりますね。
B それまでは寺井文子の作品には「女性性」を強く表現したような作品はあまり数多く見られなかったのですが、このあたりにくると非常に目につくようになりますね。
A 他にも昭和33年の〈鐘楼へ黒き洋傘ひらく女〉〈女の旅夜の稔田にとり巻かれ〉、昭和34年の〈女の爪荒縄を解く雪の中〉〈女の髪緊る月光の埋立地〉といった作品が見られます。
B 当時は女性の俳人の数が少なく、女性であることによる希少価値は現在よりもはるかに高いものであったであろうということは容易に推測されます。このように自らの「女性性」を逆手にとっての詠み方は意図的で戦略的なものであったということができると思います。
A また、寺井文子は日野草城の弟子でした。さらに、先従として桂信子の存在がありますから、その詠み方に倣っているところもあったのかもしれません。
B 桂信子には〈ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ〉〈クリスマス妻のかなしみいつしか持ち〉〈ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜〉〈やはらかき身を月光のなかに容れ〉〈ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき〉〈窓の雪女体にて湯をあふれしむ〉などといった作品がありました。
A そして、このあたりから寺井文子の作品の上にはこのような「女性性」のみにとどまらず、「社会性」や「前衛性」といった要素も加わってきます。
B 昭和33年には〈スラム去る氷塊ひかり放ちけり〉、昭和34年には〈軍艦へ近づく水を掬ふ主婦よ〉〈空母来たりかがやく椅子に乳児ねむる〉〈吊革の環の中で生きる尼の生毛〉といった作品が見られますね。
A さらに、昭和35年には〈艦隊は沖に埴輪のひかる微笑〉〈刃のやうな落葉の中の虎の眠り〉〈女来てはがねの女体うち鳴らす〉、昭和36年には〈完璧な墨絵の沖の密輸船〉〈母を造るあをき五月の粘土細工〉〈軍艦の兵油絵に塗りこめられ〉〈走る男貧民窟の暮色裂く〉などさらにその傾向が強くなってきます。
B しかしながら、作者がやはり女性であったためであるのでしょうか、前衛色がやや濃いとはいえ、それほど強くその影響があらわれているというわけではないようですね。
A 確かに当時の関西の他の「前衛俳句」の作品群と比べた場合、句集を見る限りにおいては、どちらかというとまだおとなしい範疇の作風に属するものであるように思われます。
B では、続いて第2句集である『弥勒』の作品について見てゆきましょう。
A この句集は、照和54年に刊行され、収録されている作品は昭和37年から昭和54年までの17年間の作品ということになります。
B この句集は、造本が非常に意匠を凝らしたもので、なかなか立派な作りとなっていて、その点だけでも大変目を引くものがあります。
A この句集の特徴を説明すると、縦23センチ、横15センチのサイズで、函が橙色、本体にはやや特殊な紫の布装が施され、そして頁に使用されている用紙の紙質も大変上等なものが使われています。
B 素人の眼から見ても並の造本ではないということが看取できます。
A 印刷が「琴座」同人であった村上鬼愁の「創文社」であったということが、このような句集の誕生と関係しているのでしょう。
B そういえば「湯川書房」や「コーベブックス」のなどの凝った造本で有名な関西の出版社の書籍の印刷もこの「創文社」が請け負っていたことが多かったのではないかと思われます。「創文社」の造本の技術というものは大変立派なものであったと思いますが、この寺井文子の『弥勒』の場合は、それだけでなく作品の内容自体が、その内実にふさわしい外装を自ずから引き寄せてしまったかのような印象さえ感じられます。
A 優れた本というものは、装丁家などの本の作り手たちがその内容に惚れ込んで、それに見合うだけのものを自らの技術を以て応えようと努力するため、立派な造本になることが往々にしてあるそうです。
B 作品の内容が周辺をも巻き込んでゆくような現象が起こるわけですね。確かにこの句集を見ると、そのような現象の表れた好例であるように思われます。造本と内容が良いバランス感覚を伴って拮抗しているようです。
A さて、その『弥勒』についてですが、先ほどにも少し述べたように、この句集に収録されている作品は、昭和37年から昭和54年までの17年間の作品で、その数は合計162句となっています。
B 17年もの歳月から、たった162句の採録ですから、大変な厳選といった趣きがありますね。
A そのことだけでもこの作者の自作への厳しい態度がまざまざと感じられます。
B 『弥勒』の序文において桂信子も〈おのれにきびしい文子さんは、この句集を編むにあたり、僅か一五四句を残したのみである。〉と書いています。
A これは桂信子の数え間違いでしょうか。実際のところはこの句集に収められている作品の数はやはり162句です。ともあれ、この句集は寺井文子にとってまさしく渾身の句集であったということになるのでしょうね。
B 当時の『草苑』における宇多喜代子さんの「寺井文子管見」という文章には〈寺井文子は、『弥勒』をいのちの形見のつもりで成したという。〉という記述が見えます。
A このことについては寺井文子が「病弱」であったということも関係しているとのことです。さて、この句集の内容についてですが、その作品全体を瞥見したところ、第1句集の後半に見られた「前衛」色の強い作品はあまり見られなくなっているようです。
B これまでの「前衛俳句」のように実験色の強い作品でもなく、かといってありきたりなセオリー通りの作品が並べられているというわけでもありません。
A どうやら寺井文子の作品はここにきて、これまでの作品における「凡庸さ」や「女性性」、さらには「前衛俳句」といった知点を突き抜けて、洗練された硬質な抒情ともいうべき作品境地へとこの句集において到達することとなったようです。
B この句集からはまず〈白鳥を雪の蝙蝠傘につつむ〉を選びました。昭和37年から42年の作品です。
A この句は『弥勒』の劈頭の1句ということになります。
B 当時の「琴座」を見ると、詩人の多田智満子が「雪の蝙蝠傘 寺井文子句集『弥勒』を読んで」という文章を寄せていて、この句に対して〈何という美しさ、何という奇妙さだろう。〉〈「現代詩」の実作者の立場から見れば、まるで美学の高度の演習の実例のようなこの完璧さが、ひとつには詩型の短かさからきていることに、一種の羨ましさを感じないではいられない。〉とまで書いて絶賛しています。
A 確かに「奇妙」な句ですね。「白鳥」と「蝙蝠傘」と「雪」と「私」。それらの「白」と「黒」による重層構造。その色彩感覚の連なりから、なにかしら眩暈のような感覚をおぼえてしまうところがあります。
B 続いて『弥勒』から、昭和43年から昭和46年の作品である〈やはらかき魚の産卵天の川〉を選びました。
A 「やはらかき」という言葉から桂信子の〈ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ〉〈やはらかき身を月光のなかに容れ〉を連想させるところがあります。
B しかしながら、桂信子の影響をそのまま受けていたとおぼしきこれまでの寺井文子の「女性性」を無理やり押し出したような作品とは異なり、この句では単に「女身」ではなく「魚」となっています。
A ここでは直接「女性性」が直接詠まれているわけではなく、「魚」を介してその「女性性」が表現されているわけですね。これまでの作における云わば「生身の女性性」が、「虚」の作品世界の内部へと組み込まれ変容、深化を遂げた様子がこの作品から窺えるようです。桂信子の影響をここにきて自らのものにすることに成功したともいえるのかもしれません。
B 続いて〈魔がさして天を仰ぐや蝸牛〉を取り上げます。『弥勒』所載の昭和47年から昭和49年の作品です。
A 一読、永田耕衣の〈天心にして脇見せり春の雁〉を思わせるところがあります。
B また、それだけでなくこの寺井文子の作からは、それこそ「妖異」ともいうべき雰囲気が立ち上ってくるようです。
A 「魔」という言葉と「蝸牛」のあの軟体質の異様な風姿がそういった印象を与えるのかもしれません。
B 続いて〈渡り鳥しづかにわたる羽に遇ふ〉を取り上げます。この句も『弥勒』所載の昭和47年から昭和49年の作品です。
A 単に「私」が「渡り鳥を目撃した」という意味内容であるに過ぎないのでしょうが、レトリックの巧みな効果によって秀句として成立しているようです。
B 「しづか」ですから、まるで物音がひとつもしないような世界であるかのような印象を受けますね。それこそ虚空の中を鳥のフォルムのみが飛翔しているといった静謐な世界が創出されています。
A 続いて〈いづこより来てまばたくや秋の暮〉を取り上げます。この句も『弥勒』所載の昭和47年から昭和49年における作品です。
B この句も多田智満子が〈こんな句に出逢うと私などは無条件で脱帽しないわけにはいかない。〉と評価しています。
A まさしく光のシンフォニーですね。そして、「まばたき」ですから、光と影の関係から先ほどの作品〈白鳥を雪の蝙蝠傘につつむ〉における重層構造に近いようなものが想起されます。
B 真っ赤な夕陽の発せられる強い光の作用によって瞬く瞳。その「夕陽」と「暗闇」の関係から、存在における「有」と「無」といった問題にまで思いが及ぶようなところがあります。
B 不断に繰り返される両極の往還運動。寺井文子には他に〈鳥一羽ちらつきにけり天の川〉といった作品もあります。
A あと、この句には、「いづこより来て」という人間存在における根源的な問いが含まれているようです。
B 一種の原始感覚とでもいうべきものでしょうか。古代の人々には「太陽信仰」とでもいうべきようなものがあったそうで、そういった古代人の感覚にも近いものがあるように思います。
A 「いづこより来て」ですから、それこそこの地球という惑星における生命の発生から、現在に至るまでの連綿と続く生命の連鎖の気の遠くなるような軌跡に思いが至ります。そして、その果てしない過去への郷愁と、その過去からの時間の流れの上にある現在に自らの存在そのものが現実のものとして実在するということの感慨、驚嘆とでもいったような感情がこの句には表出されているというべきでしょうか。
B 人間存在とその発生における「謎」、さらには「宇宙」そのものにおける「謎」までをも感じさせるスケールの大きな句であると思います。
A 他にも、この句集には〈一夜経て姥となりけり桃の花〉〈夢殿やしぐれのあとの風が吹く〉〈天の川一掬の水くらかりき〉〈凩の手より淡墨ひとしづく〉などといった秀句をいくつも見出すことができます。
B このように『弥勒』の句のいくつかを見ていると、その作品における洗練の具合が、どことなく河原枇杷男の作風と似通うものがあるようにも感じられるところがありますね。
A 河原枇杷男も永田耕衣の弟子でした。永田耕衣の東洋的なカオスが濾過、洗練されるとこのようなあまり夾雑物のない美しい世界が現出するのかもしれません。
B 続いて『寺井文子遺句集』の作品を見ていくことにします。
A この句集は寺井文子の没後1年後の平成13年に刊行された遺句集ということになります。
B 句集をみても、編集についての詳しい記載は何もなく、作品の発表年などもほぼ不明です。
A 『弥勒』が刊行されたのが昭和54年ですから、それからこの遺句集の刊行までほぼ20年が経過していることになります。
B その20年の間における作品のいつごろのものが、この『寺井文子遺句集』に収録されているのかということがあまりはっきりとわかりませんね。
A この遺句集の総数は290句ですが、この20年の間には果たしてこれらのみしか作品は存在しなかったのだろうかという気もします。
B この『寺井文子遺句集』の内容についてですが、作品だけを見ると、先の『弥勒』の作品と比べて言葉が全体的に空回りしているというか、空転している作品が多く目につきます。
A たしかにこの句集の作品を見ると、やや気が抜けてしまったような作品が目立ちますね。
B とりあえずこの遺句集から選んだ作品について少しみておきましょう。
A まず句集の第1句目に記載されている〈しぐるるや水底にある石二つ〉を取り上げました。
B 神生彩史の〈木枯や石触れあうて水の中〉〈冬の雨錨は海の底にある〉〈水中にうす刃ひかりぬ秋の風〉あたりの作を思わせます。
A 「石二つ」という言葉からも、まさしく師系を思わせる句ですね。
B 続いて〈秋分やいまだ詠はぬ虚空の火〉です。
A 「虚空の火」ですからやや観念的な表現です。
B 作者の心象風景とでもいったところでしょうか。
A 俳句表現における作者の「未だし」の思いが表出されているものであったのかもしれません。
B 続いて〈かたつむり水平線になにもなし〉を取り上げます。
A 「かたつむり」という限定的な視点から、一気に視野が広がるようです。「水平線になにもなし」という簡潔な表現から海(もしくは湖、池など)の広大な風景がそのまま現前するように感じられますね。
B 「かたつむり」ですから、雨が上がった後の風景を思い描いてもいいのかもしれません。
A 最後に〈花ふぶき一命あるは間違ひか〉を取り上げます。
B 「花ふぶき」と「命」ですから、やや即きすぎのきらいがありますが、自らの「生命」そのものにおける宿命性についての問いには切実なものが窺えるようです。
A 先ほどの〈いづこより来てまばたくや秋の暮〉とも通底する人間存在への問いかけの句のようですね。
B 桜は咲いたとしても散っていきます。それと同じように、当然ながら人も生れては死んでゆくわけですが、そのある意味では徒労ともいうべき現象そのものに対する疑念ということになると思うのですが、単にそれだけではなく、ここには何かしらこの世界における「無常」なる存在への愛惜のようなものも同時に感じられるところがあるようです。
A 「一命あるは間違ひか」ですから、やはり単なる「間違いである」という「断定」ではなく、そのことへの問いかけということになります。そして、そこに単なる悲観とは異なる感情が窺えるところがあるように思われますね。
B さて、寺井文子の作品について見てきました。
A 句集の作品のみを見ると、第2句集の『弥勒』に寺井文子の才質の大方は集約されているのではないかという風に思いました。
A そうでしょうね。ただこの作者には句集に収められていない作品がやはり他にも数多く存在するのではないかという気がしました。
B 過去の「草苑」や「琴座」などを精査してみれば、もしかすると「前衛俳句」の時代、『弥勒』の時代、晩年、といった各々の時期における作品世界について、また句集とは異なった姿が見えてくる可能性があるのではないかという気がするところもあります。
A そう考えると今回は作品について少し調査不足であったということになりますね。
B またいつか機会があれば、もう少し詳しく寺井文子の作品について見ていきたいという気がします。
選句余滴
寺井文子
仏桑華少年兵もたばこ吸ふ
幸うすく梅雨の甘藍あまくかむ
秋の虹露台にぬつと男佇つ
近よりて逃ぐる牡鹿に尚近づく
悪女にて祈る神苑枯れ極む
黒人水夫哄笑す花火の下
水郷の霰にねむる女の旅
スラム去る氷塊ひかり放ちけり
艀よりハモニカ夜の海うごく
螢火は黒人兵のゆび燃やす
艦隊は沖に埴輪のひかる微笑
刃のやうな落葉の中の虎の眠り
女来てはがねの女体うち鳴らす
完璧な墨絵の沖の密輸船
母を造るあをき五月の粘土細工
軍艦の兵油絵に塗りこめられ
走る男貧民窟の暮色裂く
春雷や孔雀の内部すきとほる
木枯しや臥してこころの鈴が鳴る
朝桜かかはりもなき屍行く
死神の行きつ戻りつ夕桜
夜神楽や身深き鏡割れにけり
遠桜あまたの禍福たなびきぬ
白鳥の首の中の弥勒かな
月光に酔ふひとすぢの紐があり
底なしの匣に葬る百日草
魂まつり白鷺一羽淵づたひ
うすぐらくてのひらにある菫草
風葬よ芒を一穂づつ持ちて
天つ風手の白露の消ゆるなり
高みつつ夕くれなゐのいかのぼり
空ふかく流れてゆきししぐれ鳥
時つ風かのはやぶさを失ひし
いくたりかまぼろしとあふ枯野かな
冬の人しらきの舟をこぎゆきぬ
同窓会いつも氷山みゆるなり
病苦いま紅梅あかり切なけれ
陽炎のなかに空席ひとつある
いづへなる石斧の音ぞ春の暮
やじろべゑ秋冷の山つらなれり
大卵いなびかりして孵らざる
在らぬ人いまもはたちや白絣
山中にふたつの枕おぼろなる
沖合のかの白鯨よ夏の月
俳人の言葉
句会で句が美しすぎると否定的に評された作者が、俳句が美しくて何が悪いのだと反論したという話もどこかで読んだ。あまり語られることのない寺井文子であるが、これも現代の俳句の可能性の最も先鋭的な部分であろう。
正木ゆう子 『現代秀句』(春秋社 2002年)より
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4 件のコメント:
冨田拓也様
「あとがき」にも書きましたが、知りませんでした、寺井文子。「日本の古本屋」で早速『弥勒』を注文してみました。御稿で挙げられている中では、
いづこより来てまばたくや秋の暮
夢殿やしぐれのあとの風が吹く
獅子は餌の器かたむけ秋の昼
あたり、絶品かと思いました。
髙山れおな様
コメントありがとうございます。
「弥勒」は本当に立派な造本で手に取る度に感嘆してしまいます。こういった句集が現在まであまり評価されてこなかったのはやはり少し残念な気がしますね。髙山さんの評価が得られれば心強いです。
あと、「弥勒」を読んでいて、なんとなく澤好摩さんの第2句集「印象」の存在を思い出しました。同じ「草苑」でしたから、姉と弟の兄弟の句集のような印象で、作品の厳選振りも似ているというか。
関さんが今回耕衣について取り上げておられましたから、またシンクロが起こっているようですね。「湯川書房」も出てきますので。
耕衣の全句集「只今」については私も未読です。
「湯川書房」の湯川さんも去年に亡くなられたとか。
古本では随分高い値段がついていてとても手が出るものではありませんが、いつか読んでみたいものですね。
耕衣の全貌とは一体どういったものなのか。
大変興味のあるところです。
最後に、関さんが「俳句界評論賞」を受賞されたとのこと、心よりお喜び申し上げます。いまから関さんの「田中裕明論」を拝読できる日を楽しみにいたしております。
冨田拓也様
横レスになるやら何やらよくわかりませんが、ありがとうございます。
湯川書房本の古書価格は本当にもうちょっとどうにかなってくれないものかと思いますね。
正木ゆう子の『現代秀句』は一度読んだはずなのですが、寺井文子という作者、覚えていませんでした。
以前とりあげられていた中田有恒などは私も全く知らない作者だったので、冨田さんの記事で教えられて読みました。毎週のことなのによくこれだけストックが尽きずに続くものだと驚きます。
(署名が変になったのでコメント入れなおしました)
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