2010年7月3日土曜日

セレクション俳人を詠む18 櫂未知子集

「セレクション俳人」を読む18 『櫂未知子集』
櫂未知子の「私」

                       ・・・外山 一機

少し前に「女性俳人」の大々的なアンソロジーが出版された。それに伴い、俳壇では女性の俳句についてさまざまに論じられる様子も見受けられた。いまや「女性俳人」の数は決して少なくないし、結社の主宰や指導的立場にたつ女性も多い。それにしても、女性の俳句を論じるとき、往々にしてそれが俳人の実際の人生と表現内容とを無自覚に結びつけながら行われているのは何故だろう。たとえば鈴木しづ子や鈴木真砂女について論じるとき、その論は彼女たちの稀有な人生経験と俳句とをあまりに安易に結びつけてはいなかったか。俳句表現論と俳人の実人生についての論とは本来明確に区別されるべきものである。むろん彼女たちの俳句表現に込められた社会的・文化的コードを読みとるという真っ当な作業のために彼女たちの実人生を引き合いに出すのならば問題はないわけだが、たんに彼女たちの実人生を語るために彼女たちの俳句を引き合いに出しているのならば、俳句評論とはいいがたいだろう。

ところで、今日もっともよく知られた「女性俳人」の一人である櫂未知子は、自作について次のように語ったことがある。

私の場合、俳句は人生にピッタリ添っていると思われがちですが、句のなかにいる自分はまったく別物です。(小林恭二・長谷川櫂・櫂未知子・小澤實・正木ゆう子による座談会「われらの俳句の未来」『俳句』二〇〇三・一)

櫂未知子は一九六〇年生まれ。一九九六年に第一句集『貴族』(邑書林)、二〇〇〇年に『蒙古斑』(角川書店)を刊行した。とりわけ『貴族』は「ぎりぎりの裸でゐる時も貴族」をはじめ、独自の文体と表現で俳句形式と格闘した句集であったが、櫂は本書について以下のように述べている。

第一句集『貴族』は野蛮そのものである。わずか数年前の句集なのに、もっとずっと以前に出版したような気がしてならないのは、この間に個人的な変化がいろいろあったからだろうか。

未熟、無鉄砲、闇雲、無知――『貴族』を形容すべき言葉は、俳句という端正な詩型に似つかわしくないものばかりである。しかし、この句集には、当時の必死だった自分の姿が色濃く残っている。
(「あとがき」『櫂未知子集』)

たしかに『貴族』は「野蛮」である。それを櫂自身は「未熟、無鉄砲、闇雲、無知」によるものだとしているが、この理由についてはまた別の見方もできるだろう。すなわち『貴族』が「野蛮」であるとすれば、それはむろん俳句表現の詩的結晶度が低いということではなくて、『貴族』の俳句表現が総体として、あえて形而下にとどまりつつ語り続けることを志向しているためではないか。『貴族』には恋や愛といった抽象的なテーマを詠んだ句が頻出する。けれどもそのどれもが、日常生活者としての「私」に全面的に依拠している。『貴族』は個人としての「私」語りの域を出ることをあえてしないのである。『貴族』のスキャンダラスな印象はこの「私」語りへの過剰なほどの依存によるものだ。そして『貴族』当時の櫂の作家としての強さは、日常生活者としての「私」に踏みとどまり、「私」を描ききったところにあった。

髪切りしわけ問はれずにゐる寒さ
ひまはりひまはり自分以外には成れぬ
晩秋を女優の顔でやりすごす
やは過ぎて私の毛皮には成れぬ

櫂の俳句の魅力はその自己劇化の見事さにあろう。その徹底的な「私」語りによって『貴族』から立ちあがってくる女性像――繊細で傷つきやすい一方で、高慢で挑発的な女性像――に読者は魅了されるのである。そしてこの自己劇化の成功はその独特の文体に負うところが大きい。

をしどりがたとへばおろかだとしても
妹を悲しませずに済む焚火
だれかしらゐるのはあたたかいけれど
ことほど左様に汗はしぶといものだから

櫂未知子の俳句は、ともすれば散文として通用してしまいそうな表現に切れをつくることで俳句表現としてかろうじて成立している。こうした文体はあるいは櫂以前にもあったのかもしれない。けれど、このような文体がこれほどの完成度をもって示されたことは櫂以前にはなかったであろう。その意味で櫂は『貴族』において誰もが未だ到らなかった場所に立ったのだといってよい。

思えば、櫂未知子以前にも彼女とは異なる方法をもって斬新な「私」語りを提示した作家がいた。一九八七年に『檸檬の街で』を発表した松本恭子である。ほとんど同時期に刊行された俵万智の『サラダ記念日』と同様、この『檸檬の街で』もライトヴァースの潮流にのって句集では稀にみるヒット作となったのであった。

恋ふたつ レモンはうまく切れません
好きと告げて さみしんぼうのゆりかもめ
地球人のおでこ淋しき 青嵐

当時の松本の方法論は『青玄』のそれの範疇にあったが、『青玄』ですでに試みられていた「わかち書き」に新たな可能性を教えてくれるものだった。『檸檬の街で』は空前絶後の作であろう。それは、この句集が斬新でありながら袋小路に陥っているという二重の性質を抱えているためである。たとえば松本は「さみし」さを詠った。それはポップな「私」語りとしての新鮮さを持っていた。けれど、その「さみし」さは、文体のもつ決定的な新しさゆえに軽薄なものに見えてしまうのである。出版当時は時代がこの軽薄さをゆるした(むしろ肯定した)が、『サラダ記念日』ブーム以後においては陳腐なものと化してしまった。

『貴族』が刊行されたのは一九九六年。『檸檬の街で』による「私」語りを経験した俳句形式が『貴族』を経験するまでには九年を要した。掲句に明らかなように、櫂と松本とでは、おなじ「恋」を詠むにしてもその重たさが異なる。それは作家としての資質の違いのみならず、彼女たちが選びとった文体の違いにも由来するものである。

櫂未知子の作家的出発は俳句ではなかった。俳句形式との出会いについて、たとえば彼女は畏怖を交えながら次のように語っている。

俳句では、初心者に対して「物」を通して表現しろと指導する。漠然とした季語は特に、かなり具体的なものと組み合わせよ、と。(略)私は当初、この俳句における「もの」重視に反発し、抽象的な言葉を配する試みをした。しかし、やがて恐ろしい事に気付く。茫洋たる季語に具象の裏づけのない言葉を組み合わせても、類型的な句しか生まれないことを。俳句は短いからこそ、「もの」に思いを委ねなけらばならないのである。(「取り返しのつかぬ夏を 俳句の夏、短歌の夏」『短歌』二〇〇一・七)

櫂はその作風とは裏腹に意外なほど俳句形式に慎重である。櫂は、俳句形式と自らの内的な表現欲求との衝突を経験したからこそ形式に謙虚に向き合っている。櫂の句が散文に傾きつつもその寸前で俳句に立ち戻っているのは、この形式への自覚的な対峙によるものであろう。そしてこの自覚にこそ、櫂独自の「私」語りのドラマの成立する契機があるのである。

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