七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅠ
・・・冨田拓也
1月25日 月曜日
春めくやもの言ふ蛋白質にすぎず 兎原逸朗
この兎原逸朗という作者は、科学者であったそうである。掲句は、かの俳人和田悟朗氏を俳句へと誘った句でもあるとのこと。
「もの言ふ蛋白質」とは、やはり単純に考えて「人間」そのものを指すということになろう。人間の身体というものは、大半が蛋白質で成り立っているそうで、なんというか実に身も蓋もない内容の句なのであるが、そうなると「俳句」というものも「もの言ふ」行為と同じく、所詮蛋白質が創り出す泡沫のような呟きに過ぎないということにもなりそうである。
ただ、この句における春の始まりといった生命力の横溢そのものを感じさせる季節感と併せて、「もの言ふ」の「もの」という言葉からは、どこかしら「もののけ」「ものものしい」などといった原初性を感じさせるやや異様な雰囲気が連想されてくるところもあり(「もの」は、「物」であり「霊」という意味合いも含んでいたらしい)、この句は科学的な知見に基づいて人間の存在を理知的な角度からそのまま切り取った作品であると同時に、この世界もしくは自然界そのものの得体の知れなさといったものをそのまま捉えものであるともいえるように思われる。
人も物云う蛋白質に過ぎずと云える春の人 橋間石
1月26日 火曜日
角光雄『俳人青木月斗』(角川学芸出版)という本が2009年に刊行されていたらしい。残念ながら自分は未読である。
青木月斗という作者について自分はあまり詳しく知るところがない。せいぜい随分昔の大阪の俳人であったということ、松瀬青々の弟子であったことなどといった事実とその作品のいくつかを知っているくらいである。それでも前々からこの作者には興味を抱き続けているのであるが、割合名の知れていると思われる作者であるのに、資料がどういうわけかいまひとつしっかりと纏められておらず、その作品の全貌を把握するのはなかなか容易ではないところがある。
ともあれ、松瀬青々にしても、青木月斗にしても、これらの作者の作品の真価というものは、具体的には一体どのようなものなのであろうか。この2人の作品というものは、中央の俳壇とあまり関係がなかったためであるのか、それともその作品の数の夥しさゆえ全貌が摑みきれないためであるのか、判然としないが、いまだに俳句の世界において、はっきりとその評価が定まっていないという印象がある。
元旦や暗き空より風が吹く 青木月斗
星影を映せる草の水溜り 〃
初鶏に劒の如き霜気哉 〃
月玲瓏糸瓜の水も澄みにけり 〃
黒々と山が囲める夜長かな 〃
鳧の子はつぶつぶ風に吹かれけり 〃
鷹一点雪山眠り深き哉 〃
1月27日 水曜日
しかしながら、松瀬青々や青木月斗といった作者の存在にしてもそうなのであるが、これまでの俳句の歴史には、いまだにその実体が正確に把握しきれていない俳句作者や俳句の集団といったものが少なくないように思われる。
いくつか挙げてみると、尾崎紅葉とその門下、河東碧梧桐とその系譜、久保田万太郎の系譜、松根東洋城の系譜、臼田亜浪の系譜、さらには「旧派」の流れなどが、そういった例にあたるであろう。
角川の『俳句』平成17年12月号の特集「近代結社の師系」の阿部誠文編「俳誌編年大系統図」を見てみると、碧梧桐から直接派生した俳誌の数だけ見ても136誌あり、子規の直接の弟子の俳誌は67誌、紅葉から44誌、亜浪から41誌、吉岡禅寺洞から22誌、日野草城から24誌などといった事実を確認することができ、さらにこれらからそれぞれに派生していった俳誌の数というものも相当に多い。
こういった系譜とその作品の中には、いまだに優れた実作の成果や埋もれてしまった何らかの可能性といったものが、いまだにいくつか眠り続けているのではないかという気もしないではない。
1月28日 木曜日
先週、俳句の「漫画」について少し考えたのだが、もし実在の俳人をモデルにするとすれば、やはり、
芭蕉、一茶、正岡子規、高浜虚子、河東碧梧桐、種田山頭火、尾崎放哉、水原秋桜子、中村草田男、西東三鬼、篠原鳳作、高柳重信、金子兜太、住宅顕信
あたりの作者が、その生涯の行程が起伏に富んでいるということもあり、なかなか相応しいのではないかという気がする。
あと、これらの作者の他には、案外「前田普羅」の生涯というものも面白いかもしれない。
1月29日 金曜日
おれのひつぎは おれがくぎうつ 河野春三
こういった作品を見ると、川柳作品を読むという行為も、やはりなかなか簡単には済まされないところがあるようである。
自分は、これまでこの作品における「ひつぎ」を、字義通りにそのまま「棺」として受け取って読んでいたのだが、この作品における作者の真意といったものについてある程度思いを巡らして読んでみるならば、単純に自分のための実際の「棺」を意味する言葉というわけではないようにも思われてくる。この「ひつぎ」という言葉は、やはりある種の「メタファー」として使用されているということになろうか。
端的にいえば、この作品からは、「おれ」というぶっきらぼうな一人称から感じられるように己に対する自恃そのものと、その自らの「死に場所」でさえをも自分自身の手によって選び取り、決めなければ気が済まないとでもいったような自らの「生」そのものへの峻烈な意思と矜持をこそ読み取るべきなのかもしれない。
1月30日 土曜日
とある機縁により『桂信子全句集』(ふらんす堂 2007)を頂戴することができた。
「俳人ファイル」以来、自分は軽い「全句集恐怖症」になってしまったのであるが、この全句集の立派な装丁と造本、そしてその重量感を伴った手応えからは、やはりある種の感慨といったものを催さずにはいられないところがある。
桂信子は1914年に生まれ、2004年に89歳で生涯を閉じた。句集は全10冊で、この全句集に収められた句は計5218句ということになる。
桂信子の師は日野草城であるが、草城とその周辺の作者というのは、どちらかというとその作品傾向に、仄かな「肉体性」というか、軽い「エロース」ともいうべき雰囲気を湛えた作品が少なくないように思われる。
草城門の作者を何人か挙げてみると、富澤赤黄男、片山桃史、喜多青子、神生彩史、藤木清子、桂信子、楠本憲吉、伊丹三樹彦、寺井文子あたり、ということになる。
春の灯や女は持たぬのどぼとけ 日野草城
乳房や ああ身をそらす 春の虹 富澤赤黄男
雨はよし想い出の女みな横顔 片山桃史
ソーダ水翡翠のあをき手が添へる 喜多青子
厭世の柔かき軀をうらがへす 藤木清子
貞操や柱にかくれかがやけり 神生彩史
搦む手の爪の真赤なマリアたち 楠本憲吉
ひと去りしあとなまめくや冬畳 伊丹三樹彦
窓の雪女体にて湯をあふれしむ 桂信子
やはらかき魚の産卵天の川 寺井文子
過去においてはこのような作品傾向が斬新なものであったということが推察されるところがある。どの作者も、全体としてはこういった傾向の作品ばかりというわけではないのだが、それでもやはり俳句の歴史の中においてこのような作品傾向を持っていた俳句集団というものは、どちらかというとやや珍しい例であるようにも思われる。
ともあれ、桂信子という作者には、この草城の作風からの流れというものが、その特徴のひとつとして挙げることが可能であろう。
--------------------------------------------------
■関連記事
俳句九十九折(48) 七曜俳句クロニクル Ⅰ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(52) 七曜俳句クロニクル Ⅴ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(53) 七曜俳句クロニクル Ⅵ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(67) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩ・・・冨田拓也 →読む
-------------------------------------------------
■関連書籍を以下より購入できます。
0 件のコメント:
コメントを投稿