2010年1月24日日曜日

俳句九十九折(67) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩ ・・・冨田拓也

俳句九十九折(67)
七曜俳句クロニクル ⅩⅩ

                       ・・・冨田拓也
1月18日 月曜日

昭和三十年代あるいは四十年代のはじめだつたか、前衛川柳の何人かの人と、私とを、金子さんは引き合わせてくれた。今はやりの風俗的な、口あたりのいい川柳とはちがう川柳。今、心ある新鋭たちが柳壇の再興をねがつて論をかさね、作品を書いてゐるのを読むと、この人たちの先輩にあたるのが、金子さんが引き合わせてくれたかれらだつたのだと思ふ。あの謎のやうな一群の川柳人たちと、私は、巣鴨か大塚あたりの小さなホテルの一室で合議したことがある。あれは一体なんだつたのだらう。大方は私の方の事情で、この会議は続かなかつたが、金子兜太の、俳壇を超越した動きの一端はあのあたりにもあつた。

上記は『金子兜太の世界』(角川学芸出版 2009)所載の岡井隆「金子兜太といふキーパースン」という文章からの引用である。

これらの「謎のやうな川柳人たち」というものが一体どのような人々であったのか具体的にわからないのが残念であるが、川柳にも前衛的な試みへの動きがあったということ、また、それが当時の俳句や短歌を巡る状況とも少なからず歩調を合わせていた部分があったことなど、こういった事実について自分はやや意外な思いをするところがあった。それは、当時の短詩型の試みに川柳というジャンルもけっして無縁ではなかったという事実への驚きということになろうか。

その前衛的といわれるような川柳の作品をいくつかざっと読んだ印象ではあるが、それこそ三橋鷹女や大原テルカズといった作者の作風をそのまま髣髴とさせるような、やや異様ともいうべき迫力を秘めたものが少なくないように見受けられた。

そしてそれは、当時の前衛俳句の作者であった、堀葦男、鈴木六林男、林田紀音夫、八木三日女、島津亮、東川紀志男、大橋嶺夫などの作風とも共通するものが感じられるところがあり、そこに時代の雰囲気や特徴といったものを見出すことが可能であるかもしれない。

また、このような川柳作品からは、無季俳句や自由律俳句といったものの可能性を考える上においてヒントとなるようなものを、いくつも見出すことが可能なのではないかという気もするところがある。

たちあがると 鬼である  中村冨二

一散に馳ける夕焼けに救われんとし  河野春三

ピストルの弾に山河の映るとき  林田馬行

文学や月の切尖われに向く  小宮山雅登

牧神が水浴びの日記より逃げる  墨作二郎

きみは 夢屋か ぼくは ころし屋  草刈蒼之助

人の世の桝をこぼれる豆のかず  前田芙巳代

滅裂の時計はうてり緋の正午  渡部可奈子

幾山河 凍る手を抱き帰らねば  福島真澄

涅槃図へ風とひとりが吸いこまれ  寺尾俊平



1月20日 水曜日

書店でリルケの新刊(正しくは復刊か)を2冊ほど見かけた。単なる勝手な思い込みかもしれないが、最近リルケに少なからず注目が集まりつつあるところがあるのであろうか。

しかしながら、リルケにしてもそうであるが、ゲーテやカフカ、パウル・ツェランなど、日本人はやはりドイツの文学というものが相当に好きなのだろうか。ドイツの文学が日本の文芸に与えた影響というものを考えると、計り知れないものがあるように思われる。そういえば、かの俳人飯田蛇笏の作風にも、ドイツロマン主義が、少なからず影響を与えているところがあったという話を読んだこともある。

あと、確かリルケは俳句にも興味を持っていて、俳句のような短い詩がいくつかあったのではないか、ということも思い出すところがあった。



1月22日 金曜日

ふと『恋は五・七・五!』という映画があったことを思い出した。2004年の作であるらしい。俳句関連の映画というものは、おそらく数ある映画の中でも珍しい部類に属するものであろう。自分はこの映画を見たことがない。面白いのだろうか。

それはともあれ、こういった俳句に関する映画というものは、この『恋は五・七・五!』以外には存在しないのであろうか。自分には、他に、俳句に関する映画の存在といったものは、全く思い浮かばない。

映画の方はともあれ、小説の方では、芭蕉や一茶、山頭火などといったように俳句及び俳人の存在が取り上げられることが割合少なくないように思われる。

漫画については、どうであろうか。こちらも映画と同様、思った以上に俳句を取り扱った作品の数は少ないような気がする。

自分がそのような漫画の存在を思い浮かべることが出来るのは、せいぜい、俳人「井上井月」を取り上げたつげ義春の『無能の人』、「山頭火」を取り上げた勝又進の短篇「夢の精」(『赤い雪』(青林工藝社 2005)所載)、齋藤なずなの短篇「青い山」(『千年の夢』(小学館文庫 2002)所載)くらいであろうか。

他には「あすなひろし」という漫画家が亡くなる前に「山頭火」をモデルにした漫画を書こうと試みていたらしく、また、梅図かずおの『イアラ』(小学館文庫)には、ほんの少しではあるが芭蕉が登場していたような記憶もある。あと花輪和一の『刑務所の中』(講談社漫画文庫)に、作者のモデルと思しき主人公が俳句を詠む場面があったはずである。それでもやはり俳句に関する漫画というのは、せいぜいのところこのくらいであろうか。

明治の文豪を活写した、谷口ジロ―と関川夏央による「『坊ちゃん』の時代」(双葉文庫)という漫画があるが、このような漫画の存在が俳句にもあれば面白いかもしれない。(そういえば、関川夏央には戦後の短歌史を叙述した『現代短歌そのこころみ』(NHK出版 2004 現在、集英社文庫)という著書の存在もあった。)

ともあれ、やはり、俳句そのものを本格的に取り扱った漫画作品というものは、未だに登場していないといっていいのではないか、という気がする。

そして、俳句という文芸そのもの、またはそれをめぐる状況に対して、今後多大な影響をもたらす可能性のありそうなものを考えてみた場合、自分には、俳句をテーマにした漫画以外には有り得ないのではないか、という気すらするところがある。

今後、時代やフィクション、ノンフィクションを問わず、俳句の魅力といったものを十全に伝播し得るだけの表現力を備えた優れた俳句の長篇のストーリー漫画というものが登場すれば、俳句をめぐる状況といったものも、なにかしらのかたちで少なからず変容するところがあるかもしれない。



1月23日 土曜日

このところ俳句、現代詩、短歌、川柳等々で、頭の中が滅茶苦茶というかほとんど「カオス」と化しつつある。また、部屋の中にある様々な資料についてもやはり同じく「カオス」というか、それこそやや軽い悪夢に近いような様相を呈しつつあり、その資料の堆積といったものを眺めていると、どことなく仏教の説話の、賽の河原で子供が延々と石を積み続ける行為といったものが思い浮かんでくるところがあり、自分の続けている数々の詩句の意味をひたすら読み取るといった行為も、もしかしたらこういった延々と石を積み続ける行為にも似たよくわけのわからない「苦行」に近いものであるのかもしれないな、と思われてくるようなところもないではない。

何が言いたいのかというと、取り上げたい句集や歌集も少なくないのだが、このような状況ゆえなかなか俎上に載せることができない、ということなのである。

ともあれ、今回はこの「カオス」ともいうべき状況の中から、とりあえず新しく刊行された山田耕司句集『大風呂敷』(2010年1月19日 大風呂敷出版局)について、簡単にではあるが、少しばかり紹介させていただくことにしたい。

山田耕司さんは1967年の生れで、高校生の時から俳句を書いておられたそうである。現在は「円錐」同人。今回の句集については、これが第1句集ということになるようで、総合誌である『俳句界』の最新号2010年の1月号の137ページには、この句集の刊行に先だって『大風呂敷』の広告が出ており〈18歳での登場から25年。昭和最後の新人、復活!〉とあり、さらに〈なにをいまさら、山田耕司〉という句集の宣伝としては大変異色ともいうべき惹句が掲載されている。

一応、句集の構成としては、「桐生」、「少年兵」、「夜の雪」、「よぢりすぢり」の全4章から成るもので、全200句が収録されている。

「桐生」

多佳子忌と知らず遠雷録音す

夏休み蟹座の友の胸囲かな

勲章を磨かず納屋の宇宙論

「桐生」の章より。この章の作品は全24句からなり、高校生の時の作であるようで、かの林桂さんが当時の先生であったということでその影響からであるのか、なんとも珍妙な句の存在が少なくないが、やはり全体的な雰囲気については、使用されている語彙にしてもそうであるが、非常に若いといった印象を受ける。また同じくその語彙からは、若干ながら寺山修司の句を連想させるところもあるといえよう。

「少年兵」

少年兵追ひつめられてパンツ脱ぐ

蚊柱や影のかたちに我育ち

永き日の日の水没の水煙

味噌汁に映るわれらや世紀末


「少年兵」の章は主に1985年あたりから1991年あたりまでの作品が収められている。年齢的には作者の大体18歳から24歳あたりということになろうか。「少年兵追ひつめられて」の句については小林恭二や林桂などが当時の評論で取り上げていて、個人的には大変「有名な句」である。当時の1989年の毎日グラフの別冊『俳句 HAIKU』にもこの句は著者の写真とともに掲載されている。この句はどうやら山口誓子の〈パンツ脱ぐ遠き少年泳ぐのか〉のパロディであるらしい。また今回の句集には収録されていないが当時には〈大岩石恐竜燃える夢を見て〉〈全裸なり金星に頬を焼かしむ〉などといった句もあったらしく、この時期におけるこの作者の未収録の句にも優れた作品の存在が少なくないのかもしれない。

「夜の雪」

友の忌の蚊柱なれば浴びにけり

浴室に鯨を待てば夜の雪

本懐は男子のものかゆでたまご

今生はおきどころなし濡れしやもじ



「よぢりすぢり」

天文や地べたに漬物石を置き

春の夜に釘たつぷりとこぼしけり

秋雨や花札の山ふたつ伏し

短夜の紙ヒコ―キに李白の詩

箸を逃げ骨に春昼あかるけれ


「夜の雪」と「よぢりすぢり」の章についてであるが、作者は1991年に俳句から離れることになる。そして約10年に及ぶ沈黙を経て、再び俳句を始め、2002年から「円錐」に作品の発表を開始。そしてその後の8年の間に書かれた作品からこの2つの章は構成されているということになる。この章にも見るべき句がいくつもあり、作者の10年にも及ぶ沈黙の後も俳句作者としての詩心は、単純には失われてしまうことはなかったということになるようである。

句集全体としては、ナンセンスともいうべき妙な句から稚気溢れる句、また、真顔ともいうべき真率さを感じさせる句や、それこそ俳句らしい上手さをそのまま感じさせる句まで、なかなか幅広い作品が取り揃えられてあり、そこに30年弱にも及ぶ時間の堆積が1冊のうちに凝縮され封入されているという側面も加わり、それゆえになかなか多彩な相貌を有するという結果に到ったやや異色の句集であるということができそうである。

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10 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

山田耕二さんの「大風呂敷」、とても面白くていいですね。達筆の宛名とか、これ専用らしい包装、書物全体が洒落ていて、この方の諧謔というか、高踏、と言うか、そう言うことをかんじました。これは俳人の放つかいぎゃくですね、多分。

冨田さんがこういうゆうもあとか(あまり「真面目」でない)川柳にはまるといいのでは?面白いな。
川柳は、高踏に対する低回、のようなあじわいがあり、いつか天狼の通俗性と、言われまいsたが、低回、そしてぎりぎりの通俗の提示、と言うところが私は俳句を志向しながらでも、面白く思っています。

「専門」の川柳人とは違う視点から言うのですが、
渡部可奈子さんは、川柳人としてではなく俳人とか歌人の時に私は仲良くなりました。
『鬱金記』も,ある人から一部やっと頂きましたが、これは門外不出です。

松山で、この人の友人原田否可立さんがGOKENという柳誌をつくっています、可奈子とは少し違いますけど。
この人は詩性川柳、の領域で活躍しました。
天性勘のいい言語感覚があって、わたしは好きです、

田辺聖子さんがいろいろ調べて楽しませてくれている古川柳・・に通じる、諧謔とかいわゆる、通俗すれすれの低回ぶり・これは理屈を言わない楽しさがあります。この方の王者は、私見では渡部隆夫と言う人が居ます。時々、真面目になりすぎた川柳界をからかって、かき回していますが、思い切った大胆さで諷刺とか穿ちというところの味があります。

岡井隆が出遭った謎の川柳人は、石田柊馬さんあたりに聞いてみれば判るのでは?あ

冨田拓也 さんのコメント...

堀本吟様

コメントありがとうございます。

山田さんの句集は、本当に、出版おめでとうございます、の一言に尽きますね。

しかし、字が本当にすごい。立派。


「低回」ですか。なるほど。
私は結構「生真面目」な部分がありすぎるのかもしれませんね。割合「シリアス」というか。

他にも色々と情報をお教えいただきありがとうございます。本当に勉強になります。
このあいだの樋口さんと湊さんの情報と併せて、まだまだ調べて学んでゆく楽しみは尽きないということになるようですね。

湊圭史 さんのコメント...

冨田拓也さま

岡井隆さんが会った謎の川柳人たちについてですが、柳人・連句作家の小池正博さんが
「七曜俳句クロニクルについて」と題して、川柳同人誌『MANO』の掲示板にコメントを書かれています。
http://8616.teacup.com/ishibe/bbs
(2010年 1月26日(火)の投稿)

引用させていただくと、
「…「俳句研究」昭和40年1月号に、が掲載され、その司会者が金子兜太であり、俳句の高柳重信、短歌の岡井隆が参加していたことは、拙著『蕩尽の文芸』(まろうど社)の「柳俳交流序説」
にも詳しく記述してある通りです。/この座談会に参加した川柳人が河野春三・山村祐・松本芳味であることから、岡井さんが述べている「謎のやうな一群の川柳人たち」は彼
らのことを指していると思われます。」
とのことです。

前衛俳句、前衛短歌、革新川柳が交差したこの時代のことは、もっと調べてみたいですね。

Unknown さんのコメント...

そうでした。どこかで読んだおぼえがありましたが、革新川柳。河野春三の時代のことは石田柊馬、ということがすり込まれていました。小池正博さんの『蕩尽の文芸』、そう言う有益な参考書がありました。これは、「真面目な」川柳研究書です。いろいろヒントがいただけます。

あ、それから『鬱金記』は、製本がバラバラになりかけているので、なんとか上手くコピーして、おおくりします。湊さんには、周辺の方々がお持ちでないのならば、句会の鴇にでも持参して実物をお見せします。ずっと前に、人にお借りしたのをコピーしたのも、どこかにあるはずですから。(吟)

冨田拓也 さんのコメント...

湊様 吟様

コメントありがとうございます。

そうですか。「謎の川柳人たち」とは、河野春三・山村祐・松本芳味だったのですね。

松本芳味はたしか高柳重信の「薔薇」か「俳句評論」のメンバーであった時期もあったはずですから、俳句と近い関係にあったということも納得できます。

山村祐は、いまではあまり省みられない存在のようですが、短詩を考える上で結構重要な人物だったようですね。手元に『肋骨の唄』(近代文芸社 1998)がありますが、これは俳句のシリーズからのものようです。

河野春三にはやはり個人的には相当興味があります。確か記憶では大阪の方だったような。あと安西冬衛とも関係があったという話を読んだような記憶も。資料の所在がわかりましたので、今度しっかりと読んでみたいと思っております。


あと、いまさらながらですが、小池正博さんの『蕩尽の文芸』(まろうど社 2009)は、非常に優れた評論集ですね。大変な労作というか。「14字」(七七)の可能性など、あまり俳句の世界では話題にならないのが不思議なくらいです。


『鬱金香』、私の方はこの間資料を手にすることができました。(「俳人ファイル」をやっておりましたので、資料を調査する能力だけは少しはあるつもりです。)
まだ、まったく目を通していませんが。時実新子が序文なんですね。
というわけで、吟様、私の方は大丈夫ですので、是非、湊さんの方へ資料をお届け下さい。

Unknown さんのコメント...

冨田様、わかりました、湊さんも資料入手の様子です。
故渡部可奈子の軌跡は、川柳時代と後半生のハイク、歌人渡部珂夏子として亡くなった短歌時代にわかれているので、時期時期によって交流関係がちがってきます。現役で活躍中の子規新報の小西昭夫さん等ととともに、松山の短詩形の革新の土壌をつく手言った人です。ユニークな隠れた先駆者。もっと評価されるべき人です。

冨田さんのところで、こういう類の書き込みをすることになろうとは思いませんでしたが、序でに頭の隅にに入れておいてください。(吟)

冨田拓也 さんのコメント...

吟様

渡部可奈子は後半は俳人であり、歌人でもあったのですか。

胎児せがめば日は蒼々(さをさを)と鳴き交はす

などという作品をみると、なにかしら表現者としてのある種の宿命性といったものを抱えていたように感じられるところがありますね。

子規新報の小西昭夫さんとも交流があったということも意外でした。

小西さんには、何年か前一度お会いしたことがあります。

Unknown さんのコメント...

冨田様、
(渡部可奈子)、なにかしら表現者としてのある種の宿命性といったものを抱えていたように感じられるところがありますね。」(貴文)

さすが、ただちに可奈子の文学的本質を打ってってこられましたね。敬服しました。彼女には、ジャンルの違いを易々飛び越えさせる、直観的なこころの動き方がありました。

彼女には一種の藝術至上主義のような性格があり、いい言葉好きな詩があると、関心がそこに直結するのです。現在に縛られることなく他ジャンルの垣根をこえてゆけたのではなしでしょうか?最後は小説が書きたかったみたいです。
 川柳人であった時代を私はしらないのですけれど、『鬱金記』は素晴らしい句集です。
冨田さん掲出の句とか、水俣病患者に寄せる連作があるのですけれど、「社会性俳句」や「時事川柳」「詩性川柳」とか色々ありますが、その限界を反省する場合に大変いいテキストになります、
●冨田さんにも関わりがありますが、松山はいまや、現代俳句の結集点のようになっています。
 しかし、私が高校生の頃は、松山は、俳句文献に必ず出てきますが、まだ単に正岡子規たちの「故郷」にすぎなかったのです。

 後年、坪内稔典、澤好摩等が全国学生俳句連盟の大会をまつやまでやり、愛媛大学学生出身の小西昭夫さんが「花綵列島」という雑誌を出し、「坪内稔典」「大本義幸」、摂津幸彦の特集をつくり、そんなところから現代俳句へ向かう胎動がおこったようにみうけます。意識として、川柳と俳句がクロスしてきたのはそのころではなかったかしら。
小西さん、東莎逍さん、可奈子さん達と、松山の原田否可立の珈琲店で句会をしたのが私の俳句的出発の一原点。大げさに言えばそのころから、神野紗希や、佐藤文香の先達になったわけです。

可奈子さんや小西さんは、また「水夫」という短歌誌を発行し、主宰格の人が亡くなったあと短歌誌「遊子」をだしますが、小西さんはその時に短歌をやめ俳句に専念。可奈子さんは片上雅仁、渡部光一郎(短歌誌「未来」同人。現在正岡子規記念博物館学芸員)、員)らと短歌の方に専心し、「珂夏子」と名を変えていました。元来病弱なので、気の毒な状態で、でも、ほがらかに会いに来てくださいました。とても性格の良い方でした。
小西さんは子規新報の編輯の傍ら、現在も愛媛新聞の俳句欄選者。珂夏子さんは短歌欄の選者でした。私の故郷の友人達は、別々の活動をしていても、仲間意識を持って、機があれば一緒にいろんなことをやっていました。

1960年ごろからはじまる愛媛(松山)「短詩形文芸」現代化の小さいがパワーのあるグループの動きについては、おおむねこういうことです。芝不器男俳句新人賞の受賞者に、こういう関心を持って頂くのは、まことに光栄です。(笑)。

冨田拓也 さんのコメント...

吟様

渡部可奈子『鬱金記』、これからしっかりと読んでみたいと思っております。

あと、松山の俳句をめぐる状況といったものにも歴史があるんですね。それも1960年ごろから。

坪内稔典、小西昭夫、大本義幸、東莎逍、渡部可奈子、原田否可立、片上雅仁、渡部光一郎、そして堀本吟さんですから、メンバーとしてはなかなかすごいラインナップですね。(東莎逍、片上雅仁、渡部光一郎のお三方については私はよく存じ上げませんが。)

小西さんは短歌もやっておられたのですね。そういえば、いつだったか図書館で小西さんの歌集を手に取った記憶があります。

しかしながら、渡部可奈子という作者のその生涯におけるさまざまな成果というものが、現在いまひとつ纏められていない状態にある様子で、さらにはその存在があまり多くの人々に知られていないようであるのが、なんとも残念な気がしますね。

匿名 さんのコメント...

偶然、渡部可奈子で検索したら辿り着きました亡くなった後も可奈子さんが話題に上っていて少しほっとしました。『鬱金記』は大量に持っています。