2009年10月17日土曜日

大井連載(14)

「俳句空間」№15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(14)
草間時彦「人影の螢まとひて来たりけり」



                       ・・・大井恒行


草間時彦(1920〈大9〉・5・1~‘03〈平15〉5・26)の平成の自信作5句は、以下。

桃咲くや財布の中の守り札  「俳句」平元・7月号
保母となるつもりふとつて卒業す  同
人影の螢まとひて来たりけり  未発表 
鯒・鱸・目板・虎魚や夜の秋  同
朝粥や祇園祭も過ぎしとて  

一句鑑賞者は、久保純夫。その一文の冒頭に「先に、『七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ 橋本多佳子』『ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜 桂信子』という作品がある。ともに、言うまでもなく女性の句であり、作者自身のことが書かれている体裁をとっている。すなわち、両句の場合、『人』は男性と解するのが自然であろう」と述べ、「いずれにしても、『螢』という存在のベクトルは、負(負に傍点)の方へ収斂していく。ところで、作者にとって少なくともこの時点では、女性の身にまとっているものといえば螢だけである。つまり、螢はこの女性の存在そのものといえる。従って、ここらあたりから別の発想、例えば『人』が女性ではなく、先の戦争で亡くなった人達の別の姿である、といったものがありそうである。しかし、この作品の中に導入するには、余りにもこの句は軽い。深読みに過ぎるであろう。結局、この螢はみんな(みんなに傍点)の螢であって、作者だけの螢ではないということなのであろう」と結んでいる。

草間時彦といってすぐにも思い起すのは「甚平や一誌もたねば仰がれず」の句であるが、確かに俳壇的な傾向としては、俳句作品の良し悪しで評価されるのではなくて、実際に結社誌の主宰だったり、編集長であったり、その果している社会的な役割で評価が下されることが多いようである。全国には、同人誌も入れると500以上の雑誌が何らかの形で発行されている。それぞれを一誌とすると500人以上の仰がれるべき、敬愛するべき俳人がいることになる。これが、真に俳句形式の新鮮な景色を見せているかというと、必ずしもそうではない。草間時彦は、一誌を持たなかったばかりではなく、俳句文学館の創設時に館長に就任するが、そのときに、結社の「鶴」をも辞して、公平を期するためであったか、以後を無所属で通したのであった。創設当時の俳句文学館は、資料となるべき図書も不十分で、蔵書の量も含めて、現在の充実した俳句文学館の基礎を築いたのは、なにより草間時彦の骨折りの故であろう。

その草間時彦は「伝統の終末」(「俳句」‘70年4月号)で、次のように記している。長くなるが、引用する。「わたくしの言いたいことは、今日、わたくしが俳句と呼んでいる伝統の詩が明日は存在しないだろうということである。俳句という名は残っても、それは、今日、わたくしが考えているものとは別のものであろう。俳句の伝統は音を立てて崩れつつあるのだ。俳句という伝統文芸は次第に沈み行き、やがて、近代の波の中に沒し消えるであろう。そのとき、わたくしは何をすればよいのだろうか。ゴムボートに逃れて、明日の俳句に乗り移ることも可能である。そういう試みはすでに行われている。前衛俳句もそうだし、古くは新興俳句もそうである。俳句を詩に近づける試みもそうだし、結果論的に言うならば『花鳥諷詠』もそうである。そういう必死の努力を否定する気は毛頭ない。むしろ、その努力を励ましたい気持である。わたくしが憎むのは、伝統の危機をまったく感じていない楽天的な俳人達や結社である。まったく自覚していない人々である。そういう人たちが人口の大部分を占めているのである。愚かな人々に怒りの眼を向けても仕方がないのだ。彼らには彼らなりの明日があるだろう。お稽古事としての俳句の愉しみは明日も栄えるであろう。(中略)本心を言うと、明日の詩には期待しているが、明日の俳句には絶望しているのである。だからと言って、わたくしは、俳句の明日がどうであろうと、自分が現在作っている俳句についての考えを変える気持ちは毛頭ない。伝統を崩すくらいならば、むしろ守つて亡びた方がよい。ジタバタしたとて仕方がない。伝統の船は沈みつつある。脱出するのもよいが、脱出したときには俳句は俳句でなくなる。船とともに沈むのをよしとせねばなるまい」。ここには、もはや論理はない。共に亡びたいというある種の美学があるのみであろう。それが、俳人が生涯をかける賭け方なのかもしれない。「俳句は死んだ」と言った重信も、「現代俳句の晩鐘を鳴らす」と言った波郷も、いずれその背水の陣によって俳句形式に生命を吹き込んできたのだから・・・。

最晩年、第37回蛇笏賞受賞式には、確か出席かなわず逝去の報に接していた。

桜咲くを病みて見ざりき散るときも         
弟子よぼよぼ波郷三十三回忌
ふりかへりだあれもゐない秋の暮

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