2010年6月6日日曜日

「セレクション俳人」を読む14 西村和子集

「セレクション俳人」を読む14『西村和子集』
詠うという正義


                       ・・・外山 一機

西村和子は書く人である。季語と文語体と音数律とを手がかりにして、自らの生活をひたすらに俳句として書きつけてゆく人である。書くことは無数の選択肢のなかから書くことがらを選びとることであり、それはある種の自己劇化の手法にさえ似ている。そして西村が書くべきこと、あるいは書かざるをえないこととして選びとったのは、いわば小市民的な、ささやかな生活のなかに生きる者の告白であった。

西村の俳句は、だからいきおい一生活者の声としてのそれであり、さらにいうならば、むろん上手い句ではあるけれどもその表現内容自体に目新しさはない。けれど、西村の良さは本来俳句表現の上手下手とか目新しさ云々といった基準で理解すべきものではないのではないか。すなわち「西村和子」とは、西村がひとりの生活実践者として俳句を作っているという行為そのものの方にこそ価値を見出だすべき俳人の謂ではなかろうか。

西村は昭和23年生まれである。本格的に俳句を作り始めたのはおそらく清崎敏郎に選を仰いだ大学生時代からであろう。35歳の折には第一句集『夏帽子』を刊行している。『夏帽子』は「月見草」「青胡桃」「白南風」の3章からなるが、とりわけ昭和41年から47年にかけての句を収録した「月見草」からは、西村のみずみずしい感性が当時俳句形式との幸せな出会いを果たしていたことがうかがえる。

月見草胸の高さにひらきけり
夏シャツの胸ポケットに何もなし
若草に我がゴンドラの影進む
ウインドに映れる我等夏の雨

だが、西村の句作の日々は決して平坦なものではなかったようだ。本書巻末の略歴にあるように、29歳で2人目の子どもを出産すると「句会から足が遠のく」。若いころに俳句に手を染めた女性の多くが通る道を西村もまた辿ったのであった。だが同時に、西村は以後の彼女にとって重要なテーマを見出した。本書の西村和子論において行方克己は西村について次のように述べている。

多くの女性が、結婚とそれに続く育児に忙殺されて、俳句から離れざるを得ない情況に落ち入るのが常である。彼女にとっても、その悩みは例外ではあり得なかった。しかし、彼女は育児そのものをテーマに据えて、子供を中心とした日常をひたすら詠み続けることによって、この困難なる時期を乗り切った。(「西村和子の俳句を読む」)

ここで行方が「育児そのものをテーマに据え」た句として挙げているのは、以下の句である。

春暁の乳欲る声を漲らせ
泣きやみておたまじやくしのやうな眼よ
つまづきし子に初蝶もつまづきぬ
風邪の子の力なき眼が我を追ふ
気に入りのおもちや召し寄せ風邪の床
葱きざむ子の嘘許すべかりしや
粽解くにも弟の負けてゐず
蜜柑むき大人の話聞いてゐる

いずれも昭和48年以降の句を収録した「青胡桃」「白南風」からの抄出である。『夏帽子』の中盤からは子どもを題材とした句が多くなる。くわえて、自らの手の届く範囲の、目の届く範囲のことを詠いあげるという西村の姿勢が鮮明になってくるのもこのころのことである。

愚痴つぽく皹が又疼き出す
秋刀魚焼くレモンのやうな月が出て
ぜいたくは出来ぬ暮らしの柚子一つ

第二句集『窓』(昭和61)、第三句集『かりそめならず』(平成5)においても西村は花鳥諷詠、客観写生を基本としながら生活者として詠い続けた。しかし年齢を重ねるにつれてそこにはどこか哀愁を帯びたものが混じるようになる。

麦笛や夫にもありし少年期『窓』
花水木明日なき恋といふに遠し『窓』
来ればすぐ帰る話やつりしのぶ『かりそめならず』
ひととせはかりそめならず藍浴衣『かりそめならず』

こうした西村の詩的営為ははたしてどのような位相に立つものであろうか。ここで披瀝される情感や感覚、あるいはそうしたものの総体としての生活の思想のようなものは、格別斬新なものではない。もっとも、そういうことがあったと誰もが頷くことのできるような、共感を誘う句であることはたしかである。しかし多くの表現者がこれまで積み上げてきた数々の詩的実践と照らし合わせたとき、西村の句は表現史において存在証明をかち取り得るほどの強度を持っているのか。

たとえば、子供を題材とした句として思い出される句のひとつに、竹下しづの女の「短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎(すてつちまをか)がある。大正9年8月、しづの女はこの句を含む七句をもって『ホトトギス』の巻頭を飾ったのであった。これは当時の『ホトトギス』にとって「事件」であった。それは女が巻頭を奪取したということのみならず、この句の「須可捨焉乎(すてつちまをか)」という、あるまじき願望(むろんこれは「すてることなどできない」ということの裏返しであるが)を、男めいた漢文調で激しくうたいあげた凄みに圧倒されたからにちがいない。では西村の子供の句は、この句に比肩し得るほどの表現となりえているのか。
―しかし本当は、こんなことを問うこと自体間違っているのである。「西村和子」は、そんなところで勝負する者ではない。

西村と同じく自らの生活を詠い続けた俳人に中村汀女がいるが、汀女はこんなことを述べている。

ひと頃、立子さん(星野立子―引用者注)や私の作るものは台所俳句といわれ、凡俗な道を歩むものだということになった。「台所俳句」とは女流の句をけなすのに、大変重宝らしく、あらゆる人が使った気がするし、現在に到るまで尾をひいている。私はちっとも気にしなかった。私たち普通の女性の職場ともいえるのは、家庭であるし、仕事の中心は台所である。そこからの取材がどうしていけないのか。ひとりの女の明け暮れに、感じ浮かぶ想いを、ひとりだけの言葉にのせ文字にする、それだけでよろしいのではあるまいか。(中村汀女『私の履歴書』日本経済新聞社、昭和58)

汀女は、句作それ自体を自らの存在証明としてきたのであった。むろん、句作という行為の結果として生まれる俳句表現の練磨も重要であったにちがいない。けれど、そんなことは汀女の表現行為においてどれほど本質的な問題であったろう。

誤解のないように言えば、西村の句が「台所俳句」だ、といいたいのではない。けれど、「ひとりの女の明け暮れに、感じ浮かぶ想いを、ひとりだけの言葉にのせ文字にする」とは、そのまま西村の詩的営為の本質を突いた言葉でもあろう。

俳句は表現の進化や上手下手がすべてではない。「ひとりの女の明け暮れに、感じ浮かぶ想いを、ひとりだけの言葉にのせ文字にする、それだけでよろしいのではあるまいか」―。それだけでよいということが、たしかにあるのだ。

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