俳人ファイル ⅩⅥ 野見山朱鳥
・・・冨田拓也
野見山朱鳥 15句
犬の舌枯野に垂れて真赤なり
火を投げし如くに雲や朴の花
雪渓に山鳥花の如く死す
冬日よりあをくイエスを描きたる
秋風や書かねば言葉消えやすし
かなしみはしんじつ白し夕遍路
わが中の破船を照らすいなびかり
降る雪や地上のすべてゆるされたり
永劫の涯に火燃ゆる秋思かな
仰臥こそ終の形の秋の風
わが中に道ありて行く秋の暮
月光は天へ帰らず降る落葉
雪嶺を光去りまた光射す
つひに吾れも枯野のとほき樹となるか
眠りては時を失ふ薄氷
略年譜
野見山朱鳥(のみやま あすか)
大正6年(1917) 福岡県鞍手郡直方新町生まれ
昭和17年(1942) 句作開始
昭和20年(1945) 「ホトトギス」に投句 高浜虚子に師事
昭和24年(1949) 『菜殻火』主宰 『純粋俳句』
昭和25年(1950) 第1句集『曼珠沙華』
昭和27年(1952) 正式に『菜殻火』創刊 『忘れ得ぬ俳句』
昭和29年(1954) 第2句集『天馬』
昭和33年(1958) 波多野爽波、橋本鶏二、福田蓼汀らと「四誌連合会」結成
昭和34年(1959) 第3句集『荊冠』
昭和37年(1962) 第4句集『運命』
昭和40年(1965) 「四誌連合会」解散
昭和41年(1966) 入院のち自宅療養
昭和42年(1967) 「ホトトギス」同人、俳人協会会員を辞退
昭和43年(1968) 『川端茅舎』
昭和44年(1969) 『川端茅舎の俳句』
昭和45年(1970) 逝去(52歳)
昭和46年(1971) 『野見山朱鳥全句集』(第5句集『幻日』、第6句集『愁絶』を含む)
平成4年(1992) 『野見山朱鳥全集』(梅里書房)全4巻
A 今回は野見山朱鳥を取り上げることにします。
B 高浜虚子の晩年における弟子の一人ということになりますね。
A 名門「ホトトギス」における最後のプリンスといってもいいのかもしれません。
B 「ホトトギス」の昭和21年12月号(600号)で虚子選の巻頭を飾り、第1句集である『曼珠沙華』の虚子の序文〈曩に茅舎を失ひ今は朱鳥を得た〉はあまりにも有名です。
A 野見山朱鳥は1917年生まれですから、年齢の近い作者としては、1914年生まれの桂信子、1919年生まれの森澄雄や佐藤鬼房、金子兜太、鈴木六林男、1920年生まれの飯田龍太、三橋敏雄ということになりますが、現在の眼から見ると、これらの作者たちと比べて野見山朱鳥はあまり同時代の作者といった印象が薄いようなところがありますね。
B 野見山朱鳥は1970年に52歳で亡くなっていますから、もう少し生きながらえていれば、また違った印象となっていたのかもしれません。
A それだけ他の同世代の作者たちと比べて早くに亡くなっているということなのでしょう。
B では、その作品について見てゆきましょう。
A まず〈犬の舌枯野に垂れて真赤なり〉を取り上げました。
B この句は昭和20年の作だそうです。朱鳥は昭和17年ごろから句作を始め、昭和20年から高浜虚子に師事し「ホトトギス」へ投句を始めます。
A この句は投句を始めた年の句ということになりますね。
B この句については、よく見ると相当異様な句だという気がします。
A あらゆる植物の枯れ尽くした風景を背景に垂れ下がる暖かく赤い犬の舌。その犬の下を「真赤」とやや過剰に誇張して表現したわけですね。
B それゆえ枯野の色と犬の舌との鮮烈なコントラストが、読者に強い印象を齎すということになります。
A こういったやや過剰な表現が野見山朱鳥の特色でもありますね。
B 次の〈火を投げし如くに雲や朴の花〉にもそういった傾向があります。
A この句が「ホトトギス」の昭和21年12月号(600号)の誌上において〈なほ続く病床流転天の川〉の句とともに虚子選の巻頭に選ばれた句です。
B 夕焼けもしくは朝焼けに照らされた雲の様子を「火を投げしごとく」と表現したということですから、やはり少し過剰なところがありますね。
A 他にもこの時期には、昭和20年の〈蝌蚪に打つ小石天変地異となる〉、昭和21年の〈曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて〉〈寒紅や鏡の中に火の如し〉、昭和23年の〈飛び散って蝌蚪の墨痕淋漓たり〉などがあります。
B 「赤」や「火」といったキーワードが目立つようです。
A こういった作品から感じられるやや「通俗的」な側面もこの時期の朱鳥の特徴です。
B 続いて〈雪渓に山鳥花の如く死す〉を選びました。第2句集『天馬』所載の昭和27年の句です。
A 雪渓とは、高山の斜面のくぼみや谷に夏になってもなお雪が溶けずに大きく残ったもののことです。その高山の残った雪の上に、鳥が羽をひろげて花のように死んでいるということになります。
B 山口誓子の〈鶫死して翅拡ぐるに任せたり〉を思わせるようですね。
A 続いて〈冬日よりあをくイエスを描きたる〉取り上げました。第3句集『荊冠』所載の昭和28年の作です。
B なんだか妙な印象の句ですね。
A イエスの肌の白さ、というか青白さ、それを絵画として絵具で描いているのでしょう。
B 一見すると「冬日」と「あをく」で爽やかな印象が感じられるところがあり、そこから中村草田男の〈冬空をいま青く塗る画家羨し〉を連想されるようなところもあります。
A しかしながら、読後その意味内容を理解すると、単に爽やかさのみではなく「イエス」の肌の「あをさ」を表現したものであるということがわかります。
B 「あをく」がイエスの受難の姿を連想させ、その美しさと共にやや凄絶で不気味な印象をも齎せられるところがありますね。
A 続いて〈秋風や書かねば言葉消えやすし〉を取り上げます。同じ『荊冠』の昭和28年の作です。
B 先ほどのイエスの句といい、なんだかあまり「ホトトギス」調ではなくなってきているような印象がありますね。この句ではモチーフが単に「花鳥諷詠」のみではなく、「言葉」の方が主体になっているようにも感じられます。
A この第3句集の前の第2句集でも〈双頭の蛇の如くに生き悩み〉〈炎天を駆ける天馬に鞍を置け〉〈なきひとに導かれゆく野分かな〉などという句が見え、この『荊冠』でも〈封筒の内は水色春の月〉〈運命の一糸乱れず枯野星〉〈稲妻の照らす脳裏になにもなし〉などといった句が見られます。
B 朱鳥はこの第3句集『荊冠』の半ばあたりから、「ホトトギス」の「花鳥諷詠」に対して「生命諷詠」といった概念を主張するようになってゆきます。
A 続いて〈かなしみはしんじつ白し夕遍路〉です。第3句集『荊冠』の昭和32年の作です。
B 白は当然のことながら遍路の装束であり、また、それだけでなくそこには作者の心象の投影も認められるようです。
A 朱鳥にはこういった「かなしみ」などといった露わな感情表出の句が少なくないようで、〈風悲し枯草ふれて礎石鳴る〉〈大干潟立つ人間のさびしさよ〉〈火鉢の火せつなきまでにしづかなり〉〈野火の色かなしきまでに光背に〉などといった作品も見えます。
B このような傾向もまた朱鳥の作品における通俗性をやや強めている側面があるように思えます。
A なんだか、野見山朱鳥にはそれこそ悪い見本といってもいいような作品がちらほら見受けられるところがありますね。
B そういった作品の中でも〈旅かなし銀河の裏を星流れ〉あたりは割合成功作であるといえるのではないでしょうか。
A 「旅」と「かなし」と「銀河」ですから、それこそ大変べたな言葉で構成されています。しかしながら、「銀河の裏」を「星が流れ」るというやや意表をついた表現によって、一句が通俗な抒情に陥ってしまうのをかろうじて防いでいるようです。
B 続いて〈わが中の破船を照らすいなびかり〉を取り上げます。第4句集『運命』所載の昭和32年のものです。
A もはや「ホトトギス」の「客観写生」からは随分と遠くなってしまった印象がありますね。
B 自己の内面世界の表出とでもいったところでしょうか。
A 正直、この句を今回の15句選のうちに取り上げるべきかどうか迷いました。
B 現在の眼から見るとやはり少しチープな印象を免れ得ないところがありますね。
A 「破船」と「いなびかり」という取り合わせからはやや通俗的ながらも、ある種の危機感もしくはドラマ性といったものが感じられるところはあると思います。
B しかしながら、やはり、自分の身体の内部に何かが存在しているという表現は、非写実的な表現においては大変常套的な手法であるといえます。
A 高屋窓秋の〈頭の中で白い夏野となつてゐる〉あたりからこういった表現が多く見られるようになった可能性が考えられそうですね。
B 朱鳥には他にもこういった〈わが中の洞窟に棲み冬籠〉〈わが中に鷹の羽音や怒濤見る〉〈わがなかにゐて銀河より遠きひと〉〈わが中を軌条走りて寒星へ〉〈わが中の露けき神の中のわれ〉などといった同工の表現がいくつも見られます。
A 続いて〈降る雪や地上のすべてゆるされたり〉です。第4句集『運命』の昭和35年の作です。
B 非常に大きな景を捉えた句ですね。
A 確かに「地上のすべて」ですから、大きな把握ということができます。
B その「地上のすべて」が、降ってくる「雪」によって許される、ということでしょうか。
A 雪の白さによって、あらゆるものがつつみこまれ、浄化されるということなのであるのかもしれません。
B 非常に静かな世界が描かれています。また「ゆるされたり」という言葉からは、なんだか「聖書」の世界を思わせるところがあるようですね。
A キリストの関係の作品が朱鳥には数多く見られます。
B 朱鳥にはキリスト教、聖書の世界が大きな影響を与えていたようですね。
A こういった志向も「ホトトギス」の「花鳥諷詠」と距離を置くようになっていった理由の一つに数えられるのかもしれません。
B 野見山朱鳥は、昭和42年に「ホトトギス」から脱退し、俳人協会の会員も辞退することになります。
A 続いて〈永劫の涯に火燃ゆる秋思かな〉です。この句は第4句集『運命』の昭和35年の作です。
B この句では広大な時間の把握が特徴的ですね。
A 時間的思惟とでもいうべき句でしょうか。この世界の中で果てしなくそれこそ「永劫」に流れ続けてきた時間、そしてその「永劫」の「涯」として存在する現在。その気の遠くなるようなスケールを包括するこの世界の本質について、眼前に燃えさかる火を見ながら考察をしているようです。
B 永劫の果てに存在する目の前の「火」。それは人類が動物の進化の過程において最も新しい時である現在、即ち時間の「涯」である現在においてようやく手にしたものであるということもできそうです。
A その「火」を見ながら、そういった広大な時間の流れについて「秋思」しているということなのでしょうね。
B まるで「私」が神話の住人であるかのような印象があります。
A 大変スケールの大きな句ですね。
B 続いて〈仰臥こそ終の形の秋の風〉を取り上げます。
A この句は最後の句集となった『愁絶』の昭和41年の作です。
B 朱鳥はもともと病気がちでしたが、この時期から重い病に罹ります。そういった状況の中ゆえに「終の形」という言葉が出てきたのかもしれません。
A この辺りから朱鳥の作品のトーンがこれまでとは一気に変化しますね。
B この昭和41年の終わりごろから、云わば「雑音」とでもいったような印象の付随する言葉がほとんど見られなくなってきます。
A 句集を読むと本当に静謐な作品世界が展開されていることがわかります。それこそ「静かな光」のみの世界といった印象がありますね。
B このあたりの作品は、朱鳥が強く影響を受けた川端茅舎とも、同世代の飯田龍太や森澄雄あたりの世界とも異なる独自の境地が現れているように感じられます。
A その昭和41年から昭和45年の間の作品をおさめた句集『愁絶』、この句集が野見山朱鳥の到達点だと思います。
B 昭和42年に〈わが中に道ありて行く秋の暮〉という句がありますが、この句だけを見ても、先ほどの〈わが中の破船を照らすいなびかり〉と比較すれば、これまでの表現が内面化され深化し、静謐で独自の作品表現を獲得していることが感得できると思います。
A 同じ昭和42年の〈月光は天へ帰らず降る落葉〉にしても、初期の〈火を投げし如くに雲や朴の花〉に見られる表現の激しさはここからは既に感じられません。
B なにかしら「光」そのものが、激しく強い印象のものから静かで澄みとおった静謐な印象のものに変化を遂げたようですね。これらの句では、「いなびかり」から「秋の暮」、「火のような雲」から降りそそぐ「月光」など。
A そういった清澄な「光」がこの時期の句には〈雪嶺を光去りまた光射す〉など数えきれないほど作品の上に頻出しています。
B 確かに〈永き昼子よ飴玉をくれないか〉〈はく息の白き微光も野の日暮〉〈過ぎし時ひかりを放つ夜の枯木〉〈大寒や闇深ければ光濃し〉〈群芒ひかりなすまで枯れにけり〉〈射すひかり石を包みてあたたかし〉〈雲ありて遠くを見をる秋のくれ〉〈絵馬に描く火炎は白し秋の風〉〈夏果てのひかりうするる水の上〉〈大寒やみつめゐしもの光り出す〉などの句、さらに他にもこのような句が多く見られます。
A 初期の作品とこの晩年の作品の印象を比べると、まるでネガとポジの関係のように思われてくるところがあります。
B 野見山朱鳥というと、初期における言葉の印象の強い作品が有名なところがありますが、このような晩年の作品における澄明で静謐な側面については現在ではあまり知られていないところがあるのかもしれません。
A 続いて〈つひに吾れも枯野のとほき樹となるか〉を取り上げます。昭和45年の作です。
B もはや自らが、遠からず死によって自然と同化するということを知覚したかのような印象の句ですね。
A 「つひに」にそういった思いがこもっているようです。
B 同時期には〈一枚の落葉となりて昏睡す〉という句も見られます。
A 落葉もまた最後には土へと還りますから、この句もどこかしら自らの死を象徴したものであるという風にも読むことができそうです。
B 当然のことながら人も落葉と同じく最後には土へと還っていくということですね。
A 先ほどの〈月光は天へ帰らず降る落葉〉という句の存在も思い出されるところです。
B これらの句から、自然と完全に同化することによって、人は人という属性から離れることになるという当たり前の事実を改めて認識させられるようなところがあります。
A そういった人という属性から離れるまでのプロセスが即ち人間の「生」であるということになりますね。
B 昭和45年の〈眠りては時を失ふ薄氷〉も、まさにそのような生の実質を表現した作品であるということができそうです。
A 人間であることを許された時間が、「薄氷」と取り合わせられることで生命の本来的な儚さ、そして危うさなどがそのまま表出されているようです。
B 他に〈吾に残る時幾許ぞ鳥雲に〉という句もあります。この「時を失う」という表現ですが、自らの時を完全に失い人間が滅んだあと、時間という概念は一体どういうことになるのでしょうね。単純に一切は無へと帰してしまうことになるのでしょうか。
A そういった問題については、正直私にはなんともいえませんが、そのようなことを考えてみると、人智で理解できることなどというものは実際のところ、ほとんど存在しないのではないかという気さえしてくるところがありますね。
B さて、野見山朱鳥の作品についてみてきました。
A 正直、野見山朱鳥という作者に対しては、初期の〈寒紅や鏡の中に火の如し〉や〈林檎むく五重の塔に刃を向けて〉などの作品から、どちらかというとやや反撥に近いような印象を抱いていたのですが、今回その作品を通読してみて、そういった野見山朱鳥に対する印象というものが単に一面的なものの見方にとどまっているに過ぎなかったということがわかりました。
B そうですね。特に前半あたりは、見るべき作品も少なくないとはいえ、矢鱈と「如く」「いのち」「虚空」「火」「蝌蚪」「曼珠沙華」「銀河」「菜殻火」「昼寝」「キリスト」などといった同工異曲のテーマの作品が目立つのにはやや辟易する部分があったのですが、最後の『愁絶』あたりの作品となると、やはり「野見山朱鳥」という作者名は単なる虚名とは異なるということを強く印象付けられるところがありました。
A 野見山朱鳥の作品は初期の作品だけでなく、こういった晩年の静謐な作品世界についても、もう少し注目されていいかもしれませんね。
B 第1句集の『曼珠沙華』の言葉の強さから晩年の『愁絶』の静謐な世界まで、これほど作風の振り幅の広さを示した俳人は稀であるということができると思います。
選句余滴
野見山朱鳥
二階より枯野におろす柩かな
蝌蚪に打つ小石天変地異となる
なほ続く病床流転天の川
いちまいの皮の包める熟柿かな
曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて
ふとわれの死骸に蛆のたかる見ゆ
鶏頭の大頭蓋骨枯れにけり
汽車の月虚空を飛べる枯野かな
双頭の蛇の如くに生き悩み
なきひとに導かれゆく野分かな
胸の上聖書は重し鳥雲に
二三歩をあるき羽搏てば天の鶴
生涯は一度落花はしきりなり
太陽の黒点の子の蝌蚪游ぐ
硝子戸に赤き月蝕髪洗ふ
若く死す手相の上の花ぐもり
秋風や書かねば言葉消えやすし
封筒の内は水色春の月
宝物に二つの髑髏冬の寺
運命の一糸乱れず枯野星
稲妻の照らす脳裏になにもなし
小面の眦を彫る菊明り
舷にゐる子の顔の秋の暮
薄氷に映る日輪びびと鳴り
春天の塔上翼なき人等
水馬映れる藤を踏みくぼめ
三日月の金無垢を置く茅の輪かな
松蟬の響ける糸を蜘蛛渡る
壁に貼る奴隷の素描秋深し
冬蜂の胸に手足を集め死す
旅かなし銀河の裏を星流れ
晩秋を画展は泉よりしづか
いま生れし星やはらかし枯木星
ふる雪に手をのべて時とどまらず
炎昼のミイラ舞妓と並び見る
旅信涼しギリシヤの切手まつ青に
秋風や地に光陰のあともなし
吾に残る時幾許ぞ鳥雲に
あたたかく壺振つて出す金平糖
永き昼子よ飴玉をくれないか
蟻地獄同心円を並べけり
炎昼や師を売る銀貨三十枚
茅舎忌の夜はしづかに天の川
散りしごと人みな遠し秋の暮
神の眼と呼ぶ赤光の枯野星
はく息の白き微光も野の日暮
冬の暮灯さねば世に無きごとし
過ぎし時ひかりを放つ夜の枯木
大寒や闇深ければ光濃し
父母未生以前の雪もただ白し
行春のすでにしてわれかすかなり
遠きより帰り来しごと昼寝覚
雲ありて遠くを見をる秋のくれ
絵馬に描く火炎は白し秋の風
白露に眠る七星天道虫
枯木星誰もが祈りもつ日暮
冬の波光焰をあげ進みつつ
春落葉いづれは帰る天の奥
火穴より覗く火の壺天の川
晩秋のこのしづけさに耳澄ます
大寒やみつめゐしもの光り出す
一枚の落葉となりて昏睡す
こまやかに枯枝の間の明けの紅
絶命の寸前にして春の霜
俳人の言葉
「時間とは、あるということによってあらぬ存在であり、あらぬということによってある存在である」(ヘーゲル)といわれている。有と無のシーソーゲームを意味する。有と無の不安定な時間感情が無常であり、有が無に、無が有の中に消えゆくところに時間の実在があった。時間のかかる生きた実在が季であって、朱鳥はあらぬ存在という否定に即して季の流れに身を投じたのである。永遠を行じたのであった。
小澄等澍 「朱鳥俳句の遠景」 『菜殻火』昭和45年8月号より
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