知らぬまに暮れて―『夜の客人』以後
・・・中村安伸
裕明の死後まとめられた『田中裕明全句集』には、これまで本稿でとりあげてきた五つの句集の後に「『夜の客人』以後」と題した数十句の作品がまとめられている。『夜の客人』の最後の句において〈この世のことのよく見ゆる〉と記した裕明が、その末期の眼をもって見た「この世」がどのようなものだったのかを玩味したい。
「澤」7月号では、仲寒蟬と村上佳乃の二人がこの一連について評している。他の句集に比べて作品の数が少ないこともあり、二人とも各作品を丁寧に読んでゆくというスタンスをとっている。
〈草の花その全量をもて眠る〉〈蜂の仔の翌なき秋と思ひけり〉という二句について仲寒蟬は、とりあわせではないものとして読もうとしているが、裕明の作風からすると上五の季語がとりあわせられたものと考えるのが妥当だと思う。「全量をもて眠る」のは作者が観察している人間あるいは動物であろう。おそらくは家族の眠る姿などから発想したのではないだろうか。そのように読むことで「草の花」の控えめな風情がしっくりくる気がする。また「翌なき秋」というのは作品集のタイトルとしたほどだから、裕明にとって重要な語であったのだろう。そして自分自身に「翌秋」というものが存在しないということを、痛切にかつ冷静に思っている。そうした感慨のなかかで「蜂の仔」の輝くような白い生命感をまぶしく感じているのだろう。
村上は〈知らぬまに暮れてをりけり秋の暮〉という句について〈私は何度もこれが田中裕明の句でなくても本当に感動したのかと自分自身に問うてみる。わからない。〉と記している。そのような問いを無意味だとはまったく思わないが、答えにたどりつくことのない問いであることも確かだ。句会における無記名というルールは、場を充実させるうえで不可欠なものであるが、いったん発表された作品から作者名をひきはがすことはできないのである。
* *
さて、これら最後の作品群にみなぎっている静けさには、どことなく第一句集『山信』に通じるところがあるように思う。たとえば〈うみやまのあひだの旅の冬に入る〉という句は『山信』のあとがきの〈山ごころ。海ごころ。〉という言葉に通じているが、そうした題材についてのみ言うのではない。
端的に言えば、これらふたつの作品群は、どちらも裕明自身のために書かれたものなのだろう。
裕明には妻である森賀まりとの共著書『癒しの一句』がある。この書の内容について触れるつもりはないが、この題から知れるとおり、晩年の裕明の意識のなかには俳句と「癒し」を結びつける経路があったはずである。
「癒し」という語は、身体の治癒という本来の意味を逸脱し、まずは心の傷を癒すという言い方に転用され、さらにちょっとした憂さ晴らしやストレス解消といった程度のものにまで適用されるようになった。ことここに至って爆発的な流行語と化したのは記憶に新しい。裕明の意識していた「癒し」とは、もっと根源的な治癒の効果ということだろう。この書のタイトルが当時流行の「癒し」と同一視されてしまったことは不幸なことだったかもしれない。
本稿第二回では、晩年の田中裕明の句業に自らの死に臨んでの自己劇化という面が見られると述べたが、それと表裏をなすように、この最晩年の一連の作品においては、死への不安を紛らせるための鎮痛剤のようなものとして俳句を書こうとしていたのかもしれない。
一方で第一句集『山信』には、学生であった裕明の、希望と合い半ばする不安を治癒するものとして書かれた一面があったのではないだろうか。
乱暴な言い方かもしれないが、死への不安が「死んだ後の自分がどうなるのかわからない」ということに起因しているのだとすると、若者の生への不安にも共通したところがあるだろう。
俳句を書くことによってその不安が幾分かでもやわらぐことがあるとするなら、それは決して不安から目をそらすということではないはずだ。客観写生であれとりあわせであれ、俳句を書くときに自分自身の内面と向き合うことは避けられない。
自らの中にある重い氷の塊のような不安を溶かすことはできなくとも、それを見つめることで相対化し、輪郭だけでもとらえることができたなら、その重さに振り回されてしまうことだけは防げるだろう。
『山信』も「『夜の客人』以後」も裕明自身のために書かれたものであったとして、その作品の印象が独善的かというと逆である。むしろ、より平明で、多くの人の共感を得やすい作品群であると思う。
「巨大な平明さ」に加え「厚みのある透明感」といったような印象が、裕明の最初と最後の作品群をつなぐものとして私のなかに生じている。
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■関連記事
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6 件のコメント:
中村安伸様
驚きました。何にかって?『癒しの一句』がamazonで4000円を付けていることに。あの本、タイトルの俗悪さにげんなりして読んでいないのですよね。本棚のどっかに紛れているのだろうか。そもそも持っていたのか、もしや売ってしまったか、その辺の記憶も曖昧。『山信』と『夜の客人』以後の作品が、田中裕明にとって何より自分のために書かれているのではないかという着眼、説得力を感じました。貴連載、小生にとってなかなかに判りにくいこの作者を読み解くための良い導きです。再読の意欲を掻き立てられました。
中村安伸様
全9回にもわたる連載、圧巻でした。
ここまで長い田中裕明についての評論はいままでになかったかもしれませんね。
『癒しの一句』は私は何度か図書館で開いた記憶があります。攝津幸彦、河原枇杷男、島津亮も載ってました。篠原鳳作の選句がおもしろかったような。
では、今後の中村さん連載を楽しみにいたしております。
中村安伸 様
澤で俳句をやっている一員として、貴連載中、
該当ページを読み直しながら興味深く拝読しておりました。
いくつも印象に残る評がありました。
なかでも連載第二回の
「ある俳人の俳句作品を読み、記憶しているということは、
その俳人の魂の一部が自分の魂に食い込んでいるということである。」
という言葉と、
「すなわち田中裕明も、福永、攝津、正木浩一や安土多架志にしても、
時代の波を越えて語り継がれてゆく存在になるかどうかは、
彼等の同世代の俳人たちが死んでしまったのちまで確定されないのである。」
という言葉は、私の中で特に重い言葉として残りました。
2004年末は田中裕明氏を含めて訃報が続きました。
宇多喜代子氏は、2005年「俳句」4月号の桂信子追悼特集
「桂信子の未来へ」の文中で、「今の時、よほどしっかりしなくては、
鈴木六林男や桂信子の世代の個の顔は
『第二次大戦後に台頭した俳人たち』と一つに括られて
俳句史に綴り込まれて終りになるかもしれない」
と書き、「いままで読んだことのない方々や、
若い世代の方々に読まれるということは、
桂信子が再生することである」と書いておられました。
夭折作家だけでなく、誰かの句を読んでいくということは
俳人の魂の一部を自分の魂に食い込ませることなのですね。
中村様の文章でまた、田中裕明が私の中でも再生されました。
ありがとうございました。
相子智恵 拝
こんにちは。また遊びに来させていただきました!
> 乱暴な言い方かもしれないが、死への不安が「死んだ後の自分がどうなるのかわからない」ということに起因しているのだとすると、若者の生への不安にも共通したところがあるだろう。
なにか目から鱗が落ちるような発見でした。
「若者の生への不安」なんて考えたこともなかったから。今後実生活で医療をおこなって行く上で、本当に示唆に富んだ言葉に出会った気がいたします。
感謝いたします。
中村安伸さま
田中裕明読破、おめでとうございます。みなさんが感じられているとおなじ感嘆です。これとおもったひとりの作家、ひとつのテーマを、渾身でくぐることがいかにたいせつか、と言うことが解ります。
故田中裕明氏は、優れた人だとおもっていても、私にはすこし波長の合わぬ所がありましたが、こないだの澤の『山信』復刻と、こんどの安伸氏のよみこみにしたがってで裕明さんをくぐると、その句の世界に汪溢する情感の豊かさがあらわにされてきて、幾つかの疑問もプラスの方向で理解できるような気がします。
破調があわぬところ、の説明は微妙ですが、
伝統俳句の自己呪縛の強さ、に原因が帰するのでしょう。
アバンギャルド嗜好のつよい私には、レトリカルにすぎる表現は裕明氏持ち前の言葉の嗜好だとおもうゆえに、ここのもっと意識的になって、もっとキッチュにはではでに品を落とすべきだ、といいたいことが、しばしば。それはオイラのかってでしょう?といわれることはもちろんですが。
氏の夭逝は誠に惜しまれるトコロ、この文書はヒトツノ追悼記念碑の意義が在ります。吟
皆様、拙稿をお読みいただきまことにありがとうございます。
毎日かばんに「澤」と田中裕明の句集を入れて通勤する日々も終わりました。
(同時に通勤そのものが終わってしまいましたが……。)
>>れおな様
「癒し」という言葉は近年価値が暴落したもののひとつですね。
それをあえて使用したところにも、うまく説明できませんが「裕明らしさ」を感じてしまいます。
>>冨田さま
まだまだ裕明に関するまとまった研究は少ないですね。
身近に裕明と接してきた人たちは、手にしている情報量が圧倒的に多い分、整理にも時間がかかるのでしょう。
そうした人たちによる本格的な論が出てくることを期待します。
>>相子智恵さま
私のつたない言葉をしっかりと受けていただき、ありがとうございます。
散文は俳句作品以上に読み手との共有を目的に書いているわけですから、ご感想をいただけたこと自体がとても嬉しいです。
宇多さんの言葉を裏返せば、俳句作品は読まれることによってしか生きてゆけないわけですが、読まれるためには作品の力だけでなく、人びとがそれについて語るということが必要だと思います。
仮に正鵠を射ていない鑑賞や評であっても、誰かが作品を読んでみようと思うきっかけになれば、一定の役割を果たしたことになるでしょう、というのは弁解ですが……。
>>野村麻実さま
ご感想いただきありがとうございます。
人の生死を間近で経験してこられた野村さまに、私のような者の言葉が少しでも届いたとすると幸せです。
若者という年齢はとっくに過ぎていますが「先行きの不安」を抱えることになってしまいました。
そのような境遇が裕明の心境とシンクロして出てきた言葉であったかもしれません。
>>吟さま
拙文を裕明の俳句を再読するきっかけにしていただいたとするなら、本当に嬉しいことです。
吟さまのおっしゃる「波長の合わないところ」というのもわかるような気がします。私もはじめて裕明の句集を読んだときには、むしろ波長の合わない感を強くもっていました。彼の結社に入ることを考えた経緯は前述のとおりですが、本当の意味で彼の作品にシンパシーを感じたのは、裕明の訃報を聞き『夜の客人』を読んでからのことだったと思います。
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今回の連載については、田中裕明についてよく知らないからこそ書くことが出来た部分も多かったと思います。
最終回ということで何か結論のようなものを書くべきかとも思ったのですが、やめておきました。
私と田中裕明とのつきあいはこれからも続きます。
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