2008年11月9日日曜日

「澤」2008年7月号を読む(7)竹なる竹を―田中裕明第四句集『先生から手紙』・・・中村安伸

「澤」2008年7月号を読む(7)

竹なる竹を―田中裕明第四句集『先生から手紙』


                       ・・・中村安伸

今回は田中裕明の第四句集『先生から手紙』を中心に論じてゆくのだが、その前に前回とりあげた第三句集『櫻姫譚』について、書き漏らしたことがあったので追記しておきたい。

小川軽舟の『現代俳句の海図』に、田中裕明も唯一人の故人としてとりあげられているのだが、『櫻姫譚』について、小川はあまり芳しい評価をしていないようであり〈読み進むほどに、田中の主観の強さをもてあましたような混迷が目につく。〉〈読者を突き放すような独善性は俳句には似合わない。〉等と述べている。

前衛俳句の影響を受けながら、実験的な意欲を多分に発揮した『櫻姫譚』は、小川にとっては不毛なフロンティアに分け入ってしまった失敗作とうつったようだ。一方で〈田中自身、俳句がいかにして現代の詩でありうるかという模索は、常に続けていたのだと思う。〉などと、その実験精神に一定の理解をしめしてもいるのである。

小川は『櫻姫譚』における裕明の「独善性」の例として〈初雪の二十六萬色を知る〉という句をとりあげ、以下のように批判している。

この句は二十六万色の識別が可能だという電子工学の知見に拠っているらしい。しかし、そんなことは読者にはわからない。

電子工学というようなことを持ち出さずとも、二十六万色というのが非常に多数の色だということは誰にでもわかる。そのうえで「三千世界」や「十万億土」といった、無限に近い多さを表現するための比喩ではなく、具体的、現実的な数であるらしい、ということが推測できれば、一応この句を読んだことにはなるであろう。

ただ、その読みで十分であるとは言いがたいのも事実である。二十六万色というのは、たしかにデジタルカメラやコンピュータなどによって処理できる色数を言うのであろう。デジタル機器が処理できる色の数はハードウェアの能力によって決定される。ちなみに私が現在使用しているPCの画面色は32ビットカラーであり、同時に発色できる色数は16,777,216色である。『櫻姫譚』が発行された平成四年から十五年以上たち、それだけハードウェアが進歩したということだろうが、重要なのは、二十六万色であろうと、千六百七十七万色であろうと、それらが有限の数であるということである。自然界の色彩は無限であり、たとえば虹は七色とされているが、実際にはそのグラデーションの中に無数の色が含まれている。

また、コンピュータが表現する「色」とは、RGBと呼ばれる三原色の混合比率によって機械的に計算されるものであるから、人間がその文化的感性によって、浅葱色、鬱金色、甕覗などと名づけた「色」とは、次元が違うのである。そして、三原色のそれぞれを最大量にして混合させると全き白色となる。言い換えれば、その白色のなかにすべての機械的な色が含まれていると考えることができる。その認識をあるいは裕明は「知る」という語にこめたのかもしれない。この句のテーマは、本来無限であるものを有限に書き換えるデジタルな世界、またそれによって実現される純粋な白色と、降り来る初雪という現実世界における純白との交錯、そして交響であると私は思う。

さて『櫻姫譚』の開版から十年経った平成十四年に裕明は第四句集『先生から手紙』を発表した。この句集について小川軽舟は以下のように書く。

この句集に要した十年とは、詩情という言葉を手がかりにした田中の恢復のための十年であった。田中は孤独な主観に立てこもることをやめ、世界とのコミュニケーションを図り始める。

たしかに『先生から手紙』における裕明の句は、それ以前のものと比べて難解さが薄れ、わかりやすいものになっている。裕明が「孤独」から「コミュニケーション」へと舵をとったという小川の見方に格別の異論はない。

  *  *

さて「澤」2008年7月号では、山根真矢、野崎海芋の両氏が『先生から手紙』について論じている。

「渺渺たる俳句―句集『先生から手紙』を読む」と題された山根の論には、裕明俳句に関するキーワードが以下のように列挙されている。

爽波、写生、平明、関西、切字、取り合わせ、吾子俳句

「切字」というあたりにクエスチョンマークがつかないこともないが、現在一般的に考えられている田中裕明の俳句に対するイメージを端的に語るものと思ってよいであろう。

これらのなかでも「平明」あるいは「吾子俳句」といったイメージは『先生から手紙』によって印象づけられたものと思う。「吾子俳句」は裕明自身の生活の変化を反映してのことであろう。この点については、野崎海芋の「永遠の未来―句集『先生から手紙』を読む」という記事に詳述されている。

もうひとつの「平明」というキーワードは、この句集を語るうえで非常に重要なものだと思う。私は裕明の第一句集『山信』について語るなかで、裕明の俳句に対する形容として「巨大な平明さ」という語を用いたのだが、正直に言ってこの語の意味するところをきちんと把握していたとは言いがたい。

あらためてこの語についてもう少し考察してみると、「平明」は「難解」の反対語として用いられているが、必ずしもそうとばかりは言えないのではないか、ということを思い当たった。辞書をひくと「平明」という語は以下のように解説されている。

①わかりやすくて、はっきりとしている・こと(さま)。「―な文章」
②夜明け。「―流血空城を浸す/読本・弓張月 前」

                                『スーパー大辞林3.0』

②はとりあえず措くとして、この語を文字の構成から考えると、「平らで、明らかである」あるいは「平らで、明るい」というフレーズに還元することが可能だろう。影もなく明らかに照らされた平野の景色から、謎のない、不明な点のない様子を連想せよということであろう。この景のイメージを敷衍するならば、その明るい平野が広大なものであれば、当然その中心から遠い端のほうは茫漠としてよく見えなくなってしまうだろう。裕明の句の一面をしめす語として「平明」はたしかにぴったりの語ではあるが、それを単なる「わかりやすさ」ととらえるのは適切ではないと感じる。

前述の小川軽舟『現代俳句の海図』には、裕明の作風転換について以下のような考察がのべられている。

田中の主観が自己満足に終わらず、言葉を媒介として読者に感動を伝えるには、どうすればよいのか。田中が俳句の「詩情」を説きはじめたのはいつ頃だったろう。後年田中は自らの作句信条を、「孤独の産物である俳句が人に伝わるのも詩情がそこにあるから」(『現代俳句一○○人二○句』)と記しているが、この自覚が田中の俳句の再生の糸口であった。

この詩情という語を、裕明が指導者としての基盤のひとつとしていたらしいことは、以前に触れたとおりである。それにしても「詩情」とは実に曖昧な語である。しかし小川が引用している裕明の表現を、私は次のように読み替えたいと思う「孤独の産物である俳句を人に伝えたい、そのためには○○が必要である。」この○○の正体は朦朧としており、いわく言いがたいものである、したがって裕明も「詩情」という曖昧模糊とした語を用いざるを得なかったのだろう。つまり、句作という孤独な作業と自己満足を脱し、読者とよろこびを共有したい。そのような考えが裕明の中で明確になっていったのが『先生から手紙』の十年間だったのだろうと思う。

共感を獲得するために裕明のとった戦略は、非常に単純明快なものであった。そのひとつは作品を「平明」にすること。もうひとつは読者を生み出すこと。つまり結社を興し「詩情」を共有できる仲間を育てるということであった。それこそがこの句集の後実現した「ゆう」である。

結社を作るには、裕明の個人としての俳句観を公共のものとして再構成しなくてはいけない。いかにして自らの俳句を「伝統」に接続してゆくか、伝統の何をどのように継承してゆくか……。それらを確認するためであろうか、この句集には俳句そのものに言及した俳句作品、いわゆるメタ俳句的な作品が頻出するのである。以下に例をあげておく。

重くれの句のよろしけれ干大根
若き日の師の句を讀めり櫻貝
借問す虚子は初蝶見たりしや
冬木立師系にくもりなかりけり
子規の忌を修し爽波の忌を修す
秋風の十七音詩にくみけり
萬人の好む句いらず朴の花
弟子もたず師にもつかずや十三夜
汀女より立子がよけれ蘭の秋
野を燒きて彼の一句に敵對す
俳諧に大作のなし懐炉燃ゆ


上記は句集に登場した順、すなわち年代の逆順に並んでいる。句集の後半の、より古い時代においては、比較的俳句に対して批判的、否定的なトーンの作品が目立つが、徐々に伝統に対する親和的な感慨を述べる傾向が増してゆく。

一方、作品を「平明」にするという点においては『桜姫譚』に顕著であったナンセンス、シュールレアリズムの傾向は影をひそめ、近年流行の「ただごと俳句」に近いものを作ったりもしている。

そのようななかで、とりあわせの巧みさという点にはますます磨きがかかっている。それが見事に嵌った作品を読むと、鳥肌が立つような快感がある。そのような作品こそ、この句集のなかで私が最も好むものといってよいだろう。以下にそれらを例示しておく。

野を焼くやしづかに空をうつす水
きりきりと一句を冷す屏風かな
讀んでゐるときは我なし浮寝鳥
青嵐仕事をするはたのしかり
學界に餘滴てふもの櫻貝
暗幕の向うあかるし鳥の戀
文樂のかうべのかくと春冰
挨拶のおはりの拍手葱畑
探梅や近江もとより水のくに
人間は約束をして山笑ふ
京のものからだによろし寝待月
雪間草からつぽの箱いい匂ひ
小鳥来るここに静かな場所がある
マタイ書に道といふ文字末枯れて
秋の蛇インクの壺の透きとほり


ちなみに〈挨拶のおはりの拍手葱畑〉について、山根真矢は〈「葱畑」で式典があったなんて、嘘かまことか〉などとしているが、下五はとりあわせであり、上五中七の景と切り離されているととらえるのが妥当だろう。 葱畑で式典が行われていたというのもまた、面白いのではあるが。

  *  *

さて、『櫻姫譚』以前にはほとんどみられず『先生から手紙』において頻繁に使われているのが「同語反復」というテクニックである。代表的な例は句集冒頭の一句であろう。

エヂソンの竹なる竹を伐りにけり

この特徴をもつ句は句集の最初のほうに集中しており、比較的新しい句に多いということである。〈エヂソンの竹〉につづく二句め〈野をゆけど野に親しまず冬の川〉もやはり同語反復を用いた句である。さらに事例を挙げてみる。

同じ服同じ髪にて乙女涼し
更衣よき木よき葉をひろげけり
子規の忌を修し爽波の忌を修す
雨降れば雨の浮寝のこゑを出す
禁書とも珍なる書とも曝しけり
柚子湯の柚子何をいまさら人嫌ひ
よき友はものくるる友草紅葉
茶摘女と同いどしなる茶の木かな
柿の花から柿の實になるところ



使用できる文字数の少ない俳句においては、語の冗長的な使用は最も戒められるところであるから、同じ語を一句のなかで繰り返し使うというのは、基本的なセオリーに反したリスクの高い手法である。

同じ語を反復するといってもたいていは二回であろう。うまくいけば、ふたつの文脈において異なるニュアンスを与えられた語が、一句のなかで重ね合わせられ、立体化されるという効果が期待できる。また、リフレインによる音韻的な効果も重要であろう。

このような一石二鳥の効果により、一時期この手法は流行したように思う。かく言う私も頻繁に使用していた。この手法をはじめに行ったのはもちろん裕明ではなく赤黄男や白泉ら、新興俳句の俳人も同様の手法を用いてきたのだし、それ以前にも存在していた。

『先生から手紙』には対句的な表現の句もまた多くみられるのである。これについても例をあげてみよう。

秋の蝶ひとつふたつと輕くなる
音樂にはじめとをはり麥青む
山よりも海しづかなり歸り花
百千鳥いま鍵盤の白と黒
金属の貴と卑を思ふ深雪晴
瓜の姫茄子の童子と冷しけり
菜の花や中學校に晝と夜
冰るもの燃ゆるものとてひさしかり
親猫も仔猫も入れず甲子園
姊の音妹の音夜は長し
うすき日のあと濃ゆき月戀猫に
生年と歿年の閒露けしや

こうしてみると、裕明はまず句の立体感を演出するものとして対句的表現を模索していたようである。それに加えて、音韻的効果をも同時に実現できる方法として、のちに同語反復の手法を発見したのであろう。

話はそれるが、この十年という区切りは偶然ではなく、裕明自身の計画的なものであったかもしれないと思った。但し〈冰注折り十年前と變はらぬ人〉〈ととせまへ玄關に秋服の君〉という句が91年、90年の句としておさめられていることから、裕明が「十年」という時間を意識していると感じたのみであり、何の具体的根拠もない。ちなみに『桜姫譚』には〈いま置いて十年前の蕨籠〉という句がある。

〈エヂソンの竹〉の句に戻るが、この句の「竹」の反復は、いま伐られゆく一本の竹と、百年以上前のエヂソンの白色電球発明のエピソードとを二重写しにするだろう。それは『花間一壺』『桜姫譚』での句作りにも通じる、複数の時間、時代を一句のなかに顕現させるという手法の延長線上にあると言える。

裕明がこの句をとりわけ重視していたことは『先生から手紙』の冒頭にこの句を置いたことからあきらかであり、もしかすると、そのためにこそ、逆の年代順という構成を採用したのかもしれない。

一方で、この句集と同じく邑書林から出版された『セレクション俳人(11) 田中裕明集』には『先生から手紙』から一部の作品が抄出・掲載されているが、こちらでは〈エヂソンの竹〉の句は末尾に置かれている。

それまで行ってきた実験の成果を、新しく身につけた技法によってバランスよく詰め込みながら、読者にまったく無理をさせることがないという意味で、この句は、1990年代、三十代の裕明が到達したひとつの頂点であったと考えてよいであろう。誰よりも彼自身がそのことを認めていたと思われる 。

そして、エンジニアとして発明を生業とした裕明が、発明の王であるエジソンに共鳴するのは当然のことであろう。

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■関連記事

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空へゆく階段―技術者田中裕明について・・・中村安伸   →読む

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月明に消ゆる―田中裕明第三句集『櫻姫譚』・・・中村安伸   →読む

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4 件のコメント:

高山れおな さんのコメント...

中村安伸様

昨日は京都へ、本日は足利・桐生に出張しておりましてなかなか時間がとれなかったのですが、ようやく御稿拝読できました。面白いの一言ですが、とりわけ〈初雪の二十六萬色を知る〉の読みには瞠目しました。この句に関しては、軽舟氏は少々簡単に片付けすぎのようです。初見の時、よくわからぬながら印象に残った句でした。よくわからぬながら印象に残るというのが肝要で、以来十何年にして十全な読みを示された思いがいたします。

.野村麻実 さんのコメント...

はじめまして。こんにちは。
産婦人科医の野村麻実と申します。
(俳句のド素人です)

エヂソンの竹なる竹を伐りにけり

なんとなくかわいい句ですね!
科学者の熱中してしまうと全然何も見えなくなる気性というか、良く現れていると思います。

田中裕明という方については、さすがの俳句音痴の私でも存じ上げている方ですけれど、お上品で、可愛らしさが先にたつ憎めない方というイメージでいます。
(素人はどうしてもイメージで語ることが多いので、お許しくださいね!)

〈読み進むほどに、田中の主観の強さをもてあましたような混迷が目につく。〉
〈読者を突き放すような独善性は俳句には似合わない。〉
いつの時代も、まぁ好きなことを言う方はいらっしゃるのだな、と思いました。田中裕明という方の魅力をというか、同じく科学系(理系)の私にはあまり目に付く所もない方なのですけれど、

汀女より立子がよけれ蘭の秋
野を燒きて彼の一句に敵對す
俳諧に大作のなし懐炉燃ゆ

引いていただいたこの句らのかわいさと言ったらo(^-^)o!

立子だれかわかんないのが一番いたいところでしょうか。(中学受験をしておりますので、汀女は知っているのです。基本だけですけれどね)
頭のいい、健やかにお育ちになった方という気がしてなりませんけれど、冒頭のエジソン君のお話はとても楽しい一句です。

(なんか最近乱入していてすみません)

さんのコメント...

子規の忌を修し爽波の忌を修す
秋風の十七音詩にくみけり
萬人の好む句いらず朴の花
弟子もたず師にもつかずや十三夜
汀女より立子がよけれ蘭の秋    
        以上 「田中裕明」


土曜日15日の神戸のシンポジウムで

星野立子ー稲畑汀子ー山田弘子の伝統俳句女性
藤木清子ー桂信子ー伊丹公子の新興俳句女性

の身体感覚は身体表現をおってみようかとおもいます。
裕明の句でも、人の名前と季語で一行の詩が成り立つ不思議。これは、伝統俳句の感受性をふまえた詩情の定型ですね。外在的な型ではなくて、感性の定型だと思います。小野十三郎が批判した湿潤な抒情、奴隷の韻律・・です。桑原武夫が「菊作り」といって「文学たり得ない」とやっつけたのがこういう境地です。でも、裕明のような大才能の中にこういう感覚がなぜかねづよくのこっているのですね。これは、文学表現のパラドクスです。

こちらに引き寄せて、少し考えてみると、
虚子の娘の星野立子
虛子の高弟中村汀女 は ともに女性俳句の草分けで、ホトトギス調その句柄は
虚子の孫で。現在ホトトギス三代目主宰である。孫の稲畑汀子にしっかりうけつがれています。汀子さんにはいい句がありますよ。
(わたしは、以前として新興俳句系が好きですが、ときどき自家中毒になると、でんとー系の人たちのモノを読んで、バランスをとりもどします。
裕明の例句に取り上げられているのは、否定しようのない地位を俳句史に気づいている
「萬人に分かる人物」を素材にして「萬人に分かる季感、17音詩」でまとめたものです。単純でありきたり(月並み)であるほど
こういうのは、多数のひとの共感をよぶとおもいます。
裕明は、伝統俳句の中で一般かしていることばで共感をとりつけ、あわせて個人的な「主観」(好き嫌い)にこだわることで、伝統俳句の共感の蓋をはずそうとしたのではないでしょうか。

中村安伸 さんのコメント...

みなさまコメントありがとうございます。


>>高山れおな様

軽舟氏は『櫻姫譚』をネガティブにとらえるための証左としてこの句を用いているので、素っ気無い扱いとなっているようです。「よくわからぬながら印象に残る」ということは私もよく経験することです。「わかる、わからない」ということについても、しつこく考えてみたいと思っています。


>>野村麻実さま

はじめまして。
いつも当ブログにコメントを下さりありがとうございます。裕明の句について「かわいい」というご感想ははじめて聞きましたが、彼の句の一つの面をとらえた新鮮かつ的確な評言と思います。軽舟氏の発言の引用部分については、全体としては裕明を高く評価しているなかで、ことさら辛辣な部分を引用したので、フェアじゃなかったかもしれません。

ちなみに「立子」は、吟さまもあげておられるとおり高濱虚子の娘である星野立子です。立子は〈父がつけしわが名立子や月を仰ぐ〉という句を作ったりもしています。

これからもご発言お待ちしております。


>>吟さま

外在的な型ではなくて、感性の定型だと思います。

裕明は、伝統俳句の中で一般かしていることばで共感をとりつけ、あわせて個人的な「主観」(好き嫌い)にこだわることで、伝統俳句の共感の蓋をはずそうとしたのではないでしょうか。


なるほど、たしかに裕明の「平明さ」にはそのような面があるように思います。『櫻姫譚』から『先生から手紙』へのシフトは、感性を定形外から定型へ押し込めたともみえますが、それをどのように読み、位置づけるか、最後の句集『夜の客人』の一段高い境地を見すえつつ、検討してゆかねばならないでしょう。

汀子さんにはいい句がありますよ。

そうなんですね。15日のシンポジウムは残念ながら伺えませんが、ご成功をお祈りしております。