■「澤」2008年7月号を読む(1)
空へゆく階段―技術者田中裕明について
・・・中村安伸
小澤實主宰による俳句結社誌「澤」であるが、私が所持しているのは今回とりあげる2008年七月号と、同程度の厚さの2007年七月号の二冊のみである。これらの特集号のみをもとにした判断ではあるが、一般的な俳句結社誌のイメージから逸脱した豊富な評論活動を行っているという点で、非常に注目すべき存在であると思っている。余談だが、昨年の七月号では二十代、三十代の若手俳人の特集が行われたのだが、ちょうど同じ頃に出た「俳句研究」2007年七月号(富士見書房)の、ほぼ同じ世代を特集したもの(冨田氏の言に沿えば、二十代、三十代の俳人たちは「選という暴力」をたてつづけにふるわれたわけである。)と比較してみると、人選の幅という点でも、企画の質という点でも「澤」がはるかに充実していたのは明らかであり、本来総合誌が担うべき――と期待されている――俳句に関する言論的役割を、いち結社誌である「澤」が肩代わりしているという印象をもつのである。
俳句総合誌といっても俳句の専門家をスタッフとして擁しているわけでもなく、都度結社や協会等のパワーバランスに気をつかいながら、おそるおそる――相手によっては倣岸不遜に――依頼を出すという現状なのだろう。どことなく及び腰の、突っ込みの浅い企画ばかりになってしまうのもいたし方ないことなのかもしれない。もちろんそのような現状が肯定できるわけではないが……。
さて、このたびの田中裕明特集であるが、手書きしたものを10部だけ発行したという第一句集『山信』を復刻掲載するという、ファンにとって心憎い企画を目玉に、あるいは彼の生前より交流をもち、あるいは生前、死後を問わず彼の作品に関心をもった多士済々の論客が、それぞれ彼の作品を読み、考え、書く様子が、その目次に刻まれている。それが誌の暴力的なまでの厚さの原因ともなっているわけである。
これらの記事中で今回とりあげるのは小澤實と、裕明夫人である森賀まりとの対談であるが、小澤が聞き役となり森賀がいろんなエピソードを語ってゆくという、インタビューに近い記事である。「俳人として夫として父として/対談 思い出の田中裕明」というタイトルで、生前の田中裕明について、さまざまな思い出が語られている。私は裕明に会ったことがなく、彼がどのような人物であったか知らない。したがってこのような記事は貴重である。
たとえば「エヴァンゲリオン」が好きだったというような話を聞くと、彼も同時代を生きた人だったのだなァ、とあらためて思う自分に少々愕然としてしまった。というのも、彼が活躍していたとき、私もすでに俳句をつくり、細々とではあるが発表していたのだし、所属していた結社をやめて、裕明主宰の「ゆう」に所属することを考えたこともあったのだ。直接の面識はもちろん手紙などのやりとりも全くなかったものの、同じ時代に生きる俳人の一人であることをたしかに実感していたはずなのに、知らず知らずのうちに彼のことを、歴史上の人物であるかのように感じていた。そのことに自分ながら驚いたのであった。
さて、この記事中特に印象深かったのは、裕明が〈空へゆく階段のなし稲の花〉を作ったときのことを森賀が語っている部分である。
翌日は帰る日という夜中に携帯に間違い電話がかかってきて起こされ、眠れなくなってしまいました。それで、句帳を開いて朝まで句を作っていたそうです。その日は帰る車中でも声に出しながら句帳に次々と書き込んで、みな淀みなく俳句になっていく。句を詠んでいる間にも、特許を思いついたと言って、それも句帳に四つか五つ書きとめていきました。あの時は何か降りて来たのか、怖いとさえ思ったんです。
声に出すかどうかはともかく、次々に頭のなかに浮んでくるフレーズが、淀みなく俳句になってゆくということは、私もたまには経験することであり、一種のトランス状態のようなものであろう。俳句を作ることにある程度慣れた人であれば、誰もが同様の経験をしていると思うが、夜中から朝まで、さらに日中もその状態が続くというのはいささか異常である。また、非常にユニークなのは、句作りの過程で同時に特許、発明のアイデアが思い浮かぶという点である。
小澤は〈俳句と理系の特許とがつながり合っているのが面白いですね。〉という一言で括っているのだが、裕明がいわゆる研究者ではなく、技術者であったということは重要であろう。
アメリカの古いSF小説であるが、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』(福島正実訳、早川書房)は、言わずと知れた時間旅行モノの傑作中の傑作であり、技術者/発明家という人種のとらえ方という点でもたいへん興味深い作品である。この小説の主人公は優秀な技術者として、いくつもの画期的な家庭用品の発明をしているが、それらの知的財産を騙し取られることになる。そのような人物にとって発明や技術がどういうものか、以下の文章がヒントになるだろう。「文化女中器」というのは、主人公の発明した自動掃除機のことである。
実をいえば、この文化女中器(ハイヤード・ガール)は、あまり自慢のできた発明ではなかったのだ。つまりなにからなにまで借物だったのである。(中略)要はその部品を一つに組み立てたアイデアと、さらにはそれを大量生産の段階に持ってゆく技術的手腕にあったのだ。
既存の技術を組み合わせることによって問題の解決につなげるのが、技術者にとっての「発明」である。組み合わせを行うためには、技術に対してのカタログ的な知識ではなく、より本質的な理解が必要である。
この小説の主人公は、冷凍睡眠によって三十年後の世界へ「移動」するのであるが、その時代でも技術者として生きてゆくことを決意し、最新の技術を学ぶことになる。さらに同書から引用してみる。
工業技術というものは、なによりも現実にそくした技術であり、一人の技術者の才能よりは、その時代の技術水準一般に負うところの多いものだ。真の鉄道の時代が来て、はじめて鉄道の敷設は行われ得る。時期の到来しないうちは、いかにあがいても駄目なのだ。例えば、ラングレイ教授の場合を見るがいい。あれほどに飛行機の実現に心を砕き、必要な才能のすべてに恵まれ、実際本質的な問題は解決していながら、わずか数年間時期が早かったために、飛行機の完成に必要な、しかしきわめて従属的な技術を持てず、ついに飛行機を空に飛ばす最初の栄誉を獲得できなかった。さらにはかの偉大なるレオナルド・ダ・ヴィンチにしてもそうだ。彼の最も輝かしい考察の大部分は、すべて、技術的に製作不可能のものばかりだったではないか。
つまり、技術の本質的理解というのは、現在の技術水準で何が可能であり、何が不可能であるかを知るということであり、発明とは、技術水準の限界点からほんのすこし跳躍することによって、その水準を少しでも高めるということでもある。
そして、これを文学に――いささか強引に――あてはめれば、言語によって何が可能で何が不可能か、その限界点を知りそこから跳躍することで、言語の機能範囲をほんの少しでも広めることこそが、最先端の文学の役割ということが言えるだろうと思う。
さて、私の職業には一応エンジニアという言葉が入っているが、本来の意味での技術者とはほど遠い「まがいもの」であって、裕明と同列に並ぶことなどまったくできないのだが、それでも技術者の仕事の仕方、頭のはたらかせ方を想像することができるくらいの類似性はあると思う。
既存の技術を理解するということは、まずは人間を理解するということである。私の場合、コンピュータのソフトウェア、ハードウェア、ネットワークといった既存技術を組み合わせることによって、顧客の問題を解決するのが職業なのだが、それらの技術を開発したのは当然のことながら人間であり、また人間に用立てるためにこそ開発された技術である。そのことを念頭に置くことで、それらをより正しく、より本質的に理解することが可能となるのである。
裕明のような、より基礎的な分野における技術者であれば、人間以上に、自然の理解ということが重要になるのかもしれない。技術者による人間、自然の理解は、いわゆる理系の学問をベースにしたものということになるだろうが、それだけで十分だとは思わないのである。とくに人間を理解することは理系の学問の手にあまるものであり、それこそが、私のような文系人間がシステムエンジニアとしてどうにかやってゆける所以でもある。
また、問題解決につながる画期的なアイデアに到達するためには、一種の知的跳躍が必要となる。優秀な技術者とは、この知的跳躍を楽しむことのできる人物なのであろう。もちろん粘り強く論理的な思考を重ねてゆく能力は必須だが、それは跳躍の後を追い確認してゆくプロセスのために――もちろんそれも非常に重要なのだが――用いられるということに過ぎない
こうした人間、自然に対する理解と、それに基づく知的跳躍が、俳句を作る過程での詩的跳躍に似ている、というのは実に陳腐な結論かもしれないが、いたしかたない。
ただ、この両者が異なるのは、前者があくまで論理によってあとづけ可能な跳躍でなければならないのに対し、後者は最終的には論理への帰着を拒否する跳躍であるということである。つまり、跳躍に必要な筋力や運動神経は共通していても、その着地すべき領域が異なるのであって、裕明が同じ句帳に俳句と発明を並べて書いていたというのは、知的な運動能力に秀でていたのみならず、論理の領域と詩の領域を融通無碍に行き来できる魔術を心得ていたということなのかもしれない。
そしてそのことを思うと、森賀まり夫人によって語られる、以下のような裕明の言葉にうなづくことができるとともに、改めて彼が夭折してしまったことの残念さを思うのである。
死ぬちょっと前に、しみじみとした調子で、仕事が面白かったので、つい仕事に一生懸命になってしまった。俳句にもっと力を入れていたら、俳句ももうちょっとやれたやろなあと言ってましたね。
さて〈空へゆく階段のなし稲の花〉であるが、〈空へゆく階段〉というと、レッドツェッペリンの「天国への階段」とか映画『嫌われ松子の一生』のラストシーンとか、とにかく死後の救済のメタファーとして用いられることが多く、それを「無し」としたところは、そのような茫漠とした宗教的救済を拒絶する決意と受け取られるだろう。また、とりあわせられた〈稲の花〉は、そのあるかなきかの存在が消えうせることによって、地上に大きな実りをもたらすものである。
この句は夭折した田中の最後の句集――それが届けられたタイミングも非常にドラマティックであった――に収められた句であることによって、その哀切さをいや増すことになった。
以上のようないささか過剰な読みとは別に私は次のようなことを考える。
「空へゆく階段」という言葉とともに田中裕明の脳裏に、空への階段の素材や構造を具体的に想像し、それを実現することが可能かどうか吟味してみるという考えがよぎりはしなかったであろうか?もちろんそれは技術者としての彼の専門分野ではなかったのだから、本格的な考察にいたったわけでもないだろう。しかし「無し」という断言にいたるまでの想念のうちに、そのような思いが含まれていたのではないかと想像するのである。
そのように思うことによって、あまりに厳しく悲壮な死への決意といった連想から開放され、私はすこしばかりやすらかな気持ちになることができるのだ。
さて、階段とは建物の二階、三階、そして屋上へゆくための、あるいはそこから帰ってくるためのものである。もし、屋上でとどまるべき階段が一段なりと上空へ伸びていたなら、それを「空へゆく階段」と名づけることはできないだろうか?
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1 件のコメント:
中村安伸様
技術者田中裕明という、これまですっぽり抜けていた視点からのアプローチ、じつに新鮮でした。SF小説には恥ずかしながら全く不案内ですが、『夏への扉』に示されたテクノロジー観を援用しての裕明世界への錘の下ろし方、とても説得力がありました。〈空へゆく階段のなし稲の花〉の読み解きでの、空へゆく階段の素材や構造を夢想する田中裕明というイメージもとても美しい。句の言葉に即すれば深読みにすぎるとしても、少なくとも小生にはこの句に関して外せない解釈になりそうです。
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