2008年9月28日日曜日

「澤」2008年7月号を読む(2)俳句の神に愛されて―田中裕明と夭折者たち・・・中村安伸

「澤」2008年7月号を読む(2)
俳句の神に愛されて
―田中裕明と夭折者たち

                       ・・・中村安伸

夭折した芸術家というものは、人々から特別に愛される存在である。モーツァルトやビアズリーなど多くの名前が挙がるだろうが、私にとって特に印象が強いのは、ドアーズのジム・モリソンやジミ・ヘンドリクスといった、1960年代に活躍し、70年頃死んだロックミュージシャンたちである。彼等はドラッグやアルコールにおぼれ自滅していったのであるが、そのきらびやかな才能が、直接的に彼等の死を呼び寄せたように思う。彼等の音楽が商業と強く結びついていたこと、それにより表現者としての彼等が生活者としての彼等を飲み込んでしまったことも、自滅を加速させる要因となったのではないだろうか。

俳句においても夭折した天才は少なくない。村上護の『虹あるごとく 夭逝俳人列伝』(本阿弥書店)には、若くして世を去った俳人たちの生涯とその作品がまとめられている。これは村上独特の、俳句をめぐっての読み物というべきものであり、帯に「泣いてください!」などと大書されていても不思議ではないような、ドラマ的な演出を含んだノンフィクションといったところか。たとえば、二十代で亡くなった矢部栄子という女性俳人の〈青桃や今欲しきもの今告げたし〉という作品などを読むと、やはりなにかが胸にこみあげてくるのを感じる。俳句作品の凝縮力を巧みに活かす村上の演出力は、やはり確かなものである。

さて、俳人にとっては、前述のジミ・ヘンドリクスたちのような、才能が商業的圧力によってすりつぶされるような、はげしい炎がなにもかもを燃やし尽くしてしまうような死は縁遠い。かつての芝不器男、篠原鳳作などのように貧困や病気によって二十代や三十代前半で死ぬ者は近年では少なく、昭和62年に26歳で死んだ自由律俳句の住宅顕信などは例外的である。三十代後半から四十代にかけての壮年期において、病とたたかいながら、作品においてはますますそのボルテージを高めつつ、最後には静かに死を受け入れるような、壮絶ではあるが、どこか静謐な、透明度の高い湖に飲み込まれてゆくような死が大勢を占めているように思う。

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さて「澤」2008年七月号「特集/田中裕明」において、裕明の夭折の意義を中心に据えたのが、筑紫磐井の「多くのすばらしい人たちに支えられて 私的裕明論から夭折俳人論へ」と題された記事である。

この記事によると、裕明の生前最後の句集となった『夜の客人』は、以下のような経緯で受贈者のもとへ届けられたということだ。

平成十六年十二月三十日になくなり、新年早々の新聞に報知され、四日には葬儀が行われていたにもかかわらず、一月七日に到着した句集『夜の客人』には、大伴家持の「新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事」の和歌と、皆様のご多幸を祈りますという裕明夫妻の年賀カードが添えられていた。

これほどまでに「劇的な」という形容がふさわしい死をとげた俳人も珍しいだろう。ひとつの年が死に、新たな年が生まれるとき、一人の俳人の肉体が滅び、その遺骸からよみがえる不死鳥のように、ひとつの句集がうまれ出たというわけである。

筑紫磐井は、同じく夭折した俳人として、福永耕二、攝津幸彦、安土多架志、正木浩一をとりあげ、彼等が惜しまれ、語られるとはどういうことか、という問いをなげかけている。そして、この問いへの答えを導き出すための鍵として持ち出したのが、今年死去した長岡裕一郎の遺族からの手紙に書かれていた言葉である。

遺族の板屋ちさとさんから手紙が来た。裕一郎を姉妹で密葬したこと、お骨を高尾に収めたことを知らせるとともに、「美術と短歌、俳句、お酒をこよなく愛し、決して長いとは言えない一生でしたが、多くのすばらしい人たちに支えられ贅沢な日々を送ったことと推察します」と綴られた言葉にいまも動揺している。

「多くのすばらしい人たちに支えられて」というのはまた、今後も数十年は生きてゆく同世代の「多くのすばらしい人たち」にこれからも支えられ続けるという夭折者の僥倖を語ってもいるのである。

青年や壮年にとって同世代の人物の死は、それだけで強いインパクトをもたらすものに違いない。また、私はいまだ同世代やより若い世代の俳人の死を経験したことがないが、たとえば先輩俳人であっても句座をともにした人の死には強く心を動揺させられるものである。

ある俳人の俳句作品を読み、記憶しているということは、その俳人の魂の一部が自分の魂に食い込んでいるということである。彼が亡くなったとき、肉体を失った魂の切っ先は大きく揺らぎ、鋭い痛みがもたらされることになるであろう。

それが、同じ時代の空気を共有し、互いに多くの作品を読み合った同世代の仲間の死であったなら、魂と魂の結合度が高いぶん、その痛みもまた大きく深く尾をひくものとなるに違いない。作品がすばらしければそれだけ、より深く魂に突き刺さる。夭折した俳人は、周囲の俳人たちを激しく傷つける。そして、いつまでも乾くことのない傷を背負った同世代の俳人たちによって、決して忘れることのできない痛みとして語られてゆくのである。

すなわち田中裕明も、福永、攝津、正木浩一や安土多架志にしても、時代の波を越えて語り継がれてゆく存在になるかどうかは、彼等の同世代の俳人たちが死んでしまったのちまで確定されないのである。

 *

さて『夜の客人』におさめられた〈爽やかに俳句の神に愛されて〉という句には「発病」という前書きが添えられている。

今回の特集においても、何人かの論者がこの句に触れている。

宗田安正は〈今になってみて、「発病」と前書のある句の詩の神様に愛されている自覚の矜持こそ、発病の重大さに比例するものであった〉としており、この句が神に愛される僥倖と発病の不運のバランスに基づいているものであることを述べている。

中岡毅雄は〈自己の病を「爽やかに」と表現した精神力に圧倒された〉と、また〈作者は、ミューズに愛されていることを実感していたのではないか〉と述べている。また、音韻の面でこの句の「ア」音を基調とした母音構成の明快さを〈新緑一葉一葉のごとく照り輝いている〉と表現している。中岡は病に冒されてなお、ミューズからの恩恵を誇りに明るいトーンの作品を書く裕明の強靭な精神を讃えている。

高柳克弘はこの句について以下のように述べることで「衰耗の美学」と題した『夜の客人』論をしめくくっている。

限りなく痛ましい、この一句。「愛されて」とは、故人とつながり得た確証が導き出した言葉だろう。衰耗の美学の極地を、私はこの句にみる。

高柳は、自らの衰えを受け入れ、〈人生において肯定的なものとして見つめ直そうとしている〉という「美学」の極みに、この句を位置づけている。

三人に共通するのは、裕明が発病の衝撃を肯定的に受け入れようとしているという読みである。それはおそらく正しいであろう。しかし、この句から受ける強い衝撃の拠って来るところを十分には解き明かしてくれていないとも感じる。

裕明が間もなく世を去ったこと、また「発病」という前書きのあることを前提にして読むと、この作品は「神に愛された人は早死にする」という俚諺をふまえたものであり、若くして死ぬことへの覚悟がこめられていることが読み取れる。

また同時に、夭折の天才俳人の系譜に並ぶことができることへの「歓喜」さえ感じとることができるのである。

神は神でも「俳句の神」である。そしてとりあわせられた「爽やかに」という語にも、凛とした意志が感じられる。爽やか「や」でなく爽やか「に」としたことで、明確には切れずに「愛されて」にかかる感じを残している。すなわち、この語は季語の「さわやか」であると同時に、一般的に用いられている意味での「さわやか」のニュアンス、すなわち潔く、はれやかに、心地良い姿勢を与えられているのである。

福田恆存『人間・この劇的なるもの』(新潮文庫)に以下のような記述がある。

私たちは、自分の生が必然のうちにあることを欲している。自分の必然性にそって生きたいと欲し、その鉱脈を掘りあてたいと願っている。劇的に生きたいというのは、自分の生涯を、あるいは、その一定の期間を、一個の芸術作品に仕たてあげたいということにほかならぬ。

〈爽やかに〉の句に読み取ることのできる裕明の「歓喜」は、必然的な死によって自分の生涯をひとつの作品として完成させることができるというよろこびだろう。

病を告げられ、近い死の可能性を悟ったとき、実際にはその理不尽さに打ちひしがれただろうし、残してゆかなければならない家族のことを考えて暗然とした気持ちにもなったであろう。同時に、病を乗り越えて家族のため、自分のために生き続ける希望を失ってはいなかったとも思う。その苦しみは想像することも難しいものであるが、むしろ、苦しみ、怒り、痛みの大きさゆえに、それを受け入れる過程において、このような「自己劇化」が必要であったのかもしれない。

もういちど前述の『人間・この劇的なるもの』より引用する。

フロイトやロレンスにならって言えば、人間のうちには生への慾求と同時に死への慾求がある。いや、私たちは生きようとする同じ慾求のうちに死のうとしているのだ。この二つの慾望は別のものではない。死は生を癒すものであるばかりでなくそれを推進させるものなのだ。終止符が打たれなければ全体は存在しないし、全体を眼のまえに、はっきりと見ることができない。

前述のジミ・ヘンドリクスは自らの分身でもあり一部でもあるギターを、ステージ上で叩き壊し、火まで放った。彼は能動的な死を真似ることでしか、ライブパフォーマンスを終えることができなかったのだろうか。また、ジム・モリソンはステージ上で自らの性器を露にし、自慰行為を行ったとして逮捕されている。それが事実だとしたら、彼はドラッグなどの影響下でライブパフォーマンスを性行為と同一視し、射精という「小さな死」を迎えようとしたのだろうか。二人が完結を求めるように、能動的に自らを死へ追いやったのは、自然なことなのかもしれない。

表現者である以上に生活者であった裕明の死は、彼らとは違い受動的なものであったが、いったん死を覚悟したときには、彼ら以上に意識的に自己完結を目指したものと思われる。

若くして死ぬことは悲劇的である。しかし、ひとつの宿命にささえられた生涯を自覚して完結させることができるということは稀有な僥倖なのである。その現実的な苦しみ、痛みの大きさは計り知れないが「多くのすばらしい人たち」にささえられて一つの悲劇を演じきるということは、やはりすばらしい。その「多くのすばらしい人たち」は、これからも裕明を支え続けるであろうし、彼等が死に絶えたのちも田中裕明という俳人が語り継がれてゆく可能性は十分にある。

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