2008年11月30日日曜日

「澤」2008年7月号を読む(8) この世のことの―田中裕明第五句集『夜の客人』・・・中村安伸

「澤」2008年7月号を読む(8)
この世のことの
―田中裕明第五句集『夜の客人』

                       ・・・中村安伸

第五句集『夜の客人』は、田中裕明生前最後の句集となったものである。この句集が彼の死のしらせと前後するように上梓された経緯は本稿の第二回に書いたとおりである。

この句集所載の作品については、本稿第一回で〈空へゆく階段のなし稲の花〉を、第二回で「発病」と前書きされた〈爽やかに俳句の神に愛されて〉をすでにとりあげている。それらについては各回の拙稿をご参照いただくこととして、まずは裕明の句業においてこの句集がどのように位置づけられるかを検討してみたい。

裕明の五句集それぞれの特徴をおおまかになぞってみると、第一句集『山信』は、習作でありながら綻びのない、新鮮かつ高い完成度をほこる作品群であった。第二句集『花間一壺』では、多彩な方法と素材を用いた作品群に、形式を自在にあやつりはじめた裕明のあふれんばかりの才気と意欲を見ることができた。第三句集『櫻姫譚』は、前衛俳句の影響をうけたともとれる実験的なフレーズと季語のとりあわせが際立っていた。第四句集『先生から手紙』は、一転して平明なフレーズを多用し、俳句の伝統的な手法・心性に自らを同化させようとした。

第五句集にして最後の句集『夜の客人』は、第四句集『先生から手紙』第三句集『櫻姫譚』と比較しても、俳句作品集としての密度が高い印象がある。すなわち、句集全体に占める「秀句」あるいは、ボルテージの高い作品の割合が高いということである。

そして、秀句のなかでもひときわ高く、現代俳句の頂を占めるような作品も少なくない。この句集こそが田中裕明の最後の句集にして、集大成であり、なおかつ最高傑作であるという意見は、ほぼ衆目の一致するところであろう。まずはこの句集を占める秀句の特徴を考えてみたい。

『櫻姫譚』は比較的難解『先生から手紙』は平明という傾向はあるにせよ、それらの句集には観念的なフレーズを用いた作品が散見された。『夜の客人』には、「観念」が句の表層からは姿を消し「景」として肉体化されたような作品が多いように思う。これは裕明俳句がより深い境地に至ったとみてよいのではないだろうか。実例を挙げると以下のような作品に、そうした傾向を見て取ることができる。

家々の切れてつづけり浮寝鳥

くらければ空ふかきより落花かな

さみだれのあつまつてゐる湖心かな

まひるまをとろりと眠る紅葉かな

空へゆく階段のなし稲の花

春の暮土星つめたき輪を思ひ

麦秋や夜もあたらしき展翅板

龍あるく青水無月の原濡れて

大半の月光踏めば水でないか

天球に露ひしひしとありにけり

そして、このような傾向が強まった要因のひとつに、あるモデルを発見した、もしくはそれに接近したということがあったのではないかと推測する。

この句集に「三橋敏雄さん」と前書きされた〈長駆とは浮いてゐること鬼やんま〉という句があり、その隣に〈穴惑亡き人に弟子入志願〉という句が並んでいる。三橋敏雄が亡くなったのは2001年であり、その追悼の思いが込められた二句であろう。もちろん「亡き人」は三橋のことであるはずだ。「弟子入志願」という思いは、師弟関係を重視した裕明にとっては、単なる「私淑」よりずっと重いものだろう。

三橋敏雄は、観念を映像化し、肉体化するということにおいて最もすぐれた成果を残した俳人だったと思う。このように書くと三橋がなんらかの観念を比喩的にあらわしたと聞こえるかもしれないが、事態はもうすこし複雑である。三橋の書いた景を観念的なフレーズに還元できるかというと、そうはいかない。パラフレーズ不可能な部分こそ三橋俳句の根幹であり、散文で書くことのできない観念を景に仕立てて開示したことこそが、現代の俳句における三橋敏雄の重要性を担保しているのである。

もちろん、このような方法は三橋敏雄独自のものというわけではなく、新興俳句から前衛俳句を経て試行されてきた方法のうちのひとつであり、その最も巧みだった俳人の一人が三橋敏雄だったというのみである。また、伝統俳句の作者でこのような方法を行ったのも、田中裕明が最初ではないだろう。また裕明も『夜の客人』ではじめてこのような手法を試したというわけではない。この手法を三橋敏雄という個人と結びつけ、強く意識したらしい痕跡が残されていることが興味深いのである。

こうした方法は内面世界にある「観念」と外部世界にある対象物を構成したもの=「景」をリンクさせるという点で客観写生と似ているところもある。客観写生が、外部世界にある対象を触媒として内面の観念を引き摺りだすのに対し、三橋らの方法は、内面に存在する観念を意識したうえで、外部世界にある対象を呼び込んでくるという違いがある。

 *

さて、「澤」の特集にこの句集の評を寄せているのは高柳克弘と榮猿丸の二人である。

この連載を「澤」7月号を読むというタイトルで行ってきたのだが、毎回「澤」の記事にふれてはいるものの、田中裕明の作品、句集を論じることに重点を置くあまり、それらについて十分検討しないことが少なくなく、反省すべき点だと思っている。それはともかく、この「澤」七月号、田中裕明特集において、最も読み応えがあったのが『夜の客人』を扱った二篇であった。句集のもつ力が面白い評を書かせたのか、あるいは、この句集が重要であるがゆえに、多力の評者が配置されたのか、おそらくその両方であろう。

高柳克弘は「衰耗の美学」と題された論において、句集中の〈みづうみの雪をたづねよ痩詩人〉から〈爽やかに俳句の神に愛されて〉に至るまでの、ある種の傾向をもつ作品をとりあげ、「痩」→「病」→「死」という一条の補助線をひいてみせた。高柳はその延長線上に万葉集をはじめとする古典から、近代俳句における鷹女や波郷へとつづく美学を接続し、一本のしっかりとした背骨をもった力強い論として仕上げた。

ただし当然のことだが、この「衰耗の美学」というテーマは、この句集の一端をとりあげたものであって、その全体を受けたものとはなりえない。

衰耗の美学という言葉で高柳が掬い取ろうとしたこと、すなわち田中裕明が自らの病と死による衰えを肯定的に、詩として昇華しようとしたという一面は確かにあるだろうし、私が本稿二回目にとりあげた〈爽やかに俳句の神に愛されて〉の解釈も、高柳の論とその認識をともにしていると言ってよい。

しかしこの句集での裕明の「病」「死」への対応にはそれ以外にもさまざまな面がある。

たとえば〈目のなかに芒原あり森賀まり〉という句がある。この句集を手にとる人にとっては、森賀まりが俳人であり、田中裕明の妻であるということは周知であろう。

芒原という、美しくはあるが荒涼とした寒さの空間を見つめている妻、それを傍から見ている裕明の視線がかぎりなく優しい。妻の目の中に芒原は銀色の羽毛のようにやわらかなものとしてうつっているのだろうか。「あり」「森」「まり」という脚韻がこの句のリズムをかろやかなものとしているが、内容は実に純粋で重いものだ。

裕明の夭折ということからさかのぼって読むならば、この句は残してゆかなければならない妻と家族への贈り物であったと解釈できる。

「妻」という一般名詞ではなく「森賀まり」という固有名を用いたのは、音韻上のこともあるだろうが、この句を一般化させずに、あくまでも「田中裕明」が「森賀まり」に贈った句であるということを明確にしたいという思いがあったのだろう。

個人名を用いたために普遍性を欠くとみなされてしまうせいか話題にのぼることが少ないように思うが、折笠美秋の晩年の作品群にも通じる「死後もつづく愛」をかたちにしてみせたこの句は、集中最も美しい作品のひとつである。

 *

榮猿丸の「末期の目」は、高柳とは対照的に、さまざまな視点がもちこまれた万華鏡のような面白さがあり『夜の客人』論をはみ出して、田中裕明ひいては現代の俳句の諸問題をちりばめたエッセイ的な論となっている。

たとえば『花間一壺』所収の〈悉く全集にあり衣被〉を例とする以下のような論は、とりあわせというものの本質を考えるうえでまことに興味深いものだ。

季語の大胆な離し方によって、意味や象徴作用へ流れずに、読者の視点を言葉の表面に留まらせようとする。

週刊俳句でくりひろげられた「サバービア俳句」運動(?)における榮猿丸のスタンスがここにもあらわれていると感じる。

句集冒頭の展開について述べた部分も興味深い。

タイトルのもとになった樋口一葉の文を冒頭に引用する構成は『花間一壺』で李白の詩を引用したのと同じ手法であるが、それにつづいて登場する冒頭三句は以下のようなものである。

木の瘤の腥くある時雨かな

マクベスの魔女は三人龍の玉

木枯やいつも前かがみのサルトル


この一句めの「木の瘤」と三句目の「サルトル」との関係についての榮猿丸の解説を以下に引用してみる。

木枯に思わず前かがみになった自分の姿に、サルトルを思ったのだろう。ユーモラスな句だが、しかし、一句目の余韻を残したなかで読むと、サルトルの『嘔吐』での有名な場面を思い出す。

それは、主人公ロカンタンがマロニエの木の根を見て吐き気を感じた瞬間、だしぬけに木の〈実存〉を感得する、という場面だ。


サルトルの「実存」というテーマが色濃く出てきそうなところだが、シェークスピアの『マクベス』という、時代も土地も異なる世界をさしはさむことによって、一句めと三句目がやすやすと結合してしまうことを避けている。また、一句目には時雨、三句目には木枯という季語をしっかりと配合することにより、慎重に距離を置く姿勢を見せている。

それにしても何故冒頭に「サルトル」があらわれるのか。

自己という現実存在の固有性を最も重要なテーマとして考えるのが、サルトルに代表される実存主義の思想の根幹であると思うのだが、この問題は、俳句の客観写生における「主体」の問題と深く関わってくるはずである。

俳句にとっての世界認識の方法の基礎に「客観写生」があることは間違いない。「客観」という態度と「写生」という技術の両面があるが、とりわけ「客観」という態度をどのように徹底してゆくかが、現代の俳句における重要な問題であると私は考えている。「客観」という態度をとるためにはその視座としての主体が必要である。そして、この主体を世界の中心と考えるところから「実存主義」との関連が浮かび上がってくる。

田中裕明がサルトルの実存主義に傾倒していたとは思わないが、すくなくとも客観と主体とをめぐる葛藤のなかで、実存というものをひとつの手がかりにしようという意識があったのではないだろうか。

客観写生を極限まで行うときに、最後に解決しなければならないのは、対象としての自分自身をどのように扱うかということである。視座としての主体を固定すれば、もうひとりの自分がドッペルゲンガーのようにあらわれてくる。河原枇杷男の〈天の川われを水より呼びださん〉といった作品の「われ」は、そうした分身としての「われ」であろう。

榮猿丸はこの句集のタイトルである「夜の客人」について、以下のように書いている。

「見知らぬ夜の客人」とは、己の孤独の影が実体化したものではないかと思えてくる。(中略)己の孤独の影と向き合う裕明の眼は、影を実体化させた。そして、その透徹した眼は、月へ向かって昇って行くように軽々と自我をはなれ、対象と一体化を果たす。

裕明は自分自身のドッペルゲンガーをさらに別の対象と同一化させることによって「客観」の問題を解消したのだろうか。それは、先述の三橋敏雄の「観念を景にする」という方法と通じ合うことのようにも思える。

句集最後に置かれた句である〈糸瓜棚この世のことのよく見ゆる〉において、視座としての主体は、すでにあの世に去ってしまったかのようである。榮猿丸が「末期の眼」と呼んでいるのはそのことであろう。

さて、この句を読んだあとに、「あとがき」を読むと、以下のような結びの一文に戸惑いを感じずにいられない。

さあ、長い長い厄年はこれで終わりにして、気持ちを入れかえて、俳句と人生に取り組みたいと思います。

死を受け入れたかのような「糸瓜棚」の句に対し、生への希望を語る「あとがき」は矛盾しているようにも感じられる。

しかし「矛盾」という言葉は「何でも壊す矛」と「何によっても壊せない盾」という仮構を前提とするものであり、人間の論理の限界が露呈したものであって、神にならなくとも、論理を超えること、すなわち詩によって解決可能なのである。

ふたたび私は「巨大な平明さ」という語を想っている。月に照らされ影もない平らな空間で、ふたりの田中裕明が静かに語り合っている……。そのような景としてである。

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